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リモートお見合い ―オシドリ結婚相談所物語―

作者: 青井青

「すいません、西野さん。ネクタイ曲がってませんか?」


 ホテルのロビーの片隅、スツールソファに座ったスーツ姿の小太りの男が心配そうに訊ねてきた。


「ちょっと待ってください――」


 梓が男の首元に手を伸ばし、ネクタイのズレを直してやると、優太が疲れたように息をついた。


「なんか緊張します。昨日はあまり寝れなくて……」


「田中さん、リラックスリラックス。自然体でいきましょう」


 梓は胸の前で両手の拳を握って励ました。


 田中優太は36歳。職業は女子校の数学教師。これまで一度も女性と付き合った経験がなく、同居する親の強いすすめでオシドリ結婚相談所に入会した。


 今から30分後、このホテルのカフェラウンジで彼のお見合いが行なわれ、梓は付き添いで同行していた。


「僕、店に入っていた方がいいですか?」


「まだ30分あります。もう少しここで待ちましょう」


 昔のお見合いのイメージは、ホテルの和室のような場所で男女が対面し、仲人が「あとは若いふたりに任せて」などと退室するのだろうが、結婚相談所を介したお見合いは、会員同士が一対一で顔を合わせる。


 場所はたいていホテルのラウンジ。店は〝申し込まれた側〟に選択権があり、今回は、相手の女性がこのホテルを指定してきた。


 本来、結婚相談所の社員がお見合いの場に同行することはない。行ってもやることがないからだ。今回は会員の田中優太たっての希望で梓が付き添っていた。理由は――


「マイクとイヤホンのチェックをしておきましょうか」


 梓が自身の服の襟に仕込んだマイクに口を向ける。


「田中さん、聞こえますか?」


 隣にいる優太が「聞こえます」と手を上げる。二人の耳にはイヤホンが差し込まれ、優太の胸には小型のピンマイクが貼り付けられていた。


 数日前、会社の面談室で交わした会話が梓の頭によみがえる――


「お見合いに同行ですか?……でも私が行っても何もできないですよ」


 せいぜい受験生を校門の前で見送る塾の先生のように「がんばって」と励ましの言葉を掛けるぐらいだろう。


「女性と一対一になったら何をしゃべったらいいかわからないんです」


「でも田中さん、女子校の先生なんですよね?」


「生徒は平気なんです。教師と教え子ですから。女としてなんて見てません」


 本当だろうかと梓は眉根を寄せた。


 優太の趣味はアニメ、ゲーム、声優だ。36歳で実家住まい(今も子供部屋をそのまま使っているという)。好みのタイプは小柄で童顔な〝妹〟っぽい女性。


(こう言っちゃ悪いけど、状況証拠だけで言えばロリ×ン疑惑が……)


 とはいえ、会費を払ってくれている大事な会員様だ。お見合いに付き添ってくれと言われ、むげに断るわけにもいかない。


「マニュアルはお読みになられましたよね?」


 オシドリ結婚相談所では、優太のような男性会員向けに『会話NG集』の小冊子を配布していた。


「読みました」


「あそこに書かれているように、付き合ってもいないのに子供は何人ほしいとか、一方的に趣味の話をまくしたてるとか……そういうのは良くないと思いますけど、あとは普通にしゃべればいいんですよ」


「その〝普通〟がわからないんです」

 

「田中さんの誠実な人柄をそのまま見せるんです。多少、話がぎごちなくても、逆に好感を抱かれると思いますよ。今だって私と普通に会話できてるじゃないですか」


「西野さんはお見合いの相手じゃないからですよ」


 そう言った後、唇を尖らせてつぶやいた。


「しゃべっちゃいけないことはわかるんですけど、しゃべることがわからなくて……言葉が何も出ないんです。だからお願いがあるんです。西野さん、僕に話す内容を指示してくれませんか?」


「指示……ですか?」


 優太が鞄からマイクとイヤホンを出し、面談室のテーブルに置いた。無線通信ができるインカム、Amazonのセールで買ったという。これでしゃべることを伝えろというのだ。


 梓はあきれたが、優太は大真面目だった。


「お願いです。もう僕、お見合いに35回も失敗してるんですよ……次、失敗したら年齢イコールお見合いに失敗した回数です。このチャンスを逃したくないんです……」


 梓は悩んだ。無線でしゃべる内容を指示するなど聞いたことがない。だいたいその場を乗り切っても次はどうするのだ? 毎回デートに同行するのか?


