第四章
「……いよっし」
早朝の学校、意を決して教室へ。
「おはよう、詩乃」
「お、おう、ナツか。……おはよう」
すでに登校していた詩乃と短いやり取りをしてから、カバンを降ろして席につく。
「……ふ、ふう」
ケンカした友達と和解したような気まずさがあたしを包む。まあ、町の歴史に残るような大立ち回りを繰り広げた昨日の今日で、普通に接しろってのが土台無理に話だわな。
あれからあたしと詩乃は、交代で唯姉さんをおんぶして学校に連れ戻した。生徒会室で居眠りをしていたという体で、書類やら筆記用具を適度に散らかしてと、妙な小細工もした。
そして無事、誰にも見咎められずに変身を解除して、詩乃とは解散した。
帰宅してすぐ、ケーブルテレビのニュースを見てみると、さっきまで派手にやりあっていた現場が画面の中にあった。パトカーのサイレンが周囲を赤色に染め、立ち入り禁止のテープが張られ、ところどころブルーシートで被われていたりと、とんでもない事態になっていた。
食い入るように見ている横から、父さんと母さんが『これ棗がやったの? すごいわね!』と、なぜかウキウキで尋ねてきたが、とても一緒になって騒げる気分じゃなかった。これが現場から逃走した犯人の心境なのかと、知りたくもないことを学んでしまった。
結局ニュースでは『落雷により、車のガソリンへの引火して爆発』という、結論にまとまめられていた。こじ付け感がハンパないが、体裁的にはこんなものだろう。
「…………」
頬杖ついて窓の外を眺めている詩乃をチラ見。一夜明けているし、あっちも昨日のアレがどう報じられているかも知っているはず。さて、どんな切り口で話しかけたものか……。
『ナツ。昨日の件は放課後、視聴覚室で話すぞ。それまでは普通にな』
「──きょ⁉」
なんて思考を巡らせていると、頭の中から詩乃の声が響いてきて、素っ頓狂な声を上げて立ち上がってしまった。
『……?』
当然、クラス中から痛々しい人を見る視線があたしに集中する。
「あ、えっと──ゴホッゴホッ! ウォッホン!」
とりあえず、咳が変な間で出てしまった演技で誤魔化していく。
今のってまさか念話? なんで詩乃が使えんの?
『何驚いてんだ? 念話くらい魔法少女の初歩の初歩だろ? ああ、お前は魔女だったか』
さも当然とばかりに念話で言ってくる詩乃。ていうか、念話ってそんな簡単にできんのな。……じゃあなんであの犬は教えてくれないんだ気の利かない奴だなまったくもう。
《? まあいい。とにかく、放課後に視聴覚室だ。忘れるなよ?》
あたしの挙動不審が気になったらしく、詩乃は少し強めの口調で念を押してきた。
「~~っ!」
うん、了解。放課後に視聴覚室ね!
通じているのかわからないけど、とりあえずジィーっと詩乃を見つめ、眼力で訴えかける。
『こっち見んな。私まで変な奴だと思われる』
詩乃は視線だけこちらに寄越すと、プイッと顔を背けてしまった。
授業も終わり、掃除当番も終わり、いつも通りの放課後。
「…………ふう」
視聴覚室の前で深呼吸。そういや、なんで視聴覚室なんだろ? 詩乃のお約束大好き思考から考えて、屋上とか校舎裏だと思ったんだけどな。
「しっつれーしまーす」
入る前に左右に気を配り、誰にも見られていないことを確認してドアを開く。
「よし、来たな。じゃあ答え合わせといこうか」
キャスター付の椅子に腰かけた詩乃が、エラそうな姿勢で待っていた。
「えーっと……ケンがいないけどどうする?」
あたしの魔獣・魔法少女に関する知識はケンから教えられたものなので、情報の摺り合わせをするならば、あいつかいた方がいいのだが。
「安心しろ。あの犬っころなら──」
《──あなたの後ろにいます》
「うお⁉ だからびっくりさせんなよなんでいるんだよここに⁉」
背後からの声に振り向くと、ケンがでお座りしていた。息ピッタリすぎるだろお前ら⁉
「役者は揃ったな。まずは、私の行動だが──」
詩乃が口火を切って、話し合いは始まった。
唯姉さんが魔獣に連れ去られ、あたしたちが旧校舎に向かっていた十数分前、詩乃の端末に『魔獣に操られた魔法少女が、宮境高校の生徒を連れ去った。追跡のため、当座標に向かわれたし』と連絡がきていたらしい。
現場に急行した詩乃は、倒れている唯姉さんを発見。生存を確認したのち、隠蔽を展開して現場を捜索中、あたしたちと鉢合わせて戦闘になった。──ということだった。
「じゃあ、詩乃が唯姉さんを攫ったわけじゃないのね?」
「当たり前だ。いくら私でもそんな狡い真似するかよ。そもそも意味がわからん。私はあの時まで魔女の存在なんか知らなかったんだぞ? どうしてそんなことができる?」
少々キツい詩乃の言動がこちらに投げかけられる。
「そう、だね。ごめん、疑ったりして……」
「わかってくれたならいい。……こっちもすまん、ついな」
どちらともなく謝罪し、この件は水に流す。
「……やはりさっきナツが言った、魔獣が会長を人質に魔法少女をおびき寄せようとして、こちら側の対応が 早すぎて慌てて逃げたって線が妥当だと思うけどな」
「う~んそうなのかな~。あたしは魔獣がそんなことするとは思えないんだけど……」
お互いの嫌疑は晴れたものの、それはそれで謎が深まるばかりだった。
《現時点では情報が少なすぎます。ここで憶測を重ねるのは危険かと。ひとまずこの議題は保留とし、次の疑問を解消してはどうですか?》
身内が疑われるている状況が気まずいのか、ケンは話を変える方向を促してくる。
「だね。了解了解」
魔獣に手を貸す側として、その気持ちは痛いほどわかるので、素直に乗っかる。
「そんじゃあたしから。詩乃はあの時、あたしだって気が付かなかったの?」
《それは認識攪乱によるものですね》
あたしの疑問に答えたのは、詩乃ではなく傍らにいたケンだった。
「な、何? 認識?」
《あなたの魔装衣にも組み込まれていますよ。──認識攪乱とは、そのままの意味で、相手の認識を攪乱します。例えば変身中、第三者に素顔を見られたとします。しかし、変身を解除している時に素顔を見られても、気付かれることはありません》
「なんで?」
《とりあえずそういうものだと考えて下さい。魔法少女にも同じ機構があるのでしょう。赤岩さん、あの籠は認識攪乱を二重がけするためのものですね?》
「ああそうだ。余所ならともかく、この町だと知り合いに出くわす可能性があったからな。念のためだ。結果論にはなるが、今回はそのせいでぶつかることになったわけだけどな」
と、詩乃は自嘲気味に苦笑して肩をすくめる。
「……ってことは、あたしが詩乃の籠を壊したから、あたしは詩乃だって気付けたのか」
《正解です。赤岩さんが棗の正体を看破できたのも、棗が赤岩さんの名を呼んだことがきっかけでしょう》
「なるほどな。わかりやすい解説だ」
隣で詩乃が飄々と聞いているけど、もしあのまま互いの正体がわからなかったら、あたしは詩乃を討伐していたわけで、それを考えるとぞっとしない。
《ちなみに認識攪乱は近しい間柄であるほど効果が減衰しますので、留意して下さい》
「え? それじゃ意味なくない?」
近しい間柄っことはつまり、家族や知り合いには効かないってことか? 一番隠したい人相手に隠せないとか、役立たずもいいところだ。
《まったく機能しないわけではありません。少々効きが悪くなる程度です》
「要はお守りみたいなもんだってことだろ? いくら認識攪乱があったとしても、こそこそするに越したことはない」
《そういうことです。理解が早くて助かります》
今一つ納得していないあたしに、納得していた一人と一匹が話題に蓋をする。ちょっとこの扱いヒドくないですかね?
