永遠の向こう側
今回まで三人称です。
「なあアリサ、ロネット。俺の生きた時間はお前らの倍近いけど……多分さ、俺はまだガキなんだ。必死に背伸びして少し高い景色を見て、大人になった気分を味わってただけの子供なんだよ」
床の上にわずかに浮かぶ、水晶柱。その内部に閉じ込められたアリサとロネットはまるで眠っているように目を閉じており、普通に考えれば外から語りかけたところで言葉が届くことはない。
だがシュヤクはそんなこと一切気にせず語り続ける。触れた手の向こうに自分の気持ちが届くよう、ただ己の心を言葉に代えて温もりと共に送り出す。
「だから正直、今はまだお前達の気持ちには答えられないと思う。恋は俺が思うよりずっと軽いもので、愛は俺が思うよりずっと重いものなのかも知れねーけど、そういうのすらよくわかんねーんだ。
でも、それでも……もう前みたいにあからさまに避けたりはしない。知って、学んで、迷って、考えて……いつか俺なりの答えを出せるようになりたいと思う。
だから、だからさ…………」
キュッと口元を結び、その胸の内に覚悟を宿し、シュヤクの口が語る。
「俺は変わる。だから二人も変わってくれ。その結果が何処に向かうとしても……一緒に変わっていこうぜ」
パリ……パリパリ……パリーン!
シュヤクの触れていた部分から水晶柱にヒビが走り、それが瞬く間に大きく広がっていくと、次の瞬間水晶柱が砕け、そこから二人が飛び出してくる。
「無論だ。互いに寄り添い支え合い、唯一無二の二人で一人となるのが夫婦だからな!」
「変わる相場を読み解くのは、商人の嗜みですから」
倒れ込むようにシュヤクに抱きつく二人。流石のモブリナも悔しげに歯ぎしりをしながらも空気を読んで押し黙り、そうして一分ほど経つと、二人から離れたシュヤクが改めてアルマリアに声をかけた。
「ってわけだ。どうだ? まだ何か逆転の目があるか?」
「……いいや、ないねぇ。アタシの負けだ。ああ、完全に負けたよ」
問うシュヤクに、アルマリアは静かに答える。その声色には何処か優しく、いっそ羨ましげですらあった。
「そうか……なあ婆さん。あんた結局何がしたかったんだ?」
故にシュヤクは、更に問いを重ねた。
訳もわからず襲われ、仲間を掠われ殺されかけた。だがそうされた理由が、未だ以て見えてこない。この感じなら聞けば教えてくれそうだと思ったシュヤクの言葉に、アルマリアは唇の端を吊り上げながら答える。
「キヒッ! アタシの目的かぃ? そりゃあ勿論、世界の安寧さぁ。ガズから聞いてるだろぉ?」
「ガズ!? お前達繋がって……っ」
意外な名前が出たことで、シュヤクが思わず叫び声をあげた。知らないイベント、いるはずのないボスキャラ……脳内で二つの点が線で繋がり、その表情が苦々しく変わる。
「なら、これもあれか? 俺がゲームのシナリオと違う事をしようとしてるから、あんたが出てきたってことなのか?」
「そうだねぇ。本来ならもっと穏便な手段が取りたいところなんだけど、もうそんな猶予もないくらいズレまくってるのさぁ」
「…………そんなに」
その場でしゃがみ込み、床に押さえつけられたアルマリアに顔を寄せ、シュヤクが問う。
「そんなに、俺がしてることは……俺が俺として生きることは、この世界にとって駄目なことなのか?」
「キヒッ! アタシが何を言わなくても、坊やが一番わかってるんじゃないかぃ?」
「それは……」
皮肉な笑みを浮かべるアルマリアに、シュヤクが言葉を詰まらせる。ゲーム開発に携わった経験のあるものとして、キャラクターが想定と違う動きをするのは致命的なバグだ。即座に最優先の修正パッチがあてられて然るべきであり、そこに許容される要素などない。
「そうか。そうだよな。でも……それでも…………っ!」
強く唇を噛みしめ、シュヤクが顔をあげる。周囲にいる仲間の顔を見て……それからもう一度アルマリアの目をまっすぐに見つめて言う。
「それでも俺は、もうこの世界をただのゲームだとは思えない。ここに生きる皆を……ただのゲームキャラだなんて思えねーんだよ…………っ!」
