表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

中編


「一体何を、寝ぼけた事を。幾ら弱小とはいえ、私はあれの妻になる為にここへ来た王女ですよ!? それを、急にそんな。その女性と言うのはどこの何方ですかっ」


 王子を「あれ」呼ばわりしているが、ベアトリスもそしてレオも気にしない。

 

「……西国の第三王女です」

「あ、ごめんなさい。つい私ったら」


 テヘペロ。

 今更ちょっぴり照れくさそうにはにかみながら、肩を竦める。

 西国は、この大陸で一番の列強国だ。睨まれたらベアトリスの祖国など一捻りで潰されてしまう。

 急に出てきた強大な相手に、上手な手の平返しを披露したベアトリスだった。長いものには巻かれるに限る。


 しかし、西国の王女との婚姻など、この国にとっても願ってもない幸運。逃す手はないだろう。となればベアトリスの立場は無い。

 

「私はお払い箱というわけね。さりとて祖国に私の居場所はあるのかしら」


 ベアトリスは今年で十七歳。この国へやって来たのは六歳。親元にいた時間の方が最早短い。

 一体どの面下げて、出戻ればいいのやらだ。

 

「その件ですが」


 声を荒げたり落ち込んだりするベアトリスに対し、レオは先程から一片の変わりもなく、感情のこもらない冷たいとも取れるような声音のまま、必要事項をベアトリスへと伝えてゆく。

 

 上から見下ろししているベアトリスは、彼の後頭部しか見えていないが、一体どんな表情をしているのだろう。

 声そのままに無表情のままなのだろうか。それともフェルナンが引き起こしたこの騒動を面倒だと苛立ちを浮かべているだろうか。

 

 それとも少しはベアトリスに同情的な表情をしていたりするんだろうか。

 

 何それ見たい。

 普段は、怜悧で研ぎ澄まされた雰囲気を身にまとい、騎士然として冷静さを崩さない彼だ。

 侍女達からは、憧れはあるが厳つくて威圧感がすごいから近寄れないと、遠巻きにされているレオだが、ベアトリスにとっては違う。

 

 何を隠そうレオは、ベアトリスの理想を体現した、長年憧れの男なのだ。


 騎士として野党討伐やら反乱軍鎮圧やら国境戦線やらで大活躍し、若干二十八歳という若さで第三騎士団長という地位に上り詰めた実力者だ。

 

 そう、これよこれ!

 この己の身一つで戦い抜く為に鍛え上げられた筋肉こそが至高なのよ!

 きっちりと着こなした騎士団服の上からでも、はっきりと分かる筋肉の隆起。気合を入れたらビリビリっと破けてしまうのではと心配する程にはちきれんばかりだ。

 いや本当は心配などしていない。むしろはちきれて欲しい。生で、この目に、至高のマッスルを拝ませて下さい!!

 

 と、状況も忘れて鼻息荒く捲し立てたい気持ちを無理やり押し込め、至って冷静を装ってベアトリスは立ち上がった。

 

 何を? と見上げてくるレオを、きゃああ何ですか上目使い、その表情もいい! 素敵! と悶えたい気持ちを無理やり押し込めて、棚に置かれていたお酒とグラスを取り出しソファに座った。

 

 何故酒が用意されているのかは、想像に容易い。酒は人の思考を溶かすのに最適だからだ。


「アングラード騎士団長、付き合っていただけますか?」

「いえ、私は」

「初夜に夫となるべき男に捨てられた惨めな女の我が侭を、どうか聞き届けて下さい。さすがにこれ以上のお話は、このまま聞くのは辛すぎます」


 などと嘘八百を並べて、ベアトリスは下心を隠して言った。

 酔わせてレオの気を緩ませ、その後素敵マッスルを堪能させてもらおうとか考えているだなんて、微塵も見せない愁いを帯びた表情をすれば、レオも断りづらかったのだろう。

 

 「では」と遠慮がちにグラスを受け取り、ベアトリスの向かいに座る。

 

