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魔引きの魔女  作者: 片桐 楚江
〈邂逅編〉
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第三章

 ジリリリリリリッ!

「ん、うーん……」

 いつも枕元に置いている目覚まし時計を手探りで掴み、指に触れたスイッチをとにかく押しまくる。カチリという感触と同時に耳障りな音も消え、もう一度眠りにつく。

「雅世~! 早く降りてきなさーい!」

「ふえ⁉ は、はいっ!」

 ──と思ったところを、ママの大声が吹き飛ばし、慌ててベットから跳ね起きた。

「……え? アレ?」

 寝ぼけ半分で眼を擦りつつ、よくわからない違和感に部屋を見渡す。

少し散らかった机、お気に入りの本が詰まった本棚。大好きな白とピンクのベッド。カーテンから漏れている朝日。なんてことない、わたしの部屋だ。

「……いつ帰ってきたんだっけ?」

 昨日は確か晩ご飯のあと、こっそり家を出て遊んでいたはずなんだけど。……ていうか、なんでわざわざ夜に遊んでたんだっけ?

「着替えなきゃ──」

 考えたいことはたくさんあったけど、学校に遅刻するわけにはいかないので、身支度をしながら考える。ベッドから出て、壁にかけている制服に手を伸ばす。

「……だめだ」

 やっぱり思い出せない。何か……すごく、嫌な思いをしたような気がするんだけど、どうして嫌だったのか? どんな風に嫌だったのか? すっぽりと抜け落ちていた。

「おはよう雅世。寝坊なんて珍しいわね。朝ご飯、食べちゃいなさい」

 リビングでは、ママが笑顔で朝食を用意してくれていた。

「うん、おはよ。……ねえ、ママ。わたし昨日──」

 椅子に腰かけ、ママに昨夜のことを訊ねようとして、自分の失敗に気が付いた。それはそうだ。わたしはママに内緒で外出したんだから、ママに聞いてもわかるはずがない。

「え? 昨日が何?」

 マズいと思った時には手遅れで、ママにはバッチリ聞こえてしまっていた。

「ううん、なんでもない。パパ、今日は早番?」

 とりあえず、無難な話題にすり替えてやり過ごす。

「そうよ。だから上りは早いみたい。久しぶりにみんなでお夕飯食べられるわね」

 ママは嬉しそうに微笑んだ。

「さあ雅世。早くご飯食べちゃいなさい。もうすぐ、香澄(かすみ)ちゃん来るわよ?」

「へ? かすみちゃんって?」

 ママのその問いかけが、なんのことだかわからなかった。

「あなたどうしたの? 同じクラスの香澄ちゃんよ。この間、『ママ! 友達ができたよー』って、嬉しそうに自慢してたじゃない。『家が近所だったんだー』とか」

「──あ、うん……そうだった、ね」

 ママの恥ずかしい物まねで、ようやく思い出した。

 同じクラスで規律委員の香澄ちゃん。小さい頃から口下手で、十一歳になっても変われなかったわたしにようやくできた友達。だけど──

「……?」

 わたし、どうやって香澄ちゃんと友達になったんだっけ?

 どんなきっかけがあって、どんな話をして香澄ちゃんと友達になれたのか? ついこの前のことなのに……思い出せない。

 ピーン、ポーン。

 そんなわたしの思考を、インターホンの電子音が打ち切った。

「ほら、噂をすれば。さっさと行ってあげなさい」

「う、うん。わかったから……」

 急かされながら、とりあえず一口サイズの卵焼きやウインナーをヒョイパクして玄関へ。

「おはよう雅世ちゃん。お母さんもおはようございます」

 ガチャリとドアを開けると、文句のつけようもない、爽やかな笑顔が待ち構えていた。

「お、はよ……」

 完璧な香澄ちゃんのあいさつに対して、わたしは小さく呟くのがやっとだった。今この子が眩しいのは、きっと朝の陽射しだけが理由じゃない。

「おはよう。今日も雅世をよろしくね」

「マ──お母さんそういうのいいから──」

 ママの背中を押して、リビングに引っ込める。どうして、友達の前だと親ってこんなに気恥ずかしくなるんだろ?

「もう! ……行ってき、ます」

「はいはい~。行ってらっしゃーい」

 恥ずかしさの余り、ちょっと意地悪過ぎたかなと思ったけど。全然そんなことはなかった。

「雅世ちゃん。お母さんのこと、ママって呼ぶんだね」

 道すがら、香澄ちゃんがわたしの顔を覗き込こんできた。

「か、からかわないでよ……」

 やっぱり、聞かれてた。恥ずかしい! 穴があったら入りたい。

「別にからかってないよ。わたしも家ではパパママって呼んでるよ」

 香澄ちゃんはそう言って、わたしの隣を追い抜いていく。

「ね、ねえ……香澄、ちゃん」

「ん?」

 香澄ちゃんが振り返る。朝日を背にしているから、どんな顔をしているかはわからない。

「あの、ね……わたしたちってどうやって──」

 その先を伝えようとして、言葉が途切れる。

 聞いたところで、どうすればいいのか? もしも、香澄ちゃんが答えてくれなかったら。逆光で見えない香澄ちゃんの顔が、どんな表情をしてしまうのか。怖かった。

「……ゴメン。なんでもない。行こ」

 香澄ちゃんの隣に立ってみる。わたしを笑顔にしてくれる笑顔が、そこにあった。

「何それ気になる。教えてよ」

「ホントになんでもないの。ありがとうね」

 別にいいじゃないか。どうやって友達になったのかじゃなくて、これからどうやってもっともっと友達になるかを考えれば。

 わたしに笑顔をくれた友達。そしていつか、できることなら、この子が悲しい顔をしていた時、今度はわたしがこの子を笑顔にしてあげるんだ。



「──ホントに消えてるっぽいわね。記憶」

 とある民家の屋根から、単眼鏡で仲良く登校する女子小学生たちを観察する。断じて不審者などではないつもりだが、不審者か否かを判断するのがあたしでない以上、あまり長居はしたくない状況ではある。

《だから言っているじゃないですか。心配性ですね》

 信用してくれなかったことが不満らしく、ケンはあさっての空を眺めている。おっさん声でスネられたところで、かわいさの欠片もない。

「いやいや。さすがにこればっかりは実際に見ないと信じられないって」

 昨日、ケンと契約して初の実戦に臨んだ。

 初陣ゆえに、いろいろと危なっかしい部分はあったが、狩られかけていた魔獣を救い、魔法少女との戦いの末、どうにかあの子を討伐するとこができた。

 ケンからは事前に、討伐された魔法少女は活動中の記憶の一切を失ってしまうということは聞かされていた。なので本当に記憶が消えているのか、確認も兼ねてこうしてコソコソしているというわけだった。

「見た感じ大丈夫そうね。部屋に運んだ時もバレなかったし」

討伐した魔法少女は、身体に満ちていた魔力を一気に放出してしまう影響で、一時的な心身喪失状態になってしまう。

 そのせいであたしは、雅をおんぶして自宅へと送り届けるはめになった。ちなみに雅家の住所は、ケンが魔力を使って調べたそうな。……こいつアレだな。なんでもかんでも魔力って答えればあたしが納得すると思ってんな。めんどいから深くは聞かんけど。

「あの子は、魔獣を狩った報酬で友達になったのかな?」

 雅の隣を歩く少女を眺め、ふと言葉が漏れる。

 ここからでもわかるくらいに笑顔の眩しい子だ。あの子が一緒なら、雅も友達百人は無理だとしても、学校生活を楽しめるくらいにはやっていけるだろう。

 わりとマジな話、もし雅に友達がいなかった場合、あたしはあいつの友達になるつもりだった。雅の心臓に槍を突き刺す前に宣言したし、例え向こうが忘れてしまっていても、約束は約束だと思ったから。結果的にではあるが、すべてが杞憂に終わって何よりだ。

