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魔引きの魔女  作者: 片桐 楚江
〈反乱編〉
17/39

第一章

「はぁ……。うっぷ──っ!」

 のっけから死にそうだった。

 暁天(あかつきてん)空領(くうりょう)第一領の旗之(はたの)(なぎ)(しま)(なか)延藩(のぶはん)。筆頭首都天京(てんきょう)の駅前広場。

 天京総合空湊(くうこう)、通称天総空湊を右往左往しつつ電車を乗り継ぎ、人混みを掻い潜りつつ大迷宮である天京駅を抜け、今は近くのベンチに腰を降ろしている。

「……ふう」

 ようやく気持ちが落ち着いてきて、真っすぐに伸びている大通りに眼を向ける。

 ここからニ十分ほど歩けば、暁幕府の議会堂がある、らしい。

 さらにもうニ十分ほど歩くと、かつてお城だった天族(てんぞく)方の住まう御所がある、らしい。

 他にもあたしが知らないだけで、お役所や有名企業の総本山があちこちに構えているのだろう。あたしは今、そんなこの国の中心であり中枢で疲れ果てていた。

 空を突かんばかりの高層ビル群。車間距離ギチギチで流れていく車。行ったと思ったらすぐやってくるバス。洒落た店から流れてくるメルーピアルやレビ=ラルダの音楽。

 スーツをピッチリ着こんだ会社員。色とりどりに着飾った女性たち。ベビーカーを引く幸せそうな家族連れ。活力に満ち満ちている年寄り。

 テレビや本で見聞きした光景が、まさに眼の前で動いていた。

「暑い……」

 加えて全身から流れてくる汗も、情報で押し潰されそうな思考を圧迫する。

 建物ばかりで風が流れないせいか、ここは異様に蒸し暑い。宮境町ならこの程度の日射し、木陰に入ればなんのことはないのに、まったく効果がない。

「あ゛あ゛~~」

 途方に暮れて空を見上げてみても、視界の端にビルが見え隠れしてくる。

 都会は空がないと、どっかで誰かが言っていた、気がする。

 今朝のあたしなら『んなわけあるかい!』と笑い飛ばしていただろうけど、今はそんなあたしをぶっ飛ばしたい気分だ。

《棗、あなたは都会慣れしていないのですから、転移を使うにしてもキチンと空湊から始め、電車を乗り継いで行くのですよ?》

 ケンの説教じみた言葉が頭をよぎる。結局のところ、全部あいつの言う通りだった。

 あたしは当初、天京駅のトイレにでも転移すればいいと考えていた。せっかく便利なもんがあるんだから、スパッと行ってスパッと帰れば事足りるじゃねーかと。

 が、現実は甘くなかった。

「はあ……」

 今日ここに至るまでの経緯を振り返る。

 当然と言えば当然だが、本来は飛空機に乗らないと島からは出られないので、あたしはまず枩科空湊へ向かった。

 さすがは神衆島が誇る空の玄関口。夏休みも重なってか、人がごった返していた。

 楽しい夏の思い出をいっぱい作ろうと沸き立つ人たちを尻目に、あたしは手近なトイレに入り、ケンに設定してもらった座標へ転移した。転移先も同じくトイレだったのでなんの感慨もなかったが、そこから出た瞬間──世界が一変していた。

 枩科空湊のそれがアホらしく思えてしまうほどの、おびただしい数の人! 人! 人!

 言葉を失う光景に度肝を抜かれながらも、『行かなきゃ』という謎の焦燥感に囚われて一歩踏み出すと、あれよあれよと人混みに飲み込まれてしまった。

 人々が作り出す独特の流れに逆らい、時には身を任せ、なんとか空湊に接続している駅へ向かう。電車内も混んでたけど、乗り替えさえ気を付ければ天京駅だとひとまず安心した。

 ところがぎっちょん、そうは問屋が卸さなかった。

 あたしは眼を疑った。恐ろしいことに天京の駅案内板には、路線名を色でしか表示していないものがあるのだ。んなもん住んでなきゃわかるわけないだろっ! 

 叫びこそしなかったものの、おかしくなりそうにはなった。

 不幸中の幸いか、不親切な案内板はそれ一枚きりで、恥を忍んで駅員さんに聞いてみたりしながら、ようやくここまで辿り着き、現在に至る。

「……年上の話って聞いとくもんだなマジで」

 今更のように、ケンの助言が骨身に沁みる。

 かねてからの計画のままいきなり転移していたら、一度に押し寄せる都会の重圧に耐えきれず、発狂していたかもしれない。いや、今の調子からして間違いなくしていた。

 この際あいつが犬なんてことはどうでもいい。年上とか次元が違うのも知らん。とにかく感謝してもしきれない。これからはあいつの言うことちゃんと聞こう……。

「て、もうすぐ時間か」

 時計を見ると、晃子と約束した時間まであと少しだった。

 普段なら絶対に持ち歩かない手鏡を取り出し、顔やら髪型やらを再度確かめる。

『天京に行くなら化粧の一つもしていけよ。スッピンだと逆に目立つぞ?』

『そうだよ棗。せっかくの首都なんだから、パァ~っとおめかししなきゃ!』

 詩乃にはネチネチ小言を、唯姉さんにはグイグイ押され、簡単な化粧はしてきたけど、果たしてこれで大丈夫なのだろうか?

 二人には眉の整え方に始まり、紅の入れ方に朱の差し方、肌の手入れ等々、基本は教わったから問題ないはずなんだけど、答え合わせのできないこの状況ではただただ不安しかない。

 生徒会はもとより、なんだかんだと人前に出る機会の多い唯姉さん。

 複数のバイトを掛け持ちし、場所と時間に見合った顔を使い分ける詩乃。

 普段そういう話をしないだけで、あの二人は己をよく見せることに関して意外と小慣れている。本人たちに言ったら張り倒されそうなもんだけど、本当に意外だ。

「いたいた! 四ヶ郷さーん!」

 ここにはいない連中の想い出に浸っていると、後ろの方からあたしを呼ぶ声が。

 この島において、あたしの名前を知っているのは二人しかおらず、さらに呼んでくれるとなると、当てはまるのは一人しかいない。

「あ、そっちから来るんだ」

てっきり駅の方から出て来るとばかり思っていたので、そっちの方だけを注意していた。

「──⁉」

 振り返り様に声の主を見上げて、思わず声が詰まる。


 お嬢様が眼の前に立っていた。


 フワリとたなびく花柄のフレアスカートに、水色のカーディガンが清潔感を引き出す。うっすら茶色に染められた髪は後ろで結われ、当人の動きに合わせてヒョコヒョコ動いている。額からは玉の汗が滲んでいるが、それすら彼女を輝かせる演出じゃないかと疑ってしまう。

「お、おう……」

 田舎者のあたしでもわかる。これはいくらなんでもめかし込み過ぎだと。

 そもそもこんな恰好、『私はいいとこのお嬢様です』って宣伝して歩いてるようなもんじゃんよ。まさに今日、都会へ踏み出した子娘には刺激が強すぎるぜ?

「あの、四ヶ郷さん? どうしたの」

「いや……あの……久しぶり」

「うん。久しぶり」

「…………」

「…………」

 再会から十秒ちょいで何を話せばいいかわからなくなる。

「私の格好、変……かな?」

 固まっているあたしを呆れていると感じたのか、晃子は不安そうに首を傾げる。全身から放たれる、炭酸よろしくパチパチ弾ける後光が眩しい。

「い、いや……変じゃない、けど──」

 誠意を持って答えるべく、改めて晃子の艶姿を上から下まで見回す。

 こういう場合、まずは褒めるのが定石なんだろうけど、その場しのぎのお世辞なんて言いたくない。さて、なんと答えてあげたらいいものか──

「に、似合ってるよ! すっごいかわいい! ごめんごめんついつい見とれちゃって」

「──な⁉ いきなりそんな、照れるなーもー」

 具体敵なことを何一つ添えなかったけど、向こうさんはまんざらでもない様子。

「あ、あはは……」

 笑いたければ笑うがいい。都会のお嬢様にダメ出しする勇気など、最初から持ち合わせてはいない。そもそも、この局面で他にあるのか選択肢?

