第二章
「それでは! 『崩壊石』壊滅と、九重里諸島帯制覇を祝しまして、乾杯~っ!」
『乾杯~っ!』
唯姉さんが音頭を取り、全員で飲み物の注がれたコップを掲げる。当然だが酒ではない。
「ぷはぁ! 第二領・天条島の『奇跡衆』に始まり、第九領・九重里諸島帯の『セプタリアン』と『崩壊石』も壊滅! 恐いくらい順調だな」
「四人体制になってからこっち、向かうところ敵なしだよ!」
詩乃と仁が、いつにない調子で盛り上がる。
本日の戦果は、魔法少女68名中、──『セプタリアン』残党8名含む──討伐51名に昇った。こちら側の被害もあたしが魔力弾を一発もらったのみであり、文句なしの大勝利と言って差し支えない。その功績を思えば、今日ぐらいは大目に見てもいいかという気になってしまう。両方とも気持の切り替えはちゃんとできるし。
「みんな食ってる? まだまだあるからじゃんじゃん食いなさいな!」
などと考えつつ、台所から出来立てホヤホヤの麻婆豆腐と青椒肉絲を盛った大皿をテーブルに置いてみると──
『お~‼』
いつも斜に構えてる奴も、常に敬語を欠かさない奴も、みな一様にそれだけを発する。
こっちが欲しい反応を惜しげもなくしてくれると、作った側としては実に気分がいい。疲れた身体に鞭打った甲斐があるってもんだ。
「やっぱ最高だよ~。棗の桜華料理! もう死んでもいい!」
ハフハフ言いながらせわしなくレンゲを動かし、あたし特製炒飯を頬張る唯姉さん。
「そうでしょそうでしょ~! もっと褒めていいよ~。あとでたっぷり皿洗いをお見舞いしてやるから覚悟しとけよ~! あと死ななくていいから」
「当ったり前だ! こんなうまいもん食って何もしないとか、バチ当たり通り越して死ぬ。てか死んだなコレ!」
「ええ、死にましたねこれは! 姉上は将来これで食べていこうとは思わないのですか?」
一部内容が意味不明だが、褒めてくれているのはなんとなくわかる。……というか生きてくれよせっかく食べてるんだから。
討伐終わりで大人数の料理なんて、余計に疲れそうだと構えていたが、いざ始まってしまえば苦も無くできてしまった。好きこそものの上手なれ。料理を作ること自体が楽しい身としては、良くも悪くも難儀な性分だ。
「いや~、棗も料理うまくなったね」
「ホントにね~。おじいちゃんに仕込まれただけあるわね~」
父さんも母さんも幸せそうに顔を緩ませ、端っこで一杯やっている。お互いのおちょこにとっくりをチビチビやりながら、すっかりできあがっている。
《相変わらず盛況のようですね》
台所で本日の目玉である、あたし特製餃子が焼き上がるのを待っていると、ケンが足元までやってきた。
「おう、どした? あんたがいても何もできないんだから、あっち行って食べてなさいよ」
《いやいや、一から十まで任せきりにしているのです。せめて話し相手くらいは》
「あたしはそんな寂しがり屋じゃねーわよ」
《いやいや何を仰る。あなたは存外一人が苦手なこと、私は知っていますよ》
足で胴体をちょんちょんと突き、体よく追い払うも、ケンはやけに食い下がってくる。実際こいつは喋れるだけでただの犬なので、ここにいられても邪魔でしかないのだけども。
「まあ、いいけど。……さっきはあんがとね。取りこぼした魔法少女、回収してくれて」
《あの程度の助力、お安いご用ですよ》
今回は大規模な討伐ということで、海に落ちてしまった魔法少女の回収や、討伐した者たちの送り届けなど、事後処理は魔獣たちに任せていた。
全員守り抜くと意気込みはしたものの、数多の要素が刻々と移り変わる戦場にあっては、それが間に合わない者たちがどうしても出る。かと言って救助にこだわりすぎれば、味を占めた魔法少女付け入られてしまう。常日頃自分たちを亡き者にしようと向かってくる連中を助けさせるのは気が引けたが、手が足りない以上きれいごとばかり言ってもいられない。
《大規模組織の壊滅が相次ぎ、魔法少女も本格的に魔女の存在を認知し、恐れ始めています。これは非常にいい傾向です》
「そういえば仁が言ってたけど、魔獣の被害も減ってるらしいじゃん?」
《はい。直参衆とも合流できたおかげで、これまでのように無計画な行動に走る魔獣は減少しています。指揮系統が復旧している証拠です》
今でこそ魔法少女に後塵を拝しているが、どの魔獣も本来は闘争を好む屈強な戦士たち。いつまでも助けられているのは性に合わないということか。裏方であるけど、誇りを取り戻すという意味では、今回の役目は大切な一歩だ。
《未だ連絡のつかない個体も多いですが、情報網を拡充できれば、やれることも格段に増えます。将来的には、棗が魔獣たちを率いるなんてこともあるかもしれませんよ?》
「すっかり逆襲の旗印ね」
飛躍する話についていけず、思わず肩をすくめる。
口調こそ変わらず坦々としているケンだけど、言動の端々から抑えられない高揚が滲み出ている。身一つでこの世界へ逃げ延び、あたしに拾われた当初を思えば無理もない。
一から積み上げてきた小さな反攻が、ようやく軌道に乗ってきたのだ。この勢いのまま進み続けられれば、一方的に殴られるしかなかった状況も必ずや打開できる、と信じたい。
「ま! こいつらの相手が先だけどねーっと!」
ジュージューといい感じに焼き上がった餃子を、フライパンをひっくり返して盛り付ける。パリッと香ばしい羽をまとった、あたし特製餃子の完成だ。
「さあさあさあさあ! お待ちかねの餃子だぜい!」
飢えた獣どもに臆することなくエサを放り込む。
『おお~‼』
これまで以上の大歓声があたし──というより餃子を──を迎える。気持はありがたいが、さすがにそろそろ近所迷惑になりそうなので音を絞ってほしい。
「ふぅ~。さてさて、ではあたしも──」
料理出しも一段落したので、席について我ながら会心の品々を口に運ぶ。
「ふむふ……」
食べ慣れた、しかし決して飽きることのない懐かしい味が口の中に広がる。
「中々ね」
「いや姉上、さすがにその評価は謙遜がすぎるかと」
あたしの自己評価に、渚は『信じられない』という顔をしている。
「そういえば渚、園の家族はどうなの?」
腹も適度に膨れ、気持ち的にも落ち着いたところで尋ねてみる。
「監視してくれている魔獣から定期的に連絡がくるのですが、とくに何が起きたということはありません。いたって平和、だそうです」
「そ、ならよかった」
あの時はつい勢いで押し通してしまったが、博打を打ったことには変わりなく、内心不安だったので、何事もなくて安心した。
「……でですね姉上、先日近況報告も兼ねて園の家族に手紙を出してみたのですが、さっそく返事が届きました」
「ほーほー、手紙ね」
話しやすいように相づちを打つ。早くて確実な連絡手段のあるご時世に、なぜそんな手間のかかる方法で? なんて野暮なことは言わない。文字でしか伝わらない想いというのは存在するし、読み返せるから家族も喜ぶに決まっている。……ついでに電話もしてやればなおいいんじゃないかとは思うけど。
「んで、なんて書いてあったの?」
「自分に家族と友人ができたことを、大変喜んでいました。こんな性格ですので、やはりちゃんと人間関係を築けるのか心配だったのだと思います」
「ふーん。まあ、あんたが向こうでどうだったか知らないけど、ここの人たちはクセが強いだけで基本いい人ばっかだから、あたしらに関わらなくても馴染めはしたはずだよ」
「そこは生活していて実感していますね。余所者としてはありがたい限りです」
しかし──と、こちらが口を開く前に、渚は続ける。
「姉上たちと出会えた幸運には感謝が尽きません」
「……あっそ」
いちいちそんなことまで伝えなくていいのに。こそばゆいったらありゃしない。
「あとですね、今度帰ってくる時には姉上も連れて来いと書いてありました」
「は⁉ あたしも一緒に⁉ なんで?」
「お前の姉ならうちの子だからとっとと紹介しろと」
「いやいや何その理屈? てか、姉ってあんた、魔の付く下りまで話してないでしょうね⁉」
「無論、魔の付く部分は割愛しました。ご安心を」
「当たり前だよ気をつけなさいよいつも言ってるけどさ!」
ついさっき制服姿で暴れまわっていたその口で言われても、毛ほどの説得力もない。
「ですので、次に帰省する際は一緒に来ていただきますので、お願いします」
「え? すでに決定なの?」
「え? 来てくれないのですか?」
「え? いや……行く、けどさ」
この子の実家ならむしろ行ってみたいし、なんの問題もないのだけど、あたし抜きであたしの話をグイグイ進めるのはご勘弁願いたい。
「なんていうか……よかったわね。全部丸く収まって」
「はい。当初はどうなるかと思っていましたが、すべて姉上のおかげです」
「バカ言ってんじゃないっての。あたしはあたしが楽したいからあんたを誘っただけよ。あんまし思い上がんなよ?」
「でしたら自分も勝手に感謝しているだけですので、好きに聞き流して下さい」
「ほ~、言うね~」
「ええ、言います」
皮肉を皮肉で返された。
出会った当時は口数も少なく、表情の読めない奴だと思っていたけど、順調にこの町の気質に染まり始めている。変わりたいという当人の意志もさることながら、宮境町民の影響力には驚かされる。人はそれを悪ノリとも呼ぶのだけど……。
「何しみったれた話してんだお前ら。今日ぐらいハメ外せ! とくにナギ、お前はそれぐらいの働きはしてるぞ」
「そうだよそうだよ! 今日だって大活躍だったし、盛り上がって行こーっ!」
その悪ノリを体現した約二名が、コップ片手に絡んでくる。酔っ払いかこいつらは?
