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魔引きの魔女  作者: 片桐 楚江
〈暗殺者編〉
13/39

第四章

 ガラガラガラッ! ピシャンッ!

「失礼します! 四ヶ郷先輩はいらっしゃいますか?」

 四次元目終了のチャイムが鳴り、さて昼ご飯だと弁当を取りだすと、そんな大声が教室後ろのドアから響いた。

「は、はい! ちょっと待って行くから……」

 丁寧なご指名をいただき、クラス全員の視線があたしに降り注ぐ。堂々と名前で呼ばれてしまった手前、聞こえなかったフリをするわけにもいかず、仕方なく席を立つ。

「お食事前に失礼します」

「う、うん、いいけどさ。……なんか用?」

 廊下に出て早々、日野は改めて小さく会釈した。

 いくら後輩とはいえ、ここまで礼儀正しいとかえって不安を覚える。なんたってこいつはあたしたちを再三追い詰めた暗殺者だ。そんな奴と普通に接しろってのが土台無理な話だ。

「決着の日取りですが、いつがよろしいかと思いまして」

「ええー……早くない?」

 昨日いつになるかわかりませんとか言ってたよな確か? あんな意味深な別れ方しといて明くる日に来るかよ普通?

「はい。ああは言いましたが、早いに越したことはないかと思いましたので」

「…………」

 案の定、背後から突き刺さる詩乃の視線が痛い。

「そういうことですので、本日お伺いした次第です。自分はいつでも構いませんが、お三方はそうもいかないでしょうし」

「いや、やるならやるで別にいつでもいいけど?」

「いや、ですが……全員集まるのでしたら、予定を擦り合わせないと」

「いや、サシでやるんだから大丈夫でしょ? ……もしかして立会人が必要って意味?」

「いや、そうではなく、そちらが連携できないと辛いでしょうという意味です」

「──は?」

「……え?」

 あらん限りの疑問をフワフワ浮かべ、互いに顔を見合わせ沈黙する。

「ん? ……あ、そういう意味か」

 その間およそ数秒、ようやく日野が何を言わんとしているのか理解できた。妙に会話が噛み合わないと思ったら、こいつ一対三でやるの前提で話してんのか。

 二度も苦戦を強いられた身ではあるものの、ずいぶんと舐められたもんだな。これを素で言って見せちゃうところが正直というか若さというか、いい性格してるなまったく。

「ほぉ~、これはまたずいぶんと余裕じゃねーか」

 とか感心していると、向こうさんの意図を汲み取ってしまった不良生徒さんが傍らからぬうっと顔を覗かせてきた。

「言ったはずです。自分は負けませんと。聞いていませんでしたか?」

 詩乃の権幕などどこ吹く風か、日野は視線だけ動かし淡々と受け流す。

「そうかいそうかい。なんなら今やるか?」

「ちょっ待──詩乃! ここじゃダメ! いや、ここじゃなくてもダメだけど! ──って昨日もこれやったよな⁉」

 守備パート②で詩乃を抑え、ツッコむところはツッコむ。煽る方も煽られる方も、後先なんも考えてなくて困るったらない。

「ああもう! わかったから離せ。こんなの軽い駆け引きだろ? そもそも学校で揉め事なんて起こすかっての。やるならもっと静かな場所じゃないとな」

「だからここじゃなくてもダメだっての! ……日野もだけど、迂闊に変なこと喋らないでよ? みんな聞いてるんだから」

 二人に囁きつつ見回すと、教室からこちらを窺う人や、廊下でキョトンとしている人など、懸念した通りの惨状が広がっていた。中にはこの光景を誰かに伝えに行くのか、嬉々として走り出す者までいる始末だ。

 昨日の部活中、転校生が四ヶ郷棗に立てついた。

 登校して早々、校内はそんな噂で持ちきりだった。

 実際は詩乃が一方的に詰め寄ったのをあたしが止めただけなのだけど、噂話を種におもしろおかしく騒げればいい野次馬にからすれば、真実かどうかは二の次三の次だ。否定しようが肯定しようが、一度流れた内容はそう簡単に変えられない。

 昨日の夕方に端を発し、翌日の昼休みでこの有様となれば、話題にならないはずがないし。

 ──あたしとしてはいっそこの流れに乗って、唯姉さんとの件が有耶無耶になるのを願うばかりという、我ながら醜い打算が頭をよぎっていたりするけど。

「ことここに至った今、自分は逃げも隠れもしません。正面から堂々と、あなた方を打ち破らせていただきます」

「は! 笑わせるなひよっこ。裏でコソコソしてたのがバレた途端、手のひら返しで正々堂々路線とはずいぶんと太い神経してるじゃねーの?」

「細い神経でこの稼業は務まりません。違いますか?」

「わかってるじゃないか。じゃあ今日の放課後、この間の石切り場でどうだ?」

「承知しました。自分もあそこなら打ってつけと考えていました。邪魔も入りませんし」

「よし決まりだ。逃げようなんて考えるなよ?」

「そちらも、是非とも全員参加でお願いします。一人でも生き残りがいると面倒ですから」

「……あのさ、あんたたち、勝手に──」

 あたしが口を出しあぐねているうちに、重要な事柄がどんどん決まってしまう。

 何より質が悪いのは、双方共強気に出過ぎて引くに引けないとかではなく、本気の本気で話してるってところだ。

「あ、あのさ二人とも! 唯姉さんの話も聞いて、改めて予定組まない?」

「は? んなもんあとで伝えとけば事足りるだろ?」

「そうです。子供ではないのですから、逐一確認など取らなくてもいいでしょう」

「う、う~ん。でもさ、そういうわけには──」

「大丈夫! 話は聞かせてもらったから!」

 いつ来たのか、隣で唯姉さんが仁王立ちしていた。

「ぬぁぁぁぁ~っ! めんどくせぇぇぇぇ~っ!」

 よりによって一番来てほしくない人が来てしまった。せっかくいない人を出汁にして仕切り直そうと思ったのに、とんだちゃぶ台返しだ。

「みんな聞いて! わたしたち今夜決闘します! 諸々の都合で場所と内容は教えられないんだけど、結果は明日必ず報告するから、大人しく待っててちょうだい!」

 コソコソしているあたしをあざ笑うかのごとく、生徒会長は声高らかに宣言した。

「あとわたしも棗が大好きだよ~」

「ちくしょうぉぉぉぉ~‼」

 あたしの儚い希望は、情け容赦なく破壊せしめられた。いったいどうすればこの鬼畜を黙らせることができよう。つか、そろそろシメとかないと死ぬんじゃないかあたし?

「そこの君たち! 今言ったこと、一字一句違わず振れ回りなさい! はい走って!」

『え⁉ は、はい!』

 無作為に指名された生徒数名が、踵を返して飛んでいく。ノリがいいにも程があるだろ!

「ちょっ待っ! 最後の! 最後のだけは削ってお願いだから! ──おーい!」

 咄嗟に呼び止めるも時すでに遅し。蜘蛛の子を散らすように去っていった面々は、階段を駆け下り、あるいは駆け上がり、各々の教室へと帰って行った。

「あ゛あ゛~~も~ヤダ~……」

 立つことさえ億劫になり、窓際にしな垂れかかる。もういっそこっから飛び降りてやろうかしらん? この高さじゃ死ねないけど、ここよりはマシな世界へ行けそうな気がする。

「やるじゃないですか会長。これなら後腐れなく存分にやれますよ」

「ええ、すばらしい起点です。いっそ祭りにしてしまうなど、自分では思いつきません」

 立場を忘れ、二人は唯姉さんに思い思いの賛辞を贈る。

「よせやい、照れるじゃないの。生徒会やってればこんなの日常茶飯事だよ~」

 さっきからなんだこの温度差は? よくもまあそんな呑気でいられたもんだ。

「しょげるなってナツ。お前の立ち位置ならたかが変な噂の一つや二つへでもないだろ」

「ええ、あのままでは後々遺恨を残しかねませんでしたし、会長の判断は賢明です」

「その割を食わされるあたしの身にもなれよ‼」

 あたしが吐き出した恨み節は、とくに誰の心にも届くことなく昼の廊下に響き渡った。



「……来ちゃった」

 約束通り──詩乃が勝手に取り付けただけ──あたしたちは再びこの場所にやってきた。というかやってきてしまった。

「へえ~こんなところがあるんだ。カッコいいねここ!」

 隣で唯姉さんが物見遊山気分でキョロキョロしている。

 重機の位置や石を切り出された崖の断崖など、細かいところで違いはあるが、おおよそ変わっていない。まあ、日中は作業してるだろうから、当然なんだけども。

 前回とは違い、学校が終わってから直行して来たので、日暮れまではまだ時間がある。

 初めて日野の奇襲を受け、詩乃とどうにかこうにか隙を突き、逃げ出した日から丸二日。時間で言えば大して経ってないのだが、それからの出来事があまりにも濃密すぎた。命からがらの日々を乗り越えて眺めるこの景色は、どこか懐かしさすら漂ってくる。