「西野さん、言いましたよね? オシドリ結婚相談所は何があっても会員をサポートするって――」


「それはまあ……」


 グイグイとくる〝圧〟がすごい。この押しの強さを女性にも発揮すればいいのに、この男、相手が恋愛の対象だと、とたんに弱気になってしまう。


 結局、押し切られる形で引き受けることにした。なんで〝二人羽織〟みたいなことをしなくちゃならんのかと忸怩たるものはあったけれど、会員が求めている以上、いたしかたない。


 梓は手首の時計を見た。約束の15時が迫っていた。


「そろそろ行きましょうか」


 ロビーの隅から移動し、カフェラウンジに入った。予約していた窓際のテーブルに優太を向かわせ、梓自身は二人が見える離れたテーブルに座り、そのときを待った。


(来た!……)


 薄いピンクのワンピースを着た、小柄で童顔の女性がやって来た。


 梓は手元のスマホでプロフィールを確認する。


 神尾明日菜――32歳。事務職。趣味は読書、ドラマ鑑賞、散歩。


 彼女は別の結婚相談所の会員だったが、〝縁結びネットワーク〟と呼ばれるシステムに会員情報が登録されていたため、優太の目にとまった。


(明日菜さん、かわいらしい人だよね。田中さんに力が入るのも無理ないか……)


 梓は耳に手をあて、イヤホンをしっかり押し込んだ。


『田中さんですか?』


 イヤホン越しに女性の声が聞こえてきた。


『あ、はい――』


 優太はあわてて立ち上がり、テーブルの天板に膝でもぶつけた。ガンという音の後に「痛っ!」という短い声が洩れる。


 梓が疲れたように首を振った。最初からこれでは先が思いやられる。服の襟のマイクに小声でささやいた。


「メニューを彼女に渡してください」


『あ、メニューです。どうぞ』


 離れたテーブルで優太が女性にメニューを差し出すのが見えた。なんだかドッキリ番組の仕掛け人になった気分だ。


 何を注文するかは事前に話し合っていた。迷ったら優柔不断な男に思われるし、メロンソーダとかだと子供っぽい。ここは無難にコーヒー一択だと。


『僕はコーヒーにします』


『私は紅茶でいいですか?』


 優太が店員を呼び、二人の注文を告げた。いよいよここからだ。梓は気合いを入れた。指示役を務めると決めた以上、このお見合いを成功に導かなくては。


 梓がテーブルの上のスマホに目を落とす。明日菜のプロフィールには趣味の欄に「ドラマ鑑賞」と書かれていた。


「最初はドラマの話でも振ってみましょうか。昨日始まった病院モノの『ベストドクター』。人気漫画が原作で、ネットでもかなり話題になってましたから、ドラマ好きの明日菜さんもきっと見てると思います」


 咳払いをした後、優太が言った。


『最初はドラマの話でも振ってみましょうか。昨日始まった病院モノの『ベストドクター』。人気漫画が原作で、ネットでもかなり話題になってましたから――』


「ストップ! ストップストップ」


 即座に梓は会話を止めた。


「私が言ったことをそのまま繰り返してどうすんですか!」


 声量が大きくなり、隣のテーブルにいたカップルがチラチラこちらを見てくる。梓は潜めた声で胸元にマイクに伝えた。


「オウム返しでなく、自分の言葉で――」

 

 優太が改めて言った。


『……えっと、昨日から始まったドラマの『ベストドクター』はご覧になりましたか?』


『見ました。おもしろかったです。ただ、主演のお医者さんのイメージが原作とちょっと違うかなって……』


 梓はすかさず「僕もそれは思いました」とマイクに囁く。またオウム返しされることに備え、そのまま発してもいい形で伝える。


『僕もそれは思いました』


 相手の言葉に共感することで、自分たちは〝似た者同士〟だというメッセージを伝える。これを社会心理学では「類似性の確認」と呼び、男女が恋愛関係になる最初の一歩と言われる。


 その後、二人はドラマの話でひとしきり盛り上がった。しゃべる内容は梓が伝えたが、たまに優太がアドリブを挟むこともあり、梓は安堵した。


(田中さん、ちゃんとしゃべれてるじゃない。この調子ならうまくいくかも……)