《行きましょう、棗。あなたも学校でしょう。魔法少女の討伐にかこつけて、成績が落ちたなどとは言わせません。何事も全力で取り組んでこそ、命は輝くのです》

「いちいち説教くさい犬だね! だったら学校の屋上にでも飛ばしてくんない?」

《それこそ横着というものです。ちゃんと自宅から、自転車で登校して下さい》

「このケチんぼが……」

 こうして、あたしの初陣は幕を閉じ、今日という日常が始まるのだった。



「~~♪ ~~♪」

 平日を乗り切り、時がのんびり流れていくような気がしなくもないステキな日曜日。家風呂で泡まみれになりながら、ケンの身体をゴシゴシ洗う。

《相も変わらず上手ですね。実に気持ちがいい。あ、もう少し下を──》

「やかましい黙れ! どこの店だどこの⁉」

《ほう。それは具体的にどんな店舗なのですか? 私、まだこの世界に疎いもので》

「このクソ犬」

 本物の犬と違って話せばわかるから手間はかからないのだが、何分こいつは喋るので、別の意味で相手をするのが疲れてしまう。

 ある日、いつも砂埃まみれで帰ってくるあたしたちに、『たまにはケンちゃんをお風呂で洗ってあげなさいよ』と母さんに言われ、仕方なく風呂に叩き込んでやった。

 そしたらこいつはあれよあれよと入浴にハマってしまい、定期的にあたしが風呂に入れてやるという習慣が生まれてしまった。

「ふむふむ、こんなもんか」

 とか振り返っているうちにケンを洗い終え、真っ白な泡の固まりが出来上がった。

「んじゃ、流すわよー」

《はい。お願いします》

 シャワーの蛇口をキュッ! と捻り、アツアツのお湯で泡の要塞を切り崩す。これはこれで化石を発掘するみたいでなんか楽しい。

「よし、もういいぞ。入れ」

《では、お先に失礼して──》

 ケン派手に飛び込むこともなく、前足を器用に動かして浴槽に入る。

 あたしも髪と身体を洗ってからケンに続く。全身をくまなく洗ってもらい、あまつさえ一番風呂とか、犬相手にこの上ない屈辱だぜ。

「……ふう。゛あ゛あ~~さっぱり!」

 心地よい熱さが身体全身に余すことなく伝わり、強張っていた筋肉が弛緩していくのがわかる。年寄り臭いかもだけど、日の高いうちから入る風呂ほど贅沢なものはないのだ。

《まったくです。こんなに気持ちのいいものがあったとは。長生きはしてみるものです》

 ケンは眼を細め、後頭部を浴槽の端に乗っけてその身を預けている。こいつのこんなくつろいだ姿、配下の魔獣たちにはとても見せられないな。

《しかし棗。いつもいつも驚かされていますが、あなたは本当に変わっていますね》

「どこがよ?」

 藪から棒の変わっている宣言に、声がキツくなる。てか、そんな風に言われてあたしじゃなくても腹が立たないわけがない。

《この状況そのものがですよ。種は違えど私は男、あなたは女です。まして私は人の言葉を介するというのに、よくそんな存在と裸になれますね》

「……ああ」

 言われてみると、確かにな~だった。そんなこと、今までちっとも意識してなかった。

「……普通にペットだからじゃね?」

《ふむ、……こちらから口火を切っておいてなんですが、男として釈然としません》

「知らないってのそんなこと」

《──では、私はもう上がります》

「ちょっと待ちなさいな、ケン!」

 犬かきで浴槽から這い出ていくケンの尻尾を掴み、あたしも浴槽から出る。立てかけてある折り畳み式の浴槽蓋を広げ、犬小屋のようにしてずぶ濡れになったケンに覆いかぶせる。

「よし。いいわよ」

《はい、では──》

 シャババババババッ!

 ケンが全身を振りまくって飛ばすお湯を、浴槽蓋でガードする。蓋裏に雫が当たり、夕立のような慌ただしい音が風呂場に反響する。初めてこれをやられた時、壁も天井もびしゃびしゃになってしまったので、その予防処置だ。

《ありがとうございます。では、先に戻っていますので》

 言い残し、ケンはそそくさと去っていく。こういう時、服を着なくていい動物は、はたして得なのか損なのか? もちろん、真似するつもりなんてないけど。

 再び浴槽に入り、さっぱりを再開する。

「ふわぁ……」

 一人になり、気が抜けきってしまったのか、自然とあくびが出る。

「はぁ~……」

 雅の討伐を成功させ、あたしは魔法少女狩りを本格的に開始した。

 あの日から徐々に魔法少女の討伐は増え、週に一・二回だったのが、今では二・三日おきほどのまでになり、もはやちょっとした習い事だ。

 序盤のうちは初陣同様、武器の扱いや身体能力など、あたしがあたしを理解しきれていない部分で苦戦することが多々あった。

 それでも今日まで致命的な失敗もなく、討伐を成功してこられたのは、ケンがいてくれたおかげだ。まあ、この状況そのものがなし崩しである以上、それくらいの福利厚生がないとやってられないって話ではあるけど。

 一言に魔法少女と言っても、実に多彩な連中だった。

 何かしら飛ばしてくる奴。長物で突っ込んでくる奴。魔力に頼らず実在する重火器ばっか使う奴。逆に魔力を駆使していろんなものをひたすら落っことしてくる奴なんかもいた。

 魔獣を倒せば報酬を得られるという仕組みも確かに存在した。

 友達が欲しいに始まり。お金が欲しい。成績を上げたい。昔の失敗を帳消しにしたい。好きな人にふり向いてほしい。あいつとあいつを別れさせてほしい。

 魔法少女はほとんどが十代、つまり未成年だ。無論あたしもだけど、この年代はどうしたって行動の範囲に限界がある。自由にできるお金と時間が圧倒的に少なく、狭い。

 人の気持ちなど最たるものだ。ある日突然、それが化物退治で好き勝手にできると聞かされれば、血相変えて魔獣狩りに励むのもわからなくはない。

 討伐時の抵抗も凄まじい。当たり前だが、ここが一番大変だった。

 泣き叫んで許しを請う奴。開き直って怒鳴り散らす奴。最後の最後まで諦めない奴。雅なんかかわいい方で、中にはもはやこれまでと、自分で自分を切り付けようとする奴までいた。

 そして不思議なことに、みんな最後の台詞は共通していた。


『この魔女! 絶対許さない!』

『魔女! 魔女! 魔女──』

『裏切者! 地獄に落ちろ! この魔女が!』


「魔女、か……」

 恨まれて当然だ。ましてや感謝されるなんて微塵も思っていない。どんな願いであれ望みであれ、無関係のあたしがそれを踏みにじったことには変わりないんだから。

 自分でも自覚しているからなのか、あいつらが蔑称のつもりで呼んだであろう『魔女』という呼び名は、なぜだか妙にしっくりきていた。

 討伐自体に後悔はない。どこ子もあのまま魔法少女でい続けていたら、確実に自らの願いに押し潰され、そう遠くないうちに壊れていた。雅の憑りつかれたような笑顔を思い出す。あれはどうしても見過ごせなかった。

「……ふう」

 風呂場の天井を見上げながら、右手をかざしてグーパーをしてみる。

戦闘そのものに問題はない。だけど討伐の仕上げ、魔法少女の心臓に槍を突き刺す。あの感触だけは、どうしても慣れない。

 ケンの説明を聞き、あたしは体重をかけて『兵香槍攘』を押し込めばいいと思っていた。

実戦で獲物を振るい、魔法少女に接触した際には、重いものに対する反発と手応えのようなものが感じられた。

 でも、討伐は違った。『兵香槍攘』はなぜか、その時だけなんの抵抗もなくスゥ──と、身体に入り込んでいった。筋肉に阻まれて刺し込めないとか、骨に引っかかって真っすぐ進まないとか、そんなことは一切なく、粘土にでも突き刺しているかのような、不気味な感覚だった。

「まあ、あれに慣れちゃうようなら、あたしは人としてお終いだろうけど……」

 そういう意味では、あたしにもまだ救いはあるのかなと思ってしまう。

 雅に突き刺した槍を引き抜くと、臓器が抉り出されたり、鮮血が噴き出したりといったこともなく、ただ一つ小さな光の塊が穂に刺さっていた。

《これがこの少女が持つ魔力の結晶、魔力塊です。これを、今から回収します》

 どこに隠し持っていたのか、ケンは栄養ドリンクくらいの小瓶を口にくわえていた。それを前足で押さえてポンと蓋を外し、光の塊は吸い込まれるように中へと収まった。

《これで討伐完了です。棗、お疲れ様でした》

 受け取った小瓶を夜空にかざしてみると、淡く菫色に発光していて、砂のようなものがキラキラと輝き、瓶の中を漂っていた。時折、粒子同士がぶつかり合い、パチパチと小さな光を散らすのがとても美しかった。

 現在小瓶は、あたしの部屋にまとめて保管してある。

《来るべき決戦に備え、これらは温存しておきましょう》

 色とりどりの輝きを見つめ、ケンは言った。あたしも賛成だった。いつかその時がくるにしても、魔法少女たちの願いや戦った証を、日々の戦闘に使うのは抵抗があったからだ。

「……にしても、あたしの中にある『狂気』とやらは、満たされてるのかしらん?」

 どの相手も手強く、手加減なんてしたことはない。そもそもそんな余裕のある戦いなんて一度もなかったし、一歩間違えばヤバかった局面も数えるのが億劫になるほどだ。

 そんな日々を乗り越えてなお、あたしの内側が求めている『狂気』とやらには、まだ到達していない気がする。

「……出よ」

 気が付くと、風呂と知恵熱の挟み撃ちですっかりのぼせてしまっていた。

「うう~……あっつ」

 身体の芯まで温まったおかげで、バスタオルで拭いても拭いても汗が出る。用意しておいた部屋着を、汗で引っかかるのをかまわず身に着け、脱衣室を出る。

「麦茶麦茶──」

 こんな時はとにかく、冷たい飲み物に限る。身体の急冷はよくないのだけど、あの爽快さにはどうにも抗いがたい。

「はぁ~~っ! すごく効く。ケン君サイコーだよ~~」

 居間に入ると、ケンを背中に乗せてご満悦の父さんがいた。

《ご満足いただけているようで何よりです、父君。おや棗、あなたもいかがです?》

 風呂上がりで毛艶のよくなったケンがしれっと言ってきやがる。

「一応聞いとくわ……。何してんの?」

《以前お話していた魔力による血液循環の改善、つまりは指圧ですね》

「人の父親になんてもん流してくれてんだコラァ⁉」

 ケンの首根っこを掴み上げ、父さんから引き離す。

《なぜです? 世界中のどんな指圧師よりも確実な方法ですよ?》

「そりゃ指圧師さんは魔力なんて使わないからね⁉」

「……棗。ケン君どけないでくれよ。せっかく気持ちよかったのに」

 足元で父さんが、残念そうな声とともにあたしを見上げている。

「父さんは黙ってて! てか、なんでマジでこんなにも順応してんのさ⁉」

「え? ……だって、ケン君がやってくれるって言うから。ねえ母さん?」

 振り返ると、台所からエプロンで手を拭きながら母さんがやってきた。

「そうよ~。棗もやってもらえばいいのに~。すごいのよケンちゃん特製マッサージ。というわけでケンちゃん。私にもお願いできる?」

《かしこまりました母君。以前の肩たたきでよろしいですか?》

 言うが早いか、ケンは身をよじってあたしの手から抜け出し、トコトコと母さんの元へ。

「あっ! おいケン! いい加減に──」

「棗。何が気に入らないのか知らないけど、私がやってって言ってるんだからいいのよ」

「そういう問題じゃなくてさ~……」

 これが最近の我が家の惨状だった。ケンは魔力を駆使して、二人の健康管理をするようになった。基本的なところでは今やっている魔力の指圧。食材に魔力を通して栄養を増大させたりなど。ちなみに生き血を飲ませるって話は全力で阻止した。

