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第四章

 ワンボックスに乗り込むと、モニタ画面やさまざまな機材に取り囲まれた大原がいた。

「遅刻せんとちゃんと来たな。取り引き開始まであと二〇分ほどや。こっちは準備万端やで。それより台詞は大丈夫か?」

「ちゃんと覚えたよ」

「昨日はちゃんと寝れたんか? 顔色がえらい悪いぞ」

「ほっといてくれ」

 昨夜は寝不足だったためドラッグストアでカフェイン錠を飲んだばかりだった。

「おまえ、昨日から口のきき方が変わったな。まぁ、美人さんの村田は残念やったけど、あいつが大芝側に付いたのが運の尽きや。そうやろ。責めるような目で見るな」

 大原警部はいらいらと落ち着きがなかった。

「だからなんなんだ。とっとと仕事を進めろよ」

「わかった。わかった。昨日も話したけどこっちで用意した捜査員は五人や。取り引き相手の女はまだ来てないな」

 大原警部は大きなモニタ画面を指さして言った。画面にはJR神戸線の元町駅からほど近くにある花隈公園が映し出され、各所に配置された捜査員が青い点で表示されていた。

 昨日の話では取り引き相手の女の名前は劉子涵(りゆーずーはん)。年齢は二五歳で、中国軍に入隊してまだ五年と日は浅いが、総参謀部直属のサイバー空間を専門とする第六一七部隊というエリート部隊に所属する人物だった。

「これはドローンからの映像か」

「そうやな。今回は正式な捜査活動やないから、大掛かりにはでけへんのや。それもあって捜査員も気心の知れた五人とドローンが一台、それからこのワンボックスが一台という陣容になったんや。あと、これはいつものことやけど地元警察はなにも知らん」

「捜査員たちはメモリスターのことは知ってるのか?」

「知るわけないやろ。メモリスターはこの世から消えたことになってるんや。今日の任務はタイレルテクノロジーの技術者が金に目がくらんで中国に技術情報を売ろうとしているという設定やで」

「その作り話を捜査員たちは信じているのか?」

「あたりまえや。俺の言うことやったらなんでも信じる奴らやからな。正式な捜査活動やと思っとる。とにかく取り引きが終わってダイヤモンドを山分けしたら、おまえと俺の関係も終わりや」

「おまえは金が入ったらなにに使うつもりなんだ?」

「今の世の中なんでも金やろ。金さえあればなんでもありやで。逆にお金が無かったら死んでいるのと同じや。世の中には自由と平等と博愛なんて寝言を言う奴らがおるけど、しょせん金があってのなんぼの話や。それに俺には子供もおるからしっかり教育を受けさせて日本を脱出させたいんや」

「日本を見捨てさせるのか?」

「アホ言え。逆やろ。日本が国民を見捨てたんやろ。とにかく子供にはなんのために生きているのかわからん人生にはして欲しくないんや。それはそうとおまえのほうこそ金が入ったらなにに使うんや」

「さあな」

「なにも考えてないんか? 大金が転がり込んでくるんやぞ。まぁ、おまえはこの数日、忙しかったからな。大金が入ったらどうするかはお母さんとよう相談して決めたらええ」

 大原警部は笑った。

「最後にひとつ聞いてもいいか?」

「なにが聞きたいんや。あんまり時間ないで」

「おまえが言ってたAIの飼い猫ってなんのことなんだよ」

「あの時の話か。テレビで見たんやけどな。インドのある大富豪が自宅で使ってたAIがある日、猫を飼ってみたいって言い出したらしいねん。ところがその家ではペットは禁止になってるんや。そのAIはどうしたと思う?」

「ペットは禁止なんだから諦めるしかないだろう」

「そう思うやろ。ところが、そのAIはどうしても猫を飼いたかったんや。それでどうしたかというと執事用アンドロイドを使って保健所から保護猫を一〇匹ほど引き取って玄関まで持ってこさせたんや。ただ、そのままやと家には持ち込むことはでけへんから、そのAIは玄関でアンドロイドに対して猫の首を捻って殺すように指示したんや」

「え?」

「AIが言うには殺してしまえば、ただの肉やから自宅に持ち込んでも問題ないということやったらしい。そのAIにしてみたら猫の死体でもよかったんやろうな。命の意味が理解でけへんのや」