「私からも聞かせろ。お前、魔兵装二つ持ってただろ? あれはなんだ?」
「ああ、アレ?」
「ああ、アレだ」
言われてそういえばと、ぶっつけ本番で『快刀乱魔』を出したことを思い出す。
「何か特別な手続きでもあるのか? 私も欲しい。二本目の魔兵装」
興味津々を隠そうともせず、詩乃がグイグイ顔を寄せてくる。自身の戦闘力に関わる話題とあってかなり必死だ。
《残念ながら難しいですね。あれは棗の運用魔力量によって生みだされたものですので》
「運用魔力量? 私たちとは何か仕組みが違うのか?」
《ふむ、その辺りの説明もしておいた方がよさそうですね》
と、ケンは仰々しく頷いた。
《魔法少女は端末と契約することにより、魔力を行使できる身体へと調整します。その過程であなた方は、魔人側に魔力を上納する回路を強制的に形成されてしまうのです》
「……つまり、私の知らないうちに身体から魔力が吸い上げられてるってことか?」
《はい。個人差はありますが、おそらく二割から四割程度かと》
「え、そんなに?」
最低でも五分の一、下手すれば半分弱とか、地上げ屋もかくやという割合だ。
《そして、魔女である棗にその義務はありません。つまり、棗はすべての魔力を自分のためだけに運用できるのです。魔女の持つ優位点の一つですね》
「そういうことか。私たち魔法少女からしたら、ずいぶんと羨ましいことだな」
詩乃は残念そうにため息をつき、あたしにガンを飛ばす。そんな不可抗力案件で睨まれましても困るのですが……。
《ですので、赤岩さんに同じことをしてあげることはできません。どうかご理解を》
「……わかった、諦める。説明ありがとう」
煮え切らない様子ではあったが、詩乃は小さな声でお礼を添えて引き下がった。
「──で、なんであんたはそういう大事なことをいつもあたしに言わないのん?」
一段落したところで、今度はあたしがケンに疑問をぶつける。
《慢心は禁物だからです。あなたのことです。魔法少女よりも初期能力が高いなどと知らされていたら、油断しないまでも、大なり小なり相手を侮っていたのではありませんか?》
「……むう」
心の中で納得してしまう自分がいた。ケンの言う通り、事前にそれを聞いていたら、どこかで『こいつはあたしより弱い』なんてことを思ったかもしれない。少なくとも、最初から本気で戦いに臨もうとは考えなかっただろう。
「──だとしても言っておくべきことなんじゃねーの?」
「まあ、お前の場合、勝負事で手を抜いたりはしないんだろうが、知ってるのと知らないのとじゃ気持ち的にも大違いだしな。そいつの言ってることは、間違ってない」
「むう……」
意外な方向からの援護射撃にぐうの音も出ない。
「……そういえば詩乃、あんた端末は? まさか、近くにいないわよね⁉」
聞きながら雅の一件を思い出し、視聴覚室全体に視線を走らせる。
「端末? ……ああ、精霊のことか。私のはこいつだ」
そう答えると詩乃は、手のひらに収まる程度の、ゲーム機のような物体をポケットから取り出し、あたしに差し出してきた。
「……何これ?」
反射的に受け取ってしまったそれを、ためすがめつしにがら尋ねる。
「何って、見たことくらいないか? ポケベルだよ。ポ・ケ・ベ・ル」
「ポケベル? ……あ、ああ! なんか聞いたことある! へぇ~これがそうなのか」
実物を初めて見た。こういう機械も端末になるのか。端末と言えばほとんどがぬいぐるみとか、生き物を模した物に宿っていたからピンとこなかった。
「父さんの形見だ。驚いたよ。いきなりこれが動きだした時は」
《ポケベル。正式名称を無線呼び出し。小型受信機に合図を送る通信機器です。連絡を取りたい相手が持っている通信機器に情報を知らせるのが主な用途となっています。携帯型無線機の先駆けとも言える機器であり、昨今ではもう生産されていないようですね》
「……なんであんたがそんなこと知ってるん?」
《今、魔力を使って検索、引用しました。この世界の文明は本当に便利ですね》
「…………」
胡散くせーっ! どんだけ万能なんだよ魔力さん。てか、こいつの使ってる『魔力』って、絶対あたしたちが使ってる『魔力』とは違うものだよね。
「……これ、壊れてるけど、ちゃんと使えるの?」
受け取ったポケベルは、なぜだか画面はひび割れ、全体的に歪んでいた。
「そりゃあ、あんだけキツい蹴りもらえばぶっ壊れるだろうさ」
「……ああ」
昨日の最後に決めた、あの一撃で壊れちゃったのか。
「謝らないわよ。あの時、少しでも気を抜いてたら、やられてたのはあたしなんだから」
これだけは譲れない。ここで謝ってしまえば、あの時『生きよう』としていた自分の気持ちを否定することになる。
「わかってる。負けた理由までお前に用意されてたまるかよ。勝とうが負けようが、すべて私の責任だ。あれは、私がナツより弱かったから負けたんだ」
「う、うん。わかってくれてるなら……いいけど」
ホント、言うことがいちいちカッコいいなこの女子は。
なんて感傷に浸っていると、詩乃の『そんなことより!』という声に我に返る。
「お前たちの話も、洗いざらい聞かさてもらうぞ」
「──んで、現在に至る。と」
とりあえず詩乃には、ケンとあたしの出会いから今日までを、かい摘んで説明してあげた。
「なるほど、事情はわかった。最初に出会う勢力が逆だとこうも情報が偏って聞こえるのか。昨日はなんだこの裏切者と思ったけど」
詩乃は顎に手を当て、ウンウンと頷く。どうやら信じてもらえたらしい。和解とまではいかなくても、魔女と魔法少女が互いを理解し合う、最初の一歩だ。
「にしても、内に眠った狂気を吐き出すために戦うとか、つくづくぶっ飛んでるな。報酬のために戦う私と、目的と手段がてんで逆だ」
疑問が解消してすっきりしたのか、詩乃が冗談めかした感じで言ってくる。
「……まあ、そっち側にしたらそうよね」
報酬のために戦う魔法少女からしてみれば、戦うこと自体が目的のあたしはさぞ滑稽に映ることだろう。
「そういう詩乃の報酬ってさ──」
「ああ。察しの通り、金銭だ」
なんとなく聞きづらかったことを、詩乃はあっさりと答えてくれた。
「そっか。……やっぱりそれって、お兄さんの?」
「ああ、手術代を貯めてる。目標額にはまだ遠いけどな」