「……はあ」

 無力感に苛まれつつ、自分の服装を見下ろす。

 知らない土地でいざという時走れないのはどうしてもイヤで、スカートは諦めた。上はTシャツに薄く格子柄の入ったシャツを羽織っただけの簡素なものだ。

 片やお嬢様、片や田舎娘。彼我の戦力差は歴然だ。こんな状態であたしは今日、この方と一緒に一日過ごさないといかんのか? さっきとは違う方向性で精神が摩耗し始める。

「なんかごめんね。滅多に連絡もしないくせにいきなり押しかけちゃって」

 そんな劣等感はおくびにもださず、まずは急な来訪を詫びる。

「ううん。あれっきりなのかなって不安だったし、来てくれてありがとう」

「ああ、うん。そう言ってもらえてよかったよ」

 嬉しそうにはにかむ晃子に、半歩ほど後ずさる。呵々大笑とばかりに豪快に笑う魔法少女時代を先に知ってしまっている分、違和感が青天井だ。

「じゃあ行きましょう。街を回ってみたいんだったわよね? 案内するわ」

「うん。今日はよろしく──っとぉ⁉」

 こちらが返す前に晃子は、あたしの手を引き歩き出す。振り向き様に見せる笑顔は、付き合いや遠慮で取り繕ったものではなく、純粋な楽しさが溢れていた。

「ははっ」

 その姿を見て、あたしも少しだけ幸せをもらった。

 そうだ。気後れしてても仕方がない。せっかく首都まで来たんだし、気持ちを切り替えて楽しまないと損ってもんだ! 何事も前向きに。

「でさ、晃子さん。最初はどこ──」


「お! 君キレイだねー」

「ホントだ、俺たちツイてる! ね~ね~お茶しない?」


 と、あたしたちの出鼻を盛大に挫く障害が現れた。

「⁉ いえ、その……困ります」

「え~いいじゃんいいじゃん。ちょっとお話しようよ~」

 ネチっこい喋り方で進路を遮ってきた二人組が、あたしたちの進路を阻む。

 着崩したようなシャツと丈をまくったズボン。髪は暁人ではまずない金髪と茶髪。いかにも都会のチャラい男って感じだった。

「おお」

 なるほど。これが世に言う『ナンパ』ってやつか。現在進行形で困惑している晃子には悪いけど、なんか感動。こんなテレビみたいなこと、現実に有り得るんだな。

「あ……あ、あの──」

 一方晃子は、生け作りの魚よろしく、口をパクパクさせて固まっている。どうやら、この手の対処には慣れていないらしい。服装もだけど、そっちの方面も箱入りということか。

「あの、本当に……」

 さて、そろそろ助けてあげないと可哀想だ。このあとの予定もあることだし、ピシッとキメてお引き取り願うとしますか。

「ねぇ~ねぇ~」

「いえ、その友達も、いる……ので」

「は? 友達?」

 男共の視線があたしに移動する。

「え? この子友達なの? ずいぶんイモ臭いけど」

「──あ?」

 あたしを見るなり開口一番、茶髪が言ってきやがる。なんだこいつ? 出会い頭に失礼な奴だな。

「もしかして、道わかんないの? だったらあそこに交番あるからさ」

 金髪の方も追撃とばかりにあさっての方を指差す。ちなみに指の先に交番はない。とどのつまり、体のいい追い払いだ。

「……そういうことか」

 やけに不躾だと思ったら、あたしはこいつらのナンパ対象に入ってないのか。お前はいいからさっさとどっか行けってか? 舐められたもんだな。

 確かにあたしは正真正銘の田舎者だ。自分自身でも自覚していることではあるけど、誰かに言われるのは無性に腹が立つ。向こうが明らかにこっちを下に見ている場合はとくに。

 イモ臭いだ? 百も承知だそんなもん! だからって都会育ちが偉いわけではないし、当人がどうすることもできない事情で相手を嘲るのは絶対に間違っている。

 普段の狂気とは異なる、胸の辺りがザワつくような不快な感情が全身を駆け巡っていく。まあ、実際不快なわけだし当然か。

「いえ、ですから……困るんです」

「そんなこと言っちゃって、実は行きたいんでしょ~?」

 あたしが絡んで来ないことを確信したのか、奴らの晃子への押しが一段と強くなる。

「…………ふむ」

 さてさて、どうしてくれようかしらこの礼儀知らず共。

 見た感じ腕っぷしは大したことなさそうだし、魔力を乗せて一発くれてやれば簡単に沈められるかな? ついでに周りの注目を集めないよう、穏便に済ませられれば恩の字か。……なんか、どっかの詩乃みたいな思考だな。

「……あ」

 考えながら踏み出したところで、突如天啓が舞い降りる。

「なー行こうぜー」

「そうそう、お昼ご飯奢るからさ~」

「ホントに、止めて下さい!」


「はいはいーっ! ちょーっとゴメンねーっ!」


 妙案即実行。突撃で楔を打ち込むように、強引に中へ割って入る。

「うお⁉ なんだよ!」

「お前まだいたの? さっさとどっか行──」

「この子、あたしのお気に入りでさー。汚い手で触んないでくんない?」

 晃子を返事も待たず、強めに奴らから引き離す。ササッと腰に手を回し、身体を抱き寄せる。

「し、四ヶ郷さん?」

 その華奢な身体は、なんの障害もなくあたしの腕の中へとスッポリ収まった。忘れてしまっているとはいえ、この細腕であのゴツい機関銃を死ね死ね叫びながらぶっ放してたと思うと、人の二面性ってのは計り知れない。

「そりゃあ、あたしは田舎から出てきたお上りさんだけど~、この子はあたしのそういうとこに夢中なのよね~」

 これ見よがしにカーディガンの上から胸に手を乗せ、さらに下からも手を差し込む。

「ちょっ──四ヶ郷さん⁉」

 抵抗するように身をよじる晃子。が、あたしは止めない。

「いや、待って、やめてって……」

 左手で胸を揉みしだき、右手でお腹をまさぐる。肩から顔を乗り出して頬ずりも追加し、その様をこれでもかと奴らに見せつける。

「「────」」

 ある意味嗜好の光景を前に、奴らは揃って眼を点にしている。

「晃子ごめんねー。ここじゃこれくらいしかできなくて。あとでちゃんとやってあげるから」

 あたかも日常的にやっているのを装い、信憑性を上げる。てか、肌スベスベすぎ。一体何食ってどうしてればこんな柔肌ができあがるんだよ?

「…………ふふ」

 ……ヤバいな。演技のつもりだったのに、こっちが変な気分になってきたぞ。


「いい加減にしてよ! もう‼」

 ゴキィィ!


「ごぁうひぃ──⁉」

 さすがに洒落にならなくなってきたので力を緩めると、晃子は素早くあたしを振り解き、腰の入ったすばらしい掌底打ちを左顎に決めてきた。受け身も取れず、天下の往来で堂々とスッ転んでしまう。

「あぁ痛った……あ゛あ゛!」

 日頃のクセで素早く体を起こす。咬み合わせがイカれたのか、顎を上下させる度にコリッコリッという骨が引っかかる音が耳元で鳴る。

「サイテーッ! 信じらんない! んもう──」

 晃子は吐き捨てると、眼に涙を溜め、耳や首まで真っ赤にして走り去ってしまった。あんな二人組造作もないと踏んでいたが、一番やっかいな存在を失念していたぜ。

「お、おい大丈夫かあんた? スゲー音したぞ」

 茶髪が顔を引きつらせながら、スッと手を差し出す。

「お、おう……あんがと」

 手を取り、ゆっくりと立ち上がる。

「てか、なんだ今の? あれでどうにかできると思ったのかよ?」

「いや、男に興味ない風を装えばいけるかなって」

「なんだそりゃ。無茶苦茶だな」

「へ? 天京は性別の観念が緩くてそこらじゅうに同性カップルがいるんじゃないの?」

「いねーよ! なんだその偏った知識⁉ やっぱお前田舎もんじゃねーか!」

「うえーマジでー?」

 地味にショックだった。天京に来るにあたって、都会の常識は一通り聞いたり調べたりしたのだが。……もしかして、調べるという発想そのものがすでに田舎者って話なのか?

「ちなみにあんた、どっから来たんだよ?」

「え? 神衆島の枩科だけど」

「あーあれか! 虫の煮込み食べる藩だろ? この前テレビでやってた」

「イナゴの煮付はあたしらも食わねーよ! ……滅多に」

 あれはそもそもあたしたちよりかなり上の世代が食べていた代物で、特別な日でもない限り食卓に並ばない珍味中の珍味だ。近頃は虫を食べるという衝撃だけが先行して、まるで藩民食みたいに取り上げられてるけど、断じて違う!

「いや、食うんじゃん」

「ま、まずくはないよ?」

「そ、そうか」

 すごく変なところで会話の流れが途切れる。

「「「…………」」」

 一同沈黙。なんとなく、周囲の騒音がより鮮明に聞こえてくる。おかしいな、あたしが悪いのかこれ?

「その、なんだ……追いかけなくていいのかよ? あの子」

 気まずそうに、金髪が晃子の走って行った方を指差す。

「そうだった! じゃああたし行くわ! なんかあんがとね! 勉強になった!」

「おう。こっちも悪かったな。でもあんまキョロキョロすんなよ。イモだってばれるぞ」

「そっちも、女の子引っかけるならもう少し大人しい子にすることね!」

「だな! 気を付ける」

 なぜかお互いすっきりした顔で別れる。終わりよければすべてよしって感じで、ここは問題ないでしょう。うん、そういう方向で。

「さて、どこに行ったのか」

 場の空気から逃げるような勢いで走り出したけど、いったいどこを探せばいいのやら。

 晃子の心情を読んでみるに、羞恥に耐えられなくて逃げだしただけみたいだし、そう遠くへは行ってないはずなんだけど。

「おーい、晃子さーん」

 そもそも土地勘皆無なあたしがノコノコ探し回ってみたところで、こっちが迷子になる未来しか想像できないのですが?

「あ、いたいた」

 とか情けないことを考えながら手近な角を曲がってみると、パタパタと手で顔を扇いでいる晃子をあっけなく発見した。

「晃子さーん!」

「ひぃ──っ!」

 あたしの声に、晃子はビクッと肩を震わせ、自らを掻き抱いて小道の奥へと後退する。すっかり『その手の人』として警戒されてしまっているようだ。

「え、えーっとですね」

「…………」

 警戒態勢全開で、晃子は懐疑的な視線を投げつけてくる。

「いやほら、だってさ! あの状況的にああするしかないなかって。晃子さんもイヤがってたし、場の勢いも大事だしさ! 実際あのままいけばうまくいってたし──」

 聞かれてもいないのに言い訳がつらつらと。我ながら情けないけど、ここで黙ってしまったら、次に訪れるであろう沈黙を破れる自信がない。

「四ヶ郷さんって、私の身体が目当てだったの?」

 わずかに頬を赤らめたまま、晃子が流し目で囁く。

「は? ──は?」

 なんだそのまんざらでもない雰囲気⁉ もしかしてあたし、絶対に開けてはいけない扉をブチ破ってしまったのか?

「あう──あ、あえ……っと」

 なんと伝えて謝るべきか。あたしの肩に、いや全身に、責任という一生付いてまわる呪縛がズッシリと圧し掛かってくる。

「ぷ──」

「こ、晃子さん?」

 外側と内側の両方であたふたしていると、晃子が小さく吹きだした。

「あははっ! その顔何⁉ おもしろい! もう冗談だってば、あっはは!」

 モジモジしていた乙女から一転、晃子は我慢の限界とばかりにお腹を抱えて笑いだす。相当ツボに入っているようで、口を押さえてしゃがみ込んでもまだプルプルしている。

「え、ええ……」

 その一連の動作ですべてを悟る。

 ……なんだよ演技かよ。びっくりしたよいくらなんでも冗談がすぎるぜ。この人絶対、将来男を転がす類のアレだよ。先んじてあたしが転がされたわけだけども。

「ふふ、ごめんなさい。私を助けるためにやってくれたのよね? ありがとう」

 十二分に笑い尽くした晃子はスッと立ち上がる。

「そう! そうだよ! あれはあいつらを撒くために仕方なく──」

「その割には楽しそうだったけど?」

 こっちが口を開くと、あっちは被せるように上目遣いで覗き込んでくる。なんか完全に手元で転がされてるなーこれ。

「でもびっくりはしたのは本当よ? あんなに激しく触られるの、初めてだったんだから」

「は、はい……ごめんなさいです」

 もっともすぎてぐうの音も出ない。もはや完全に弄ばれている格好だが、先に弄んでしまった手前、反論しようにもしようがない状態だ。

「大丈夫よ、ちゃんとわかってるから。さっきの痛かった? ごめんなさいね。咄嗟につい」

 ペロリと舌を出し、お茶目に謝るお嬢様。

『咄嗟につい』で、あれだけ見事な掌底打ちを叩き込めるもんかね? 志半ばで倒れたとはいえ、やはり この人は魔法少女になるべくしてなった逸材なのだろうか。

「じゃあ、今度こそ行きましょう! まずは天京の名所を巡りましょう!」

 晃子は心底楽しそうな笑顔であたしの手を引き、日差しの強い大通りへと歩きだした。



「……はえ~」

 人がごった返す中、『大岡横丁』とデカデカに掲げられた看板を見上げる。

『天京タワー』を皮切りに、天京各地の名所をひとしきり周ったのち、連れて来られたのがここだった。

 魚に着いた海水でザリザリにくたびれた舗装。油と埃でギトギトになった配電線。煙がモクモク立ち込める焼き鳥屋。その隣で堂々と営業する服屋。入ったら出てこれなそうな裏路地。

