贖罪はうさ耳パーカーとともに
翌日の朝。
リョウがユウトと共に朝食のダイニングに向かうと、その入り口で後藤たちとばったり鉢合わせた。
以前ならすかさず悪態を吐いた彼らだが、途端に目が泳いだのは昨晩の気まずさがあるからだろう。もはやユウトに突っ掛かる気は微塵もない様子だ。まああれだけの大事を不問に付してやったのだから当然か。
ならば言葉を交わす必要もあるまいと、リョウは無視して通り過ぎようとする。しかし思いがけず、ユウトの方が彼らに向かって声を掛けた。
「おはよう。昨日は大変だったね。ちゃんと眠れた?」
「え、あ? う、いや……」
大変だったも何も、ユウトを命に関わる危険な目に遭わせたのはこの三人である。だというのに気遣う言葉をかけられて、後藤たちは反応に困ったように狼狽えた。ユウトが嫌味でも何でもなく、純粋に心配しているのが分かったからだ。
実際、彼らは三人とも目の下にクマを作っており、あまり状態が良さそうには見えなかった。それをユウトは気にしたのだろう。未だ落ち着かない様子の彼らに、眉尻を下げて同情した。
「まあ、昨日の大イノシシはトラウマもので怖かったもんね。その恐怖で眠れなかったのも無理ないよ」
うんうんと頷くユウトだが、途端に複雑そうな表情と脂汗を浮かべた三人を見るに、トラウマの対象は大イノシシだけではあるまい。あの状況から、レオがそれを遙かにしのぐ恐怖を与えていっただろうことは想像に難くなかった。
リョウはそれを察したものの、特に口を出す気もなく少し面白がりながら彼らを見守る。
ユウトの言葉を正そうとしないところを見ると、三人は大イノシシを倒したのがレオであることも、威嚇されたことも、バラすととんでもない目に遭うだろうと理解しているのだ。だったらしばらく反論もできず、ユウトの真っ直ぐな善意に晒されて非常に気まずい思いをすればいいと考える。
「それにしても、あの時は僕のこと心配して逃げずにいてくれたんだね。あんな怖いイノシシがいるところだったのに気を遣わせてごめんね。でもありがとう。みんなに危害が加わらないうちに業者さんが倒しに来てくれて、本当に良かったよね」
にこにこと他意なく微笑むユウトに、後藤たちはひどくきまりが悪そうな顔をする。
もちろんその時はユウトを心配したところもあると思うが、それ以上に多大な保身があったからだろう。彼らは自分たちの軽はずみな行動が同級生を命の危険に晒した、その代償を考えてただ動けなかったのだ。
だがユウトはそこに僅かでも善意を見付ければ、他の思惑をさておいてそれを掬い上げる。優しいとかいう以前に、そういう性質なのだろう。良い意味で鈍感で、あの程度の悪意なら無視をする精神的な強さがある。
それに気付けば、こいつらも自分たちのいじめがどれほど一方的で無意味でみっともなかったか、分かるに違いない。
そう思いながら眺めるリョウの前で、ようやく後藤が口を開いた。
「……お、お前の兄貴、どうした……?」
「レオ兄さん? 今日の朝の新幹線で自宅に帰ったよ」
「そ、そうか」
三人はユウトの言葉に、あからさまに安堵の溜息を吐く。
これを聞いてまたいじめを始めるなら救いようがないが、さてどうするつもりか。多少の警戒をもってリョウが耳を傾けていると、今度は山本がもごもごと声を発した。
「……昨日は俺たちのせいで危ない目に遭わせて悪かったな」
口にしたのは素直な謝罪の言葉。それに目を丸くしたのはユウトだけだった。
おそらく三人は、昨晩のうちにユウトに謝ることを示し合わせていたのだろう。思いも掛けず朝一で鉢合わせ、さらにユウトの方から予想外の声を掛けられて、ここまで困惑していたというところか。
リョウはリョウで、彼らが最低限の良識を持ち合わせていたことにただほっとした。もしまたレオの怒りを買ったら、冗談でなく三人の命の保証ができなかったからだ。
「……お前の兄貴のおかげで無事にホテルに帰って来れて助かった」
「もう、お前のことからかったりするのやめるよ」
続けて後藤と飯田が改心を告げる。そして三人は、最後にハモるようにユウトに訴えた。
「だから、兄貴には俺たちと仲直りしたと言っておいてくれ!」
……うん、まあこれが本音だよな。
リョウは見え見えの現金さに呆れた笑みを浮かべる。しかしその言葉を受けたユウトは、はてと首を傾げた。
「何でレオ兄さんに? わざわざそんなこと言わなくても、僕たちの関係なんて知らないと思うけど」
もちろんそう思っているのはユウトだけだ。だがレオが彼らを粛清対象としてロックオンしている事実をこの弟に告げるのもあの兄は許さないはずで、だから三人は黙り込む。
しかし疑問に思ったところで、細かいことには深く突っ込まないのがユウトである。「まあいいや」と流して、すぐにぱあと笑顔を見せた。
「仲直りってことは、じゃあこれからは僕と仲良くしてくれるの? だったら嬉しいな」
「……お、おう」
レオが天使と称するユウトの屈託のない笑み、それを向けられた後藤たちが怯んでそわそわとキョドる。その表情から、これまで見えていた苛立ちのようなものが消えていることに気が付いて、リョウは意外に思って目を瞬いた。毒気が抜けたというか……それどころか、何か絆されてる?