「ありがとうございます。しかしこの功は自分一人で成し得たものでもはりませんので」
どこまでも謙虚に、渚は迫る二人を受け止める。確かに渚の討伐数は、あたしたちの中でも群を抜いている。数字がすべてという話ではないけど、誇っていい実績であるのは確かだ。
「んも~偉いな~ナギちゃんは~っ!」
「ったく。ちょっとマシになっただけで、堅物なのは変わんないな」
「いや、その……やめて下さい」
渚の教科書通りな対応に、かつて斬ったり斬られたりした唯姉さんと詩乃が、頭を撫でたり小突いたりしている。渚もまんざらではなさそうに頬を緩ませ、流れに身を任せている。
ここだけ見せられたら、最初からここの生まれなんじゃねーのかってくらいに溶け込んでいる。元々あたしを討伐せんとやってきた刺客だったのが嘘のようだ。
詩乃も唯姉さんも、あたしが渚を勧誘した時は息せき切って反対していたクセに、この手のひら返しだ。ここまでくると一周回って尊敬するね。
《さて、場の空気もほどよく温まってきましたので、頃合いでしょうかね》
と、何かを見計らったようにケンが切りだす。
「お、なんだ? 本日のお説教か?」
和やかな雰囲気に水を差されるも、害した風もなく詩乃が飄々と受ける。
《もっと実利的な話題です。まずはみなさん、こちらをご覧下さい。主、お願いします》
「はいはい~」
ケンに促され、仁が用意していた表を掲げる。
四ヶ郷 棗 ──討伐51名 ──討伐補助68名
赤岩 詩乃 ──討伐・・名 ──討伐補助185名
日野 渚 ──討伐97名 ──討伐補助40名
中田 唯音 ──討伐66名 ──討伐補助54名
「ほうほう、185か。まあ、こんなもんか」
「てか、ナギちゃんスゴ! わたしとの連携もうまくいってたし、絶好調だね」
「ええ。鍛錬の成果が効いているようです」
「…………むぅ」
掲示された結果を見て、各々が感想を口にする。
討伐とは読んで字のごとく、魔法少女を討伐した数。魔法少女に止めを刺し、魔力塊を回収した人に加算される。
討伐補助は討伐した人を援護した場合に加算される数。例えば全員で一人の魔法少女を追い立て、あたしが代表で討伐した場合、残る三人に1名ずつ加算されるという数え方だ。
詩乃だけこれがぶっちぎりなのは、初期型の魔法少女で討伐ができず、行動そのものが補助扱いになるからだ。
《棗、何か言うことはありますか?》
「…………うん」
矛先を向けられ、黙るしかなくなる。
「この集計って──」
「ちなみにこの表は今日の戦果も集計済みだよ」
かすかに抱いていた希望さえ、先回りで塞ぎにかかるガキんちょ。
厳密に言うのなら、この数字は渚を仲間にしてから、つまり四人体制になってから始めた統計だ。というか、もしあたしの契約当初から数えてこの数字なら、お前もう帰っていいよって話になるわけだけども……。
《棗、私は何もあなたの討伐数が芳しくないことを責めているのではありません。むしろ逆です。数字を競うだけの競争になってしまっては、それこそ愚の骨頂》
「わかってるっての、そんなのは……」
まったくもって仰る通り。
魔法少女は、自身の願いを叶えるために魔獣を倒す。
最近は徒党を組んでより効率的に討伐を行う傾向にあるが、魔獣を倒した者に加護がある性質上、早い者勝ちである事実に変わりはない。
そしてあたしたち魔女は、そんな魔法少女たちの行いを阻止するために戦っている。
魔女の目的は魔獣を守ることであり、魔法少女の討伐はそのための手段でしかない。
渚の謙遜も、これを理解しているからこそ出てきた言葉だ。だからこそあたしたちは、その姿勢を忘れないでいるこいつを見て、嬉しかったのだから。
魔法少女の願いを摘み取る。それが魔女の『討伐』だ。
この戦いの背景がどうであれ、少女たちは希望を夢描いて魔法少女になる。
その夢を土足で踏みにじる以上、いい加減な真似は許されない。決して眼を逸らさず、真っすぐ向き合わなくちゃいけない。例え自己満足と言われようと、これだけは絶対に。
つまるところ『討伐』とは、どこまでいっても『討伐』でしかない。『作業』や、ましてや『競技』にしてしまったが最後、あたしたちは魔法少女と同じになってしまう。
《しかし──》
「あれだけデカい口叩いてナギを引き入れた以上、もう少し頑張れねーのかって話だよ」
「……返す言葉もないっす」
ぐうの音も出ない詩乃の正論に、ただただ俯く他ない。
「姉上の討伐数が振るわないのは、自分たちを気にしすぎているせいなのでは?」
「うん。わたしも思った。気が付くとわたしたちの方ばっかり見てるよね? 今日とかも」
渚と唯姉さんからの、鋭い指摘が抉り込む。
「お前、そんなに私たちが信用できないのか?」
どこかダルそうに頬杖をついた詩乃が、冷たく言い放つ。さっきまでの温度差もあり、ずいぶんな迫力がある。
「あのですね、なんて言うか──」
あたしの見苦しい言い訳が始まった。
「みんな強いのはわかってんだけど、戦ってるからには何があるかわからないわけじゃん?
「でも、魔法少女だってそこは一緒なわけで、それこそ死ぬ気で……つか、殺す気で向かってくるわけよ──
「一人で戦ってる頃はなんにも考えてなかったけどさ、あたしたちの誰かが討伐される可能性だって、当然あるわけじゃない?
「みんなが仲間になってくれて、本当に嬉しい──
「やるからには、誰にも忘れてほしくない──
「この争いがいつ終わるのかわかんないけど、最後の瞬間まで誰にも欠けてほしくない──
「って思うとどうしてもさ……何かあった場合にすぐ動ける位置に回りたくなっちゃうっていうかさ……わかるよね? ……わかんない?