 だが、雲行きが怪しくなったのはここからだった。会話が切れたタイミングで、明日菜がためらいがちに訊ねてきた。


『あの……田中さんの年収なんですけど、プロフィールには620万と書かれていますが、これは結婚相談所に源泉徴収票を提出された上での数字ですか?』


『え?……』


 優太の戸惑った声が聞こえる。梓もとっさに言葉が出なかった。


『いえ……自己申告です』


 指示を受けずに優太が自力で答えた。


『教師という職業は安定していると聞きましたが、離職率はどのくらいなんでしょう?』


『……20代で40・2%です。30代になると8・1%に下がります。若いときの離職率はけっこう高いですけど、年齢が上がると下がっていきます』


『お詳しいんですね』


『数学教師なので。数字を覚えるのは好きなんです』


 優太がはにかむように答える。自分から話題を出すのは苦手だが、相手に訊ねられればちゃんと答えられるようだ。


(でも明日菜さん、なんで急に年収とか離職率の話題を……)


 ドラマの話でいい感じに盛り上がっていたのに、急に現実的なというか、生々しいテーマになった。見た目はおとなしそうな感じだが、中身はけっこう現実的なタイプなのかもしれない。


(まあ、女性ってみんなそうか……)


 出産と子育ての間、自力で収入を得るのは難しい。未来の夫の年収や退職の可能性を知りたいと思うのは当然だろう。


 だが、次に明日菜から発せられた質問にはさすがに梓も戸惑った。


『あの……田中さんは……風俗に行ったりしますか?』


 訊いた方も恥ずかしかったのか、明日菜の声が上ずっている。


(恥ずかしがるなら訊かなきゃいいのに……でもまあ、性病とかの危険もあるし、結婚する相手がそういうところに通ってるかは気になるよね……)


『風俗は……行きません』


 行きません、の前に微妙な「間」があったが優太は否定した。


『田中さんは女子校で教師をされているんですよね?』


『はい、数学の教師をしています』


『女子高生に興味を持ったことはありますか?』


『あの……それはどういう?……』


 さすの優太も戸惑っている。


『教え子との不祥事で辞める教員も多いと聞いたので……』


 沈黙があった。梓も指示を出すことを忘れ、息を呑んで優太の返事を待った。やがて優太が苦しげに声を絞り出す。


『……友達にも飲み会なんかでよく冗談半分で言われるんです……女子校で働いているから変な気持ちになったりしないのかとか……でも僕は生徒をそんな目で見たことは一度もありません。みな、かわいい教え子です』


 つたない口調であったが、言葉で気持ちを必死に伝えようとしていた。


『……もちろん、一部にそういう教員がいることはニュースなんかで知っています。でも、僕の同僚にそんな人は一人もいません。みな残業もいとわず、生徒のためを思って毎日、必死に働いています。だからそういうことを言われるのとても心外で……正直に言うとつらいです……』


 テーブルに沈黙が落ちた。


 ぎこちないながらも、自分の言葉でしゃべっていた。発せられたのはすべて優太の言葉だ。梓は何も指示を出していない。


 だが当然というか、その後お見合いは今ひとつ話が弾まず、気まずい雰囲気で二人は別れた。


 ◇


 週末の快晴の土曜日、梓は美術館の前にいた。建物の外にある緑道のベンチに会員の田中優太と座っていた。


 今日は会員の田中優太と神尾明日菜の初デートの日だった。前回のお見合いの後、明日菜の所属する結婚相談所を通して交際に進みたいと連絡があった。


「ううっ、ありがとうございます。西野さんのおかげです。お見合いからデートに進めたのは僕、初めてで……」


 隣には紺のジャケットのチノパン姿の優太がいた(迷ったらとりあえず紺ジャケットを着ろ、とファッション指導しておいた)。


「いえいえ、田中さんの素の魅力が伝わったんですよ」


 口ではそう言いながらも、梓も内心は意外だった。


(よくあのお見合いで先に進めたなぁ……)


 年収や風俗通いを質問され、変な空気になったので絶対にNGだと思っていたが、先方から交際に承諾が出た。


(何がよかったんだろう? 教師の仕事の安定性?)


 人づてに聞いた話では、田中は教師としては優秀で、生徒からも慕われているらしい。まあ、丸い体型は〝癒やし系〟と言えなくもなく、威圧感もないので生徒も話しかけやすいのかもしれない。


「じゃあ、マイクのテストをしますね」


 梓が襟のピンマイクに「聞こえますか?」と訊ねると、隣にいる優太が「大丈夫です」と手を上げた。


 結局、インカムでの指示は今回も継続することにした。梓が躊躇したところ、優太がこう力説したのだ。


「この前のお見合いを西野さんにやってもらったんですから、またやってもらわないと、キャラに一貫性がないじゃないですか」 


「キャラって……私、VTuberの中の人じゃないんですけど……」


 とはいえ梓としても心配だった。優太はどこか頼りないところがあり、つい〝お母さん〟のような気持ちで見守りたくなる。


 マイクのテストを終え、梓が確認するように言った。


「今日は田中さんが会話に詰まるようだったら……でいいですか?」


「はい、それでお願いします。保険というか、お守りみたいなものだと思ってます」


 基本、優太が自分の言葉でしゃべる。インカムで会話に助け船を出すのは限定するつもりだった。


(このままじゃ結納も、結婚式も、新婚生活もリモートで指示役をやらされそうだもの……)


