4.君だけはとられたくなかったから
いつもより早く自然に目が覚めた。
まだカーテンの隙間から漏れ出る明かりは僅かで、早朝みたいであった。
「リア…」
アルベルト・ヒュンメルシュタインは小さく呟く。
ベッドから起き上がり昨日の事を思い出す。
リアーナに初めて会ったのは、初めて城を抜け出した日。
「優秀だけどそれだけの第一王子」
「圧倒的な天才である第二王子が長男であればこんなにも揉めなかったのに」
聞こえないように周りが配慮していたとしても、否応なしに入ってくる自分への城内での評価。
きっと第一王子のアルベルトが資質の劣っている王子であれば、すぐにでも第二王子のレオンハルトをみんなは推しただろう。
ただ実際は第二王子のレオンハルトが天才すぎるだけで、第一王子のアルベルト自身もまた非常に優秀な王子であった。
ただ残酷にも秀才は天才の足元にも及ばない。
いつからだろう。
レオから避けられるようになったのは。
いつからだろう。
レオに避けられる事で少しほっと感じるようになってしまったのは。
そんな器量な俺なんて…大嫌いだ。
勉学ではケアレスミス以外の差なんてなかった。俺もレオも優秀だと褒められていた。いつだってライバルであり、本当に俺の自慢の弟だった。
周りが変わり始めてきたのは、打ち合うようになってきた剣術から。
稽古でレオと対峙して剣をふるうと、大人と子供のチャンバラくらいの圧倒的な差。
それでも最初の頃は流石俺の自慢の弟だと誇らしくて仕方なかったのに。
勝てなくても一緒に打ち合えるのがただただ楽しかったのに。
どんどん周囲の声が大きくなっていく。
だんだんと無残に惨敗する自分が酷く惨めに思えてきた。
レオンハルトは大人相手でも負ける事なんてなかったが、それでも無表情で何でもそつなく完璧にこなすレオに劣等感を抱いていくのには十分だった。
才能があると言われた魔法は剣じゃ勝てないしせめてこれだけでもと励んだ。レオンハルトは苦手なのか、魔法を全く発動させる事ができなかったから。
1番小さいペンサイズの杖でやっと魔力コントロールができるようになって、周りも『最年少だ!』『流石だ!』と褒められ得意げになっている俺の横で、レオンハルトが初めて魔法を成功させた。
何も使わずに無詠唱で。
…俺がそんな事できたらきっとすごく誇らしげな気持ちになるだろうし、嬉しさを隠せないだろう。さっきまでの俺のように。
でもレオはいつも通りの無表情で、まるでできるのが当たり前だと言わんばかりの態度で淡々と発動させていた。
もう何もかもが限界だった。
どんなに頑張っても、レオはあっさりと圧倒的な力の差で俺を越えていく。
同い年で、同じ誕生日で、でも双子ではない俺の弟。
ただ俺を産んだのが正妃だったからという理由だけで第一王子になった俺を、第二王子であるレオはどう思っているのだろう?