一息に喋り終えると、一同は不機嫌そうに固まっている。カチカチと、時計の針が進む音がやたらとやかましく感じられる。
『はぁぁ~~っ!』
耳が痛くなりそうな沈黙を、わざとらしいため息がぶち破った。
「え? ちょっと何さみんなしてその反応⁉」
少しくらいしんみりすんのかなという予想が、大きく裏切られる。
「いや、見くびられたもんだと思ってな」
「はい。正直がっかりです」
「棗、お姉ちゃんは悲しいよ」
口々に無慈悲な失望を表明するお三方。やめてくれそれ怒られるよりキツい!
「いや、そうは言うけどさ──」
「棗が後ろにいてくれるのは心強いよ? でもわたしたちだって棗が失敗したらちゃんと援護するよ? だからもっと自由に戦っていいんだよ?」
「自由はいささか行きすぎですが、もう少し前のめりになってもいいとは思いますね。それこそ自分を倒した時くらいの気概は持っていてほしいかなと」
「みんな……」
「ほれみろ! 仲間を信頼してないのはお前の方だ。言い方は悪いかもしれんが、弱みを見せるのも一つの信頼だ。仲間に甘えることも、時には必要だぞ?」
まくし立てながら肩をバンバン叩いてくる詩乃。
「そもそもリーダーっていっても私たちは魔法少女側と違って四人しかいないし、みんな同じなんだからいちいち気負うなよ。お前ってそんな守りに入るような性格だったか?」
「うん、わかったわかったから! もういいから悪かったって!」
今日はやけに突っかかるな。……もしかして本当に酔っぱらってないよな?
「青春だね~母さん」
「青春ね~あなた」
あたしたちの小競り合いを、成長の一ページとして美しく片付けようと企む親たち。
「そこ! 茶々入れんなし!」
「茶々なんかじゃないよ。娘が友人に恵まれている幸せを噛みしめてるんだよ」
「そうよ。友達ってのは親が死んでも続く付き合いなのよ? 大切にしないとね」
「わ、わかってるわよそんなこと! だからこんなことになってんじゃんか!」
最近得意技なってしまった、『恥ずかしいから大きい声で無理矢理流す』が炸裂。うまくいったことなんてないのに、我ながら懲りないな。
「ふむふむ」「ほうほう」「なるほど」
「うう……っ!」
どうしよう、振り向くのが恐い。
みんながみんな、絶対ニヤニヤしているだろうことは用意に想像できた。
「──は! ──と!」
足に魔力を乗せて脚力を増加させ、夜の工場街区を駆け抜ける。屋根から屋上、屋上から屋根。とくに意味はないが、なんとなく交互に飛んでいく。
この季節特有の温くモヤっとした大気も、この高さなら気にならないし、むしろ空を突き破って進んでいく感覚は心地よささえ覚える。
「──いよっと!」
この手の場所いると、ケンと契約して初めて臨んだ討伐を思い出す。
あの頃は建物一つ飛び移るにも腰が抜けそうになっていた。それが今では、敷居でも跨ぐような感覚でヒョイヒョイこなしている。慣れというものは恐ろしい。
今日は迷子の魔獣を誘導するだけで、魔法少女には遭遇しなかった。本来の目的を考えれば理想的な展開ではあるが、どこか物足りないと感じてしまう。
「そういえば、あの子を討伐した時も、こんな感じの場所だったわね」
友達が欲しいと願い、幾条もの星を打ち出して散った、菫色の魔法少女に思いを馳せる。
「どうしてるかな? あの子」
様子を見に行ったのは討伐した翌日だけで、以降は会っていない。会ったところで『誰こいつ?』と言われるのがオチだし、下手すると通報されるなんてこともあり得る。
そう考えると、突然現れた怪しい女子高生と普通に会話し、あまつさえ友達になってしまう屋代晃子とかいうお嬢様は、正真正銘の世間知らずなんだな。
「……はあ」
こういった殺風景な景色は、初陣に限らずともよくある光景だ。今に限ってこんなあれこれを思い出すのは、昨日のアレが尾を引いているからなのだろう。
『だからもっと自由に戦っていいんだよ?』
『もう少し前のめりになってもいいとは思いますね』
『仲間を信頼してないのはお前の方だ』
昨日かけられた言葉が、繰り返し脳内で再生される。あれは思った以上に堪えた。
みんなを守ることに必死になるあまり、仲間として対等に戦おうとしていなかった。あたしのしてきたことは、信頼とはほど遠いただの執着だったと、つまりは言われたわけだ。
相手側がそう受け取っている以上、あたしがどう思っていようと関係ないのだから。
昨日の今日であたしは、『今夜は一人で行かせてほしい』と申し出た。仲間を信頼する本当の意味。魔女としてどうあるべきか。ちょっと一人で考えてみたくなったからだ。
みんなは了承こそしたものの、納得はしていないようだった。とくに唯姉さんは渋りに渋り、ギリギリまでついてこようとしていた。……あれも結構な執着だよな。
契約した時点で仲間のいる唯姉さんにはわかりにくいかもだけど、討伐を筆頭に魔獣の救援・現場復旧・討伐した魔法少女の自宅輸送等々。当初は全部あたし一人でやっていた。
あの頃を思えば単身だろうとなんのことはないし、むしろ連絡すれば味方が助けに来てくれる安心感を勘定に織り込めば、当時よりもはるかに恵まれた環境だと言える。
「──こんな風に考えるのがいけない……のか?」
ただの独り言。答えを用意してくれる者はいないし、期待もしていない。
魔法少女との戦闘も、数に物を言わせた乱戦が主流になっている。連携が重要なのは百も承知だが、組織とて個人が寄り集まって作られる在り方だ。土壇場で重要になってくるのはやはり、自身が持つ腕っぷしに他ならない。
「う~ん」
思考がグルグルと渦を巻き、行ったり来たりを繰り返す。
「……なんにもまとまんなかった」
身も蓋もない総括がポロっとこぼれ落ち、風に流されていく。結局、初心に返ってしみじみしていただけで、何も変わらなかった。
まあ、考えて答えが出るなら苦労しないし、この手の問いは考え続ける行為自体に意義があるのであって、単一の正解なんてないだろうし。……別にいっか!
