第三章
ガラガラガラッ! ピシャンッ!
「唯姉さん! 聞かせてもらうわよ昨日のこと!」
自分の教室にも寄らず、真っ先に唯姉さんのクラスになだれ込み、問いただす。
「あら、棗。詩乃ちゃんもおはよう」
「おはようございます、会長」
「あら、じゃなくてさ! そもそもなんで昨日さっさと帰っちゃったのさ⁉」
呑気に応対する唯姉さんを相手取り、机に身を乗り出して詰め寄る。
「ナツ、声を抑えろって──」
「だってお店の手伝いしなきゃだし、二人と話してたら遅くなっちゃうから、詳しいことは明日でいいかなって」
「その明日なんですよ今日は! こっちは聞きたいこといっぱいあんだから!」
「だからな、ナツ、あんまりうるさいと迷惑だから──」
「あのねー棗」
「何⁉」
「ここ三年生の教室なの。もう少し静かにできない?」
「え……あ、ご、ごめん。うぅ……っ!」
我に返って見回すと、先輩方の怪訝そうな視線が全方位から向けられていた。
「おはようございます。すいません、すいません、お騒がせしてます」
耳元で頻りに囁いていた詩乃が、気まずそうに先輩たちにペコペコして回る。
借りてきた猫とはとのことか、帰宅部で他の学年との接点が少ない詩乃にとって、ここは異空間と言っても過言ではない魔窟なのだろう。
「あーいいよいいよ、気にしないで」「また中田がやらかしたのか?」「君、最近唯音の手伝いしてる子だよね? がんばってるねー」
焦るあたしたちに対して、先輩たちも心得たもので軽く流してくれる。みんな『また中田なんか騒いでる』程度の反応で、ピリピリとした雰囲気はなく、ホっと胸をなで下ろす。
「う、うるさくしたのは、ごめんなさい。でもさ、唯姉さん──」
「棗、それここじゃ話せないし、すぐに終わる話でもないでしょ? ちゃんと全部説明するから、放課後まで大人しく待ってなさい」
「ほ、放課後⁉ あの、せめて昼休みとか──」
「ダーメ。お昼は生徒会の仕事があるの。わがまま言わないの」
「……え? あたしが悪いの?」
「そりゃそうだよ。ほらほら! チャイム鳴るから、二人とも早く教室に帰りなさいね。わたしは逃げも隠れもしないから」
「ちょっ、姉さん待──」
唯姉さんはパンパン手を叩きながら立ち上がり、背中を押され追い出されてしまった。
ガラガラガラッ! ピシャン!
これ以上話す必要はないとばかりに、勢いよくドアが閉じられる。
「んだよもう!」
「当然の対応だな。てか、騒ぎすぎなんだよお前。こういうのは静かにやってくれ本当に」
「痛い、痛いってば!」
未だ収まりがつかないご立腹の詩乃は、憂さを晴らすようにあたしの脇を小突いてくる。
「そっちこそ、いつもエラそうにしてるクセに先輩たちの前じゃ大人しいじゃないのさ?」
「私は社会的にも死にたくないんだよ! 魔の付くあれは、非日常だからこそできるのであって、普段からあんなだったらとっくに吊し上げられて生きていけないぞ?」
「んな大げさな」
「普通はみんなそうなんだよ。お前はもっと周りに恵まれてることを自覚しろ」
割とマジな権幕で迫ってくる詩乃。あたしを取り巻く環境については、あたし自身も自覚はしてるんだけど、詩乃視点からするとまだ足りないらしい。
「とりあえず放課後まで待つしかないか。はあ、朝っぱらから疲れちゃったよ……」
「お前のせいだろうがお前の!」
後ろからネチネチ言ってくる相棒を受け流し、すでに重くなったような気がする身体を引きずり、あたしたちは自分の教室に向かうのだった。
「……ふう、長かったな」
「……はあ、だね」
詩乃と一緒に生徒会室の前に立つ。悶々とした授業を潜り抜け、待ちに待った放課後だ。
これがドラマや映画なら、『そしてその日の放課後』なんて台詞一つでサクっと場面が切り替わったりするんだろうけど、現実はそんな簡単にはいかない。
おかげで授業の内容なんてほとんど入ってこなかった。期末テストも近いってのに、どうしてくれようこの体たらく。
「失礼しまっす~」
ガラガラ……。
「お~来た来た! 棗に詩乃ちゃん、待ってたよ~」
「遅いよ~二人とも!」
《煽っておいて遅れるとは、いいご身分ですね》
「「──ってお前らもいんのかよ⁉」」
扉を開けると、中ではすでに魔の付く皆さんが揃い踏みだった。
唯姉さんは並べられた長机の一番奥にある生徒会長の椅子に鎮座し、ケンと仁は親方様を補佐する直参のごとく、左右の椅子に陣取っていた。
なかなかに格好いい布陣ではあるんだけど、左側の中身はともかくどう見たって小学生なので、何をどうしたところで迫力に欠ける。右側は言うまでもない。
「座って座って。さっきはごめんなさいね。ここなら誰にも聞かれないから、洗いざらいブチまけてあげるわ! さあさあ、なんでも聞いて!」
「う、うん」
「そのつもりです、会長」
張り切り具合が妙な方向に向かおうとしている唯姉さんに辟易しつつ、あたしと詩乃も手近な席を選んで着席する。
「会長、事情を説明してくれるのはいいんですけど、ここだと誰か入ってくるんじゃ?」
「大丈夫! わたしが任命した役員は優秀だから!」
「は、はあ……」
もっともな詩乃の疑問に、答えになっていない答えをブン投げてくる生徒会長。
「おい、ナツ」
「ん?」
当然のごとく納得していない詩乃が、あたしに尋ねてくる。
「いつも思うんだが、会長以外の役員って本当にいるのか? 見たことないんだが?」
「うん、あたしもない。任命はしてるから、いないってことはないはずなんだけど」
《お二人とも、私語はその辺りで。──では、始めましょうか》
ケンが口火を切り、答え合わせが始まった。
「──ってな感じて、魔女唯音さんは誕生し、あなたたちの救援に向かったってわけ」
ひとしきり話し終えると、唯姉さんは満足そうに顔を綻ばせ、すとんと着席した。
「「…………」」
向かいに座っている詩乃に恐る恐る眼を向けると、あっちもこっちを見ていた。視線が交わり、今感じている想いがあたしだけでないと確認する。
結論から言うと、さっぱりわからんかった。
伝えたいという姿勢は伝わってくるんだけども、いかんせん『シュピーン!』とか『ジャラジャラジャラ!』など用途不明の擬音ばかりで、『あれはいったいなんの音?』と考えているうちに終わってしまった。