 梓は手首に腕時計に目を落とした。


「じゃあ、そろそろ行きましょうか。私は二人がいるところで見守ってます」


 美術館のチケット売り場の前に優太が立っていると、ベージュのジャンパースカート姿の明日菜がやってきた。


 二度目なので少しリラックスした感じだ。梓のアシストもあり、慣れた感じで会話をしながら二人が館内に入っていく。梓も後を追った。


 ひとしきり絵を見た後、二人は館内にあるソファに座った。梓はマイクに向かって「料理の話題でも振ってみましょうか」と伝えた。


『神尾さんは料理がご趣味なんですよね? どういう料理を作られるんですか?』


 もうオウム返しになることはなかった。優太の成長を実感し、梓は母親のような気持ちで嬉しくなる。


『マクロビオティック料理です。季節の素材を活かして、油や小麦粉、砂糖を使わないんです。デトックス効果があるんですよ』


『砂糖を使わないで料理ができるんですか?」


『ふふ、できますよ。グレープフルーツとかリンゴとか……果物の甘みを利用するんです。私、子供の頃、アトピーだったので口に入れるものには気を遣ってるんです』


 プライベートの病歴を明かすのは、優太に心を開いている証拠だろう。すかさず梓が「僕も食べてみたいです」と言ってみてください、と指示を飛ばす。


『砂糖を使わないなんて、ダイエットに良さそうだなー。僕も食べてみたいです』


『今度、お持ちしましょうか?』


『え? いいんですか?』


 よしっと梓は拳を握った。二度目のデートの言質をとった。


 会話に詰まったときだけ、と言いながらつい細かく指示を出してしまう。二人羽織で優太を操ることに楽しさを覚え始めていた。


 その後、普段の食事の話題で二人は盛り上がった。明日菜は優太の不健康な食生活を心配し、いろいろとアドバイスをくれた。そこまではいい雰囲気だったのだが――


『教師の福利厚生はどうなってるんですか? 住宅手当は出るんですか?』


 会話が切れたタイミングで明日菜が訊ねてきた。


『いえ、ウチはないです……』


『有休所得率はどのくらいですか? 転勤はあるんですか? 退職金はどれくらい出ますか?』


 矢継ぎ早に訊ねられ、優太がしどろもどろに答えていると、明日菜が訊ねた。


『親や親戚など、三親等以内に癌や遺伝的な疾患にかかった人はいますか?』


『え?……どうですかね。祖父が喉頭癌になりましたけど、89歳でしたし、放射線治療で寛解しています』


 そのとき、梓のすぐ前で帽子を目深に被り、マスクをした中年の男性がブツブツと独り言を言っていた。


(なんか一人でしゃべってる?……電話?)


 ただスマホは持っていない。体調が悪いのか、時折りゴホゴホと咳き込み、やがて耐えきれないようにその場にしゃがみ込んだ。


 梓はマイクをオフにして男性に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です……すいません」


 男性は顔が真っ赤だ。額にも汗がびっしょり浮いている。梓は「あそこに行きましょう」と近くにあるソファに連れていき、座らせた。


「すいません……」


 男性はソファの背もたれにぐったりと体を預け、ゼイゼイと荒い息をついている。首元のボタンを外してやろうとした梓の目がとまる。


(マイク?……)


 自分と同じように襟のところにピンマイクを付けていた。


「お父さん!」


 そのとき、背後で女性の声がした。神尾明日菜が立っていた。


 ◇


 そこは美術館内にある救護室の外にある長椅子だった。梓、優太、それに明日菜の三人が座っていた。部屋の中では彼女の父親がベッドで寝ている。


「本当にすいません……」


 明日菜が謝った。デートの最中、娘にイヤホンをつけさせ、インカムで指示を出していたという。ようは相手も自分たちと同じことをやっていたのだ。


「い、いえ……」


 優太は動揺している。同じことをしていたので後ろめたいのだろう。ちなみに梓は〝たまたま通りがかった一般人〟ということになっている。


(だから急に人が変わったみたいに生々しい質問をしてきたんだ……)