「そういやお前、あの時どこに隠れてたんだ?」

「あの時は……あそこの一番高い木の陰に潜んでいました。魔獣を逃がし終え、惚けていたのでいけると思ったんですが。誰かさんが目端の利く方でがっかりです」

「あん時はギリギリだったな~。お前にしてみれば、あれが誤算の始まりか?」

「まったくです。一思いにやられてくれればいいものを、困った方々です」

「こっちもこなしてきた修羅場の質が違うからな。新人に遅れは取らんさ」

「だとしても、今日は胸を借りるつもりはありませんので、あしからず」

「応よ。生意気な一年坊の鼻っ面圧し折ってやるから覚悟しとけ」

 少し距離を置いたところで、二人が先日の答え合わせで盛り上がっていた。

 せっかく同じ学校にいるのに現地でわざわざ集合するのが手間だったので、ここにはみんな一緒に転移してきた。これから勝負しようって相手同士で、なんだこの緊張感の無さ?

「……はあ」

 これからの勝負を考えると、ひたすら気が重い。

 私生活はことごとく破壊され尽し、残るはこの身ただ一つ。いっそこのまま討伐された方が幸せなんじゃないかと思い始めてきたぜ。

「よし! そんじゃナツ、ちゃっちゃとやっちゃってくれ」

「がんばってね棗! 応援してるから!」

 よくわからない感慨にふけっていると、当然とばかりに二人が道を譲る。

「え? 二人とも戦わないの?」

「え? まずは棗が一対一で勝負するんでしょ?」

「ええ、そうですよ。ひとまず我々は外野で応援です」

「……は⁉ 見てるだけかよ⁉ ここまでお膳立てしといて!」

 あんだけ大口叩いておきながら梯子を外すとか。自分勝手も大概だろ。

「つっても、私は討伐できないしな。ねえ会長?」

「そうそう、ここは先輩魔女さんに先陣切ってもらわないとね~」

「お前らさぁ~」

「なんだなんだ、教室じゃサシでやる気満々だったクセに、何弱気になってんだよ? 久しぶりにお前の狂気、見せてほしいんだけどな~」

「……あたしを煽ってどうすんのさ?」

「景気付けに発破かけてんだよ。あいつに言葉を借りるようで癪だが、堂々と正面から打ち破ってやろうぜ」

「いやいや、万全を期すのも作戦だってあんたが──」

「ナツ。負けた時のことなんか考えるな。お前は絶対負けないし、あいつは絶対勝てない」

 あたしの眼をしっかりと見据えて、詩乃は微塵の躊躇もなく言い放った。

「詩乃……」

「まあ、万が一お前が討伐されても、消耗したあいつを私と会長で囲めば問題ないし。どう転んでもお前の無念は果たされるから安心しろ」

「台無しだな! 最後の一言がなかったらバッチリ決まってたのに!」

「はっはっは! バカ言ってないでさっさと行け」

「がんばって棗! 武運長久を祈るよ!」

 半ば強引に送り出され、あたしは渋々日野と対峙する。

「お喋りは済みましたか?」

 律義に待っていてくれた日野が、無感情な声色で尋ねる。

「ええ。ずいぶん優しいじゃない? 隙を狙って仕掛けてくると思ってたのに」

「卑怯じゃあなたに勝てません。何度も言わせないで下さい」

「そっか。……ああもう、しゃーないな! やるよ! やってやるよ!」

 眼を閉じてゆっくりと深呼吸をし、気分を日常から非日常へ切り換える。

「──狩れ! 狩れ! 狩れ‼」

 承認呪文を口ずさみ、カッと眼を見開くと、漆黒の炎があたしを包み込む。

 当初は不思議な感触だと思っていた身体中を這い回る冷たい感触も、今ではむしろ爽快感さえ覚え始めている。ホント、引き返せないとこまで来た感が否めない。

 他愛もない思考を追従するようにお馴染みの魔装衣が形成され、準備完了と相成った。

「──降臨せよ」

 あたしの変身を見届けたのち、日野も呪文を呟き、漆黒の炎を節々に煌めかせる。

 同じ魔女というだけあって、向こうも似たような変身方法で、すっかり見慣れてしまったブーツにグローブ、鉄板鉢巻が次々と装備されていく。

「ずいぶん短いわね、承認呪文」

「戦場でそんなものをちんたら唱えていたら敵を逃がすどころかこちらが隙を晒します。こういったものは、短ければ短いほどいい。見てくれの華やかさなど一切不要です」

「ち」

 背後から『あたしがこれまで出会った認証呪文の長い魔法少女第一位』さんが、仏頂面で腕を組んでいる気配がヒシヒシと伝わってくる。正直、ざまみろとは思う。

「ふ~ん。で、あんた変身は?」

「……完了していますが?」

「へ? いや、でもその格好──」

 日野の見た目は、承認呪文前とほとんど変わっていない。目印とも言える各防具は装備されているものの、恰好は制服のままだ。スカートの丈は心なしか短くなったようには感じるが、それだって眼を引くほどの変化ではない。

「言ったはずです。自分は『魔女暗殺型魔女』だと。そんな自分が、いったい誰を欺く必要があるのですか?」

「え? じゃああんた認識攪乱ないの?」

「はい。当初はあなたを討伐できさえすれば十分だったので」

 あたしの不躾な質問に、日野はさして気分を害した風もなく答える。

 認識攪乱とは読んで字のごとく、自身の正体を隠すために相手の認識を攪乱する機能だ。

 あたしも含め魔法少女たちは、戦う時に人目を避けてはいても、人の動きはどうしたって読み切れない部分があり、一般人とでくわしてしまう局面が多々ある。

 情報社会の世の中、写真・映像・音声等々。一度収められてしまったが最後、世界の隅々まで拡散してしまう。今日まで誰一人としてそうなっていないのは、ひとえに認識攪乱で人々を惑わし、記録媒体の一切を遮断しているからなのだ。

 そんな魔の付く必需品とも言っても過言ではない認識攪乱でさえ、隠密行動が前提の日野には必要ないらしい。確かにあたしの討伐だけが目的なら、頻繁に変身する必要もないし、十分許容できる不便ということなのか。

「何から何まであたし専用なのね」

「いかにも。自分は本来魔装衣に割り振られるはずの魔力を最小限に留め、余剰分を跳躍力と腕力に割り当てています。すべてはあなたを一撃で討伐するために」

「どうりで腕っぷしが化け物級なわけだよ」

 今の説明で合点がいった。自身の魔兵装を持たず、さらには魔装衣まで削って戦闘力を嵩上げするなんて。そりゃあ気合入れた程度じゃ歯が立たないに決まってるわな。

 というより、契約時にそんな細かい融通ができることに驚きだ。うちの犬っころは吐きたての生き血を飲めとのたまってきただけだったのに、ヒドい扱いの差だ。

「前向上はこの辺りで。残りは刃で語るとしましょう」

「そう、ね」

 瞳を殺気でギラつかせ始めた日野に、あたしも短く相づちを打つ。

 魔兵装と魔装衣を捨て、禁じ手である堕溺兵装を獲物とする暗殺特化型の魔女。

 謎は解けたけど、だからって状況が良くなるわけではなく、倒すべき相手は変わらず眼の前に立ちはだかっている。あたしはこれから、この怪物と戦い、叩き伏せなければならない。

「……よし」

 詩乃は負けないと言ってくれた。

 あれがあいつなりの励まし方なのか、嘘も方便的な言い回しだったのかはイマイチわからないけど、あたしを買ってくれている以上、その期待を裏切るわけにはいくまい。

 まあ、信頼と丸投げは別物だと教えておく必要はあるけどね。終わったら覚えとけよ!