珍しく詩乃の口が軽い。そんなことまで話してくれなくてもいいのに。
詩乃の家庭事情は、前に本人からそれとなく聞かされていた。詩乃がほとんど毎日、必死にバイトしているのも、すべてはそのためなのだ。
だからこそあたしは詩乃を尊敬しているし、できることがあれば協力したいと常々思っていた。……今はその対極ともいえる立場にあるけど。
「そっか。バイトをまとめたって言ってたけど、よりにもよって魔法少女とはね」
詩乃が昨日、話ずらそうにしていた姿を思い出す。そら『魔法少女始めました』なんて口が裂けても言わるわけないわな。
「お金はどうやって受け取ってるの?」
「指定した口座に振り込まれる。そこは普通のバイトと同じだな。命を張っているだけのことはあるぞ。個体差はあるけど一匹辺り平均──」
「あー待った待った! 言わなくていいから!」
両手で制して詩乃の言葉を遮る。こっちから聞いておいて悪いけど、救えなかった魔獣の命の単価なんて聞きたくもないし知りたくもない。
《今の話を聞いて疑問に思ったのですが──》
「ん、なんだ?」
《なぜ討伐の報酬で兄上殿を直接治さないのですか?》
「…………」
ケンのもっともな問いかけに、詩乃の眼がわずかに細められる。
《報酬を一度金銭に返るとなると、この世界の医療で治療を行うことになります。無論、医者も万全は期すのでしょうが、確実に成功する保証はありません》
「おい、ケン。もうその辺に──」
《その点、報酬で病を完治させれば、失敗の危険性はなく、再発の可能性もありません。あなたほどの思慮深い方が、これを思いつかないはずがない。なぜです?》
ケンの瞳からは、仲間を殺された恨みや怒りは感じられない。どうやら、ただ純粋に好奇心から質問しているようだ。
「信用できないからだ」
静かに、しかしキッパリと、詩乃は断言した。
「この力を手に入れられて、感謝してる。これは本当だ。初めて魔獣を倒した報酬が振り込まれてた時、私は震えたよ。高校生の私が、どんだけバイトしても稼げないような額だったからな。これならなんとかなるかもしれないって、そう思った」
詩乃は天井を見つめ、言葉を紡いでいく。あたしたちに話すというよりも、どこか独白に近いものがあった。
「でもやっぱり、心のどっかでこの力を信じきれてない自分もいるんだ。これは所詮、後付けの力だ。ある日突然、とんでもない代償を払わされるかもしれない。そうなったら逆戻りだ」
あたしとケンはただ、黙って詩乃の話に耳を傾ける。
「だから私は金を稼ぐ。魔獣を倒して、磨り潰して、その金で兄さんを治す。奴らに兄さんは触らせない! 兄さんを救うのは私だ。そんなとこまで面倒見られてたまるかよ!」
溢れ出る野心と、せめてもの意地が詰まった、静かな叫びだった。
「それに人一人の病気を治すのには、かなりの魔獣を倒さなきゃいけないらしい。その間に私が討ち取られたら水の泡さ。でも金なら口座には残る。記憶を失えば使途不明金にしか見えなくなるけど、私の性格なら確実にネコババする。だからこれでいいんだ」
最後に詩乃は、肩をすくめる仕草でおどけて見せ、話を締めた。
「……そっか」
やっぱり詩乃はすごい。
一見、感情的に魔力を嫌っているだけかと思いきや、自身が討伐されるかもしれない未来も視野に入れて先のことを見据えている。場当たり的なあたしとは大違いだ。あたしの場合はそもそも選択肢すらなかったような気がしないでもないけど……。
《生意気を言いました。謝罪します。あなたの心根には、我ら魔界の住人にも動かせない、強い信念があるようですね。これからも貫くとよいでしょう》
「え、ちょっとケン! いいのそんなこと言って! 詩乃はあんたの……魔獣の敵なんじゃないの? もっとこう──戦うのを止めさせるとか、説得するとかないの?」
《構いません。確かに現在、魔獣は存亡の危機にありますが、戦うこともまた魔獣の宿命。種を絶やさず、繁栄させることだけが王の務めではありません。時には犠牲を強いてでも、強さを維持・向上させ続けることが必要不可欠なのです》
「あんたが、そう言うなら……」
こいつもなんだかんだで、一つの集団を束ねる代表なんだな。──それに巻き込まれているあたしって何? とか考える日もわりとあるけど……。
《何より、私ごときが言葉を並べたところで、赤岩さんの決意が揺らぐようなことはないでしょう。あなたにとって、兄上殿が最も大切であり、生きる目的そのもののようですから》
「……そこまで言われると……反応に困る」
か細い声で答え、詩乃は顔を真っ赤にして俯いてしまう。きつく握られた拳がプルプルと震えている。本当に恥ずかしがっているらしい。
「うっわ……かわええ──ンゴ⁉」
「お前黙れぶっ飛ばすぞっ!」
その拳の片方があたしに飛んできた。
「痛て―よ! 言ってるそばからぶっ飛ばす奴があるか!」
「うるせぇ手加減はした!」
「当たり前だ! なんだよ照れんなよ! あたし一人っ子だからむしろそういうの羨ましいぐらいだっての! いいじゃんかよ家族なんだから!」
「そういう問題じゃない……っ! ああ、もう──」
半ばやけくそな感じで、詩乃は頭をかきむしるようにして背中を向けた。結われた三つ編みの隙間から見えるうなじは、顔に負けじと真っ赤だった。普段からお澄まし顔ばっかり見てきたからか、取り乱した詩乃は新鮮だった。控えめに言って超かわいい。
《一つ確認したいのですが──》
追撃するかのような絶妙な間で、再びケンが斬り込む。
《赤岩さんは、これからも魔法少女を続けていくと考えてよろしいのですね?》
「え? ああ、そうだよ。そう言ったろ?」
変な状態で話を戻されて、苛立たし気に振り返る詩乃。
《ならば、我々は協力し合えると思いますよ?》
「……聞かせろ」
《これは推論ですが、魔法少女は現在爆発的に増員され、現場では魔獣の取り合いが頻発しているのではありませんか?》
「ああ……ああ、その通りだ! 近頃は現場に行っても必ず先客がいるんだ。そのせいで魔法少女同士の小競り合いまで起きる始末だ。おかげで商売上がったりだ」
「商売ってあんたね……」
商いじゃないんだから。って、お金もらってるなら間違ってはいないのか?
