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魔引きの魔女  作者: 片桐 楚江
〈邂逅編〉
3/39

第二章

「…………は?」

 ……なんだ、今の? 今、こいつが喋ったような気がしたんだけど。

「……ま、まさかな! あり得ないよな犬が喋るなんて!」

《いえいえ。そんなことはありませんよ》

「…………」

 ……なんだろう、また空耳が聞こえてきた。

「そ、そっか! どこかにマイク仕掛けられてんだな? 待ってろ今外してやるから──」

 子犬を抱き上げ、いろんなところをまさぐってみる。足はもちろん、毛の奥も確かめる。

《あ、いいですね。気持ちいいです。あ、そこはくすぐったいです》

 マッサージ屋のおっさんかマイクの向こう側にいるのは? どんだけ演技派なんだよ。

「くっそ……ない」

結局、逆さまにしたり振ってみたりしたけど、こいつが雄だってことぐらいしてわからず、マイクの類は見つからなかった。

「あり得ないなんだこいつ⁉ なんだこいつあり得ない!」

《落ち着いて下さい。それが普通の反応ではありますが、事実です。私今、喋ってます》

「なんでわざわざ片言にした? ……いやいや嘘だろだって口動いてないじゃん⁉」

《頭の方に直接声を送っていますからね。これなら誰かに盗み聞きされることもありません。女子高生が犬に話しかけているという、非常に可哀想な構図にはなってしまいますが》

「やめろあたしを変質者にすんの!」

《では、そろそろ認めていきましょう。私が喋る犬だということを》

「……ええー」

 大仰に語っちゃいるが、どっからどう見てもただの犬なんだよな~。

「……マジで?」

《マジです》

 子犬は真っすぐあたしを見て言い切った。

「…………」

 腕を組んでしばしの沈黙。時計の秒針が時を刻む音がやたらとやかましい。

「うっわー……マジか⁉ マジ喋ってんのあんた? うっへ~マジなのか~」

 よくわからない絶望とともに頭を抱え、テーブルに突っ伏す。

《随分と物分かりがいいですね。叫んだりしないんですか? おもしろくありませんね》

「いやー三週回って絶句だわ~。てか、取り乱すことを期待されてもな」

 犬さんのご指摘通り、もう少し慌てふためていてもいいんだろうけど、いろんなことがぶっ飛びすぎていて逆に冷静になってしまったよ。

 どうなってんすかねこの状況? 犬が喋りだすとかどんな物語の序章? しかも声がおっさんってよ!誰が喜ぶんだよその人選? いや犬選か。

「で、なんなんだよお前? 運がいいとか、出会えたとか? あたしに用でもあんの?」

《よくぞ聞いてくれました。そうなのです。四ヶ郷棗さん。私があなたを探していた理由。それはですね──》

「あーちょっと待て! こっちから聞いといてアレだけど、その前に──」



「……はむ、ふむ。……うん、うまい」

 レンゲを皿にカチャカチャと当てつつ、速攻で作った卵チャーハンをかき込む。野菜やチャーシューを入れている感覚で調味料を使ってしまったからなのか、いつもよりしょっぱい。とはいえ、助っ人に次いで自転車全力疾走だったこともあり、結果オーライではある。

《あなたも神経が太いですね。こんな突拍子もない話を食事の片手間でするなんて。お行儀が悪いですよ?》

「仕方ないだろお腹空いてるんだから! そんなんで聞いても右耳から左耳だよ」

 左手でチャーハンを食べながら、右手で犬もどきがさっきからペラペラと喋っていくのをメモ。あたしは箸を持つ方だけは左利きなので、こんな芸当もできたりする。ちなみにこれの弱点は、両手が使えたところで考える頭は一つしかないってところだ。

「ふうー。ごちそうさまでした、と」

 ちゃんと手を合わせ、食器を流しに置いてから再びテーブルへ。メモを見直し、頭の中で確認すべき要点をまとめる。

「よし、じゃあいくぞ! 魔界と天界が戦争して、魔界が勝ちましたと」

《いかにも》

「……ずいぶんあっさりしてるわね。ここの話だけでも、壮大な物語になりそうじゃない?」

《無論、文面通り結果がすんなり出たわけではありませんが、とりあえずそれさえ理解していただければ現状は問題ないかと》

「そもそもさ、魔界と天界が戦争やって魔界が勝っちゃうもんなの? 天界っていったら天使とか? 連邦の神話に出てくるような奴とも戦ったの?」

《それはあなた方人間の作り出した存在でしょう? 考えてみて下さい。天界に行くこともできない人間が、どうしてそこに住む者の名を知り得るのです? 魔界も同様です》

「ほーん。そういや、あんたの名前は?」

《個を識別するという意味での名前なら、忘れて久しいですね。皆、私のことは獣王、あるいは我らが王、と呼んでいます》

「はーん。……え? じゃああんた王様なの⁉」

 偉いどころか頂点じゃん! てっきり下っ端の小間使いかとばかり思っていた。

《ええ。こう見えても私は、魔獣を束ねる王なのです。跪いてもよろしいのですよ?》

「よくもまあ、恩人にそんなこと言えたもんね。……んで、太平の世になって幾星霜、一緒に戦っていた魔人族と魔獣族だったが、次第に魔獣族が迫害され始めた。と」

《はい。戦争当時こそ、両種族は互いをかけがえのない存在と認識していましたが、時代が流れて世代も変わり、魔人族は我らを知能の低い動物として見るようになりました》

「で、ついにブチ切れた魔獣族が、魔人族にケンカを売って返り討ちに遭いました。と」

《……はい、魔界を追いやられた魔獣族は、現在魔界の辺境やこの世界に落ち延びています》

「んで、その逃げた魔獣たちを、魔人族と契約した魔法少女たちが倒しまくってる。と」

《左様。先程あなたに救っていただいた際、私を探していた者、あれが魔法少女です》

「ふむふむ。そもそもなんであんなとこにいたの? あたしを探してたなら学校なり家なりで張ってればよかったじゃない?」

《予定ではもちろんそのつもりでした。しかしまさか、こちらに転移した途端に捕捉されてしまうとは思わず、痛恨の極みです》

 悔しそうに項垂れる犬。いや、獣王か。そう考えると空恐ろしいわね。魔獣側の親玉が、初っ端の初っ端で狩られてたかもしれないんだから。

「……わかんないんだけど、魔人たちが直接あんたらを倒しには来ないの?」

《それは魔力の精製方法の違いに答えがあります。魔人族は生きとし生けるものの感情の起伏から魔力を取り出せます。それに対し、我らはその対象を討伐しない限り、魔力を取り出せません。つまり彼らは魔法少女を運用しているだけで、資源が枯渇することがなく、自ら戦場に赴く必要そのものがないのです》