「来い、『兵香槍攘』!」

「『村雨』」

 それぞれの獲物を呼び出し、先端を互いの心臓に向ける。


「征くわよ、魔女!」

「征きます、魔女!」


 ガギィィィィッ!

 言うが早いか、あたしたちは瞬時に跳躍し獲物を打ち合わせる。接触点からビリビリと衝撃が踊り、周囲の砂塵が遅れて吹き飛ばされる。

 暁人なら知らない者などいない武器の王様と、古の戦場において、最も多く用いられたであろう武器の王道が激突する。当事者ながら胸の熱くなる展開だ。

「──ああああっ!」

 まさに力技。日野は拮抗していた『村雨』を強引に振り上げ、『兵香槍攘』を上に弾いた。どうにか手は放さずに済んだが、両腕を上げられ胴ががら空きになる。

「くっ──なん、のぉ!」

 ズゥゥーーンッ!

 返す刀で振り下ろされた一撃を真っ向から受け止める。衝撃を一切逃がす暇もなく直にもらってしまい、手が震えだし、両膝に逃げ損ねた力が殺到する。

「いよっ──とぉぉ!」

 右手の力をわずかに緩めて角度を作り、大振りを受け流す。その勢いを利用して回転、体制の崩れかけた日野の背中目がけて蹴りを放つ。

「──ひゅ!」

 が、蹴りはあっさりと躱され、日野はそのまま後方へ跳び、距離を取られてしまった。いきなりうまくいくとは思ってなかったけど、せめてかすめるくらいは欲しかった。

「まだまだぁ!」

 演武さながらに『兵香槍攘』を振り回して接近し、手数で翻弄しつつ隙を狙う。

「……っ! ……っ! ……ふっ!」

 しかし向こうも心得たもので、関係ない斬撃は無視し、間合いに入り込んでくるものだけを的確に弾いてくる。

 三度目の衝突とあってか、日野の太刀筋もだいぶ読めるようにはなったが、残念ながらそれは向こうも同じ。こちら先読みで仕掛けに出ると、あちらもまた読み返して対応してくる。

 もはや戦いは読み合いの応酬となり、身体だけでなく頭もフル回転で稼働し、相手を沈めんとする戦技が絶え間なくぶつかり合っていく。

「ぐうっ! ──うお⁉ はあっ!」

「……っ! ……ぐっ! ……っ!」

 細かな体重移動。咄嗟に出てしまうクセ。視線の行き先。呼吸の間。剣筋の角度。

 繰り返される刹那。瞬きにも満たないわずかな瞬間に、大量の情報が濁流となって脳みそになだれ込む。それらを瞬時に精査し、有益なものを洗い出し、最後には感で行動に移す。

「うぐ……くっそ──っ!」

 斬撃を躱しきれず、あるいは防ぎきれず、一つまた一つと生傷が増えていく。

魔装衣は裂け、鮮やかな赤が随所に沁みを作る。最初こそ生温かかった感触は、足運びや互いの斬激に晒され、瞬く間に冷たくなる。

 こちらの攻撃が完全に防がれているわけではないが、傷の数で判断するなら押されているのはあたしであり、どうにかこうにか食い下がっているのが現状だ。

 そしてそのかろうじて保たれているこの均衡すら、いつ崩れても不思議じゃない。

 だけど、諦めるには早すぎる。

 繰り出される一振り、一突きすべてが駆け引きであり、必殺の一撃だ。

 現状は日野の有利で進んではいるものの、わずかでも隙ができようものなら、あたしは絶対見逃さない。かすり傷だろうとそこから押し広げ、活路を見出してみせる。

 逆に劣勢のままあたしが隙を見せてしまえば最後、日野は絶対見逃さないだろう。

 羽虫の鳴き声であろうと、足元の砂粒であろうと、きっかけさえあれば状況は容易く、いとも簡単にひっくり返る。長い時間をかけて積み上げてきたものが一瞬で崩れ去る。

 あたしたちのいる舞台は、そういったあやふやなもので支えられている。

「……くくっ……あははっ!」

 そう思うと無意識に口元が歪み、堪えようのない乾いた笑いがついつい漏れてしまう。

 全身の血が踊りだすような感覚が節々から押し寄せ、その流れに身を任せたくなる衝動を理性でねじ伏せ、強引に心を冷やす。

「ふふ……ヤバい、超愉しい──っ!」

 ──のだが、久しぶりの感覚にいろいろと抑えきれず、溢れだした想いが自然と口をついてしまう。ここまで狂気がたぎるのは、詩乃とやりあった時以来だ。そう考えると、やはり眼前にいる相手は決して一筋縄ではいかず、侮れない強敵だとわかる。

「まるで戦闘狂ですね」

 互いに手は休めずに、日野は呆れたように呟いた。

「応ともさ。最高の褒め言葉よ!」

 軽快に答えての振り抜き様、再度力を抜いて『兵香槍攘』を滑らせ、石付き部分をぶん回して日野を薙ぎ払う。

「──はっ!」

 ガギィンッ!

 日野はこれまで同様、涼しい顔で受け流す。こうも仏頂面で通されると、意地でも泣かせるなり怒らせるなりしたくなってくる。

「……訂正します。あなたは正真正銘の狂人です」

「知ってるわよ、そんなこと。で、あんたはその狂人様をどうするつもりかしらん?」

 事実を言われたところで今更腹も立たないけど、煽る大義があっちから歩いてきたので、使えるものはとことん使う。

「いささか早いかと思いますが、終わりにしましょう」

 観念したように呟き、日野は『村雨』を胸にかざし、眼を閉じる。

「盟約に従い堕溺せよ。──『村雨』!」

 すっかり耳に馴染んでしまったおなじみ呪文の直後、『村雨』の刀身が雪色に煌めき、表面が氷に覆われていく。

「──っ!」

 切先を前にかざす構えを取り、日野が突っ込んでくる。

「真っ向勝負ね! 上等!」

 あちらの意志に呼応するように叫び、握りしめた相棒に魔力を込める。円錐型の障壁が前面に展開し、刻々と移り変わる紋様が視界を覆い尽くす。

「さあ行くよ! 日野渚!」

 魔力全開で突撃を発動し、一直線に突っ込もうとした直後、あたしは『兵香槍攘』から手を放した。

 バシュンッ!

 支えの失った『兵香槍攘』は、持ち主を置き去りにしたまま高速で射出される。

「──⁉」

 日野の眼がこちらからでもわかるくらい、大きく見開かれる。

 決まった! 完璧な演技だ。日野はあたし込みの突撃を迎撃する腹だったのだろうが、まさか獲物だけがぶっ飛んでくるとは想像していまい!

 あたしがくっ付いてないから速度も普段の数倍。正面は障壁でバッチリ包んでるから見た目以上の威圧感がある。万が一避けたとしても、かすめるだけでタダでは済──

「──ひゅ!」

 キィンッ!

 眼を見張るほどに見事な日野の横一閃は、あたしの『兵香槍攘』を障壁もろとも真ん中からキレイに両断した。

「んな⁉」

 職人かと見紛うほどに美しい日野の芸当を前に、戦闘中にも関わらず呆けてしまった。

 ズゥゥーーンッ!