《計画性のない乱造ですな。魔法少女を生み出し、魔獣を討伐させる。この仕組みが有効とわかった途端、この有り様です。前線で戦うあなたからすれば、さぞ窮屈なことでしょう》
そこで提案なのです。と、ケンは自信満々で詩乃に語りだす。
《あなたが我々に、魔法少女の内情を伝える。その情報を元に、我々が魔法少女を討伐する。あなたは自ら手を汚すことなく、競争相手を減らすことができる》
「悪くない話ではあるな」
《いかがですか?》
「……よし、乗った!」
ほぼ即決だった。握手のつもりだろうか、詩乃とケンは手を出し合い、お手をする構図でまとまっていた。
「……え~」
人はそれを自作自演と呼ぶのではないでしょうか? スゲーよあたし、魔獣と魔法少女の歴史的裏工作に立ち会ってるよ! ……ひょっとしてコレ、ここで両方とも始末しといた方が一周回って両陣営のためなんじゃね?
「え、いいの詩乃? それって魔法少女に対する裏切り行為なんじゃ──」
「構うもんか。目的が同じってだけで仲間じゃない。そっちで間引きしてくれるなら、願ったり叶ったりだ。どんどんやってくれ」
《端末を破壊されていることが幸いしました。これで魔人側への情報漏えいも遮断できます。赤岩さん、魔人側との折衝はどのように?》
「手紙が送られてくるようになったな。精霊を潰された魔法少女から、そうなるって聞かされてたし、実際のところはそんなに問題じゃない。あと、私のことは詩乃でいい」
《では詩乃。互いに、そのように計らいましょう》
「ああ、よろしく頼むぞ、王様──いや、ケンだったな」
再びお手をして、一人と一匹は同盟を認め合った。
「ふう……。話のわかる王様じゃないか。これで私もいろいろと動きやすくなる」
満足そうに笑顔を浮かべて、詩乃が座ったまま、ウ~ンと唸って伸びる。
「それはよかったわね。……本当によかったのかはわからないけど」
ケンもケンで《実にいい交渉ができました》と、こちらも満足気に転移で帰って行ったし。
「さて、もう一つの用事を片付けるかな」
なんて独り言を呟いたかと思うと、詩乃は並べられたパソコンの一台に座りなおし、おもむろに起動させた。
「何? パソコン使うの?」
「これを使いたくて、ここにしたんだ。パソコンなんて高価な物、家にはないからな」
詩乃は言いながらポケットをまさぐると、取り出した何かをさっきのポケベル同様、自慢するように見せつけてきた。輪っかが六つ通った、不思議なキーホルダーだった。
「見覚えないか? お前が真ん中からへし折ったアレだよ」
言われてすぐに思い当たった。詩乃の持ち物で、あたしがへし折った物は一つしかない。
「もしかして昨日の錫杖? へえー、普段はそんな形にできんの?」
「まあな、これは待機状態な。んで、こいつをつなげると──」
詩乃は、ミニ錫杖をパソコンに接続した。数秒間待ってみると、画面にデバイスを検知したという知らせが出てきた。
「おお! USBメモリーにもなるの⁉」
「どうだ? 便利そうだろ?」
画面を見たまま、詩乃が得意気に言う。声色から、ドヤ顔しているのが容易に想像できる。
確かにこういう『痒いところに手が届く』的な部分で便利を追及するところが、いかにも詩乃らしい仕事だ。
デバイスには、『森羅万唱』という表示があり、詩乃がそれを選択すると、いくつかあるフォルダを迷いなく選択していき、『呪文』という場所で一端止まった。
「ここで攻撃の設定をしてるの?」
「攻撃っていうより丸ごと全部だな。どんな風に発動させてどんな風に展開させるかまで全部だ。昨日は土壇場でやられちまったからな。ちっとばかし調整だ」
説明しながら詩乃は『呪文』フォルダを開き、さらに六個のフォルダが表示された。
つまり昨日の戦闘では、全体の半分しか呪文を使ってこなかったってことか? あんな多種多様な呪文があと三つも控えてるとか反則だろ?
