エピローグ1/2
「……なあ、何もこんなところで待たなくてもよくないか?」
ガードレールに腰かけ、詩乃が所在なさげに問いかけてくる。
「詩乃って結構内弁慶よね」
普段は飄々としているクセに、馴染みのない場所になるとしおらしくなる。詩乃のそんなところも可愛げがあって好きだけど、それをイジらないほど、あたしも優しくないぞ。
「どうせ私は内弁慶だよ……。にしたってこれ、どう見ても敵対高校の連中を待ち伏せしてる不良だろ? お前こそよく堂々としてられるな」
どうしても落ち着かないのか、詩乃は手持無沙汰に腕を組んだり、あちこちに視線を動かしたりしている。はっきり言ってだいぶ挙動不審だ。
「いや、そっちはもっと堂々としててよ。逆に怪しまれるから」
ここはとある学校の正門前。詩乃の言う通り、ここでとある人物を待ち伏せ中だった。
陣取ってからしばらく、物珍しそうな顔をした男子生徒が何組か声をかけてきたが、二人して軽く一睨みくれてやると蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまった。もう少し度胸があってもいいだろうに、張り合いのない奴らだ。
「……にしても来ないな~」
『太陽ルチル』壊滅がきっかけで、魔女の存在は魔の付く業界全体の知るところとなった。
あたしは魔獣に魂を売った哀れな魔女として。詩乃に至っては名前そのものが裏切者の代名詞として、魔法少女たちの畏怖と侮蔑を一身に集めている。
こうなってしまった以上、これまでのような戦い方はできない。
魔女最大の利点は『誰にも知られていないこと』だ。それが破綻してしまった以上、これからの魔法少女たちは、呑気に奇襲なんぞさせてはくれないだろう。
もしかしたら、あたしたち専門の討伐部隊なんてのも作られるかもしれない。そう考えるとひたすら憂鬱だけど、考えたところで意味がないのも事実だった。
「…………来ないな~」
正体がバレてしまったことによって、中には自宅を特定し、突撃してくる輩も出てくるかもと戦々恐々だったのだが、これに関しては杞憂だった。
あとで知ったことだが、魔法少女には変身している時以外、他の魔法少女の私生活には干渉しないという不文律があるらしい。この決まりごとに関しては魔女も例外ではないらしく、かろうじてあたしの日常は守られた。
魔界側としても、下手にこちらの世界を騒がせ、魔界というもう一つの世界の存在が気取られるような事態は避けたいようだ。
要は、『バレなきゃ何やってもいいから絶対バレんじゃねーぞ?』ということだ。
「アレじゃないか?」
詩乃に耳元で囁かれ、回想から現実に引き戻される。
「お、来た来た」
詩乃の視線を伝っていくと、トコトコと正門へ向かって来る一人の女子生徒を捉えた。
革製のカバンを丁寧に両手で持ち、背筋をキリっと伸ばして理想的な姿勢を保っている。それだけでも育ちの良さが窺える所作だが、何より眼を引くのが、毎日着ているとは到底思えない、キチンと整えられたブレザーの制服だ。
「いいよなーブレザー。あたしも一度くらい着てみたいなー……」
ただただ純粋に羨ましかった。あたしたちにとってブレザーの制服は、どこか田舎臭い印象の抜けきらない宮境高校のセーラー服とは、対極にある存在だったから。
「愚痴こぼしてないで行けよ」
「そうね。行きますか」
ガードレールから身体を浮かし、目的の少女へ。
「やっほ~久しぶり~! あたしたちのこと、憶えてる?」
「──⁉ え?」
完全にナンパの手口だった。我ながらこれはだけはないなと思ったけど、これしか考えつかなかったのだからどうしようもない。
「……へ? わ、私……ですか?」
案の定、少女は混乱したようにあたしたちの顔を交互に見回し、頭にポコポコとはてなマークを浮かべている。まあ、常識的に考えて正しい反応だよそれが。
これが音に聞こえた『太陽ルチル』のヒカリ様と同一人物だとは、誰も思うまい。
この一見、控え目な印象の少女が、何をどう取り繕えばあんな捕食者だか簒奪者みたいな性格になれるのか、不思議でしょうがない。
「あたし、四ヶ郷棗。そっちの仏頂面が赤岩詩乃ね」
「誰が仏頂面だ誰が」
そういえば、本名を伝えるのは初めてだったと思い、警戒を解かせるという打算を込めてこちらから自己紹介をする。後ろで文句垂れている人は放っておく。
「あ、えっと──屋代晃子です。日の光って書いて晃子です。よろしく……」
そう言ってぎこちなくもほほ笑む少女からは、やはり粗暴で乱暴だったヒカリの面影は微塵も感じられない。そこにはひたすら、清楚でおしとやかな晃子お嬢様がいた。
「あの、どこかでお会い、したんですよね? ごめんなさい、どうしても思い出せなくて──」
申し訳なさそうに、晃子は表情を曇らせる。
「あ~いいのいいの! 気にしないで。忘れられてるってことは、わかってたから」
魔法少女時代を知っているだけに、その顔でシュンとされると逆にやり辛い。
「──約束したからさ。あなたと、友達になろうって」
少し間を置いて、あたしは今日の目的を告げた。
「え? わ、私と……ですか?」
「そう、あなたとあたしでね。あなたは憶えてないかもだけど、約束……したんだ」
晃子を見つめながら、この人の胸に闘剣を突き刺した、あの日あの時を思い出す。
『……アカリを、頼む。そしたら、なってあげてもいい、わ……友達、に──』
それが、魔法少女ヒカリの遺言だった。
今際の際とはいえ、自分からすべてを奪った人間相手に、ヒカリはいったい何を思ってあんな言葉を遺したのか。今となっては永遠の謎だ。
「──だから、友達になりましょう。あたしたち」
すっと手を差し出す。とにもかくにも、まずは言った本人と友達にならなくては。
「……えっと」
晃子が恐る恐る手を伸ばしてくる。こちらから吹っかけておいてなんだけど、こんな怪しい輩にホイホイ応じる晃子もアレだと思う。
パシンッ!
