それはきっと何処にでもある、俺だけの物語さ
自分で言うのも何だが、俺の恋愛遍歴はごく普通だ。漫画みたいに甘酸っぱいやりとりがあるわけでも、ドラマみたいなドロドロの愛憎劇があるわけでもない。そんな俺に最初の恋人ができたのは、一四歳……中学二年の時だった。
「好きです、付き合ってください」
「へ!?」
放課後の教室。同じクラスであるということ以外ほぼ知らない女子生徒に呼び出されてやってきた俺は、その子に背中を押された、正真正銘誰だかわからない女子生徒から突然の告白を受けた。
顔も名前も知らない相手からの、突然の告白。しかし当時性春……ゲフン、青春真っ盛りだった俺にとって重要なのは「女子から告白された」という一点のみであり……
「えっと……よ、宜しくお願いします」
俺はその告白を、やや引きつった笑みを浮かべて受け入れ、俺達は晴れて恋人同士となった。
ただまあ、付き合うと言っても当時の俺には何の知識も経験もない。どうしていいかわからなくて、ひとまずその日から一緒に下校するようになったのだが……
「ごめんなさい、別れてください」
「へぁっ!?」
一週間後、俺は告白された時と同じ場所で彼女に振られた。曰く「思ってたのと違うから」ということだったらしいが、俺からしたら何が何だかわからない。後から最初に俺をこの場に呼び出したクラスメイトの女子……その子の友達らしい……に「アンタがちゃんとリードしないからでしょ!」とか色々言われたが、初めて恋人ができた一四歳のガキにそんなことを要求されても困る。
無論今なら、何となくあの子の言いたいことはわかる。きっと少女漫画のような恋愛に憧れ、恋に恋する年頃だったんだろう。なのに実際に気になる異性と付き合ってみたらお姫様みたいにエスコートされたり愛を囁かれることもなく、ゲームだの漫画だのの話をするだけの男に「違う」と感じるのは無理からぬことだ。
とはいえ、当時の俺にそんなことがわかるはずもない。嵐のように過ぎ去った初彼女の存在にひたすら混乱し、首を傾げるのが限界だった……
「……ってのが俺の初恋……初恋? いや、別にあの子のこと好きだったわけじゃねーから違うか? とにかく初めての恋人の話だよ」
「そ、そうか。それは……すまん、ちょっと何と言っていいかわからん」
「いいって。俺も何にもわかんなかったからな。あー、一応言っとくけど、順番に話してるってだけだから、これで傷ついて女子と疎遠にってわけじゃねーぞ? 俺としてはよく知らない相手とほんのちょっと一緒にいただけって感じで、恋人だった実感すらねーからな」
要点だけ掻い摘まんでもよかったんだが……いや、違うな。俺自身がそれに触れるのが怖くて、無意識に選んだ遠回り。最初の恋人の話を補足を交えて話し終えると、困ったような顔をするアリサに苦笑しながら告げる。
「今ならさ、もっと優しくしてやればよかったとか、相手の好みの会話で盛り上げてやればよかったとか、思いつくことは幾らでもあるけど……それこそ今更だからなぁ。ま、お互いガキだったってことさ」
「子供と言っても、今の貴様とは一歳しか違わないのではないか?」
「ははは、体の年齢はそうなんだろうけど、中身は別物だからさ。それに同じくらいの年頃でももっと上手くやれる奴はいるんだろうし……そこは俺が恋愛初心者だったってことで。
んじゃ、続きを話すぞ」
「うむ」
アリサが聞く姿勢を取ったことで、俺は再び記憶のページをめくっていく……
次に恋人ができたのは、高校生の時だ。クラス委員が同じだった子と仲良くなり、何となく流れで付き合い始めることになる。
高校生にもなると流石にちゃんとしたデートもできるようになり、一緒にカラオケに行ったり映画を見たり、ごく普通のカップルとして八ヶ月くらい付き合ったんだが……
「ごめんなさい! 私、他に好きな人ができたの!」
「えっ? 突然何を……」
「そういうことだから! ごめんね!」
「ちょっ!?」
もうすぐ二年に進級となり、「また同じクラスになれるといいね」なんて話していた彼女にいきなりそんなことを言われ、俺達は他人に戻った。せめて何で振られたのかくらい知りたかったが、相手から露骨に避けられ声を掛けることもできず悶々とした日々を過ごし……そうして二年に進級後。違うクラスになったその子は、サッカー部の新たな部長になったイケメンで三年の先輩と付き合っているという話を聞くことになった。