てっきりレオを怒らせないために、口だけの和解を申し入れてきたのだと思っていたのだけれど。
(……こいつら、本当にユウト側に来たのか)
だったらもう問題あるまい。リョウは後藤たちへの警戒を止めた。
これまでの経験上、ユウトの持つ資質に絆されて味方に認定された者は、もう彼に悪心を抱くことがないからだ。これはユウトが持つ特異な能力だとリョウは理解している。
この人心掌握の力は、異世界人だからというわけではないだろう。レオの方にはそんな能力は見られない。
一方でユウトには、一度その心地良い信頼を向けられたら庇護せずにはいられない、裏切れない何かがある。だからユウトの味方は自分を含め、彼を護りたくなるのだ。
翻って、悪心を持つ者はユウトをひどく毛嫌いする。先日までの後藤たちもそうだし、昨晩の瘴気に冒された大イノシシもそうだ。レオに聞いた話では、その獣はユウトを真っ直ぐ狙っていたというから間違いあるまい。
(悪い気を纏ったものは、清浄な気を纏うものを厭い、真っ先に攻撃し、排除しようとする……。ユウトはおそらく、そういう類いの存在なんだろう)
まあ、だから何だという話。ユウトが何者だろうと、本人はその能力に気付いてもいないし、リョウが護ってやりたい気持ちも本当なのだ。自分はただ、ユウトをいじめる奴が減った、そのことを喜べば良い。
そう考えつつリョウは後藤たちと別れたあと、にこにことご機嫌なユウトを引き連れてようやく朝食へと向かった。
さて、とうとう今日は修学旅行の最終日。
リョウはユウトと一緒に、レオへのお土産探しをしていた。
「レオ兄さん、三日目だって会えたのに、そのあとの通話でどんどん萎れててさ。何か喜んで元気になってくれるものお土産にしたいんだけど」
「まあレオさんはユウトと一日だって離れたくない人だからなあ」
レオが一番喜ぶことと言えば、一刻も早くユウトが帰ることに尽きる。つまり彼がここで土産に何を選ぼうがただの付随品で、言ってしまえば何でもいいということだ。
「自分が食べたい特産のお菓子でも買って行けよ。それ食べてユウトが美味し-! ってやってれば、レオさん大満足だから」
「でもレオ兄さん、僕が好きなような甘いお菓子食べれないよ?」
「知ってる」
「……レオ兄さんが食べられないならお土産の意味がないのでは……?」
ユウトがリョウの言葉に首を捻っているが、間違ったことは言ってない。レオは美味しいものを食べるユウトを眺めるのが大好物だからだ。あとは兄弟おそろいのご当地キーホルダーでも買って帰れば十分だろう。
そんなアドバイスに不可解そうにしつつも、結局ユウトは土産の甘い菓子とレオも食べられそうなおかき、そしてペアのキーホルダーを買った。ユウトらしい、素直でベストな選択と言えよう。
同じ場所で、リョウも自宅用などの土産菓子をいくつか買った。
「さてと、次は……」
ユウトを連れて土産物店の外に出たリョウは、自由時間の残りを気にしつつ、女子生徒が多く出入りをしている近くの店舗に目を向けた。柔らかな色合いの外装が可愛い、雑貨や衣料を売っている店だ。
男には少し入りづらい店だが、家族への土産のためか、男子生徒も多少は入店している。この機会ならいけるか。
「ユウト、あの店でも土産を買うから付き合ってくれるか?」
「いいけど……あれ? リョウくんってお姉さんか妹さんいたっけ?」
「いや、家族用じゃない」
「ふうん? ……あ、もしかして彼女……! わわ、あんまり聞かない方がいいかな」
勝手に何かを察したユウトは、ちょっと珍しいにまにま顔をしながらついてくる。それを気にせず、リョウは店に入った。
「わあっ、可愛い!」