 あれは父親が質問しろ、と娘にけしかけたのだ。


「……ウチは母を早くに亡くして、父が男手ひとつで私を育ててくれたんです……これまでも私が男性と付き合うと、すぐ父が間に入ってきて、相手の男性に覚悟はあるのかとか、年収や病歴を訊いたりして……」


 男性の方が引いてしまい、交際が長続きせず、別れてしまうのだという。それでこの年になるまで明日菜は独身だったのだ。


 明日菜がソファの上で優太に体を向けた。


「あの……田中さん、今まで失礼な質問をしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。もう父の指示はありません。だから、これは私からの質問というか、お願いのようなものです」


 優太が息を呑み、はい、と答えた。


「私には男手ひとつで育ててくれた父がいます……いろいろとうるさいことも言うんですけど、とても優しくて、義理人情に厚くて、思いやりがある人です。そんな父を、家族として受け入れてくれますか?」


「が、がんばります」


 そこは「もちろんです」だろうと思ったが、梓は黙っていた。


「父が年老いて体の自由もままならくなったときは私が介護します。田中さんに手伝ってほしいとは言いません。けど、家のことが充分にできないかもしれません。それでも許してくれますか?」


 梓は頼むから失敗しないで、と神様に祈った。果たして優太は言った。


「……僕にも両親がいます。今はピンピンしていますけど……僕も明日菜さんと同じ一人っ子なので、将来は面倒を見なくちゃならないかもしれません。それはお互い様です」


「…………」


「明日菜さんが背負うものがあったら、一緒に背負っていきたいです。楽しいこともつらいことも、大変なこともぜんぶ、一緒に分かち合いたいです」


 まあ、優太にしては上出来だろう、と梓は思った。百点満点かどうかはわからない。それは明日菜が判断することだ。いちばん大事なことは、優太が自分の言葉でしゃべったことにある。


 ◇


 三か月後、優太が菓子折りをもってオシドリ結婚相談所を訪れていた。成婚料が振り込まれ、退会の挨拶を受ける――相談所の社員にとってこれほど幸せな瞬間はない。


「西野さんには本当にお世話になりました」


 応接室のソファで優太が頭を下げた。梓は笑顔で「よかったです」と告げた後、履歴書や各種の書類をテーブルに置いた。


「これ、田中さんの個人情報です。お返しします」


 今日をもって縁結びネットーワクからも田中優太の個人情報は消去される。


「明日菜さんとは順調ですか?」


 梓が訊ねると、優太が顔を曇らせた。


「実は退会をもう少し待っていただけないかと思っていまして……」


「彼女と何かあったんですか?……」


「いえ……そっちは順調です。実はこの前、お父さんに婚約のご挨拶に伺ったんですけど、寡黙というか、話がまったく弾まなくて……それでお願いがあるんですが――」


「お断りします」


 先回りして梓が言った。


「お願いです! 会費は払い続けますので、お父さんとしゃべる内容を指示してほしいんです」


 さすがにあきれた。成婚した会員のサポートなど聞いたことがない。優太の目をびしっと見て、田中さん、と言った。


「ありのままの俺を見てくれって、婚活ではNGワードになってますけど、私はそれでいいと思います。女性とうまく話せなくても、それを克服しようと頑張る姿とか、自分を変えようとしている姿をそのまま見せてはどうでしょう?」


 優太が苦しげに顔をうつむかせる。


「最初はしかたないです。でも、ぎこちなくても一生懸命、話しかけ続けたらお父さんもいつかは心を開いてくれるんじゃないでしょうか? 婚活と違って焦る必要はありません。時間を掛けてゆっくり親子になればいいんです」


 優太は意を決したように顔を上げた。


「……西野さんのおっしゃる通りです」


 わかってもらえたか、と安堵した後、優太が、でも、と言った。


「最後に一度だけ! もう一度だけお願いします」


 深々と頭を下げる男に梓は笑顔で言った。


「嫌です」


 このままじゃ結婚式のスピーチもやらされ、新婚旅行にも付いて行かされるのは目に見えていた。まったく――と梓は思った。リモートは仕事だけで充分だ。


(完)

オシドリ結婚相談所を舞台にした作品(短編)は他に……


「理系の婚活必勝法 ―オシドリ結婚相談所物語―」

「自慢の息子 ―オシドリ結婚相談所物語―」


……があります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 不穏な雰囲気が漂っていましたが、 コメディタッチの明るい終わり方になってよかったです。 優太は応援したくなる男ですね。 [一言] 「キャラって……私、VTuberの中の人じゃないんですけど…
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