 大原警部にも命の意味がわかっているとも思えなかった。もっと言えば命の本当の意味を知っている人間が今の世の中にどれだけいるのだろうか。

「聞かないほうが良かったな」

「そうやな。あんまり楽しい話やないな」

 するとモニタ画面上に赤い点が現れ、各捜査員のモニタ画面から声が聞こえてきた。

「女が現れました。事前の情報どおりの年格好で、鞄も情報どおりです」

 大原警部は画面を食い入るように見ながらマイクに向かって言った。

「了解。こちらでも確認した。今のところ他に怪しい動きはないな。他はどうや?」

 他の捜査員達からも問題ないことが報告された。

「あの女、ほんまに一人で来たみたいやな。よっぽど自信があるのか、よっぽどのアホかどっちかやで」

「自信があるのかもな。もしここであの女の身になにかあれば中国は黙ってないだろう」

「そうやな。打ち合わせのとおりに公園のベンチに向かってるな。あの女がベンチに座ったら、行ってこい。あんまり緊張するなよ」

「グロックを貸せよ」

「そんなもん、いらんやろ。今日の取り引きは静かにあっという間に終わるはずや。なにかあってもみんなで助けたるから大丈夫や」

 大原警部の表情が険しくなった。

「お守りだよ。だれも信用できないからな」

「おまえ、ひつこいぞ。とっとと行かんかい!」

 モニタ画面を見ると女はすでにベンチに座り、鞄を足元に置いていた。

「もう待ち合わせの時間や。早よ行け!」

 鞄を持って追い出されるようにしてワンボックスから降りた。そして花隈公園を迂回して城壁に沿って設置されている階段を上がった。するとこの数日の疲れといつも飲んでいる薬の効果が切れてしまったところにカフェインだけが効いてきてしまい、頭がクラクラして動悸が激しくなり汗が噴き出してきた。

「くそっ。こんな時に」

 そう独り言を言うと悲鳴を上げて動くことを拒絶する体にムチ打って階段を上がりきりなんとか公園までたどり着いた。そこにはモニタ画面で見たとおりに劉がベンチに座っていた。彼女は背筋をまっすぐに伸ばし鋭い目つきでこちらを一瞥しただけであとはまっすぐ前を見ていた。

 息を切らしながらようやくベンチにたどり着くと、鞄を足元に置き腰を下ろした。そして深呼吸を繰り返しながら打ち合わせどおりにスマホを弄っているふりをした。

 しばらくすると女が話しかけてきた。

「こんにちは。少し聞いてもいいですか?」

 その言葉には少し訛りが感じられた。

 ここからは事前に決められたとおりの言葉で会話しなければならない。

「はい。なんでしょう」

 眠気と疲労とカフェインが頭の中で掻き回されているような気分になり意識が朦朧としてきた。

「友人からこの近くに大きな焙煎機を備えたカフェがあると聞いたのですが、ご存じないですか?」

 台詞を必死に思い出しながら答えた。

「あの店はね、残念ながら五年ほどまえに閉店してしまったんですよ」

「それは残念。どこかこの近くでお勧めのカフェはないですか? 神戸はカフェがたくさんあると聞いていたので、できるだけたくさん行ってみたいんです」

 劉はそう言いながら俺の足元にある鞄を足で引き寄せて、ファスナーを開けた。なぜか急いでいるように見えた。

「それでしたら北野坂を異人館のある山のほうに登ると神戸元町珈琲というお店あるので、そこがお勧めですよ」

 劉は話を聞いている様子が無かった。そして鞄から取り出したメモリスターとスマホをベンチに置くと双方に付いている光通信端子を向かい合わせにした。

 メモリスターとスマホの光通信端子が光り始めた。

 スマホの画面にはデータの確認完了まで三分と表示されているのが見えた。予定よりも早く会話が終わってしまったようだった。劉がスマホに夢中になっているのを横目にして劉が持ってきた鞄をたぐり寄せるとファスナーを開けた。そこには小さな紙袋があり、その中には大豆粒ほどのダイヤモンドが数十個あった。全部あわせれば一億国連ドル相当の価値があるはずだった。

「確かに受け取ったよ」

 それだけ言って鞄のファスナーをゆっくりと閉じて足元に置いた。

 周囲はときおりJR神戸線を走る電車のきしむような音が聞こえてくるだけで静かだった。権常の特殊対応を行ってからこれまでのことが頭の中を駆け巡った。そして沈黙に耐えきれなくなると、ルール違反なのはわかっていたが声を掛けてみることにした。