「討伐って……あんたまさか、見境なく人を襲ったりしてないわよね?」

 そんなことになってたら、ここであたしがこいつをどうにかしなければ。

《そこはご安心を。里を追われたとて、我らも魔獣としての矜持があります。むやみやたらと関係のない者を巻き込んだりなどしません。対象はあくまで魔法少女のみです》

「そう。ならいいわとりあえず」

『人類全体を考えて』なんて、仰々しいことを言うつもりはないけど、無関係な人まで傷つけていたらと思い、聞かずにはいられなかった。

「で、魔法少女側と魔獣側の戦力比が──」

《現状、数の上では魔獣側が圧倒的ではあります。しかしながら、魔法少女の増加数とそれに対する討伐数を算出すると、そう遠くない期間で逆転してしまう計算です》

「……ガチで根絶やしにかかってるわね」

 こいつの話を聞く限り、根底にあるルールからして魔獣側が不利だ。いや、これはもうルールなんて対等な言葉を使うこと自体が間違っている。

《あなたの仰る通り、このままでは我らは魔人族に蹂躙されるのみ。しかし、千里の道も一歩より。この国の諺だったと記憶しています。そのために、私は来ました》

「……えっとさ、会話の流れから考えるに、もしかしなくてもあんた、あたしと組んで魔法少女と戦ってくれって言うんじゃないでしょうね?」

《これまたご明察。話の骨子としては概ね合っています。ですがこれに関しては、順を追って説明せねばなりません。四ヶ郷棗さん──》

 そこで一端話を区切、獣王は改めてあたしに向き直った。

《あなたは今、悩んでいますね? 自身が何をしても埋まらない、心の渇望に》

「──⁉」

 確信を突く獣王の発言に、思わず息を飲む。

 図星も図星、大図星だ。なんたってそれは、こいつを助ける寸前まで悩んでいたことだ。

 帰り道の葛藤が、今更ながらに思い起こされる。

 何かを見つけられないあたし。中途半端なあたし。そんな現実を変えたいあたし。

 だからこれからも、いろんなとこに首突っ込んで、自分が夢中になれる一つのことを見つけようとしてるんじゃないか。

《残念ですが、あなたの日常でそれを埋め合わせることはできません。これから先、あなたの眼に映る範囲を探しても、巡り合えることはないでしょう》

 心でも読んでいるのか? 獣王はあたしの方針を即座に切って捨てた。

「ど、どうしてよ⁉ わかんないだろそんなのやってみなくちゃ──」

《いいえわかります。あなたの満たされない渇き、それは『狂気』です》

「きょ、狂気?」

 告げられた言葉をただ繰り返す。それは決して、殺人に使われた道具のことでもなければ、電車のレール幅のことでもないだろう。

 冗談なんかじゃない。こいつが嘘をついていないことは、すぐに確信した。

『狂気』

 読んで字のごとく、狂う気持ち。我を忘れて暴れまる。無差別に人を傷つける。そして、それらを悪いとも思わない心。

「……あたしの、求めてるものが……狂気?」

 だとしたらあたしは、心の奥底では狂いたいと思っていることになる。そんな気持ちがあたしの中にあるなんて……信じたくないわ。

《気を落とすことはありません。独占したい。辱めたい。奪いたい。支配したい。その手の感情は強弱の差こそあれ、誰もが持ち合わせているものです。ただあなたの場合、それを活かそうとするにはこの国と時代は豊かすぎるというだけです》

 眼前の柴犬は、感情の起伏など一切なく、ただただ事実だけを告げている。ように見える。

《一瞬でも気を抜けば暗闇。これはもはや実力のみならず、運にも左右される領域です。自らが壊れてしまうような刹那。その中で得られる『生きている』という証明》

 政治家の演説じみたリズムを踏み、獣王はなおも続ける。

《あなたの心が求めているものは、そういう類のものなのです。そんな代物を、自身の力だけで見つけられるとお考えですか?》

「それ、は──」

 無理だ。口には出せなくても、心の中で答えは出ていた。

《魔界から覗かせてもらいましたが、部活動の助っ人をしていましたね? あなたは様々な部活で試合をし、その瞬間がもっとも輝いていました》

「……んなことまで調べてんのかよ?」

《事前の情報収集はすべてにおいて基本です。活き活きとはしていましたが、狂気はわずかに満たされた程度でした。もしも、あなたが戦乱の世に生を受けていれば、さぞ名を上げていたことでしょう。それが英雄か、大悪党かまではわかりませんが》

 台本に書かれていることをひたすら音読するように、獣王は淡々と言葉を紡いでいく。

《断言します、四ヶ郷棗さん。あなたの心の渇きを潤せるのは、命のやり取りのみなのです》

「……マジかー」

 獣王から放たれた最後の言葉に、鈍器で頭を殴りつけられたような衝撃を受ける。座っているにもかかわらず、立ちくらみしたような感覚が襲ってくる。

「だからあんたと契約して、魔法少女たちと……戦えっての?」

《今のあなたにはこれ以上ない妙案かと。まあ、命のやり取りなどと大仰なことを言いはしましたが、そこまで踏み込んだものでもありません。実際は──》


 バンッ!

「「話は聞かせてもらったよ!」わ!」


 勢いよく開け放たれたドアから、流れるように突撃してくるのが二人。

「え、父さん母さん⁉」

 当然だけど、あたしの両親だった。

「なんで? あと一時間くらいは帰って来ないのに? あ、いや! この犬はその──」

「棗、誤魔化さなくて大丈夫だよ。話は卵チャーハンの下りから全部聞いてたから」

「ほとんど全部だな! 盗み聞きとはいい趣味してますねお父様⁉」

 娘のプライバシーを笑顔で踏みにじる親父に食ってかかる。

「いやでもさ、カーテンの隙間から覗いてみたら犬に話しかけてる可哀想な娘がいたもんだから。まあ、気になるよね」

「うお~マジか~……」

 よりによってこんな最速で見つかるとか、運が悪いとか通り越してアホだな。

「……ん? つかなんでこいつの声聞こえてんの?」

《棗、申し訳ありません。我々だけかと思い、念話の範囲を絞っていませんでした》

「意味ねーじゃねーかよそれじゃだったら口で喋れよ!」

 エラそうな喋り方のくせに抜けてんなこの王様。

「あなたが魔界の獣王さんね? 棗の母です。よろしくね」

《いえ、こちらこそ。厄介になります。母君》

 喋る犬に一切臆することなく、ガッチリと握手──前足だが──を交わす母上様。

「何まったりしてんの母さん⁉ つーか二人とも、なんでこの状況で正気なんだよ⁉ 叫んだりしなよ。犬が喋ってんだよ⁉」

 自分のことを棚に上げるのもアレだけど、この二人が落ち着いているのはあたしからすれば恐怖しかない。

「いいじゃないたまには犬が喋ったって。私小さい頃から夢だったのよ? 裏の世界で悪い奴らをバッタバッタと倒していく公儀隠密みたいなの」

 母さんは若返ったかのように喜々とした表情を浮かべ、キレッキレの素振りをしてみせる。

「……母さんたちの世代で見る夢にしてはハイカラですね」

「よかったね母さん。娘が夢を叶えてくれるなんて最高じゃない」

「そうねあなた。親冥利に尽きるってものだわ」

「子供に自分の夢を押し付ける最悪の凡例がここに!」

 あたしの訴えを余所に、二人はまるで旅行の計画でも立てるようにワクワクしながら話している。ここだけ切り取れば、円満な夫婦の図なんだけどな~。

「で、ワンちゃん。どうすればあなたと棗が契約できるの?」

「なんであたしが契約する方向で話が進んでるのさ⁉ 二人とも落ち着いてくれよ!」

《それでしたら、コホン──》

 居住まいを正し、真面目な話に切り替えていく獣王。念話でわざわざ『コホン』とかやる必要ないだろ。

《私が棗の喉元に咬みつき、そこから私の血を流し込みます。血が馴染めば契約完了です》

「ひぃっ!」

 反射的に首を隠し、獣王から距離を取る。

吸血鬼が血を吸うってのは映画とかで見るけど、逆は聞いたことない。てか、血を流しこまれるって吸われるよりヤバいんじゃないのか?

「……さすがにそれはちょっと。ねえ、母さん?」

「……そうね。いくら私たちでも、娘のそんな姿見たくないわ」

 これにはさすがの二人も狼狽えた様子。

「だ、だよね⁉」

 いくらなんでもそんなこと娘に強要する親がいるわけないよな? は~よかったよかったこれにて一件落着! はい解散解散! もう店仕舞いですよ!

《──というのが一番効率のいい方法なのですが、やはりこれは敷居が高いということですので、こちらの方法でいきましょう》

『?』

 獣王の意味あり気な言葉に、顔を見合わせるあたしたち。つか、やっと家族全員で反応が揃って安心したわ。なんだこれさっきから!

《すみませんが母君、コップを一つお借りできますか?》

「え? ええ、わかったわ。ちょっと待っててね」

 獣王に促されるまま、母さんは台所からコップを持って戻ってくる。

「これで大丈夫かしら?」

《ありがとうございます》

「で、そのコップどうす──」


《オヴォェェェェ~~~~‼》


『⁉』

 突然獣王がえずきだし、あたしたち家族一同は飛び上がるほど驚いた。

《オヴェェッ! ヴゥッ──ゲェヘァッ!》

 あたしたちが呆然としている中、獣王は酔っ払いよろしく苦しそうにえずいている。この手の声って、聞いているとこっちまでいろいろ催してくるからイヤだ。

《……ふう》

 どうやら収まったらしい。獣王は前足を器用に動かし、コップをあたしの前に差し出した。

『………………』

 コップには、獣王の生き血が並々と注がれていた。それは完熟したトマトのような見事な赤色で、あの声を聞いてさえいなければ、『トマトジュースだよ。お飲み!』って出されたところで文句は言わないだろう。……聞いてさえいなければな!

《これを飲めば契約完了です》

「しれっと何言ってんだコレ結局お前の血だろしかも吐いたやつ‼」

 犬が吐き出したもの飲むとかどんな拷問だよ! 絶対イヤだし!

《何故です? 咬みつかれるよりはるかに安全ですよ? ハードル、低くなりましたよ?》

「普通に難易度変わらんわ‼ これはもうハードルの下潜って進むようなもんだろ⁉」

《よくもまあ、そんな気の利いた例えを瞬時に返せますね》

「あら、いいじゃないこっちなら」

「そうそう。健康にもよさそうだし」

「光の速さで手のひら返したなおい!」

 数秒前まで不安そうだった二人の顔に、眩しい笑顔が返り咲いていた。手首にモーターでもついてんのかこの夫婦?