 そのおかげなのか、父さんも母さんも最近やたらと元気でどことなくツヤツヤしている。それこそ、若返ってるんじゃないのかと思うくらい。

 二人が幸せなら、娘としては万々歳なんだけど、何分魔力はこの世界に存在しない力なわけで。いつかとんでもないしっぺ返しがくるんじゃないかと気が気じゃない。そんな力に頼って日々戦っている立場としてはなおさら。

《棗。何度も言っていますが大丈夫ですよ。自力で使えないというだけで、人間にも魔力を扱う器官は存在するのです。出力も極めて微弱、人体に悪影響など皆無です》

「生産者側は大抵みんなそう言うだろ!」

「はいはいわかったから。そっちのじゃじゃ馬は置いといて。じゃ、ケンちゃんお願いね」

「じゃじゃ馬とか言っちゃいます⁉ お願いだから考え直して──」

《では母君。こちらに腰を降ろしていただけますか?》

「はいはい~」

「……おいおい」

 ここまで華麗にスルーされると、本当に煙たがられてるような気がしてなんかヘコむ。

 ケンは正座した母さんの背後で上体を起こし、前足を母さんの肩に乗せた。

《では、いきます──》

 ポコポコポコポコッ!

 思わずずっこけてしまいそうになるくらい、かわいらしい肩たたきが炸裂。これ、動画で撮っといて一儲けできないかな?

「んは~~っ! チョ~気持ちいい~~っ! 疲れが一気に取れるわ~~」

 ……これまた母さんが本当に気持ちよさそうなのが困る。てか、いい歳して『チョ~ッ!』とかやめてもらえるかな外で言ってないでしょうね恥ずかしいなもう!

「あなた今、失礼なこと考えてたでしょ?」

 恍惚とした表情から一転、キッ! とこっちを睨む母君。

「いや、わかってるならやめてよ~……」

「あなたもやってみればわかるわ。だんだんと血行が良くなっていくんじゃなくて、なんかこう──ドッ! って感じで一気に肩が楽になるのよ」

「それもうホントにヤバいやつじゃないですかぁ!」

 母さんの反応が、完全になんかしらのアレにハマった人のソレで怖い。

「棗。言っとくけど、僕らの感じている疲れは、棗が想像しているよりずっと重く、取れにくいものなんだよ? それが一瞬でどうにかなるなんて聞かされたら、試さずにはいられないんだよ。年を取るってことは、そういうものなんだよ」

「いや、でもさ父さん……」

 頭を抱えているあたしの後ろから、父さんが優しく語りかけてきた。

「棗。文句を言うにしても、まずは自分でやってみないことにはね」

「それは、そう……なんだけど……」

 正論をかまされ、反撃が尻すぼみになっていく。

 どうにも昔から、父さんの言葉には逆らえない。怒鳴ったりせず、ゆっくり諭すようにしてくるので、こっちが話を聞くしかない空気になってしまう。今にして思えば、これがこの人の『やり方』なのだろう。わかっていてどうするとこもできない、あたしもあたしだけど。

《私はいつでも「うぇるかむ」ですよ》

「どっから仕入れてきたそんな横文字⁉」

 ケンに素早くツッコミを入れるが、そこから先が続かない。

「ああ、もう……わかったわよ。じゃあ、少しやってもらおうじゃないの」

《ようやくその気になりましたか。では、そこに座──ん?》

「……どした?」

 考え事をするように俯くこと数秒、今度はキリ! と鋭くこちらを見た。この流れ、まさかとは思うけど──

《魔獣の反応を感知しました。出番です、棗》

「……へ? 今から⁉ ちょっ、ちょっと待ってよもうお風呂入っちゃったよ⁉」

《帰ってからまた入ればいいでしょう。さあ、行きますよ》

 こっちのことなどお構いなしに、ケンは颯爽と部屋を飛び出していく。

「え、ちょっ──あたしのステキな日曜日は⁉」

 あたしの虚しい悲痛に答えてくれる者は誰もいなかった。



「はい、終わり!」

「起立! ──礼!」

『さようならー』

 この学校は放課後しかないのか? などと思わなくもないホームルームが終わり、とりあえず机に突っ伏す。

 結局、昨日は討伐でまるっと一日消費してしまった。別に予定があったわけじゃないけど、あると思っていたものが突然なくなると、その喪失感も最たるものがある。

「ずいぶんとお疲れのようだな」

 顔を上げると、詩乃がなんとも微妙な表情で立っていた。かけている眼鏡が日の光に反射して眩しい。こいつはこうなるってわかった上で位置取りしてんのかね?

「……そういう詩乃は最近元気よね?」

 あたしとは正反対に、詩乃はイキイキしていた。

 本人は隠しきれていると思っているようだが、これまでの詩乃はバイトのために毎日せわしなく、ない日であっても疲れが取りきれなくてダルそうにしていたりと、常に追われているような雰囲気をまとっていた。

 そういう部分を見ていたからこそ、近頃は精神的に余裕があるように見受ける。

「わかるか? 実は割のいいバイトを見つけてな。そっちに一本化したんだ。おかげでまとまった時間が作れて読書がはかどる」

 そう口にして詩乃は、文庫本を見せつけるようにパラパラとめくってきた。見てくれはいつも通り不愛想だけど、滅多にしてこない動きから、隠しきれない嬉しさが伝わってくる。

「へぇ~、よかったじゃん」

 それなら何かと融通が利くし、予定が組みやすいな。不規則に自分の時間が削られるあたしとは雲泥の差だな羨ましい。

「で、どんなバイト?」

「ああ、悪い……職場の都合で詳しくは話せないんだ」

「……まさかとは思うけどあんたそれ、いかがわしい類のやつじゃないよね?」

 声を潜めつつ強めに問う。終日不機嫌そうな顔してるこいつに、水商売が務まるのかは謎だが、世の中にはいろんな好事家がいるからな。

「……は? いや、違う違うそんなんじゃない。お前の想像してるようなことはしてねーから安心しろ。教えられないってだけで至極真っ当な仕事さ」

 あたしの疑念は否定するも、詩乃はどうとでも解釈できる回答でお茶を濁した。

「そ、それなら、いいんだけどさ……」

 詩乃の珍しい誤魔化しが気にはなったが、こちらもおいそれとは話せない稼業に身をやつしている手前、なんとなく引き下がってしまう。

「まあ、どうしても人手が足りない時に声かけられたりはするけどな。お、噂をすれば──」

 詩乃はポケットから携帯を出し、開いた画面を凝視している。

「呼び出し?」

「だな。ってわけだから、先に帰る。また明日な」

 詩乃は短く答えて携帯を閉じ、焦ったようにカバンを引っ掴み、こっちの言葉を待たずにとっとと行ってしまった。

「……また明日~」

 教室に取り残され、なんとも空しい気分。

「……あたしも帰るか」

「いたいた! 棗先輩~」

 いい加減疲れた帰ったら夕飯の支度まで寝てやろうと思った矢先、教室の入り口からあたしを呼ぶ声が。振り向くと、卓球部の後輩ちゃんが居心地悪そうに立っていた。そりゃあ、一年生にしてみれば、上級生の教室なんて魔窟みたいなもんだし無理もない。

「おう、久しぶり。どしたの?」

 生殺しはかわいそうなので、とりあえず廊下に出て後輩ちゃん話を聞くことに。

「はい。実はさっき中田会長とすれ違って、生徒会室に来てほしいって言ってましたので」

「え~マジで? ったくあの人は……近頃大人しいなと思ってたけど、今度はなんだよ?」

「さ、さあ……わたしに言われても」

「あ~ゴメンゴメン。ありがとう、伝えに来てくれて」

「いえいえ、本当にそれだけなので」

 申し訳なさそうに両手をブンブンさせる後輩ちゃん。

「うん、わかった。寄ってみる。じゃあまたね」

「あ、棗先輩。助っ人、また来て下さいね? 最近どこの部活にも顔出してないらしいってみんなで話してて。……忙しいんですか?」

 後輩ちゃんが、きっと男はこういうのに騙されるんだなという、お手本のような上目づかいでこっちを見つめてくる。

「あ~……」

 そういえば最近、討伐ばっかりでどこの部活にも行ってなかったわね。

「……ちょっと、いろいろあってね。もう少しで見つかるかもしれないんだ。本当にあたしのしたいこと。だから……ゴメンね!」

 これはひたすら謝り倒すしかない。いろんな人に黙認されているとはいえ、あたしが部活全体を多少なりとも引っ掻き回していることは事実だから。

「そんな、謝らないで下さい。……少し寂しいですけど、応援してます!」

 後輩ちゃんは、小さなガッツポーズと一緒に激励してくれた。この子はどうして、一挙手一投足がこんなにもかわいいのだろう?

「うん、ありがと。じゃあまたね!」

 眩しい笑顔に見送られ、あたしは渋々生徒会室に向かうのだった。



 コン、コン。

「失礼しまっす~」

 溜まった疲れが所作を雑にしているのか、返答も待たずズカズカと入室。

「って、やっぱ誰もいない!」

 案の定、生徒会室はもぬけの殻だった。唯姉さん以外の役員さんは、大抵どっかしら走り回っているのでいないとは予想してたけど、呼び出したご本人様がお留守ってどうよ?

