これが大人の交渉術ってやつだ
「へーえ? アンタ達がウチに会いたいって奴ニャーか?」
それから三日後。俺はロネットを伴い、「上流マナー研究会」の部室にやってきていた。ごく普通の教室のなかに置かれた立派な革張りのソファーに座る俺達の前では、艶やかなシルバーブロンドの頭から猫耳をピクピク揺らす、大らか……ふくよか……貫禄のある体型の女性が優雅に座っている。
ミーア・キャトラリア。円熟した女主人のような雰囲気を醸し出しているその女性とは実際の所は一つ上の二年生であり、プロエタにおけるサブヒロインの一人である。
「女帝と名高きミーア先輩にお会いできて光栄です。俺は――」
「知ってるニャーよ、シュヤク……それにアンデルセン商会の小娘」
「あら、私を知っていただいているとは光栄です」
小馬鹿にするような態度のミーアに、ロネットが完璧な笑顔で答える。するとミーアは猫のような切れ長の瞳を細め、その口元を歪ませた。
「フフフ、活きのいい一年だって聞いてたけど、ちゃんと立場をわきまえてるようだニャー。そういう子は嫌いじゃニャーよ」
楽しげに笑いながら、ミーアが手の中で小さな小瓶を転がす。猫獣人の間で流行っている香水であり、俺がロネットに頼んで調達してもらった「お近づきの印」だ。
本来のゲームの流れだとイベントが起きなきゃアイテム入手のフラグが立たないんだが、現実において品物がわかっているなら、普通に買えばいいだけの話である。
「それで? ウチに挨拶したってことは、何か頼み事でもあるニャーか?」
「ええ、まあ。実は是非ともこのイベントに、ミーア先輩の協力をいただきたいんですよ」
言って、俺は「猫耳水着メイドカフェ」のビラをミーアに差し出す。するとミーアはチラリとそれを見ただけで、興味なさそうに爪をヤスリで擦り始めた。
「ふーん。確かに猫耳水着メイドカフェなら、ウチの協力があれば成功間違いなしニャーよ。でもこんな見世物みたいな催しに協力してやる義理はないニャー」
「でしょうね。なので当然、それなりのお礼は準備してあります。ただそのお礼はとても貴重かつ秘匿性の高いものなので、お互いのためにも人払いをお願いできれば……」
「ニャ!? お前いきなり何言い出すニャ!」
「そうだニャ! ミーア様と二人っきりなんて許すわけないニャ!」
俺の申し出に、ミーアの左右に立っていた女生徒が声をあげる。だがミーアはひらりと手を振り、それを制した。
「静かにするニャー。わかったニャ、二人共下がるニャー」
「ミーア様!? そんな、危険ですニャ!」
「そうですニャ! 若い男なんてちょっと油断したら、すぐ耳や尻尾を触ってくる変態ばっかりニャ!」
「ニャッハッハ、大丈夫だから下がるニャ。それとも二人共……ウチの言うことが聞けないニャ?」
「そんなことは!?」
「……わ、わかりましたニャ」
ミーアに言われ、猫獣人の女子二人がギロッと俺を睨みながら部屋を出て行く。そうして室内が俺達三人になると、ミーアが改めてその口を開いた。
「さ、これでいいニャ?」
「ええ、ありがとうございます」
「別にいいニャー。でもウチにここまでさせたんだから、つまらないお礼なら許さないニャー」
「勿論、期待してください。ロネット」
「はい!」
俺に言われ、ロネットが足下に置いていた銀色のアタッシュケースを目の前のテーブルの上に乗せる。するとミーアの目が鋭くなり、嘲るような視線を向けてくる。
「まさかこれの中身は、金貨の山なんてことはないニャー? そんなものを持ち出すくらいなら、今すぐ回れ右して帰るニャー」
「まさか! そんな無粋なことはしませんよ」
そう、これはあくまで子供のごっこ遊び。そんなところに大金を持ち出すような無粋な輩をミーアは決して認めないし、俺だってそんなことをするつもりはない。
だがだからこそ、この中身は最強の一手。俺はゆっくりとアタッシュケースを開き、その中身が見えるようにクルリと回転させた。
「なっ!? こ、これは!?」
「そう、アンタが大好きなW4の限定キーホルダーだ」