「おい! 待てコラ! 逃げんじゃねぇ!」
「逃がさない。ここで死んで!」
「おお? なんだ?」
そろそろ帰るかと転移を作動しかけた時、夜の静寂をブチ破る物騒な言動が、離れた場所から響いてきた。
「──お、とと!」
咄嗟に近くの物影へ身を滑り込ませ、声の聞こえた方向に意識を向ける。
「待ちやがれ! クソガキ!」
「いい加減、消えて!」
そっと顔を覗かせると、二人の少女が一人の少女を追い立てていた。
「……内ゲバか?」
暗がりからでも確認できる特徴的な衣服の輪郭と、常人ではありえない身のこなし。間違いなく魔法少女だ。にしても汚い言葉遣いだな。
魔法少女同士が魔獣を取り合って争うのはかねてからあったが、最近ではとくに激しさを増している。先月やりあった天条島の『奇跡連合』も、壊滅させたというより組織内で意見をまとめきれず、勝手に自滅したと言った方が正しいくらいだった。
初期の乱造に始まり、後発型投入による人材の飽和に続き、昨今の魔獣再集結が重なり、魔法少女は現在、倒すべき魔獣が相対的に不足している。願いに対して、叶えるために倒す魔獣が足りていないのだ。
どれだけ体裁を取り繕おうと、奴らは急造チーム。
千差万別の望みを抱える魔法少女たち全員の要望を満遍なく聞くのは、現実的に不可能であり、貧乏くじを引かされる者が出てしまう以上、いつか必ず爆発する。
そりゃあ、端末に都合のいいことばかり吹き込まれ、いざ契約して『順番待ちです』なんて言われれば、癇癪の一つも起こさない方が難しいってもんだよ。魔女側のあたしたちにしてみればざまあない限りだけど、気の毒な話ではある。
「逃がさないっつってんだろがぁ!」
「──がぁはぁっ!」
追撃されていた魔法少女が追いつかれ、背中から容赦なく蹴り飛ばされる。いつぞやの焼き増しかと言わんばかりに近くのシャッターへ衝突し、アルミホイルのように容易く歪む。
「はあ、はあ。やっと止まったか……面倒かけんじゃねぇよ、アカリ!」
「──⁉」
聞き憶えのある名前に、うっかり漏れそうになった声を強引に押し止める。
「う……うぅ! こんの──」
あたしの疑問に答えるように、『太陽ルチル』のリーダー、アカリが瓦礫から這い出てきた。破片でも刺さったのか、腕や足からポタポタと血を滴らせ、額に脂汗を滲ませて苦痛に耐えている。
「もう逃げられない。終わりだよ」
追い付いてきたもう一人も加わり、二方向からアカリを包囲する。
「お前ら……どういうつもりだ⁉」
アカリは困惑を口にし、負傷した足を引きずってジリジリと後退する。
「どうする?」
どちらか一方に加勢するか。
不意を付いて全員討伐するか。
見なかったことにして退散するか。
この位置取りなら、どれを選択しても成功させる自信がある。しかしだからこそ安易な判断はできない。
「…………」
再度、相争っている三人を盗み見る。
半殺しの魔獣を撒餌に群れをおびき寄せるような奴らだ。あたしに顔が利くアカリを囮にして、網を張るなんて作戦も十分に考えられる。今行われている光景が、茶番劇でないとは言い切れない。
「これ以上お前に、『太陽ルチル』はまかせておけねぇんだよ!」
「そういうこと。これからは僕たちが仕切らせてもらう。だから、消えて」
果たしてあれが演技なのかマジなのか。ここから話だけ聞いている分には、本当に仲間割れをしているようにしか見えない。
「ふざけるな! 『太陽ルチル』はわたしとヒカリで作った組織だぞ! それを──」
「そのヒカリはもういねーんだよ! いつまで寝ぼけてるつもりだガキが!」
「君が頑張ってたのは知ってる。でも限界。僕たちはもう、君についていけない」
振り絞るように出てきたアカリの弁を、二人は辛辣に上書きする。
「お前のせいで、何人やられた? お前のせいで、何人諦めた⁉」
口調の荒い方の魔法少女が、自身にも聞かせるように声を張る。
確かに、一回目のあたしと二回目の渚を合わせれば、討伐だけでも三十人はくだらない。代表者として、責任を問われるのも仕方ない。だけどあの戦闘は、詩乃があたしに味方してくれたからこそ得られた勝利であり、アカリだけを一方的に戦犯扱いするのはお門違いだ。
でも、そう説いたところで周りが納得するとも限らない。まさにあの二人のように。
理屈では理解していても、感情を抑え込めるかは別だ。それができれば、あたしたち人間はここまで苦しんだりはしない。溜飲を下げる意味でも、責任を取る者が必要になる。
「だからまず、お前に落とし前をつけてもらう」
街灯の光を反射させ、アカリへと向けられた闘剣がぬらりと煌めく。
「く、この……っ!」
追い詰められたアカリの顔が、あの時討伐した魔法少女と重なる。
「──『兵香槍攘』」
小さく叫び、相棒を呼び出す。
「やっぱ甘いわね。あたしって」
自嘲しながら影を飛び出し、一気に跳躍。サクッと魔力を装填し、突撃を発動させる。
「──行け!」
シュンッ!
推進力が肉体に伝わる寸前、手を放して『兵香槍攘』を地面に射出する。
ズゥゥーーン‼
一直線に道路へと突き刺さった『兵香槍攘』は、表面の舗装を難なく破壊、下層の土をも巻き上げる。湿った土の臭いが辺りを満たし、土や砂利が時間差で落下してくる。
「な、なんだ⁉」
「あの槍──」
事態の急激な変化に、二人の魔法少女は一様に混乱している。
「こんばんは~。呼ばれてないのに魔女参上~」
突き刺さった『兵香槍攘』の上にしゃがみつつ、あえてダルそうに名乗りを上げる。
「んな、魔女だと⁉ バカな! どうしてここに⁉」
招かれざる闖入者を前に、その瞳は驚愕に見開かれている。魔獣もいない、完全に身内だけのやり取りにいきなり押しかけたのだから当然か。
「四ヶ郷……棗? ──っ! お前、何しに来た⁉」
あたしの名をなぞっている間に理解が追い付いたのか、アカリは一拍遅れで金切り声をまくし立ててくる。
「いいから下がってなさい。困ってるんでしょ?」
アカリを庇うように後ろへ下げ、二人に対峙する。
もしこれが罠であれば、無防備なあたしの背中へ闘剣を浴びせられ、討伐はされなくても動けなくなるくらいの傷は負ってしまう。この子の魔兵装『疑心暗器』は、刺した相手を魔力で操ることができる。そうなったら、ここで余裕こいているあたしの方が絶体絶命だ。
だけど、そんな可能性はどうだっていい!
困っている奴がいるなら全力で助ける。裏切られるかどうかなんてのは二の次三の次だ。『崩壊石』戦では外道を邁進したあたしだが、今日ぐらい善幸を積んだってよかろう!
「魔女、どうしてお前がここにいる⁉」
曇天色の魔装衣をまとった魔法少女が、闘剣をかざしたまま問いかける。
ご丁寧に髪の色まで魔装衣と同色に染められ、眼鏡をかけた勝気な顔にはこれでもかと憎悪を浮かべている。本人はガンを飛ばしているつもりなのだろうが、今一様になっておらず、向う見ずなヤンキーの域を出ない微妙な感じになってしまっている。
「う~ん、散歩してたら見かけたって言って、信じてくれる?」
「ふざけないで。どうせずっと付けてたんでしょ? 卑怯者」
同じく隣で闘剣を構える深森色の魔法少女も、かぶせ気味に尋ねてくる。
こちらは短く切り揃えられた暁人定番の黒髪に、大人しそうな面にかかるそばかすが素朴だが、両の瞳はそんな印象に反し、冷徹にあたしを見つめている。凄みという意味では、こちらの方が余程迫力がある。
「アカリ、おめぇの差し金か⁉」
「魔女と繋がってたとか、あなたも裏切り者」
「な⁉ 違う! わたしは──」
水を向けられたアカリが即座に否定するも、向こうは取り付く島もない。あまりの予想外な展開に、判断力が狭くなっているのかもしれない。
「なんか……マジみたいね」
背後からの奇襲もなく、双方の焦りようから判断するに、どうやら罠ではなさそうだ。だったらだったできな臭い状況に変わりないけど。
「ああ、そうか。あんたたち──」
アカリを襲う二人の魔法少女。その顔には見覚えがあった。
最初の壊滅で詩乃の風呪文に全身を切り刻まれ、この間の壊滅ではアカリを小脇に抱えて撤退を指揮していた奴らだ。やった側が言えた口じゃないけど、碌な目に合ってないな。
「知るかこんな奴! 沸いてきただけだ! わたしは関係ない!」
「……あたしは雑菌か何かなの?」
これまでの行いを振り返れば、そう断ぜられてしまうのも致し方ないけど、もうちょいマシな言いよ方はないものか?