《でしたら今度、お二人には健康に配慮したものをご用意しましょう。こちらはあくまで、棗との契約用ですので》

「ホントに? 嬉しいわ~ありがとうワンちゃん」

「青汁の通販感覚で犬の生き血に興味持つなよ! やめて! 頼むからそれだけは!」

 この駄犬、本当は適当に一芝居打って我が家を陥れるつもりなんじゃなかろうな?

「ほらほら棗。グビっといっちゃって!」

「前向きに考えてみなさい、棗。やりたいことを見つけられる第一歩かもしれないのよ?」

「で、でもさ、いくらなんでも血は──」

「「一気! 一気! 一気!」」

「え、ええ……」

 それが四十過ぎてようやく授かった一人娘に対する仕打ちか⁉

《いやはや、諧謔(かいぎゃく)に富んだご両親ですね》

 隣で柴犬もどきがなんか言ってきてるけど、あたしの精神はそれどころじゃない。

 家の両親は結婚が遅く、他の家に比べて年配だ。だからなのかはわからないが、あたしは年甲斐もなく茶目っ気たっぷりで、笑顔の絶えない二人が大好きだった。

 それがなんだこの仕打ち⁉ 普通だったら家出するぞこの状況!

 何より腹立たしいのは、なんだかんだでこの二人なら言いかねないと、そこまでショックを受けていないあたし自身だ。

 この人たちと同系統の血が流れているという事実を踏まえると、あたしが狂気を求めてるってのも、存外本当なのかもしれない。なんて裏の取り方だよ。

「…………」

 コップに並々注がれた──吐き出された──獣王の血を睨み付ける。……念力とかでうまいこと割れたりしないだろうか?

《そんな非科学的なこと、あるわけないでしょう》

 ……どこからツッコめばいい⁉

「はあ……」

 いろいろと考えた結果、出てきたのはため息だけだった。『こんな選択もアリか』と、思ってしまった自分が情けない。結局どこまで行ったとしても、あたしはあの人たちの娘なのか。

「あ~クソ! どんとこいよ腐れ外道~っ!」

 両親の一気コールを背に受けて、あたしはコップを手に取り、一気に煽ってみせた。



「はい、終わり!」

「起立! ──礼!」

『さようならー』

 切り取って張り付けただけのような帰りのホームルームが終わり、とりあえず一息つく。

 早くバイトに行きたいのか、詩乃が慌ただしく黒板周りを片付けている。

「じゃあなナツ。今日はバイト早いから先に行く」

 にもかかわらず、わざわざあたしのところに寄ってくれる律義さには頭が下がる。

「゛お゛う……。゛まだ明日……」

「大丈夫か? 一日中その声だけど?」

 まあ、昨日の今日でいきなりこんな声になってれば、聞かずにはいられないわな。

「……゛あ゛あ。大丈夫大丈夫」

 当然だが、全然まったくこれっぽっちも大丈夫じゃない。口の中は血の味がするし、声はおかしくなるし、喉はイガイガするし。なのにやたらと力が有り余ってるし。

 これでもし、『大丈夫だぜ! 昨日、柴犬の吐いた血を一気飲みしただけだから!』なんて言ったら最後、一瞬で町中に知れ渡って変人街道まっしぐらだ。

 もとより地方の田舎町。人の醜態ほどおもしろい話題はないのだ。

「心配がげで悪い゛わ゛ね。バイト頑張っで」

「あ、ああ……ありがと。……じゃあ、また明日な」

 こちらの『何も聞くな』って空気を感じ取ってくれたのか、腑に落ちない顔をしつつも、詩乃は話題を掘り下げることなく教室を出て行ってくれた。

「……帰゛ろ」

 時間差であたしも教室を出る。詩乃を避けるつもりはないけど、この調子で一緒にいるのはなんだか気まずかった。



「ただいま~」

 昨日みたいな緊急事態もなく、普通に家に到着。あんなこと、毎日あったらたまったもんじゃないけども。

「あー、あー、……うむ」

 今更のように楽になってくる喉。朝一番とまでは言わなくても、せめて昼過ぎくらいまでには治ってほしかった。

《おかえりなさい、棗。さあ、行きましょうか》

 そんなあたしを、やる気全開の柴犬さんが出迎える。

「いきなりだな! 少しくらい休ませてくれよ!」

 早く散歩に連れてけとばかりに尻尾をフリフリしている自称魔獣の王。喋らなきゃかわいいんだよ、喋らなきゃさ……。

「……てかあんた、今朝よりデカくなってない?」

 昨日連れて来た時は抱き抱えられる程度の子犬だったのに、今のこいつは幼稚園児くらいなら余裕で乗せられそうな大きさに成長していた。

《はい。昨日の傷も癒えてきましたので、肉体の大きさを調整しました》

「あっそ。ていうかケン。割と本当に休憩させて。あとうがいもしたい」

 そう呟き、あっち返答も待たず家に入る。

 ちなみに『ケン』というのは、昨日つけたこいつの名前だ。

 獣王じゃ堅苦しいし、柴犬もどきじゃ味気ないってことで家族三人で話し合い、最終的にあたしが強行した。由来は、『犬』だから『ケン』。

 その場しのぎの安易な流行には乗らず、かといって奇をてらわず、我ながらさっぱりしたいい名だと自負している。名付けられた方も《ふふ。固有の名称など、随分と久しぶりですね。ふふ》と、なんか嬉しそうだったし問題なかろう。

《仕方ありませんね。しかし、そう猶予はありません。落ち着いて急いで下さい》

 ケンの催促を背中で受け止め、あたしはそそくさと洗面所へ向かい、初陣の支度をするのだった。



「ああ~来ちゃったな~」

《はい、来ちゃいました》

 ひどくいい加減な感慨を自覚しつつ、工場の屋根から見慣れない景色を見回す。空は西の果てにわずかばかり茜色が残っている程度。ほぼほぼ夜と言っていい。

 暁天空領第一領、旗之凪島(はたのなぎしま)神蔵藩(かぐらはん)蒲咲地区(かまさきちく)

 時よりそよぐ風からは、排気ガスや機械油などの人工的な臭いがいささか混じっている。日常的に自然の作り出す風を受けている身としては、どうしても不快に感じてしまう。

 改めて工場街区を見渡してみると、無骨な配管が規則的に張り巡らされた工場がいくつも並び、様々な色の常夜灯がその全貌をほのかに照らしだしている。そんな工場からはグオングオンとよくわからない駆動音が轟き、湊の方からはキュィィ! という警報のような音も時折響いてくる。極端に騒々しくはないけど、時間帯にしてはせわしない。

「首都島にもこんなとこあんのねー」

 ここはここで趣があっていいのだが、生まれて初めて住む島を出て、最初に見る景色がこれというのは、なんとも微妙な心境である。

 この島に首都があるからといって、端から端まで栄えているわけではないと、頭ではわかっているのだが、テレビや雑誌で紹介される旗之凪島はどれも華やかなものばかりで、こういう場所もあるという認識が今一ピンとこない。

 この手の先入観も、こっちの人間からすれば田舎者特有の思考ってやつなのだろうか? 思い込みや擦り込みってのはなかなかどうして恐ろしい。

「しっかし便利なものがあったもんね! これなら世界中旅行し放題じゃん♪」

 ここに来るまでの経緯を振り返り、自然と声が弾む。

 うがいもして休憩もして、気持ちの準備も済ませると、《庭先でお待ちを》とケンが言うもんだから、縁側でダラダラ待っていると、突然足元に面妖な印が浮かび、気付いたらここいた。

 つまりあたしたちは、転移してここまで来たのだ。すごい! 控えめに言ってすごい!

