挨拶は大事だけど、それは違うだろ!?
さて、ガーランド伯爵領への訪問が決まったわけだが、だからといってすぐに行けるわけではない。何せ俺達は学生であり、時は一二月。この時期にある決して外せないイベントと言えば……そう、期末テストである。
「フニャー、クロの頭はもうカピカピなのニャ……」
「よく頑張ったな、クロエ」
「ご褒美にサバクレープを用意してますから、あとで一緒に食べましょうね」
「サバクレープ! クロはロネットが大好きニャー!」
無事試験を乗り越えてヘロヘロになっていたクロエだったが、ロネットの言葉に嬉しそうに目を輝かせる。にしても、サバクレープ…………?
「生クリームが入ってるおやつの方じゃなくて、野菜とかが一緒に包まれてる食事のクレープの方でしょ。それなら美味しそうじゃない?」
「……ああ、なるほど」
リナの言葉に、脳内に浮かんでいた甘くて生臭いクレープが、お好み焼きの亜種みたいなのに移り変わって納得する。確かに小麦粉の皮で包んだ料理ってなれば、普通に美味そうだな。
「うぅぅ……セルフィー、膝枕! 自分は膝枕をされないと脳が破裂するッス!」
「はいはい。モブロー様は相変わらず甘えん坊ですね」
「あのくらいで情けない……シュヤクを見習う」
「自分は勉強は向いてないッス。オーレリアの下着の色なら毎日のローテーションまでバッチリッスけど……うおっ!?」
「モブロー、最低」
「オーレリア、怖いッスよ!? そりゃHPがあるから痛くも痒くもないッスけど、顔面に杖を振り下ろされるのは地味に怖いッス!」
「自業自得。その恐怖を魂に刻む」
「ひえーっ!?」
俺達の側では、セルフィに膝枕されたモブローの脳天にオーレリアの杖が振り下ろされている。割と容赦なくゴツゴツ振り下ろされているが、モブローなので気にしない。
「ふぅ……俺も何か癒やしが欲しいな」
「何、まさかアンタまで膝枕されたいとか言うわけ? それとも杖でぶっ叩かれる方?」
「どっちも勘弁だ。でも何かこう、安らぐ何かが……何がいいんだろうな?」
「仕方ないわねぇ。ほら、ならこれあげるわ」
今回も歴史には苦労させられたので、俺も何となく疲れている。だがいい感じのリラックス方が思いつかず顔をしかめていると、リナが徐に小さな缶を投げてきた。
「お、缶コーヒーじゃん。いいのか?」
「別にそのくらいいいわよ。てか、何で自分で買わないの? 別に高いわけでも貴重なわけでもないでしょ?」
「そりゃそうなんだけど、分類が薬だからさ……ありがたくもらっとくよ」
エナドリによる寿命の前借りが常態化していたせいか、ただのコーヒーだとわかっていても「薬」であるという事実が俺の中で無意識に缶コーヒーを遠ざけている気がする。
なので自分で買って飲むという発想がなかなか浮かばないんだが、こうして貰う分にはちょっと嬉しい。ホットがないのが相変わらず残念だが……あー、美味い。
「ふーっ、これだよこれ。スゲー終わった感じがする」
「む? シュヤク、貴様何故薬を飲んでいるのだ?」
「ひょっとして寝不足ですか? 薬で無理矢理どうにかするのはお勧めしませんよ?」
「いや、違うんだよ。俺は純粋にこの味が好きっていうか……ほら、やっぱこうなるから缶コーヒーは飲みづらいんだ」
「あはははは……納得したわ」
純粋に心配してくれるアリサやロネットの態度に、俺とリナは顔を見合わせ苦笑する。薬として定着してる物を「美味しいから飲んでる」は……まあ難しいよなぁ。現実だと中毒とかあるだろうし。
…………缶コーヒーにも中毒とかあるのか? カフェイン中毒? そんな量を飲む気はねーけど、印象としては……うん、やっぱり難しいな。今後も飲むときはこっそり飲もう。
「さて、それじゃテストも片付いたし、次はいよいよアリサの領地に行く準備をするか」
「装備の更新用の素材集めをするんスよね? 余ったら自分達にも売って欲しいッス!」
「いいけど、それならお前も一緒に来りゃいいんじゃねーの? インベントリあるし、歓迎するぜ?」
「嫌ッス! 自分は年末年始はコタツでダラダラするって決めてるんス! こればっかりは幾ら先輩の頼みでも譲れないッス!」
「そこまでかよ!? まあお前らしいけど……」
「シュヤクさん、いつ頃出発しますか?」
