これで張り切らないのは嘘だろ
そこから先の物語は、正直語る術がない。何故ならそれはただひたすらに長くて辛くて退屈な苦行だったからだ。
一〇階層のボスであるでかい恐竜、タイラントレックスを死闘の末に倒し、レベルの上限突破を可能とする「英雄の証」というメダル……赤青白の縦ストライプのリボンに、雄叫びをあげる恐竜のレリーフが刻まれた金メダルだ……を手に入れた時は、そりゃあもう盛り上がった。
その後も二〇階、三〇階と節目を突破するごとに俺達は互いの健闘を讃え合いながら喜びの声をあげたものだ。
だが、それが続いたのは精々一〇〇階層までだ。ダンジョンの見た目は代わり映えせず、ともすれば今自分が何階層にいるのかすらわからなくなる。そのくせ魔物は強くなり続け、自分達がどれだけ成長しても常に格上との苦戦を余儀なくされる。
一五〇階、二〇〇階……ずっと同じ景色が続き、この苦行は無限に続くのではと錯覚しそうになる。
二五〇階、三〇〇階……長い時間と数え切れない苦闘の果てに辿り着いたそこがまだ全体の半分にすら至っていないと気づき、膝から崩れそうになる。
三五〇階、四〇〇階……レベルが二〇〇を超えた俺達の体は、もはや普通の人間とは別物だ。徐々に食事や睡眠の必要性が下がり、寝なくても食べなくても疲れなくなる。
四五〇階、五〇〇階……気づけばずっとダンジョンの中を歩き回り、強い敵を倒し、たまにある宝箱から装備を回収するという時間を過ごしていた。区切りの階から第一階層に戻り、そこからダンジョンの外に出れば今が昼か夜かくらいはわかるが、もう日付の概念はとっくに失っている。
五五〇階、六〇〇階……ようやく終わりが見えてきたが、それを喜ぶ気力はもう俺達に残っていなかった。まだ終わっていないのに、もうすぐ終わりそうだと気を抜いてしまったら、もう一歩も前に進めない気がした。
六五〇階層……ここが最後のチェックポイント。随分と久しぶりに第一階層に戻ると、俺達は揃ってダンジョンの外に出た。
「ああ…………」
外は、真っ暗だった。一瞬夜かと思ったが、空を塗りつぶす黒の中央には丸い太陽が辛うじてその姿を見せているため、今は間違いなく昼間だ。
「昼なお暗く、見えるのは満月のような太陽のみ……もはや時間は残っていないのだろうな」
「私達が出発してから、どのくらい経ったんでしょう?」
「さあねぇ。一ヶ月か半年か……一〇年って言われても今なら信じるわ」
「フニャー。サバ缶が恋しいニャ……」
持ってきた物資はとっくに使い果たしており、それはクロエの好物であるサバ缶も同じだ。そして幸か不幸か、裏ダンジョンたる「絶望の逆塔」にサバ缶を落とすような魔物はいない。
……いや、これはゲーム的な考え方だな。強敵を倒したならそれに見合ったドロップが欲しいという思いはその通りだが、これだけ日常から離れてしまった今、俺も無性にサバ缶が食いたい。それが鈴猫亭の出来たてランチなら、エリクシールと交換したっていいくらいだ。
「あれ? そう言えばスズキとマッカレルがいないニャ?」
「確かに、馬車がありませんね。どうしたんでしょうか?」
「もしかしてここに魔物が出て、何処かに避難してるとか? クロちゃん、呼んでみたら?」
「わかったニャ! ウニャァァァァァァン!」
リナの言葉に、クロエが何処かのんびりと間延びしたような独特の鳴き声をあげる。すると鎖を渡って幻影猫達の引く馬車がガラガラとやってきた。
「うにゃあ!」「んなーん!」
「スズキ! マッカレル!」
やってきた幻影猫達に体を擦り付けられ、クロエが嬉しそうな声をあげる。ふむ、見た感じでは車体に傷もねーし、何か問題に巻き込まれたって感じでもなさそうだが……?