生徒会長として、学校行事等々で喋る機会の多い唯姉さんではあるけど、これは想定外だった。あれってやっぱ他の役員さんが書いてくれた台本だったのか。
「……唯姉さんゴメン、いったんこっちで噛み砕くから、もう一回答えてくれる?」
「やっぱり音ばっかりじゃわからないよね? わたしも初めてのことばっかりだったから、どう表現したらいいのかわからなくって」
「うん、話が早くて助かるっす」
こちらの指摘に、唯姉さんはしょんぼり。さすがに当人も今のは無理かせある説明だったと自覚してくれているようだ。
「えっとまずは……一昨日、裏手の川で駄弁ってたあとで、こいつらに勧誘されたってことでいいんだよね?」
「そうだよ。わたしに黙ってこんなおもしろいことやってさ。早く教えてくれればいいのに」
「おもしろくなんかあるか死にかけてるわ結構な確率で! 怪我だってするしさ! 治るけど! あとで!」
「……あのよ、喋るんなら言葉を整理してからにしてくれるか?」
ガチャガチャの文脈に対し、対面から文学少女の鋭いツッコみが突き刺さる。
「それに唯姉さんは覚えてないかもだけど、あたしと詩乃はね──」
「うん、ケンちゃんたちから聞いたよ。二人が魔法少女に騙されて戦ったってやつでしょ。……その時のことは覚えてないけど、二人ともありがとうね」
「うん、どういたしまして。あの時は無事で本当によかったよ」
「礼には及びません。当然の役目です」
唯姉さんは急に改まってお礼を言ってくる。いきなり素に戻られると、あまりの落差にどうにもやりずらい。
「てか、こいつが喋った時、驚かなかった? あたしはそりゃあビックリしたけど」
《そうでしたか? 棗も大概落ち着いていましたけどね》
この犬はこの犬で、必死の話題修正に水を差してくる。意外と敵ばっかりだなここ。
「もちろんビックリしたよ。ただ、驚いたっていうより納得したってのが先だったかな~」
「納得?」
「うん、納得。近頃おかしいなって思ってたの。仁君は小さい頃から知ってるはずなのに、一緒に遊んだ記憶とかあやふやだし、ご両親の顔とかちっとも思い出せなかったし」
肝心なところでポカをやらかすケンと仁だが、宮境町全域に施した記憶操作はここでの生活に直結する重要な術式であり、いくらなんでも手を抜いたりはしないだろう。
例外的に影響を受けないあたしから見ても、町に張り巡らされた術式の効果は完璧だ。それを違和感程度とはいえ自力で知覚できるのは、当人の魔力適性が常人と比べ、相当高いことを意味している。
《おそらく、棗と詩乃の戦いに巻き込まれた際に、魔の付く事柄に耐性ができてしまったのでしょう。唯音は魔力適性も高いですし、有り得ない話ではありません》
「そう考えるのが妥当かな」
ケンの仮説に、仁が同意する。こいつらが太鼓判を押す辺り、唯姉さんの魔力適性は正真正銘本物のようだ。
「にしても、さすがケンの選んだ契約候補者だね。眼の付けどころが違うよ」
《お褒めに預かり光栄の極みです。主》
「おいちょっと待て!」
今スゲー重要なことがサラっとでてきたぞ!
「契約候補者? なんだそれどういうこと⁉」
《そのままの意味です。あなたとは別の、契約できる可能性のある人間のことです》
「はあ⁉ あたしの予備がいたっての⁉」
《予備ではなく相棒です。棗、考えてみてください。私と契約する者とはつまり、魔界の未来を託す者のことです。そんな大役、あなた一人に背負えるはずがないでしょう?》
「うぐ……っ! あ、あたしはそのつもりだった!」
《意地を張らなくてもよろしいですよ。事実、あなたは詩乃の参加により、ずいぶんと表情に余裕が見えるようになりました》
「そうかもだけど、いやでもさ──」
《いいですか棗。どんな存在であれ、一個体が単独で戦い続けるには限界があります。どこかで必ず、精神面にせよ技術面にせよ、それらを分かち合い共有する仲間が必要になります》
身も蓋もない事実を突き付けてくる犬っころ。ほとんどが図星のせいで、絞りだそうとした反論がことごとく潰される。
《幸い詩乃の助力により、当面の不安は払拭されましたが、いつ新たな脅威が現れるとも限りません。なので内々に唯音を勧誘し、準備を進めていました》
「そんで満を持して昨日の魔女推参ってわけか?」
詩乃がドスの効いた低い声で問う。一見冷静ではいるみたいけど、内側がピリピリしているのが伝わってくる。
《左様。実のところはもう数日ばかり訓練期間を設けたかったのですが、お二人の危機に急遽予定を繰り上げ、唯音の投入に踏み切りました。結果は、昨夜ご覧になった通りです》
一通り話し終えケンが口を閉じると、それぞれが情報を整理するように沈黙が訪れる。
「棗、詩乃ちゃんも、黙ってて本当にゴメンなさい」
あたしの隣まで歩み寄ってきた唯姉さんは、そう言って深々と頭を下げた。
「だけどね、棗には心配かけたくなくてどうし──」
「そりゃするよ心配! 人の気も知らないで勝手なことすんなよ! ……いや、姉さんが決めたことなら、とは思うんだけど。でもさ、だってあの時、あたしがどんだけ怖かったか──」
「ナツ、とりあえず落ち着け。会長だってな、お前の力になりたくて決断してくれたんだ。怖いのもみんな一緒だし、喚き散らす暇があったらちゃんと向き合え」
溢れ出す水に関を降ろすように、詩乃があたしの言葉を阻む。
「ありがとう詩乃ちゃん。でも、大丈夫。棗もちゃんとわかってるから」
「だとしても直接伝えるべきです! こいつに関してはとくに。幼馴染だということを差し引いても、会長はナツに甘すぎます」
あたしを出汁に、説教のやり方で揉める親みたいな会話が眼の前で繰り広げられる。
「昨日も言ったけどなナツ、こいつらだって自分の損得勘定で動いてる以上、お前の心境とやらをいちいち慮ってる余裕なんてないんだよ」
「……あんたってこういう時、いつも冷静よね」
「私だって怒ってないわけじゃないぞ? 落ち着いて話せと言ってるんだ。喚き散らすだけなら畜生にだってできる」
「悪かったわね畜生で」
あたしと違い、詩乃は魔界側の事情に同情的なところがある。
感情を優先しがちなあたしより、事務的な詩乃の考え方の方が、合理性を尊ぶ魔獣の思考には合っているのかもしれない。