「まったく。……せっかくだから座らせてもらうわよ~」

 生徒会室の一番奥にあるエラそうな椅子、つまりは会長の椅子にドカっと腰を降ろし、クルクルと回転しながら時間を潰す。

「~~♪ ~~♪」

 どうやら本当にいい椅子らしく。めちゃくちゃいい座り心地だ。勢いも大してつけなかったのに、かなり長く回っている。

 もし唯姉さんがどっかに隠れていて、この一部始終を撮影でもしていたら、『あたしが生徒会長になりたい証拠』として提出してきそうだな。その時はあたしも盗撮されたって言って全力で戦う所存だけど。

「……ん? 何だこれ?」

 眼もいい感じに回り、いい加減気持ち悪くなってきた頃、整理された書類たちに紛れて、明らかに場違いな紙切れが眼に映った。

「……町の、地図?」

 それはこの辺りの地図だった。手書きなので、ところどころ尺度は適当だけど、商店街や学校の位置関係から見て、宮境町の地図で間違いない。その右側、山間部を差す場所に赤い×印が書かれていた。

「ん~? ……この場所って確か、宮境高校の旧校舎がある場所……よね?」

 宮境町は元々林業が盛んな地域であり、山岳部で生活する人が多く、その時に作られた学校が宮境高校の始まりになっている。しかし時代の流れで農業が中心になっていくにつれて平野部での生活者が主流になり、学校も移転した。という歴史があるのだ。

 以前の宮境高校あった場所は、旧校舎跡地として、今では山間部関連の倉庫兼駐車場になっているはずだ。

《棗、ここにいましたか》

「うお⁉ ──ってケンか。びっくりさせんなよどっから入って来てんだよ⁉」

 本来誰もいないはずの方向から話しかけられ、椅子から少しだけ浮いてしまう。声の方へ身体を向けると、ケンが実に辛そうな体勢で窓にへばりついていた。

《すみません。まず手を貸していただきたいのですが》

「はいはい。……で、なんの用? わざわざ来るからには急用なんだよな?」

 ケンに手を貸してやりながら問う。これで《突然、顔が見たくなりまして》とか抜かしやがったら窓から放り投げてやるぞチクショウめ。

《実は先程、この学校にて魔獣の顕現を感知しました。その折、この学校の生徒と思しき人物を一人連れ去ったようなのです》

「な⁉ ひ、人を攫ったってことかよ⁉」

《……そういうことになります》

「なりますじゃねーよ話が違うだろ⁉ 魔獣は関係ない人は巻き込まないんじゃなかったのかよ⁉ なあ?」

 首輪に指を引っかけ、ケンの胸倉を掴み上げる。

《このような事態になり、誠に申し訳なく思っています。しかし、ご存じの通り、魔獣にもそれぞれ意思があります。極限状態となった個体が、どういった行動を取るかまでは──》

「把握できませんってか? 大した王様だな! おい!」

 考えるより先に身体が動き、あたしはケンを投げ飛ばした。

ガンッ!

 派手な音を立て、ケンは掃除用具用のロッカーにぶつかり、床にへたり落ちた。

《……申し訳、ありません》

 ゆっくり立ち上がり、ケンはただひたすらに謝罪を繰り返す。

「……クソ──」

 咄嗟のこととはいえ、暴力に走ってしまった己を恥じ、心を落ち着かせる。

 落ち着けあたし! 人間だって大なり小なり規則は破る。魔獣にだけ品行方正を押し付けるのは傲慢だ。これじゃあゲーム感覚で魔獣を狩っている魔法少女たちと大差ないだろ? 今必要なのは、この瞬間どうすればいいのかってことだけのはずだ。

「……八つ当たりしたことは、謝る、ゴメン。で、あたしはどうすればいい? それを知らせるために来たんでしょ?」

《……はい。魔獣は現在、宮境町の東側、山間部へ向かっていると思われます。ひとまず我々もそこへ向かうべきかと》

「わかったわ。なんとしても助ける! ──ケン、あんた今山間部って言った?」

《いかにも。何かお気づきですか?》

「ここに地図が置いてあったんだ。関係してると思う?」

 ケンの前に、今しがた地図を広げる。

《……驚きです。私が感知した魔獣の進行方向と一致します》

「なら決まりだな。行くぞ!」

 ケンが入ってきた窓に足をかけながら、あたしは認証呪文を唱えて飛び出した。



 田園地帯を風のように走り抜け、山間部へ突入。木の側面を蹴って跳躍しまた次の木へ、稲妻のごとく直線的な軌道を描く。人命がかかっている以上、一秒でも早く現場に向かうことだけを考える。

「ケン! あっちの狙いがなんなのかわかる⁉」

《可能性の一つとして、人質を取った上でこちらとの交渉を望んでいる。と言ったところでしょうか? しかし、そのような冷静な判断のできる個体が、無関係の人間に手を出すなど、やはり考えられません》

 どうにか食らいついているケンから、煮え切らない答えが返ってくる。

 あたしも同意見だった。さっきは頭に血が昇ってしまったけど、今日まで救ってきた魔獣たちは、与えられた役割に忠実であり、自身の存在に誇りを持っていた。誘拐なんて姑息なことを考えるような性根のひん曲がった奴は、思い返しても見当たらない。

「ここを越えたら目的地だ! 周囲を索敵しろ! 絶対に見つけだせ!」

《──承知》

 端的なあたしの指示に、ケンは短く承諾した。こいつもこいつなりに、自身の見積もりの甘さに責任を感じているんだろう。

 木と葉っぱだけだった視界の先に、開けた空間が見えてくる。

「あんたはどっか隠れて、おかしなことがあったら報告しなさい! 行け!」

《──では棗、武運長久を祈ります》

 ケンが離れていくのを気配で感じ取り、校庭全体が見渡せる一番高い木に張り付く。いきなり見通しのいい場所に飛び出すほど、あたしもバカじゃない。学校ならとにかく、今は頭も冷えている。隙など晒すものか。

 駐車場は閑散としていた。夕方とあってか、車はほとんどが町に降り、残っているのは作業用の軽トラがわずかばかり。

「……っ。……っ。……っ」

 焦っているのか、バクバクとせわしない心臓の鼓動が鼓膜から伝わってくる。

 視線だけを各所に動かし、状況を整理していく。向こうが用意した戦場である以上、どんな罠があるかわからない。

「……っ。……いた」

 駐車場の隅に寄せられた作業台の上に、誰かが横になっていた。眼を凝らすと、その人は宮境高校のセーラー服を着ていた。

「ゆ、唯姉さ──⁉」

 横たわった人の顔を確認した瞬間、驚きの余り声が漏れてしまった。手遅れと思いつつ、急いで口を塞ぐ。

 眠っていたのは、あたしを生徒会室に呼び出した張本人、唯姉さんだった。姿が見えないと思っていたら、よりにもよってこっちに巻き込まれていたのか。

《棗、現在魔獣・魔法少女ともに反応はありません。行ってあげて下さい》

「……うん!」

 ケンにも促され、駐車場内を横切らないように、脇の木々を飛び移り接近する。一番近い木まで辿り着き、唯姉さんの手前で着地した。

「姉さん……。姉さん……っ! しっかりして」

 唯姉さん肩に手をかけて優しく揺らし、耳を顔に近づける。

「……すぅ。……すぅ」

 規則的な寝息が聞こえてくる。胸もわずかに上下している。呼吸している証拠だ。

「ああ、姉さん……よかった。よかった。……うお──っと⁉」

 唯姉さんの無事を確認し、緊張の糸が切れたのか、ガクッと膝からくずおれてしまった。

「……もしかして、魔力で気を失ってる?」

《そのようですね》

 背後の気配に振り返ると、ケンは木陰に隠れていた。

《棗、警戒を厳に。周囲にいないというだけで、遠距離から狙撃される可能性はあります》

 ケンが静かに念を押してくる。唯姉さんを攫った魔獣が姿を現していない以上、ここまでの流れ自体が罠なんてことも大いに考えられる。

「──『兵香槍攘』!」

 獲物を呼び出し、改めて臨戦態勢に入る。どこからでもかかってこい!

「……仕掛けてこないわね」

 駆けつけてかれこれ数分間、さっぱり何も起きない。あたしたちをまとめて消したいなら、今が絶好の好機だけど。

《こういう局面では持久力が物を言います。棗、あなたは気が短すぎる》

「わかってるわよ……。けど、近くになんの反応もないんでしょ? 案外、あたしたちの追撃が早すぎて、慌てて撤退したのかもし──」


「『極楽も、地獄も先は有明の、月の心に、懸かる雲なし』──撃‼」


「──‼」

 バァチチチチィィーーンッ‼

 背筋を冷たく這い上がってくる悪寒に、反射的に飛び退いた刹那、たった今いた場所に、テレビでしか見たことないような荒々しい稲妻が炸裂した。

「しまっ──‼ 姉さん! ケン⁉」

 一人と一匹の名を叫び、身体を捻って着地する。幸い負傷はしなかったが、稲妻の余波までは躱しきれず、全身のあちこちからパチパチと静電気が弾ける。

《……問題ありません。無事です》

 煙が収まってくると、ケンと唯姉さんは変わらずそこにいた。どうやら今の雷撃は、あたしだけに狙いを絞った攻撃のようだ。

 ──とはいえそれは結果論。本来はみんなを守るため、あたしが障壁を張るべきだった。

《棗、あれを──》

 ケンの視線を辿っていくと、駐車場の角、止まっている軽トラの上に人影があった。

「……魔法少女、よね? これまた、とんでもないのがきたな」

 それは、魔法少女と言うにはあまりにもかけ離れた装いだった。

 夜色の直綴をひるがえし、足には雪のように白い足袋。顔を見られたくないのか、時代劇で悪役が被っている藁でできた籠を被り、眼の位置に視界を確保するための溝が刻まれている。