 二つに別たれた『兵香槍攘』は異なった軌道を転がり、奥の断崖へと吸い込まれた。壁面には稲妻のような亀裂が走り、細かな破片がパラパラと崩れ落ちる。

「…………」

 その様子には眼もくれず、日野はただあたしだけを瞳に捉え、迫る。

「ヤッバ! か、『快刀乱魔』!」

 奇策と自負していた作戦があっけなく喰われ、丸腰になること一瞬。咄嗟にもう一本の相棒を叫び、呼びだす。

「ちょっ、待──クソ」

 堕溺起動状態の『村雨』は、魔力によって形成された氷を纏い、その切れ味を何倍にも引き上げている。そんな刀相手に防御したところで、剣もろとも切り付けられるのが関の山だが、この間合いからでは回避は不可能。ならば負傷も覚悟の上で受け止めるしかない。

「終わりです。好きなだけ恨んで下さい」

「こんの腐れ外道――っ!」

 精一杯の悔しさを毒づき、やけくそで防御の構えをとる。


 ガギィィィィッ!


 横薙ぎに振るわれた『村雨』の刃は、『快刀乱魔』の刃に阻まれ、耳障りな金属音と閃光を散らした。

「⁉ 馬鹿な⁉」

「あっはっは~! やっぱりね! 狙い的中!」

 決まった! 完璧な演技パート②だ!

 あたしのもう一つの魔兵装『快刀乱魔』は、魔力で形成されたあらゆるものを切断できる。とどのつまり、『村雨』の切れ味を強化している魔力の氷を、『快刀乱魔』の魔力切断で相殺するなんて芸当も可能なわけだ。

 天界人の骨だかなんだか知らないけど、外側に纏うのが魔力であるなら、こいつで切れないはずがない。これで一方的に魔兵装を細切れにされる心配はなくなった。

 まさかあの一撃を防がれるとは夢にも思っていなかった。それでも念のため、頭の片隅にしまっておいた二段構えが功を奏した。何事もやってみるもんさな。

「…………」

 後ろから『なんで今までやらなかったんだ⁉』という、非難とも呼べる気配がビシビシと伝わってくるが、敵を欺くには味方からなので仕方がない。

「な……でも、しかし」

 余程の衝撃なのか、日野の動きが鍔ぜり合いで止まっている。ここまで顔が近いと、肌のきめ細やかさや、額に貼りついた髪の一本一本。雪のようにキレイな白目に至るまではっきり見える。同じ女性として、羨ましい限りだ。

「ボケッとしてんじゃ──ないよっと!」

 ドズッ! ──パァンッ!

 そしてそんなおいしい隙をむざむざ見過ごすわけもなく、がら空きになった日野の腹に蹴りを叩き込み、そこからさらにがら空きになった頬に張り手もお見舞いする。

「……くぅ! ううっ!」

 脳が揺さぶられて朦朧としながらも、日野倒れることなくその場に踏み止まった。

「くぅ! ……お、驚きました。直情的な人だと思っていましたが、意外と演技派ですね」

 頭を振り、日野は苦虫を噛み潰したように顔を歪め、あたしのうそぶきを称賛する。

「そうでしょうそうでしょう? もっと褒めなさい。つかあんたも、あれをよくもまあ切れたわね。死ぬかと思ったよ今度こそ」

「あなたが予想もつかないことをしてくるのは予想していましたので、どうにか捌けました」

「ずいぶん簡単に言ってくれちゃうね。あんたも存外こっち側だよ」

「あなたと同列に扱われるのは不本意ですが、否定はしません」

 調子が落ち着いてきたのか、日野独特のぞんざいな軽口にキレが戻る。

「相変わらず一言多いわね。ところでさ、日野──」

 そんな日野を見据え、あたしはわざと一拍空け、確信に迫る雰囲気を整える。

「──あんた、本気出してないでしょ?」

「……自分はいつでも真剣です」

 虚を突かれたように半端な間を挟み、日野は答える。

「嘘おっしゃい。剣筋の濁りが昨日の比じゃないんだよ。あんたがどう思ってるか知らないけど、あたしが言ってんだから間違いない」

 手前勝手な理屈で申し訳だが、こればかりは見逃せない。そもそも剣技で心を隠せるほど器用なら、日野もあたしもここでこんな戦いに興じてはいない。

「日野、あんたやっぱり魔女に向いてないわ。あんた優しすぎ」

「……人並みには厳しいつもりですが」

 反論はするが、言葉尻にいつもの覇気がない。完全に気後れしている。

「ひょっとしてあんた、口で言ってわかるならそれに越したことないとか考えてない?」

「それは──。う……」

 どうやら本人にも思い当たる節があるらしく、何事かを口にしようとして止まり、思い留まるように口を閉じた。

「ふむふむ、図星でしょ?」

「…………」

 その沈黙が答えであり、肯定だった。

 昨日あれだけ偉そうに語っておいて、いざ本番でこの体たらく。

 最初の襲撃では言葉もろくに交わさなかったことを考えるに、どうやらこいつは一度振れ合った相手にはかなり情が尾を引く性格のようだ。

「いくらなんでも甘すぎるかな~。昨日今日会話しただけで情が移っちゃうとか、お人よしを通り越してただのバカだもん」

 回りくどい理屈をチマチマこねくり回すより、この方がわかりやすい。

「打ち合ってみてわかった。あんたが魔法少女を有無も言わさず討伐するのは、言葉を交わして相手を知るのが怖いからなんでしょ?」

「……いけませんか?」

「魔法少女ならそれでもいいけど、魔女をやる分には致命的ね」

 包み隠さず、きっぱりと言い放つ。日常生活では美徳なのだろうが、魔の付く稼業でそんな性分は足枷でしかない。

 会話は戦闘において重要な駆け引きの一つだ。

 相手の出鼻を挫く。仕掛けの時間の調節や思考の誘導。うまくいけば相手の内情を探れることだってある立派な作戦だ。例え苦手意識があったとしても、大切な選択肢をむざむざ手放すのは賢い選択とは言えない。

 臭い物に蓋をするようなやり方では、この子は前に進めない。仮にここであたしたちを討伐して今日を生き延びたとしても、遅かれ早かれ必ず行き詰る。

「そんな体たらくで、あんたはあんたの後ろにいる子たちを守れんの?」

「──‼」

 あたしのわざとらしい挑発により、日野はしょぼくれた表情から一転、『怒髪、天を衝く』を地で行く形相に上塗りされる。

「訳知り顔で知ったように! 自分がどれだけのものを背負っているか、あんたにわかってたまるか! 覚悟が……覚悟が違うんだよこっちは‼」

 自らの拠りどころを引き合いに出され、さすがに怒りの沸点を振り切ってしまった日野。まあ、表層を軽くさらっただけの部外者に不躾なことを吐かれれば、怒らない方がおかしいってもんだ。もちろん、わかっててやったわけだけど。

「だったらもっと死ぬ気で戦えよ! お前からすべてを奪い去ろうとしてる腐れ外道が、今眼の前にいるんだぞ⁉ 呑気にお喋りしてる場合かよ?」

 こっちから吹っかけておいて理不尽極まりない話だが、あいつが本気だったらこんな問答、相手にしなければいいだけなので、あたしの用意した土俵に乗った時点でアウトなのだ。

「あたしはあんたの一身上の都合とやらを慮って、剣に手心を加えたりしない。魔法少女にいちいち同情なんかしてたら、こんな役目続かないからね」

 日野の激情に当てられ、こちらの本音も爆発する。

「守りたい人。大切な場所。叶えたい願い。そんなもんはみんな持ってるんだよ。あんたもあたしも、所詮そこらに転がってる石ころの一つなのさ。あんただけが特別と思うなよ?」