頭では理解している。あたしだって。
あっちにはあっちの都合があって、あたしはそれに乗っかっているに過ぎない。
だけどだからって、なんでもかんでも秘密にされるのは我慢ならないし、違うと思う。例えそこに戦略的な意味合いがあったとしてもだ。
どうしたって考えてしまう。『あたしはあいつらに信用されてないんじゃないか?』と。
昨日、仁はキッパリ否定したけど、こういうことが続く限り、あたしのモヤモヤは決して晴れることはない。
「こいつらだって命賭けだ。札を預けるのがお前だけじゃ心許ないって考えるのは当然の帰結だ。お前たちも欲を言えば、あと一人は欲しいくらいじゃないのか? 私と会長の他に」
最後の台詞は仁に向けられたもので、指摘された本人は眼をパチクリしていた。
「さすがだね詩乃。たくさんいいわけを考えてたけど、全部無駄になっちゃったよ」
「ざまあないな。もう一度言うが、私だって腹は立ってるんだからな?」
鋭利な視線で仁を捉え、詩乃は再び念を押した。
「……はあ」
一方あたしは、これでもかといわんばかりにボロクソに叩かれ、ようやく頭が冷えてきた。
「変な雰囲気にして、ゴメン。でも、そう思ってるのはホントだから」
糸が切れたように脱力して、そのまま腰を降ろす。
「つか、お前って意外と独占欲強いよな? 最近見てて思うけど」
「そうね、あたしも驚きだよまったく……」
茶化すような詩乃の冗談を、なんの捻りもなく返す。
《棗、先にあなたと契約したのは、屋代晃子に追われているところを救ってくれたのが、あなただったからです。そしてそのおかげで、私はこうして生きています。感謝の気持ちは、今もここにあります》
「…………」
ケンは前足を器用に動かし、胸の辺りを差す。こいつがそういう類の嘘はつかないのはわかってるけど、心境とはまた別の問題だ。
「ナツ、ヘコんでところアレだが話を戻すぞ? 急ぐ必要もないが、お前が立ち直るのを待ってやるほどのんびりもしてられないだろうからな」
「わかってるわよ。話は聞いてるから、さっさと進めちゃって」
顔を上げるのさえ億劫になり、ただ手をヒラヒラさせて合意を示す。
「そうさせてもらう。──では会長、あなたの魔兵装について教えてもらえますか?」
清々しいほどの切り替えの速さで、詩乃が話題を変える。
「うん、いいよ。──来て、『有刺鉄閃』」
キュィィィィンッ!
「うっ!」
「うわ! え、ちょっ──ぐおう⁉」
唯姉さんが魔兵装の銘を呟くと、不快な高音とともに室内が閃光に包まれた。うっかり顔を上げてしまったせいで眼が焼かれ、視界が妨げられる。
「ぬお~っ! なんだよいきなり」
そこから悶えること一分少々。ようやくチカチカが収まってくると、眼に映った唯姉さんの手には、昨日の刺客を切り刻んだ闘剣が収まっていた。
「え? だって制服のまま──」
「魔兵装を変身しなくても出せるんですか⁉」
《え? 鍛錬すればあなた方もできますよ?》
「「じゃあなんで教えないんだよ気が利かない奴だな!」」
聞かれたことにしか答えない駄犬に対し、一字一句違わずに文句をかますあたしたち。
「……つかお前、ヒカリ刺した時私服で出してたよな? 『快刀乱魔』」
「……あそういえば」
詩乃に指摘され、障壁越しにヒカリを討伐したことを思い出す。言われるまですっかり忘れていた。あの時は咄嗟ということもあり、なんの意識もしていなかった。
「そういえばって……感覚で何もかも賄いすぎだろ? 憶えとけよちゃんと!」
「そういう詩乃だって忘れてたじゃんよ! あたしばっか責めんのは違くない⁉」
「いやまあ、そうなんだが。……てかお前、調子戻るの早いな」
「お、おう。ムカついたら……なんか治りました」
さっきまで立つことすら面倒な無気力状態だったのに、ケンのすっ呆けた返しと詩乃との悶着で一気に吹き飛んでしまった。『怒り』って、どんな薬より効く時あるよな。
「この子は『有刺鉄閃』。説明って言っても、昨日全部見てもらったからわかってるよね? あんな感じでシュババ! って切り裂く魔兵装だよ」
確かに、昨日の大立ち回り見てしまえば、わざわざ言葉で表現せずともよかろうな。
「後半で闘剣の破片、ですか? あれを操る能力はどういったものなんですか?」
「それは僕から説明するよ!」
ようやく出番だとばかり、仁が勢いよく立ち上がる。
「唯姉ちゃんが刀片を自在に操っていた力、あれは『同盟』と言って、魔兵装に組み込まれたものは同盟機工って呼ばれてるんだ。速い話が自身由来の魔力が流れているものならなんでも自由自在に動かせる力だよ」
「なんかめっちゃ便利そう」
「それだけ聞く分にはな。で、どんな代償がいる? それとも適正が厳しいのか? 私たちに知らされてなかったってことは、私とナツには適性がないのか?」
好奇心が刺激されているのか、詩乃が食い気味に質問していく。
「もちろん個人差はあるよ。稼働できる数量・時間。制御できる軌道・範囲。他にもたくさんの要素があるけど、結局はその人の才能次第だよ」
「ほーん」
「で、その才能とやらが、会長にはどれくらいあるんだ?」
「最高」
「……ん? さ、最高って何がだ?」
あまりに完結な仁の返答に、思わず訪ね返してしまう詩乃。
「最高は最高だよ。唯姉ちゃんは同盟機工に関して、ほぼ最高の適正と才能があるよ」
「ホントに? わたしって才能あるの? 天才、天才なの⁉」
のっけから褒め殺しにされ、唯姉さんが身を乗り出してはしゃぎだす。
《増長されても困りますが、断言して差し支えありません。同盟機工は魔力と違い、訓練すれば鍛えられるものではなく、十割が適正に依存します。そしてあなたは、その値が異常なまでに高い。これだけの才覚を持つ者は、魔界でも片手の指で足りる程度です》
「さ、才能が十割──」
無慈悲な世界すぎて言葉に詰まる。
それはつまるところ、できる奴は最初からできて、できない奴は何をやっても無駄ということだ。努力すれば必ず報われるなんてお行儀のいいことは言わないけど、そこまで極端では絶望するのもアホらしい。つか、指の数なんて種族間でいくらでも違うだろうに、そんな例え方して大丈夫なのか?