 どうやって現場に行くのかと疑問だったが、こんなアニメみたいにポンって移動できるなんて、こいつが喋った時より驚いたし感動した。

《魔力を娯楽に使うのは感心しませんね。座標転移自体魔力を消耗しますので、おいそれとは使用できません。いざという時に逃げられませんし》

 呆れたような柴犬の忠告が、あたしのウキウキに釘を刺す。

「なんだよケチんぼだな~」

《そういう問題ではありません。棗、見張りに集中して下さい》

「はいはい。わっかりましったよ~」

 ケンに促され、渋々見張りに戻る。──とか言われても、どこをどう見たら見張りになるのかさっぱりなので、とりあえずそれっぽく周辺を見渡すことに徹する。

「本当にここで張ってれば、魔法少女が出てくるの?」

《厳密には魔獣の活動を嗅ぎつけた魔法少女がやって来る、です。この辺りは比較的、魔獣が現界しやすい環境のようですから》

「てことは仲間を囮にするってこと? 薄情な王様もいたもんねー」

《種を率いる者として、時としてそういった決断も必要です。場数をこなしていけば、やがてこちらから攻め込む糸口も見えましょう。今は手段を選んでいる時ではないのです》

「そんなもんかね」

《そうですとも。それと棗、今のうちに変身しておきましょう》

「ああ、うん。……はいはい」

 言われて今更のように、上下ともに一部の隙もないジャージ姿だったことを思い出す。……だって動きやすい格好だし。汚れたらイヤだし。どうせ変身するんだし。

《安心して下さい。誰も見ていませんし。服装の変化ごときで何も変わりません》

「それは、あたしの魅力がって解釈でいいんだよな⁉」

 ガッ! っとケンの首根っこを掴んでこちらを向かせる。いくらあたしでも、言われたら傷つく言葉の一つくらいあるんだぜ?

《ここで私があなたを持ち上げようが扱き下ろそうが、どちらに転んだところであなたのやる気には大して影響ないと思うのですが?》

「…………」

 そりゃそうだけどだとしてもなんかあんだろいい感じの景気付けとかよっ!

「ああ~もう! わかった、わかったよ! するよ変身。……ったく」

 一体何に対していじけているのか自分でもわからないが、とりあえず変身しないことには始まらないので、さっさとしてやることにする。


「狩れ、狩れ、狩れ……っ!」


 胸に手を当て、決めていた認証呪文を唱えると同時、漆黒の炎があたしを包み込んだ。

 炎だってことは本能的にわかるのだが、眼に映るそれは明らかに違う。

 熱を発するどころか吸収しているんじゃないかと思うほどに冷たく、照らす光は一切ない。自然界には存在し得ない炎。そんな得体の知れない代物が、あたしの回りを渦巻いている。

 ジャージはもちろん、下着までもが容赦なく焼き払われ、あれよあれよと素っ裸にされてしまった。誰にも見られていない──犬は数に入らない──とはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。

 そう感じている間にも、炎は爪先から舐めるように這い上がってくる。背中を指でスゥーっとなぞられるようなこそばゆい感触を、形成されていく衣服の心地よさが一蹴していく。炎が全身に行き渡り、役目を終えるようにサッと消え去った。

「成功ね」

 あたしは変身していた。軽く柔軟し、己の恰好を確かめる。

 この姿を初めて見た時、最初の感想が『軍服みたいだな』だった。

 色は引き締まった印象の暗緑青。新品よろしく漆黒色の光沢を放つブーツ。馬に跨った際、膝が突っ張らないように太もも部分がダボダボになったズボン。パリッと糊の効いたYシャツに、腰回りにベルトがついた上着。

《棗、違和感はありますか?》

「ない。昨日試しにやってみた時と変わんないわ」

 異常はないかと、両手で魔装衣をあちこち触る。

 ケンの生き血を一気飲みしてすぐ、こいつは《馴染むのが異様に早いですね。これなら今すぐ変身できます。してみますか?》と言ってきた。

 そんな早く変身して大丈夫なのかと不安だったが、未知への興味といい歳こいてはしゃぎにはしゃぎまくる両親に根負けし、慣らし運転は昨日のうちに済ませていた。

 着心地も身体の調子も昨夜と大差ない。つまり、問題はないということだ。

「これ、魔人族の軍服なのよね?」

《ええ。色や形状にいささかの差異はあるようですが、魔人族の魔装衣に近い意匠です。魔法少女を相手取るに際し、これほど相応しい格好もないでしょう。あ……似合っていますよ》

「いらんわんな取って付けたおべんちゃらなんぞ!」


 ──カァーン……ッ! ──キィン……ッ!


「⁉ な、何この音?」

 平静を装いつつも、そこそこカッコいい衣装に内心高揚していると、遠くから金属同士がぶつかり合う、甲高い音が響いてきた。

《どうやら当りのようです。行きましょう、棗》

 言うが早いか、ケンはピョンと一跳ねで隣にそびえる工場へ飛び移ってしまった。

「は⁉ え、ちょっと待てよ! そんなさも当たり前みたいに──」

《何をしているのです。変身したあなたなら造作もありません。早く!》

「って言われてもな。──高⁉」

 改めて下を覗き込む。高さはおおよそ二十メートルくらいか? 確か、人間が一番恐怖を感じる高さがこれくらいじゃなかったっけ? あっちも焦ってるけど、だからってこれはおいそれとは飛べんよ~……。

《落ち着いて。下を見ずに、助走をつけて、幅跳びのように跳躍するのです》

「お、おう……」

 言われた通り、後ろへ下がり、助走のために距離を取る。

「はあ、はあ……うう」

 緊張で呼吸が乱れ、あちこちから変な汗が出てきて身体を冷やす。

「……ええいっ!」

 毒づき、半ばやけくそに走り出す。

 屋上の縁があたしの駆け足に連動して近づいてくる。そこに効き足を乗せるため、無意識に歩幅が調整される。近づくに応じて胸の鼓動が、恐怖が膨れ上がっていく。

「──くうっ!」

 立ち止まりたい気持ちをねじ伏せ、あたしは跳んだ。ちゃんと一歩目は右足でいけた。精一杯踏ん張った。これでダメならもうダメだ。

 飛び込んできた感覚は、落下する恐怖ではなく、不思議な浮遊感だった。びゅうびゅうと風を突っ切る音が耳を走り抜け、気が付いたらケンの待つ足場が目前だった。

「うわ──とっとっ! ……ふう」

《上出来です。そのままついて来て下さい》

 なけなし勇気を振り絞って跳び移ったのも束の間、ケンは一言残してまた次の建物へ。

「おいおい……現場至上主義すぎるだろ⁉」

 文句を付いて立ち上がり、ケンのケツを追いかける。

 ところどころで足を踏み外しそうになったり、余計に飛びすぎたりしながらも、一回一回を慎重に跳び、力加減を身体に叩き込む。

 屋上から屋根へ。屋根から足場へ。欄干や窓の冊子に至るまで、掴む場所や出っ張りがあれば手や足を引っかける。とにかく、視界に入ったあらゆるものを利用する。

 ケンの方針に乗っかるのは癪だが、追い込まれないと身に付かない技能があるのも事実だ。

「──はっ! ──ふっ! ──とっ! ──あそこかっ!」

 十数メートルほど先を跳ねているケンが、とある建物の屋上で止まった。きっとあそこが目的地だろう。周囲を再確認し、気を引き締めなおす。

「よっ──とっ! はあ、はあ! つ、着いた……」

 転がり込むようにして屋上に辿り着く。緊張が解け、山を下り終えたあとのようにガクガクと膝が震えている。これ、しばらく立てそうにないな……。

《来ましたか。見て下さい。幸い、決着はついていません》

 生まれたての小鹿状態のあたしに、この犬っころは視線すら寄越さずに言い放つ。

 転びもしなければ落ちもしなかったけど、いくらなんでも無関心がすぎやしないかい? 別に褒めてもらおうなんて端から思ってないけど、スルーすんのはいかがなもんかと?

「ちょっ……と待って、行くから」

 立ち上がることができず、ヨチヨチ姿勢でケンの隣へ。

「──え? な、なんだよこれ……?」

 見つからないようにゆっくり顔を覗かせると、そこは戦場と化していた。

 周囲の建物には亀裂が入り、道路には穴が穿たれている。破れた水道管から水が噴き出し、千切れた電線からはパチパチと火花が散っている。

 戦場には四つの影があった。どう見ても人間じゃないものが三つに、小柄な人型が一つ。眼を凝らしてみると、三体の魔獣が一人の魔法少女を囲んでいる状況だとわかった。

「え? 魔獣って──あいつら虫じゃん?」

 眼下で戦っている魔獣は昆虫の姿だった。カマキリとバッタ、やや離れた位置にカナブン。

《私以外の魔獣を見るのは初めてでしたね。魔獣族はこの世界と同様にいくつもの種族が存在します。彼らは見ての通り、昆虫族です》

 思わず膝を打ちそうになる。魔獣というくらいだから、種族はせいぜい動物系なんだと思い込んでいた。

「三対一か。これだけ見ると弱い者いじめね」

《戦場に公平など存在しません。敵がこちらより少なければ、それを活かさない手はありません。正々堂々など、所詮は弱者のなれ合いでしかありません》

「別にあんたの考え方をどうこう言うつもりはないわよ。──お!」

 さっきまでカマキリの背中が邪魔だったが、互いに間合いを探り合っているらしく、ジリジリと魔法少女の姿が見えてきた。

「あいつが今回の魔法少女か」

 本日の標的であり、初の標的でもある魔法少女を眼に焼き付ける。昨日見たあいつと雰囲気はまるで違うが、派手な格好という意味では共通していた。

 連邦の貴族が着ていそうな模様が精緻に編み込まれたドレスに、ポフっとしたカボチャスカートが合わせられている。基調色の菫色が効いているのか、奇抜な見てくれの割には清楚にまとめられているように感じる。

 顔立ちから推測するに、年齢もかなり若い。滲み出るあどけなさ具合から、小学校高学年ぐらいといったところか。

 握られている魔兵装はこれまたベタで、先端に星のついたステッキ。まるで砂糖菓子を握りしめているようだ。……だから虫が寄ってきてるのか?

