前編
※設定が適当です。雰囲気で読んで下さい
頭の天辺から足の爪の先までつやつや、ぴかぴかに磨かれたベアトリスは、王宮の最奥にある普段は秘された一室にて嘆息した。
皺ひとつないベッドシーツの端にどさりと座り、柔らかでしっとりとした足を徐に組む。ついでに腕組みまでして、むっつりと難しい顔をした。
薄いレースで仕立て上げられた、肌の露出の多い夜着におざなりに肩にガウンが掛けられただけのベアトリスは、男ならその姿を一目見ただけで理性を失いかけない程の破壊力を持つ艶めかしさだった。
思わせぶりに微笑みかけでもすれば、誰もが魅了されてしまうだろう。
だが彼女が今浮かべている表情は、その真逆、眉間に皺を寄せ苛々と指で腕を叩き、更には舌打ちまでする始末。
「初夜に女を待たせるだなんて、いい度胸だわ」
彼女が夜更けに、全身を磨かれ男を誘うような格好で、王宮の一室にいるのかと言えばそう、彼女が生涯を共にする者との初夜であるからだ。
この国の婚礼は、ちょっとばかり他国とは違っているらしい。
王侯貴族子女の処女性が重視されるのは変わらない。
だからこそ、この国では、婚礼の儀よりも先に初夜を済ませてしまうのだ。
大々的に婚礼を行った後に、実は妻が処女ではありませんでした。もしくは性の不一致により今後の夫婦関係が成立しないかもしれない……などとなってはいけない。
閨の問題は馬鹿には出来ないのだ。特に一国の王子ともなると子を授かる事は必須。
だったら結婚するより先に確認しちゃえばいいんじゃん? という事で、いつの頃からかこうなった。
誰だ、そんな馬鹿げた事言い出しやがった奴、とベアトリスは苛々と先人を心の中で罵った。
ベアトリスは隣の弱小国の王女であってこの国の人間ではない。
祖国は山間部にあり貧しく、この国の援助なくしてやっていけない程だ。
その為ベアトリスは人身御供にされたのだった。
この国の第二王子へと捧げられた供物だ。
幼い頃より天使のように愛らしかったのが災いした、とベアトリスは思っている。
ベアトリスに兄弟は何人かいる。幼いベアトリスが選ばれたのは、第二王子と歳が近かったという事もあるが、やはりこの容姿の受けがいいからである事実も否めない。
物心つくころからこの国へとやって来て、将来が決められていることは仕方がないと思っている。
祖国での記憶が薄いので、彼の国の為という気持ちはほぼないが、王女として生まれ、二国間の橋となるのが己の生きる意味だと言うのなら真っ当するのが運命として受け入れよう。
が、それとこれとはまた問題が違う。
ベアトリスは、第二王子が大嫌いだった。
第二王子フェルナンは、それはもう美しい王子だ。
あれほどまでに、世の女性の「理想の王子様」像を体現した男はそうはいまいとベアトリスも思う。
輝くプラチナブロンドの髪は少し長くて、前髪を掻き上げる仕草がセクシーだと王宮務めの女性陣から大絶賛を受けている。
少し甘めの細面で、エメラルドをはめ込んだかのような煌めく瞳に見つめられたら、魂まで魅了されてしまう、のだそうだ。
男性にしては少し華奢な身体つきも、か弱き貴族令嬢達からすれば、半ば絵物語から抜け出した現実味の薄い王子様として、うっとりとしてしまう要素のようだ。
しかしだ、しかしベアトリスの個人的な見解は全く違う。
いちいち掻き上げなければ鬱陶しいと思うのならば、女と違って結い上げる必要もないのだから、髪など短く切ってしまえいい。
瞳も、確かに綺麗であるのは認めるが、いちいち女と見れば流し目のような意味ありげな視線を寄越すのは何なのだ。馬鹿か、そうだ馬鹿野郎だった。
そして何より、ベアトリスがとび蹴りをしたら折れてしまいそうなあの細い軟弱な腰つきがいただけない。
男なら鍛えて、女性をがっちりとその手で守れるだけの筋肉をつけろと言いたい。
そして見た目だけではない。中身もまたベアトリスはフェルナンを受け入れられないでいた。
自分が女を尽く魅了する容姿をしている事を、彼は誰よりも熟知している。まぁあれだけ秋波を送られていて、一切気付かないような鈍感では、将来この国を動かしていく人間として失格だ。
何故そんな中途半端に長い髪を維持しているのかと本人に聞けば、そういう仕草が女性に大層受けるからだと返された。馬鹿だと思った。