「えーっと、何々──隠蔽が『思いゆく、言の葉なくて、ついにゆく、道はま迷わじ、なるに任せて』で、承認呪文は、『失』か。あんたあの時これで隠れてたの──ンギ⁉」
「勝手に読むなぶっ飛ばすぞ──っ!」
その拳の片方があたしに飛んできたパート②。
「な、何よ──ちょっと読んだだけじゃん?」
「お前自分の書いた作文校内放送で垂れ流されて同じこと言えるか⁉」
「……な、なるほどゴメンなさい」
「わかればいい。見るなとは言わないが音読はやめてくれ頼むから」
「りょ、了解っす」
恥ずかしそうにあたしに釘を刺し、詩乃はキーボードをカタカタと鳴らし始めた。一度始まるとその流れは滞ることはなく、連邦文字と数字の羅列が続々と入力されていく。
「…………?」
何をしているのかさっぱりわからん。あたしの前で手の内を晒していいのかと一瞬よぎったけど、これを見させられたところで詩乃が昨日からどう変わったかなんてわかりっこない。
手慣れたもので、詩乃は視線を画面に注いだままで、手元は一切見ていなかった。
「ナツ、あいつには気を付けとけよ」
作業を続けながら、詩乃はそのままの姿勢で呟く。
「あいつって、ケンのこと?」
「そう、あいつ。アレはきっと、まだ何か隠してるな」
「……え? あいつがあたしたちに嘘付いてるってこと?」
「いや、嘘は付いてないな。本当に必要なことしか教えてないって感じだな」
なんとも回りくどい言い回しだが、考えてることは伝わった。
「そもそも、あいつはどうしてナツの家に居候してるんだ?」
「それは、あたしと魔女の契約をするため」
「──って言ってたなさっきは」
でも、私はそこが腑に落ちない。と、詩乃は続ける。
「魔女が魔法少女を狩るのに有効なのは理解した。でも魔獣の王だったらどうして向こう側で直接指揮を執らない? ナツのところにだって数日置きに顔を出せば済むことだろ? 魔力を消費するとはいえ座標転移もあるんだから。そうしていれば魔獣側の被害だってずっと少なかったはずだ。じゃあ、なぜそうしない?」
「言われてみれば……そうよね」
もし、詩乃の言った通りにケンが動いていれば、今とはまったく違う状況になっていただろう。もしかしたら、あたしが魔女になる必要さえ、なかったかもしれない。
「この件、まだあいつに聞くなよ? ナツが聞いたくらいじゃ、あの王様は絶対に口を割らない。それっぽい話で誤魔化されるだけだ」
「……それってあたしがバカだってこと?」
「いや、少し違うな」
「じゃあほとんどバカってことじゃねーか!」
「ん? ああ、違う違う。問いただせるだけの根拠がないって意味だ。この話は結局、全部憶測だろ? 《気のせいです》って返されたら、『そうですか』としか言えないからな」
ごもっともな詩乃の言い分に、とりあえず引き下がる。
「てか、数分前にあんだけガッチリお手して信用してないとか、面の皮のお厚いことで」
「信用はしてるぞ。信頼はしてないけどな。私は、『魔』の付くものは絶対信頼しない」
そこだけは断固譲らず、詩乃は作業を続けるのだった。
「では資料を配る。端から順に回してくれ」
進行役と思われる魔法少女が、確認するように周囲を見渡している。
ここはとある山奥の工場跡地。……この手の集まりって、なんで決まって廃墟とか荒れた場所でやるんだろうか? まあ、魔法少女が町の会館借りて会議してたら笑うけども。
「…………」
小学校高学年くらいだろうか。短めの髪は後ろでまとめられ、キツめに吊り上がった瞳はすべてを見透かすように鋭い。年下とは思えない迫力だ。
さわやかな快晴色の魔装衣は、さながらフィギュアスケートの衣装のようであり、湖の妖精然とした煌びやかな光沢を放っている。──のだが、腰に差された武骨な闘剣がその絶妙な均衡を見事なまでにぶち壊していた。
「どうした? 資料に不備でもあったか?」
うっかり眼を合わせてしまい、進行役の魔法少女が、ギロりと睨んでくる。
「⁉ え、えっと──い、いえ! 大丈夫、です」
配られた資料をペラペラとめくり、小声で答える。……つい敬語で返してしまった。年上面なんてするつもりはないけど、これはこれで負けた気分。
「あいつはアカリ。『太陽ルチル』の代表だ」
隣に座っている詩乃が、ご親切に耳打ちしてくる。
「え、代表? あの子が? ……マジか」
それを聞いて驚いた。魔法少女としての能力は本人の潜在的部分の依存が強く、年齢は関係ない。だとしても、あんな小さな子が組織を束ねるなんて信じられなかった。年長者に舐められたりもするだろうし、なかなか大変そうだ。
「まずは落ち着け。余計に目立つぞ」
「……うん」
挙動不審なあたしに対し、詩乃は何に臆することもなく、どっしり構えている。
『ナツ。今度、魔法少女組織の会合があるんだが、顔出してみるか?』
魔法少女と魔獣が裏で手を結ぶという、歴史的な出来事から数日後。隣街に買い物へ誘うようなノリで詩乃に切り出され、あたしは仰天した。
魔法少女とは本来、孤独な一匹狼だ。私利私欲に駆られて魔法少女になるという構造上、徒党を組めば、自身の報酬が目減りしてしまうからだ。
『──と、思うだろ? この間も話したけど、魔法少女も増えに増えていざこざが多くてな。それに対抗するってお題目で組織がどんどんできてるんだ。かく言う私も、悪目立ちしたくなかったから、声掛けられたとこに所属してる。会合もそこの主催だ』
こいつの身の振り方には恐れ入る。魔獣と手を組んでおきながら魔法少女の組織にも参加してるとか、本当に手段を選ばない奴だ。何重スパイだよ?