「勘違いしないでほしいのは、鍛錬は必須だからね? 才能ってのはあくまで同盟機工を『使える』って意味で『使いこなせる』って意味じゃないから」
持ち上げられまくって調子に乗りそうな唯姉さんに、仁が念入りに釘を刺す。
「もちろんわかってるよ! 要は練習あるのみってことだよね?」
こっちもこっちで、両腕を掲げ、力こぶを作ろうとしている。もちろんこの人にそんな筋肉はない。あっても恐いけどさ。
「まったくとんでもない大型新人だな。これで私はお払い箱か?」
呆れたような表情を浮かべ、詩乃が頬杖を突いてやさぐれている。まあ確かに、いきなり魔力・技術ともに最高水準の人材が加入とあれば、嫉妬を通り越して堕落してしまいそうになるってもんだわな。
《また心にもないことを。あなたにはあなたしか成しえない役割があるのでは?》
「例えばなんだ?」
《それを誰かに聞いてしまってはお終いですね。それは自らで見つけるものです。もっとも、あなたはすでに持っているようですが》
「……ああ、そうだな。私は仲間一人増えたくらいでいらなくなるような雑魚のつもりはないし、どけと言われてどいてやるつもりもない」
よくわからないうちに腹の探り合いが始まった。詩乃にとっての『それ』が何を示しているかわかっているあたしとしては気が気じゃない。にしたって意地の悪い聞き方だなあの犬。
「何より──」
《何よりあなたは、兄上を救うという明確な目的がある。そのような志を持つ方が、今更私たちに不要と言われたところで受け入れたりなどしないでしょう?》
「……ちょっと言ってみただけだ。いちいち突っかかってくるな」
ふて腐れるように呟き、詩乃はスネたように顔を背ける。わずかに見える耳は赤みを帯びている。やはり詩乃にとって、お兄さんの話題は不愛想の牙城を崩す必須語録のようだ。
「おー、相変らずかわ──ンゴ⁉」
なんかの本ががあたし目がけて飛んできた。
「うっさい黙れぶっ飛ばすぞ!」
「久しぶりだなおい! つか、痛いんですけど!」
痛むおでこを擦りながら犯人に抗議。この時あたしは、怒りより懐かしさが先にくるという不思議な現象に、ひたすら困惑していた。
「でさ、唯姉さん。姉さんが契約したのってやっぱり──」
感情起伏の激しい情報交換も一段落し、場の雰囲気もまったりしてきた頃、あたしは小さく気合を入れて切り出した。
「うん、主人公になりたかったからだよ」
「……わかってたけどさ」
照れるでも誤魔化すでもなく、唯姉さんはあっけらかんと答える。
唯姉さんが主人公──あたしは人の輪の中心でありたいと解釈している──に憧れていたのは、昔から知っていた。その願望が年甲斐もなく、日に日に強まっていくのも感じていた。
だから魔女になった唯姉さんを見た時、驚きもしたが納得もしていた。もし、ケンがあたしに話したものと同じ話をしたら、この人は間違えなく食いついてしまうだろうと。
ただ、駆けつけてくれた当の本人は主人公というよりただの戦闘狂で、何もかも根こそぎ掻っ攫っていっただけのような気がしないでもないのですが。
「でもそれだけじゃないんでしょ? 決め手は何さ?」
「そんなの、棗がいるからに決まってるじゃない」
「…………う、うん」
臆面もなくまっすぐに気持ちを伝えられ、たじろぐ。
さっきも詩乃がチラッと触れたけど、本人から面と向かって言われるのは、何を置いても気不味いったらない。向こうが真剣であればなおさら。
「気持はありがたいし、心強いよ。でも昨日はたまたまうまくいったってだけで、毎度あんな風にはいかないよ? あたしたちが討伐されたらどうなるか聞いてるでしょ?」
「聞いたよ。全部忘れちゃうんだってね。もちろん怖いよ」
「だったらなん──」
「でもね、棗」
こちらが問い返す前に、唯姉さんの言葉が上書きする。
「あなた力になれるなら、あなたが憶えていてくれるなら、わたしはそれでもかまわない。そう思えてしまえるくらい、あなたはわたしにとって大切な人なんだよ」
「あ……りがとう」
紡がれた答えは、愛の告白と言っても遜色ないものではあったけど、それを誤魔化したり、ましてや茶化したりする気には到底なれなかった。
唯姉さんの眼はあたしを捉えて離さず、こちらが視線を逸らすことさえ許さないという、一種の圧力がビリビリ伝わってくる。
「だからわたしはこの話に乗ったの。他の誰でもない、わたしとあなたのために」
傾き始めた夕日を背中に受け、唯姉さんは語る。
「でもそれは、自己満足だと、思う」
途切れ途切れのわずかな反撃を、どうにか絞り出す。
唯姉さんはそれでいいかもしれない。志半ばで倒れたとしても、自身の望みを全うできたんだから。
なら、残されたあたしはどうなる?