細い体躯もそうだ。女性はゴツイ男よりも、こっちの方が好きみたいだからと。
だがベアトリスは知っている。
フェルナンが筋肉をつけないのは、それだけが理由でない事を。
彼は運動が苦手なのだ。
護身剣術くらいは無理やり教え込まされたらしいが、それもギリギリ及第点というレベルで、全く彼の剣術は使い物にならないようだ。
王子であるから、普段から護衛は付についているので、彼が近衛騎士と同様の強さを持っている必要はない。ないが、情けないとベアトリスは思うのだった。
知恵と策略を巡らせることも強さの一つだと分かっているが、男ならばやはり腕っぷしの強さだろう。
人間とて所詮動物である。小賢しい思考など取っ払って本能に従った場合、女はやはり武に勝る男に惹かれるものだと。
全てを取っ払って残った男の魅力は筋肉であると。
しかも見せかけではダメだ。ちょっとくらい筋トレしてついた程度の薄っぺらい筋肉には興味が無い。そんな奴に「鍛えてるんだぜ」みたいに言われたら、思わず顔面をパンチしたくなる。
筋肉は、騎士のように、日々厳しい鍛錬の積み重ねによって出来上がった、実用的で強固な物でなければならない。
剣を握り敵を退ける為、そして人を守る為の屈強な肉体こそが! とベアトリスは声を大にして言いたい。
つまるところ、ベアトリスの好みは優男な美形ではなく、筋肉質で腕っぷしの強い男であり、フェルナンはベアトリスの好みからかけ離れているというだけの話だ。
そしてフェルナンもまた、ベアトリスは彼の好みとは真逆らしい。
ベアトリスは祖国では平均的だが、この国では小柄な身長だ。
身体を動かす事が好きだからか身体はしなやかで、つんと澄ました表情を見せるその美貌も、気を許さない猫のようだ。
だがフェルナンは、どちらかと言うと背が高く、それでいて甘えたな子犬が尻尾を振ってまとわりついてくる女性が好きだと言った。
そんな発言をする王子にドン引きしたのはベアトリスで、時折始まるベアトリスの筋肉談義にフェルナンは食傷気味だ。
欠片も相性の合う余地のない二人の初夜が、これから始まろうとしていた。
ざわりと部屋の外がざわついてような気がした。
ようやっと王子様のお出ましか、とベアトリスは再度舌打ちする。
自分達の好みがどうこう言った所でこの結婚が覆る事はない。なんだかんだと文句を述べた所でベアトリスはただの人質なのだから。
とりあえずベアトリスは義務としてフェルナンの子を産まなければならない。逆に言えば、一人子を儲けてしまえば、あとは距離を保って接していいのだ。
フェルナンはお好みのワンコ系女子でも侍らせて、よろしくやっていればいい。
そうなれば子は早ければ早い方がいいだろう。
運が良ければ一回で出来る事もある。
つまり今夜、ワンチャンスでフェルナンとの閨が終了する可能性だってあるのだ。
そう思えば耐えられるかもしれない。
「姫様……あの、到着、されました」
どこか戸惑ったような侍女の声に首を傾げつつ「入っていただいて」と返した。
静かに扉が開いて、中に人が入ってきた気配がある。
ベアトリスは反対を向いていたので、フェルナンがどんな表情で入ってきたのかは分からない。
いつもは不必要に喋る男だが、未だ一言も発しないのはどうしてだろう。柄にもなく緊張しているのだろうか。それともやはりベアトリスとこうなるのは不本意だと拗ねているのだろうか。
こちらとてお断りだ。
筋肉のない軟弱男に触れられるのなんて、御免こうむりたい。けれどそんな我が侭、許されないではないか。
「閨で女性に声も掛けないなど、無粋だと思わないの、です……か?」
近くまで男がやって来たのが空気で伝わって来て、ベアトリスは噛みついた。いや、噛みつこうとして、損ねた。
彼女のすぐ側で、跪き頭を垂れているのは、服の上からでも分かるガッシリとした体躯の長身の男だった。
「え、え? フェルナン……?」
ベアトリスの知っているフェルナンと随分違う。
薄っぺらい笑みと身体の優男ではなく、男らしい太い首とそこから肩や胸元も硬い筋肉の鎧で纏われ、寡黙そうな雰囲気が漂っている。髪の色まで違う。短く切られた髪は薄暗い室内でも分かる漆黒。
も、もしかして!?
