リョウ、いじめっ子に釘を刺す
ホテルでの夕食を終えて部屋に戻ると、もう外は暗くなっていた。
リョウは時計を見て、今度は大浴場に行く支度をする。
この部屋にはリョウとユウト以外にも同室の者が二人いるが、彼らはもう先に行ってしまったようだ。おそらくとっとと風呂を上がって、他の部屋に遊びに行くつもりなのだろう。
しばらくは部屋に戻って来るまい。
対照的に、一緒に部屋に戻ってきたユウトは大浴場に行く支度もせずに、窓から外を見ていた。
視線の先は真っ暗だ。それもそのはず、そちらは山側の窓で、明かりなど灯っていないのだから。
「……どうした、ユウト?」
そんなユウトに気が付いて、リョウは声を掛ける。
すると彼は身体ごと振り返り、高い位置にあるこちらの顔を見上げた。
「今、レオ兄さんが近くに来てるらしいんだ」
「レオさんが? まさか、お前に会いにわざわざ?」
正直、レオならあり得る話だ。過保護もさることながら、それ以上に弟溺愛が激しいユウトの兄は、その出費や時間など惜しみはしないだろうから。
しかしそのリョウの言葉に、ユウトは首を横に振った。
「ううん。仕事でたまたまみたい。でも、仕事が終わったら顔を見たいって」
「何だ、仕事か……。まあそれなら、あのレオさんが近くまで来ておいて、ユウトの顔を見ずに帰るわけないな。つうか、あの人にとっては仕事の方が、ユウトに会うついでみたいなもんだろうけど」
「一応先生に話をして、就寝時間前までならロビーで会っても良いって許可もらったんだ。でも……」
そこまで言って、ユウトは首だけで窓の外を振り返る。
「今は森の方に大きなイノシシが出るらしくて。今日これから業者の人が退治するから、絶対外には出ないようにって言われた」
「これから? ああ……」
この話だけで、リョウは大体察しがついた。
今回のレオの突然の出張はおそらくこれだ。大イノシシ退治。
それももちろん普通のイノシシではなく、父の会社に依頼をするような、通常では対応できない系の獣。
レオ自体が『近くに来ている』と言っているし、わざわざ暗くなるのを待って始めることからも、おそらく間違いないだろう。
しかし。
「ここって森から近いし、レオ兄さんが来る時に襲われたりしないか心配だなあ……」
「……そうだな」
リョウはそれを黙ったまま、ユウトの言葉に空々しく頷く。
だって、父からの話でレオがゴリゴリの激強戦闘派だと知っているから、無駄な心配だと分かっているのだ。
ではなぜそれをユウトに告げないのかと言ったら、彼が兄を普通の会社の普通のサラリーマンだと思い込んでいるからだった。
レオ自身がユウトに心配を掛けないようにと、仕事内容を内緒にしていることをリョウはもちろん知っている。
ちなみにこれをバラしたら、父(荒屋)を絞めると言われている。
おそらくリョウ本人に何かすると、ユウトに叱られるからだろう。
それに関しては結構どうでも良いが、自分の父が彼の兄に危険なことをさせている事実を知られるのは、本人同意の上とはいえリョウも親友として申し訳なく、黙っておきたいところだった。
「……まあ、レオさんが来る頃にはもうイノシシ退治が終わってるかもしれないし、そう心配するな」
「ん……、そうだね。でも一応、レオ兄さんにもイノシシに気を付けてってメールしておこう」
もちろんそんなメールをしなくても向こうは分かっているだろうが、弟に心配されたことで兄の機嫌が良くなるに違いないからまあ無駄ではないか。
メールを打ち始めたユウトに内心で苦笑して、リョウは大浴場へ行くための荷物を抱え上げた。
「俺はそろそろ風呂に行ってくるけど。ユウトは今日も部屋の風呂?」
「あ、うん。リョウくんはゆっくりしてきて」
携帯端末の画面から一度こちらに視線を上げて、ほにゃりと笑う。
リョウはその頭を撫でて、こちらも微笑んだ。