「すげー。昔の闇市みたい!」

 利便性や合理性の一切を取っ払った、ゴチャゴチャした一昔前感がたまらない。なんというか、無性にワクワクする。

「天京にもこんなとこもあんだね」

「きれいな街並みだけが天京じゃないから。ここ、一度来てみたかったの」

「てことは晃子さんも初めてなの?」

「うん。普段一緒にいる友達とは、絶対来ない場所だから」

 確かに、お嬢様学校の生徒が放課後に寄る場所にしては、ここはいささか雑多がすぎる。

「それに、私が一方的に案内するのも偉そうだなって思ってたから。ここなら一緒に初めてを楽しめるでしょ?」

 気遣いの鬼かこの人は? うちの連中にも見習わせたい。

「はあー、いい香り」

 歩きだしたところで早速、晃子が手前にあった青果店で足を止める。色とりどりの果物が織り成す甘くすっきりとした香りが、鼻からすうっと入り込んでくる。

「いらっしゃい! 気になったやつがあれば言ってくれね」

 晃子の後ろにくっついて店内を眺めていると、店主と思しきおじさんがしゃがれた声とともに歩み寄ってきた。さすがは商売人。懐に入り込んできた獲物をみすみす逃がすつもりはないということか。

「ん? お嬢ちゃん、ひょっとして天京は初めてか? 国はどこだい?」

「うえ⁉ あ、えー……」

 普通にしているつもりでも天京人には丸わかりのようで、一秒も経たずに看破される。

「神衆島の……枩科ですけど」

 おずおずと答えつつも、先程の『イモ女事件』が頭をよぎる。

 さっきの件は、ただ単にあいつらが不躾だっただけなのだろうけど、最初の遭遇だったこともあり印象が痛烈で、同じ質問にはどうしても身構えてしまう。

「おお、リンゴの名産地だね! ちょうどここにあるよ、枩科のリンゴ!」

 あたしの反応をイジるでもなく、おじさんはすばやく子包丁取り出し、慣れた手つきでリンゴを刻み始める。リンゴはあれよあれよと一口大へと切り分けられ、あたしたちの前に差し出された。

「さあ、試食品だ。お代はいいから食ってみな。ほれ、そっちのかわいい嬢ちゃんも!」

「はい。いただきます」

「いや、あたし帰れば食えるんで」

 即答で手を伸ばす晃子と対照的に、なんとなく遠慮してしまう。というより、わざわざ首都くんだりまで来ておいて地元のリンゴ食うとか、お前は何をしに来たんだって話だよ。

「だとしても食ってみなって。うまいから」

「は、はあ……」

「いいから取りなって! 手が疲れるんだよ」

「あーはいはい。いただきますって──」

 捲し立ててくるおじさんに根負けしてリンゴを受け取り、シャリっと一口。

「ん? あ、あれ?」

『どうせたまに食べるやつより少しうまいくらいだろ?』と斜に構えていたが、予想に反してそれは豊潤で、噛めば噛むほど甘味が増していく。

 ──リンゴってこんな甘かったっけ?

「な? 思ってたよりうまいだろ嬢ちゃん!」

 それ見たことかと言わんばかりに、おじさんの顔がほころぶ。

「ホントだ、すごいおいしいです。なんかこう、余計なものが入ってない感じ」

「ほう。かわいい嬢ちゃんは違いがわかるね~。こいつは科学肥料使ってないんだよ」

「あのさ! かわいいの有無で判別しないでもらえません?」

んなこと言われなくてもわかってるからさ!

「うらやましいな~。四ヶ郷さんは毎日こんなリンゴが食べられるなんて」

「え? ま、まあね!」

 咄嗟に嘘を付いてしまった。本当はほとんど食べることはない。

 リンゴは枩科の代表的な名物の一つではあるけど、だからって毎日食べないし、スーパーや八百屋でも他の果物と同列に並んでいる。地元人にしてみれば、特別でもなんでもない。

 ──のだが、このリンゴに関してはあたしが今まで食べてきたどのリンゴよりもはるかに上品で、自然の甘みに満ちていた。

「こいつは枩科藩内で政治家や事業家が客用に出す特別銘柄なんだよ。枩科の人間でも、ありつけるのはそうはいないな。嬢ちゃんが知らないのも無理ないさ」

「は? そんなのうまいに決まってんじゃん!」

「そうだろ! んで、俺っちは独自の筋から仕入れてるって寸法さ。どうだ、すごいだろ?」

 崇めろとばかりにふんぞり返るおじさん。

 ここまでくると商売というより商いだな。口のうまさといい、手口が強かすぎる。

「さあさあ! 枩科産特注リンゴ、今なら一個四百圓! どうするかわいい嬢ちゃん?」

「あ、じゃあ家族にお土産で四個──」

「ちょっと待てすぐ決めんな買うにしてもまずは値切れ! つかあんたも吹っかけるね⁉」

 勧められるがまま財布を取り出すかわいい嬢ちゃんに、買い物のいろはを叩き込む。チョロすぎるにも限度ってもんがある。一人で歩いてたら絶好のカモだぜこれ。

「はっはっは! やるな嬢ちゃん! そうこなくっちゃな! ああ、そうだそうだ──」

 こちらの追及には取り合わず、思い出したように奥へ引っ込むおじさん。

「これもあるけど、食うかい?」

 スッと差し出されるイナゴの煮付け。

「だからそれは食わねーんだよ! 滅多に!」

 一矢報いたとばかりにニヤけるおじさんに、あたしは人混みでも通る声でツッコんだ。



「……疲れた」

 大岡横町から少しばかり離れた公園のベンチで、再び死にそうになる。

 人が少なくなって圧迫感も減り、自然と気が緩む。

 木漏れ日がチラチラと陽射しを遮り、ぬるい風が全身にまとわりつく。さすが夏真っ盛り。今日は特別厚く、夕方に差し掛かっても殺人的な暑さは据え置きだ。

「いい買い物した~。ありがとね四ヶ郷さん。一緒に来てくれてよかった~」

 あたしの疲労など知る由もなく、晃子はホクホクの笑顔をその顔に浮かべ、本日の戦利品を幸せそうに抱えている。

「ははは、そりゃどうも」

 結局あたしは晃子の財布を守るため、おじさん相手に値切りに値切って一個百五十圓、まで落とし込んだ。あんな駆け引き、魔法少女相手でもそう起こりはしない。

 確かに、首都にいながら国中の名物を買うことができる利点を鑑みれば、少々値が張るのは

仕方ないのかもしれない。

 が、にしたってリンゴ一個四百圓は盛りすぎだ。いや、そんな評価では生ぬるい。あれは立派なぼったくりだ。

 しかしこんな人苦労すらも序章にすぎず、大変なのはそこからだった。このお嬢様は入る店入る店で勧められては即決し、あたしはその度に割って入り交渉していた。

 ある店では『もう少しよく考えろよ!』といい加減怒って晃子を諦めさせ。ある店では『まとめて買うから安くして!』と勢いで店員を諦めさせた。

 さっきのナンパしかり、未開の地に出掛ける以上多少の面倒事は覚悟していたけど、よりにもよって水先案内人直々に手を焼かされるハメになるとは、誰が想像できようか?

 あたしが田舎者なら、晃子は間違いなく世間知らずだ。金銭感覚もさることながら、自身に向けられる視線に対して無防備すぎる。もっとしっかりした人だと思ってたんだけどなー。

『憶えとけ! それがお前らの喉元掻っ捌く、魔法少女の名だ‼』

 晃子の手を引いて去って行く、灯子の後ろ姿がまぶたに浮かぶ。

 あの子が年甲斐もなくしっかりしているのも、常に眼を光らせておかないと何をしでかすかわからない存在が近くにいるからなんだな。今日、身を持って思い知ったぜ。

『太陽ルチル』のリーダーという立場上、年長者相手にも引くことは許されず、気苦労が絶えないだろうなと常々思っていたが、日常的にこの人の手綱を握っているのなら、上下関係という骨子がある分、むしろそっちの方が気が楽なのかもしれない。

「四ヶ郷さん、これからどうする? お腹空いてないよね?」

 ここにはいない苦労人に思いをはせていると、晃子が隣から聞いてきた。

「う~ん、そ~なんだよね~」

 当初あたしは、『お昼はコーヒーなんぞ飲みながら都会っぽくパンでも』とか考えていたのだが、連れ回される店々でちょこちょこ食べ歩き、お腹もいい感じに膨れていた。

 これでは商店街で買い食いするのと大差ない。まんべんなくいろんなものが食べられたのはよかったのだけども、当初の目的を思えばどことなく損した気分ではある。

「なんかごめんね。四ヶ郷さんを案内するのが目的だったのに、私だけ勝手して」

「いいよそんなの。あたしもおもしろかったし。晃子さんは楽しかった?」

「……うん、楽しい。こういうの、今までしたことなかったから」

「ふ~ん、そっか」

 休日に買い物や食べ歩きと、あたしにしてみれば日常の光景そのものだけど、晃子にとっては新鮮な体験だったらしい。振り回された側として思うところもなくはないけど、喜んでくれたのなら、付き合った甲斐があった。