今なら「あれ、これNTR?」とか「実は二股かけられてて、最初から向こうが本命だった?」とか色々邪推もできるんだが、当時の俺は「ああ、好きな人ってあの人なのか。そりゃ俺とあの人なら、あの人選ぶよなぁ」という妙な納得感を得てしまい、彼女に対する未練というか思いというか、そういうのがスッと消えていったのを覚えている。
なので、その子のその後のことは知らないし、知りたいとも思わなかった。ただ純粋に興味をなくし、自分の意志だけで放課後に何をするかを選べたり、デート代を自分の趣味に回せることに一種の開放感すら感じていて……そんな痛みすらない失恋が、俺の二度目の恋人との別れであった。
「要は俺より条件のいい男が見つかったから、そっちに乗り換えられたって話だな」
「随分と見る目のない女だな。それと……これは言ってもいいものか少し迷ったのだが、貴様が容姿で劣るというのが今ひとつイメージできないのだが?」
「おっと、そうか。今の俺と当時の俺は、当然見た目が全然違うからな? 昔は……前世の俺はこんな格好よくねーから。もっとずっと平凡で、しょぼくれた感じだったんだよ」
またも首を傾げるアリサに、俺もまた改めて苦笑しながらそう告げる。確かに前世の俺が今と同じ顔をしていたら、あの子に振られることはなかったんじゃないだろうか?
……いや、違うか。多分俺が超絶イケメンだったとしても、きっと結果は変わらなかったんだろうなぁ。
「シュヤク?」
「いや、何でもない」
少しボーッとしてしまった俺に、アリサが心配そうに声をかけてきた。だが話はまだこれから……俺は頭を振って意識を切り替えると、軽く肩をすくめてから話を続けていく。
「というわけでまた振られたわけだけど、別にこれも今となっちゃ特に気にしてない、ただの思い出だ。いや、今思い返してみたら割と酷い振られ方な気が改めてしてきたけど、とにかくこれも、俺が恋愛関係を遠ざける理由じゃない」
「そうなのか? 女の視点でなら演劇にでもなりそうな話だったが」
「え、そこまでか!?」
言われて俺は、今の話をモトカノの視点で想像してみる。気の合う恋人がいて仲良く平和に暮らしていたが、ある日超イケメンの王子様を見かけ、その胸に禁断のときめきを覚える。
いけないとわかっていても王子との秘密の交流を続け、やがてその愛を勝ち取ると、元の恋人と別れて王子の元に……安っぽい昼ドラくらいにはなりそうか? 有名作家の恋愛劇だって、やってることを冷静に分析すると単なる略奪婚だったりするし、意外とありなのかも知れない。
「まあいいや。とにかくそれも違うってことだ。そして次が……本命の話だ」
「……………………」
反射的に表情を硬くした俺に、アリサが無言になる。そう、ここからが本番。次こそが俺の最後の恋人……俺の恋愛を最後にした相手の話だ。
自分の記憶に指をかける。これまでは市役所とかから送られてくる個人情報保護処置のされたハガキをペリペリ剥がすくらいの感じだったが、今回はそんなもんじゃない。
薄いノートのページを、たっぷりのボンドで貼り合わせたような感じ。二度と剥がすことを前提としていない……だがいつかは開く日が来るかも知れないと、絶対に開けないようにまではしていない記憶。
力を入れすぎれば、あっけなくページが破れてしまう。だから慎重に慎重にめくっていくが、その度かさぶたを無理矢理剥がした時のような痛みを感じる。
ああ、思い出したくない。本能が思い出すのを拒み、理性が思い出すのを阻む。
だが、忘れられない。その存在をなかったことにしてページごと破り捨てるには、俺の人生の厚みが足りない。あるいはもっと……それこそ他の女と結婚して家庭を持ち、爺さんになって死んだなら、それも過去だと向き合えたのかも知れねーけど……俺の人生は二八歳で終わっちまったからな。
ペリペリ、ペリペリと接着面が剥がれ、少しずつ記憶が蘇ってくる。見たくない、触れたくない、そこまで嫌悪しているというのに……開いたページから漂うのはかつて毎日嗅いでいた、どこか甘くて懐かしい彼女の匂いだった。