「上がったらすぐ戻るよ。後でレオさんから連絡来るまでの間、下の売店行こうぜ」
「うん」
弟属性の強いユウトは、こうして頭を撫でられることに抵抗がない。まあ、いつも兄にされているからだろう。
兄属性の強い自分としては、本当に小さくて可愛い弟のようである。彼を溺愛するレオの気持ちがちょっと分かるリョウだ。
(まあ、その見た目のせいでみんなと風呂にも入れないんだが……)
初日はユウトも大浴場に行ったのだが、その細くて子どもらしい柔らかなラインの身体(いわゆる幼児体型)を、例のいじめっ子たちにからかわれたのだ。
普段はからかわれても別に気にもしないユウトなのだが、さすがに他の同級生たちの好奇の目にも晒されていたたまれなかったらしい。翌日から行かなくなってしまった。
気にせず行こう、と誘ったところで、同級生が羨むスポーツマン体型のリョウが言っても疎ましいだけだろう。
それに正直恥じらうユウトは可愛すぎるから、あんまりみんなに見せない方が良いと、レオのようなことを思っていたりする。リョウもやはり過保護で心配性であった。
「じゃあ、行ってくるな」
「うん。いってらっしゃい」
再度声を掛けて、リョウはユウトを部屋に残し、大浴場へと向かった。
「「あ」」
大浴場の脱衣所で、リョウは例のユウトをからかう三人組と鉢合わせた。
どうやら向こうはもう出て行くところらしい。
彼らはユウトが一緒に居ないことを見て取ると、自分たちの揶揄で得た成果に、勝ち誇ったようににやにやと笑った。
「んだよ。今日はいつものちっせえ金魚のフンは一緒じゃねえの?」
お前らのせいだろうが。どの口が言うんだ。
そう思って睨んだが、口に出したらこいつらを喜ばせるだけだとリョウは自制する。
それにユウトは金魚のフンではない。二人の立場は同等。
リョウを苛立たせようとするだけの言葉に、律儀に答える必要はないだろう。
「自分が金魚のフンを二つもぶら下げながら、何の言いがかりだ? 鏡を見て言え」
「ぐっ……」
いつもつるんでいるのはこの三人も同じ。それを意趣返しされて、リーダー格の少年は口をつぐんだ。
……こいつらはリョウには強く当たらない。いや、当たれないのだ。自分よりも弱い者にしか。
だから背も高く筋肉もあり、自分たちでは勝てないだろうリョウではなく、小さくて細いユウトを標的にする。
本当はユウトも精神的には全然弱くないのだが、見た目でしか判断しない彼らにはそれが分からない。
そのユウトに対しても成績を抜かれ、もはや容姿でからかうくらいしかやりようがないのだから、いい加減やめればいいのにと思うのだけれど。
「ふ、ふん。お前もよくあんな小学生みたいな奴とつるんでるな」
「まあ、親友だからな。何だ、羨ましいのか?」
「誰が! ……ちっ、もういい。行こうぜ」
リョウに突っかかっても負けると分かっているいじめっ子たちが、目配せをしあって出て行こうとする。
その背後に、リョウは牽制の意味を込めて声を掛けた。
「おい、あんまりユウトにちょっかい出すんじゃねえぞ。あいつの後ろにはヤバい奴が付いてるからな」
「はあ? ヤバい奴ぅ~? アホくさ、そんな脅し信じるかっての」
ユウトとヤバい奴というあまりに乖離した組み合わせに、全く信じていないようだ。
本当に、ヤ○ザよりも質の悪い相手がいるのだが。
「本当に本当だぞ」
「だったら連れてきてみろっつうの!」
彼らは馬鹿にしたように笑うと、そのまま行ってしまった。
全く、自分たちとはどうにも相容れない奴らだ。
(ホント、他人を貶すことでしか自分の立場を守れねえ奴は、相手してらんねえ)
リョウはその苛立ちをため息と共に吐き出すと、ようやく服を脱いで風呂場へ向かった。
その後。
リョウが大浴場から戻ると、部屋からユウトの姿が忽然と消えていた。