「まあ、楽しんでくれたならよかったよ」

「うん。ありがとう、四ヶ郷さん」

「……こ、こちらこそ」

 改まってお礼を言われると、どう返していいかわからなくなるから困る。

 偽りなく微笑む晃子の横顔に、豪快に大笑いするヒカリの顔がチラつく。

 あれが敵味方両方を欺く演技だったとしても、常日頃の欝屈が爆発して生まれたもう一つの姿だというのも、間違ってはないのかもしれない。

 人はいろんな顔を持っている。お嬢様としての晃子。魔法少女としてのヒカリ。どちらが本当の顔かなんて馬鹿げた問題だ。どちらも本当の顔であり、心なのだから。

 ヴー、ヴー、ヴー。

 柄にもない感傷に浸っていると、呆けた意識に活を入れるかのように携帯が震えだした。

「四ヶ郷さん携帯鳴ってるよ。いいの、見なくて?」

「じゃあ、遠慮なく──」

 晃子に断わりを入れ、携帯を開く。着信はメールで、差出人は詩乃だった。


『見つけた』


 文面には一言、ただそれだけ記されていた。

「…………」

 本来なら簡潔すぎて意味不明だけど、この一言が何を指しているのか、すぐに理解した。

「四ヶ郷さん?」

 画面を見たまま固まっているあたしを訝しんでか、晃子が首を傾げる。

「……えっと、晃子さんごめん! 親が呼んでるから、行かなきゃ」

「え? ああ、そうなの」

 キョトンと眼を丸くして、晃子が驚く。嘘をつくのは後ろ暗いけど、ここはやむを得ない。

「うん。急に帰って来いって……」

「ああ、うん。それはしょうがないけど。……そういえば、どこに泊まってるの?」

「へ、泊まる⁉ あーっと、なんていったけっかな?」

 答えを用意しておらず、言葉に詰まる。泊るも何も日帰りだからなー。

「もしかして泉崎(せんざき)のホテル?」

「……う、うん! そうそうそこそこセンザキのホテル! 荷物は親に預けてそのまま来たからさ。そろそろ戻って来いって」

 その街がどんなところで、どこ辺にあるかなんてさっぱりだけど、向こうからやってきてくれた助け舟に全力で乗っかっていく。

「そっか。じゃあここでお開きだね」

 晃子が寂しそうに顔を伏せる。昼ご飯こそ流れたものの、なんだかんだで結構満喫していたし、このまま解散するのが名残惜しいといったところだろうか。

「ごめんね。なんか突然に」

「ううん。いいのいいの! それより駅わかる? あっちの道を真っすぐ行ったところだから」

「うん、ありがとう。それじゃあ」

 それでも晃子は、そんな気持ちなどおくびにもださず、笑顔であたしを見送る。

「四ヶ郷さん! いつまでこっちにいるの⁉ もし時間あるなら……また会えない?」

「大丈夫! しばらくこっちにいるから! また連絡するね!」

 考えることもなく口にしていた。嘘は嘘でも、これはいい嘘だから例外ってことで。

「うん! わかった! バイバイッ!」

「じゃあね!」

 今度こそ走り出す。あたしが振り返る度、晃子はこちらに手を振り続けていた。

「ふう」

 晃子の指差した方向へ駆け、姿が見えなくなったのを確かめてから路地に入る。角を折れること数回、阻むかのように行き止まりにぶち当たった。

「…………ふむ」

 視線を隅々に走らせ、人の気配がないかを確かめる。来た道はもちろん、建物の窓や塀の影に至るまで、人の気配はない。

「──よし」

 誰にも見咎められていないのを確信してから、すうっと眼を閉じ、転移を発動した。



 大きく弧を描きながら突撃を発動し、夜の空を突き進む。

 ここは島の外周、最も外側に位置している場所だ。

 左を見れば断崖が視界いっぱいに広がり、ゴツゴツした岩肌は壁と大差なく、近づけばその分だけ圧迫感が押し寄せる。

 右を見れば雲もまばらな夜空の中央に、見事な満月が優しく輝き、水平線を挟んで漆黒の水面にその姿をはね返している。

 月が空と海に存在する、実に贅沢な光景だ。

「うお──っと!」

 見とれていると、盆栽を鉢から引っこ抜いたような浮島がぬうっと顔を出し、進路を阻んでくる。こいつらは本島から砕けた破片だから、壁面の凹凸具合もそっくりで、軌道や角度によっては直前まで気が付けないものもあるので注意が必要だ。

 浮島だけではない。砂粒みたいな小石から、当たったら間違いなく死んでしまうような巨石まで、大小さまざまな岩石が引っ切り無しに飛んでくる。

 ピシッ! ピシャンッ! ビギィ──ッ!

 避けきれない小石が突撃の障壁に当たり、浮かび上がる紋様を不規則に明滅させる。

 回避運動を繰り返し、この神秘の光景を眼に焼き付ける。

 本来であれば、動くことさえ恐怖が付きまとう時間ではあるが、放たれる月光が世界を照らしてくれているおかげで、視界に不自由は感じない。

 ここに来るのは初めてだけど、やっぱりこういった大自然が作り出した空間にいると、心が癒される。人工物に囲まれていたあとであればとくに。

「やっぱ、こっちの方が落ち着くな~」

 都会や街の中心が、便利で快適なのは間違いない。あたしは今日、それらを知識から経験にすることができた。だとしても、生産性や合理性では決して片付けきれない何かが、ここには存在する。と、あたしは信じている。


 暁天空領第十七領・九重里(ここのえり)諸島帯(しょとうたい)(もみじ)(だけ)外縁部。


 あたしが今飛んでいるこの場所は、そう呼ばれている。

 あたしたちが住んでいる島々は、島の奥深くに埋蔵されている天空石によって浮遊し、高度はその含有率によって決まる。

 ところが九重里諸島帯に限っては、なぜだか高度に対して天空石の含有量が異常に高いらしく、天空石を含まない外周部の破片さえ衛星のごとく浮遊させている。

 ここが『(しま)』や『(とう)』ではなく『諸島帯』という唯一無二の名称で呼ばれているのも、世界的にも稀な形態の島だからだ。

「…………ふう」

 静かに蓄積していく焦りを、呼吸を整えて黙らせる。

 詩乃のメールを受け取り、晃子と別れたのが大体一時間前。転移で自宅に戻り、待っていたケンと仁に詳細を聞いてから駆け付けた。すでに戦端が開かれているなんてことはないと思うけど、一秒でも早いに越したことはない。

「えっと、確かこの辺り──」

 いくら絶景とはいえ、変化の乏しい状況に注意力が切れかけていると、突如巨大な刀で一太刀入れたような荒々しい亀裂が現れた。

 それは上から下まで突き抜け、左右に切り立った崖を作り出している。崖幅は50メートルから100メートルほどあり、洞窟のような穴もチラホラ窺える。

「はえ~……」

 荘厳な光景を前に、間抜けなため息がポロリと一つ。見る者を圧巻するその様相は、さながら迷いなく落ちる稲妻のようだ。

「よ、よし! ……行くか」

 黙って眺めていても埒が明かないので、覚悟を決めて中へ進む。

 外周部の表層に比べ壁面の凹凸が著しく、死角となる場所も多い。浮島の存在も相まって、影になっている箇所は徹底的な暗闇であり、何が出てきても不思議ではない。隠れるにしても奇襲するにしても、ここは打ってつけの空間と言える。なんというか、これぞ秘密基地って感じの場所だ。

「うっへ~、どこだよ~」

 これであっけなく見つかってくれれば話が早いのだが、まったくわからず迷子になる。

 奇襲するために隠れている以上、当然見つけずらく、ましてや目印などない。自力で発見できなければ、危険を承知で目立ち、向こうに見つけてもらうしかなくなってしまう。

 チカッ、チカッ。

「ん⁉ んん──?」

 途方に暮れていると、突如目端に光るものが現れ、反射的に身を屈める。

「あれは──」

 改めて注視すると、断崖の中腹で小さく弱い光が一定の間隔で点滅している。

「お、いたいた!」

 さらに眼を細めると、すでに変身している唯姉さんが崖の隙間から身を乗り出し、ブンブンと手を振っていた。おそらく、懐中電灯か何かで位置を知らせてくれたのだろう。

「はあ~よかった~!」

 緊張の糸がいくらか緩まる。まだ何も始まってはいないけど、まずは一安心だ。

「おまたせ! 遅れた!」

 空中で突撃を解き、やや離れた位置に着地する。

「お疲れ~。大丈夫だよ、まだ来てないから」

「お疲れ様です、姉上」

 小走りに駆け寄ると、すでに待機していた唯姉さんと渚に迎えられる。

「詩乃、遅れてごめん」

 その奥、夜色の直綴りをまとい、陰から対岸を見張っている詩乃に近づく。

「…………」

「……詩乃? あの──」

「…………」

 反応がない。この距離で聞こえていないはずはなく、明らかに無視している。集合に遅れたのを怒っているのだろうか? だとしたらもう少しちゃんと謝るべきか。

「……お、誰かと思えばナツか。悪い悪い、いつもよりべっぴんさんでわからなかった」

「んな⁉」

とか思っていると、詩乃はワザとらしく口端を吊り上げ、嫌味ったらしく言ってきた。

「あ、あんたね~っ!」

 今更のように化粧をしていたことを思い出し、咄嗟に顔を隠す。そうだった。急いでいたから顔を洗う暇もなくこっちに来たんだった。

「確かに姉上、今日は化粧をしていますね。珍しい」

「でしょでしょ。わたしと詩乃ちゃんで教えたんだよ」

「そうでしたか。しかし姉上にもめかし込むような相手がいるとは、驚きです」

「失礼だね君⁉」

 それが紛いなりにも姉と呼ぶ人に対する言葉遣いか?

「まあ、『太陽ルチル』の元サブリーダーと逢引となれば、気合の一つも入れたくなるだろ」

 なんであたしの予定が筒抜けなのかを問いただす間もなく、詩乃が横槍を入れてくる。あえて古い言葉を選ぶ辺り、実に意地が悪い。

「ああ、今日でしたか──でしたら納得です。どうでしたか、初めての天京は?」

「ふん! 驚きなさい。なんとナンパされちゃったぜ! しかも二人に!」

 腕を組んでふんぞり返る。ほとんど嘘だが、全部嘘じゃない以上、完全な嘘ではない。

「ホントに⁉ すごーい! ねえどんな人⁉ カッコよかった? 身長どれくらい?」

 唯姉さんがこちらの罪悪感を全力で引き出す剣幕で食いついてくる。

「ほうほう。数いる女性の中から姉上を選ぶとは、奇特な好事家がいたものですね」

 対して、いまいち反応の薄い渚。ていうか軽くバカにしてるなこいつ。

「は! どうせヒカリのおまけで相手にもされなかった口だろ? 知ってる知ってる」

 片や、一発で見抜いてくるメガネ。

「はあ⁉ な、なんだよ決めつけてかかって! 証拠あんのかよ証拠⁉」

「その言い訳が証拠だし、見てなくたってわかる。大体、お前みたいに畑臭いイモ女、誰が好き好んで声掛けるってんだよ? 私が男だったら即敬遠だな」

 ちょっと背伸びして自慢してみただけなのに、これでもかとボロカスに叩いてくる詩乃。なんでこいつはこうもあたしの内面を見透かしてくるのか。

「あ──あんただってそうじゃんよ! この田舎もん!」

「そうだよ私も田舎もんだよ! 私たちが無理して着飾ったところで、都会もんに敵いやしない。田舎もんは田舎もんで、田舎でのんびりしてるに限るんだよ」

「……高校生の発言とは思えないわね」

 余生を満喫する爺さん顔負けの気だるさであしらわれた。……にしても今日一日、田舎って言ったり言われたりでわけわからん。そもそも田舎ってなんだ?