「ねえ、あの周りをワフワしてんのは?」

 魔法少女の背後にサメのぬいぐるみのような物体が浮かんでいたので尋ねる。

《あれは端末です。状況の分析、助言や諫言、魔人側との折衝など、魔法少女が一人で活動できるよう、各々に用意されているものです》

「ほえ~。そりゃ便利ね」

《というか棗、あれは昨日の魔法少女にもありましたが、気が付かなかったのですか?》

「いやいや、あの時はあたしもテンパってたし、そんな余裕なかったっつの」

 言われてみるとあの時、魔法少女とは明らかに別の声を聞いたような気もするけど。

「とりあえず、あたしにとってのあんたみたいなもんってことね」

《……あのような作り物と同列に扱われるのは不服の極みですね》

 と、珍しく不機嫌そうなケン。

「違うの?」

《大違いです。あれに意志などありません。そのように見せかけているだけです》

「意志がない? ──ああ、だから端末なんて呼び方なのか」

《はい。端末は魔法少女の記憶を辿り、最も効率的に話を進められる形態を作り上げ、思い入れのある品などに憑依します。警戒心を薄れさせたのち、契約を持ちかけるために》

「ふむふむ、なるほど」

 確かにそれなら、犬がいきなり喋りだして、さらにいきなり要件を切り出されたりするよりは幾分かマシだな。向こうさんもちゃんとその辺りは心得ているんだな。

 大切にしていたものに魔法少女になってほしいなんて言われたら、まるで主人公にでもなったような感覚になるだろうし。

 つまりこのお犬様は、意志のない使い走りと同列にされたんで怒ってるわけか。

「てか、順序立ててる分あんたより優秀なんじゃ……」

《え?》

「……え?」


 ドォォーーン‼


 どうすんだこの空気と思った矢先、それを吹き飛ばす爆発が下から轟いた。

「やっば見逃した!」

 急いで現場に注目すると、昆虫三匹組は倒れ伏していた。各々、身体の節々から湯気が上がり、傷口からは血だろうか、妙な色の液体が流れ出ている。

《まずいですね。広範囲攻撃を繰り出されたようです》

「……数の有利をあっさりひっくり返されたわね」

 数が絶対ではないけど、こうも簡単に逆転されてしまうと反応に困る。

《棗、お願いします。我が同胞を救い、あの魔法少女を討伐して下さい》

「お、おう。ついに初仕事か」

 口にしながら今一度、魔獣と魔法少女の位置関係を頭に叩き込む。本番には弱くないつもりだが、さすがに初陣となれば緊張しない方がおかしい。震えてこそいないものの、再び心臓の鼓動が若干早くなってくる。さてさてどうなることやら。

《大丈夫です、棗。どんな達人であろうと初めてはあったのです。あなたも今日を乗り越え、そんなこともあったなと振り返る日が来ます。今日が、その第一歩目です》

「これまた大仰な……」

 こいつはこいつなりにあたしの緊張を解そうとしているのだろうが、こっちからしたら圧力をかけにきてるとしか思えん言い回しだ。

「まあいいわ! ちょっくら行ってきてやんよ! 初陣、華々しくきめて──」

「集え、集え! 星よ、星よ! 光れ、煌めけ! 朝日のように!」

「うお⁉ ──っと。あーもーなんだよ間が悪い!」

 颯爽と飛び出して初陣としゃれこもうと立ち上がると、あっちが呪文的なやつを唱え始めたので、渋々身を隠しなおす。

「炎すら燃やす明かりの礫となり、穢れを消し潰せ! 暁の光よ。今こそ、永久に還らん!」

「無駄に長い詠唱ね」

 それに見合うだけの、強力な技ってことなのか?

「スター、スターサンシャイン! ライトニングフレイム! イレイサー!」

 おお、なんか横文字になったぞ! 意味二重がちょこちょこあったけど大丈夫か? てか、なんであの魔獣たちは逃げないんだよ?

「水平リーベ! 僕の舟──」

「よし、行くわ」

 限界だった。もういろんな意味で。うん。間違いなく、あれに意味なんてないな。

魔装衣をなびかせながら、なんの躊躇いもなく屋上から飛び降りる。落下の勢いを活かしつつ、壁面を蹴って一気に加速。目指すは、あの魔法少女ただ一人!


「長っげーんだ、よぉ‼」

「ぶぅっ、ほうぇぁ──‼」


 完璧な鳶膝蹴りが、必殺技を繰り出そうとしていた魔法少女の背中に直撃した。骨が想定されていない角度に動くゴリッ! という感触が足の裏から伝わり、それを意識した瞬間にあいつは吹っ飛んでいた。

「うげ! んが! ぐぅふぅ!」

 魔法少女はきりもみしながら地面を数度跳ねて、『テナント募集』と書かれた空き店舗に吸い込まれていった。直撃したシャッターはアルミホイルよろしくクシャクシャになり、積もっていた砂埃がキラキラと舞い散る。

「……え? ま、まさかこれで終わりってことないわよね?」

《はい、討伐しない限り完全な勝利ではありません。おそらく気絶しているだけかと。先に彼らを逃がします。──あなたたち!》

 あたしの独り言を拾い、ケンは昆虫三匹組の元へ駆けていく。

《ワ、我ラガ王⁉》

《ドウシテコノヨウナト場所ニ⁉》

 突然の王様登場により、魔獣たちはかなり困惑している。

《説明している暇はありません。転移を発動しますので、早くここから離脱しなさい》

《ハッ! カタジケノウゴザイマス!》

《我ラガ王。コノ御恩ハ必ズヤ──》

「ちょっと待てお前ら!」

《《《《──⁉》》》》

 ケンも含めた魔獣四匹が、あたしの腹から出した声にすくみ上った。

「お前たち、ちょっとそこに座りなさい。ケン、あんたも」

 言いながら地面を指さす。当然のごとく、何も敷かれていない道路だ。

《棗。今はとにかくこの者たちを逃がさないと──》

「いいから座れ! おすわり!」

 一刻も早くこいつらを逃がしたいのだろうがこれも犬の性か、ケンは条件反射よろしくサッと腰を下ろした。昆虫三匹組も続くようにしてそれぞれの姿勢で座った。

「こいつと一緒に見てたけどさ、なんだあのザマは⁉」

 先生が怒っている時をお手本に、まずは一喝。説教なんてしたくないけど、命にかかわる事柄な以上、言うべきことは言わなくては。

「そもそもよ! あんな長ったらしい詠唱をなんで律義に聞いてるの? 逃げるなり一矢報いるなりあるでしょ⁉ あたしらが来てなかったら死んでたのよあんたたち⁉」

《イ、言ワレテミレバ、ソウデスネ。……シカシ、ドウニモ動イテハイケナイヨウナ気ガイタシマシテ……ツイ》

 最初に口を開いた──実際は念話だが──カマキリが、身振り手振りを交え必死に言い訳してくる。……その手であたしを切り裂くなよ?

「そんなお約束で殺されてたまるかよ‼ さっきまでいい感じに追い詰めてたじゃん? 何がどうしてこうなった?」

《ソ、ソレハ……マサカイキナリ全方位ニ攻撃シテクルトハ思ワズ──》

「言い訳をするな。思い込みは敵! 油断も敵! 相手は敵! お前たちの王様はそんなことも教えてくれなかったのか⁉」

《か、返す言葉もありません……》

 あたしの間接口撃を受け、件の王様がシュンとなる。

「とくにお前だよそこのカナブン!」

 と、左端で小さくなっているカナブンを指さす。

《イ、イエ。私ハくわがたデス……》

「はい? いや、あんたどっからどう見てもカナブンでしょ?」

《……サキホドノ戦闘デ、角ヲ両方トモ折ラレテシマイマシテ……》

「お、おう……そうなのか。大変だったな……」

《ハイ……》

 ガシャーンッ!