この世界に生きる全ての人は、皆それぞれに命と心を持ち、懸命に生きている。そう認識してしまったからには、ゲームのシナリオを守るためだけに生きることなどできない。
ゲームのシナリオなど、所詮は数十時間分のテキストでしかない。そこに書かれている悲劇を受け入れ、そこに書かれている喜劇を演じ、そこに書かれていない日常を捨て、世界に影響を与えないように部屋に引き籠もって過ごす……そんな生き方を今更押しつけられて、納得出来るはずがないのだ。
だがそれこそが、この世界を危うくしている。そう告げられてしまえば、シュヤクにはどうしていいかわからない。するとそんなシュヤクに、アルマリアは笑いながら声をかけた。
「キッヒッヒ。なら好きにすりゃいいだろぅ?」
「? 俺が好きにしたら、世界がヤバいんだろ?」
「そうだねぇ。でもアンタはアタシに勝った。ならその分だけ、アンタにはこの世界を好きにする権利がある。アタシが世界を守りたかったように、アンタは世界を変える権利があるんだよぉ」
「世界を……変える権利…………?」
「そうさぁ。本当の結末なんて、迎えてみるまで誰にもわからない。そう、本当は……わからないもんなのさぁ」
まるで自分に言い聞かせるように呟きながら、アルマリアはスッと目を細める。今や二つだけとなった人間の目……本来の自分の目に映るのは、遙か遠い昔に置いてきてしまった思い出の欠片。
「人は歳を取ると、変わるのが怖くなる。同じ日々の繰り返しにこそ安寧を覚え、変化を、刺激を求めたりしなくなる」
故にアルマリアは、永遠を求めた。永遠に変わらず、永遠に繰り返す日々を欲した。それが一日とか一週間なら流石に全てを知り尽くしてうんざりしていたかも知れないが、三年という長さであれば、許容範囲内の日常の小さな変化なら、それこそ無限に近いほど起こりうる。
「ここはアタシ達の楽園だった。だからアタシ達はここを守りたかった。そしてそれは、この世界に生きる者達の願いでもあると信じていた。でも……」
クロエに押さえつけられながらも、アルマリアは何とか頭を動かして視線を巡らせる。ただ「見る」ことにこれほど労力を払うのは久しぶりだと内心で苦笑しながら、アリサやロネットの顔を見て口元を歪ませる。
「変わることを望む者もいる。幸運か不幸か、栄光か破滅か……その先にどんな未来が待っているかわからなくても、歩いていく者がいる。
変わらなければ今の幸せが永遠に続くのに、それでも動かずにはいられない馬鹿者が、この世界は確かにいるのさ。ああ、眩しいねぇ。その愚かさこそ若さの特権だよぉ」
「…………」
アルマリアの言葉に、アリサ達は何も言わないし、言えない。ただ自分達より遙かに長い時を生きたであろう老人の言葉を、静かにその身に刻んでいく。
そんなヒロイン達の顔を見たアルマリアが、最後にその視線をモブリナに向けた。
自分達の作ったNPC。世界に馴染ませ、世界の注目から外し、世界を欺けるようにと生みだしたそれを観察すること一二年。長く停滞したアルマリアの日々に、久しぶりに大きな変化を与えた存在。
「なあ、モブリナ。アンタ生きるのは楽しいかぃ?」
「へ!? 何よ突然……そりゃ楽しいわよ。自分の理想の世界で生きていることが、楽しくないわけないでしょ?」
「……そうかい。そりゃあいい」
自分が怖くて見られなかった「その先」を、果たして自分達の造った娘はどのように受け入れるのだろうか? ここで終わるアルマリアには、それを知る術はない。
(すまないねぇ、デルトラ。アタシはここまでみたいだよぉ)
故にアルマリアは、ゆっくりとその両目を閉じる。瞼に隠れたその瞳から光が消えると、アルマリアに与えられていた権限の全てが最後に残った仲間に移る。
これでもう、自分にできることはない。これでもう、自分に残せるものはない。
もう何も失えない。ならば何を恐れることがあるだろうか?
「ああ、楽しみだねぇ……本当に、楽しみだよぉ…………」
「えっ!? あ、おい!?」
胸に残った息を吐ききってそう呟くと、アルマリアの体がダンジョンの霧に変わっていく。無限の闇の向こうにいつか無くしてしまった夢幻の可能性を視たアルマリアの顔は、まるで小さな子供のように楽しげな笑みを浮かべていた。