その決断に、他人がどうして文句を言えるってんだ
「…………は? え、何?」
「だから、パーティを抜けるって言ってるのよ」
リナの言った言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。たっぷり数秒かけて自分の中で咀嚼し終えると、俺は驚きのままにリナに食ってかかる。
「何でだよ!? まさか俺が怪我したからか!? ふざけんな、あれは完全に俺のミスだろ!」
「そうね、あれはシュヤクの失敗だったと思う」
「だったら――」
「だからこそよ」
静かな、だが有無を言わせないリナの態度に、俺は思わず口籠もる。するとリナは空を見上げたまま、ポツポツと語り始めた。
「確かにあの時、アタシは失敗しなかった。魔法はちゃんと発動したし、ちゃんと敵に当たった。でもだから……だからこそ問題なの。
ねえシュヤク、何でアンタはあの時攻撃を食らったの?」
「へ? いやそれは、俺が油断したから……」
「なら何で油断したの? 不意打ちとかならともかく、バリバリに戦闘中よ? あんなタイミングで気なんか抜ける?」
「それは…………」
その答えは、俺のなかにある。だがそれを口にしたくはない。だというのにリナは、俺の気持ちなんてお構いなしにその口を開いてしまう。
「シュヤクは油断したんじゃない。アンタはあの時、デザートスコーピオンが死んだと確信してたから意識を反らしたのよ。
そしてそれは、アタシもそうだった。ほぼ間違いなく自分よりレベルが低い相手に、弱点属性の魔法を叩き込んだんだもの。一撃で倒せて当然だから、追撃をしなかった。
でも、魔物は死ななかった。その理由は……アタシが想定よりもずっと弱かったからよ」
ベンチに腰掛けたまま、リナが足をバタバタと遊ばせる。空を見上げる横顔はどこか寂しげで、まるで夕焼け空の下、まだ帰りたくないと公園で粘る子供のようだ。
「いつかはね、こんな日が来ると思ってたのよ。だってアタシはその他大勢だもの。アンタやヒロイン達とは、根本的な能力値が違う。成長を重ねていけば差はどんどん開いていって、いつかアタシは足手まといにしかならなくなる。
まあ流石にそれがこんなに早いとは思ってなかったけど……でも今潜ってるのって、本来なら三年生が潜るような場所だもんね。アンタ達みたいな特別な存在と一緒にいるから勘違いしちゃったけど、アタシの限界がこの辺なのは、むしろ当然よ」
「そんな……そんなことねーだろ。俺達と一緒に戦ってレベルをあげりゃ、リナだって強くなれるさ」
「でしょうね。でもアタシが一強くなる間に、アンタ達は五も一〇も強くなるじゃない? なのにアタシに合わせ続けるの? 申し訳なくってやってられないわよ」
「……………………」
それはずっと先のことだと、俺が目を反らし続けていた現実。それを他ならぬリナの口から告げられ、俺はただ黙ることしかできない。
「多分、モブローも同じよね。でもあっちは大量のアイテムがあるし、HPとかインベントリとかのゲームっぽい能力もあるから、幾らでも活躍できるけど……でもアタシにはそういうのないじゃない? ならやっぱり、この辺が潮時なのかなーって思うわけよ」
「……お前は、それでいいのかよ?」
「いいも悪いもないわよ、ただそうするしかないってだけ。それとも何? 今後どんどん相対的に弱くなっていくアタシを、アンタ達が守りながらダンジョン攻略していくの?