「うっがぁぁ~~‼ 何すんだよいきなり⁉ 人がいい気持ちでキメようとしてたのにぃぃ~~‼ どこの誰だぶっ殺す‼」

 どうすんだこの空気パート②と思った矢先、意識が戻ったらしい魔法少女がシャッターをふっ飛ばして這い出してきた。

「うげっ! あいつ結構丈夫ね。しょうがない、……行っていいわよあんたたち。次死にそうになったら、ちゃんと逃げるか戦いなさい。わかった?」

《ハ、ハア……ワカリマシ──》

「声が小さい! あと復唱!」

《《《ハイッ! 死ニソウニナッタラ逃ゲルカ戦イマス‼》》》

 三匹は雷に撃たれたように居住まいを正し、応えた。

「よろしい! 行け!」

 説教が終わると、三匹は逃げるように走り出し、ケンが発動させた転移の紋章に飛び込んでいった。全員の転移を見届けると、ケンは安心したように術式を解除した。

「とりあえずなんとかなったわね」

《安心するには早いですよ、棗。あちらにまだ大物が残っています》

「わかってるわよ。残りの仕事半分、きっちり片付けてやんよ!」

 勢いよく宣誓し、足を引きずりながらこっちに来る魔法少女に向き直る。これが満身創痍というやつか、獲物であるステッキすら取り落としている。

「はあ……はあ……。お前か⁉ わたしを蹴っ飛ばしたのは⁉」

 魔法少女は息を切らし、眼を血走しらせて叫ぶ。どうやら相当お怒りのようだ。……まあ、やったのあたしだからね。

「よく生きてたわね。無理してないで大人しく寝てればよかったのに?」

 向こうがバカなら、何か情報を漏らすかもしれないので、こういう時はとにかく挑発。

「ふざけるな! お前も魔法少女だろ⁉ どうしてあんな化物の肩を持つんだよ⁉」

 当然と言えば当然か、あっちはあたしを魔法少女だと勘違いしているらしい。別に否定したところで意味はないし、乗っかっておくか。

「──降伏しなさい。どの道見逃しはしないけど、痛い思いはしなくて済むわ」

「いきなり背骨を砕くような奴がなんだよ。──今更!」

 ガラガラに掠れた声で、なおも訴え続ける魔法少女。

 この子はすごい。憎しみという感情を、一切隠すことなく全力でぶつけにきている。

「あたしは棗。……あんた、名前は?」

「……は?」

「聞こえるように言った」

「……聞いて、どうすんだよ?」

「あたし、今日が初陣なのさ。だから知っておきたいんだ。最初に狩る、魔法少女の名前」

 不思議な感覚だ。身体は動かしたくてたまらないのに、頭はどんどん冷静になっていく。数分前の緊張が嘘のように、心が落ち着いている。

「わたしは──(みやび)! 魔法少女雅様だ‼」

「清々しいくらいにキャバ嬢みたいな名前ね……」

《私はキャバクラ嬢の命名基準を把握しているあなたの知識に興味がありますね》

 さすがに名前をからかうのは失礼なので小声呟いたのだが、後ろに控える犬っころには筒抜けだった。なんだこいつ、行きたいのかキャバクラ?

「ご託はいいから下がってなさい」

 雅とやらを見据えたまま、ケンに指示。回復したといっても、戦闘に参加できるほどの魔力は、まだこいつにはない。

《わかりました。武運長久を祈ります》

 短い激励を残し、ケンはそそくさと建物の影に隠れる。あいつの気配が十分に遠ざかっていくのを確認し、いよいよあたしも戦闘態勢に入る。

「──来い、『兵香槍攘(へいかそうじょう)』!」

 前にかざした左手から、変身の時と同じ漆黒の炎が溢れ出す。それが横に背丈ほど伸び、変身と同じく冷たい感触が手に伝わり、すぐに治まる。

 手には一条の槍が握られていた。

 長さは身長と同じくらい。太さもとくに意識することなく手に馴染む。穂を固定する口金にはなぜだか、小銭を入れるような妙な穴がある。さらに特徴的なのは先端の穂だ。

 刀のような片刃ではあるが、刃のある方が長く、反りがない。折り目のなくなったカッターの刃、あるいは先端の尖ったカミソリとでも言うべきか。少なくとも、暁天空領由来の刃物ではない。そもそも魔界製だしな。

「──『一気呵星(いっきかせい)』!」

 あたしに続いて、向こうも魔兵装を呼び出す。こっちの禍々しさとは打って変わり、幼稚園児が書くような丸みを帯びた星たちが一斉に集まる。それらが収束し、ポンッ! という、かわいらしい音とともに弾け、さっき振り回していた星のステッキが現れた。

「そっちも準備完了ね。──さあ、始めようか!」

 ブンブンと風切り音をまとわせて『兵香槍攘』を振り回す。単にやってみたかっただけだけど、こういう動作は威嚇にもなるし、気合を入れる上でも大切だ。

「星屑の屑にしてやる! 裏切者が!」

 雅が絶叫とともに駆け出し、突っ込んでくる。

「はっ! 上等だよ魔法少女!」

 こちらも前方に跳躍し、攻撃を正面から受け止める。

 カギィィンッ!

 互いの獲物がぶつかり合い、火花が散った。

「んぎぎ──っ!」

「あれあれ~? 力みが足りないわよ~! 今時のガキってこんなもん?」

「っ! ……こなくそが!」

 あっさりと挑発に乗ってきた雅が、競り合いから体当たりを繰り出し、あたしは後方に体勢を崩す。その間隙を突き、雅はいったん距離を取ってから掲げていたステッキを振り下ろす。

 ポン! ポン! ポン! ヒュィィーン!

 ステッキが作りだした光の残像から星が生まれ、飛びかかってくる。

「いよっ……と!」

 飛ばされた勢いを利用しての宙返り。迫っていた流星を躱す。ここまでの移動で跳躍の力加減は掴んだ。少なくともこの失敗で攻撃をもらうことはない、と思いたい。

「バカにして! くらえっ!」

 あっちも自身の本分を思い出したのか、悪戯に接近してくることなく、距離を取って流星を飛ばす戦法に切り替えてきた。

 やはり雅は中・長距離専門のようだ。にもかかわらず、最初に突っ込んで来た辺り、よっぽどあたしが気にくわなかったらしい。

 初手をしくじりはしたが、数秒でその判断ができるということは、あいつはガキであってもバカではないんだなと、ちょっとだけ印象を改める。

《棗。開始早々で申し訳ないのですが》

「ホントいきなりだな! なんだよ⁉」

 流星を捌きつつ、ケンからの念話に意識を割く。

《端末を探して破壊して下さい。このままだと魔人側に私たちの情報が伝わってしまいます》

 聞き終わると同時に、それが雅の隣にいたサメのぬいぐるみだったことを思い出す。

「その口ぶりだと、今はまだ大丈夫ってこと?」

《はい。現在念話妨害中です。しかしこれも魔力を消費しますので、長時間は持ちません》

「わかったわ。他に情報は?」

《端末は魔法少女の魔力供給によって稼働していますので、そこまで離れていないはずです。精々十メートルといったところでしょう》

「了解。探してみる」

 短く答え、戦闘目的に『攻撃を避けながらサメのぬいぐるみを探す』を追加。

「──って言ってもなー」

 ノリと勢いで請け負ったはいいものの、これは結構ヤバい状況だ。 

 向こうさんはひたすら星を出し続けていればいいのに対し、こっちは弾道や数を見極めた上でひたすら避けまくらなければいけない。

 文句なしに主導権を握られている。体力的にも精神的にも、すぐに干上がりはしないけど、現状維持が悪手なのは間違いない。

 おまけに周りを意識してみても、サメの切れ端一つ視界に捉えられない。雅は一か所に留まることなく あたしを攻撃してきているので、サメも一緒に移動しているはず。それでも見つからないってことは、何がしかの仕掛けか工夫があるってことか?