…そもそも相手にすらされていないんだろうな。
俺はお前にとっても自慢の兄でありたかったのに。
「ねぇ、天子様?」
可愛らしい女の子の声に顔を上げた。
風にそよそよと靡く柔らかそうな緩やかなウェーブのかかった水色の長い髪、俺を心配そうに見つめる大きな青い瞳に見つめられて、一瞬時が止まった。
間違いなく天使は君だ。
喉から出かかった言葉は出る事なく思わず飲み込んだ。
馬車から出てきた宰相でありグラン公爵家の当主、オースティン・グランが俺を見て驚いたように目を見開き、ぎょっとしていている。
無我夢中で護衛を巻いて逃げ出した俺は、気づけば王城すぐ傍のグラン公爵家の屋敷前まで来ていたみたいだ。
きっとグラン公爵は所用でもあって帰ってきたばかりなのだろう。それを出迎えている可愛らしい少女が噂の溺愛されているグラン公爵の娘であり、ロバートの妹である令嬢、リアーナ嬢だろう。
「泣いているの?大丈夫?こっち来て」
知らないうちに泣いていたらしい。本当に情けなくて、意識すると更に涙が出てきそうで慌ててうつむいた。
そんな俺の姿なんて彼女は気に止める様子もなく、ニコニコと俺の手を引いて少し駆け足で屋敷の中に入って行った。振り払う事もなく、そのまま導かれるままに俺も駆け出した。
慌てて後ろを振り返って、突っ立って何やら思案しているグラン公爵に向かって、空いている左手の人差し指を口元に当てた。
俺の今にでも泣きそうな顔があまりにも情けなく、必死だったからかグラン公爵は少し困ったように眉を下げながらも軽く頷いてくれた。
「ねぇ、アナ!早く天子様に私のとっておきを出して!」
そのまま彼女と共に屋敷の奥にある庭に入っていた。薔薇の花が見事に咲き誇り、その美しいアーチを越えるとテラス席が見えた。
「承知いたしました。少々お待ちを」
恐らくグラン公爵家の使用人だと思われる女性が、てきぱきとテラス席にティーセットを用意していく。
俺は促されるままに席に着いた。
彼女は目の前に座り、俺を見てニコニコとテーブルに置かれたお菓子を指さす。
「これね、我が家の自慢のシェフのとっておきのマカロンなの。うちでしか食べられないのよ。食べたら絶対元気になるから」
少し誇らしげな彼女はよく会う他の令嬢たちよりもずっと純粋で心が清らかで、性格までもが天使みたいであった。
手を伸ばして一口齧る。
甘くほろりと口の中で消えていき、とても優しい味だった。思わず笑顔が零れた。
「私ね、リアーナよ。天子様は人間ともお友達になってくれる?」
「あはは、俺は天使じゃないよ。俺は…」
一瞬言い淀む。
俺を第一王子アルベルト・ヒュンメルシュタインだと彼女は本当に知らないんだ。
その心地よさに、安心感に、久々にやっと呼吸ができたような気がした。
「俺は、シェロ。よろしくね」
グラン公爵の温情に甘え、その後も少しでも時間ができればこっそりとお忍びでグラン公爵家を訪れた。
第一王子アルベルト・ヒュンメルシュタインでない、ただのシェロとしての優しい穏やかな時間。裏読みの必要のない楽しいお茶会、普通の子供みたいに走り回って遊んで、それだけで折れかけた心は生き返っていった。
この穏やかな優しい時間だけが俺の支えだった。
あの日以降、更に顔を合わすことが減ったレオは授業をサボってどうやら街に繰り出しているらしい。
前よりも何をしているかが分からなくなった。街でのレオンハルトの噂は暴力事件など色々流れてくるようになり、ますますレオへの接し方が分からなくなっていった。
不真面目だと嘆く城内で、それでもレオンハルトの行動を表立って咎め、後継者として相応しくないと言う者たちはいなかった。
レオンハルトは天才で、その圧倒的な力はどうしても心を惹きつけて止まないから。
父上からリアーナがグラン公爵家として挨拶に登城すると聞かされた時は、息が止まるかと思うくらい驚いた。当日お祝いができるという嬉しい気持ちと同時に怖くなった。
俺の正体を知って、リアはどう変わるのだろう?
実際リアに初めて自分の正体をバラすのは本当にとても緊張した。
いつか第一王子として挨拶する事はあると思っていたが、まさか一年経もたないうちに、思っていたよりもずっと早くに訪れたから。
緊張のせいなのかいつもと少し違うリアには気づいていたのに。
本当はレオと会わせたくなかった。
レオを知らなければ比較されることだってない。
こんな情けない俺を知られなくて済む。
ただの友達のシェロでいられるから。
そんな俺の浅ましさの罰が当たったからかもしれない。
倒れていくリアーナを目の前に俺は動く事もできず、二人の姿をただ茫然と眺める事しかできなかったのだから。
呪術好きです。二次創作書くくらいまでは。