「すげ、パステルカラーとホワイトの世界だな……」
店舗の中はビビットな感じではなく、ふわふわとした綿菓子のような世界観だ。柔らかく手触りの良い素材の、見ているだけで癒やされる商品の数々。その雑貨を眺めるユウトは、違和感なく雰囲気に溶け込んだ。
……思った通り、ユウトのイメージにぴったりの店だ。
自分はかなり場違いだが、ひとまず目的さえ果たせればそれはどうでもいい。
リョウは手頃な商品を探して、周囲を見回した。
「あれ、後藤くんたちだ」
そんな矢先、ユウトが己同様に場違いな男三人を発見する。あちらもリョウたちに気付いたようで、目が合った途端にビクッと肩を震わし足を止めた。まあ止まったところでユウトの方から寄っていくから意味はないのだが。
「こんなところで会うなんて奇遇だね。家族へのお土産?」
「あ、ああ、山本が妹に頼まれて……」
すっかり友達感覚で接するユウトに、彼らは未だ負い目を感じてどぎまぎする。まあ、そうでなくては。後藤たちはこれまでの行いを反省し、まだまだ存分に負い目を感じるべきなのだ。
それでも三人はここ数日で視線が泳がなくなり、だいぶこんなユウトとの会話にも慣れてきていたが。
「……お前らも土産を買いに?」
「うん。リョウくんがお土産を買っていきたい人がいるんだって」
ふふふ、とユウトが意味深に笑う。おそらく見当外れなことを考えているんだろう。リョウはそれを気に留めることもなく、近くにあった土産に良さそうな真っ白毛並みの猫耳カチューシャを手に取った。
特に地元土産になる要素はないが、構うまい。リョウは当然のようにそれをユウトに着けた。
「うわっ、可愛よ」
思わず声に出した飯田に、その場にいた全員が内心で同意する。ユウトは小動物っぽい見た目をしているから、こういうのが似合うのだ。本人はきょとんとしていたが。
「リョウくん、僕で試してみてもあんまり意味ないんじゃないの?」
「問題ない。合ってる」
「送る相手は僕と背格好が似てるってこと?」
「いや、本人は俺より背が高いし、鍛えてて強いし、目付きもとんでもなく悪いけど。でも間違いなくこういうの喜ぶと思うんだよな」
「え、すごい、リョウくんより大きい人なの? 僕が知らないバスケ部の人かな……その人が可愛いものが好きってことか」
まだまだ全然的外れなことを呟くユウトの傍らで、後藤たちがビクッと肩を揺らした。こちらは今のリョウが語る人物像で何かを察したらしい。三人で何かを耳打ちし合っている。
その間にも、リョウは土産候補になりそうなアイテムをユウトに試着させて色々吟味していた。
そう、これはレオへのリョウからの土産なのだ。旅行前、買収目的とはいえ欲しかったガジェットをもらってしまったから、そのお返しだ。事情を知っている父からもそう勧められ、多めに小遣いをもらっている。
そして父子の共通認識、『レオが喜ぶ土産はユウトに関するもの』ということで、現在ユウトに似合う可愛いものを選ぼうとしているわけだ。
「イヤーマフとかもいいけど、もう少し攻撃力強めの可愛いが欲しいよな」
「攻撃力強めの可愛いって何? っていうか、僕より大きい相手へのお土産を何で僕に試すの?」
「着けた状態で見てみないと分からないだろ。……お、これいいな。ユウト、このパーカー着てみてくれ」
「いいけど、どう見てもこれ僕サイズじゃん……」
ユウトは怪訝そうにしながらも、リョウの渡したパーカーに袖を通す。
それは、ベビーピンクと白のツートーンの、ふわふわもこもこ素材のうさ耳フード付きパーカーだった。
明らかに男子向けではない小柄な造りだが、当然ユウトにはぴったりで。
