レオ、アラヤ社で生活する
三神に従ってアラヤ社というところまで連れて行かれる間、レオは見るもの乗るもの全てに困惑しっぱなしだった。
まず石造りや板を張っただけの木造の家なんてないし、街中の通りでは緑も土もほとんど見えない。一つの建物の高さも尋常じゃない。
馬もいないのに動く乗り物、空を飛ぶ鉄製の塊まである。
これが魔法など必要のない世界。
魔物も出ず冒険者もおらず、街を歩く人間は剣や鎧など一切身に着けていない。
それだけ平和なのだ。
(異様な世界だ……。だが、こんな世界だからこそチビと安心して暮らせるかもしれない)
ひどい違和感と困惑はあるものの、そちらへの希望も大きい。
魔力を必要としないこの世界なら、誰もチビの魔力を狙う者などいないからだ。
一刻も早くチビを見つけ出して生活を始めたいが、こんな数多の建物から自分一人であの子どもを探し出すのは確かに難儀で非効率だし、まずは三神たちの手を借りてこの世界になじむのが最善だろう。
レオは焦燥を秘めつつも、到着したアラヤ社の社屋に入っていった。
**********
ベッドから起きて洗面所に行くと、鏡に映ったレオの目の下にはクマができていた。
まあ当然だろう。
ここ数日間、レオは毎日この世界についての知識を寝る間も惜しんでひたすらインプットしていた。
アラヤ社の仮眠室とシャワーを借りて、会議室で教材のビデオを見、本を読み、給湯室でコーヒーを淹れる生活を繰り返している。
生きるために肝心な食料は、こちらが言わなくても三神が差し入れてくれていた。
「はあ~疲れた顔の男前、国宝にすべき。無精ひげ生えてるのが絵になるとか最高すぎか?」
彼女はレオが食事をしている最中、いつもわけの分からない独り言を言ってこちらをガン見しているが、これが食料を持ってきた報酬らしいので我慢している。もちろんだが目は合わせない。
チビを見付けて引き取るまではこうして耐えるのだ。
「……おい、まだチビは見つからないのか?」
こちらを見ながらぶつぶつ呟かれるよりは身になる会話をした方がまだいい。そう考えて三神に訊ねる。
すると彼女は肩を竦めた。
「この付近の保護施設は大体当たったのですが、レオさんの言うチビさんに該当する子はまだ見つかりませんね。もう少しエリアを広げて探してみます。……その子の方もレオさんを探していれば、異世界繋がりでウチの会社に連絡が入るかもしれなかったのですが」
「……それは無理だ。チビは記憶を失っているはずだからな。向こうの世界の記憶がないんだから、アラヤ社に話が持ち込まれるわけがない」
「それでも、記憶喪失で顔や身体に薬品による変色がある子なんて目立ちそうなものですが……他に特徴はないのですか?」
他の特徴……と言われるとこれしかない。
「可愛い」
「はい?」
「とにかく可愛い。小さくて軽くて子犬みたいに可愛い」
真顔で答えるレオに、三神は驚愕したようだった。
「マジですか、レオさんがそんな単語を吐くなんて……キャラに合わなすぎてギャップ萌えするんだが?」
「何だ? 俺は客観的事実を述べたまで。べ、別に俺がそう思っているわけではないからな?(可愛くないとは言ってない)」
「ツンデレか! カッコの中まで聞こえましたけど!? ……ふうむ、これはさらに興味をそそられる案件……。これまで以上に気合いを入れてチビさんを探さねばなりませんね」
「まあ、その……頼む」
この三神という女は挙動はおかしいが、その有能さはこの短い間でもレオが認めるところだ。
自身の仕事はきっちりこなしながら、レオのフォローにも余念がない。
足りない知識に関する資料はすぐに用意してくれるし、いつの間にやら身分証明の手配や住むための物件探しまでやっていた。
本人曰く『顔の良い男を救って鑑賞するのが趣味』らしいのだが、よくわからない嗜好である。
「そういえば、先日売りに出したレオさんの装備、結構な高値で売れたようですよ。本格的な作りで、だいぶ良いものでしたものね」
「そうか。……こっちの世界に来て、付いてた魔法効果も全部なくなってたが、関係ないんだな」
「まあ、こちらはそれが普通ですし。金額や使い道は社長が管理していますので、後で話を聞きに行って下さい」
「ああ」
向こうの世界から持ち込んだ装備は、全ての魔法効果が失われていた。
三神の催眠に簡単に掛かってしまったのもこのせいだ。だがこれは仕方がない。
大容量ポーチもただの小さな入れ物になってしまい、中に入っていたものは全て消えていて、手放すのに何の未練もなかった。
だからそれを売ってこれからの軍資金にしろと言ったのは、ここの社長の荒谷だ。
まあどうせ、ここは戦う必要のない世界。
チビとの生活のためになるのなら、金にしてしまった方が良い。
レオはそう考えて、全ての装備を荒谷に託していた。
「じゃあ、今から行ってくる」
「はい。では私も仕事に戻ります。……何か不足があれば準備しておきますが」
「洗濯機と炊飯器の取扱説明書が見たい」