「……っ」

 吐き出される言葉と比例するように、日野の顔にしわが刻まれ、表情が険しくなっていく。

「あたしがどれだけ、あの子たちの願いを踏みにじってきたと思ってんの? 今更一人増えたぐらいで立ち止まってたまるか! 場数が違うんだよこっちは‼」

荒い呼吸に肩を上下させ、あたしはあたしの思いをぶちまける。

「どうする日野渚! あたしを討って全部守るか。あたしに倒されてごっそり忘れるか⁉」

『快刀乱魔』を握り直し、改めて構えを取る。お互いの言い分は十分ぶつけあった。ここまで来てしまえば、本当に剣と技で語り合うしかやることがない。

「あ……ああああぁぁぁぁ──‼」

 若干しがれた絶叫をまき散らし、日野は眼を血走らせて突っ走って来る。その姿に躊躇いはなく、あたしの心臓を射抜かんと殺気をたぎらせている。

「そう、それ! それだよ! やればできんじゃんよ!」

 日野から溢れ出る感情を一身に受け、こちらも魔力を込めて応じる。

 さっきとは比べものにならない斬撃の応酬。礼儀も作法も関係ない。ただ自身が憎いと感じる敵を排除するためだけの刃。

「負けない……あなたには、絶対!」

 勝負に勝つという闘気と、相手を潰すという執念を入り混じらせ、日野は実にいい顔をしている。怒り狂えとまでは言わないが、普段自らを自制しているような奴ほど、衝動に身を任せた時に、技が冴えたりするものだ。

「これよこれ! こういうのを待ってたのよあたしは!」

 そしてその手の輩とやりあう感覚は、普段とはまた別格であり格別だ。

「自分は絶対、あなたを討伐します!」

「グチグチご託垂れてる暇あんのか甘ったれ! すまし顔でお行儀のいいことばっか考えてっと全部なくなっちまうぞ!」

 主人公みたいな台詞をのたまう日野を煽りまくり、右に左に切りかかる。

 頭で考えるやりたい動きに、身体ができる実際の動きが追い付けず、咬み合わなくなってくる。あたしの中で狂気が高まっている証拠だ。

「どうしたどうした! 最初から全部持ってるような奴には負けないんじゃなかったのか⁉」

「ああそうだ! 支えなき者に自分は負けない!」

「そうか──よっと!」

 戦いの名残惜しさを断ち切り跳躍し、『快刀乱魔』の損傷具合を確かめる。

『快刀乱魔』が魔力切断できるのはあくまで刃の部分だけであり、真横からは受け止めることはできない。強化中の『村雨』を防ぐには、刃で正面から受け止める必要がある。

 しかし刃同士で打ち合えってしまえば刃こぼれする危険は増すし、そこを呼び水に折れでもしたら取り返しがつかない。

 攻めるにしろいなすにしろ、『村雨』との接触は最小限に留めなければならない。

「──って、やっぱこうなるか」

 当然ながら、向こうさんもそれは先刻承知のわけで。案の定『快刀乱魔』はところどころに傷が付き、わずかに亀裂も入ってしまっていた。

「さすが、としか言いようがないわね……」

 守る『もの』のある者は強い。あいつの言う通りだ。

 日野が思い悩んだ末に戦う道を選んだことだって、施設のみんなとやらがいてこその決断だろうし、あいつはそれを臆面もなく誰かに伝えられる素直さも持っている。あんな真っすぐな奴、探したところでそういるもんじゃない。

 本当に優しい奴だ。魔女になんてならなければ、それを弱さだとなじられることもなかったろうに。あたしの言えた義理じゃないが、そう考えると不憫極まりない。

「ふ!」

 休ませるものかと、日野は鬼の形相で斬りかかる。

「『兵香槍攘』!」

 今一度もう一本の相棒を呼び、突撃で日が傾き始めた上空へ飛翔する。空へ位置取りしてしまえば、長距離に対する選択肢のない日野は手出しできない。

「そーら!」

 ガキィンッ!

 高度と角度が十分に取れたところを見計らい、一気に急降下。すれ違い様に剣撃を浴びせ、間髪入れずに急上昇。再度上空へ退避する。

「もういっちょ!」

「くう……っ! があ!」

 攻撃を受けるたび、日野は揺さぶられ苦悶する。すかさず反撃に転じようとするも、すでに空高くのあたしを見上げて苛立ちを募らせている。

 自身が有利になるように戦場を誘導し、主導権を握る。完璧な一撃離脱戦法だ。

 あっちにしてみれば卑怯と罵られそうなやり方だが、わざわざ相手の用意した戦場でやりあう理由もない。悪党様々! 最終的に勝てさえすれば、過程など些末なものだ。

「こんの卑怯者……っ! ええいっ!」

 と、こちらの注文通りの悪態を付く日野。途端、雪色に煌めきと同時に、幾条もの氷針を打ち出され、襲いかかってきた。

「うおっと⁉ 危ない危ない。──って、お前もいらねーじゃんかよ呪文!」

 呪文は短い方がいいとか言ってたクセに、もはや口上すらないんですが? いよいよもって存在の意味を問われてきたな呪文さん。

「ったくもう。……まあいいわ、ボチボチ決めますかね。いよっ──」

『快刀乱魔』を放り投げ、『兵香槍攘』で打ち付ける。闇色の閃光が迸り、二本の魔兵装が一艇の鎌に生まれ変わる。

「さあ、行くぞ! いきなり潰るんじゃないわよ⁉」

 先端を日野に定め、突撃を発動する。今度はチマチマ逃げたりしない。正面から容赦なく、一直線に沈めてみせる! 

 制服のシワ、足の傷、顔の汚れ、ギラついた瞳。接近するにつれ、それらがどんどん鮮明になり、比例してあたしのゾクゾクも高まっていく。

 ギィィィィ──ッ!

「ぐがぁ! ……こんのぉぉ!」

 こちらが出せる最大級の突撃を、あいつは倒れることなく受け止めてみせた。

「そらそら! あんたとあたしの獲物、どっちが先にぶっ壊れるか! 耐久勝負といこうじゃないの!」

 本来鎌形態は『快刀乱魔』の刃を内側にして連結しているが、今回は真っ向勝負ということで、あえて外側で連結し、ギロチンのような状態で日野に迫っている。これなら突撃の突破力に加えて重力も味方につけているので、受け側はひとたまりもあるまい。

「くぅぅ! あぁぁぁぁっ!」

 日野は肘で峰を支え、こちらの突撃を必死に防いでいる。

 ピキッ……ピキッ!

 上方からの衝撃に耐え切れず、足元の岩盤に亀裂が入る。亀裂は次第に広がっていき、日野は地面を砕きながらゆっくりとめり込んでいく。

『魔力を切る闘剣』と『魔力で切る刀』。

 お互いがお互いを完全否定する能力を持った武器同士が、己の我を通すために火花を散らし合う。これはもはや魔力の力比べだ。より想いの強い方が勝ち、弱い方が負ける。単純明快故に言い訳も泣き言も許されず、最高におもしろい。

「さあさあ、これで終わり⁉ なんなら前言撤回する⁉ 卑怯不意打ち、あたしはなんでも受けて立つわよ臆病者!」

「く、言わせておけば──」

「言われんのはあんたが弱いからでしょうが! あんたの守りたいものってのはその程度の存在だったのかよ! がっかりだよホントにさ!」

 煽る煽る。煽るったら煽る。この手のバカ正直者は、とにかく本気を出させた上で圧し折らないと本当の意味で負けを認めない。なんたってあたしがそうなんだから。

「っ! 『村雨ぇぇぇぇ』‼」

 より強い力を乞う日野の叫びに呼応し、『村雨』はここ一番の輝きを見せる。

 ……キキィィィィ──ッ!

「うえ⁉ 嘘でしょ⁉」

 雪色の閃光を輝かせた『村雨』の刀身が、まるで鉄板が溶断されていくかのごとく、徐々に『快刀乱魔』を侵食していく。

「ちょっ待──」

 チィンッ!