思い出は蓄積していく。今日・明日、一週間・一か月・半年・一年と、小さな日常が積もり積もってかけがえのない記憶に変わっていく。
ケンと契約して三ヶ月余り。この短いとも長いとも言えない間に、あたしは普通に生きていたらまずお眼にかかれないような経験を山ほどして、同じ数だけ想い出を得た。
当然いいことばかりではない。むしろ辛いこと、悔しいことの方が圧倒的に多かった。傍から見ればこんな思い、望んでする奴の方がバカげていると、自分でも思う。
だけどそんな掃いて捨てるような経験でさえ、もはや四ヶ郷棗という人間の一部になってしまっている。それなしでは成立し得ないくらい、あたしの内側を占めてしまっている。
そしてあたしには、そんな宝物が一瞬にして失われてしまう可能性を常に内包している。あたしの心臓に、魔法少女の魔兵装が突き刺されば、すべてが終わってしまう。
想い出が増えれば増えるほど、失ってしまった時の恐怖が降り積もってゆく。
討伐されてしまえば同時に記憶を失うわけだから、悩んでいるということ自体、最後には忘れてしまう。栓のない話ではあるけど、そう考えずにはいられない。
戦うのがあたしだけだった頃は、こんなことは微塵も考えなかった。死力を尽くして戦った果ての結果であれば、悔しくはあるけど踏ん切りは付くと。
詩乃が加わってくれた頃は、深く考えないようにしていた。討伐はできなくても、うまく立ち回れさえすれば、むしろ有利になる部分の方が多いと。
唯姉さんを迎えた今、不安が鎌首をもたげるようになった。当人の適正に加え、あたしの経験が生きている以上、易々とやられはしないだろうけど、万が一と。
我ながら身勝手な話だ。あたしは同じ悩みを抱えていたであろう魔法少女たちを、数えるのも億劫になってしまうほど狩ってきたというのに。
契約をしてしまったからには、唯姉さんもこの罪を背負い、あたしと同様に討伐される可能性を負うことになる。
そうなってしまった場合、すべてを忘れてしまった唯姉さんを前に、あたしはこの先も戦い続けなければならなくなる。逆も然り、あたしは唯姉さんにその道を強いてしまう。
そんな地獄は絶対に嫌だ。わがままだってわかっているし、自分勝手だと理解している。それでも、だとしても、嫌なものは嫌だ。
「ゴメンね棗。いつも振り回して」
珍しく申し訳なさそうにしている唯姉さんが、おもむろに窓を開けた。フワッとしたやさしい風が、生徒会室に吹き抜ける。
「謝るくらいならって話だよ……せめて一言──」
ふと唯姉さんに顔を向けると、そよ風になびく髪の隙間に、見慣れないものを発見した。
「──……」
ゆっくりと席を立ち、窓に体を預ける当人へ近づいていく。
「ん、棗? どうかし──ひゃっ!」
本人の許可も得ないまま首筋に手を入れて、かかった髪の毛をすくい上げる。
「……⁉」
喉元からうなじにかけて、ポツポツとホクロのような痕がついていた。そこまで時間が経っていないのか、表面はかさぶたになっていた。
「唯姉さん、この首の痕」
それがどういう経緯でついたものか、すぐに思い当たった。
「うん。この方が強くなれるってケンちゃん言ってたから」
どこか気まずそうに視線を逸らし、唯姉さんが手串で髪を梳く。
予想は的中した。あたしが契約した時、どうしても無理だと言って断った契約方法、体内に直接獣王の血を流し込んだ痕だった。
「ケン、あんた──」
「待って棗! ケンちゃんを怒らないで! 契約する時、方法は二種類あるって説明してくれた上で、わたしがこっちを選んだの。ケンちゃんは悪くないの」
怒りが一瞬で限界突破し、ケンをどうにかしてやろうと手を伸ばしたが、寸でのところで唯姉さんが割り込んだ。
「わたしね、あなたに憧れてたの。あなたがいろんな人の人生に関わって、その人だけじゃなくあなたも成長していくのが、羨ましかった。ああ、あの子は主人公なんだなって」
「……大げさに言い過ぎだよ。あたしが自由に動き回れるのは、全部姉さんが出しゃばってくれたからじゃない? 憧れるっていったら、あたしだってそうだよ!」
正直な気持ちだった。今のあたしがあるのは、間違いなくこの人のおかげだ。
「そうね。わたしはあなたが活躍する場所を作ってあげることしかできなかった。それが誇らしかったけど、寂しくもあったの。ああ、この子と同じ舞台には立てないんだなって」
でもね棗と、唯姉さんは続ける。
「わたしは今、あなたの隣に立って、あなたの人生に正面から向き合えてる。あなたと対等になれば、わたしも主人公になれる。かもしれない、なんて」
最後辺りで自信なさげになるところが、なんともこの人らしい。
「それが今は、とっても嬉しいの。だから、そんな顔しないで」
どんな不安もたちまち溶かしてしまう、魔法の微笑みがそこにあった。
「──姉さんっ!」
「ちょっ──な、棗⁉」
頭一つ分小さな唯姉さんを抱きしめる。どこか懐かしく優しい香りが、ゆっくりと鼻孔に入り込んでくる。
「ありがとう唯姉ちゃん、ありがとう、本当に」
唯姉さんに対する想いが、自然と口をついて溢れてくる。語彙の引き出しがすっからかんなのが情けないけど、これしか言い表しようがなかった。
「……なんだか思い出すね。ちっちゃな頃はよくこうやって甘えてきたよね?」
向こうも手を回してくれたのか、背中からも温もりが伝わってくる。
「昔の話でしょ」
「わたしにとっては昨日みたいなものよ」
「年寄り臭い台詞。たった一つ年上なだけじゃない。生意気だよ」
「うん、たった一つだけだよ。でも、一つは一つだから」
存在を確かめるように一層力を込める。
「……うん、ありがとう」
魔の付く存在と契約を交わす。それは本来、自身の望みだけを叶えるものだ。なのにこの人は、あろうことか他の誰か、よりによってあたしに使ってくれた。
応えなきゃいけない。この人の気持ちに。この人の想いに。
そう決断させてくれたあたし自身のためにも。この気持ちのざわめきを、なかったことになんてするもんか!
「約束する、姉さん。……姉さんは絶対、あたしが守る。絶対に忘れさせたりしないから!」
「う~ん、わたしだけ守られるは嫌かな~。わたしにも棗のこと、守らせてほしいな。……一緒に頑張りましょう」
「うん。一緒に戦おう」
「うん! よろしくね!」
決意を握りしめ、巣立つように抱擁を解く。昔と変わらない、でもどこか揺るぎない決意を宿した瞳が、あたしを見つめていた。
「ふっ……はははは‼」
《フフッ、フフッ》
「ダ、ダメだよ二人とも、笑っちゃ──あははっ!」
「な、なんだよお前ら⁉ 笑うなよ~‼」
もう限界だと言わんばかりの大爆笑に、あたしは冷水をぶっかけられたがごとく現実に引き戻された。
「ほ、ほら! 唯姉さんももいいいでしょ! さっさと離れる!」
「え? ……きゃ⁉」
急に恥ずかしくなってきて、咄嗟に唯姉さんを突き飛ばしてしまう。
互いの気持ちを打ち明けて、抱き合って見つめ合う。まるで少女マンガの切り抜きだ。しかも割と最後の最後にぶっ込んでくるやつ。
そしてそんなクサい場面をやってのけたのが、紛れもないあたし自身だという事実が、赤面という形で押し寄せてくる。顔が熱いのが自分でもわかる。今のあたしはきっと、耳や首まで真っ赤っかだろう。ヤバい、恥ずかしくて死にそう。恥ずか死にそう!
