プロローグ
さらに新たな仲間たちを加え、四ヶ郷棗は魔女として、徐々に魔法少女たちの明確な脅威として認知されつつあった。
そんなある夜、棗は契約当初から因縁のある魔法少女が追い立てられているのを目撃する。
誰かの運命が激動に狂わされようと、世界は、町は変わらずあり続ける。
夏休み! 川! 釣り! カレー! キャンプファイヤー!
世界の片隅で繰り広げられる、裏世界田舎町活劇第三弾、ここに開幕。
「♪~。♪~」
鼻歌を口ずさみながら、お気に入りの服をいくつかベッドに並べてみる。
「さって~、ど~しよっかな~?」
まるで初デートに浮かれる可憐な乙女だ。たかだか女の子と出掛けるだけなのにここまではしゃいで、これはもうただのバカなんじゃないかと自分でも思う。
四ヶ郷棗さん。先々月、学校帰りに現れた不思議な少女。
明日はそんな彼女と天京駅で待ち合わせだ。
なぜ私はこんなに浮足立っているのか? それはきっと、あの子が私を『普通の人』として見てくれているからだろう。
株式会社屋代装身具の社長令嬢。良くも悪くも、私に一生付いてまわる看板。
会社の催し物に顔を出す度、パパとさして歳も違わない大人たちから向けられる粘着質な視線や、無駄に丁寧な言葉遣い。無意味なヨイショや自身の売り込み。
私に愛想よくしたところで、お給料や業績が上がるわけでもないのに、本当によくやる。
学校でも、お目溢しとは言わないまでも、友達くらいにはなっておこうと近づいてくる人たちも少なくない。先生たちですら、他の生徒とは違う態度で接してくる。
この家の子として生まれてこられたことには感謝してるし、幸運だと思ってる。だけど来る日も来る日も友達や先生の『笑っていない笑顔』目の当たりにしていると、ふとした瞬間どこかがポキりと折れてしまうのではないかと不安になる。
「はあ~っ!」
気が緩み切っているところで嫌なことを思い出してしまい、本来であれば誰にも聞かせられない、太いため息が零れ落ちてしまった。
耐えられなくはない。でも、耐え続けた先に何が待っているのか想像できない。
『──約束したからさ。あなたと、友達になろうって』
そんな先細りの日々に突然、彼女は現れた。
初めはあの子も私に言い寄ってくるいつもの一人なのかと身構えるも、向こうの押せ押せな勢いに飲まれ、つい連絡先を交換してしまった。やっぱりマズかったよね~と、あとになって後悔していたのだけど、これがちっとも連絡をしてこない。
別に筆マメでないことを責めているわけじゃない。だとしても、そっちから聞いてきたんだからそっちから連絡してこんかい! とは思ってしまう。
よくよく振り返ってみると、人とのやり取りでうんざりしとことはあっても、イライラしたのは初めてだった。
「うーん……」
帰りの校門で見た、あの子の快活そうな笑顔を思い浮かべる。
最初は部活の大会で戦った子なのかと思った。でもあれだけ特徴的なセーラーの制服なら絶対印象に残っていたはずだし、今になっても思い出せないということはたぶん違う。
次に思い至ったのが会社の関係者。つまり社員の子供だという線。
こっそり社員名簿を調べてみたけど、やっぱり四ヶ郷なんて苗字の人はいなかった。ていうか四ヶ郷棗なんて聞くからに強そうな名前、一度聞いたらそうそう忘れるものじゃない。
調べれば調べるほど、四ヶ郷棗は謎が謎を呼ぶ少女だった。
なのに、不思議と悪い人という感じはしなかった。
人には表と裏の顔がある。いい意味であれ悪い意味であれ、それはどうしたって存在する。あの子の表情には、少なくとも裏という感じは伝わってこなかった。
だからこそもう一度、会ってみよう、会ってみたいと思った。
パパやママに喋ったら絶対反対されるだろう。
なんてったって顔と名前しか知らない──もしかしたらそれすら嘘かもしれない──相手と一緒に出掛けるんだから。親として何も言わない方がおかしい。
上辺だけの好意に晒され続けて、悪意に鈍感になっているだけかもしれない。
「それでも──」
それでも構わない。あの子が私を私として見てくれるなら、その先に悲しい結末があったとしても。むしろ勉強代だと割り切れば安いものだ。
「……こんな風に感じちゃうのも、私が世間知らずのお嬢様だからなのかしら?」
わかりやすい独り言で自分を笑ってみる。
今年は受験で、順当にいけば来年の今頃は大学生になっている。もう子供ではないし、世の中の仕組みくらいわかっているつもりだけど、『私は子供じゃない!』と自覚している時点で、すでに私は世間知らずなのかもしれない。
「…………」
ふと、隣の部屋にいるであろうたった一人の愛する妹を壁越しに見つめる。
もう一つ、不思議なことがある。
パシンッ!
四ヶ郷さんと握手をしようと手を出した時、息を切らして走ってきた灯子が、私の手もろとも彼女の手を払い除けた。その感触は、今でもまだ残っている。
「…………」
灯子が四ヶ郷さんに向けた時の、あの表情。
あれは『嫌い』とか『気に入らない』なんて生易しいものじゃない。明らかな『敵意』だった。灯子はそれを隠すこともなく、むしろ剥き出しにしてあの子を睨み付けていた。あんな感情、初対面相手には絶対できない。
灯子は四ヶ郷さんの何かを、絶対知っている。それもかなり深いところまで。
けど、あの様子だと問いただしたところで喋ってはくれそうにない。
これが姉バカというやつなのか、パパに似て強情な性格だと呆れる反面、人の上に立つ人っていうのは案外ああいう人なのかもしれないと、根拠もなく前向きに考えてしまう。
「ま、それも明日聞いてみればいいか」
拡げられた服から一つを掴み上げ、これでいくと覚悟を決める。それを壁にかけ、残りはクローゼットに戻す。
「一時に、天京駅広場。ふふふん……」
明日やって来る未知の出来事にワクワクしながら、私は鼻歌を口ずさんでいた。