「めちゃくちゃ似合うな……」
リョウが感心したように呟くと、後藤たちも頷いた。思わず抱きついてもふもふしたくなる見た目だ。これは絶対レオが好きなやつ。
だが値札を見ると想定していた予算をオーバーしていて、リョウはむむむと考えた。
父からは上限額を超えるなと厳命を受けている。普段から『ユウト過保護ガチ勢』で、この親友にめっぽう甘いリョウを知っているからだ。
もちろん土産自体はレオに対してだが、しかしそれを着るのがユウトとなれば、可愛いに妥協したくないリョウである。
父にバレないなら、いっそ自分の小遣いを削ることもやぶさかではないのだけれど。
「……おい、荒屋」
そうして悩むリョウに、不意に後藤が話しかけてきた。彼はユウトに聞こえないようにこっそりと、少し後ろに回り込む。
それから二拍ほどのためらいを置いて、「あのさ」と話を切り出した。
「……俺たちも便乗させてくれねえか」
「便乗?」
「あれ、あの人への土産だろ。……ユウトの、兄貴」
やはり彼らは、リョウが土産を渡す相手を察していたようだ。先日ユウトの危機に駆け付け、彼らの窮地を救い、三人にトラウマを与えていった男だと。
「ユウト経由で詫びに何か渡そうとしても、あいつ『気にしなくて大丈夫』って言って何も受け取ってくんねえしよ。ユウトは気にしてなくてもあの人絶対俺らのこと『死すべし!』って思ってるだろ」
「まあ、思ってるだろうな」
冗談や例えでなく、多分本気でそう思ってる。
迷いなく即答したリョウに、後藤は反射的に身震いした。
「だ、だからもう、俺たちはユウトの敵じゃないってあの人に証明したいんだよ。ユウトの味方だと認められてる荒屋と共同で土産を買って、それがあの兄貴の喜ぶものなら、多少は心証もマシになるだろ」
「ああ、確かに……。それ、山本と飯田も同意してんのか?」
「もちろんだ。俺たちだって実際あの人に助けられたんだし、これくらいの礼はしようって話になった」
「そうか……うん、いいだろう」
ちょうど良かった。このパーカー代、四人で折半すればリョウとしても完全に予算範囲内に収まる。そのためなら彼らのことをレオに口添えするくらい、どうということもない。
リョウはそれを請け合うと、再びユウトの方を向いた。
「よし、ユウト。土産はそれに決めた」
「でもこれ、リョウくんがあげたい相手には着れないと思うんだけど……」
「それでいいんだよ」
ユウトは未だに不可解そうに首を捻っているが、どうせこの土産がレオに渡ればすぐに答えが分かるだろうから構うまい。
後藤たちと共同出資することになったのは予想外だったけれど、これは歓迎すべきことで、全てが丸く収まった証。レオだって彼らにわだかまりはあれど、理解はしてくれるだろう。
さて、あとは会計する前にもうひとつ。
リョウはスマホを取り出して、パーカーを脱ごうとするユウトを制止した。
「ちょっと待てユウト、脱ぐ前にせっかくだから写真だけ撮らせてくれ」
ちなみにこれは自分用である。レオはどうせ自宅で撮りまくることになるだろうから必要あるまい。
そうして旅行の記念を口実に可愛いユウトを写真に収めようとするリョウの隣で、後藤たちもスマホを取り出した。
「あ、せっかくだから俺も……」
「せっかくだからフードかぶったバージョンもできれば……」
「……せっかくだからそっちの角度からもいい?」
「えええ? リョウくんはいつものことだけど、後藤くんたちまでどうしたの????」
……こいつら、すっかりこっち側だな。
そうしてひとしきりユウトを撮影してから会計を済ませると、五人はようやく連れ立って修学旅行の帰りのバスに乗り込んだ。