「中国軍では普段、どんなことをしているの?」

 劉は目を見開いて驚いた顔をして、無言のままゆっくりと首を振った。

「そうだよな。話をしたら駄目なんだよな」

 大きくため息をついて空を見上げた。

 しばらくしてスマホの画面を見るとメモリスターの中に保存されているファイルが本物であることが表示された。

「確認は終わったんだよね?」

 これもルール違反の台詞だったが、どうしても会話してみたかった。

「終わりましたよ」

 そっけなくそう答えると鞄に荷物をまとめて入れ始めた。ルール違反だということがわかっていながら答えてくれたことが少し嬉しかった。

 すると劉は素早い動作で拳銃を取り出すと銃口を俺の目の前に突きつけた。そして次の瞬間、風を切る鋭い音が聞こえたかと思うと、女の胸のあたりが真っ赤に染まりやがて血が噴き出した。そして全身の力が一気に抜けたように脱力するとその場に倒れた。

「ごめんね」

 俺は思わず女に向かってつぶやいた。

 もう人が死ぬのを見るのはうんざりだった。でも、この取り引きは絶対にやり遂げなければならないのだ。俺は重い体を引きずるようにして立ち上がるとメモリスターとダイヤモンドを俺の鞄に入れなおして階段に向かった。すると公園にある大きな木から覆面をしてライフルを持った男が降りてきた。

「危なかったぞ! 大丈夫か?」

 阿倍野はそう言いながら駆け寄ってきた。

「あぁ、大丈夫だ」

 阿倍野は劉の死体を見下ろした。

「アンドロイドかもしれないと思って電磁パルス弾を使ったんだが、生身の人間だったな」

「そうだな。しかも本気でたったのひとりで来てたみたいだな」

「それはともかく鞄は持ってるな。じゃ、行こう」

 俺と阿倍野は階段を駆け下りて国道を横切りJR神戸線の高架下をくぐり商店街に向かった。うしろの方では月読命のメンバーと国家警察が銃撃戦を繰り広げていた。

「おまえの部隊は大丈夫か?」

「国家警察のほうは大原を入れてもたったの六人だぞ。こっちは自動小銃を持った人間が二八人もいるんだ。それに地元警察は一般市民が巻き込まれないように規制するだけでまったく関与するつもりもない。つまり一般市民に被害が出ないかぎり動かないのは俺たちも知っているから気配りしながら戦ってるんだ。だからもう勝ったも同然だ」

「じゃ、大丈夫だな」

 すると花隈公園の方から大きな爆発音が聞こえてきた。振り返ると煙が大きく立ち上っていた。阿倍野はその立ち上る煙を見上げながらどこかに電話を掛けた。

「そうか。わかった」

 阿倍野はそれだけ言うと電話を切り俺に向かって小さく頷いた。そして大原からはけっしてかかってくることのなくなったスマホをポケットから取り出すと、地面に投げつけて思いっきり力を込めて踏み潰した。心の中に安堵が広がった。

「これでおまえは大金を手に入れた上に、望みどおりに復讐も遂げたことになるな」

 阿倍野はその煙を見上げながら言った。

「そうだな」

「あとは約束どおり、こちらの望みを叶えてくれよな」

「大丈夫だ。約束は守るよ。そのかわり母さんを頼む」

「このあとすぐにおまえの母親の病室の契約を切り替える手続きをするから安心してくれ。大原が死んだとなったら国家警察はなにも言わないはずだ。だからといって安心して死ぬんじゃないぞ」

 阿倍野は俺の真意を探るような目をしていた。

「ちゃんと生きて帰ってくる」

 阿倍野を安心させるために無理矢理に笑顔をつくって言った。

「急ごう。この先を海に向かって真っ直ぐ行ったところに神戸オリエンタルホテルがある。そのホテルの駐機場にドローンを用意した」

「芦谷は行かないのか?」

「ここの後始末があるからな。それに今回、命がけで協力してくれた仲間の面倒もみなくちゃいけない」

 阿倍野と一緒にオレンジ色をした和楽器の鼓を長くしたような外観の神戸ポートタワーをすぎると、さらにその先にある三方を海に囲まれたオリエンタルホテルのドローン駐機場を目指して走り続けた。体はまるで地球の重力が増えたかのように重たく、心臓の音が激しいドラムのように体中に響きわたっていた。

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