「ナツ、お前ここまで飛んでくる間、『やっぱ、こっちの方が落ち着くな~』とか考えてたろ?」

「⁉ んなこと──」

「片意地張らんでいい。そう感じてる時点で、そこがお前の限界だよ。当然、私もな」

「──あ゛あ゛~~クソ!」

 反撃がことごとく潰され、完膚なきまでに言い負かされる。チクショウめ! 人を肴に好き勝手言いやがって。事実だけど!

「棗、ひとまず落ち着いて。ささ、座って座って」

「そうです。戦闘前に疲れられては困ります」

 紙芝居でも見るような雰囲気で傍観していた二人が、見計らったように促してくる。ひょっとしなくてもこれ、余興にされてるよな?

「はあ……。ところで渚、その格好は何?」

 腰を降ろしながら、楽にしている渚に尋ねる。すでに変身を済ませている詩乃や唯姉さんに対して、こいつは未だ見慣れた制服姿だった。

「は? ……見ての通り、制服ですが?」

「んなもん見りゃわかるわ! あたしが聞いてんのは、なんでそんなもんをこれから戦場になるって場所で着てんのかってことだよ! 気を付けてくれよあんた認識攪乱ないんだから!」

『何言ってんだこの人?』と言わんばかりに首を傾げる妹もどきに言い放つ。座ったところで肉体・精神ともに休まる気配がない。

 渚は自身の潜在魔力を戦闘方面に集中させるため、あたしたちのような固有の魔装衣と魔兵装を持たない。あるのは頭部を守る鉄板鉢巻に、ブーツと手袋のみ。

 おまけに正体を秘匿する魔の付く必須機能、認識攪乱も搭載されていない。

 今回のような部外者が万が一にも紛れ込まない場所ならまだいいが、もし第三者に見られでもしたら、一切の比喩なく一巻の終わりだ。

 そんな紙一重の境遇にもかかわらず、こいつはあろうことか制服で馳せ参じているのだ。そりゃ声も荒げたくなるってもんさ。

「この制服、動きやすくて替えも効きますし重宝しています。自分は他者にどう見られているかなど気にしませんので」

「いや、そこは気にしてくれよ~」

 悲しいかな、等のご本人様はこれっぽっちも気に留めていない。

 魔法少女には通信系の魔兵装を持つ者も多く、下手を打てばこんなイモ臭い制服、光の速さで世界中に知れ渡ってしまう。あたしが言うのもあれだが、少し自覚を持ってほしい。

「今更だな。今日び、『魔女、四ヶ郷棗』を知らない魔法少女なんているかよ」

「……あんたも似たようなもんじゃない」

「おう。『裏切り者、赤岩詩乃』絶賛営業中だ」

 詩乃は視線を外に向けたまま、盛大に開き直る。

 魔女になってかれこれ三か月余り。あたしと詩乃は魔獣族に与する大敵としてすっかりばっちりしっかり名前まで憶えられてしまい、その方面では立派なお尋ね者だ。

 ただでさえ恨みを買いまくっている状況の中で、現住所まで割れてしまったとなれば、魔の付く不文律があったとしても道すら落ち着いて歩けない。

 ちなみに渚や唯姉さんは、『最近増えた魔女』程度の認知度に収まっているが、同じ町に住んでいる以上、芋づる式にばれてしまうのも時間の問題だ。

「でもさー、だからって目立ちにいくことないじゃんよ? もっとこう、慎重に──」

「それに」

 言い終わる前に被せられた。人の話は最後まで聞けと教わらなかったのか?

「全員討伐しちまえば問題ない。そうだな、ナギ?」

「はい。我々であれば十分に可能です。なんといっても四人いるのですから」

 根拠のない自信を満々に打ち立てる我らの頭脳派ども。

「あんたらブレないね~」

 渚が仲間になる前から感じていたことではあるけど、この二人はやたらと息が合う。

 どちらも直観よりも理屈をこねくり回す性格で、かつ必要なことははっきりと口にするのでやり取りに無駄がない。受け手の精神がガリガリ摩耗していくのが難ではあるけど。

「お! とか言ってるうちに、おいでなすったぞ!」

「「「──‼」」」

 詩乃の言葉を合図に、全員の気配が切り替わる。岸壁に移動し、息を潜めて顔を覗かせる。

 断崖のはるか向こう側に、チラチラと鳥のような影が見える。

「まだ遠い……。詩乃、それ貸して」

「いいぞ、ほれ」

 半ばひったくるように単眼鏡を受け取り、ピントを合わせる。

「……見えた!」

 五人のV字編隊が三つ集まって三角形を作り、同じ編成の部隊がやや後方を追随している。

「五人編隊が三機ずつ。総勢三十人か」

 予備の単眼鏡を構えた詩乃が、部隊の全容を伝える。……てか、もう一個あるなら先に貸してくれよ減るもんじゃないんだから。

 魔法少女たちが近づくにつれ、その姿がより鮮明になっていく。

 手や足、背中に羽を生やした者。禍々しい魔法陣を浮かび上がらせている者。果てはだだ浮かんでいる者さえいる。一言に飛んでいると言っても、方法は実に多種多様だ。

 その個性の集団にあって、腕には同じ意匠の組織紋があしらわれていた。

「灰斑の立方体。間違いない、よね?」

「ああ。あれが『崩壊(ほうかい)(せき)』の飛空部隊だ」

 代わる代わる単眼鏡を回しながら、結論に達する。

 九重里諸島帯には、主に二つの大型組織が存在する。

 内陸部を中心に活動する『セプタリアン』と、外縁部を牛耳る『崩壊石』。

 前者は先日の討伐ですでに壊滅済みであり、今日後者であるあいつらを打倒すれば、九重里諸島帯の魔法少女は概ね一掃される。


「あの速度では、こちらの間合いに入るのにそう時間はかかりません」

「だな。さてさて、どうやって奴らを叩き墜とすか……」

「にしても人数が少ないね。ケンちゃんは六十人くらいいるはずだって言ってたけど?」

「『セプタリアン』を壊滅させてから日も浅いですし、警戒して部隊を分けているのでは?」

「だろうな。先発を囮にして時間を稼ぎ、後発と挟み撃ちにする腹か」

「なら、あれをみんなで一気に討伐するのは? 後ろにもう一組いるとは限らないんだし」

「相手に有利な地形でその判断は危険かと。守りに入られると泥沼化しかねません」

「う~ん、そっか。一番てっとり早いと思ったんだけどな~。ごめんごめん」

「謝ることはありませんよ会長。それを話し合うための席なんですから」

「はい。開けた土地であれば自分もその案を推しますが、今回は地形が特殊ですので」


 あたしが口を挟むことなく、着々と軍議が進行していく。

 こういう時、仲間がいてくれるのは本当にありがたく、心強い。

 一人では凝り固まってしまう思考が、複数人が混じり合って肉付けされ、あるいは削ぎ落とされ、より精度の高い案へと生まれ変わっていく。駆け出しの頃に比べ、ずいぶん賑やかになったもんだ。魔法少女の組織ほど大所帯ではないけど、これだけいれば立派なチームだし、むしろ最小単位としてはこれぐらいでちょうどいいとさえ思える。少数精鋭万々歳だ。

「ナツ、どう攻める?」

 意見を擦り合わせ終えた詩乃があたしの肩を叩く。単眼鏡を取ると、三人の視線があたしに集中していた。

「……まずあたしと詩乃が突っ込んで、あの一団を潰す。唯姉さんと渚は、遅れてやってくるだろうもう一つの部隊をお願い」

「いいのか? 会長の言うように、ひとまず全員で先方を叩くという手もあるぞ?」

 さっきの軽薄さが嘘のように消え失せた大真面目の眼光で、詩乃が念を押す。

 こういう場面において、近頃詩乃はあたしの決定とは逆の提案をしてくる。なぜわざわざ蒸し返すのかと、初めのうちはイライラもしたが、仲間の命を預かる立場として、本当にそれが間違っていないかを見つめ直させようとしているのだと気が付いた。

 作戦に絶対はない。その時々の決断が正しかったかなんて、永遠にわからない。

 だとしても、代表者としての責任を常に忘れないようにと、嫌な役を買って出る詩乃の機転には、本当に頭が下がる。すっかり参謀が板についている。

「詩乃が言うってことは、向こうもそれが本命のはず。だから、これでいい」

 だからこそ、あたしは断言する。これならいける! だからあたしに付いて来てくれと。

「よし、なら急ぐぞ」

「応」

 あたしの覚悟を受け止め、詩乃は満足気に頷いた。あたしも答え、同時に立ち上がる。

「二人とも、武運長久を祈ってるから! がんばってね!」

「ありがとうございます、会長。そちらも、武運長久を祈ります」

「大丈夫だよ唯姉さん。今日も絶対うまくいく。渚、そっちもよろしく」

「お任せを」

 互いに激を飛ばし、それぞれの持ち場へ付く。



「──っ! は! ほうっと!」

 一歩間違えば遥か下の海へと真っ逆さまの斜面を、速度を緩めることなく駆け抜ける。

「ふふ」

「なんだよ気持ち悪い」

 襲撃地点へ移動中、思わず声が漏れてしまった。そんなあたしを見て、詩乃は気色悪そうに顔をしかめる。

「いやさ、仲間って増えるんだな~と思って。つい」

 小娘一人と犬一匹から始まった小さな反撃は、今や魔法少女全体を揺るがす大災厄になりつつある。契約当時はこんな大事になるなんて、想像すらしていなかった。

「まあ、そうだな」

 茶化すわけでもなく、詩乃は呟いた。口にしないだけで、あっちも頼れる相手が増えたことを喜ばしく思っているようだ。

「しっかしキレイ飛ぶね~」

 視線を崖下に移し、肉眼で捉えられる距離にまで近づいた『崩壊石』の編隊を見下ろす。

「個人より集団での戦闘が主眼なんだろうな。私たちとは正反対の戦法だ」

 先日捕えた『セプタリアン』たちの証言によると、『崩壊石』の魔法少女は自力で飛べることが採用の第一条件であるらしい。実際、訊問した魔法少女の中にはその要項を満たせず、仕方なく『セプタリアン』へ流れたと吐いている者も数名いた。

 あの見事な編隊飛行を見る限り、情報は間違ってなさそうだ。

 飛空戦力を十全に活かしきりたいなら、全員が飛べる者で揃えた方がいいに決まっている。『飛べない』とはすなわち、『飛べる』の下位互換でしかないのだから。

 なので今回、空中戦という選択肢の取りようがない唯姉さんと渚は、否応なく不利になってしまう。詩乃と先に仕掛ける作戦にしたのも、まずは飛べるあたしたちで戦場を掻き乱し、機先を制しておきたいという思惑があったからだった。

「詩乃、いける?」

「誰に言ってんだ? お前こそ、一番槍頼むぞ」

 いつものように軽口を叩き合っている間に、先頭集団の真上まで来た。あとは飛び降りてから突撃を発動し、奴らに突っ込むだけ。要するにいつも通りだ。

「全員、聞こえるか? これより作戦開始だ。念話は常に入れて仲間に気を配れ」

『承知』

『了解! 棗、サクッとやっちゃって!』

「あいよ! 他所見してっと一瞬で終わっちゃうよ!」

 念話で二人の声が伝わり、否応なく気分が高ぶっていく。常に仲間の声を聞いて戦いに望めるとか、負けるはずがないじゃないの!