「ミーア先輩に馬車を借りる手配もしないとだし、あとヴァネッサ先生にまた遠征の申請もしないとだから……多分三日後くらいかな?」
「わかりました。ではそれに合わせて消耗品なども補充しておきますね」
「私の方も、改めて実家に連絡を送っておこう。特殊な馬車を使うと言っておかねば、いきなり我々が現れて驚かせてしまうからな」
「おう、頼むぜ」
俺が里帰りするならフラッと家に立ち寄ればいいだけだが、領主家のお嬢様であるアリサが帰るとなれば、何か出迎えとか色々あるんだろう。そうして適当に打ち合わせをし、関係各所にきちんと話を通して……予定通り三日後。俺達は無事に王都を出発することができた。
しっかり整備された街道を馬車に揺られながらの旅。特にすることもなくボーッと窓の外を見ていると、アリサがぼそっと言葉を漏らす。
「にしても、まさか私が初年度に里帰りすることになるとはな……」
「ん? なんだ、ひょっとしてあんまり乗り気じゃなかったのか?」
ゲーム時代、ヒロイン達は誰も里帰りしたりしなかった。これは夏休みの時と同じで、ヒロインがいなくなるとダンジョン攻略ができなくなるからである。
ただ、それはあくまでゲーム的な都合だ。世界が現実となった今、普通に年明けくらいは親の顔を見たり家族と過ごしたいと思うことはあるだろうし、その場合は無理に引き留めるつもりなどなかった。
だが逆に言えば、ゲーム時代の辻褄合わせをするために、よりしっかりとした「帰りたくない理由」が存在することだってあるだろう。ならばゲームと違う展開での里帰りは、俺達のために無理をしたということだって十分あり得る。
そう思い至り、俺はちょっとだけ心配してアリサに問う。するとアリサは軽く苦笑しながら首を横に振った。
「ははは、違う違う。確かに貴様達と出会わなければ、この時期の里帰りはしなかっただろうがな」
「アリサ様、どういうこと?」
「自分で言うのも何だが、私は伯爵家の娘だからな。お父様は私が男勝りの冒険を繰り返すことを決して歓迎していたわけではなかった。ましてやそれがグランシール学園の入学にまで繋がるとなれば、きっと複雑な思いだっただろうと推測できる。
そうして半ば無理を押し通して学園に入ったというのに、たった一年すら経たずに実家に戻ったとなれば、我が儘を言うだけ言ってあっさり諦めたようなものだろう? もしそうであれば、きっと私はこのまま学園を自主退学させられていただろうな」
「ええっ!? アリサ、学園をやめちゃうニャ!?」
その言葉に、御者席の窓からニュッと頭を突き出したクロエが驚きの声を上げる。するとそんなクロエに、アリサが優しい目をして答えた。
「まさか。今言ったが、それは私が討魔士としての生活に挫折していたならの話だ。今の私達は、それこそ卒業間近の先輩達に比べても劣らぬほどの実力と実績がある。これだけのものをひっさげるなら、帰郷は凱旋だ。お父様もきっと我々の活躍を褒めてくださることだろう……まあ内心は複雑かも知れんがな」
「ははは、そりゃ大変だ」
「確かに今のペースで活躍を続けたら、卒業時には独立した貴族家を立ち上げられるほどの功績になりそうですもんね」
要は「ガーランド家の娘」ではなく「アリサという個人」の価値があがりすぎてしまったせいで、扱いに困るってことだ。この世界の貴族は基本的に男性上位だから、自分より有名な女を嫁に……というのは難しいのだろう、多分。
「というわけだから、私を強くした責任を貴様にしっかり取ってもらわねばな。お父様への挨拶を考えておいてくれよ?」
「へ!? いやいやいやいや、それは違うだろ!? 強くなったのはアリサが努力したからじゃねーか!」
「その理屈がお父様に通るといいな……ふふ、今から楽しみだ」
「いやいやいやいや!?」
意味深に微笑むアリサが、そっと俺に身を寄せてくる。いやいやいや、まさかそんなこと言われても……
「そうしたら次はうちのお父様ですね! シュヤクさん、頑張ってください!」
「シュヤクあんた、やっぱりブチッともがないと駄目みたいね? そのだらしない下半身とのお別れを、今のうちにしっかりしときなさい」
「何でだよ!? いやいやいやいや、だから俺は何もしてねーし……いやいやいやいやいや……………………?」
逃げ場のない馬車のなか、色んな視線を向けられた俺は、壊れたスマホみたいに「いやいや」と言い続けることしかできなかった。