「まあいいや。……さあ、どうする? やるってんなら相手してやるよ?」
『兵香槍攘』を派手にブン回し、歯噛みしている二人を威嚇する。
「クソ! いきなり現れて好き勝手やりやがって」
「あたしたちは元々そんなもんよ! せっかくだし、一暴れしてから帰るとしましょうか!」
「この、魔女──」
深森色の魔法少女がずいっと一歩踏み出し、全身と闘剣に魔力が流れるのを感じる。
「よせ、アキラ! どうせあいつはお終いだ。俺たちがここでやらなくてもな」
その肩を曇天色が掴み、制止させる。
少し意外だった。口調から見ても、先に突っ込んでくるのは曇天色の方だと読んでいた。どうやら、派手な見てくれほど直情的ではないらしい。
「……そうだね。ごめん、ランちゃん」
曇天色に気圧されて、深森色は途端にしおらしくなる。頭に血が昇りやすいのはこっちなのか。先入観に囚われるあたしもあたしだけど、よくわからん二人組だな。
「つーわけだ魔女。今日のところは引き揚げてやる! お前は絶対、俺たちが殺す!」
「アカリ、君はもうお終いだよ。さよなら」
二人はチンピラを地で行く捨て台詞を残し、手近な屋根に飛び移る。
「え? ……帰っちゃうの⁉」
こちらの問いなど答えてくれるわけもなく、奴らは早々に背を向けて跳躍し、瞬く間に建物の影に入り見えなくなってしまった。
「えー……何しに来たのあいつらー?」
血がたぎり始めたところで梯子を外され、途方に暮れる。
「お前がいるから諦めたんだろ。口先だけの他愛ない奴らだ」
アカリは苛立たしげに吐き捨てると、ドカリと腰を降ろし、裾や丈を捲り上げて傷の程度を確認し始めた。
「大丈夫、アカリ?」
パシンッ!
「触るな!」
叩かれるかな~と思いながら手を差し出したらやっぱり叩かれた。期待を裏切らない子だ。
「今日だけは礼を言う。だが次は必ずお前を──」
アカリは悔しそうに顔を伏せ、視線を逸らす。
「……じゃあな」
「ちょ、ちょっと待ちなさいって!」
去り際、ほぼ条件反射でアカリの手を掴む。
「……なんだよ?」
「家まで送る。待ち伏せされてたら厄介だし、乗りかかった船だし」
「は? バカ言ってんじゃ──」
アカリがわずかに身じろぐも、あたしは手を離さない。ここでこの子を一人にするのは危険すぎる。魔の付く付かない以前に一人の人間として、ここで放り出すわけにはいかない。
「……ちぃ! 好きにしろ」
聞こえよがしに舌打ちし、あたしの手を振り解くと、アカリは速足で歩きだした。
「…………」
無言で先を行く灯子の背中を眺め、歩幅に合わせて夜の街をのんびりと進む。そういえばこの子とこんなまとまった時間を過ごすの、初めてかもしれない。
「……ほうほう」
なんて考えながらも、物珍しくてつい辺りを見回してしまう。
碁盤の目よろしく規則正しく区切られた道路に、土地の広さにしては小さ目の家々が立ち並んでいる。そのほとんどに高そうな車が駐車されており、いかにも高級住宅街ですって雰囲気がひしひしと伝わってくる。
「あんまりキョロキョロするな、田舎者」
「お、おう。ごめん」
前を向いたまま放たれる灯子の鋭いご指摘が、先日のナンパ野郎を思い起こさせる。
確かに、こんな挙動不審でウロウロしていれば、『あたしは田舎者です!』と宣言しているようなものだ。あの時はムカついたけど、純粋な悪口ってわけではなかったんだな。
にしても、晃子との買い物に続き、まさか灯子の付き添いをすることになるとは、縁──またの名を柵──ってのはわからないもんだね。
「わたしをやらないのか?」
道すがら、灯子からそんな問いが投げられる。
『やる』というのは、十中八九『討伐』だろう。奇しくも、さっきとは立ち位置が逆であり、やろうと思えばいつでもやれてしまう。ちなみに変身はお互い解いており、今それをやろうものなら、夜道で高校生が小学生をいじめている図にしかならない。
「その気があったら助けたりなんかしないわよ」
「ふん」
灯子は心底つまらなそうに鼻を鳴らし、変わらずあたしの数歩先を行く。
「あの子たち、結構前からいるよね? なんでこの時期に造反なんてしたの?」
間が持たないわけではなかったけど、せっかく敵の親玉がいらっしゃるので、尋ねるだけ尋ねてみる。答えてくれれば御の字だし、無視なら無視で痛くも痒くもない。
「青江の留守を狙ったんだろう。今はあいつが指揮役だからな」
「ああ、あの紅い着物の人ね」
「そうだ。あいつらに補佐を任せたんだが、青江がいなくなった途端このザマだ。前々から文句ばかり言う奴らだったが、とんだ獅子身中の虫だ」
「……ふうん」
やけに口が軽いな。組織内の人事なんて、今後に関わる重要機密だと思うんだけど。ましてや敵方にペラペラ喋るなんて、軽率にもほどがある。
ひょっとして愚痴の一つも言いたくなったのか? それともそんなことすら気づけなくなるくらい、身も心も疲れ切ってるのだろうか?
魔の付く世界に歳は関係ないけど、組織の長として魔法少女たちをまとめあげ、義務や責任を受け止めるには、やはりこの双肩は小さすぎる。
「なんでそんな子たちを上役にするのさ?」
「──っ! どっかの誰かがみんなやっちまったからだろうが!」
不の感情を煮詰めたような形相をその顔に乗せて、灯子が振り返る。憎悪を帯びた怒声が、閑静な住宅街に響き渡る。
「そ! そうだったわね……」
明らかに失言だった。この子がこんなになるまで追い詰められている元凶は、紛れもないこのあたしだった。そりゃキレない方がおかしい。
「ま、まあ、あん時は渚も謎の刺客だったし、あれに関してどうこう言われるのは困るっていうか……ねぇ?」
「……あいつ、お前らの仲間になったんだってな」
こちらのいい訳を聞き流し、アカリは続ける。あいつというのが、二回目の壊滅を引き起こした渚を指しているのはすぐわかった。
「え? ま、まあね。おかげさまで討伐数一位独走中だよ」
「……お前より腕が立つのか?」
「うん、強い強い。強いっていうか、迷いがないって感じかな?」
「そしてもう一人の新入り魔女か。忌々しい」
「唯姉さんね。あの人も強いよ。同盟なんとかってやつ? あれホント厄介。手合わせでも全然敵わないんだよ~」
灯子の脱力した雰囲気に当てられてか、こちらもうっかり愚痴が漏れてしまう。
「同盟機工は青江の魔兵装にもついてるな。程度にもよるが、そこまで珍しいものでもない」
「へぇ~そうなんだ」
「あれはお前の経験を基にした上位互換なんだろ? だとしたら、魔女一派の中ではお前が一番弱いことになるな」
「言ってくれるじゃん。……てか灯子、なんであたしらのことそんな知ってんの?」
さっきから固有名詞を避けているだけで、当たり前のようにこっちの内情をツラツラ話していて怖い。
「魔法少女にも横の繋がりはある。お前たちの情報は逐一入ってくる。お前たちの素性を拡散したのも、元は『太陽ルチル』だしな」
「やっぱあんたの仕業か。おかげで有名人だよ。いいことなんて一っつもないし!」
「いい気味だ。で、次はどの組織を潰すんだ? 当りぐらい付けてるだろ?」
と、カマをかけもせず直球の灯子。
「んー、言えないねー。いくらなんでも」
実際はまだ何も決まってないだけだけど。
てか、この子の使ってくる言葉って妙に小難しいのばっかで、とても小学生と会話しているように思えない。達観しているというか枯れているというか、これもう詩乃が縮んだだけじゃないのかって気さえしてくる。あっちも基本毒舌だし。
「ここだ」
「え? うおっ──」
内心辟易していると、立ち止まった灯子に気がつかず、うっかりつんのめってしまった。どうやらここが目的地のようだ。
「……はえ~」
邸宅を見上げ、間抜けな声が漏れる。
周囲の例に漏れず結構な大きさだが、それでいて豪奢な印象はなく、どこか素朴で優しい感じの家だった。大理石の表札に『YASHIRO』と、連邦の当て文字で彫られているところなんかがとてつもなくオシャレだ。つか、表札が横になってるとか宮境町じゃ考えられんぞ?