「じゃあ──いくよ!」

 武者震いにも似た高揚感を抱いて、隠れていた崖を飛び超え、落下にまかせて斜面を駆け下りる。途中にあった手ごろな突起に足をかけ、さらに跳躍する。

「今日も頼むぜ! 『兵香槍攘』‼」

 重力に身を任せながらその名を叫び、漆黒の炎が月明りを塗り潰す。冷たい感覚が身体を通り過ぎ、ある意味誰よりも付き合いが長く深い相棒が掌に収まる。

「行くぜ魔法少女どもぉぉ‼」

 突撃を発動しての急降下。のっけから手加減なしの全速力だ。

「──⁉ おい!」「上だ! 散れ! 散れ!」

 ここにきてようやくあたしの存在に気が付き、数人が空を見上げた。

「遅いっ!」

 ズゥンッ!

 最後まで気が付かなかった魔法少女の背中に、勢いと魔力の乗った槍を突き立てる。

「まずは、一人!」

 身体中から沸き上がる歓喜に抗えず、叫ぶ。

「くぁぁ……っ! 魔女! この──」

 もはやお決まりとなった断末魔を聞き流して魔力塊を回収。気を失った魔法少女を断崖のくぼみへと放り投げる。

 討伐したからには普通の少女。海に落ちればただでは済まない。狩り取るのはあくまでも魔力。討伐され、魔獣の脅威でなくなったからには、この子たちの命も必ず守り抜く。

「さあさあ、次行くぞ次!」

 切先を上空に掲げ、今度は急上昇で突貫する。

「撃て! 撃てぇ!」

 無防備な初撃と同じようにはいかず、魔法少女たちが打ち出してくる色彩豊かな魔力弾が、あたしを撃ち墜とさんと殺到する。

「だとしても!」

 突撃を小刻みに発動し、鋭角気味に回避軌道を取る。

 ズゥンッ!

 攻撃に夢中で動きが単調になっていた一人を討ち取る。

「二人!」

 身体に蓄積した激情を解放するように、叫ぶ。

「もういっちょ──うお⁉」

 さらに一往復と意気込むも、『崩壊石』はさせるかとばかりに魔法少女を等間隔に展開し、休みなく魔力弾を打ち出してくる。

「ちぃ! 限界か」

 あと一人くらいは急降下で討伐したかったのだが、こちらが必死なら相手も必死。簡単に取らせてはくれないか。

 さすがは集団戦の専門部隊。落後者が出ても大した動揺もなく、すぐさま態勢を立て直して反撃に転じている。ここまでくるとちょっとした軍隊だな。

「なら次は──」

 乱戦に持ち込んで統制を崩す!

「あんたも出番よ! 来い、『快刀乱魔』!」

 いつもより早めにもう一振りの相棒を呼び出して槍に立ち乗り、波乗り体制に移行する。

「どうしたどうした⁉ あんたたちの庭で勝負してやってんだから気前よくかかってきなっての! それとも群れなきゃ戦えない? 『崩壊石』は腰抜け揃いだな~っ!」

 仁王立ちになり、思いっきり見下した眼で言い放つ。

「この……望むところだ!」

「魔女が! 地獄に叩き落してやる!」

 集団から数人、威勢のいい奴らが魔兵装を引っ提げて飛び出してくる。状況に変化が欲しくて突いてみたわけだけど、口調ほど気持ちが乱れていないところを見るに、元から決まっていた近接戦要因だろう。

「そぉぉれ!」

 そのまま突撃を発動し、向かってくる魔法少女へすれ違い様に斬りかかる。

「うぐぅ! おのれ!」

 切り結びたい気持ちを捨て置き、次の目標に向かう。

 調子に乗って鍔迫り合いなどしようものなら、奴らは隙を付いて群がってくる。常に動き続けて翻弄しなければ、次の瞬間にはあたしが串刺しだ。

「そぉぉ──おおう⁉」

 何度か決定的な場面に出くわすも、援護の魔力弾がちょうどよく発射され、的確にこちらのの機先を制してくる。

「いいねぇ! その情け容赦ない感じ!」

 あれだけ嫌味に挑発すれば、意地になって援護役に手出しをさせなかったり、一対一を申し出たりしそうなものだけど、奴らは依然集団で戦い、あたしを追い立てている。

 相手にどれだけ罵られようと、あるいは蔑まれようと、これと定めたやり方を貫く。矜持と誇りが動きの端々から伝わってくる。

 最高に気持ちのいい連中だ。こういう奴らがいるから討伐は油断ならず、愉しい。

「魔女が! ちゃんと戦え! 腰抜け! くそめた!」

 称賛しているそばから魔法少女が一人、暴言を撒き散らして追随してくる。

 どれだけ統制が取れていようと、所詮は人の集まり。痺れを切らして吐出する輩が必ず現れる。少女という多感の代名詞とも呼べる年頃なら、なおのこと。

「後ろががら空きなんだ──よっ!」

 突撃を停止しての後ろ宙返り。そのまま回り込み、逆手に持ち替えた闘剣を背中に突き立てる。完全に討伐はせず、胸からわずかに浮きでた魔力塊が虚しく煌めく。

「あぐぅ! ……ちくしょう」

 魔力塊を半出しにされ、弱々しく呻く魔法少女。悲しいかな、魔の付く世界ではこんな風に正義感が強く、真っすぐな性格から落伍していく運命なのだ。

「さあ来いよ! 来れるもんならさ!」

 捕えた魔法少女を盾にして、援護射撃を黙らせる。

「な⁉ おい!」「こんの……外道!」

 向こう側に動揺が走る。魔法少女を人質にするなんて卑劣な真似、魔獣はまずしないから無理もない。当然あたしは魔獣ではないので、卑劣だろうが使えるものはなんでも使う。

「何やってる⁉ 撃て! 私ごと魔女の動きを止めろ!」

「う、撃てません! そんなこと……っ!」

 頭では撃つべきと理解していても、今日まで苦楽をともにしてきた戦友、簡単に撃てるはずもない。信用するのはいいけど、過度な依存は破滅の種だ。

「んじゃ、もうちょっとお付き合い願いましょうか!」

 晴れて援護も薄くなり、討伐寸前の魔法少女を抱え、戦場全体を跳び回って攪乱する。

 片手が塞がっているので討伐までは狙えないが、傷を負わせて魔兵装を一時的にでも潰せれば、時間が経つほどこちらが有利になる。

「この──クズが!」

 されるがままになりながらも、捕らえた魔法少女は瞳に煮詰めた憎悪を宿し、呟く。

「だよね~。あたしもそう思う」

 こればかりは同意せざるを得ない。渚とやり合った時は卑怯者と毒づきもしたが、このゲス戦法、やってみるとめちゃくちゃ効くんだなこれが。

 自分がされて嫌なことは相手にもしない。それが通用するのは日常だけだ。自分がされて嫌なことを全力で相手にするのが戦場であり討伐なのだ。


「そろそろ混ぜてもらおうか?」


 乱戦になだれ込み、ぼちぼち来てくれないかなと思った矢先、疾風の陽炎をまとって詩乃が参戦する。欲しい時に欲しい分だけ、さすがわかっている。

「さあさあ! 裏切り者のお通りだぁ!」

 陽気にドスを効かせ、詩乃は大気の塊である空撃を打ち出しながら援護部隊に接近。吹き荒れる突風を駆使し、崩れかけた陣形を本格的に引き千切る。

「夜色の法師姿⁉」「赤岩詩乃か⁉ 裏切り者だ! 囲め囲め!」

 怒涛の真打登場に、固有名詞全開で浮足立つ『崩壊石』の方々。よく考えなくても、知らない誰かが自分の名前知ってるってスゲー怖いな。

『よう。ずいぶんと手古摺ってるみたいだから早めに来てやったぞ』

 魔法少女たちを翻弄しつつ、詩乃が念話を飛ばしてくる。

『さっすが詩乃! いい時に来る! こいつら連携がうまくてさ』

『ああ、厄介な連中だな。……そいつ、もういいだろ。放してやれ』

「……だね」

 多勢に無勢ということで、利用できるものはとことん利用していたが、こちらにも増援が来たことで幾分か余裕が生まれた。詩乃の言う通り、無理にこの子を引き留める必要もない。

「ありがとう、もう大丈夫だから、なんかゴメンね」

「許さねぇ……っ! 殺す、絶対殺す!」

 殺意バリバリで睨んでくる捕われの魔法少女さん。そりゃそうだ。今際の際にこんな軽い調子で謝られても、火に油を注ぐだけだ。

「うん、わかってる。好きなだけ殺していいよ。夢の中ならね」

 刺さっている闘剣を蹴り抜き、今度こそ完全に討伐する。

「⁉ 先輩!」

 先ほど撃てないと叫んだ援護担当が、落ちていく魔法少女を受け止め、戦線から離脱していく。本来なら追い打ちするところだが、まだまだ戦闘中。この状況では見逃すしかない。

「ええい! 魔女は我々が仕留める! お前たちは裏切り者に回れ!」

『了解!』

 ほとんど怒号のような指示を受け、援護部隊は詩乃を取り囲む形で展開し、何人かがあたしを包囲する戦列に加わる。

「そうきたか」

 手練れをあたしにぶつけ、討伐される心配のない詩乃には経験の浅い魔法少女を充てる。その方が数も減らされず無難って判断か。

『なるほど、賢い選択だな。私も所詮、初期型の魔法少女だからな』

 とっくに包囲されているというのに、詩乃は変わらず余裕の態度を崩さない。

「詩乃!」

 突撃で逃げ回りつつ詩乃に動きに注目する。あいつが簡単にやられるとは思えないけど、不測の事態に対応できるよう、準備しておくに越したことはない。

 詩乃の掲げた錫杖型魔兵装『森羅万唱』が、持ち主の意志に呼応して幾多の陽炎を作りだす。

「これで、お終いです!」「墜ちろぉぉ!」

 魔法少女らは口々に咆哮し、詩乃に狙いを定める。持ち主と同じ輝きを持つ魔兵装が脈打つように輝きを増していく。

『──迅‼』

 ヒュン! ヒュン! ヒュン!