『んな顔するなよ。最近じゃ情報網もかなり整備されてきてるし、行って損はないと思うぞ? ケンの隠し事も、わかったりするかもしれんし』
あたしの軽蔑を含んだ眼差しを受け止め、しれっと言ってのける詩乃。
結局、最後の一言が殺し文句になり、あたしは渋々ついていくことを決めた。
一応ケンにも相談したのだが──
《問題ありません。魔女も魔法少女も、契約する際の勢力が違うだけで差はありません。魔界の住人ならいざ知らず、魔法少女にその違いは知覚できないでしょう》
──ってな感じであっさり送り出してくれた。諸々ザルすぎて逆に不安だぜ。
「…………ふう」
集まった魔法少女たちを、怪しまれない程度に観察してみる。
地味そうな子。活発そうな子。ダルそうにしている子。友達同士なのか、固まってお喋りに興じている連中もいる。これだけ見ている分には、普段の学校と雰囲気は変わらない。
けど、決定的に違う点があった。
まず年齢層が幅広い。小学校入りたてなお子様から、あなたが少女を名乗って大丈夫なんですか? と言いたくなるような女子大生っぽい方まで、とにかく混沌としていた。
さらにおもしろいのが、魔装衣の規則性。
大人ぶりたい年頃らしく、年少組はシックなドレスやスーツ姿が多く、色使いも落ち着いている。がんばって背伸びしている子を見ているようで、どこか微笑ましくさえ思える。
一方の年長組はというと、ドレスはドレスでもレースやフリルを盛に盛られたコッテコテのそれであり、色彩も蛍光ペンみたいなキラッキラしたものばかり。見ているだけで眼の奥が痛くなってくる有様だった。
別におばさんって歳でもないのに、変に若作りした挙句、無性に老けて見えるこの不思議。人間、自然体が一番だと再認識する光景だ。
そんな歳も格好もてんでバラバラな連中ではあるが、共通しているものもあった。
暗灰色の六角に、交差する金塊の紋。それが魔法少女らの袖口・手袋・靴下等。どこかに最低一か所はあしらわれていた。今日に限っては、詩乃の魔装衣にも縫い付けられている。
あの紋が、魔法少女組織『太陽ルチル』の旗印ってことなのだろう。正直な話、ああいうの羨ましい! あたしは一人だから作りようがないけど……。
「そういえば、端末が見当たらないわね?」
魔法少女は大勢いるけど、それと同数いるはずの端末は一体も姿が見えず、口からポツリと疑問が漏れる。
「は? そんな大事な物、大勢が見てる場所で出すわけないだろ?」
なぜだか思いっきり『何言ってんだこいつ』って声色で、詩乃に呆れられてしまった。
「え? 端末ってそういうものなの? あたしが戦ってきた魔法少女には端末と組んでかかってきたのもいたけど?」
初陣の雅を筆頭に、端末を戦闘に組み込んできた魔法少女はかなりいた。あの頃は駆け出しで経験不足もあり、ずいぶん煮え湯を飲まされたものだ。
「それはそいつらがアホだっただけだ。今じゃ信じられない戦法だぞ?」
魔の付く稼業にも流行り廃りがあるということなのか、詩乃の口ぶりからしても、それが現在の魔法少女にとっては常識らしい。
「資料は行き渡ったか? ではこれより、『太陽ルチル』の定例報告会議を行う」
「ほら、始まるぞ」
半ば強引に話を打ち切られてしまったので、あたしも意識を会議に切り替えた。
「まず前回からの討伐状況と、我々の被害に関してだが──」
アカリとやらが場を引き締め、会議が始まった。
一体どんなものかと構えていたが、これがかなりのものだった。魔獣の討伐数や、魔法少女の損害報告は 当然として、魔獣の生態・習性・行動原理などの研究発表。新参者を対象にした研修の紹介まで、いたれりつくせりの内容だった。
魔獣の知識は、ケンからある程度聞いてはいたが、今聞かされている話はそれと遜色ない内容であり、これだけの情報を独自で収集し、精査する組織力はかなりのものだ。
これは相当ヤバい。今までは一対一って状況だからどうにかなってたけど、組織の後ろ盾がある上で連携まで取ってくるとなると、手の打ちようがなくなる。
「ヒカリ。センオウ捜索に関してはどうなっている?」
ここで初めて、アカリが他の魔法少女に話を振った。あたしには見えづらい場所に視線を向けていたので、視線を追うようにして身を乗り出す。
「──⁉」
視線がその魔法少女に行きついた瞬間、口から心臓が飛び出るかと思った。自分でも、声を上げなかったのが不思議なくらいだ。
そこには最初も最初、森の入り口で執拗にケンを追っていた、向日葵色の魔法少女が偉そうに足を組んでふんぞり返っていた。
「全っ然ダメね! 前に山奥で見かけて以来、影も形もないのよ。ったく、あれがそんな大物だって知ってたら、山燃やしてでもぶっ殺したってのにさ」
ヒカリと呼ばれた魔法少女は、ぞんざいな口調で答えた。見紛うはずがない。あの時ケンを狩ろうとした魔法少女だ。──にしても、『センオウ』ってなんだ?
「あいつはヒカリ。『太陽ルチル』の戦闘指揮担当で、アカリの副官みたいな立場だな」
隣から再度、ご丁寧な解説が入る。チンピラくさい奴だけど、そんな上役なのか。
「……センオウは犬の姿をしていると言っていたが、確かなんだな?」
「何よアカリ、私が信用できないの? 捕まえた化物痛めつけて聞き出したのよ? 口裏合わせて嘘付けるような奴らじゃないでしょ」
二人にとってはこれが当たり前なのか、アカリのエラそうな喋り方にも、ヒカリは気にした風もなく対応している。
だから『センオウ』って何? 犬がどうとか言ってるけど、まさかケンのことか?
「あの、センオウってなんですか?」
あたしの願いが届いたのか、会議の一角から一人、おずおずと手を上げる魔法少女が。これ以上目立ちたくなかったので、これ幸いと聞き耳を立てる。
「ああ、新入りはまだ知らなかったな。センオウとは、先の王。つまり先代の王のことだ。魔獣たちがこの世界に来る時、内部で反乱があり、息子が王を追放したらしい。で、先王は現在行方不明。鋭意捜索中だ」
アカリは噛むようなこともなく、スラスラと問いに答えた。
「…………」
追放された先王ってのが、きっとケンのことなのだろう。自分では現在進行形で王様みたいに言ってたけど、とっくに世代交代してたってことか。
ともあれこれではっきりした。ケンがなぜ、魔獣側で先頭立たないのか。立たないんじゃなくて立てないんだ。追放されて行く当てがないなら、家に身を寄せるしかないもんな。
「そういうことか。な? 謎が解けただろ?」
横で詩乃も納得していた。確かに、本当にケンの謎が判明してしまった。
魔人族から見下され、魔獣族からも裏切られ、こうして聞いていると気の毒でしかない。
でも希望もないわけではない。魔獣も一枚岩ではないのか、ケンのことを王と呼んで慕う奴も大勢いた。反乱なんてするくらいだ、今の王とやらのやり方が強行策なのは明らかだ。
これからの動き方に如何によっては、打つ手はいくらでもある。
「先王捜索も課題ではあるが、当面の問題はいかに効率よく魔獣を狩るかということだ」
質問にも丁寧に答え終え、アカリは議題を今後の方針に切り替える。
「現在の王は正真正銘のアホだ。戦術も戦略も一切なく、ただ数で押せば勝てると思い込んでいる。おかげでこちらは楽に狩りができているわけだが、魔法少女も増加傾向にある。この辺りで効率のいい方法を検討して、他の組織を出し抜きたい。何か意見はあるか?」
アカリは周囲を見回す。自身の意見で議論の幅を狭めないように、他の者──とくに新人──から意見を聞いていくのはうまいやり方だ。
「あの……魔獣って、感情があるんですよね? なら、何体か生け捕りにして、誘い出したりとかってできないんですか?」
誘導に乗っかるように、またまた新人と思しき少女が発言する。
「最初に試す作戦としては、その辺りが無難ね。奴らも人間みたいに家族を作るってのがわかってる。大人・子供・男・女って概念もあるみたいだし。そして──」
それを活かさない手はない。と、ヒカリの弁をアカリが引き継ぐ。
「女子供の個体を捕獲できれば、寄餌にしてより多くの魔獣を集められる。それを全員で囲めば、最低でも一人一匹は確実に狩れる。お前たち新人も、戦果を上げられる」
「よし! ついに初仕事」「魔獣倒したら何買おうかな~」「私はテストの赤点帳消しかな~」「わたし決めてる。あの人と付き合うんだ」「お~いいねいいね~!」
数人で固まっていた集団がキャーキャーと色めきだす。
『捕らぬ狸の皮算用』というのは、こういう時のことを指すのだろう。戦果という言葉に食いついた新人たちが、会議を一段と騒がしくする。
もはや会議は、魔獣を倒したらどうするのかを発表するだけの場と化していた。
「──いい加減にしろよあんたたち‼」
ただのお喋りに興じていた面々が、水をかけたように静まり返る。突然の静寂に、耳の奥からキィンという音ではない音が反響する。
「なんだ? どうかしたか?」
アカリを始め、集まった魔法少女たち全員の瞳があたしに向けられる。
「っ! あの……みんないきなり、殺すとか潰すとか、物騒すぎじゃないのかなって──」
口にしてしまった失態をどうにかするように、途切れ途切れの言葉をつけ足す。
潜入している以上、ここは話を合わせるなり大人しくしているのが最善手のはずなのに。それでも、叫ばずにはいられなかった。
「そういえば見ない顔ね。新入り?」
ヒカリがあたしの前までやってきて、顔をまじまじと覗き込んできた。
「え⁉ あ、えっと──」
緊張で心拍数が一気に跳ね上がる。自分の耳から、ドッドッドッ! と、心臓の鼓動が聞こえてくる。
待て待て、落ち着けあたし! あの時は顔を見られてなかったから大丈夫だ! あたしの正体がバレることはない──はず!
