蛇足
ほんとにただの蛇足です
目の前の嫌味な程整った顔が、嫌味な笑みを浮かべているのを見て、レオは嘆息しながら視線を外した。
「え、なにその反応。幸せの絶頂のはずの男がする表情じゃなくない? しかも、お膳立てしてあげたこの僕にさぁ」
美し過ぎる王子などと呼ばれる第二王子は、彼のファンであるご令嬢達が見ればショックを受けそうなニヤニヤと意地の悪い笑みを崩さない。
更に、いつもは優しげな面差しに、それを裏切らぬ柔らかな言動を壊さぬ王子が、レオしかいないこの場では口調も崩れに崩れている。
当然、こちらが地である。
そしてベアトリスが毛嫌いしている王子の本性であった。
「もしかして僕が場を整えてあげたのに、ベアトリスと上手く行かなかったとか? いやそれはないか……」
なにせ相手はあのベアトリスだ。外見は小柄な美少女だが脳を筋肉愛に蝕まれているベアトリスだ。
レオが王子の護衛を賜った時からずっと彼女はレオばかりを目で追っていた。
ベアトリスの筋肉フェチが加速したのも、レオが引き金と言っても過言ではない。
クソがつくほど真面目で、乙女かというほど貞操観念の高いレオだったとしても、ベアトリスが強引に事を進めて既成事実の一つや二つくらい作っているはずだ。
あそこにはなかなかエグイ薬も置いてある。ベアトリスなら何の躊躇もなく使うだろう。
あの少女はなかなか聡い。己の前に無防備に転がってきたチャンスをむざむざ見過ごすようなヘマはしないはずだ。
それはもう、一撃必殺で獲物を捕らえる狩猟者の如き鋭さと速さで、レオを捕獲したに違いない。
「そもそも、どうして私だったのですか」
レオの低い声音での問いに、王子は首を捻った。
一瞬、何を言っているのか分らなかったが、すぐに理解した。この男は、自己評価がとんでもなく低い。その原因も知っている。
「打算と己の利益の為だけど。ちゃんと誰も損をしないように考えたつもりだよ? それとも何、レオはベアトリスを無理やり押し付けられて迷惑だった?」
「いえそうではなく」
「だよねぇ」
レオは一切口にも顔にも出さなかったが、ベアトリスを以前から憎からず思っていた事にちゃんと王子は気づいていた。
その淡く軽い想いは歳の差と、身分差と現実を前にして、彼の心の奥底に沈められて表に出される事は無かった。王子の婚約者としてしかベアトリスを見ていなかった。
きっと看過していたのは第二王子だけだろう。
ベアトリスは王子を毛嫌いしておりレオを好いている。レオもまたベアトリスを憎からず思っていた。
この事実は、王子の思惑通りに事を進ませるには、あまりにも都合が良かった。
「どこをどう取っても大団円の結果だろう? 一番のとばっちりを受けたレオに不満が無いなら、一体何を不満に思っているの」
「ベアトリス様が、貴方を好ましく思っていない事も、その、私の……」
「筋肉大好きだよねー」
「ぐっ」
目を閉じ、眉根を寄せたレオの反応に、王子は「お?」と思った。
どうやらベアトリスは彼の前で本性を現したようだ。王子の前では昔から隠しもしなかったが、それ以外の目がある時にはベアトリスは王女然とした態度を微塵も崩さず、逞しマッスルこそ神! などという思考を表面に出したりしなかった。
あれでなかなか、己の立場を弁えた賢い女性だ。筋肉さえ絡まなければ。
「確かに王女は私を好ましく思ってはくれていますが、彼女は貴方の奥となるべくこの国へ来られた方。おいそれとその事実を覆すのは」
「レオ。あまりベアトリスを見くびらない方がいいよ。あの子は嫌と言う程、この国での自分の利用価値と存在価値の低さを理解している」
その上で、王子の出した案に乗るのが上策と判断して、レオに迫ったはずだ。
これはそう、王子とベアトリスの利害の一致により産みだされた結果である。別に事前に相談していたわけではない。
あの初夜の間で、ベアトリスは王子の行動に怒り狂っただろう。
しかし瞬時に、自分がどう動くのが最善か計算したのだ。
王子との結婚をご破算に出来る。憧れのレオと結ばれる事が可能となった。そして王子の一方的な婚約破棄であり、国王と王妃の性格を鑑みて自国が不利益を被る可能性は低い。
となれば己の欲求のまま行動する事が許されると、そこまで織り込み済みのはず。
「レオの今の発言ってさ。つまりまだベアトリスとは清い仲ってわけだ?」
「王子!!」
「ほんと、見た目に反して煮ても煮え切らないなぁ」
真面目で誠実であると言ってほしいものだった。
己の欲の為機を逃さず行動する王子とベアトリスとは真逆。
「何に引っかかっているの。何がレオに二の足を踏ませているの」
据え膳など食らい尽くせばいいというのに。
贄はむしろ、レオに食べられたくて仕方が無かったろうに。
「やはりベアトリス王女のような可憐な少女は、私のような武骨な男には勿体ない」
