閑話:最後の一人
今回は三人称です。
「まったく、自分ばかりが満足して死ぬとは……それもまた君が君である証拠なのだろうガーネ」
世界の外側にある豪邸。その豪華な応接室にて、デルトラは紅茶を傾けながらそんな事を口走る。だがアルマリアから送られてきた力を使って事の顛末を確認した今となっては、それも当然だろう。
「しかし、その結果世界の寿命はまた縮んだようダーネ。果たしていつまで保つもノーカ……」
もはやそのぼやきを聞く者はいないため、誰もいない室内でデルトラは独り言をこぼす。
アルマリアの敗北は、デルトラにとっても大きな痛手だった。だがそれにも増して、太陽鋼などという存在しないはずだったものを手に入れられたのが問題だ。データの存在しないアイテムが加工され、データの存在しない強大な武器となって日常的に振り回されたら、一体どれほどの不具合を生む要因となり得るのだろうか?
世界はそれを許容できるのか? もし駄目だった場合どうなるのか? かつてガズの語っていた危機がいよいよ間近に迫っていることを強く実感させられるが、それでもデルトラは焦らない。
もっとも、それは余裕があるからではない。大事な仲間を失ったことで、デルトラもまた覚悟を決めたからだ。
「これはもう、温存する場面ではナーイね」
世界の情報を書き換え、意のままにするガズの力。
世界の全てを観測することのできるアルマリアの力。
その二つの力は、今やデルトラの中にある。無論本人に比べれば大きく弱体化しているが……それを補って余りある力を、デルトラ自身が持っている。
「メモリ解放、ガズ。『Re:Brith |Engineering』」
まっすぐ伸ばしたデルトラの手から、青く輝く光の粒子が迸る。するとそれは徐々に人型を取っていき、程なくしてそこには青白いゴーストのような姿となったガズが立っていた。
「プランEを実行する。必要なコードを作成セーヨ」
「了解。エミュレートチャンバーより、『Reprogram』を起動します」
デルトラの命令に従い、ガズの周囲に無数のウィンドウとキーボードが出現する。しかしそこにはかつてのガズのような情熱、こだわり、魂の熱がない。
当然だ。如何に規格外の記憶容量を持つデルトラであっても、人間のバックアップは簡単にできるものではない。ましてやガズのような特殊な能力を再現するとなれば、記憶できるのは精々二人……それも意識や記憶などを除いてが限界なのだ。
しかも、個人の再現度は再生誕させればさせるほど劣化する。これはデータを保存しているデルトラの脳が生体であるため、高すぎる負荷に耐えきれないからだ。
つまり、何度もは使えない。それでも今ここで使ったのは、もはやデルトラ一人の能力では状況を覆せないと判断したからである。
「警告。コードを書き込むための情報が足りません」
「情報? 何が足りないのカーネ?」
「E-214から参照されるメモリデータのアドレス、および――」
「あー、わかった。メモリ解放、アルマリア。『Re:Brith |Engineering』」
ガズコピーに求められたものが自分ではどうしようもないと瞬時に理解し、デルトラは新たにアルマリアコピーを生み出し、指示を出す。
「ガズに求められる情報を提供セーヨ」
「了解。エミュレートチャンバーより、『Research』を起動します」
そうして二人のコピーが協力し合うことで、作業が進んでいく。その状況を見届けると、デルトラは疲れた表情で元の席に腰を下ろした。
「ふぅ、これでひとまずは何とかなるカーネ……」
脳を酷使しているせいで生じている酷い頭痛を誤魔化すように、デルトラは濃いめの紅茶を飲み干す。かつてならば気休めにとガズがくだらない冗談を言い、アルマリアに怒られて喧嘩になったりしたのだろうが、コピーの二人はそんなことをしないし、できない。ただ黙々と作業を続ける二人の幻影から目を反らすと、デルトラは徐に懐から小さな青い宝石を取り出した。
「あとは、これダーネ……」
それは本来、アルマリアが使うはずだった切り札。デルトラが用意した最凶の一手であり、組み伏せられ無力化された状況であってなお逆転を可能とし、使えば間違いなくシュヤクを絶望に突き落とせたはずのもの。
だがそれを、アルマリアは最後まで使わなかった。アルマリアならその結果が自らの滅びと世界の寿命を縮めることに繋がるとわかっていただろうに、それでも使わなかったのだ。
その選択を責める気はない。アルマリアが命よりも大事にした決断を貶めるなど、友としてあり得ない。
だが、だからといってこれを使わないというわけではない。アルマリアがこれの存在をおくびにも出さなかったおかげで、埋伏の毒はまだ生きている。あの瞬間ほどの効果はもう望めないだろうが、それでも極めて強力な……場の流れを一変させうる札だ。
「何処で使うか……状況を見極めなけレーバ、望んだ効果は得られない。フーム……」
デルトラは深く静かに考え込む。残っているのはもう自分だけ……つまりこれ以上は失敗できない。理解することなどできない世界の意志の影響を最小限に抑え、何も知らず迷走する主人公をどうやって望む結末に向かわせるか?
アルマリアがいればここから楽に情報を集めることができた。あるいはガズがモブを造れば、情報収集がてら安全にシュヤク達に接触することもできた。
だが二人はもういない。コピーを使えば小動物程度を作ったり王都全域を観察するくらいならできるが、その結果肝心な時に劣化し過ぎて使えなくなりましたでは話にならない。
とはいえ、デルトラもカンストの二五〇レベルなので、通常ならば何も考えず殴りかかるだけで必勝のはずなのだが……
「やはり問題は『知能デバフ』デースね」
ゆっくりと目を閉じ、デルトラは思考に集中する。
神代の文字を自在に操るガズが、自分を強化するコードの穴を突かれて敗北する? あり得ない。それならまだ滑って転んで頭を打って死亡の方が幾らか納得できるくらいだ。
世界を見通す目を持ったアルマリアが、たかだか先入観如きで六人目を見逃す? あり得ない。どうでもいい対象ならまだしも、戦闘中という緊張状態で常に全周を警戒、観察していたはずなのに、ずっと気づかないなんて不自然が過ぎる。
つまり、自覚があろうとなかろうと、二人は「知能デバフ」を受けていたのだ。それ故に自らの得意分野で足下を掬われ、そこを突かれて負けた。ガズはともかく、アルマリアはその辺も十分警戒していたにもかかわらずだ。
その失敗の教訓は生かさなければならない。戦闘に入った時には既に勝利が確定しているような状況でなければならない。
どれほど自分が間抜けなミスをしても、勝ちが揺るがない舞台を整えなければならない。始まった時には終わっている手筈を整えなければならない。
考える。考える。デルトラの脳が悲鳴のような唸り声をあげ、髄液が煮沸するほどに思考が加速されていく。幾千、幾万、幾億、幾兆……考え得るありとあらゆる手段を模索し、枝葉のように別れるルートを想定し、全ての結末を想像し、そこから望む未来を創造していく。
「………………ふむ。やはりこれしかナーイようだね」
永遠のような一瞬を積み重ね、辿り着いた答え。静かに目を開けたデルトラが垂れ落ちていた鼻血をそっとハンカチで拭うと、よく手入れされたひげを指でしごきながら口の端を吊り上げる。
世界の意志ではなく、ただ己の意志によって。残された最後の一人が、今静かに動き出した。