 鉄琴を指で弾いたような、寂しげな一音を断末魔に、『快刀乱魔』は切断された。

「うお⁉」

 瞬間、突撃を抑え込んでいた抵抗が一気になくなり、流れるままに地面に衝突。打撲の痛みと摩擦による熱が同時に襲い、意識が飛びそうになるのをどうにか耐える。こっちから仕掛けておいてアホな話ではあるけど、完全に魔力の力負けだ。


「御神渡りぃぃぃぃ‼」


 背後から絶叫が耳朶を打ち、反射的に先日の光景が脳裏をかすめる。

「! くそ!」

 襲ってくる根源的恐怖により、後先考えず横に跳び退いた。

 バァチィィィィンッ!

 今しがた転がっていた場所に、巨大な氷柱がそびえ立つ。

「あっぶな!」

 本能の重要性を痛感する。もし数瞬遅かったら、腹を貫かれ串刺になっていた。

 あたしに散々なじられ、さしもの日野もプッツンいってしまったらしく、いよいよ出し惜しみをしている余裕はなくなった。

「う、うわ⁉ くっそ……が!」

 続々と生み出される氷柱を蹴って体勢を整えるが、数えるのもバカらしくなるほどの氷柱が折り重なり、あたしを貫かんと殺到してくる。

「ああもう! しつこい!」

 この状況を鑑みるに、同じ場所へ留まる以上に愚かな判断はなく、突撃を発動してそそくさと退散する。そして当然、向こうは逃がすまいと追いかけてくる。

「はあ、はあ……うおっ──と!」

 なるべく半径が小さくなるように弧を描き、時には肉体が悲鳴を上げるのにも取り合わず直角に曲がり、氷柱を回避しつつ地面スレスレを疾走する。

「クソ。頭を押さえる気だな」

 壁面から突き出た氷柱が邪魔でうまく高度が稼げない。どうやら、当てずっぽうで生み出されているわけではないようだ。冷静に怒れる奴は、こういう時やたらと器用だから困る。

「そっちがその気なら──っ!」

 氷柱の妨害が薄い箇所を見極め、鎌により一層の魔力を込める。円錐状の障壁を再展開、いつもより鋭利な槍状へと仕上げる。

「うおおおおぉぉぉぉ!」

 バキィィィィンッ!

 魔力全開で氷柱の包囲を突き破り、さらに飛翔する。ガラスの割れる不快感極まりない音が反響し、瞬時に後方へ流れ去る。

 どんな局面であれ、相手がしてほしくないことほど、されて嫌なことはない!

「これで、どうだ⁉」

 先端に残っている『快刀乱魔』の柄を振り飛ばし、ブーメランの要領で日野へ送りつける。

 キャンッ!

「ぬおぅ⁉」

 迫る氷柱をスルリと掻い潜り、柄は引き寄せられるかのごとく地面に刺さる『村雨』に命中。日野の手を弾き、あさっての方へ飛んでいった。

「いよっしゃ!」

 これで日野は丸腰。残るは懐に突っ込んで一発かますだけだ!

「く! まだだ!」

 マジで討伐五秒前というこの局面にあっても、あいつは自身の敗北を認めようとしない。ここまで追い詰められてなお、その眼は闘志に満ち満ちている。

 ガシュ!

 日野は『村雨』が刺さっていた場所に自分の手を差し込んだ。

「終われない! こんなところでは、まだ! 自分は‼」

 すると日野を守るようにしていくつもの氷柱が密集し、眼前に氷の壁が出来上がった。

「自分の魔力を繋ぎにしたのか?」

 驚きと同時に感心していた。あいつは『村雨』が供給していた魔力が途切れる前に、自分の魔力を直接流し込み、その力を引き継いだのだ。

 魔兵装のあたしたちならできた芸当かもしれないけど、あっちは魔力を弾いて威力を上げる堕溺兵装の使い手だ。その補助なしであれをやってのけてしまうとは。

「だったら、それも込みでぶん殴る‼」

 向こうがギリギリまで知恵を絞って立ち向かうなら、こちらもギリギリまで立ち塞がってやるまでだ。

「おぉぉぉぉっ! くらいやがれ!」

 バシュンッ!

 パッと手を放し、今一度『兵香槍攘』を射出。氷の壁中心目指して飛んでいく。

 ズゥゥゥゥンッ!

 打ち出された『兵香槍攘』は、轟音をまき散らして氷の壁へ突っ込み、その分厚い装甲を貫きはしたが、中断ほどの位置で止まり、周囲に蜘蛛の巣状の亀裂が広がっていた。

 相当な熱と摩擦だったろうに、氷の壁は破損こそしているものの、どこの一か所も溶けていなかった。最後の一瞬まで魔力が流れていた証拠だ。

「まったく、最後の最後まで油断ならないわね。……よっこい、しょっと」

 刺さっている槍を軽く蹴っ飛ばす。わずかな衝撃にかろうじて保たれていた均衡が崩れ、今度こそ氷の壁が粉々に崩れ落ちる。

「……そん、な」

 瓦礫と化した氷の先には、信じられないという顔でかぶりを振っている日野の姿があった。

「いやー愉しかった! そんじゃおやすみ」

 健闘を称えるようにそっと近づき、わずかに魔力を乗せた拳を日野の腹に打ち込む。

「むう⁉ まだ、自分は──」

 小さく呟き、日野は張り詰めていた何かが切れたように気を失った。倒れかけた身体を咄嗟に受け止め、抱き抱える。

「やっぱり強いわね。守るものがある奴って」

 眠りに落ちた日野の頭をそっと撫でてみる。この子の闘志は、気を失う直前まで消えることはなかった。



「……うはあぁぁ~! 終わった~」

 眼の前の関門をどうにか乗り越えて気が緩んだのか、肺の空気を根こそぎ絞り出してしまいそうなため息が無意識に出てしまう。

「お疲れナツ! やったじゃないか。さすが魔女だな!」

「すごかったね棗! すごいカッコよかったよ! すごい惚れ直したよ!」

 余韻に浸る間もなく、退避していた詩乃と唯姉さんが興奮気味に駆け寄ってくる。

「あ~二人とも、ちょっとこいつお願い!」

「え⁉ うわ! ちょっと──」

 気絶してしな垂れかかる日野を、ほとんど投げるように唯姉さんへ押し付ける。

「あ゛あ゛~~疲れた~~……」

 精神に続いて肉体的な緊張からも解放され、腰が抜けたようにその場へ座り込む。

久しぶりに狂気に触れられたのはよかったけど、その分体力も集中力もガッポリ持っていかれてしまった。愉しいとはいえ、見返りに支払う労力を思うと、やはりおいそれとできるもんじゃないなコレ……。

「な? だから言っただろ、お前は負けないって」

「結果論でしょそれ。あ~今度ばかりはガチでヤバかった~っ!」

 しゃがんで目線を合わせてくる詩乃に、精一杯の虚勢で答える。

「この子も強かったね。すごいね、わたしより二つも年下なのに」

 唯姉さんは魔装衣の上着を丸めて枕にし、日野を横たえていた。変身は解かれたようで、各種防具は身に付けていない。制服で戦っていたので、あたこち切れたり破れたりと散々な有様だ。こんな恰好で学校に行かせるわけにもいかないし、あとで直してやんないとな。

