閑話:二本目の矢
今回は三人称です。
通常の世界から外れたところにある、貴族の邸宅のような一室。座る者が一人減ったその場所では、静かな時が流れていた。
「ふぅ…………どうダーネ? アルマリア」
「キヒッ。どうやらガズの言った通りだったようだねぇ」
紅茶のカップをテーブルに置きながら問うデルトラに、ギョロギョロと動き回る目をフードの下に隠したアルマリアが答える。その目が捉えていたのは、当然シュヤクの姿だ。
「イベントは完了しちまった……これによるシナリオへの影響がどの程度かは、アタシでも視えないねぇ」
「君デーモか…………」
シナリオに存在しないイベントを発生させようとする。そこまでならば特に問題ではない。何故ならそれは確実に失敗し、なかったことにされるからだ。
だがシュヤクは自らの機転で繋がらないはずの縁を繋げ、イベントを成功させてしまった。如何に全ての分岐が視えるアルマリアとて、存在しない分岐を視ることなどできるはずもなかった。
「だが我々が今もここに存在スールということは、ガズの懸念した最悪は発生していナーイのだね?」
「そうだねぇ。矛盾によるフリーズは起きなかったみたいだけど、それが偶然か必然かは、もうアタシらにはわからないよ。キヒッ」
「ガズ…………」
アルマリアは、あくまで表面的な情報しか視られない。そういう深い部分に干渉して調べるにはガズの力が必要だったが、古き友はもういない。ガズの置き土産によってコードを見ることはできるが、その意味を理解し、あまつさえ望むように書き換えるなど、もはや夢幻の彼方の物語である。
当然だ。世界の理がどんな働きをし、どんな意味を持つかを試して調べる手段などない。たった一つの点を打つだけで世界全てが崩壊する可能性すらある以上、最初から知っている者以外が扱えるようにはできていないのだから。
「やはり止めるベーキだったか……」
「キヒヒッ! でもそうしたら、今よりもっと悪い状況だったかも知れないよぉ? 今更そんな結果論より、アタシ達がこれからどうするかの方が大事さぁ」
「そうダーネ。フーム……」
今回の一件で、「シュヤクを放置すると、どんどん世界とシナリオの流れが乖離していく」というガズの懸念が実証された。となれば悠長に様子見する余裕などもうなく、今すぐにでも何らかの対処をしなければならない。
だが自分達が直接それを阻もうとすれば、ガズのように知能デバフを食らって単なるやられ役としてシナリオに処理されてしまう可能性がとても高い。となれば間接的な手段を取らざるを得ないが、ガズがいなくなったことで新たなモブは作れなくなり、それも難しい。
「仕方ないねぇ。それじゃ次はアタシが動こうか」
「フム? 何かいい作戦があるのカーネ?」
「そういう意味じゃないよぉ! アタシが直接出向くって言ってるのさぁ、キヒッ!」
「……ハ?」
ニヤリと笑って言うアルマリアに、しかしデルトラは思い切り眉をひそめる。自分が直接姿を晒して敵対することにどんな意味があるかを理解しているからだ。
「突然ナーニを言い出すのかね、アルマリア? それがどういう――」
「わかってるよぉ! わかってるけど、でもそうするしかないだろぅ? それともデルトラ、アンタならアタシ達が姿を隠したままであの小僧をどうにかできる作戦が思いつくのかいぃ?」
「そレーハ…………」
「キヒッ! 流石のアンタでもそりゃ無理だろうさ。だからアタシなんだ。アタシとアンタなら、残るべきはアンタ……そんなのわかってることだろう?」
「……………………」
アルマリアの言葉に、デルトラは何も言えない。確かにどちらかが一人になった時、自分ならまだ手が打てるが、アルマリアが残っても自暴自棄で突っ込むか、世界の終わりをこっそり見届けるかの選択肢しかないというのがわかってしまうからだ。