「いや~いいもん見せてもらったな~っ! 眼福眼福」
《まったくです。姉妹の絆とは美しいものです》
「二人とも通じ合ってるね~。感動しちゃったよ」
気が済んだのか、こちらの気持ちなど露知らず、二人と一匹は笑いまくり、眼に涙を滲ませて口々に感想なんざ言ってきやがる。泣きたいのはこっちだぞ!
「もうなんだよお前ら! 人ごとだと思って~!」
「そう怒鳴るなってナツ。別に照れることないだろ? まあ、見せつける必要もなかっただろうけどな。あんな小っ恥ずかしい台詞。よく真顔で言えたもんだな。くくっ」
「愛って偉大だね~」
《まったくです。容のないものとはまさにこのこと。感無量です》
魔の付く輩たちの即席品評会が止まらない。
「う、うるさい! そんなんじゃねーし! 間に受けんなし! 演技だよ演技!」
「え? そうなの、棗……?」
手遅れと思いつつも、うっかり口をついてしまった照れ隠しに、唯姉さんが目ざとく反応する。その表情は先ほどとは打って変わり、不安と悲しみが渦巻いている。
「うぐ! いや、そういう意味じゃなくて、場の空気っていうか……流れっていうか」
「わ、わたしは……すごく、嬉しかったけどな。棗は……違うの?」
「──って! あんたわかって言ってんだろ⁉ モジモジしてんじゃないよ乙女か!」
上目遣いでこちらを見てくる唯姉さんに狼狽えながらも、ほとんど勢いと声の大きさだけで乗り切ろうと試みる。
「くく──あ~腹痛い! くく──はははは‼」
「~~~~っ!」
詩乃はお腹を抱え、机をバンバン叩き、ひたすら笑い悶え苦しんでいる。
つか、こいつがこんな大声張ってバカ笑いするとこ、始めて見た気がする。それほどまでに今のやりとりは滑稽だったのかよ?
「ああ~もう! 笑いたきゃ笑いやがれ! あたしの本音だよ! 文句あっか⁉」
いろんな感情が入れ替わり立ち代わりで、気付いたら開き直っていた。もうわけわからん! どうしてこうなった?
《滅相もない。あなた方と契約できてよかった。ただひたすら、それだけです》
「私もだ。ホントいい船に乗っけてもらった! 改めて礼を言わせてくれ!」
「ぼくからもありがとうだよ! 感情がこんなに揺り動かされるなんてさ。長生きはするもんだと思ってたけど、まだまだ知らないことだらけだよ!」
笑わなくはなってきたけど、依然として奴らの興奮は収まらない。忘れろとまでは言わんけど、もう黙ってくれないかな? あとできれば放っておいてほしい。
「あのね、詩乃ちゃん。わたしも棗もああは言ったけど、詩乃ちゃんを仲間はずれにするつもりはないからね? 詩乃ちゃんも仲間だからね?」
一方の唯姉さんは、詩乃に誤解を受けないよう念を押していた。
「大丈夫ですよ、わかってますから。守るもののある人間が強いのは、身を持って実感してますし、会長のような人と戦場をご一緒できるのは、光栄の至りです」
「……ホントに大丈夫だよね? わたしも詩乃ちゃん守るからね?」
「無論です。背中を預ける以上、私も会長を守りますよ。まあ、三人でいる時は片手間でもいいんで、気にかけてやって下さい」
「意地悪だな~」
「いえいえ。優先順位を明確にしてもらえるのは、良くも悪くもありがたいですから」
「じゃあ遠慮はしないよ? そんなことにならないに越したことないけど」
「ええ、どんと来て下さい!」
握り拳を胸に当て、ふんぞり返る詩乃。
要はこれ、間接的に『お前は後回しだぞ』と言われているわけだけど、唯姉さんの嘘偽りない気持ちを聞けて満足したのか、詩乃は気分を害するどころか、むしろよくなる一方だ。
「……はあ」
和やかに話をまとめる二人を、あたしは教室の隅っこでぽへ~っと眺めていた。
「さて、頼もしい漕ぎ手も増えたし、精々沈めないように行こうじゃねーの!」
いじけているあたしの肩をバシバシ叩き、詩乃は楽しそうに発破をかけてきた。
「みんな~! 練習お疲れ様~!」
子供みたいにブンブン手を振り、唯姉さんが休憩中の野球部員たちを労う。
あたしも体操服姿でその後ろに続く。近頃は助っ人の方に身が入っていなかったので、視察がてらくっついてきたという格好だ。当然ながらケンと仁はここいられても不自然なだけなので、転移でとっとと帰らせた。
「おお、久しぶりだな四ヶ郷。最近どの部活にも顔出してないらしいじゃないか?」
「先生──じゃない、お疲れ様です、監督」
久々の野球部助っ人に、さてどうしたものかと突っ立っていると、いかにもな風体の顧問兼監督が気さくに話しかけてきてくれた。この先生は野球選手になるのが夢だったらしく、部活中は監督と呼ばないと返事をしてくれない面倒な大人だ。
「ちょいといろいろありまして。でも辞めたわけじゃないんで、ちゃんとやりますよ」
「そうか、ならいいんだ。じゃあ、休憩終わったら混ざってくれるか?」
「了解です。じゃあ、女子の方に入りますね」
短くやり取りをし、おしゃべりに花を咲かせている女子たち方へ。
今更だが宮境町は田舎であり、となれば当然人が少ない。となれば当然、子供も少ない。
なので各部活は、その少ない生徒を巡り熾烈な争奪戦を繰り広げる。実際の交渉はえらく穏やかなもんだし、掛け持ちも大丈夫だから揉め事には早々ならんけど。
とはいえ、どんだけ知恵を絞ってやりくりしようと分母が少ない事実に変わりはなく、個人競技系の部活はまだしも、団体競技系の部活はかなり難儀している。なんせ頭数が心元なければ、部内で紅白戦すらまともにできないのだから。