ベアトリスは息を呑んだ。
もしかしてフェルナンは夫婦仲を円滑にするために、ベアトリスが常日頃から語っていた男性の理想像に肉体改造してくれたのだろうか。
更にベアトリス好みの、野性味のある武骨な男に大変身してくれたのだろうか。
目の前にある屈強な体躯を目に焼き付けながら考える。
……なんてな。
前に会ったのが一週間前であるという事を考えれば不可能な可能性に思考をやっていると、男が口を開いた。
「ベアトリス王女、まずは本来なら許されざる身でありながら、神聖なる間へ押し入ったご無礼をお詫びします」
低く耳障りの良い、硬質な声がベアトリスへ許しを請う。
「いえ……ええ」
まったく事情が呑み込めないベアトリスは曖昧な返事をした。
そして、すっと面を上げた男の顔を見下ろし、今度こそベアトリスの頭が醒めた。
その瞬間、ベアトリスはカッと目を見開く。
「レオ・アングラード騎士団長!?」
なんだってぇ!?
自分で名前を呼んでおいて驚いた。
「どうして貴方が!?」
なんで、だって、彼は、とベアトリスの脳内は大混乱だ。
どうして、王族の初夜にしか開かれない部屋に彼が入って来たのか。
身を屈めるよう乗り出したベアトリスに、再度レオは頭を下げた。
「フェルナン殿下は今宵、こちらへ上がる事はありません」
「はい?」
「殿下は、既に心に決められた方をお見付になり、ベアトリス王女の元へ渡る事は出来ないと」
頭を下げたまま、淡々と事実のみを語るレオの言葉は、すんなりとベアトリスの耳に入ってくる。
故に、フェルナンの所業が手に取るように伝わってたものだから。
「チッ」
ベアトリスはレオの前だというのに、思わず舌打ちをしてしまった。
僅かに肩を揺らした巨躯の騎士団長に、しまったと悔やんだがもう遅い。それもこれもあのバカ王子のせいだ。
他に見初めた女がいる。きっと今が恋情が一番燃え盛っている状態で、とても気の合わないベアトリスの元へ来る気になんてなれないという事か。もしかしたら相手の女に、他の人の所になんて行かないで! とか可愛く嫉妬されてデレたのかもしれない。馬鹿だ。
ベアトリスは指で眉間をグリグリと揉んだ。
「まぁ、側妃でも愛妾でも仲睦まじくしていただくのは構いませんが」
「いえそれが、その、大変申し上げにくいのですが、その方を正妃になさると」
「はぁぁ!?」
吠えたベアトリスに、レオが頭を一段と低くした。彼に怒っているわけではないし、彼が悪いわけではないのだから、そう恐縮する必要はないのだが、そう伝える余裕がベアトリスにもない。
フェルナンのせいで怒りの臨界点を突破してしまっていた。