祈り
いわゆる怒り顔や笑い顔など、人の顔には何種類かある。普通の顔をしているのに初対面の人に怖がられたり、真面目にしているのにふざけているのかと叱られたりと。
俺は内村光良、いわゆる笑い顔タイプである。いつもニコニコ笑っていると思われているので、客商売には向いている方である。
この総合病院の中にある喫茶店「オアシス」では店長をまかされている。
ここには様々な客が来る。通院患者やお見舞いに来る人。食事制限のないパジャマ姿の入院患者も来ることもある。医師や看護師も常連だ。あとは製薬会社の営業マンとか、ほとんどが病院関係だ。俺は10年以上ここで働いているので、なんとなくどんな客かを判別できるようになった。
中には末期的な病人のお見舞いにきた家族もいて、正直言って見ていられなくなる日もある。だが、我々は医師でもないし、心理カウンセラーでもない。我々が何もしてあげることはない。ただ、ひと時の憩いの場を提供するだけ。俺は美味しいコーヒーを淹れるだけ。一瞬だけでも心の拠り所になってくれたら。
基本的に我々から客に話しかけることはない。プライベートには立ち入らない方が無難だ。ただ、嬉しそうな客や話したそうな相手の話を聞くことはある。ケガが完治して退院するとか、赤ちゃんが生まれた家族なんかは実に微笑ましい。こちらも幸せのお裾分けをもらえるようで心が癒される。お産待ちの父親とかは特に何も出来る事がないのでここで時間を潰している。落ち着かないながらも、幸せを心待ちにしている。
今回もひとりの30代の男性が入ってきた。落ち着かない表情をしている。うちの店は喫茶店だが、多少の軽食も扱っている。その客はカレーライスとサンドイッチを注文した。コーヒーを飲み干した後、両手を握りながら祈るように目を閉じていた。まるで滝行のようだ。
「あのお客さん、どうしたんですかね」
「さあ、少し変わったお客さんだね」とアルバイトの茜ちゃんが、もう一人のバイトのタカシに話しかけていた。
タカシは20代後半のフリーターだ。特に夢もなく、ルックスも地味だ。ただ、人当たりは良くてお客さん受けも良い。俺もたまに飲みに連れていっている。
そして、茜は半年前に入ったきたお茶の水女子大の学生だ。頭がいいだけでなく、器量もなかなかのものだ。恥ずかしながら、妻子持ちの俺とは深い中になりそうな雰囲気だ。
「うん、うん。あれは典型的だね、もうすぐ子どもが産まれるお父さんだよ」と俺は二人に洞察力の違いを見せつけた。
「すごーい、店長。なんでわかるんですか?」茜が尊敬の眼差しをしている。
「あの客、カレーとサンドイッチを秒速で平らげたじゃん。健康そのもので病人じゃないよね。表情も暗くないし、病人のお見舞いにはみえない」
「さすが店長!キャリアが違いますね」とタカシが持ち上げてくれて、気分は悪くない。 「まあ、さしずめ男の子が欲しくて、神に祈ってる感じかな。クリスチャンでもないのに」
「なるほど、そんなことまで、わかるんですね」
「ちょっと声かけて来るよ」と言って俺はいつもの内村スマイルでその男性客に話しかけた。
「コーヒーのお代わりどうですか?店のおごりです」
「え、いいんですか?」
「お祝いですよ。おめでとうございます」
「え?」男性客は俺の分析力に驚いた表情だ。図星みたいだ。
「どちらでも、幸せじゃないですか。男でも女でも」
「え、なんのことですか」男性は怪訝な顔をした。
ん?おかしいな。外したのか。俺は内村スマイルを続けて
「いや、だからお子さんが生まれるんですよね。それで、男の子が欲しいと、、、」
「待ってくださいよ。私は独身ですよ」
「え?」俺は即座にバイトの二人の方をみた。うわぁ、二人ともやっちゃったて言う顔をしてるよ。こう言う時は変に狼狽はダメだ。間違えたら素直に認められるのが大人の男だ。茜も俺に惚れ直して、今夜も燃えるだろう。
「大変失礼しました。なんか祈っているように見えたもので」
俺は素直に謝った。もちろん内村スマイルは忘れていない。
「あー、これ?テレポーテーションをしようとしてたんですよ。店の外に瞬間移動しようとして」
「はい?」今度は俺が内村スマイルのままで首を傾げる番だ。
「僕、無銭飲食の常連なんですよ。この喫茶店、客もいなくて暇そうな店員がドアの近くで陣取ってて、困るんですよね。だから、超能力で店の外に瞬間移動しようとしてたんです」
俺はいつもの笑い顔で叫んだ。
「おーい。誰か警察呼べ〜」