触れようとしていた手が、横から現れたもう一つの手に叩き落とされる。
「ちょっ──何するの灯子⁉」
晃子が突然の闖入者に向け、声を荒げる。あたしもつられるようにそいつを見る。
「はあ……、はあ……、はあ……」
本気で走って来たのか、少女──というかアカリが肩で息をしていた。
「ち──っ!」
聞こえよがしに舌打ちすると、アカリは親の仇を見るような──実際、仇ではある──眼つきであたしを見上げる。晃子の学校を調べた時、小中高の一貫制だからもしかしてと思っていたけど、期待を裏切らない子だ。
「行こう。お姉ちゃん──」
「行こうじゃないでしょ? ちゃんと謝りなさい!」
「いいんだよそんな奴ら! ほら、行くの──」
取り付く島もなく、アカリは強引に晃子の手を引き、逃げるように去っていく。
「あんたの名前も、教えてほしいわねーっ!」
距離が空いてしまったので、両手を口に添えて声を張り上げる。
「…………っ!」
悔しさに歯を食いしばるような気配が一瞬だけ伝わり、しかしアカリは答えぬまま、晃子とともにどんどんと遠ざかっていく。
《──だ》
突然、頭の中から声が聞こえてきた。紛れもなく念話だ。
《屋代灯子だ!》
歩みを止めず、顔だけをこちらに向け、アカリ──灯子はあたしを睨み付ける。
《憶えとけ! それがお前らの喉元掻っ捌く、魔法少女の名前だ‼》
念話でそう言い捨て、今度こそ灯子は前を向き、歩調を強めて行ってしまった。
途中、晃子が何度か振り返り、ごめんなさいと小さく会釈してくれていた。
「……そっか」
その反応で、あの姉妹が普段どういう役割関係にあるのか想像できた。
おそらく晃子は、灯子が指揮役に向いていることを早い段階から見抜いていた。だけど灯子はまだ幼く、他の魔法少女から侮られてしまうのではと危惧した。そこで自身が副官として高圧的に振る舞うことで、その動きを抑えていた、と。
『太陽ルチル』とは、そんな姉妹二人が手を取り合って成立していた、砂上の楼閣だったというわけか。それをあたしが見るも無残にぶっ壊したとなれば、あんな顔もされるわね。
ヒカリがどう考えていたのかはともかく、アカリがあの調子なら問題なさそうだし、万が一があったところであたしの出る幕は絶対ない気がする。
「あいつにとって私たちは、姉を奪った大悪党だ。差し詰めあいつは、それに立ち向かう正義の魔法少女ってところか?」
おおげさに肩をすくめ、詩乃が微笑を浮かべる。
その眼はこれっぽっちも笑っておらず、未だにあたしがアカリを討伐しなかったことに納得していないと、暗に示していた。
「そんなの知ったこっちゃないわよ」
チクチク刺さる相棒の皮肉を、堪えた風もなく受け流す。
この世界に明確な悪や正義は存在しない。そいつにとって都合がよければ正義で、そうでなければ悪。立場が違えばいとも容易くひっくり返る、曖昧で面倒な代物だ。
だからこそあたしたちは、あたしたちの信じる悪を貫くのだ。
二人が去って行った方を見やると、角を曲がったらしく、姿は見えなかった。
「用事が済んだなら帰るぞ。今日もどうせ討伐行くんだろ? 少し寝かせてくれ」
こっちの返事も待たず、詩乃は来た道を行ってしまう。それは奇しくも、晃子と灯子とは逆の方向だった。
「……そうね」
足早に先を行く詩乃の背を追う。行く道は逆だけど、灯子──アカリとは、そう遠くないうちに会うことになるだろう。
あたしが魔女であり、あの子が魔法少女である限り。どちらかがそうでなくなるまで。