「それで、私は今後どのように身を振ればよろしいのでしょう?」


 この国の国王夫妻は良い人だ。決してベアトリスの身ぐるみ剥がして、ペイッと放り出すような真似はすまいと考える。

 しかし、そもそも利用価値はそうないベアトリスだ。第二王子の妃という立場を失った今、どんな使い道があるのだろうか。

 

「国王も王妃もベアトリス王女には随分と心を痛めておいででした。同時に王子に大変お怒りで」


 まぁそうだろう。ベアトリスは二人にそれなりに目を掛けてもらっていた自覚はある。

 そして息子の所業を叱れる常識を持っている事も知っている。

 

「ベアトリス王女が祖国へ還られて肩身の狭い思いをせずに済むよう、手配をしかけていたのですが」

「ですが?」


 途中まで良い感じだったのに、最後が不安を煽る。考えていたが、そうはならなかったという事か。

 

「王子が――」

「チッ」


 本日二回目の舌打ちだ。王女として有るまじき行いだが、今ばかりは大目に見て欲しい。

 本当にあのバカ王子はロクな事をしない。

 

「あのバ……王子がなにを?」

「祖国へ帰せばどうやってもベアトリス王女は辛い思いをするだろうし、この国の心象は悪くなる」


 分かっているのか、この状況を作り出したのはお前だからな。

 まさかレオの前で発言出来る筈もなく、今この場にいない第二王子に悪辣な言葉を念で送っておいた。

 

 ぐい、とレオはグラスに注がれていた酒を一気に呷った。

 良い飲みっぷりだった。アルコールは強いのか、一切顔色は変わっていない。

 むしろ、ちみりちみりと口にしていたベアトリスの方が段々と顔が火照ってきた。頭がぼんやりとする。甘くて飲みやすいが、かなり度数は高いようだ。

 

「ですので、第二王子と比べても見劣りのしないこの国の者との婚姻に挿げ替えた方がいいだろうという事になりまして」

「なりまして?」


 そういえば、どうしてここにレオ・アングラードはいるのだろうか。

 第二王子がハチャメチャな事を言いだして、初夜放棄というか、所謂婚約破棄のような事態を招いたわけだが、何故彼がその経緯報告にこんな所まで来ているのか。

 

 そんなものは外にいる侍女に言づければいいだけの事だ。

 わざわざ、夫になるべき男のものになる準備万端のベアトリスの居る、あまりに目的がはっきりし過ぎている寝室へと踏み込み、王子の身辺警護を任されているとは言え騎士団長自らがこうして語る意味は一体なんだろう。

 

 琥珀色の酒を口の中で転がしながら、ぼんやりとベアトリスは考えた。

 

 先程から彼の強面に憂いを帯びたような表情を浮かべていて、それもまた大人の男性らしくて実に良い。

 

「ベアトリス王女にはどうお詫びすればいいか。フェルナン殿下が何故か私を代わりにと推し、国王までどういうわけか納得してしまい」

「アングラード騎士団長」


 ベアトリスが真っ直ぐに見据えれば、彼は息を呑んだ。


 たーん! とテーブルにグラスを置いたベアトリスは、その勢いのまま立ち上がった。


「なにゆえ、どういうわけか、ですって? 理由など分りきっているでしょう!! でかしたバカ王子!!」

「お、王女?」

「しましょう。是非しましょう、今すぐ結婚。いえ初夜を」

「しょ、王女!?」

「何を驚いておられるの? そういった表情も素敵ですけれど。ここはそういう場ですよ、アングラード様。分かっていて入室されたのでしょう? フェルナン王子の代わりに私の夫になると。それとも、相手がこんな小娘ではやはりお嫌でしょうか……?」


 素早くレオの傍へ寄ったベアトリスは彼の脚を跨ぐように上に座り、(お酒で)潤んだ瞳で彼を見上げた。

 