「ヒカリ、こいつは私の連れだ。今まで一人でやってたのを見つけて連れてきたんだ」
一言も言い返せないでいるあたしに、詩乃が横から助け船を出してくれた。
「へぇ~、シノが誰かに入れ込むなんて珍しいわね。腕は立つの?」
「そこそこな。ただ、契約して日が浅い。こいつは動物が好きで、魔獣を潰すことにまだ罪悪感があるみたいなんだ。今の話で頭に血が昇ったみたいだな。空気を悪くしてすまないな」
動けないでいるあたしに変わり、詩乃が詫びなくてもいい詫びを入れる。
「そっか、なら仕方ないね」「うん。わたしも初めは怖かったし」「あったなーそんなこと」
詩乃のでまかせを真に受け、勝手にあたしの境遇を想像し、勝手に察してくる魔法少女たち。
「ごめんね。新人には刺激が強かったかしら? でも、殺しまくって慣れてくしかないのよ? 安心しなさい。あんな化物、いくら殺したってバチなんて当たりゃしないから!」
あたしの肩をポンポン叩き、ヒカリは腰に手を当てて『アッハッハ!』と笑って見せた。その顔には、生き物を殺しているような罪悪感は、一欠片も見受けられなかった。
かぽーん。と、風呂桶の転がる音を聞きながら、タイルで描かれた宮境町の景色を眺める。
「゛あ~っ! 最っ高……っ!」
手も足も限界まで広げ、くつろぎまくる。家風呂もいいけど、こうやって全身を伸ばせるのが、家風呂では絶対にできない贅沢だ。
「まったく、なんで私まで」
口では文句を垂れている詩乃も、あたしに負けじとまったりしている。
「中田会長の家が銭湯だってのは聞いてたが、まさかこんな形で入ることになるとは」
ここは唯姉さんの家が営んでいる、町唯一の銭湯『中田湯』。
会議のあと、どうにもむしゃくしゃしていたあたしは、渋る詩乃を連れて掃除の手伝いを申し出、見返りとして一番風呂に与っているというわけだ。
「いいじゃない道連れよ。たまにはあたしの愚痴を聞きなさい」
「それは常日頃から聞いてると思うんだが? お前が私の愚痴を聞けよたまには」
「──ねえ詩乃。なんなんだよあいつら? あれが、人間考えること?」
「ここでぶっちぎるか? ……あいつらは精──端末から一方的な情報しか知らされてない。考えが偏るのも仕方がない。かく言う私も、お前と出会ってなければ、未だ向こう側さ」
眼を天井に向けたまま、詩乃は語る。
「知らなかったで済まされるの? あいつらだって、魔獣だって命なのに。家族がいて、守りたいもののために必死で逃げて。それを……あんな風に──」
ついさっきの会議を思い出す。あれは、命あるものに対しての扱いでは絶対なかった。
「人の欲望がそうさせるんだろうな。ましてや異世界から来た化物なんてなおさらだ。お前だって、そんなお題目に乗っかってる一人だろ?」
「……うん。わかってる。あたしも、人のこと言えない」
自分でも理解している。あたしも自身の望みのため、魔法少女の願いを踏みにじっている。どちらが先とか関係ない。そもそもあたしに、魔法少女を非難する資格なんてない。
「でも、それでも……ちくしょう──」
涙が流れていた。魔法少女に対する憤りとか、魔獣に対する同情とか、自身に対する身勝手さとか。そんなものたちがぐちゃぐちゃになって、瞳から溢れてきた。
「お前、なんだかんだ優しいよな。魔獣に巻き込まれたせいでこんなことになってんのに、あいつらのために泣けるんだから」
「うるさい泣いてない!」
涙を隠すように、手ですくったお湯を顔にぶっかける。
「二人とも~! お湯加減どう? 今日は手伝ってくれてありがとね~」
ガラガラと戸を引く音と一緒に、唯姉さんが入って来る。悟られないように、バシャバシャを止め、慌てて普段の調子を装う。
「会長、お疲れ様です。気持ちいいですよ。すみません、急に押しかけて」
「いいのいいの。毎日やってることだから、来てくれるならいつでもウェルカムだよ!」
「ならよかったです。……おいナツ、会長来てるぞ。おい──」
「…………」
詩乃が肩をゆすってくる。
普段あんなに生意気ばかり言ってるのに、今はひっくり返したように沈んでいて、情けなくて振り向けなかった。
「いいよいいよ詩乃ちゃん。この子ね、昔から嫌なことがあると、決まってうちの掃除手伝ってくれるんだよね。どうせまたなんかあったんでしょ? 話さなくていいけど」
わかってはいたけど、やはり唯姉さんにはお見通しだった。もしかしたらあたしは、一生この人には敵わないのかもしれない。
「……棗。あなたの悩みも、このブラシでゴシゴシっと落ちればいいのにね」
「……うん」
言葉が心に染みていく。優しく紡がれた、思いやりに満ちた言葉だった。
「じゃあ、わたしは男湯の方、掃除してくるから! 詩乃ちゃんもゆっくりしていってね!」
「はい。ありがとうございます」
ぴちゃぴちゃと足音と立て、唯姉さんの気配が遠ざかっていく。
「会長行ったぞ。いつまでヘソ曲げてるんだ?」
「……聞こえてる」
なけなしの意地を緊急招集して、なんとかそれだけは答える。
「お前がどうしてあの人に懐いてるのか、なんかわかった。いい人だな、会長って」
「でしょ? あたしの自慢のお姉ちゃんよ。そうじゃない時もあるけど」
「はは。それもなんかわかるな」
「そうよ。頼りになるけど、同じくらい苦労もさせられてるのよこっちは」
ふと気が付くと、不思議と気持ちが軽くなっていた。認めるのは癪だけど、唯姉さんのありがたいお言葉効果絶大だ。我ながら単純な性格してるなホント。
「ナツ。帰ったらケンに問いただせ。あいつのことだ、私たちが会議に行った時点で諸々バレることは覚悟してるはずだ。この期に及んでしらばっくれたりはしないだろ」
「……そうね、わかったわ」
前を見据えて答える。いつまでもヘコたれてなんかいられない。討伐した魔法少女に、救えなかった魔獣。彼ら彼女らの無念を思えば、足踏みなんかしていられない。
「大丈夫か? なんならついてくぞ?」
心配そうに、詩乃があたしの顔を覗き込んでくる。おかんか!