「いや~、立派なご自宅ですな~」
「親の持ち物褒められてもな。所詮わたしは、その親にぶら下がってるだけの小娘だ」
「いやまあ、そうなんだけど……」
思わず出てしまった感想に、灯子は冷たく切り返す。ふんぞり返って自慢されても困るし実際正論なんだけど、もうちょい柔らかく伝えられないもんかね?
「お姉──ヒカリに会ってくか?」
「ここまででいいよ。てか、なんて説明すりゃいいのさ?」
ただでさえ最初のアレで仲悪いって思われてんのに、妹がそんなのと一緒に帰って来たとなれば、いくら晃子でも勘繰らない方がおかしい。あたし的には顔の一つも見ておきたい気もするけど、ここは遠慮しておくのが無難だろう。
「……それもそうか」
意味深な間を挟み、灯子は門扉に手をかける。
「礼は言わない。お前が勝手にくっついてきただけだからな」
「うん、わかってる。じゃあ、お休み」
「わたしはお前を、許さない。……絶対に」
吹けば消えてしまいそうな擦れた声で、灯子は囁く。それが今、この子ができる唯一精一杯の強がりだと理解していたし、茶化そうとも思わなかった。
「了解。次に会ったら敵同士。それでいいでしょ?」
だからあたしは、その言葉を正面から受け止め、応じる。
「ああ。じゃあな」
わずかに見えた横顔が、玄関が閉じられて見えなくなる。
「……ふう。今度こそ任務完了ね」
一区切り付いて力が抜ける。伸びをするように、再び屋代邸を見上げる。
「さーて帰るか。みんな心配──」
『────⁉ ────⁉ ────⁉』
「んあ⁉ な、なんだ?」
感傷に十分浸ってから踵を返すと、灯子宅から甲高い叫び声が漏れ聞こえてきた。
『────っ!』
『────っ! ────っ!』
『────っ! ────⁉』
茫然としていると、さらに別の声が追加される。外にいるので内容までは聞き取れないが、声色の険しさから口論しているのはわかる。
バンッ!
「──ううっ!」
今しがた閉じられ玄関が勢いよく開かれ、たった今入ったばかりの灯子が飛び出し、俯いたまま走り去っていく。
「ちょっ──え、灯子⁉」
「待ちなさい! ──って、四ヶ郷さん⁉ え、嘘? どうしたの⁉」
追いかけるべきか逡巡していると、寝間着姿の晃子が現れ、ばったり出くわしてしまった。
「うぇ⁉ いや、その! なんだ……えーと」
最悪の展開に、案の定しどろもどろになる。こうなるとわかっていたから会わずに帰るつもりだったので当然台本などはなく、頭の中は真っ白けだ。
「あの……ですね。こ、これにはいろいろと事情が──」
「ねえ、あの子誰? 四ヶ郷さんの知り合いなの?」
「…………は?」
その言葉に、どうやってごまかそうかと緊急回転していた脳みそが緊急停止する。
「いや……何言っちゃてるのさ晃子さん? 灯子はあなたの──」
「トウコ? あの子の名前?」
「……は? いやいや冗談言ってる場合じゃなくて──」
「晃子、その子は?」
意味が解らず固まっていると、奥から中年の男性がぬぅっと現れる。
「ああ、うん。四ヶ郷棗さん。この前話した、買い物の。四ヶ郷さん、こちらは父よ」
「……あ、初めま、して。四ヶ郷棗、です」
定形文だからか、なぜかその台詞だけは途切れながらも返すことができた。
「で、あの子は誰なのかね? 突然家に入って来て」
「うん。私のびっくりした。お父さん、鍵かけてなかったの?」
「いや、確かにかけたはずなんだが……。とりあえず警察に──」
「ちょっ! ちょっと待って下さい! 待って!」
物騒な方向に進みつつある会話を、我ながら情けない一声で遮る。
「何……言ってるんですか?」
晃子さんと、そのお父さんを交互に見やる。
「何バカなこと言ってるんですか⁉ そもそも警察って……あの子はあなたたちの──」
家族じゃないのかよ⁉
そう言おうとしたところで、あたしは先を紡げなかった。二人から醸し出される雰囲気が、滲み出てくる気配が、家族に対するそれとは程遠いものだったからだ。
喧嘩して他人の振りをしているとか、家族ぐるみであたしを騙そうとしているとか──それだって家族間のやり取りとしては下道ではある──生易しいものではない。徹頭徹尾他人、もしくはそれにすらなり得ない、異物を排除しようとする反応。
家族に対する愛情や慈しみも、思いやりや移り変わる喜怒哀楽も、この二人からは、まったく、これっぽっちも、一切何一つ伝わってこない。
「四ヶ郷さん、あなたこそどうしたの?」
「子供とはいえこれは立派な不法侵入だ。警察を呼ぶのは当然だろう」
あたしには、この二人からどす黒い何かが撒き散らされているように映る。眼の前にいる人たちは、はたして本当に人間なのか? そんな当たり前さえ断言できない。
「考えたくはないが、もしや君が手引きしたんじゃあるまいな? 晃子に近づいたのもこのためかね?」
「お父さん! いくらなんでも言い方が──」
屋代父の疑いを宿した眼差しが、容赦なくあたしに向けられる。しかし今は、嫌疑を否定するだけの根拠もなければ、気持ちを割く余裕もなかった。
絶対におかしい。
これは、家族に対して向けていい表情じゃない。いくらなんでも不自然すぎる。実の妹に、実の娘に、それこそ記憶がすっぽり抜け落ちでもしない限り──
「──⁉」
『どうせこいつはお終いだ。俺たちがここでやらなくてもな』
『アカリ、君はもうお終いだよ』
つい先刻、魔法少女たちが去り際に残した台詞が頭で弾ける。すべてが繋がった瞬間、身体中を稲妻が這い回るような感覚が襲ってくる。
「ああ──」
そういうことか。
「すみません! 必ず説明しますから! だから、その……失礼します!」
「ちょっ──四ヶ郷さん⁉」
二人に素早く一礼し、返事も聞かぬまま走りだす。こんなところでかかずらっている場合じゃない! 早く、灯子に伝えないと!