 ぐ、とレオは息を詰めた。

 ベアトリスが動いた拍子に肩にかけていたガウンは落ち、素肌が透けてしまうような儚い夜着姿が目の前に晒されている。

 十七歳という、大人になりきれず熟されていない、けれど子供でもない瑞々しい肢体が彼の膝の上に乗っている。

 

 というとても危ない状態なのだが、ベアトリスはベアトリスでとても危ない状態になっていた。脳内が。

 

 ああ、肩にちょっと触れただけでも分かるこの硬いけどしなやかさを失わない上質の筋肉。

 大胸筋、上腕部の三角筋の盛り上がりも最高だわ。

 

「アングラード様、脱いで下さい。いえ、私が脱がせて差し上げたいのですが宜しいですか」

「王女、酔っておられますね? 水を、どうか落ち着いて」

「この状況で落ち着いていられますか!! だって、筋肉が! 私の理想の筋肉がこの服の下に埋もれているというのに、発掘しないわけにはいきませんでしょう!」

「はっく、え、筋肉!?」

「さぁさ見せて下さい。なんにも恥ずかしいことなんてありません。私に、貴方の全てを曝け出して!!」

「ちょっ、ベアトリス王女!!」


 制止を無視してベアトリスは破く勢いでレオの潔癖なまでにきっちり着込んでいる騎士の制服を剥がしにかかった。

 

 前を寛げて、さらにその下のシャツもボタンを外した時点で、ベアトリスの興奮は最高潮にまで登り詰めていた。

 

「あああ、やっぱり! 想像通り……いえそれ以上だわ……」


 この大胸筋は一体何年どれだけトレーニングを積んで鍛え上げられたものなのだろう。

 ぺたりと頬をそこへ押し付けると、彼の高い体温が直に伝わってくる。

 

 筋肉の方が脂肪よりも熱量が高いというのは本当なのね!

 

 枕にするには硬いけれど、このマッスルに包まれて眠れたらどれだけ幸せだろうか。

 頬擦りするベアトリスの息はハァハァと荒い。

 

「べ、ベアトリス王女……さっきから何を」


 一回りほども下の少女にうっとりと胸元に頬を擦りつけられているという状況に、全くついて行けていない様子のレオが戸惑いがちに言った。

 

「なにをってそれは勿論、アングラード様の至高の筋肉を堪能しています」

「し、しこう」

「出来る事なら全てを目に焼き付けて撫でまわして。一つ一つ形と硬さと感触をしっかりと手に記憶させて」

「それ以上はいいです、分りました!」


 一体あれだけでベアトリスの筋肉に掛ける情熱の何が分かったと言うのか。夜通しレオの体躯の素晴らしさを語った所で半分も伝わらないというのに。

 

 むっと頬を膨らませて睨みつけると、レオは心底困り果てたという顔をしていた。

 筋肉は勿論、強面なレオの容姿も大好物なベアトリスにとってはそれもまたご褒美だ。

 

「ところでアングラード様。どうして服を脱がないんですか」

「は?」


 ベアトリスが制服の前をくつろげさせたままの状態で止まっている。何時まで経っても彼は脱ぐ気配がない。

 何故だ。どうして鍛え抜かれた巨躯を披露しようとしないのか。

 

 考えて、ベアトリスははたと気が付いた。

 ベアトリスだって服を着たままではないか。そりゃ一人だけ脱ぐのはレオとて気が引けるだろう。これは悪い事をした。

 

「分りました。私から脱げばいいんですね!」

「王女ー!!」


 胸元のリボンを外せばいとも簡単に肌を露出させてしまう心許無い作りの夜着に手をかけると、大慌てでレオが掴んで阻止した。

 ベアトリスの華奢な手などすっぽりと覆い被さってしまう、大きな手だ。剣だこまでしっかりと分かる程強く握られている事にちょっぴり興奮しつつも、胡乱気にレオを見やる。

 