《棗。お願いしている立場から言うのもなんですが、落ち着いて下さい》

「いや、そうなんだけどさ……手詰まり感ハンパないよこれ?」

《思い出して下さい。昨夜、私があなたに話したことを》

「? ……ああ! 魔界の漬物は何百年も漬けてるからうまいとか言ってたやつ?」

《違います。まだ余裕じゃないですか。そちらではなく、狂気と理性の話です》

「……ああ、あれね……はいはい」

 心の底から呆れられてしまい、急いで件の会話を頭から引っ張り出す。


《話を本筋に戻します。先程は狂気という言葉を直接的に用いましたが、厳密に言うとあなたの適正は狂気そのものではありません》

『……え? ここまできて梯子外すの?』

《人の──いや、魔の付く話は最後まで聞いて下さい。いいですか棗。あなたの強みは、狂気を帯びつつ、理性でそれを掌握できる。というところなのです》

『……つ、つまりどういうことだってばよ?』

《ひとたび狂気に身を委ねてしまえば、それは動物と大差ありません。あなたはその動物的直情に、人間の理性を織り込むことが非常にうまい。身に覚えがありませんか?》

『ん~?』

 確かに、助っ人で試合している時、沸き上がる闘志をむき出しにするほど頭が冴えてくる。なんてとこはちょくちょくあったけど──

『え? あれってそんなすごいことなの?』

《道を極めた者だけが辿り着く境地であることは確かです。あなたは心の大元に狂気がありますから、感情を波に乗せることができれば、常人の非でない成果を上げられるはずです》


「……ふう」

 回避行動を続けながら、冷静に考えてみる。

 一つ、端末の行動限界は雅の半径十メートル。二つ、雅はあたしを絶え間なく攻撃し、距離を保っている。三つ、流星のせいであたしの回りは常に砂煙。四つ、端末はあたしの情報を上に報告したい。五つ、あたしの情報が欲しいなら、近くで測定するのが一番。

「……まあ、このままよりはいいか」

 跳躍中の身体を反転させ、雅に『兵香槍攘』の切先を向ける。

「いくわよ! 魔法少女雅‼」

 宣誓し、『兵香槍攘』に魔力を込めると、先端を起点とした円錐状の障壁が現れる。表面には緻密な紋様が浮かび、生きているかのように少しずつ変化している。

『キレイね』と思った瞬間、あたしは『兵香槍攘』と一緒に雅目がけて突っ込んでいた。

「⁉ ──ふ」

 突然の変化に眼を見開いた雅は、反射的に流星を繰り出すが、すべて障壁に跳ね返され、後方へ流れ去っていく。

 これこそがあたしの魔兵装『兵香槍攘』の能力、『正面に障壁を展開しての突撃』だ。

文字通り前にしか攻撃できないけど、相手が前にしかいなければ、これほどハマる技もない。《魔兵装の形状や能力は、当人の性格や思考に依存します》なんてケンが説明していたけど、なるほどつくづくあたしらしい。

「う、うお──っ!」

 切先が胴体に届く刹那。雅は右に身体を投げ出して突撃を回避した。しかし咄嗟のことで受け身が取れず、ペチンッ! と、地味に痛そうな動きで転倒した。

 障壁を解いて振り返ると、さっきまであたしがいた辺りでオロオロしているサメのぬいぐるみと、痛みに悶えている雅を一直線上に捉えていた。

「見つけた!」

 自身の見立てが正しかった安堵と、ケンの要求に応えられる歓喜で、自然と声に出ていた。

 予想的中! 雅はあたしからサメを隠すために、あえて流星を放ち続けていたんだ。

 端末がどれほどの機能があるか知らないけど、正確な情報を取りたいはず。しかし、丸腰で近づくのは危険。なら煙幕で隠蔽すべし。

 もっと距離を空けて流星を撃ち出していればいいものを、なぜ中途半端な距離を保ち続けるのか? そう思い当たっての判断だったが、見事正解を引き出せた。

「んな⁉ ……クソ」

 雅は丸見えなサメを見て、焦るようにステッキを振るう。不自然な体勢だからなのか、生み出された流星は一つだけだった。

「待ってました!」

 槍の下部、石突部分を握り締め、バットよろしく振り抜いた。

 カーンッ!

 子気味よく乾いた音を立て、飛んでくる流星を打ち返す。

『──へ?』

 それはサメに向かって真っすぐ飛んでいき、ポンッ! と、小さな爆発を生み出して燃え落ちた。チリチリに焦げた中の綿が、タンポポの種が風に乗るように空へ散っていく。

《端末の破壊を確認しました。お見事です、棗。通信手段を絶ちましたので、後顧の憂いなく戦えます》

「あっそ。……まあ、すんなりやらせてはくれなそうだけど」

 端末の燃えカスを眺めながら、ケンの念話を受け取る。口調こそ普段と変わらないけど、声はいくらか弾んでいる。

 眼で追っていた火の粉が消えたのを見届け、雅に視線を落とす。

「けい、すけ……? けいすけっ! どこだよ⁉ 返事しろよ! おい!」

 どうやらあのサメはけいすけという名前だったらしい。雅はうつ伏せのまま起き上がれず、必死に首を動かして、もういない相棒を探している。

「…………」

 端末は魔法少女が大切にしていた物に宿る。今のあいつは、自身の半身を失ったか、あるいは家族を亡くしたような喪失感の中にいるのだろう。

「……人殺し。この人殺しが‼」

 今日一番の絶叫に加え、雅はそれこそ人が殺せるんじゃないかと思うくらいの鋭い眼光でこちらを射抜いてくる。

 端末は人でもなければ生き物でもない。けど、嫌味たらしく指摘する気にはなれなかった。雅にとってあのサメのぬいぐるみは、人と同列に考えて余りある存在だったはずだ。

「死ね、死ね! 死ね‼ おい! 死ね! 死ねよ早く‼」

「……。……。……」

 雅は何度もステッキを振り回してくる。流星も何も生み出さない、ただの素振りだった。一振りくるたびにあたしは一歩下がり。ステッキは空を切る。

「死ね! 死ね! 死ね‼」

 こっちの動きが神経を逆撫でするらしく、雅の一歩一歩は次第に早くなり、声も張り裂けそうなほどに大きくなっていく。

「……死、ね……っ! 死……ね──」

 いい加減叫び疲れたのか、雅は立ち止まり、糸が切れたように膝をついた。

「……友達、だったんだ」

 怒りが収まり、悲しみが入れ替わりに込み上げてきたのか、虚ろな表情のまま、雅の両頬から涙が伝っていく。死者を悼む、悲しみの涙に見えた。

「…………」

 あいづちを打つこともなく、ただ黙って雅の言葉を受け止める。この子はきっと、あたしにではなく、自分に話しかけているのだろうから。

「小さい頃からの……友達、──だったんだよーーっ!」

 雅はすさまじい閃光に包まれ、色とりどりの流星が再び迫ってきた。

「う⁉ クソッ!」

 瞬時に後方へ飛び退き、手近にあった建物へ張り付く。

「すご。てか、眩しい──」

 さっきまでの攻撃とは比較にならない数の流星が、視界を埋め尽くす。まさにこれこそ流星群。圧巻の光景だ。

 花火大会で発射前の花火に不審火が引火し、地上で一斉に弾ける映像と似ていた。

ただ、狙いは定まっておらず、自分に飛んできた流星を軽くいなすだけで事は足りた。

《棗。あれが、狂気という感情に支配された者の姿です》

「……狂気っていうより、むしろ殺意って感じがするけど?」

「~~っ! ~~っ!  ──‼」

 眼を細めてみると、光の渦中にいる雅は、涙を流しながら絶え間なく何かを叫んでいる。

《我を失っている。という意味では同様です。我々が貶めておいて身勝手な話ですが、彼女を救えるのもまた、我々だけなのです》

「そうね。自分で広げた風呂敷くらい、自分でたたまないとね!」

《度々語彙が古いですね? 何かこだわりでもあるんですか?》

「うっさいわね。しょうがないでしょ自然に出てくるんだから! ──うお⁉」

 話の最中、色鮮やかに煌めく流星群が、あたしに殺到してきた。

 手を放し、再度『兵香槍攘』に魔力を込める。突撃を発動させ、その場から離脱する。

 カガガガンッ!