 つまりは、法師さんの恰好をしていた。

 これまでも一風変わった魔装衣の魔法少女はいたけど、あれはもう女性かどうかさえ判別できない。魔法少女っていうくらいだから女性ではあるんだろうけど。

 極めつけは、『それ以上動くともう一発ブチかますぞ』と言わんばかりにこちらへ掲げられた錫杖だ。あれが奴の魔兵装なのか、通してあるいくつか輪っかが風に揺られて、シャンシャンとぶつかり合う。その小さくも耳に残る甲高い音が、見てくれと相まって実に不気味だ。

「てかバカ犬! どうなってんだよいるじゃんかよ魔法少女!」

《……信じられません。私の哨戒網をこれだけの時間掻い潜り続ける隠蔽など……》

 余程心に堪えたのか、ケンはあたしの罵倒よりも術を躱されていた事実に愕然としていた。

「情報通りだな」

「……え? なんだって⁉」

 魔法少女が口を開く。聞き取れてはいたけど、なるべく多くの情報を得るため、あえて聞こえないフリに徹する。

「魔獣に操られた同胞が、一般人をかどわかして逃走したと報告を受け駆けつけた。貴様がそうだな? 見ない顔だが、新人か?」

 これもあいつの力なのか、『どこかで聞いた声だな』と、『聞いたことない声だな』という相反する二つの感想が同時に浮かんでくる。

「は? いや、違うよあたしたちは──」

「ほう。ではそこにいる化物はなんだ? 人語を介す犬など聞いたことがないが?」

「……おい」

《……っ!》

 おい、またか? と、ケンを睨み付けてやると、ブンブンと勢いよく首を振って否定してきた。様子から察するに、念話も筒抜けらしい。

 相手を確実に討伐できるかもわからない状況で、ケンを見られてしまったのは痛恨事だ。もし逃げに徹せられてしまえば、あたしたちに関する情報漏えいは避けられない。

「あたしたちは、魔獣がこの人を連れ去って……それを追いかけてきたのよ! ケン──この犬は関係ないわ! 魔獣では、あるけど……」

 とりあえずこちらの経緯を説明する。ここは下手に嘘を織り交ぜるよりも、本当のことを話して信じてもらうしかない。

「偽りを抜かすな。大方、そこの化物にたぶらかされたのだろう?」

「いや、だから違うって言──」

「仮に貴様の話すことが真実だとしても、化物が傍らにいる説明にはならんな。洗脳が不完全で、記憶が混濁しているのか?」

 気持ちいいくらいに取り付く島もない。この手の完全に自身の憶測を信じ切っている手合いには、何を言っても無駄だと、あたしの経験が言っている。

「案ずるな。すぐにその化物をくびり殺し、汚らわしい洗脳から解き放ってやる」

「──ふざけるな!」

 いい加減耐えられなくなり、うっかり叫んでいた。

「なんだお前さっきから化物化物って⁉ こいつらは魔獣だよ! ちゃんと呼べよ!」

 今まで魔獣と接してきた者として、聞き捨てならなかった。こいつらとの付き合いは長くないけど、細い付き合いをしているつもりはない。

 異世界から来ようが人間ではなかろうが、彼らにも意志があり、誇りがあり、家族がいる。それらを尊び、慈しむ気持ちはあたしたちとなんら変わらない。

「それがどうした?」

「……はあ?」

「そいつらが魔獣と呼ばれているのは無論知っている。で、それがどうした? そいつらは余所の次元から進行し、我々の世界を悪戯に蹂躙している。それが化物ではなくてなんだとういうのだ!」

 奴はきっぱり言い切った。上から目線が鼻につくが、立場的に言っていることは正しい。魔法少女として戦うあいつらにとって、魔獣は憎むべき敵であり、狩ることこそが揺るぎない信条なのだから。

「貴様も魔法少女の端くれなら思い出せ! 精霊と契約したあの日を! 魔獣を倒すと心に決めたあの日を! 願いを叶えると誓ったあの日を!」

「はあ……」

 怒りや悲しみをすっ飛ばし、自然とため息が零れ落ちた。

 もし、何か一つでも間違えていたら、あっちであの台詞を宣っているのが、あたしだったかもしれない。……そう考えるとぞっとしないな。

《……棗》

 ケンがあたしを、どこか縋りつくような瞳で見上げている。

「なんて顔してんのさ。獣王がらしくないっての」

 ──そしてあたしは、自分自身がそうなっていないこの必然に、心の底から感謝した。

「あははっ、お生憎様! あたしはそんな誓い、ただの一度だって立ててない! あと一個訂正。あたしは魔法少女じゃない! あんたらなんかと一緒にすんな腐れ外道‼」

「──ほう、ならば貴様は何者だ?」

 奴の気配が変わる。冷血っぽいけど、癪に障る程度の感情はあるらしい。

「魔女だ」

「何?」

「聞こえるように言った」

 スゥーと大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。せっかくの魔女宣言、ご要望にお応えして大音量でお届けしてやるってな!


「あたしは──魔女だ!」


『兵香槍攘』に魔力を流し込み、一気に突撃。先手必勝! 避けられない方が悪い!

 ガキンッ!

 激しい音を打ち鳴らし、互いの魔兵装がぶつかり合う。向こうさんは何食わぬ様子で、こちらの攻撃を受け止めた。大口を叩くだけのことはある。こいつは強い!

「聞き分けないならやむを得まい。貴様を拘束、解呪したのち、話を聞くとしよう!」

 錫杖で『兵香槍攘』を打ち払い、奴は一端後ろに下がる。こちらも同じく距離を空け、突撃の体勢で備える。

《棗、あの魔法少女は、先天的能力と後天的練度が、今まで相手取ってきた魔法少女の比ではりません。こちらには負傷者もいます。撤退すべきです》

 親切にも、あたしがいかに不利かを説明してくれるケン。

「あたしもそう思うし、できるならそうしたいけど──」

 そう返しつつ見据える奴の姿には、一部の隙も見当たらない。

「まあ、逃がしてくれないわな」


「『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思ひざりけり』──滅‼」


 こうなったらやるしかないと腹を括ると、ゴゥッ! と大気を唸らせ、炎の濁流が視界いっぱいに迫ってきた。

「う、くぅ! 今度は炎かよ⁉」

 障壁を円錐状に展開し、火炎を後方に逃がすも熱までは防ぎきれず、眩しさと頬を焼くチリチリとした痛みに、思わず顔を覆う。

「──遅い!」

 いつの間に移動したのか、背後から奴の声が聞こえた。

 シャン! と、輪っかを鳴らして錫杖を振りかぶる動作を横目で確認し、『兵香槍攘』を背中に回して打撃を受ける。

「う──っ! がっ! ……このっ!」

 だが、何分無理な体勢だったので、鈍い衝撃とともにあっけなくふっ飛ばされてしまう。

 ザリザリと服が地面に削られながらも折を見て、勢いのまま宙返り。ここで止まったりなんかしたら、追い打ちされて一発で消炭だ。

「はあ……、はあ……、はあ……」

 息が上がり、肩も上下する。汗が眼に入り込んで視界が滲む。数分はやり合った気がするけど、実際はほんの数秒。まったくもう! なんて濃密な時間だよまったくもう!

「──滅‼」

 また炎の濁流かと身構えるが、次は野球ボールくらいの炎弾が、奴の回りに四つほど生み出され、一つが一直線にこちらへ飛んできた。

「っ! クッソ!」

 いちいち防御していたら先程の二の舞なので、とにかく走り、時折跳躍を織り交ぜてひたすら躱しまくる。

 ボンッ!

 外れた炎弾が地面で破裂。茂っていた雑草を焼き焦がす。

 奴は炎弾を一つ発射すると一つ作る。という動作を機械的に繰り返している。これ絶対途中で不規則にしてひっかけるやつじゃん!

「威勢のわりには逃げ腰だな。興が冷める。もう少しおもしろくできないのか?」

「…………ふん」

 見え透いた挑発だ。乗っかってやるとこはない。

 物事が単調に進んでいる時、人は必ず何か違うことをして場に変化を与えようする。

 いつか自分の挙動が見切られてしまう重圧に、精神が耐えられないからだ。だけどそこには必ず隙が生まれるし、変化そのものが相手の求める必殺の好機になりかねない。

 バァァァンッ!

「──あっつ‼」

 躱した炎弾の一つが、止まっている車に命中。炎の塊となって爆散した。割れたガラスや金属片が、熱を伴って周囲に弾け飛ぶ。いくつかが魔装衣に付着し、小粒の焦げ跡を残す。

「……癪だけど、やってやろうじゃないの!」

『兵香槍攘』を上空に掲げ、ここ一番とばかりに魔力を注入。膨大な推進力で一気に加速し、空に飛翔する。追撃で打ち上げられた炎弾を、最低限の軌道修正で回避する。

 高度五十メートルほどで上昇を止め、『兵香槍攘』の上に立って旋回運動に入る。スノーボードの要領で身体を預け、不規則な軌道を作りだす。雪国育ちがこんなところで役に立つとは。

 下を見ると、奴は性懲りもなくチマチマと炎弾を放ち続けていた。さっきまでは互いの距離が近く、避けるだけで精いっぱいだったが、離れていれば対処も容易い。

 あとは向こうの隙を突いて急降下し、懐に入り込んで無力化。可能ならそのまま討伐する。これならば奴の土俵に上がることなく現状を打開できる。

「……ようやく諦めたか」

 遠距離での攻撃は無駄と悟ったのか、炎弾はピタリと止んだ。

 油断大敵だ。あの手の輩がこれで諦めるわけがない。向こうが策を練っているうちに、一気に突っ込んで片をつける!