あれは魔力だって。あんたの家族は、あんたのことを魔力で忘れさせているだけだなんだって。方法まではわからないけど、本当に忘れたわけじゃないんだって。
「はあ、はあ、灯子……っ!」
ここまで歩いてきた道を、おぼろげながら引き返していく。
家に帰ったら『家族』が『他人』になっていた。
逃げ出すのも当然だ。あんな不意打ちされたら、あたしだって正気でいられない。ましてあの子は、大人ぶっているだけの小学生なのだ。親に姉に、甘えたくて仕方ない盛りだ。……いや、盛りも何もない。人にとって家族とは、生きる理由そのものだ。
「はあ……はあ……あ、灯子」
角を曲がると灯子の背中が見え。靴底がすり減るのも構わず急停止する。
大した遊具もない、広場とベンチだけの公園。その真ん中に、灯子は立っていた。着の身着のまま走ってきたのか、靴は履いておらず、白い靴下はすでにボロボロだ。
「……と、灯子?」
刺激しないようにゆっくりと近づき、名前を呼ぶ。
「……お前は、憶えてるんだな」
取り乱した風もなく、灯子は平然と答えた。
「わたしを憶えてるのがお前しかいないなんて、傑作だよな? ざまあないだろ? 散々お前らに邪魔されて、でも踏ん張って。……結果が、この有様だ」
「灯子、もういい、黙りなさい」
「わかってる。あれは魔力が言わせてるんだって。父さんもお姉ちゃんも、忘れてるだけなんだって。わかってる、わかってるさ──」
灯子の身体は細かく震えている。
「でも、でも──」
「もういい! もういいから!」
壊れそうになっている灯子を、無理矢理肩を掴んでこちらを向かせ、強く抱きしめる。
「な⁉ やめろ! 放せ! 同情なんかするな! 同情、なんか──」
灯子は振り解こうと腕の中で身をよじるも、あたしは手を、腕を緩めない。
「……うう、うう」
最初は激しかった抵抗が、次第に大人しくなっている。
「あ゛あ゛……あ゛あ゛、お姉……ちゃ、う゛う゛」
堰を切ったように、灯子は泣きだした。
ここにいるのは組織の天辺に立つ高貴な魔法少女などではなく、家族が恋しくてしょうがない、ただの幼い少女だった。
「灯子」
お腹の辺りから、嗚咽の震えと不規則な息づかいが服越しに伝わる。背中に手が回される。これ以上誰も離れていかないように。自身の居場所をつなぎ止めるように、強く、硬く。
「う゛う゛──う゛う゛、あ゛あ゛……」
「大丈夫。あたしは、ここにいるから」
一言だけ囁く。灯子が泣き止むまで、あたしはずっとそうしていた。
「で、ノコノコ連れて帰って来たわけか?」
『苦虫を噛み潰したような顔』を体現したしかめっ面で詩乃が言う。
「ったく。緊急事態だっていうから急いできてみれば、よりによってこいつかよ」
「何よ、放っておけるわけないでしょ? 文句ある?」
心底うんざりそうな詩乃に当てられ、こっちまで刺々しく接してしまう。
「…………」
等の灯子は、居間の椅子にちょこんと腰かけたまま微動だにしない。
「大丈夫? どこか痛い? お腹空いてない?」
「ああ……うん。空いて、ない」
「ここにいれば安全です。まずは落ち着きなさい」
「……ああ」
渚と唯姉さんが、代わる代わる灯子の世話を焼いている。反応がいまいち薄いけど、ちゃんと受け答えできているので、問題ないだろう。
晃子にはさっき電話で話したが、何をどう説明したのかほとんど憶えていない。あたしからしてこれなのだから、聞いている方はさぞちんぷんかんぷんだっただろう。
「アカリを追っていたのは曇天色と深森色の魔法少女って言ったな? 確かか?」
ことここに至った経緯について、詩乃が小声で確認してくる。
「うん。魔兵装は、両方とも闘剣だった」
「やっぱり岩野と山口か。よし、大体わかった」
「……わかったって何が?」
「こいつの家族が全部忘れちまった理由だよ」
あたしの合いの手に、詩乃は意味ありげに勿体ぶる。
《愚考するに、報酬ですか?》
足元に控えていたケンが先に答える。
「そうだ。あいつらはどうしても消したい相手がいるとかで契約したと、前に聞いたことがある。しかしまさか周りの記憶を消すとは、粋なやり方考えるもんだ」
「だとして、なんで灯子の家族が? 灯子は関係ないじゃない?」
「消したい奴だけを消す分にはな。だがもしも、契約時に任意の誰かを指定できるようにしていたとしたら、どうだ?」
《なるほど。要求される魔力量は増加してしまいますが、汎用性は格段に向上しますね》
詩乃はそうだと返し、軽く頷く。
「大方、端末にそそのかされたんだろう」
願いを叶えて満足されたら、魔法少女は討伐を止め、魔人側に供給するべき魔力が打ち止めになってしまう。そうさせないために別のうま味を用意し、討伐を続けさせる必要がある。いくら魔法少女が星の数ほどいようと、使えるものは徹底的に使い潰すべしって寸法か。
「まあ、わかったところでなんの解決にもなりはしないけどな」
と、詩乃は肩をすくめる。
「しかしなんつーか、『太陽ルチル』も潮時だな。まあ、よく持ちこたえたとは思うが」
「詩乃、さっきから何? いくらなんでもその言い方はなくない?」
あまりに軽薄な詩乃の態度に、言葉尻が鋭くなる。
「お前こそ何カリカリしてんだ? 面倒見てるうちに情でも移ったのか? 困ってる人はとにかく放っておけませんってか?」
「当たり前でしょそんなの! この子……灯子はまだ小学生なんだから!」
「歳は関係ない! 魔の付く世界に身をやつした以上、すべての責任は平等に扱われる。現にこいつはその歳で『太陽ルチル』を率いていた。現実じゃ絶対にあり得ないことだ」
灯子を指さし、詩乃は声を張ってまくし立ててくる。
「それがなんだ? 仲間に寝首掻かれた途端子供面か? そんな虫のいい話、それこそ卑怯者のやり方じゃないのか? なあ、違うか⁉」
「二人とも、その辺に──」
仁が慌てて仲裁に入るも、止まってやるつもりは毛頭ない。
「じゃあ何……見捨てればよかったっての? 泣きながら突っ立ってるこの子を見て、黙って帰って来ればよかったの⁉」
「お前が今日までしてきたのはそういうことだろ! よく考えろ。お前に助けられて、こいつは私たちを恨むことすらできなくなったんだぞ⁉ こんな屈辱があるか?」
「……何だよそれ? 大切なのは今この時でしょ⁉ 眼の前であんな弱ってる子がいて、そのままにしておくとか、それこそ人間じゃない!」
あれを見過ごすなんて真似、あたしにはできない。例え魔法少女であっても。
「魔法少女はみんな、失ったもの、奪われたものに折り合いを付けて戦ってる。程度の差はあれ、誰でも抱えてる感情だ。みんな同じなんだ。もちろん、私も」
熱に浮かされたような激情を湛え、詩乃は喋るのを止めない。
「そしてそれを引き起こしてるのが、お前たち魔女であり、片棒を担ぐ私だ。どんな大義名分があろうと、これは動かない。絶対にだ!」
「でも……それでも──」
「なのにお前は、一人だけ気まぐれで救い上げて、何様のつもりだ? 人形遊びも大概にしろ偽善者が!」
「──‼」
その言葉を聞いた瞬間、ブワっという、全身の血管が膨張したんじゃないかって音が耳元で聞こえた。視界が真っ赤に染め上がり、根源的な怒りが眼前の人物に沸き上がる。
「お前ぇ──っ!」
「やめろ‼」
詩乃の胸ぐらを引っ掴み、顔に一発くれてやろうと拳を振り上げると、渚の耐えるような叫びが阻んだ。
「二人とも、やめて下さい……っ!」
だんだんと尻すぼみになっていく渚の視線を追う。
「────」
灯子は無表情のまま、静かに泣いていた。両の眼から零れた涙が頬を伝い、ぽたりぽたりと握りしめられた拳に落ちる。
「大丈夫よ。大丈夫だから」
その弱り切った細身に、唯姉さんが優しく語りかけ、横から抱きしめる。
「あなた方にはわからないでしょう。愛していると思っていた人に、なんの根拠もなく突然拒絶される人の気持なんて、わかるわけがないでしょう」
自身の、あるいは家族の誰かを重ねているのか、渚は沈痛な面持ちで俯く。
「「…………」」
こればかりはあたしも詩乃も、言い返せるだけの知識と経験がなかった。
「棗、詩乃ちゃん。頭冷やしなさい。……出てって」
「いや、唯姉さん、あたしは別に──」
「早く」
こちらの言い訳に一切の耳を貸さず、唯姉さんは突き放す。
「いつまでやってる。放せ」
掴んだままになっていたあたしの手を、詩乃は乱暴に振り払う。
「……ち! 私が悪者かよ」
小さく舌打ちし、詩乃は背を向ける。
「ちょっと、詩乃!」
「わかってる! 外の空気を吸うだけだ。へそ曲げて帰ったりなんかしねーよ」
あたしの静止を振り切り、詩乃は縁側の窓から庭先へそそくさ出て行ってしまった。ピシャンッ! と、戸を閉める乾いた音が居間に響く。
「棗」
「あーもーわかったよ!」
横合いからバリバリ突き刺さる視線を避けるように、あたしも続いて居間をあとにする。そのままズカズカと二階へ上がり、自室に引っ込む。
「……あ、うう──くそ!」
部屋に入った瞬間、思いっきりベッドに突っ伏したい衝動に駆られたが、やってしまったら起き上がれる気がしなかったので、誘惑に抗い机の椅子に腰を降ろした。
「まったく。なんなんだあの言い方──⁉」
静まり返った室内で、詩乃に対する怒りがぶり返す。
台詞が一字一句違わず脳内で連続再生され、こちらのイライラも純度を増していく。
「あーもう……っ!」
感情のごった煮をひっくり返すように、髪の毛を掻きむしる。これでは頭を冷やすどころじゃない。とんだ瞬間湯沸かし器だ。
『お前が今日までしてきたのはそういうことだろ!』
『こいつはもう、私たちを恨むことすらできなくなったんだぞ⁉』
『人形遊びも対外にしろ偽善者が!』
「わかってる。わかってるよそんなことくらい」
ことさら主張の激しかった部分が抜き出され、一層思考を掻き乱す。
あの罵倒の数々は、向こう側にいた詩乃だからこその意見だ。
怒りほど、己を突き動かすのに手っ取り早い燃料はない。仲間を討伐された魔法少女たちを見ていれば嫌でもわかる。その唯一と呼んでも過言ではない原動力を、あたしは灯子から奪ってしまった。良いとか悪いとか以前に、これが紛れもない事実だ。
「恨みたければ恨めばいいじゃんか。あたしが勝手にやっただけなんだから」
頭の中で怒鳴り続ける詩乃に、乱暴に開き直った答えを投げつける。でもきっと、これはそういう問題ではない。こちらから首を突っ込んでおいて、判断を相手に委ねるのは無責任の所業だ。関わったからには、最後の最後まで付き合わなければいけない。
『みんな同じなんだ。もちろん、私も』
「……うん、そうだ。あたしもそう思う」
あれは、あたしが渚に言った言葉でもあるんだから。
あたしと同じく、渚も灯子を追い詰めた側の人間だ。それでも自身の行いに責任を持ち、あいつは灯子に向き合っている。怒りに身を任せて喚き散らしたあたしとは雲泥の差だ。
「あ」
ようやく頭が冷え始めた頃、なんとなく窓の外を眺めていると、庭先で黄昏ている詩乃の後頭部が見えた。
「……──」
さも当然のように詩乃は振り返り、視線が重なる。なんだその気配察知能力? 背中に眼でもついてんのか?