「バカにすんなし! そんくらい、あたしにだってできるし! 脳筋扱いすんなし!」
「……お前は筋金入りの脳筋だぞ? ちょいと心がガラス製のな」
「やかましいわケンんぼ法師」
《棗、おかえりなさい。会議の方、いかがでしたか?》
家の門扉を開くなり、ケンが玄関先で迎える。
「ケン」
《わかっています。すべてお話しします》
何もかも察しているといった風で、ケンは語り始めた。
ケンの話した内容は、さっきの会議で聞いた情報と、さほど大差なかった。違うとすれば、魔獣視点で語られているということぐらいだ。
迫害によって魔界を追われ、道中で息子に襲撃を受けたこと。統帥権を奪われた挙句、魔人と魔獣の双方に狙われ、どうにかあたしのところまで落ち延びたこと。
《私はいわゆる穏健派でした。今は耐え忍び、再び魔人と対等な関係を築き直そうと、方々を駆けずり回っていました。その姿が若い世代にとって、大層みっともなく映ったのでしょう。結果、息子率いる急進派に押し流される形で、私は追放となりました》
一区切りつき、ケンは話すのを止めた。
「……向こうに残った穏健派は、どうなってるの?」
《先駆けとして最前線に投入されています。反乱分子を処分するお題目です。現在、魔法少女が狩っている魔獣のほとんどが、私の理念に賛同してくれた者たちです》
合点がいった。これまで助けてきた魔獣たちが、なんでケンのことを『先王』ではなく『我らが王』と呼んでいたのか。あいつらは信じてるんだ。必ず、『我らが王』が舞い戻り、状況を打開してくれると。彼らの忠義にはひたすら脱帽だ。
《私は諦めません。散って逝った数多の命のためにも、再び主に会い、魔人と魔獣が本来の関係を取り戻すために話し合うのです》
話の流れ的に、主というのが魔王の呼称だろうか? そこだけは横文字でいくんだな。
「これまでの顛末と、あんたの目的はわかったわ。もう一つ、答えなさい。なんでそんな大切なこと、今日まで黙ってたの?」
真っすぐにケンを見つめて問う。これに関しては一切の誤魔化しなく、洗いざらい吐いてもらう。本来ならこれは、最初に交わしていなきゃいけない、特一級の重要情報のはずだ。
《──言えるわけがないでしょう‼》
それは、あたしが聞いた中で、ケンが初めて声を荒げた瞬間だった。
「んな⁉ あんたね! 開き直ってんじゃ──」
《実の息子に裏切られてしまったので助けて下さいなどと、言えるわけがないでしょう。私にだって誇りくらいあるのです。そんなこと、情けなくてとても言えませんよ──》
ケンの声が、微かに振るえている。言い訳だと断じてしまえばそれまでだが、眼に見えて気持ちが弱りきっているこいつを前に、その一言ははばかられた。
《では聞きますが、棗。私が初めから全部説明したとしましょう。あなたは信じてくれましたか? 実の息子に裏切られ、無様に彷徨う私の言葉を、あなたは信じてくれましたか?》
「そ、それは──」
その『もしも』を考える。もし、あたしが自分のやりたいことや、内に『狂気』が眠っているなんてことを引き合いに出されなかったら。ただ、ケンが助けだけを求めてきたら?
「…………うん」
あんな決断はしなかっただろう。例え両親が乱入してきても突っぱねていた。と、思う。
それでもあたしはケンの話を聞き、魔女になることを決意した。
両親に流されてしまった感がある反面、あたしの中に『やってみたい』という気持ちがあったのも確かだったからだ。
あたしが今日まで、そこから眼を逸らしてきたのは、この状況は望んだものじゃないと言い聞かせるための、ただの逃げ道だったのかもしれない。
《私は姑息な手段を用いた卑怯者です。こうでもしなければ、あなたは私と契約することを選ばなかったでしょう。言い方は悪いですが、手段を選んでいられる時期はとうに過ぎ去っていました。許しは請いません。どれもがすべて、私が背負うべき罪です》
ですが、これだけは本当です。と、ケンは改まる。
《棗、魔獣を守ってくれるのが、あなたのような方でよかった。我々のことを気にかけ、涙まで流してくれるとは。種の代表だった者として、これほど嬉しいことはありません》
「んな⁉ 何言って──⁉ 泣いてない! あたしは泣いてないぞっ!」
つい反射で目元を拭ってしまったが、手の甲に涙はついていなかった。まさかこいつ、この流れでカマかけたのか?
《わかっています。泣いてなどいません。それでも言わせて下さい。棗、我が同胞を守っていただき、私は心から感謝しています》
言い終わると、ケンは背中を向け、寂しそうに家に入っていった。
「……ケン」
その後ろ姿は、子供の非行を止められなかったことを悔やむ父親そのものだった。