結果、そういった部活はどうしても男女混合にならざるを得ない。野球部も例に漏れず、今年の比率は男女が半々程度となっている。
男女は所詮、同権であっても同質ではない。
どちらが良い悪いではなく、成長や運動能力の差異はどうしても存在するし、同じ競技をしようと思えばそれが如実に表れる。
一見すると、活動方針やらなんやらで男女間の溝が深まりそうな現状なのだが、宮境高校に関しては、これが存外うまく回っている。
「不思議なもんだよな。男女混合でここまで平和な運動部ってのも」
「つかなんでついてくんの?」
しれっと隣にいる詩乃に冷たげに問いかける。さっきの件、水に流すには早すぎる。
「あのまま流れ解散ってのももったい気がしてな。このホワッホワした雰囲気をしばらく堪能したい。あとなんかおもしろそうだし」
「…………」
隠す気がないのか、本音が詰まっているのは最後の一言だけというのが丸わかりだ。
「怖い顔すんなよ。言いふらしたりしないし、端で大人しくしてる」
「あたりまえだ! 殺す気か! 社会的に!」
「な、棗先輩!」
「うっわびっくりした~⁉」
これ以上詩乃に余計な真似をさせまいと釘を刺していると、妙に意気込んだ声が突然背後から。驚きつつ振り返ると、借りてきた猫を地で行く表情を張り付けた、野球部の後輩ちゃんが立っていた。
「す、すみません! いきなり大声出しちゃって」
「ううん、大丈夫大丈夫。で、何?」
「いや、あの……ですね」
余程聞きづらいことなのか、なんとも歯切れの悪い後輩ちゃん。向こうで数人が固まってソワソワしているのを察するに、どうやらみんなの代表として送り出されているようだ。
「あの! 棗先輩が、生徒会室で中田会長に告白したって本当ですか⁉」
「…………は?」
一文字しか答えられなかった。後輩ちゃんが何を言ったのかはわかるんだけど、脳みそが全力で理解するのを拒否してくる。
「私たち、校内を走り込みしてたんですけど。突然すごい大きな笑い声が聞こえてきて」
「……おい」
「っ! …………」
横で飄々としていた犯人さんに一瞥くれてやると、奴は気不味そうに眼を泳がせ、山の稜線辺りを眺めていた。
「それであの、見たらその……二人が、抱き合ってるように、見えたん……ですけど」
「~~~~」
頭を抱えてうずくまる。
見られてた! しかも一部始終!
その事実を理解した瞬間、心臓がバクバクと早鐘を打ち、冷や汗と脂汗の混ざったよくわからない液体が穴という穴から噴き出してくる。
必死に思い返してみると、生徒会室にカーテンはしてなかったし、唯姉さんが直前に窓を開けていた。振り返れば振り返るほど、誰かに見られてない方がおかしい。そこに詩乃のバカ笑いが止めになり、注意を引いてしまったというのか!
つまりこの子は、あたしないし唯姉さんが告白し、めでたく成就して抱き合い、詩乃が笑って祝福しているように見えた、と。なるほどな~そう考えるわな~端から見れば!
魔にまつわる話までは聞かれなかったみたいだけど、これはマズい非常にマズい! このままではあたしと唯姉さんが『そういう仲』として認知されてしまう!
確かに! 暁天空領では同性婚が認められてるから、仮にあたしと唯姉さんがそういう仲──断じて違うけども──だったとしても、恥ずべきは何もない。
だとしても少数派には間違いなく、差別や偏見はどうしたって付いて回る。
あたしは「好きならなんだっていいじゃん」派ではあるけど、先進的な首都島ならいざ知らず、こんな地方島の片田舎では未だ受け入れられづらい傾向がある。
あれやこれや並べ立てたが、要は町でかなり浮いてしまうのだこのままでは!
返答如何によっては、学校どころかこの町での生活すら危ぶまれる。慎重、かつ迅速に適切な回答で誤解を解かなければ、マジのマジで社会的に死んでしまう。これぞ村社会の恐怖!
「えっと、ですね──」
落ち着くんだあたし! とりあえずいきなり否定から入ると逆に疑われちゃうから、事実は事実として認めて、細かい部分を捏造していこう。うん、それがいい。
「……だ、抱き合ってたのは本当だけど、でもあれは──」
「きゃゃゃゃ~っ!」
「うぉぉぉぉ~っ!」
女子の甲高い歓声と男子の野太い歓声の二重奏が、あたしの二の句を吹き飛ばす。
「ぐぅぉぉ~マジかよ中田会長~っ! 俺の夢が始まる前に終わっちまった~っ!」
「ちょ、落ち着け! まだチャンスはある! あきらめるな!」
「おめでどう唯音! これであんたに言いよってくる連中もいなくなるね」
「だから違うんですよ先輩方誤解ですって話聞いて下さいよ!」
「やっぱり二人ってそういう関係だったんですね⁉」
「おい待てやっぱりってなんだやっぱりって!」
「あ~……お前たちが爛れた仲だとは思わんぞ? でもイチャつくなら誰も見てない場所でやってくれな? 女子同士の交友とか、俺もどうしたらいいかわからんから」
「先生──じゃない、監督まで変なこと言わないで!」
誤解の波及を防ぐため、一人一人律儀にツッコんでいくが、暖簾に腕押し糠に釘。お願いだから人の話は最後まで聞こうぜ?
「ほら! 唯姉さんも否定して! ほらボケッとしてないでしっかりしてくれよ!」
このままではマジでヤバいと、もう一人の当事者に助力を乞う。
「へ? う、うん」
事態を飲みこみきれてない唯姉さんは、仕方なくって感じで頷く。大丈夫かよマジで。
ともあれこっちからも否定してくれれば、無傷とはいかないまでも変な噂が流れた程度の損害に持ちこめる。かろうじてあたしの日常は守られる!
