姫はまだ知らない
「兵舎へ行きます」
姫様はさらりと言ってのけた。
「……えっ?」
侍女が思わず聞き返す。
「兵舎へ行きます。今すぐ」
姫様は手紙をそっと折りたたみ、胸元にしまいながら、まるで散歩にでも出るかのような軽やかさで微笑んだ。
「ロドアスったら……こんなに大事なことを、どうして今まで黙っていたのでしょう?」
その声音は、少しばかり拗ねたような響きを含んでいた。
侍女は慌てて言葉を探す。
「で、ですが姫様! 今日は少し冷えますし、お召し替えを———」
「風なんて、気にしません」
ひらひらと手を振りながら、姫様はもう部屋の外へ向かっていた。
窓の外では、風が若草の葉をそっと揺らしている。
冬を越えたばかりの空気はまだひんやりとして、
陽光が差していても、袖口から忍び込む冷たさがあった。
けれど、姫様の足取りは軽い。
(まあ……姫様ったら、なんて無邪気でいらっしゃるのかしら)
侍女は内心ため息をつきつつ、慌てて後を追う。
———姫様にとって、勇者の死は"英雄の最期"だった
騎士団長ロドアスは、その英雄と最後まで共にあった忠実な友だった
だからこそ、この手紙は少し不思議だった。
——-どうして今さら? そんなに大切な手記なら、もっと早く教えてくれればよかったのに。
けれど、ロドアスのことだからきっと何か考えがあったのだろう。
少し気難しいところもあるが、姫様は彼女を心から信頼していた。
「ふふ、ロドアスったら。勇者様との思い出を、一人で抱えていたのね」
まるで昔話を読み返すような気持ちで、姫様は微笑んだ。
"真実"がそこに記されているとは、夢にも思わずに——