《棗、来ます。注意を!》

 ……ドォォンッ!

 ケンの忠告と、下からの爆発音はほぼ同時だった。

 輝く爆煙を背にし、こっちに突っ込んでくる奴の姿が飛び込んでくる。

「はあ⁉ そんなこと──バカかあいつ!」

 悪役のお手本みたいな台詞だと言ってから気付いたが、時すでに遅し。奴は生みだした炎弾を足元で一斉に起爆させ、爆発の勢いを利用してここまで跳んできたのだ。

 直綴の折り目、錫杖に施された意匠までもがみるみるうちに鮮明になっていき、あっという間に同位高度まで追いつかれてしまった。

「え、ええ……」

 上昇の頂点を迎え、一瞬の滞空、奴と眼が合った。──ような気がした。


「『君が為、尽くす心は、水の泡、消えにし後は、澄み渡る空』──迅‼」


 これまたカッコよく錫杖を構え、奴は本日三回目の呪文を唱えた。

 ビュワワァァ!

「う、うおぁ⁉」

 途端、息もできないくらいの強烈な突風が身体を揺らす。咄嗟にしゃがんで『兵香槍攘』を掴み、振り落とされないように身体を振る。 

 見ると、奴の足元に陽炎のような揺らめきが生まれていた。それに身を預けるようにして小足にまとい、落下することなくその場に留まっていた。

「……風を操って浮いてるのか⁉」

 本来なら地球の掟に則り、地面に叩き落されるのが世の常だが、生憎と奴にはそんな常識これっぽっちも関係なかったらしい。……あたしも今飛んでるけどさ。

 砂埃が舞い、眼を細める。口の中がジャミジャミするし、鼻もムズムズしてきた。

 にしてもいろいろと規格外な奴だ。雷に火に風なんてコッテコテの属性、どれか一つでも持ってればすごいってのに。しかもそいつらを的確に使い分けるあの芸当、あいつの方がよっぽど化物じみてると思うのですが?

「──っ! クッソ!」

 今まで相手取ってきた魔法少女たちが、弱いなんて思ったことはないし、上には上がいるだろうことも想定はしていた。しかし、実際にその存在と対峙してみると、追い立てられているという感が尋常じゃない。

「空に逃げれば安全とは、安易な思考だな。貴様はどこかで、『なんだかんだ言っても自分より強い奴なんてそうはいない』と、驕りがあったのではないか? 『自分にできることは、相手にはできないだろう』とな。それこそが、己の可能性をついばむ愚行と知れ! ──迅‼」

 法師様のありがた迷惑な説法から間髪入れず、空気の塊が襲ってきた。

「くっ! この! ──うお⁉ 危ねーな!」

 ビュュゥゥッ!

 台風顔負けの突風が耳朶を打つ。無数に追い立ててくる空弾を、身をよじりってどうにか躱すが、何分風を打ち出してくるので、当たらなくても軌道が乱されてしょうがない。

 わずかに首を動かし、背後から追ってくる空弾の数と軌道を確認。上昇、下降、旋回を無作為に繰り返し、雑念の一切を排除して避けて避けて避けまくる。

 木々を盾にし、時には地面スレスレで飛行し、空弾の動きを予測しつつ止めてある車にぶつけるという曲芸紛いのことまでしてのけた。

「ほう。火事場のクソ力とはよく言ったものだな。ならば、今しばらく踊ってもらうとしようか。──迅‼」

 奴が再度呪文を唱えると、追尾してくる空弾が球体状から薄い円盤状に変化した。

「⁉ ふぅ! ──ん?」

 もうダメかと眼を瞑りかけたが、衝撃も突風もなく、空弾は両脇を通りすぎる。

「……ん?」

 ただのこけおどしかと安堵していると、左の二の腕あたりから水に濡れたような冷たい感触が伝わってきた。

「ええ、マジかよ……」

 恐る恐る見てみると、上着の袖部分がパックリ裂けていた。滲みだした血に塗られて、暗緑青色の生地が真っ黒に染まっている。

「……かまいたちかよ。カッコいいじゃねーかクソが!」

 褒め言葉に最大級の皮肉を添えて毒づいた。

大気を操り作りだされる、真空の刃。さっきまでのが衝撃なら、こっちは斬撃ってとこか?

 なんでもありかよ万能すぎんだろあの魔兵装⁉

「痛っつ。……あぅ! こんの──」

 そんなことを考えている間にも、腕、肘、膝と、身体のそこかしこに切り傷が生まれていく。顔を狙ってこないところが、情けをかけられているようで余計に腹立たしい。

「くっ! ……はあ……はあ」

 血が流れているからか、はたまた集中力が切れてきたのか、頭がボーっとしてきた。『兵香槍攘』を握る手に力が入りにくくなり、手からスルスルと滑っていきそうになるのを、慌てて掴みなおす。マズい、ほんとに限界かも……。

「遊びは終わりだ。──墜ちろ」

 すぐ背後から、奴の抑揚のない声が届けられる。迂闊だった。こんなに接近されるまで気が付かないなんて。

 ズゥゥゥゥーーーーン‼

「────⁉」

 背中にこれまで感じたことのない衝撃が走る。あまりのことに耐え切れず、ついに『兵香槍攘』が手から滑り落ちた。

 特大の空撃をもらったな。そこまで考えて、あたしの思考は強制的に中断された。

 背骨がボキボキと嫌な音を立て、身体が海老反りになり一気に落下。ものすごい速さで地面が近づいてくる。姿勢が悪すぎて、受け身を取るまで間に合わない。


 ────ドォォォォンッ‼


 成すすべなく、本当にそのままの体勢で地面に叩きつけられた。衝撃で地面が陥没し、砂塵が舞い上がる。

「うあ、くっ……っ! ──ん! んん‼」

 全身を貫く痛みに抗い、どうにか起き上がろうとするが、喉から込み上げてくるものに耐えられず、その場で嘔吐してしまった。喉が熱くなり、昼に食べた弁当の味がわずかに通り過ぎる。それは次第にピリピリとした痛みを伴う胃酸の味に変わり、涙に鼻水に汗と、顔中の穴という穴から液体が流れ出てくる。

「ゴホッ! ……ゴホ。……う、うっ!」

 胃の中が空になり、吐いたものを避けるように体をずらし、仰向けに倒れ込んだ。軌道が確保され、砂塵の舞った空気を躊躇うことなく吸い込む。

 すべてが嫌になるくらいに苦しかったけど、とにかく負けてはいない。まだ。

「投降しろ。無様ではあるが、お前の戦技は称賛されるべきものだ」

 人がせっかく必死で酸素を取り込んでいるっていうのに、空気の読めない法師様は、変わらず高いところから偉そうにいろいろ語っている。

「…………」

 眼から光線が出れば殺せるんじゃないかってぐらい、キツい眼つきで奴を睨む。ほんとのとこはまだ涙でよく見えないけど、こっち覚悟は伝わったはずだ。

「わかった。今、楽にしてやる」

 これまた王道な台詞を呟いたかと思うと、奴は降ろしていた錫杖をシャンシャン鳴らしながら構えなおした。

「『極楽も、地獄も先は有明の、月の心に、懸かる雲なし』」

 最初に聞いた呪文だ。……ってことは、雷攻撃か。

「まずは眠れ。すべてはそれからだ。──撃‼」

 呪文とともに、奴は閃光に包まれた。錫杖から飛び出してきた稲妻たちの先端が、二つに裂け、それがまた二つに裂け、拡大しながらこちらへ向かってくる。

「…………」

 すべてがゆっくり動いて見えた。話には聞いたことあるけど、こんなこと本当にあるんだなと、どこか他人事の思考が頭をよぎる。

 あの稲妻をくらったら、今度こそ間違いなく終わりだ。あんな電撃、いくら魔女になってたって、こんな精神状態じゃどうにもならない。ああ……これが心折れるってやつか……。

 チラリと状況を見守っているケンを見やる。何もできない自分を責めているのか、悔しそうに歯を食いしばっている。

 その後ろで唯姉さんが、普通に眼を閉じて寝ていた。いい気なもんだなあたしはこんな必死なのに。あれはあれで被害者なんだけども。

《あなたの心の渇きを潤せるのは、命のやり取りのみなのです》

『棗が納得するまでやってみなさいな』

 走馬灯みたいで嫌だけど、いつか言われた言葉が脳内で再生される。あたしに道を示した言葉と、あたしの背中を押してくれた言葉。

「ああ~~もう! わかったわよ!」

 折れた心を拾い上げ、無理矢理くっつける。んなもんセロテープでも巻いとけば直る!

 ここで終わったら、何もかも中途半端だ。あと少しで見つかりそうな何かを確かめることもできないまま、ただ道を閉ざされてしまう方がよっぽど怖い。

 あたしは魔法少女たちの願いを踏みにじり、そこに橋を架けて渡る魔女だ。

 魔獣を救うなんて大義名分も、所詮は目的を満たすための建前でしかない。私利私欲で動いてるって意味じゃ、あたしも魔法少女たちと根っこの部分は同じだ。

「う──ああぁぁっ!」

 湧き出てきた気力を精一杯に振り絞り、身体を起こす。

だったら、もっと盛大に足掻いてみせようじゃないの!