「ひょっとして、ミーア先輩が呼んでいたのではないか?」
「あー、そっか。そりゃ先輩だってこれ使いたいときはあるよなぁ」
「事実上かなりの長期間、無断で放置してたようなもんだもんね。ここじゃ連絡入れるってわけにもいかなかったし」
アリサの指摘に、俺とリナは苦笑しながら頷く。確かにこの馬車はミーア先輩から借りてるもんで、長いこと連絡もなしに放置しっぱなしだった。なら先輩が呼ぶことだって十分あり得る話だ。
「あれ? 馬車の中に何か入ってますよ?」
と、そこでロネットが車体を覗き込み、そんな風に声をあげる。それを受けて皆が集まりロネットが扉を開けると、なかには様々な物資が詰め込まれていた。
「うお、何だこりゃ!? 各種ポーションに、砥石に油? あー、装備のメンテ用ってことか?」
「食料とかも入ってますね。流石に保存食ばっかりですが」
「サバ缶もあるニャ!」
「これは……手紙か?」
皆がはしゃぐなか、アリサが綺麗に折りたたまれた紙を手に取り、開く。すると程なくして楽しげに微笑み、俺の方に手紙を差し出してきた。その内容に視線を落とすと、そこには先輩からのメッセージが書かれていた。
曰く、後輩達を守れるように様々な手配を終えた自分が学園に戻ると、同じように「この学園こそ世界の要である」と予想した現役の学生や卒業生達が次々と集結してきたこと。
そこで俺が万が一に備えて残ってもらっていたモブロー達に会い、俺達の話を聞いたこと。自分達が到底辿り着けない地にて今も必死に頑張っているであろう俺達を、何とか支援したいと考えたこと。
その結果として、こうして馬車に物資を詰め込み、俺達が……正確にはクロエが呼んだならば、それが届くように備えておいたこと。そして最後に……
「『この馬車で物資が運べるのがバレたら大事にニャーるから、絶対に秘密ニャーよ?』か……ははは、先輩らしいぜ」
「確かに、声一つあげるだけで好きな場所に馬車一台分の物資を運べるとなったら、密輸とかし放題ですもんね」
「ならばこの秘密は、墓まで持っていくことにしよう」
「あ、ねえこれ、裏もあるわよ。うわ、皆からの応援コメント! ヴァネッサ先生に、クラスの友達に……あ、生徒会長とかイレーナお姉ちゃんのもある! 後は……うん? グロソにラクスル、モリー……? 誰だっけ?」
「おいおいリナ、忘れたのか? 私に勝負を挑んできた先輩方じゃないか。まあ実際戦ったのはシュヤクだったが」
「あー、そう言えば……へへへ」
呆れた顔をするアリサに、リナがばつが悪そうな笑い声をあげる。実は俺も完全に忘れてたのはここだけの秘密だ。
でも、そうか。そうだよな……
「無機質なダンジョン攻略ばっかりで忘れかけてたけど、俺達には応援してくれる人がこんなにいたんだな」
ヴァネッサ先生やイリーナ先輩のようなサブヒロインを除けば、残りのほとんどはゲーム時代は名前すらなかったNPC。だが現実となったこの世界で俺達は彼らに関わり、それはこうして縁を結んだ。
皆生きている。命があって心があって、日々を一生懸命に生きているのだ。この世界の住人は誰一人その他大勢なんかじゃなく、皆が皆唯一の存在なのだ。
ああ、そうだ。だからこそ俺はここにいる。世界なんてでかいもんじゃなくて、見知った知人を、その日常を守りたいと思えばこそ、ここで苦行のようなコピペランダムダンジョンを攻略し続けてきたのだ。
「ふーっ……よし、何かやる気でた。あと久しぶりにスゲー腹が減った気がする」
「奇遇だな、私もだ。最近は食わずとも平気になっていたが、今ならいつもの三倍は食べられそうだぞ!」
「クロも! クロもサバ缶なら無限に食べられるニャ! 馬車一杯でもいけるニャ!」
「なら久しぶりにお料理しましょうか。ここなら火も存分に使えますし、保存食とはいえ手を加えれば美味しくなるものはありますから」
「アタシも手伝う! 待ってなさい、とびっきり美味しいのを作っちゃうんだから!」
「なら待ってる間、クロは久しぶりにスズキとマッカレルをブラシしてあげるニャー」
「ほう? それなら私も手伝おう。シュヤク」
「おう! inventory.exe起動……ほれ、持ってけ」
ロネットとリナが笑顔で料理の準備を始め、クロエとアリサが俺が取り出したブラシを受け取り、幻影猫たちに楽しげにブラシをかけ始める。どうやら手紙や物資に元気をもらったのは俺だけじゃないらしい。
ま、そりゃそうだよな。こんな応援受けて張り切らないはずがない。
難攻不落の裏ダンジョン「絶望の逆塔」。残り一六階層の攻略に向け、こうして俺達は久しぶりの楽しい時間で英気を養うのだった。