「か れ ん!?」
可憐の意味をこの男は正しく理解していないらしい。ベアトリスはそんな生易しい存在ではない。
確かに彼女の置かれた状況は可哀そうの一言に尽きる。
幼い頃に供物のように自国から引き離されて、人質として味方の一人もいないこの国で生かされ。拒絶反応すら起こる男との結婚を余儀なくされた。
しかしベアトリスは、その逆境を物ともしない逞しい精神をこの地で培ったのだ。
「レオ、君は昨晩あの子の本性を見たんだよね……?」
「本性?」
「いかに筋肉を愛しているかっていう」
「……はい。伺いました」
少し遠い目をしたレオだった。
しかしアレを見ても尚、ベアトリスを可憐だと言うレオの目もまた、分厚いフィルターに覆われて現実を直視出来ていないのかもしれない。
「だったら君の心配は杞憂に終わる。馬鹿馬鹿しいくらいにね」
レオは無駄な心配をしている。
女性はすべからく、見目麗しい美形、それこそ第二王子のような男が好きだと思っているのだ。だからベアトリスがいかにマッスルボディを愛してやまないと説いても、レオに長年憧れを抱いていたと伝えても、どこかで信じ切れていない。
こればかりはトラウマを植え付けられてしまっているから、仕方がない部分もあるのだが。
「ベアトリスは妹とは違うよ」
レオが自分の見た目に拘る理由。それは王子の妹、この国の第三王女にあった。
妹は昔から細身で弱々しい、そしておっとりとした気性の大人しい子だ。
病弱ではないのだが気の弱い性格で、心もとても繊細な妹は、昔から護衛に就く騎士ですら怖がっていた。
父や兄達は、雄々しさなどない優雅な出で立ちなのだが、日々鍛錬を怠らない屈強な騎士達は真逆だ。一様に背が高くガタイも良い。見た目の圧がハンパじゃない。
繊細な妹姫は、騎士に怯えて震え、会話が成立しないどころか目すら合わせられない程だった。
だが気弱故に「怖いから女性騎士に替えてほしい」とも言いだせず、我慢に我慢を重ねた結果、レオが護衛をしている時にぶっ倒れたのだ。
慌てて駆けつけた医師や家族の前で、大粒の涙を流しながらようやく吐露した心の声は、姫が倒れた直接の原因になったレオの心を大いに傷つけた。
「筋骨隆々なレオに恐怖しか感じなかったってさ!」と爆笑しながら第二王子に告げられたレオは多大なるショックを受け、それ以来幼子から妹姫くらいの年の女の子の視界に入る事すら憚るようになった。
相手を怖がらせたくないし、レオとて怖がられたくない。
そんな経緯があり、ベアトリスにその身体が至高だと言われても、いまいち素直に受け入れられないでいた。別にベアトリスがあの場で盛大な嘘を吐いていたとも思っていないが。
「ま、その辺はきちんと話し合うがいいよ。あまり時間は残されていないけどねぇ」
もう賽は投げられたのだ。後戻りは出来ない。リミットは近づいている。
「貴方は、それで本当に良かったのですか」
「ん? ああ勿論。僕は別にベアトリスの事嫌いじゃなかったけどね。時間と環境が許せば、僕を大嫌いなあの子を落とすのも一興だったかも。でも、実際の僕にはあの子に価値を見いだせないし、そもそも時間が圧倒的に足りない」
優雅に足を組み、豪奢なソファに腰かける第二王子は艶然と微笑んだ。
第二王子は、兄が立太子する前に王位継承権を奪う算段をつけていた。
その為には大きな、とにかく大きな後ろ盾が必要だった。それはベアトリスでは無理な事だ。大陸一である西国の王女くらいでなければ。
「兄上がもっと出来たお方なら、僕がこんな頑張らなくたって済んだんだけどねぇ。そのお陰でレオは円満な結婚が実現しようとしてるんだから、立役者の僕に尽してくれたっていいんだよ?」
ふふ、と美しく微笑む第二王子に、レオは深々と頭を下げた。
「ベアトリスにも巨大な貸が出来たし、あの子にも色々と手伝ってもらわないとなぁ。色々と」
頭を下げたまま、レオはひくりと頬を引き攣らせた。
この王子の、こういう部分がきっと曲がった事が大嫌いなベアトリスの癇に障るのだろう。
確かに、王子とベアトリスの相性は最悪なようだ。
今までそれなりに二人を見てきたレオだったが、真実は何も見えていなかった。うわべだけ取り繕って笑い合う婚約者同士の空々しい会話がすべてだと思い込んでいた。
もしかして、ベアトリスがレオのような屈強な漢を理想と掲げたそもそもの原因は、この王子にあるのではないだろうか。
今更どうしようもない事実を掘り返しても無意味。
レオは早々にその思考を放棄し、今度ベアトリスに渡すプレゼントは何が良いだろうかと至って平和的な考えに逃げたのだった。
特に考えて無かった王子のキャラが突然降って来たので。
彼と西国第三王女の話もチラッと考えたのですが、王子は脇役でこそ輝くキャラだと悟ったので、書く事はありません。