「──来い、『快刀乱魔(かいとうらんま)』!」

 叫んだ。まったく聞き覚えのない、口にすらしたことない言葉だったけど、不思議と揺るぎない自信と確信があった。

 右手から冷たい黒炎の感覚と、何かを握る感触が伝わる。それが何かもわからないまま、あたしはそれを夢中で斜めに振り上げた。

 バァチチチチィィーーンッ‼

 迫る雷が真っ二つに裂けた。

 両断された稲妻が左右に拡散、大爆発を起こして、再び辺り一面を閃光に包む。

「……ふう……」

 間一髪間に合った。自然と息が漏れ、身体の力も程よく抜ける。気がつくと、さっきまでのスロー再生はいつの間にか消え、時間の流れる感覚も元に戻っていた。

「……で、そんなあんたは何者だい?」

 腕を降ろし、手に持った獲物を確かめる。

 握られていたのは、一振りの剣だった。

 長さは一メートルほど。『兵香槍攘』と同様反りがなく刃部分の方が長い刃。次に眼を引く特徴は、鍔がないこと。刀に相当するであろうその位置には、これまた『兵香槍攘』に同じく多角形の球体があしらわれていた。

《棗! 大事ありませんか?》

 土煙が晴れ始め、見慣れた犬面が顔を覗かせる。

《棗、無事でしたか。──その(とう)(けん)は?》

「ああ、うん。なんか叫んだら出てきた。ふぅん、コレ闘剣って言うのか?」

《はい。魔界伝統の剣です。類似したものがこの世界にもありますが……》

「へぇ~、そう」

 呼び出した闘剣『快刀乱魔』を、根元を軸にクルリと回し、順手に構えなおす。

《棗、重ね重ね申し訳ありません》

 なんか誤ってばっかりだな。最初のよくわからん性格はどこにいったのやら。

「あんたがそんなこと気にしてんじゃないよ。唯姉さんを守ってくれてるのでトントンよ。ちょっと待ってなさい。とっとと終わらせて、帰ったら熱い風呂入るよ!」

《──はい。武運長久を祈ります》

 景気付けでケンに啖呵を切り、空気を読んで黙っている奴に向き直る。

「……まだそんな気力が残っているのか? 大したものだ」

 軽トラの上から、奴が探りを入れてくる。その声色には若干の驚きが含まれており、必中の攻撃を防がれていささか動揺しているのが見て取れる。

「まあね。全部吐いたら楽になったわ!」

 会話に乗っかりつつ、これまでの状況を振り返る。奴は雷を打ってから、他の呪文を唱えていない。……もしかして、同時に二種類の発動はできないのか?

「で、どうするの? まだ続ける? あたしは勝つつもりだけど、あんたが引き下がるなら手打ちにしてやってもいいわよ? てか、お腹ん中空っぽだしぼちぼち帰りたいんだけど?」

「笑止。このような不完全燃焼でおめおめと逃げ帰れるものか。大方、貴様も今すぐ切りかかりたくてしょうがないのだろう? ならば答えは一つしかあるまい!」

「──だよねぇ‼」

 奴が『撃‼』と叫ぶのと、あたしが闘剣を振るうのは同時だった。

 バァチチチチィィーーンッ‼

「はああぁぁ!」

 光の速さで襲いかかってくる稲妻の真ん中を見定め、一閃。

 今度はちゃんとした姿勢で振り抜いたので、稲妻は爆発することなく、二対となって後方へ流れる。どうやら背後の雑木林に命中したらしく、パチパチと焚き火が弾けるような音が耳に入ってくる。

「なるほど、その魔兵装は魔力攻撃を切断するのか。ならば──」

 冷静に分析してるクセに、奴は一直線でこっちに突っ込んでくる。

「はあっ!」

 こちらも負けじと、正面から切り結んで応戦する。魔力攻撃が防がれるなら、チャンバラで沈めてやるよってか? 冷たい物言いのわりに、熱い性格してんじゃないの。

 闘剣を構えなおし、とにかく果敢に攻める。『打ち合っては距離を取る』を何度と繰り返し、互いのわずかに見せた隙を突き、渾身の一撃を叩き込む。切り傷が多い分あたしが不利ではあるけど、だんだんと剣筋が冴え、奴にも傷が目立つようになってきた。切れた直綴からのぞく白い腕が、あいつもやっぱり女性なんだなと思い出させる。

「……は! ……は! ──はあ!」

 こいつホントスゴい。能力だけじゃなくて、腕っぷしも一級品だ。

「お前も来い! 『兵香槍攘』!」

 取り落としていた相棒の名を呼び、左手からすっかり見慣れた黒い炎が噴き出し、槍の形を作りだす。右手の『快刀乱魔』で錫杖を受け止め、わずかな隙を突いて突撃を発動。ひとまず距離を取る。

「『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思ひざりけり』──滅‼」

 あちらも隙を利用して、違う呪文を唱えなおす。直後、あたしの黒い炎とは違う、正真正銘真っ赤な炎が、奔流となって迫ってくる。

「なんの!」

『快刀乱魔』を振り下ろし、煌々と輝く火炎を切り裂く。散り散りになった火炎は、行き場を失って消滅する。何かがスパッと裂ける様は、思いの外気持ちがいい。

「どんなもんよ⁉ あんたの攻撃はもう通用しない!」

「……その闘剣の性能は把握した。貴様こそ、強がりもそろそろ限界ではないのか?」

「は! 見くびんなし! まだまだいけるっての!」

 虚勢を張るが、悲しいかな向こうさんの指摘は正しい。

 立て直したのは精神的な部分であって、肉体的な傷はそのままだ。状況を五分五分まで持ってこられたのはいいけど、このままでは体力的にみて、あたしが先に電池切れになる。

 奴はケンの見立て通り、技も腕も強い。だとしても、まったく歯が立たないわけじゃないこともわかった。けど、ここまで自分を持っていくのに、あたしは傷を負いすぎた。

 これは、よーいドンで始まる試合ではなく、純粋な戦いだ。スタートラインもゴールテープもない。あるのはただ、一つの勝利と一つの敗北のみ。そして、敗者がどれだけ叫んだところで、それは負け犬の遠吠え以外の何物でもない。

「はあ……は……う──く!」

 一度は持ち直した意識が、また持っていかれそうになる。やっぱり、付け焼刃じゃ盤上をひっくり返せないのか? せっかく新しい獲物まで出てきてくれたってのに。

「新しい、獲物? ……あ」

 自分で言って自分で驚いた。これがアニメなら頭に電球が灯っていたところだ。

 そうだ、あたしの獲物が槍と闘剣なのは、偶然じゃない。

 この二種類は本来、同時に扱う代物ではない。あたしが気付いていないだけで、何かしらの意味があるはずだ。それがわかりさえすれば──

 両の手に握られている、『兵香槍攘』と『快刀乱魔』。それぞれの獲物を見やり、考える。

「試してみるか」

 ある一つの仮説が浮かび、時間もないのでこの案でいくことに。

「いい加減燃え尽きろ! ──滅‼」

 あっちも考えることに疲れてきたのか、業を煮やした二発目の火炎攻撃が放たれる。

「ちょうどいい! せっかくだから使わせてもらう──よぉ!」

 炎に向かって、闘剣をブーメランのように投げつけ、上下に両断する。そこに突撃を発動させ、あたし自身も続く。

「……何かと思えば、理性までも吐き出したか!」

 奴はなんてことない、普通の跳躍で回避した。回転しながら、奴がいた場所を通りすぎた闘剣が、そのまま後ろの大木にカッ! と突き刺さる。

「見てなさい! これが成功なら、あんたはもっと遊べるよっ!」

『快刀乱魔』の柄に狙いを定め、『兵香槍攘』の口金部分を思いっきり打ち付ける。

 キュィィィィーーーーンッ!

 甲高い音と共に、接触部から黒い閃光が幾条と煌めいた。

 刺さっていた大木は周囲の木々ごと黒い閃光に細切れにされて、切り刻まれた木や葉っぱが時間差で落下し、足元を次々と埋め尽す。


 あたしの手には、一挺の鎌があった。


 と言っても、『兵香槍攘』の口金部分に、『快刀乱魔』が刺さっているだけの、文字通り『くっつけてみた』って感じの雑さではあるけど。まあ、見てくれはともかく成功は成功だ。

「ほっほ~ん! やっぱり合体した!」

 あたしの予想は、間違っていなかった。

 初めてこいつを呼びだした時『なんでこんなとこに穴があるんだ?』と、不思議に思っていた。穴のせいで強度が落ちたりすることもなかったので、今日まで気にしなかったけど、こんな仕掛けがあったとは。やっぱ土壇場の思い付きって大事だぜ。

「いよっ──と! ほっ──と! ……スゲーカッコいいなコレ!」

 出来立てホヤホヤの相棒を担ぎ、思い思いに取りまわしてみる。これじゃあ、魔女っていうより死神ね。柄にもなく少女を名乗る向こうさんよりは百倍マシだけど。

「この局面で、新武器だと⁉ 貴様、物語の主人公にでもなったつもりか?」

「う、うん? ……ま、まあね!」

 なんか急に会話の切り込み方が変わった気がしたけど、気の利いた返しを考える暇もないので、素通りさせてもおう。

「さあ、狩りの時間よ。──行くぞ!」

 切先を奴に向けて突撃をかける。槍状態と変わらない推力に押し出され、一気に加速する。

「『君が為、尽くす心は、水の泡、消えにし後は、澄み渡る空』──迅‼」

 奴が呪文を捲し立て、宙に浮き上がった。

 角度を調節し、奴に一直線! すれ違い様に、鎌の刃で切り付ける。

「ぐうっ⁉ ──ならば、迅‼」

 こちらの一撃を錫杖でいなした奴は、追撃とばかりに大気の斬撃を放ってくる。

「──だったら、全部ぶった切る!」

 突撃を急きょ方向転換、追いかけてくる斬撃に向き直り、正面から迎え撃つ。

 ──シャ! シャ! ──シャシャンッ!