「貴女は本当にそれでいいのですか。王子の我が侭のせいで、こんな一回りも歳の離れた、武骨で面白みのない男に宛がわれて。私のこの体躯を気に入っていただけているのは、その……なんとなく分りましたが」

「なんとなく、ですって!? 全然分かってないじゃない。私の気持ちは、そんなフワッとした吹けば消し飛んでしまうような、生半可な筋肉愛ではありません!!」

「愛っ!?」


 外見の好みの話のはずが、とんでもなく重い単語が飛び出した。

 そもそもレオは外見の好みの話をしたかったわけでもない。


「い、いや、私が言いたかったのは筋肉ではなく、結婚の事で」

「結婚するのに筋肉以上に重要なことなどあるとお思いですか!?」

「そりゃ沢山ありますよ!」


 ベアトリスとレオを隔てる壁は高く分厚いようだ。特に筋肉が。

 さっきから全く会話が噛み合わない。酔っ払いと論じようなどという時点で間違っているのだが、ベアトリスに自分が酔っている自覚はないし、今のレオにそこに気を回す余裕がない。

 

「私は本来、貴女のような方と結ばれるような立場ではありません」

「立場……?」

「はい。私は叩上げで武功を上げて団長になったただの平民です。王女の隣に並ぶべき貴き血など流れていないのです」


 血がなんだというのか。そこに貴き筋肉があるではないか!! と思ったがベアトリスは言わなかった。

 それよりももっと、言うべき事があった。

 

「隣に立つのに何か資格が必要なほど、私は価値のある人間ではありませんわ」


 すぅっと頭に上っていた血が引いていくのを感じる。

 お酒が入って、どこかぼんやりとしていた思考も、今は冴え冴えとしているようだ。

 むしろ指先が冷えるくらいに、全身の熱が急速に冷めていった。

 

 ベアトリスには何もない。祖国の後ろ盾も、誰かの援助も、利用価値もなにもない。この国の第二王子の婚約者という立場も失った。

 ただの役立たずの少女に過ぎない。

 

 その身一つで武功を立てて国に従事するレオのほうがよっぽど貴き存在であるとベアトリスは思う。むしろ、貧乏くじを引かされたのは彼の方だろう。

 何の役にも立たないお荷物なベアトリスを押し付けられたのだから。

 ベアトリスと結婚したって、レオには一利もないのだ。

 

 レオはただ、王子に利用されたに過ぎない。ベアトリスがレオに憧れを抱いているのを知っていて、宛がわれただけ。言ってみれば一番の被害者だ。

 

 そんな事はベアトリスにだって分かる。分かっている。だからこそ――

 

「既成事実です!」

「はいっ!?」

「既成事実が必要なのです!」

「何故そうなる!?」


 だってそうではないか。

 なにもない、何の役にも立たないベアトリスが、乗り気でないレオとこのままの流れで添い遂げるためには、それしか手が無いのだ。

 

 ベアトリスはもう一度自身の胸元のリボンに手を掛けた。

 するりとベアトリスの肌を隠していた戒めはあっけなく解かれ、柔らかな肌が露わになる。

 

 誰にも汚されていない新雪のような、色白の美しい肌を惜しげもなくレオの目の前にさらけ出した。

 レオが息を呑んだのに、彼女が気付いたのかどうか。

 

「アングラード様、貴方が憂慮しているのは、ご自身のお立場だけですか? 私に魅力を感じないだとか、一回りも年下の子供に手を出すつもりは無いだとか、そういうお考えはないのですか?」

「王女……」

「ないんですね!」

「結論出すの早すぎませんか!」


 たった数秒答えに窮しただけで、さっさと決めつけたベアトリスだった。

 しかし、彼女も焦っていたのだ。今このチャンスを逃せばもう二度と至高の筋肉をこの手に掴む事はできないだろうと。

 

 ベアトリスは、ふっと微かに笑みを浮かべた。それは相手を安心させる為のものであったが、残念ながらレオは身構えた。

 今までの経緯を鑑みれば、彼女の表情の変化に警戒して当然なのだが。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