「え? なん、で──」「ああああぁぁ!」

 刹那、真空の刃が織り成す無数の斬撃が、魔法少女たちから鮮血を巻き上げた。激痛に飛ぶこともできず、被弾した者たちがきりもみしながら落ちていく。

「あ──あぁぁ……」「そ、んな!」

 辛うじて難を逃れた者たちも、一瞬前まで隣にいた仲間がもがき苦しむ光景を前に、みるみるうちに血の気が引いていく。

 確かに詩乃は初期型の魔法少女。例え逆立ちしても討伐はできない。

 が、裏を返せばそれは、どけだけ痛めつけようと討伐してしまう心配がないということでもある。そしてもたらされた阿鼻叫喚は、周囲にいる者たちの挙動を必ず鈍らせる。

「ど──すれば、もう帰……」「嫌だ……嫌だ……」

 仲間が真っ赤に染まり、漆黒の海に落ちていく姿を目の当たりにし、魔法少女たちは硬直する。恐怖を心に刻み付けるという点に関して、詩乃はあたしたちの誰よりも優れている。

「まあ、ざっとこんなもんか。さて、どうするよ? まだ続けるか?」

 気楽な雰囲気を醸し出し、肩をすくめる裏切りの魔法少女。渚との一戦以来、流血にすっかり抵抗がなくなり、今じゃ立派な得意戦法になってしまっていた。

「ぶ、部隊長! 援軍が、援軍が追い付きました!」

 総崩れも秒読みと思いかけた時、援護役の一人が顔をほころばせて彼方を指差した。指先を追ってみると、相手取っている集団と同じくらいの一団がこちらに迫っていた。距離的にまだ小粒だが、この惨状を見たのなら速攻で駆けつけるだろう。

「うげ! ホントに来たよ。ヘコたれないなー」

「こっちと同規模の後続部隊か。ケンの情報は正確だったな」

 詩乃は客観的というより、むしろ他人事のように冷めた顔で現状を分析している。演技ではあるはずなんだけど、あんまり肩の力を抜かれると、こっちも返答に困る。

「どうだ! これでお前たちは挟み撃ちだ!」

 付近にいた魔法少女が、勝利を確信した顔で叫びかけてくる。

 士気もダダ下がりで、どうやって収拾つけるのかと思っていた『崩壊石』は、友軍の登場に勇気づけられ、すんでのところで踏み止まった。

『じゃあ、あっちはわたしたちがやっちゃうね! 行こう、ナギちゃん!』

『わかりました』

 作戦開始から終止無言だった二人が、出番とばかりに物影から飛び出していく。

 にしたってどいつもこいつも軽いな~。深刻そうにしてればいいってもんでもないけど、責任を預かる立場としてはちょっとでいいから真面目にやってもらいたい。

「おい! 人がいるぞ!」

 と、あっという間にバレて捕捉されている新米魔女さんたち。

「あそこ! あのダサい制服の奴だ!」

「ほらやっぱり言われてんじゃん勘弁してくれよホントにぃ~っ!」

「噂の新入り魔女か。援軍に送れ! 下から来るぞ!」

 余程焦っているのか、あるいは混乱しているのか、敵方に筒抜けの大声で指示を飛ばす部隊長とやら。気持がわからなくもないけど、迂闊すぎだろと。

 部隊長に限らず、生き残っている他の面々も援軍に注目し、こちらへの留意がすっかりおろそかになってしまっている。この隙に二・三人スパっとやっちゃってもいいのだが、あの二人が向こうさんとどうやり合うのか興味があるので、ここはとりあえず放っておく。

「いよっと!」

 などと自身に言い訳し、突撃の魔力を緩めて成り行きを観戦する運びに。

「おう、ナツ。ここなら見晴らしがいいぞ」

 その声に上を見やると、詩乃も高度を高く取り、腕を組んで滞空していた。

「意外ね。いつもなら『やれる時にやれ!』って怒鳴るのに」

「そのつもりだったけど、あいつらが絶望したところを仕留めた方が効果的だと思ってな」

「あっそ。いい性格してんね」

『では油断しない程度にご覧下さい。さして時間はかかりませんので』

 念話で渚も余裕を口にしている。

 直後、接近する後続隊も二人の姿を認め、さあ反撃だとばかりに一斉降下を開始した。

『中田会長。お願いします』

『了解だよ! ──行けぇぇ! 『同盟(アライアンス)』‼』

 キンと響く念話ののち、直上より無数の刀片が出現し、後続の部隊に襲いかかった。唯姉さんの魔兵装『有刺鉄閃』が繰り出す大技、『同盟』だ。

 ここでも数人が気付き、咄嗟に回避行動を取るも、被弾した者たちは急降下の勢いを殺しきれず、そのまま墜落。漆黒の海に音もなく消えていく。

「ああ! みんな──」「……バカな⁉」

 頼みの綱であった援軍の出鼻が盛大に圧し折られ、精神的な諸々も圧し折られた『崩壊石』のみなさん。

「おースゲーッ! さすが同盟機工」

「圧巻だな。効率的すぎてこっちバカバカしくなってくる」

 愕然としている連中に対し、正反対の感想を叫ぶ魔女と裏切り者。

 こちらから見ると、今の奇襲攻撃により、後続部隊は三分の一ほどが被弾。その救護などでさらに数人が戦闘に参加することなく脱落した。周囲に展開する刀片の中には、すでに魔力塊を光らせているものもあり、たったの一さらいで数人を討伐してしまったのが窺える。

 わざと姿を晒して注意を下に向けさせ、お留守になった上から刀片の雨をお見舞いする。作戦の定番ではあるが、だからこそ侮れず、成功した際の旨味も大きい。

『そりゃゃああっ!』

 シャリィィィィーーーーンッ!

 初手の戦果に浸る間もなく、唯姉さんは先端の刃だけ残した『有刺鉄閃』を発射。反対の岸壁に楔のごとく打ち込んだ。そこまで叫ぶ意味があったのかは謎だ。

『ナギちゃん!』

『承知』

 渚は即席の一本橋へ飛び移り、なんの迷いもなく疾駆していく。あたしや詩乃と違い、あいつは足を滑らせれば海へ真っ逆さまなのに、なんという思い切りのよさか。

 渚の存在を察知し、集団から魔法少女が二人、魔兵装を煌めかせて急接近していく。

『盟約に従い堕溺せよ──』

『そぉぉーれぇぇいっ!』

 地引網のおっさん然とした掛け声とともに、唯姉さんが鎖のたわみを一気に引っ張る。渚がその反動を利用し、すさまじい勢いを得て跳躍する。

『『村雨』‼』

 シャ、シャン!

 一瞬の邂逅ののち、魔力によって氷結して切れ味を増した氷の刃が、魔法少女らからそれぞれ手首と足首を切断する。渚はそのまま跳躍の勢いを利用し、刀を岸壁に刺して自らを固定。そそり立つ岸壁に着地した。

 魔装衣同様、渚は魔女・魔法少女最大の相棒である魔兵装すら持っていない。その手に納まるは、刀型の堕溺兵装『村雨』。天族の骨という、本来であれば魔力を通さない媒体へ強引に魔力を流して反発させ、一時的に高出力を生み出す、まさに反則技。

 起動すれば魔力の反射に晒され、使用者もただでは済まないらしいが、渚があれを使って苦しんでいるところは一度も見たことがない。

「──ぁぁ──‼」「──⁉ ──⁉ ──⁉」

 幸か不幸か、彼女らの声は届かないが、苦悶に呻く表情から凄絶さは伝わってくる。

「──ぉぉ‼」「──ない! この──では!」

 熟練者としての意地か、締め忘れた蛇口のような血を垂れ流してなお、奴らの眼差しは戦意に満ち、渚を討ち取らんと向かっていく。

 魔獣がこの世界に逃げ込み、追手である魔法少女が生み出されてかれこれ四ヶ月ほど。

初期に契約した者たちは魔獣との戦いでいくつもの修羅場を乗り越え、成長している。四肢の一つ無くなった程度で泣き言を喚くような腑抜けは、もはやいないということか。

『御神渡り!』

 バァチィィィィンッ!

 断崖から生み出された大量の氷柱が、彼女たちが築き上げた努力、必勝の執念、積み重ねた研鑽もろとも刺し貫く。『村雨』の十八番、御神渡りだ。

 絶え間なく生成される氷の牙は、壁面から離れている集団にも及び、一本現れるごとに一人また一人と無慈悲に飲み込んでいく。

 サシでやり合い、仲間に引き入れてから今日まで、あいつは自身が敵と見定めた相手に一切の容赦を許していない。

『それだけじゃないよ!』

ピャァァァァンッ!

 鞭のように振るわれた鎖が、難を逃れた魔法少女を叩き落とす。

 素早く鎖を引き戻した唯姉さんは、間髪入れずに再射出。一人を絡めとり、そこを起点にして次の目標に跳んでいく。

『そぉーれそれ!』

 以下の手順を自在に繰り返し、唯姉さんは次々と魔法少女を飛び移り部隊を翻弄。下方より取って返した刀片群も加勢させ、事態は一層混沌を極めていく。

『さすが中田会長ですね』

 などと褒めている渚も、負けず劣らず氷柱の上を駆け、足場用に配置された唯姉さんの刀片をも巧みに飛び移りながら刀を振り抜き、逃げ惑う魔法少女に氷針を浴びせている。

「……すご」

「ああ。雑技団の曲芸でも見てる気分だ」

 あたしたちが怠けている間も、二人の新米魔女は戦場を縦横無尽に跳び、駆け回る。

 その驚異的手際により、『崩壊石』はあとから駆けつけた後発の方が先に瓦解するという異常事態に陥った。結果、虫の息の先発は退路を塞がれる格好となり、まさに袋のネズミ状態だ。

「なんか……これじゃあたしがバカみたいね」

 こうまで終始圧倒的な勇士を見せつけられてしまうと、あたしはあいつらの何を心配していたのかと、ほとほとアホらしくなってくる。

 なんというか、溢れ出す次世代感がハンパない。一人一人討伐しているあたしより、ずっと効率的で先進的な戦い方だ。これは詩乃じゃなくても一度はスネたくもなるってもんさな。

「サボりはここまでだ。お荷物扱いされるのも癪だ。さっさと残りを片付けるぞ」

「だね。あと一息、サクッとやっちゃいますか!」

 いくら二人が大活躍しようと、あたしたちが休んでいい理由にはならない。あたしはあたしで、自身の役目を全うするのみ!

