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後編


 「まぁまぁ。アングラード様、冷静になって考えて下さいませ」


 そんなレオを物ともせず、ベアトリスは彼の肩に手を乗せて言った。

 掴みきれない厚みのあるその筋肉に胸がいっぱいになる。

 

「貴女の方が落ち着かれるべきでは……」

「立場というのなら団長様は国王公認でこの場にいらっしゃるのですし、何も後ろめたく思う必要などありません。それに幸いこの国は他と比べて貞操観念がやや低く処女信仰がない。私に女としての魅力を感じないというのでなければ、手を出してみるのもアリでは?」

「冷静にとんでもない発言をするのは止めて下さい!」


 レオを安心させるはずが、お兄さん固い事言わずに楽しんじゃえよ、と悪の道に引き摺りこもうと唆すように、いつの間にやらベアトリスはニヒルな笑みを浮かべていた。

 

 実はさっきからずっと、ベアトリスはレオの膝の上に乗ったままの状態で、しかも夜着は肌蹴てなかなか刺激的な格好になっている。

 

 その姿はあまりに男の目に毒で、あっさりと理性など吹っ飛ばしてしまっても誰も文句を言えないものだった。

 

 だというのに、この状態の据え膳を据えたままにしているレオの理性を褒め称えればいいのか、腰抜けと罵ればいいのか迷う所だった。

 きっと王子が見ていれば間違いなく野次を飛ばしていただろうが、この場にはベアトリスとレオしかおらず、ベアトリスは流石にそこまで頭が回っていない。

 

「ベアトリス王女、お気づきではないかもしれませんが貴女は今酔っていらっしゃいます」

「ええ、ええ知っています。貴方の匂い立つ筋肉が目の前にあって心酔しないなんて不可能」

「お酒に酔っているんです!」


 匂い立つ筋肉ってなんだ。俺は一体どんな体臭を纏っているんだ。

 うっとりとしたベアトリスに、レオは問い質してみたい衝動に駆られた。

 

「……分りました。これ以上私が無理を言ってもアングラード様がお困りになるだけですね」


 すっと音もなく立ち上がったベアトリスを、レオは目で追った。

 王子に初夜をすっぽかされて自棄になり、お酒の勢いも手伝ってレオに身を任せるような物言いをする少女だったが、やっと少しは冷静になれたのだろうか。

 

 無くなった重みに、遠ざかった香りに僅かばかり寂しさを感じたと認めるわけにはいかなかった。

 

 などとレオがちょっと心揺らいでいるとはつゆ知らず、ベアトリスは先程お酒を取り出した戸棚の下段の扉を開け、美しい装飾の施された小瓶を二本取り出している。

 

 細く美しい指に握られた可愛らしい小ぶりの瓶の中には、その見た目に反して口にするのは遠慮したい蛍光色の液体が並々と入っていた。

 

「もう何も言いません。言葉を尽くすのは止めます。私はもう貴方を困らせるような事は致しません。ただ最後に、これを飲み干して下さいませ。そうすればもう、終わりです」


 とても一回りも下の少女だとは思えない、艶めかしくそして謎めいた笑みを浮かべたベアトリスを、レオは食い入るように見やった。

 

「いやそれ明らかに飲んではいけない類のものとお見受けしますが!? 確かに終わりそうですね、色々と……!」


 主にレオの騎士道が終わりの時を迎えそうだ。

 

 さぁさぁとレオの目の前にぷらぷらと小瓶を見せびらかすベアトリスは、何かに気付いたように動きを止めた。


「この二つ、色が違いますね。私はこちらを試しますのでそちらはアングラード様お願いします」

「あ、はい。えっ!? 飲みま」

「あらアングラード様、受け取りましたね!? それは飲む意志がおありだとい」

「ち が い ま す!」


 お互いがお互いの言葉を被せ合って、それぞれを制した。

 言わせない、相手のペースには持って行かせない。そんな強い思いがありありと出ている。

 

 それにしても、レオの筋肉以上に強固な精神を崩すにはやはりこの秘薬を持ってするしか策は無いように思えた。

 

 ここの部屋にある物については、ベアトリスは一通りの説明は受けている。

 このあからさまに怪しげな小瓶の中身は、察しの通り媚薬である。歴代の王族の中には当然、ベアトリスと王子のようにどうしようもなく相成れない仲の男女も多く居た。それでも事を成さなければならない。――今回のようなのは例外中の例外なのだ――

 

 そんな時にはこの薬がお役立ちになる。ベアトリスもこれを使わなければならないだろうと思っていた。

 でなければあのヒョロッとしたいけ好かない第二王子となど堪えられるわけがない。

 だから今飲むのにそこまでの抵抗は無かった。

 

 キュポン、と瓶を開け何の躊躇いもなく口へと持って行く――

 

「ひ、姫! そんな栄養剤のような気軽さで飲もうとなさらないで下さい!」

「あっ」

 

 ガシィ! と力強く大きな肉厚な手で腕を取られ、ベアトリスは小さな悲鳴を上げた。

 勿論痛かったのではなく、力強い手に触れられて嬉しかったからだ。

 

 しかし、嬉し驚き過ぎて小瓶を落としてしまった。

 

 ころころと転がり、大理石の床に毒々しくもある色の液体が流れた。

 

「もう、アングラード様ったら……そんな強引に……」

「なんでそこで急に恥じらうのですか!」


 もっと以前に羞恥を感じるポイントは幾つも存在していたはずだ。

 一番は夜着を脱ごうとした時だろう。それを完全に無視して何故今。

 

「殿方にこんな積極的に迫られて、胸が高鳴らない女はいません」

「迫ってませんから! むしろ思いとどまらせようとしただけですよ!?」


 どうしてこうも話がかみ合わないのか。

 どうにか落ち着こうとレオは深呼吸をした。

 