「…………っ」
内心困惑していると、詩乃はワザとらしくクイっと顎をしゃくってみせた。『降りてこい』と言っているのだ。
「あーはいはい」
小さく嘆息し、部屋を出る。居間からでは唯姉さんたちに鉢合わせてしまうので、玄関から裏を通って庭に周る。なんであたしの家でこんなコソコソしなきゃならんのだ?
「おう、来たか」
「おう、来たよ」
あからさまに渋々やってきたあたしを、詩乃は背中で出迎える。
「感情的になったことについては謝る。悪かった」
「うん。あたしも、ごめん」
視線を合わせないまま、互いに短く、簡潔に呟く。
まさかさっきの続きをしようってじゃないよな? と、軽く身構えてはいたが、さすがにそんなことはなかった。我ながら不思議なもので、その一言を聞けただけで、自身に対する葛藤も、荒れ狂っていた激情も、嘘のように萎んでいく。
「だが私の考えは変わらない。私は、間違っていない」
「うん、わかってるわかってる。いいよ、それで」
こんな時でもわざわざ押さなくてもいい念を押してくるのが、いかにもこいつらしい。今更詩乃の考え方をどうこうできるとも思ってないし、違うからって友達じゃなくなるわけでもない。揉めこそしたが、一度認めてしまえば楽なものだ。
「「…………」」
自然な沈黙に包まれ、並んで夏の生温い夜風に当たる。
「単純な疑問なんだが、どうしてあいつばかりをそこまで気にかけるんだ? あのくらいのガキ、魔法少女でも珍しくもないだろ?」
「それがわかるなら、わざわざあんたを殴ろうとなんてしないっての」
「面倒臭い奴だ」
「そっくりそのままお返しする」
互いに空を見上げたまま、言葉を交わす。
「でもホント、なんでなんだろ?」
間の抜けた自問自答がポツリと零れ落ちる。
「ヒカリに頼まれたから。じゃないのか?」
「う~ん……だけじゃない、かな? ……あの子を一人にしちゃいけないとか、できるなら助けてあげたいとか、そういう感じのやつなんだけど──」
「棗、それは愛よ」
「──って、母さん⁉ 立ち聞きかよ趣味悪いな」
この感情はなんて名前なんだと考えていると、後ろで我が家の母が控えていた。
「てか、愛ってなんだよ? そんな大仰なもんじゃないって絶対」
「いやいや、愛と呼ばないでなんとするのよ? 子を想う母親そのものじゃないのよ」
突然現れたと思えば、前触れもなく愛のなんたるかを熱弁する母さん。慣れないことを言っているせいか、いまいち口調も安定していない。年寄りの冷や水現象か。
「母親って……あたし結婚もしてなけりゃ子供もいないんですけど?」
「歳は関係ないわよ。備わってる本能なんだから。自分より幼い子を慈しむのは当たり前よ」
「え~……マジで?」
「思いやりとかならわかりますけど、愛というのはさすがに極論では?」
「そんことないわよ、詩乃ちゃん。そうね……棗がお母さんなら、詩乃ちゃんはお父さんかしらね? 優しさより厳しさで子育てする感じよね」
「……勘弁して下さいよ。私、父親とかよく知りませんし」
「あら、あなたみたいな人がまさにそうなのよ?」
詩乃の戸惑いを楽しむように、母さんはコロコロと笑っている。あたしも含め、完全に転がされている。というか遊ばれている。
「……ああ、確かにそうかも。詩乃って昔ながらの頑固親父みたいな──アフ⁉」
その拳の片方があたしに飛んできた。
「うるせぇ黙れぶっ飛ばすぞ!」
「安定安心の一撃なんですがそれは⁉」
というか親が見てる前でよくその娘殴れるな。尊敬するわここまでくると。こうなるってわかってたらさっき渚を無視してでもやっとくんだったぜこんチキショウ!
ガラガラガラッ!
「二人とも、反省はもういいから入んなさい。棗! わたしとナギちゃん、今日泊まってくから! 詩乃ちゃんもよかったら付き合って」
縁側の窓が勢いよく開かれ、いつも通りカラッとした調子の唯姉さんが矢継ぎ早にはやし立ててきた。こっちもこっちで切り替え速いな。
「……会長、さっきはすみませんでした。言葉が過ぎました」
「あたしもごめん、なさい。本人の前でする話じゃなかった。反省してる」
申し合わせたわけでもなく、揃って頭を下げる。
「ふむふむ、いいよいいよ。ちゃんと言えばわかる子たちだって、わかってるから」
腕を組んで頷くこと数回、唯姉さんはそれだけ伝えて水に流した。この器の大きさを見せつけられると、この人こそよっぽど母親っぽいけどな。
「で、どうする? 泊まる?」
「ええ。混ぜてもらいますよ」
唯姉さんの勢いに押され、詩乃は観念したように両手を上げる。
「よっし、決定ね。なんの字で寝る? 五人いるから五画までいけるよ!」
「では、互いのお尻を枕にしあって輪を作るというのはどうでしょう? 園ではみんな、よくそうして寝ていました」
唯姉さんの影からぬうっと出てきた渚が、大家族ならではの提案をしてくる。
「いいねそれ! 楽しそう!」
「いや、そこは普通に並んで寝ようよ……」
変な方向に話題が反れそうだったので、冷静にツッコんで軌道修正を図る。
「え~っ! 棗つまんないな~」
「姉上って意外と協調性ありませんよね?」
「まったくだ。空気の読めない奴ってイヤだよな」
案の定、謎の総スカンに晒されてしまうあたし。ここはあたしの家なのに、なぜこんなにも肩身が狭いのか?
「あ、あたしが言わなきゃあんたが言ってたでしょうが!」
やっとこさ絞り出した反撃は、夏の空気に虚しく溶けて消えていった。