 突撃の勢いを利用して、鎌を振るい、すべての斬撃を真っ二つに引き裂く。

「何だと⁉ ええいっ!」

 ここにきて、初めて奴の悪態を聞いた。

 追う者と追われる者が逆転した。奴は適度にこちらを振り返り、斬撃を飛ばしてくる。ただしこれまでのように、全部が全部あたしを狙えているわけではなくなっていた。

「ふ! ひゅ! はぁ!」

 速度を落とさず、放たれる斬撃のうち、あたしに干渉するものだけを選別して対処する。

 こっちが一個切るのに比例して、あっちの焦りも少しずつ積もっているようだ。

「このままではジリ貧か。ならば、全力を持って貴様を潰す!」

 不利な状況に見切りを付け、奴はついにあたしに向かってきた。立場が逆ならあたしもそうする。敵ながら実にいい判断だ。

 ガギィィッ!

 空中で鎌と錫杖がぶつかり合う。眼で追うことすらままならない一閃を、互いに幾度となく繰り返す。ほぼゼロ距離で放たれる斬撃を、強引な鎌さばきで流し、蹴りが決まればその勢いで追い追われの空中格闘戦になだれ込む。

 それらが幾重にも繰り返され、ほんのわずかな差異ですべてが一瞬にして移り変わる。

「はあ──っ! はあ──っ!  ふふ──‼」


 ……愉しい‼


 今まで感じたことのない幸福感が、あたしの頭と全身を満たす。

 身体は疼いて疼いてたまらず、意識はどんどん鮮明になっていく。頭で思い描いた動きに、身体が遅れてついてくるのがもどかしくてたまらない。疲労と貧血で倒れそうになっていたのが嘘のようだ。

 斬撃も手に取るように見える。軸線から外れている物は無視し、来る物は避け、できなければ斬る。すべての判断を一瞬で行い、実行する。肉体が、精神が、細胞の一つ一つが、『戦って生き残る』という、生物としての根源的な本能のためだけに余すことなく稼働している。

「ふふ……うひぃ」

 口角が吊り上がっているのが自分でもわかる。きっと今のあたしは、そりゃあもう悪い顔で笑ってるんだろうね。

 ケンの言う通りだ。こんな感情、部活の助っ人なんかで満たされるわけがない。

 一瞬でも気を抜けば闇。運にも左右される世界。自らが壊れてしまうような刹那。その中で得られる『生きている』という証明。

 ケンが出会って最初に話してきた、徹頭徹尾ギリギリの世界が、ここにあった。


 あたしは今! この瞬間のためだけに生きている‼


 断言しても過言ではないほどに、気分が高揚していた。

「お前! 本当に人間なのか⁉ どこかに置き忘れてきたんじゃないのか⁉」

 完全に後手に回っている奴から、性懲りもなく憎まれ口が叩かれる。

「だから言ったじゃんさっき! あたしは魔女だって──さぁっ!」

 そう返して鎌を振り下ろしてやると、奴の錫杖は真ん中からバキンッ! と砕け散った。

「もぉらったぁーーっ!」

 乾坤一擲! 鎌を振りかぶる、狙うは心臓、手加減する余裕はない。一気に討伐する!

「──ふ‼」

 刹那、奴は上体を無理矢理に反らせ、これを回避した。──のだが、衝撃波までは躱しきれず、登場からずっと奴の顔を覆い隠していた籠が、形を残さず薙ぎ払われる。

「お・返・し・だぁぁっ!」

 ガラ空きになった奴の腹に、意趣返しとばかりに回し蹴りを叩き込む。

「──ぐぅほぉぁ⁉」

 ズゥゥーーン‼

 奴はなすすべなく落下。腹に響く激突音とともに地面へ激突した。あたしの時同様、激しい土煙を上げ、これまでの先頭が嘘のように静まり返る。

《お見事です、棗。しかし──》

「わかってる! まだ出てくるな!」

 ケンを制しつつ地面に降り立ち、再度鎌を構える。手ごたえはあったけど、煙が晴れきるまでは油断できない。慢心が通用する相手じゃないのは、身をもって知ったばかりなのだ。

「ゲホッゲホッ! あー……もういいぞー私の負けだ! ったく、やってられるか……」

 煙の奥から、ふて腐れた声が届く。

「…………」

 罠を警戒して、ゆっくり近づいていく。

「なんだどうした? わざわざ降参してやったってのに、ずいぶんと臆病だな?」

「そりゃあね、あんな芸達者なら近寄るのだっておっかないわよ。そもそも──」

 そこまで応じて、あたしは二の句が継げなくなってしまった。

「え? ……へ⁉ あんたまさか……詩乃⁉」

「な! 貴様、なぜ私の名を──……って、お前ナツか⁉」

 敵の魔法少女、ムカつく夜色法師は、あたしの友人こと赤岩詩乃だった。



「大丈夫、詩乃?」

 言いながら、切り株に座り込んだ詩乃の背中を優しくさする。

「ああ、だいぶ楽になってきた。てか、お前がそれを言うのか?」

「お互い様でしょ⁉ あたしなんか胃の中全部出しちゃったわよ! 腹減った!」

 ちょっとばっかしムカついたので、耳元で叫んでやった。

「あーうっさいな……っ! てかお前、さっき吐いたばかりでもう食欲があるのか? やっぱり人間じゃないだろ?」

「ほっとけ! いや、それよりなんでよ? なんで詩乃が魔法少女なんてやってるの?」

「それは私の台詞だ。こっち側ならいざ知らず、なんで化物の味方なんてしてるんだ?」

「っ! あんたねえ! さっきから化物化物って──」

《どうやら、情報のすり合わせが必要なようですね》

 先程とは違う意味でケンカになりそうになっていると、毛羽立った雰囲気を壊すようにケンがトコトコと林から現れる。安全だとわかった途端カッコつけやがって。

「……ナツの隣にいた魔獣か。他の奴に比べてずいぶんと言葉が達者だな。……おい」

「はいはい、ちゃんと紹介するわよ。こいつはケン。あんたたちの大好きな、魔獣の王様よ」

 完結すぎる自己紹介もあったもんだが、これでおおよそ伝わるからスゴい。

「魔獣の王……様? ……ってことは、お前が魔獣の親玉! なの、か?」

《いかにも》

「……眼の前にとんでもない懸賞首がいたもんだな」

 驚愕に立ちあがった詩乃だったが、状況が飲み込み切れていないようで、難しそうに額を押さえ、再び腰を降ろす。

「詩乃、わかってると思うけど──」

「大丈夫だ。身も心も疲れ切っててそれどころじゃない。誰かさんのおかげでな」

「あっそ。ならいいわ」

 一応釘は差しておこうと思ったのだが、どうやら見てくれ以上に疲労困憊の様子。

「──にしても、小間使いならともかく、王の直属で戦うなんて、ますますもって正気とは思えないけどな」

「まだ言うか! あんたこそ、生き物の命を奪って何も感じないの?」

 疲れてイライラしているせいか、売り言葉に買い言葉だった。あっちにはあっちの事情があるんだろうけど、だとしてもも言わずにはいられない。

「──言葉を使う奴だっているんだぞ? 何にも感じないわけあるか! なるべく楽に逝けるよう止めを刺す。遺言だって聞いてる。最後に合掌もしてる。……それで許されるとは、思ってはいないけどよ」

 詩乃は下を向いたまま吐き捨てる。

「だけどな、ナツ。私から見たらお前の方がよっぽど悪役だ。考えてもみろ、私が異世界から来る敵と戦ってる中、そっち側に与するお前は仲間を裏切った悪の女幹部そのものだぞ?」

「……ほんとだ」

《棗、そこは否定して下さいお願いですから》

「ああ、うん。……実際はそんなに単純じゃないから。話せば長くなるけど」

 珍しくケンからツッコミをもらい、取って付けたように反論する。危ない危ない。あっさり論破されるところだったぜ。

《二人とも、今日のところは解散しましょう。こんな極限状態での会話、不毛の極みです》

「いやいやいや! 今話さないでいつ──」

《私も一刻も早くとは思いますが、これだけ派手な戦闘をした以上、麓から人が来るのも時間の問題です。まずはここを離れ、彼女を安全な場所へ移動することが先決かと》

「「…………」」

 あたしたちは振り返る。

 あちこち焼け焦げた駐車場。大破爆散して燃え盛る軽トラ。ボッコボコにえぐられた地面。細切れにされた雑木林。……その端っこで寝てる唯姉さん。

 何をどうすればこうなるのか、てんでわからない有様だった。

「……まあ、そうね」

「確かにな。一度帰って頭冷やすか」

 狩るか狩られるかの瀬戸際で一切眼中なかったけど、いざ終わってみるとこの光景にひたすら戦慄するばかりだ。

「……そういうことなら仕方ない。話をするのは、また明日にするか」

「だね、了解。あたしもクタクタだよ。帰ろ帰ろ……」

 現実から眼を背けるようにして、本日初めて詩乃と意見が合う。

「あたしは唯姉さんを生徒会室に戻してから帰らなきゃだから、詩乃は先に行ってて」

「水臭いこと言うな、私も行く。手負いの単機行動は危険だ。護衛の一人も必要だろ?」

 心地よく請け負うと、詩乃は『よっこいしょ』と、年寄り臭い掛け声とともに立ち上がった。軽く柔軟をしている背中が、より一層の哀愁を感じさせる。

「マジで? 助かる。手負いはお互い様だけど」

「それは言うな」

 不思議な気まずさに苦笑しながら、あたしたちは逃げるように現場をあとにした。


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