クロエがそうであったように、猫獣人と犬獣人は基本的に仲が悪い。なので決して公にはならないが、ミーアはW4……ワンダフル・フォーという犬獣人の男性アイドルグループの大ファンなのだ。
「ファンクラブ結成初期に五〇〇個限定で販売された幻の逸品。濃いファン層が多いから手放す奴もいなくて、今じゃオークションで大金を積もうと入手できない品だ。どうだ?」
「な、な、なんで!? 何でウチがW4が好きなのを知って……!?」
「ふふふ、商人にとって情報は命なので」
声を震わせるミーアに、ロネットがニッコリと笑顔で答える。なおネタ元は当然俺だ。来年以降に発生するミーアとのサブクエのなかでこれを手に入れるものがあったので、それを先取りした形である。
「おっと」
「ニャ!?」
それにミーアが手を伸ばした瞬間、俺はアタッシュケースを引っ込めて蓋を閉める。するとミーアがうっすらと涙すら浮かべ、俺の方を睨み付けてきた。
「何のつもりニャ? ハッ!? まさかそのネタで、ウチのことを脅すつもりニャーか!?」
「それこそまさか! アンタだって言ったろ、こんな立場や関係なんて、子供のごっこ遊びだってな。
でも遊びってのは本気だから楽しいんだ。アンタと交渉ごっこをするのも楽しそうなんだが……悪いが今回は時間がなくてな、初手で最強の札を切らせてもらった。
さあ、ミーア・キャトラリア。アンタはこれに幾らつける?」
事ここに至り、俺とミーアの立場は逆転した。俺が如何にミーアに売り込むかではなく、ミーアが俺にどれだけ払えるか……聡いミーアはそれを瞬時に理解し、ソファの背もたれにゆったりと体を預けた。
「フニャー、まさかこのウチが手玉に取られるとはニャー。でも……ふふ、こんなにドキドキして楽しいのも久しぶりニャ。
なかなか可愛い顔してるし、アンタ、ウチのものにならないかニャー?」
「いや、俺は――」
「申し訳ありません、ミーア先輩」
三〇代後半のマダムのような色気の籠もった流し目をするミーアに対し、俺の言葉を遮ってロネットが口を開く。
「シュヤクさんには価値がないので、お譲りすることはできません」
「えっ!? 何で俺いきなり罵倒されたの?」
「ニャッフーン? なるほど……それじゃ仕方ないニャ。ま、いいニャ。ウチに求めるのはこのメイドカフェとやらの人材派遣ってことで構わないニャ?」
「え、あ、うん。そうだ。あっと、一応言っておくけど、嫌がる子に無理矢理ってのはやめてくれ。せっかくの学園祭なんだし、やる方も楽しんでねーと駄目だからな」
「わかってるニャ。粋をわかってる男相手に、そんな無粋なことはしないニャ。希望する子に話を通しておくから……そうだニャ、三日後にまた来るニャ」
「そのくらいでいけんのか! 助かるぜ」
「わかりました。ではまた明日。さ、シュヤクさん。行きましょう?」
「おぅ? 何だよ、ロネットもせっかちだな……?」
スッと席を立ったロネットに釣られ、俺も席を立つ。そのまま部屋を出ようとしたのだが……
「おっと、シュヤクちゃん。ちょっと待つニャ」
「シュヤクちゃん!? 何だ……いや、何ですか先輩?」
交渉は終わったので、俺達の立ち位置は再び先輩と後輩になる。そういうのは大事なので俺が言い直すと、ミーアは意味深な流し目を俺……ではなくロネットの方に向けながら言う。
「商人ってのは、どんな物にでも……それこそ道に落ちてる石ころにすら価値を見いだし売り買いするものニャ。そんな商人が価値がないって言うのは、万が一にも値段をつけて買い取られたらたまらないもの……つまり『絶対売れない大事なもの』って意味ニャ」
「へ!?」
「ちょっ、ミーア先輩!?」
「ニャフフフフ、ちょっとした意趣返しニャ」
「……行きますよ、シュヤクさん!」
「おいおい、引っ張るなって! じゃあ先輩、また三日後……」
「三日後は私とモブリナさんで伺います! では失礼します!」
「痛い痛い! ロネットお前、こんな力強かったか!?」
そうして顔を赤くしたロネットに強引に腕を引っ張られた俺は、楽しげに笑うミーア先輩に見送られながら部室を後にするのだった。