 一瞬前までいた場所に、流星群が直撃。壁面のコンクリートを削り取った。追い打ちをかけるように、後続の流星群が立ち込める粉塵から飛び出してくる。

「──追尾式かよ⁉」

 あんだけ怒に哀に取り乱しておいて、よくこんな芸当ができるな。

 のん気に感心しているあたしに、意地を見せるかのごとく、流星群は差し迫ってくる。

 突撃によって得られる前方への推力を魔力で制御し、とにかく空を逃げ回る。

 高速で移動する『兵香槍攘』に、腕一本でしがみついているあたしは、傍から見るとずいぶん間抜けに映っていることだろうな。

「だったら! これでどうだ!」

『兵香槍攘』を上空に向け、一気に上昇。流星群も一拍遅れて追撃してくる。

《作戦は理解しました。期会は一度です。棗、討伐の仕組み、覚えていますか?》

 上昇による激しい風圧を障壁でやりすごす中、察しのいい犬っころが念を押してくる。

「もちろん! 根元から鍵をぶっ壊すんでしょ⁉」


《人間には、等しく『魔力の鍵穴』というものが存在します。我々魔族は、その鍵穴に合う鍵を作り、回路を解放することで、あなた方が魔力を行使できる肉体へと調整します》

『ふむふむ』

《その際、鍵は鍵穴に入れられたままになっています。建物の施錠というより、車の原動機を想像していただければわかりやすいかと》

『なるほどなるほど』

《棗。あなたにお願いする討伐とは、原動機を停止させた後、鍵を根元からへし折っていただくことなのです》

『鍵を折る? そんなことでいいの?』

《ではお聞きしますが、根元から鍵がへし折れた鍵穴はどうなりますか?》

『そりゃあ、使えなくなっちゃうわよね? 根元からだと予備があっても差し込めないし…………え? そゆこと?』

《いかにも、そゆことです。そうして回路が強制閉鎖され、行き場がなくなった魔力を我々が回収するのです》


「こんなところで大丈夫かしらん?」

 下方を見ると、もう少しで直撃というところまで接近された流星群も、『兵香槍攘』の出力には追いつけず、まだ下の方にあった。十分に距離が取れたところで突撃を解除。風圧から解放されると同時、拠り所のない浮遊感が全身を駆け巡る。

「これで──」

 夜空に突き向けた『兵香槍攘』を今度は下に定め、あたし目指してやってくる流星群に狙いをつける。

「──決める‼」

 突撃を再発動し、今しがた上ってきた軌跡を急降下する。

「うおおおおーっ!」

 追いかけてきた流星群に正面から激突する。中心に近いものは砕け、外側にあるものは軌道を逸らされあさっての方向に飛んでいく。眼前が星の弾ける光で埋め尽くされる。世界中の流れ星を集めても、この煌めきには及ぶまい。

《地表まで十秒。八、七──》

 ケンの秒読みに意識を集中する。早ければ流星群の餌食。遅ければ地面に大激突。どちらも許されない一発勝負だ。

《三、二、──今です》

「──んぐぅぅぁぁ‼」

 ケンの合図を信じ、『兵香槍攘』への魔力供給を一瞬止め、すぐに再開して逆制動をかける。

「よし……っ!」

 思い描いた通りのタイミングで足が地面に振れる。流星が迫る気配もない。成功だ!

「──バカな⁉」

 着地した先には、両眼をこれでもかといわんばかりに見開いた雅の姿があった。

「ふ! ──はぁ!」

 狼狽えた雅に急接近。『兵香槍攘』でステッキを払い落とし、無防備になったお腹に回し蹴りを叩き込む。

「ぶぅっ、ほうぇぁ──‼」

 さっきと同じようなうめき声を上げ、雅は廃ビルの壁に衝突した。

「ふう」

 自然とため息が漏れる。攻撃を切り抜け、魔法少女を無力化し、ようやく一心地ついた気分だった。

《棗。気を抜いてはいけません》

「うわびっくりした⁉ いたのか」

 これ以上の戦闘はないと判断したのか、ケンが足元に控えていた。

《さあ、もう一仕事です。ここからが、ある意味では本番です》

「そうね」

「──っ! あ──っ! ──ふっ!」

 雅は胸を押さえてもがき苦しんでいた。背中を激しく打ち付け、呼吸ができないようだ。あたしも昔、階段ですっ転んでああなったことがあるので、その苦しさはわかる。

「気分はどう? 魔法少女さん。思ったよりは楽しかったわよ」

「…………」

 あたし流の称賛に雅は答えない。顔を覗き込んでみると、眼の焦点が合っていなかった。意識はあるみたいだけど、戦意は完全に失っているようだ。

《先程の戦闘、お見事でした。魔法少女雅さん》

「……お、前は?」

《この方の端末、そう認識していただいてかまいません》

 最初から説明するのが面倒なのか、『あんなのと一緒にすんな』と軽蔑していた存在に呆気なく成り下がる魔獣の王。

《魔法少女雅さん。今からあなたの、魔法少女としての力を封印させていただきます》

「ふ、封印?」

《ご安心を。痛みはなく、一瞬で終わります》

 幼稚園児に予防注射する医者かよって口ぶりで、ケンは静かに語りかける。

《──ただ、魔法少女として過ごした記憶、経験に関してはすべて失われてしまいますので、その点だけはご理解下さい》

「……へ?」


『そういやさ、さっきは父さんたちが帰ってきてうやむやになっちゃってたけど、討伐ってのは……相手の命を奪うってことなの?』

《いえ、殺生に係わる事柄ではありません。ここでの討伐とは、魔法少女としての力を封印するという意味に限定されます。後遺症として魔法少女としての記憶は失いますが》

『ってことは、相手を殺したりしなくていいんだな?』

《無論です。魔にまつわるすべての存在に誓って断言します。とはいえ荒事には違いありませんので、切った張ったの立ち回りをお願いすることにはなります》

『んなもんは覚悟の上よ』

《その言葉、信じさせていただきます》

『……で、具体的なやり方は?』

《あなたの手にしている魔兵装で、魔法少女の心臓を貫くのです》


「そ……そんな⁉ いやだ! やめてくれ!」

 虚ろだった瞳に光が戻り、雅はあたしにしがみ付いてきた。

「頼む、お願いだ! それだけはやめ──やめて下さい!」

 これまでの威勢や態度を消し飛ばすように、雅は懇願してくる。

「お願いです! もう魔獣には手を出しません。あなたたちにも近づきません。約束します! だからどうか、この力だけは──」

 雅は一層強い力で魔装衣を握り締めてくる。顔は涙と鼻水でグシャグシャで、さっきまでの魔法少女と同一人物とは思えない急変化だ。

「──って、言われてもな」

『どうする?』と、犬っころに視線を送ってみると、ケンは黙って首を左右に振った。やっぱり、聞き入れるわけにはいかないらしい。

「お願いします! 見逃して下さい! わたしまだ、みんなと……友達と遊びにも行ってないんです! やっと、やっとできた友達なんです!」

「友達?」

 話が飛んだ、というより逸れたな。友達と遊びになんて、行こうと思えばいつでも行けるでしょうに。

「そうです! けいすけが言ったんです! 魔獣を一体倒す度に友達が一人増えるよって。わたし、喋るの苦手で……いつも一人だったんですけど、魔獣を倒したら次の日……口も聞いたことないクラスメイトに話しかけられて……すごく嬉しくて──ひぐっ!」

 いろいろ思い出したらしく、雅は下を向いてしゃくりあげる。

「……ああ、そういうことか」

 契約を持ちかけると言っても、たったそれだけの理由で魔獣と戦うなんて虫が良過ぎると思ったら、そんなからくりがあったのね。

 なんだかんだでこの子は賢い。損得勘定くらいはできたはずだ。魔獣を一体倒す度に友達ができる。己の境遇に付け込まれて、誘惑に逆らえなかったってわけか。

《なんらかの見返りがあるとは踏んでいましたが、よりによって友達とは。お手柄です、棗。他にも何か知っていないか聞い──》


「で、あんたは何人友達作れば満足なの?」


「……え?」

 ポカンと、変な形に口を開けたまま、雅は固まる。

「聞こえるように言った」

「そ、それは……たくさんです!」

 実に屈託のない、きれいな笑顔だった。少なくとも見てくれは。

「人数なんか気にしなくていいじゃないですか? 魔獣を殺せば殺した分だけ友達が増えるんですよ⁉ 今まで一人も友達なんてできなかったのに、こんな簡単に作れるなんて最高じゃないですか! 友達百人、いや、千人だって作れますよ!」

「……そう。わかったわ」

「へ? じゃあ助け──うぐ⁉」

 膝蹴りで強引に雅を振り解く。尻餅を付き、がら空きになった左肩を踏みつけ、『兵香槍攘』の切先を心臓に向ける。

「いてーなやめろ! 作るんだよ友達! どけ、放せよクソが! 足りないまだ足りないんだよっ! なんでお前邪魔すんだよあんな化物いくら殺したっていいだろふざけんな‼」

 泣き落としも不発に終わり、ついに癇癪を起した雅。結局のところ、これがこの子の素ということらしい。この子の喜怒哀楽は、気の毒ではあるけど見ている分にはおもしろかった。

「……もし、あんたが普通の女の子に戻って、友達が一人もいなかったら──」

 雅の襟首を引っ掴み、耳元に顔を寄せる。

「そん時は、あたしがあんたの友達になるよ」

 静かに、できるだけ優しく、あたしは告げた。

「この、──魔女が‼」

 雅が魔法少女として発する最後の言葉を聞き届け、あたしは『兵香槍攘』をその心臓に突き刺した。


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