それこそ駄目でしょ。そんなことしたら、また今日みたいな事が起きる。そしたら……」
そこで一旦言葉を切ると、リナが俺の方を見る。透き通るような笑顔は、そのまま消えてしまいそうなくらいに儚い。
「アタシは嫌よ。自分が死ぬのも、自分が大好きなヒロイン達が死ぬのも嫌。それにほら、アタシ達って学生でしょ? 一緒にパーティでダンジョンに潜れなくなったとしても、別にそれで縁が切れるわけじゃないじゃない。
これからも一緒に授業を受けることだってあるだろうし、ご飯を食べたり放課後にお喋りしたりもするし、来月の学園祭とかだって皆でやるわよ! ただ……ただ、そう。ダンジョンに潜れなくなるだけ。たったそれだけのことよ」
「リナ…………」
もしこれが本当にゲームであったなら、「その程度のハンデなんて上等だぜ!」と笑い飛ばし、縛りプレイくらいの気持ちで楽しんだことだろう。だが死んだら終わりの現実で、死にたくない、死なせたくないと訴える友人に、そんなことを言えるはずがない。
夜の闇の中、苦り切った俺の表情は、果たしてリナに見えているんだろうか? わからないし、知りたくもない。ただリナは明るい声で、己の気持ちを言葉にしていく。
「はー、これから忙しくなるわよ! ダンジョンに潜れないなら、その分学園祭に力を入れないとだからね! まずは学生に配るビラを作らないと。あとは衣装を作れそうな人にも早めにオファーを出しておかなきゃ……あ、場所も抑えておくべきよね。
ふふ、やることがいっぱいだわ! シュヤク、アンタも手伝いなさいよ?」
「……ああ、俺にできることならな」
「言ったわね? なら執事カフェの方は任せるわよ?」
「それは『俺にできること』の範疇に入ってねーなぁ? 知ってるかリナ、何億人って死人を一気に復活させられるようなドラゴンでも、自分の力を超えることはできねーんだぜ?」
「あれ予想以上に融通効かないわよね。自分より強い相手には干渉できないなら主人公勢を生き返らせるなんてできないはずだし、対象が受け入れていればいいなら人造人間のなかの爆弾を取り除くくらいできるでしょ。
それとも現地の科学者が普通にやれることができないって、科学系が駄目なのかしら? ポイッと投げるカプセルが欲しいって言ったら断られるかもね。市販品なのに」
「だなぁ。まあ実際は話の都合だろうけど」
「うわ、これだから制作側は! そういう身も蓋もないことは言ったら駄目でしょ! だからアンタは残念イケメンなのよ」
「それも久しぶりに聞いたな……」
輝く星空の下、俺とリナは他愛のない会話を交わす。モブローの出現により互いが唯一無二ではなくなったが、それでも同じ時代同じ国に生まれ、同じように社会人をやっていた者同士の余人を交えぬ会話は盛り上がる。
そうして楽しい時間は瞬く間に過ぎていき……やがてふと、月が再び雲に隠れて辺りが暗闇に覆われた時、リナが小さく息を吐いてベンチから立ち上がった。
「ふぅ、大分話しちゃったけど、そろそろ戻って寝ないと。こっそり寮を抜け出してきたから、もしバレたら凄い怒られそうだし」
「ははは、そりゃ自業自得だな。でも確かに……ふぁぁ、そろそろ寝ないと明日が辛そうだ」
若いうえに討魔士となってレベルのあがった体は信じられないほどの体力に恵まれているが、だからこそ腹は減るし眠くもなる。体が健全な成長を求めているからだろう。
「アンタと話せてスッキリしたわ。ありがとね、シュヤク」
「気にすんな。お喋りくらいならいつでも付き合ってやるよ」
「そう……ねえ、シュヤク?」
「ん?」
「ちゃんと、この世界を救ってね」
「……ああ」
別にこれが、今生の別れというわけではない。リナとは普通に明日も会うだろうし、そうすれば普通に話して、普通に笑い合うことだろう。
だが、もうリナが俺の、俺達の隣に立つことはない。その事実が、折れた肋骨なんかよりも余程深く俺の胸に突き刺さる。
「じゃ、また明日」
「おう、また明日な」
月影の闇に、リナの姿が溶けていく。それを見送る俺のなかにあったのは、現実を割り切る大人としての無力感と、ただどうしようもない程の寂寥感であった。