「うう……っ!」

 とかぼんやり考えていると、日野がうめき声を漏らし、ゆっくりと眼を開いた。

「おお、起きた起きた」

 詩乃の呑気な感想を聞き流し、あたしも腰を上げる。

「……どれくらい、こうしていましたか?」

 ダルそうに呟いた日野は、ゆっくりと身体を起こし、こめかみ揉む。

「まだ一分も経ってないよ。大丈夫? 気持ち悪くない?」

 唯姉さんが心配そうに顔を寄せ、背中をさする。こういう時、年長者は絵になる。

「いえ、問題ありません。ありがとう……ございます」

 受け答えができている辺り、大丈夫ではあるんだろうけど、そんな問題ありまくりな顔で言われても説得力がない。

「自分は、負けたの……ですよね?」

 日野がすがるようにこちらを見上げる。

「ええ、そうよ。滅多にできない、貴重な経験させてもらったわ」

 その危うい表情に構わず、ただ真っ直ぐ真実を告げる。

「そう、ですか。……──っ」

 言うが早いか、日野はスカーフをスッと引き向き、上をサッと脱ぎ捨てた。

「うえ──⁉」

「お、おい……お前何やって──」

「へ? え、へ? どしたの?」

 詩乃も唯姉さんもあたし同様、突如始まったストリップにただただ狼狽える。

「さあ、一思いにお願いします」

 それはまるで、切腹するお侍のような出で立ちだった。さすがに下着は身に着けたままではあるけど、その堂々たる脱ぎっぷりに思わず唖然となる。

「……いやいやいや! 服を着なさいって! とりあえず」

 ハッと我に返り、サッと上着を脱ぎ、半裸状態の日野にかけてやる。

「自分がここに存在するのは、あなたを討伐し、家族を守るためです」

 俯いたまま、日野は淡々と語りだす。

「それが破綻してしまった今、もはや自分にはなんの価値もありません」

 こちらの反論を一切許さない雰囲気に、あたしたちも黙って続く言葉を待つ。

「ご安心を。所詮すべて忘れ、もとの生活に戻るまで。自分は本来あるべきやり方で、これからも家族を守ります。あなた方の人生とは、金輪際交わることもないでしょう」

 まるで遺言だ。討伐されれば忘れるわけだから、間違ってはいないのだけど。

「ですからどうかお聞き入れを。魔女の本懐を──」

「って言ってもね……」

 どうしよう? という顔をして、唯姉さんがあたしと詩乃を交互に覗き見る。

 日野の口上は一丁前ではあったけど、内心悔しくてたまらないはずだ。

 なんせ散々自分を扱き下ろした相手に、正面からぶつかり合って負けたのだ。自身のすべてを投げ打った結果である以上、言い訳のしようもない。

 こいつは今、あたしに対する憎しみと、己に対する無力さの板挟みにあっている。気の毒ではあるけど、これが勝負の世界だ。

「介錯してやれ。こいつは立派に戦った。敗者の意に沿うのも、勝者の役割だ」

 背後に回った詩乃が、耳元で囁く。

「うん」

 短く首肯し、あたしは日野へゆっくり歩を進める。

「日野──」

「はい」

 あたしを見上げるその顔は、迷いや恐怖はなく、粛々と運命を受け入れる、どこか悟ったような表情をしていた。


「──あんた、あたしの妹になりなさい」


「「「…………は?」」」

 案の定、あたし以外の面々は眼を点にして固まった。というか凍り付いた。

「いやナツ、お前何言って──」

「まあまあ、とりあえず最後まで聞きなさいな」

 珍しく動揺している詩乃を手で制し、続ける。

「まず一個確認ね。日野、あんたは施設の家族を守りたいんであって、あたしを討伐したいわけじゃないんでしょ?」

「……ま、まあ、あなたの討伐はあくまで手段ですので、仰る通りですが」

「だったら、あたしがあんたの家族になってやるわ。そうすりゃあんたの家族もあたしの家族よ。あたしもあたしの家族のために戦う。どう? なんか問題ある?」

「……つまり、あなたの軍門に降れと?」

「どっかの詩乃みたいな言い回しね。まあ、そんな感じ。で、どうよ?」

「お、おい待てナツ! 勝手なことするな!」

「そうだよ棗、よく考えた方がいいよ!」

 当然と言うかやっぱりというか、二人が口を挟んでくる。

「何さ二人して。こいつの腕前はとことん身に沁みてるでしょ? こっちに付けばこれ以上ない戦力強化になるし、二人にとってもおいしい話じゃないの?」

「そこは認める! だけどそいつには、ケンの息子の息がかかってる。そんな奴引き入れて、あっちが強硬手段に出ない保証があるか? お礼参りなんてまっぴらごめんだぞ」

「日野ちゃんの家族のこともあるよ。守ってくれるなんて言ってるけど、結局は人質にされてるって意味でしょ? ここで日野ちゃんを仲間にしたら、その子たちはどうなるの?」

「そ、そうです! 自分は獣王に家族を人質に取られているようなものです! 自分があなたの話に乗ったら、どんな目に会わせられるか──」

 二人の指摘は思いの外まともだったし、日野の懸念ももっともだ。

 日野は施設にいる家族を、未来の脅威から守れるようになりたくて契約している。

 裏を返してしまえば、この契約は家族を担保に入れた上で取り交わされたものであり、反故にしたとなれば、契約主である新王も黙ってはいないだろう。

「そうね。そこが一番の障害だよね」

「そうだろ? そこをなんとかしない限り──」

「だから、そこを今からなんとかする」

「な、なんとかって……どうするの? ちょっと、棗?」

 唯姉さんの当たり前な疑問には取り合わず、今度は森の方へ歩きだす。

「はあ~……すう~……コホン」

 深呼吸を数回挟み、軽く咳払いして喉を整える。


「おい‼ 獣王のクソ息子! 聞いてるか⁉ どうせ魔力かなんかで覗いてんだろ──⁉

「いいか、よく聞け! お前んとこの日野渚は、あたしがもらう! だけどこいつの家族には手を出すな! その汚い指の一本でも触れてみろ、あたしはお前をブチ殺す──!

「バカだと思うか? できないと思うか? あたしの妄言がおかしいか──?

「……あたしはやるぞ。何年かかったっていい。魔界だろうと地獄だろうと、必ずお前を見つけだす。見つけ出してブチ殺す──!

「お前だけじゃない。魔王も、魔人も、獣王も、魔獣も、魔法少女も、魔女も──!

「世界中から魔の付くものを一人一匹残さず、ぶっ潰す──!

「それが嫌ならあたしに従え! そうすれば、お前たちのくだらない親子喧嘩に、もう少しだけ付き合ってやる──

「勘違いするなよ? 質に入れられてんのは、お前の方だってこと──!

「もし下っ端が隠れてるなら、今日は見逃してやる。だから今の一字一句違わず伝えろ! 振れ回れ! 魔女が魔界をぶっ壊すって──

「わかったかこの化物ども──‼


 一気にまくしたてた絶叫が終わると、辺りは再び静かな景色に戻る。

「はあ……はあ……ゴホッ! ゲホッ!」

 喉が切れたんじゃないかってくらいの鋭い痛みを、首を揉んで誤魔化す。こんな大声出したの、生まれて初めてかもしれない。

「はあ……これで、どうよ?」

 痛みもそこそこ引いてきたところで、もの申してくるであろう三人に向き直る。

「いやいやいや! スカッとはしたけどよ! そんなこけおどし通用するわけないだろ⁉」

 いくらなんでも無理だろと、詩乃は呆れている。

「もし、ケンの息子にやり返すだけの力があったら、日野をチマチマ送り込んだりしないし、ケンの居場所が割れた時点で乗り込んで来るはずでしょ? そうしてこないってことは、そういうことでしょ?」

「でももし、それでも向こうが仕掛けてきたら?」

 唯姉さんが恐る恐る疑問をぶつける。

「その時は妖怪大戦争ね」

「──ふ」

 と、黙して座っている日野の気配が変わった。

「ふざけるな! そんな不確定なことのために、あなたは自分の家族を引き合いに出したのか⁉ あの子たちにもしものことがあったら、今度こそあなたを刺してやる!」

 日野が表情を険しく詰め寄ってくる。すばやい動作であたしの胸倉を掴み上げ、つま先立ちになる。

「あ~も~うっさいな~。わかってるっての。だからこれから仕上げをすんじゃないのさ」

 激昂している日野を強めに振り解き、突き飛ばしながら言ってやる。

「仕上げ? これ以上何を──」

「おいケン! 仁! いるんでしょ⁉ もういいから出てきなさい!」

《はい棗。ここに》

「お疲れ様~」

「うお⁉ なんだそっちかよ」

 一人と一匹は、あたしの眺めていた反対側の茂みから出てきた。当てずっぽうに呼んだので無理もないが、そこは気を使ってほしかった。

「あんたたち、話は聞いてたわね? こいつの実家に見張り付けられない? いくら逃亡中っていっても、動かせる魔獣が少しはいるでしょ?」

《その程度でしたら十分可能です。潜伏している直参衆に手配させましょう》

「だったら動物に擬態させるのはどう? その方が溶け込めると思うんだ」

《妙案です、主。捨て犬を装い内部に常駐させ、鼠は屋根裏、猪は山間部、鳶には空を警戒させるというのはいかがでしょう?》

「なるほど、獣臭くはなりそうね」

《命が守られるのなら安い投資でしょう。では、そのように計らいますので》

「非常転移の回路は僕がつなぐよ! 何かあればどこにいても一分以内に駆け付けられるよ。魔獣の護衛も含めれば、そんじょそこらの要塞よりずっと安全だね」

 さあ褒めろと言わんばかりに仁がふんぞり返る。一見すると子供が背伸びをしているようで微笑ましいのだが、これが自身の歳さえ忘れた魔界の王だと思うと、また別の趣がある。