 息を吸い込んだ途端、甘い香りが鼻の奥を擽った。嗅いだ事のあるような、ないような不思議な感覚がする香りだ。

 途端、頭がくらりと傾く様な感覚に襲われ、レオは眉間に皺を寄せた。

 

 そしてほとんど身体をくっつけているくらい至近距離にいるベアトリスを見下ろし、見てしまった。

 彼女がほくそ笑んでいるのを。

 

「ふふ、気付いたようですね……あの小瓶に入っていた液体は、匂いを嗅ぐだけでも効果はあるものなのだそうですよ」


 にんまりと目を細めるベアトリス。

 してやったりと言わんばかりの彼女の瞳も、なんだか潤んでいる。同じ空間にいるのだから、効果は当然ベアトリスにも及んでいるだろう。

 

「ほらアングラード様。気分が高揚してきませんか? あなたは段々その気になーる。あなたはだんだん」

「なんですか、催眠術でもかける気ですか!?」

「もうこの際、何術でも構いません。どんな薬を使っても、どこの権力の影響だろうが結構です。私を、あなたのものに、して、下さい!!」


 ベアトリスの告白は、王女がするには余りにも潔すぎた。

 背筋を伸ばし、胸を張ったベアトリスのその肢体は、男性にとって目の毒そのものなのだが、彼女はレオにそれを見られても苦ではないし、レオしかいないこの状況では気になるものではなかった。

 

 対するレオは、直視できずに目を逸らしたのだが。

 これを役得と思って素直に頂けない、大真面目なレオだった。

 

 頑なに己を受け入れようとしないレオの姿勢に、今まで押せ押せだったベアトリスも、さすがにこれはダメかもと思い始めていた。

 

 まぁ、初めから分かっていたけれど。

 

 彼女は溜め息を吐く。歳は一回りも離れているし、レオは役立たずなベアトリスとは違い有望な武人だ。

 なにもこんな貧乏くじを素直に引く必要なんてない。国王からの頼みだから断りにくいだろうけど、命令ではないのだから選択肢はレオに与えられているだろう。それで不興を買ったからといって左遷させられ無い程、レオは有能な人だ。

 

 最初から乗り気じゃない替え玉作戦だというのに、わざわざここへこうして足を運んできてくれたという事実が、彼の誠実さを物語っている。きちんと自分の口で、経緯と断りの言葉をベアトリスに伝えに来た事が。

 

 自分が全く相手にされていない現実を突きつけられるのが怖くて、その言葉を聞きたくなくて、先延ばしにしたくて。そして一縷の望みをかけてああだこうだと無駄な抵抗をしてみたわけだが、それもここまでのようだ。(抵抗の仕方がとんでもなかったという事をベアトリスは自覚していない)

 

 しかし男の本能を揺さぶる作戦なら、既成事実が作れるだろうと思っていたのに、さすがレオ様理性まで鋼鉄の筋肉級!!

 

 と、わけの分らない絶賛を頭の中で繰り広げていると……

 

 レオがそっと、音もなくベアトリスの前に跪いた。

 

「私は、本来ならこうして貴女様と対等に話をしていい立場の人間ではありません。ですが」


 レオはゆっくちとベアトリスの手を取り、指先を口元へと持って行く。

 彼らしくない気障な真似だが、ベアトリスの胸を高鳴らせるのに十分過ぎる演出だった。きっとレオは計算でしているわけではないだろうが。

 

「貴女様がお嫌でなければ、私はこうして与えられた機会を逃したくはない。……ベアトリス様、私と結婚して下さいますか?」


 それは、騎士が王女に忠誠を誓うかのような、そんな仕草だった。

 

「アングラード様……いえ、貴方こそこんな私などお嫌だったのではないですか? 先ほどは」


 この部屋に入ってきたレオは、ベアトリスとの結婚に後ろ向きだったはずだ。

 

「先程申し上げた通りです。平民の出の、一回りも年の違う……闘うしか能のない男に下げ渡されるなど、ベアトリス様がお可哀そうだと」

「かわいそう!? 世界一の幸せが舞い込んで来た思いですが!?」


 ベアトリスが極度の筋肉フェチという点を除いたとしても、レオは自身が卑下するほど結婚相手として悪いわけではないはずだ。

 

 ベアトリスは取られていた手を引き、すぐさま今度は自分からレオの骨太な手を握り絞めた。

 固くがっしりとしたその手は、たゆまぬ鍛錬により育まれてきたもので、それを思うとベアトリスの胸が熱くなる。

 

「叶わぬ想いと心に蓋をしておりましたが、ずっとずっとアングラード様をお慕いしておりました」


 王子の護衛として傍近くに侍るレオを舐めるような視線で観察していたことなどおくびにも出さない。

 今はそういう場面ではない。

 

「私を、どうかアングラード様の妻にしてくださいませ」

「ベアトリス様……」


 目尻に涙を溜めて微笑むベアトリスに、レオも微笑み返す。

 

 こうして第二王子の結婚のドタバタの影に隠れるようにして、もう一組の幸せな夫婦が生まれようとしていた。

 

「そうと決まればアングラード、いえレオ様!」

「は、はい」

「早くベッドへ参りましょう! さぁさぁ!!」

「ええぇ!? いえ、待ってください!!」

「もう一秒だって待てません、私の心と体が貴方の筋肉が欲しいと渇望しているのです!」

「王女ーーーっ!?」





 この夜、二人が本当の意味で結ばれたのかどうかは、定かではない。



話を思いついてから書き終わるまでに1年かかりました。

スランプ脱出に、ちょうどいい短編を……とか気軽に手を出したのにこのザマです。

でも書いててとても楽しい王女と騎士でした。

読んで、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

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