「ほら、そういうことだよぉ! それに……」
「そレーニ?」
「…………あの馬鹿がいなくなって、辛気くさいアンタと二人きりなんて、アタシにゃ耐えられないよ」
「……ひょっとして、ガズの敵討ちがしたいのカーネ?」
アルマリアとガズはよく言い争っていたが、その裏には確かな信頼があった。ならばこそ問うデルトラに、アルマリアが久しぶりに大きな声を上げた。
「キーッヒッヒッヒッヒ! おいおいデルトラ、アンタ随分と面白いことを言うじゃないかね! このアタシがあの阿呆の敵討ち!? キーッヒッヒッヒ! 面白すぎて目が飛び出ちまうよ!」
バタバタと手足を動かし、まるで子供のようにアルマリアが笑う。そうして一〇秒ほど喉を引きつらせると、静かになったアルマリアがゆっくりと口を開いた。
「そんな大層なもんじゃないさ。でもアイツの犠牲を無駄にしたくないと思う程度には、付き合いも長かったからねぇ。
勿論、勝算もなしに動くつもりはないよぉ? でも少しでも勝算があるなら……いや、勝算があるうちに動かなきゃ、本当に全部なくなっちまう。アタシの存在を賭けるだけで勝算が生み出せるなら、動いてもいいって話さね。
そしてデルトラ……アンタなら、そうできるんじゃないかぃ?」
「…………ああ、そうダーネ。と言っても今はガズの分の制限がかかってるから、使えるのは精々六割ほどダーガ」
「それだけあれば十分さね。さあ教えとくれ、アタシが何をすればあの小僧を倒せる? シナリオを守って、アタシ達の夢を叶え続けることができるんだぃ?」
「……………………」
仲間の想いに答えるため、デルトラは黙って考え込む。無数の作戦が浮かんでは消え、合格ラインを超えたものを更に細分化。成功率の高いもの、安全性の高いもの、不確定要素の数や失敗時のリカバリーなど、ありとあらゆるものを計算し……
「フ、ム…………これなら何とか……?」
「キヒッ! 流石はデルトラだねぇ! それでアタシはどうすりゃいいんだい?」
「まあ待ちたマーエ。こういうのには事前準備というのが必要なのダーヨ」
「準備? 今更何ができるってんだいぃ?」
「いいから、少し大人しく待っていたマーエ……開け、『Console』」
デルトラの言葉に従い、その正面に黒い窓が開く。同時に仮想キーボードも浮かんだが、そこに幻想の指は存在しない。
故にデルトラは自らの指でキーボードを叩き、ポチポチとカーソルを動かして表示された文字と数字の羅列を調べていく。細かい仕様などはわからないが、それでも漠然とわかる場所を流し読みし……
「確かこの辺に……これカーナ?」
「おいおいデルトラ、アンタ本当に大丈夫なのかぃ? ここにきてアンタの手で世界が終わるなんて、そんなのは御免だよぉ?」
「私だってそウーサ。だからできることは最低限。最小の変更で最大の効果をさせるノーサ。よし、これでいい」
「何をしたんだいぃ?」
「ふふふ、それは……まだ何もしてなイーヨ」
「キヒッ!?」
デルトラの言葉に、アルマリアが盛大にずっこける。だがそんなアルマリアに、デルトラはニヤリと笑う。
「当然ダーロウ? ここで私ができる程度の改変で事態が動くなら、ガズが直接出向くわけなイージャないか」
「キヒッ、そりゃそうだねぇ。なら今のは?」
「だから確認ダーヨ。然るべき場を整え、然るべきタイミングでこれを操作すれば、あの少年を絶望に追い込むことができる……かも知れなイーネ」
「なんだい、頼りないねぇ……それでアタシはどうすればいいんだいぃ?」
「クックック、今説明すルーヨ。まずは……」
呆れた口調とは裏腹に死出の旅路を目を爛々と輝かせたアルマリアに、デルトラは思いついた作戦を説明していく。
歪みを正す二本目の矢は、こうしてシュヤク達を貫くべく、音もなく放たれるのだった。