「分かりました。後で仮眠室に置いておきます。家事する男前万歳ヒャッホー」
「あんたその去り際の科白どうにかしろ」
こちらに向かって敬礼をする三神と別れて、レオは社長室へと足を向けた。
ちなみに、このアラヤ社の社長、荒谷もまた変な男だ。
特殊な力を持つ人間を集めて、超常現象から荒事まで特異な事案に対応する会社を経営している。
三神が言うには『特殊人材コレクター』だそうで、おかげでこの社内にはかなりアクの強い人間ばかりが集まっていた。
正直レオは、社内にいる人間の中で異世界人の自分が一番まともなのではないかと思っている。
「……入るぞ」
「ああ、どうぞ」
社長室の扉をノックして声をかけると、すぐに返事が返ってくる。
レオは部屋に入り、荒谷が座るデスクのそばに近付いた。
「俺の装備が売れたと聞いたが」
「そうなんだ。ちょっと特殊な知り合いがいる場所で販促してみたら、そこそこ高値で即金で買ってくれる人がいてな。これがあれば、アパートを借りる時の敷金礼金や、生活必需品を揃えるのも問題ないだろう」
「そうか。それは助かる」
彼の特殊な知り合いというのがどんな者なのか分からないが、資金ができるならどうでもいい。レオは素直に感謝を述べた。
「それで、満額手渡しは難しいから、この金を振り込むために君の口座を作ろうと思ってな。ちょうど三神がレオくんの身分証を作ってくれたことだし、さっそく銀行に行こう」
「……あんたの取り分はなくて良いのか?」
「別に、手数料をもらうほどのことはしていないだろ」
「その売り先を探してくれただけでもだいぶ貢献してると思うが……」
自分がこの世界に何の伝手もない分、彼の親切心はありがたい。
だが、この厚意には裏があるのだ。
「気にしなくていいぞ。もちろん、どうしても恩を返したいというなら是非我が社に力を貸して欲しいが」
「……またそれか」
レオは大きくため息を吐いた。
そう、荒谷は『異世界人』という『特殊人材』を欲しがっているのだ。
「明確な方法でやって来て、ここで暮らす意思を持った異世界人なんて滅多にいないからな。大体来たとしても事故で、世界と馴染む気もないから暴れまくるし、強制的に排除することがほとんどだ」
「……まあ、俺もチビと暮らす目的がなかったらこんなにおとなしくはしていないが」
「だから、そのチビちゃんのためにも、定職に就いた方がいいじゃないか。履歴書も必要ないし、他の会社に入るよりずっと融通が利くぞ?」
「……それは分かっている」
正直、毎月きちんとした稼ぎがでるのはとてもありがたい。
しかしいちいちこちらをガン見してくる三神や、マシンガンのように話しかけてくるラノベ好きのナントカいう奴などなど、社員がとにかく超ウザいのだ。
ストレスが半端ない。
「心配しなくても、三神以外はそのうち興味も納まってくるから大丈夫だ」
「三神はあのままなんじゃねえか」
「まあまあ、多少のウザさは大目に見てくれ。彼女が役に立つことは君も分かっているだろ? チビちゃんのこともそのうち見付けてくれるはずだ。……そうだ、もしレオくんが我が社の社員になるなら、チビちゃんの戸籍の作成や学校への編入手続きなども三神にやらせよう。扶養手当も付けるぞ」
「うっ……!」
ここまで難色を示していたものの、チビのことを引き合いに出されるとレオは弱かった。
まだ一人での買い物にも行ったことがない自分が、役所に行って諸々の手続きができるようになるまでどのくらい掛かるのか。そう考えると、チビの学校の手続きまでしてもらえるのは超助かる。
「アパートを借りる時はウチの会社が保証人になってもいい」
「くっ、足元を見られて腹立たしいがありがたい……!」
「何ならとりあえず、3ヶ月だけ研修として働いてみるのはどうだね?」
「……ああもう汚えぞ! チビのためならやるしかねえだろ、仮入社するわクソが!」
どう考えても条件が良すぎて断ることができない。チビのため、自分のストレスはとりあえずどっかに置いておくしかない。
レオは観念した。
そのやけくそ気味の宣言を聞いた荒谷が、にんまりと笑う。
そして、いそいそとデスクの引き出しから書類を出した。
「そうかそうか。では手続きをしよう。あ、これ契約書ね。ここにサイン書いて。社内規定はこの冊子に書いてあるから後で読んで。最初の仕事用スーツはこっちで支給するから」
「……用意周到すぎんだろ。……クソ、最初に三神を寄越した時点からこのつもりだったんだな」
「まあな。三神なら美形は絶対傷つけることなく保護してくるから」
これは決して悪い結果ではない。というか、正直異世界から来てここまで都合が良すぎて怖いくらいだ。
だというのにこのしてやられた感は何だろう。
レオは大きく舌打ちをしてサインを書いた。
「……耐えがたい環境だったら3ヶ月でやめるからな」
「構わんぞ。まあ、そうはならないだろうが」
荒谷は自信ありげに笑う。
こうして、レオはアラヤ社で働くことになったわけだが。
そこからひと月たっても、チビの居場所は分からなかった。
次からようやく弟登場。