 気合を入れつつ突撃を再発動、まずは壁面スレスレをかっ飛ばし、目標を定めたのち直角に軌道を取って奇襲する戦法に切り替える。

「よし。いくぞ『崩壊──」

 ドォォンッ!

「がぁはぁ!」

 突然岸壁が弾けたと思ったら、脇腹に衝撃。反射的に患部に手を当てると、すさまじい熱の感触とともに魔装衣が剥がれ落ちていた。

「当った! 当ったぞ!」

「ざまあみろ魔女が! このまま撃ち殺せ!」

 何が起きたのかを脳みそフル回転させていると、これまでの軍隊調とは違う、どこか粗暴な歓喜の声が耳朶を打つ。

「待ち伏せ⁉」

 こちらが確信すると同時に、あちこちで岸壁が弾け、魔法少女が魔力弾を打ち出しながら現れる。全員が瞳に、燃えるような闘志ではなく、余りある殺意を宿らせていた。

「あいつら──」

 奴らの魔装衣にあしらわれている、翡翠色の楕円と、五芒星に放射針の組織紋。

「『セプタリアン』の生き残りか⁉」

 先日の一戦で壊滅こそさせたものの、全員を討ち取るまでには至らなかった、九重里諸島帯を牛耳るもう一つの組織『セプタリアン』。

 よりによってその残党が、『崩壊石』と合流していたとは。恨みを買ってお礼参りなんて、魔の付く世界じゃ日常茶飯事だけど、にしたって間の悪い。

 いくら少数精鋭を誇ったところで、あたしたちは四人。大人数の組織を一人も取りこぼさず討伐するには限界がある。いや、まず不可能だ。

 ドォォンッ!  ドォォンッ!  ドォォンッ!

 単純な魔力の弾丸ではなく、標的の近くになると爆発する対空仕様の魔力弾が、あたしを揺さぶり、体力を消耗されていく。

「こんのぉぉ!」

「お前では無理だ! 変われ!」

 無理矢理でも洞窟に突っ込もうとした矢先、詩乃が強引に肩を掴み、動きを阻んできた。

「詩乃⁉ ちょ待──ぐえ!」

 そのまま当然のように後方へ蹴り飛ばされる。ここ最近であたしを一番傷つけているのは、間違いなくこのメガネだ。

「『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思ひざりけり』滅‼」

 詩乃は素早く洞窟に組み付き、早口で承認呪文を唱える。

 ゴオオォォッ!

 直後、月明かりも吹き飛ばす灼熱の奔流が、闇を湛える洞窟内部を焼き尽くした。内部で繋がっていたのか、他の洞窟からもバーナーのような火炎が煌々と噴き出してくる。

「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ‼」「いやぁぁ! 熱い! 熱いぃぃぃぃ!」

 しばらくして、洞窟から全身火だるまになって絶叫する魔法少女たちが続々吐き出される。断末魔を撒き散らし、我先にとはるか下の水面へ身を投げていく。

「させないよ!」

 そんな黒焦げたちにも躊躇なく、唯姉さんは獲物を突き立て討伐していく。この人はこの人で、すっかり魔女のなんたるかを理解しているようだ。

「姉上、負傷しているなら後退を。この戦闘、もはや我らの勝利は揺るぎません」

「そうだよ棗。一人で無理しなくたって、わたしたちがいるんだから!」

 後続をあらかた平らげ、合流してきた渚と唯姉さんが心配そうに近寄ってくる。

「いやいやいや、そうもいかんでしょ! てか、まだいけるし!」

 油断して攻撃をもらいはしたが、多少強めの魔力弾に当たったに程度。これより強く鋭い一撃を、あたしは詩乃や渚から嫌というほど受けている。ここで下がれば魔女が廃る。

「ここで退いても、わたしたちは棗を臆病者だなんて思わないよ? だから──」

「あたしは大丈夫だから! 二人は残りを逃がさないように囲んで!」

「姉上!」

 制止する二人を振り切って、『兵香槍攘』と『快刀乱魔』を連結させる。水面と同じ漆黒の閃光を煌めかせ、槍と闘剣が一挺の鎌に生まれ変わる。

「もうヘマはしない。ここにいる全員、狩り尽くす!」

 己を戒め、突撃を発動させる。高速で戦場を駆け、数もめっきり減った『崩壊石』を追い詰める。

「遅い!」

「くぁぁ……!」

 逃げるかどうか決めかねている魔法少女をすれ違い様にえぐり、回転する勢いを利用して崖へ振り飛ばす。もはや士気はないに等しく、いよいよ掃討戦の雰囲気が濃くなってきた。

「ん? あれって──っ!」

ふと、一人の魔法少女が眼に留まり、瞬時にそれが確信へと至る。

「お前かぁぁぁぁ!」

 目標をその魔法少女に定め、魔力を込めてさらに加速する。

「⁉ うああぁぁ──」

 鎌の峰部分で魔法少女を固定し、渾身の突撃で押し通す。その勢いのまま、先ほど詩乃が焼き尽くした洞窟に突入する。

 ──ドォォォォンッ!

 狭い空間で炸裂した粉塵が自身にも及び、肌が露わになっている部分にチリチリとした感触が伝わる。

「はあ……はあ、はあ」

「ゲホッ! ゲホッ! うう……これが音に聞こえた魔女の突撃か~。うっぷ! 吐きそう」

 間延びした独特の喋り方で、魔法少女は呟いた。

「あんたが『崩壊石』のリーダーね?」

「う~ばれちゃったか~。なんでわかったの?」

 観念したということなのか、向こうは白を切るでもなく、早々に認めた。

「その組織紋の後ろにある線、階級章でしょ?」 

 持っていた懐中電灯で魔法少女の腕に巻かれた組織紋を照らす。

「細い線が三本入ってるの、あなたしかいなかったから。んで、間違いないかなって」

「そっか~、見てる人は見てるんだな~」

「不用心がすぎるんじゃない? なんでわざわざそんなの付けてるのさ?」

 上下関係を眼でわかるようにするのは大切だけど、目印されては本末転倒だ。現にこの人は今、そこを突かれて絶体絶命なわけだし、本来は戦闘中だけでも外すべきだ。

「だって、部下に紛れて戦うなんて、情けないことできないもん。一番前を走るのも、一番先に死ぬのも、全部私じゃなきゃダメよ。……みんなは許してくれなかったけど」

「そりゃそうだよリーダーなんだから」

「あはは、だよね~」

 寂しそうに乾いた笑顔を浮かべ、魔法少女は力なく答えた。

 例え戦場で不利を被ろうとも、常にみんなの先頭を走り続ける。そうあろうと努めることこそ、この人が見つけ、選び取った信条なのだろう。利便性の是非はこの際置いとくとして、その信念は尊重されるべきものだと思う。

「『崩壊石』司令、中河茉乃(なかかわまつの)よ」

「魔女、四ヶ郷棗」

「名前からして強そうね~」

「うん、よく言われる」

 どこか虚しい自己紹介ののち、戦闘の音を遠くに沈黙が訪れる。とりあえず互いの顔が見えるようにと、懐中電灯を地面にねじ込み全体を照らす。

「顔は普通だね~。戦ってる時は死神かと思ってたのに~」

「そっちこそ、組織をまとめてるなんて考えられないくらい普通だよ」

 とくに意味のない、無味乾燥な感想が交差する。

 どこでもいる、真面目そうな顔をした魔法少女だった。真っ白だった学ランは煤や砂利でボロボロ。スカートもところどころが破れてしまっている。

 なんとも欲張りな組み合わせの魔兵装だ。魔法少女は性質上、魔装衣を統一したりはできないけど、もしも全員でこれをまとっていたらマジの軍隊だな。

「あのね四ヶ郷さん、私はどうなってもいいから、まだ残ってる子たちだけでも助けてくれないかな~? もう二度と魔獣には手出しさせないって約束させるから。……どう?」

 魔法少女──中河さんはそう言うと、すべてを委ねるようにあたしを見つめてきた。

「…………わかった。あなたがみんなを説得できるなら……いいよ」

「……嘘ね」

「…………うん、嘘」

 これまでも、その類のお願いは幾度となくされてきた。

 でも、受けたことは一度もない。例えここで魔獣の不殺を誓っても、朝起きて忘れていない保証はないからだ。後腐れなく万全を期すには、ここで討伐する他にない。

「ごめん、わがまま言った。今日までたくさんの魔獣を殺しといて、虫が良すぎるよね~」

「うん、そうだね」

 入り口から聞こえてくる戦闘の音も、だいぶ大人しくなってきた。この調子ならあたしが申し出を受けたとしても見逃す魔法少女が残ってないし、そもそもここまで粘るような猛者は、最後の最後まで魔法少女であることを貫くに違いない。

 とどのつまり、どっちに転んだとしても結果は同じなのだ。

「ねえ、討伐された子たちってどうなるの~?」

「全員回収して送り届けるよ。もちろん、あなたも」

「でも、全部忘れちゃうんでしょ?」

「それはまあ……うん」

「そっか。……はあ~あ、君と友達になってみたかったな~」

「はえ⁉ そ、そう?」

 前触れもなく話の矛先が変わり、面食らう。

「そ~だよ~。私、人を見る眼はあるからさ~」

「……まあ、様子を見に行ったりくらいならいいけど。実は今日もここに来る前、元魔法少女と一緒だったし」

「へぇ~そ~なんだ。どんな感じの子~?」

「うーん……なんつーか、戸惑ったかな? 魔法少女の時は結構乱暴な感じなんだけど、今日会ってみたらコッテコテのお嬢様でさ~。落差がヤバいのなんのって~」

 なんか知らんけどこっちまでうつってきた。スゲー癖になるなこの喋り方。

「ふ~ん、なんか楽しそ~」

「うん、楽しかったよ。市場で買い物しただけなんだけど、その人全部店の言い値で──」

 その柔らかい物腰を前に、話さなくていいことまでペラペラ喋ってしまう。こういうのを人たらしと呼ぶのか。組織の長だけあって話の聞き方がうまいうまい。

「もしよかったらさ──」

 一通り吐き出して落ち着いた頃、中河さんはいったん言葉を区切り、ゆっくりと口を開く。

「私にも、会いに来てくれたら嬉しいな~。なんて」

 おどけたように囁くと、中河さんは魔法少女としての生涯を終えるように眼を閉じた。

「……考えとく」

「うん、よろしく~」

 最後の言葉を聞き届けると、あたしはこの人から魔法少女という無限の可能性を摘み取るべく、鎌を握り直し、呼吸を整え、一息に振りかざした。


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