「よし、じゃあお願いね。……それと、あのさ」

《なんです?》

「その……悪かったわね。あんたたちのこと、化物なんて言って」

《…………》

 気まずそうに言うと、ケンは眼を点にして押し黙る。

《改まって何を言うかと思えば。気にしていませんよ。むしろ見事な啖呵でした。遅まきながら私も腹を決めました。こうなればあなたに地獄の底までお共しましょう》

「そこは落ちる前に助けなさいよ。こっちも建前で言ってんだから」

《それに──》

「……何?」

《化物に化物と呼ばれたところで腹の立つ者などいませんよ》

「やかましいわ!」

 なまじ自覚している分、思いっきり否定できないのがもどかしい。

「……ふう。そういうわけで、諸々丸く収まりそうなんだけど、文句ある?」

 すっかり置いてけぼりをくらっている三人に、事後報告上等で尋ねる。

「お前にしては頭が回るじゃねーか……」

 詩乃は嘆息しつつ頭を抱えている。その面倒でたまらない気持ち、いつもはあたしが味わっていると思えば、実にいい気味だ。

「ああ、クソ! どうせ私が反対したところで聞きゃしないんだろ? なら勝手にしろ」

「わたしも賛成だよ。棗の家族ならわたしの家族だし」

 そっぽを向いていじける詩乃に続き、唯姉さんも賛同してくれた。

「んじゃ、あとはあんた次第ね?」

 いささか強引ではあるが話もまとまり、最後の総仕上げとばかりに、あたしたちの視線が残る一人に注がれる。

「いいの、ですか? 自分がそちらの陣営に与しても?」

 地面を見つめたまま、日野はポツリと呟く。

「はあ? あんた話聞いてた? ここまでお膳立てしてんだからいいに決まってるでしょ。 で、どうすんの? 来るの、来ないの?」

「い、いえ違います! そういう意味ではなく!」

 突き放し気味に語尾を荒くすると、今度は焦ったように顔を上げる。わかりやすい奴だ。

「自分は、我を通し損ねた負け犬です。そんな自分があなた方の末席に加わったところで、お役に立てるかどうか」

「役に立つ立たないの問題じゃないよ」

 すっかりマイナス方面へズブズブ沈んでいる日野に、仁が傍らに立つ。

「ああ、自己紹介がまだだったね。僕が魔王だよ!」

《私が獣王です》

 これで何度目か、魔の付く王たちの簡潔すぎる自己紹介を、もはや茶々を入れるのさえ億劫になり受け流す。

「……え? 獣王? あなたが……ですか?」

《はい、そうですとも》

「いや、でも……しかし、犬……ですよね?」

《はい、犬です》

 日野は日野で、わりとどうでもいい部分に食い付く。あたしも人のことは言えないが、こいつの着眼点もどこかおかしい。

《主の仰る通りです。守るべきものがある者は強い。あなたは今、証明してみせたではありませんか。その想いがなければ、棗もあなたを引き入れようとは思わなかったはず。誰かの心を動かせる時点で、あなたは十分強い。技能や腕前など後ろからいくらでもついてきますとも》

「うむ」

 考えを代弁されるのは癪だが、間違ってはいないし照れくさい内容なので、ここは大人しく乗っかっておく。

《あと、負け犬という言葉は不愉快なので、今後は使用を控えていただけると助かります》

「それここで言わなくてもよくない?」

《いいえ棗。最重要事項です》

 そう言い切られては返す言葉がない。このお犬様にとっては譲れないものなのだろうと、自身を納得させる。実際犬だしな。

「自分はこれからも、家族を守れるのですか?」

「あたしがダメって言ったら、あんたは諦めるの?」

「……いいえ。今度こそ、なんとしても守り抜きます!」

 日野の瞳に、身体に、気配に、みるみる血が通っていくのが伝わる。

「そうこなくっちゃね!」

 地面にへたり込んでいる日野に手を差し出す。自ら定めた決意を貫く気持ちがなければ、通せる我も通せない。これでこいつは大丈夫だ。

「はい!」

 パシッとこちらの手を掴み、日野は勢いよく立ち上がった。その眼は闘志に満ち、さっきまでの淀みは一片も残っていない。

「あたしも、あんたの大切なもの一緒に背負う。だからあんたも、あたしたちの大切なものを背負いなさい。これがあたしたちのやり方だ」

「よろしくお願いします」

 憑きものが取れたようにすっきりした面持ちの日野は、これまでを払拭するかのように気持ちよく一礼した。

「……まあ、漕ぎ手が多いに越したことはないしな。それに、頭で考える奴は大歓迎だ。うちは脳みそまで筋肉なのばっかりだからな」

「よろしくね日野さん。一緒にがんばろうね」

 いつの間にか隣に来ていた詩乃と唯姉さんが、新しく加わった仲間を迎える。

「──うっ! うう──っ」

 張り詰めていたものが軽くなったからなのか、日野が堰を切ったように嗚咽を漏らす。

「ありがとう、ございます──」

 ポタポタと、日野から溢れた水滴が岩盤を濡らす。

「コラコラ、泣かないの。嬉しいなら笑いなさい」

 とか言って頭を撫でる唯姉さんも、日野につられて涙を溜めている。

「…………」

 少し離れたところから、その光景をなんとなく眺める。年寄臭いかもだけど、仲間ってこうやってできていくもんなんだなと、しみじみ感じる。

「相変らず甘いな」

「だから知ってるっての」

 そんな柄にもない感傷に浸っていると、歩み寄ってきた詩乃がすれ違い様に囁く。こっちもこっちで毎度な反応ではあるけど、だからこそ安心する。

《一件落着といったところですね。では、帰りましょうか》

「そうね。最近戦ってばっかで疲れまくりのなんのって。しばらくはのんびりしたい」

「ねえねえ! だったら歓迎会しない? 二人の仲間入りを祝って!」

 帰って風呂入って寝ようとか考えていると、仁がとんでもない提案をしてきやがった。

「え? 今から⁉」

「賛成賛成~! わたし棗の特製炒飯食べたい~っ! あと餃子も~っ!」

「私もいいぞ。そんな遅くならなければな。日野、お前はどうだ?」

「はい。是非ご一緒させて下さい」

《さすがです、主。交友を温めるなら早い方がいいですからね》

「えへへ~ありがとケン」

 なんと言って断ろうかと思考を始めたそばから話がまとまっていく。それはすさまじい速度で流れていき、既視感など感じる暇さえ与えない。

「と、いうわけだ。料理よろしくな、ナツ」

 ポンと肩に肘を掛けてくる詩乃の顔には『他人事』という文字がはっきり書いてあった。

「大丈夫よ棗。わたしたちも手伝うから。みんなで作りましょう」

「あんたそう言って皿出ししかしたことねーだろ⁉ 買出しも下ごしらえも鍋振るのも餡包むのも全部あたしなんだよ!」

 気がつけばすっかり日も落ちた砕石現場に、貧乏くじを引かされたあたしの叫びが虚しく響き渡った。

……なんか最近、やたらとこの流れが多い気がするんだけど、あたしが叫ばないと場が締まらない呪いでもかかってんのか?

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