テクテクとあたしの隣にやってきた唯姉さんに、一同がその一挙手一投足に注目する。
「…………えへへ」
「きゃゃゃゃ~っ!」
「うぉぉぉぉ~っ!」
唯姉さんの反応を肯定と解釈した野球部一同は、火に油を注ぐがごとく熱狂。中には拍手している人もいる。こうなっては誰にも止められない。
「だからあんたも照れてないで否定してくれよぉ~っ! 違うんだってぇ~っ!」
膝から頽れたあたしの口から、全力の叫びが放たれるが、今更叫んでみたところでこの流れは覆らない。この歓声はあたしにとって、人生が崩れ去る音以外の何物でもない。
この場にいる全員が、あたしと唯姉さんを祝福するかのように集まっている。確かにあたしは今、人の輪の中心にいる。だけどあれってこういう意味じゃないだろ⁉
「諦めろ。ついさっき聞かれてこれなら、帰る頃には町中に知れ渡ってる」
いつの間にか隣でしゃがみ込んでいた詩乃が、ポンとあたしの肩に手を置く。
「うっさいなあんたのせいだろどうしてくれんだこの状況⁉」
「私も責任感じてるぞ? これから笑う時はキチンと窓を閉めるようにするから勘弁な」
「何一つ悪いと思ってねーだろ⁉」
悲しくも唯一耳を傾けてくれる詩乃に、あたしは虚しくツッコんだ
「……はあ」
校庭の端で座り込んだまま、練習で活気づく野球部を眺める。みんなはキャッチボールなぞ始めているのだが、こちらすでに疲れ果てていて一向に混ざっていく気になれない。
「……うはあ」
結局あたしは、この途方もない誤解を解きつつ、これ以上話がこじれないように口止めを確約させるのに、通常の助っ人では到底得られないであろう労力を有した。部活的にはまだ何もしてないけど、かなり帰りたかった。
「疲労困憊だな」
「誰かさんのおかげでね。とりあえず、なんとかあたしの日常は守り抜いた……」
さっきから隣で突っ立っている詩乃に、どうにかこうにか軽口を返す。ていうか、叫びすぎて喉も痛いし、帰っていいだろうか?
「棗、わかってると思うけどサボっちゃダメなんだからね?」
「誰かさんがもっとちゃんと受け答えしてればこんなことになってないんですけどね!」
さっきから隣で突っ立っている唯姉さんに、どうにかこうにか軽口を返す。ていうかホントに、今日ばかりは帰りたい。
「棗先輩、大丈夫ですか?」
「お、おう大丈夫大丈夫。あとちょっとしたら行くから」
疲れた身体に鞭打って立ち上がる。詩乃や唯姉さんの前ならいざ知らず、後輩にこんなダルそうにしているとこは見せられない。……今更手遅れかもしれんけどね。
「ところで先輩たち、この間来た転校生って知ってます?」
「うん、知ってるよ。バレー部でも話したし」
「その子私のクラスですけど、すごいんです! 運動神経バツグンで。あれは期待の超大型新人ですよ!」
「また大きくでたね」
まるで自分の手柄のように言ってのける後輩ちゃんに、少しばかり気がまぎれる。
「で、今話すってことは野球部に入ったの?」
「いえ、まだ仮入部なんです。噂を聞き付けた運動部で争奪戦になりかけちゃって。とりあえず一通り見てもらってから、どこにするか決めてもらおうって話になったんですよ」
「うへ~すごいわねその子」
確かに嘘偽りなく超大型新人だ。それだけ引く手数多なら、どの部に入っても活躍間違いなしだろうし、球技大会に体育祭と行事方面でも心強い。
「会いたいですか? ちょっと待ってて下さい! 連れてきますから!」
「あ、いや、別に無理しなくても──」
半ば強引に、というより後輩ちゃんが一方的に紹介したいようで、こっちの話も聞かずに行ってしまった。あの調子からすると、その転校生とやらはずいぶんと押しに弱いのだろう。争奪戦というのも、外野が勝手に盛り上がっているだけなんてオチかもしれない。
「聞けば聞くほど誰かさんみたいな境遇だな」
「ふ~ん。わたしもまだ会ってないから楽しみだね」
と、思い思いの感想を垂れ流す両隣。
「連れてきました~! この子です~!」
「いや、ホントそういうのいいですから──」
大声を張り上げ、後輩ちゃんがその子の手を引いて連れてきた。案の定、その子は目立つことが苦手な性分なようで、声が小さく腰も若干引けていた。
「「「──あ」」」
その人物を見た途端、あたしたちは三人同時に間抜けな声を漏らし、唖然とした。
「紹介しますね! この間転校してきた、日野渚さんです!」
後輩ちゃんに背中を押されて出てきたのは、昨日一昨日とあたしと詩乃を散々苦しめてくれた『奴』その人だった。
唯姉さんに付けられた頬の傷は消えているし、浮かべている感情もまるで違うけど、あの時眼に焼き付けたご尊顔を見間違うはずがない。
「──⁉ ……」
あちらも似たような心境に至っているのか、唇は引き結ばれ、視線をあちこちに彷徨わせている。その仕草は完全に挙動不振のそれで、『マズい』『ヤバい』という焦りの感情がありありと顔に浮かんでいる。まるでついさっきのあたしのようだ。
「お前っ!」
ポコポコと疑問符を浮かべていると、真っ先に沈黙を破った詩乃が、待機状態のUSB型魔兵装を引っ掴み、大股で奴に接近していた。
「ちょっ待──詩乃! ここじゃダメ! いや、ここじゃなくてもダメだけど!」
ハッと我に返り、バスケ部もさながらの守備で食い止める。
「くそ、放せナツ! ここで昨日の落とし前つけさせてやる!」
不良顔負けの前向上で、ジリジリとあたしを引きずっていく相棒。
「……ご安心を。ここであなた方とことを構えるつもりはありません」
奴改め日野は、昨日も垣間見せた丁寧な口調で対応してきた。
ここだけ見ている限りは、背後から魔法少女を串刺しにしたり、魔獣の死体を投げて隙を突いたりと、外道な戦術を使うあれと同一人物とは、自力で結びつけることはできない。
「敵の言い分なんか信用できるか! 私たちはお前に、どれだけ煮え湯を飲まされたか!」
取り付く島もない剣幕で、詩乃は頭に血が昇ってしまって手に負えない。まあ、詩乃が真っ先にキレてくれたからこそ、あたしが冷静でいられる部分もあるわけだけども。
「……魔にまつわる不文律は、自分も聞き及んでいます。あなた方とは、いずれ決着を付けるにしても、ここである必要はないかと。何より──」
日野の視線が、すっかり蚊帳の外に追いやられてしまった人物に注がれる。
「え? あの……日野さんって棗先輩たちと知り合い、なの?」
今にも一悶着始まりそうなあたしたちを前に、後輩ちゃんは右往左往していた。焦って見回すと、練習していた他の面々も詩乃の声に反応し、手を止めてこちらを気にしている。
「詩乃ちゃん抑えて。今はこの子の方が正しいよ」
どうやって収拾付けようかと考えていると、真面目な唯姉さんが、まるで先輩のように仲裁に入る。
「二人とも、今は部活の時間よ。あなたも、事情はあとで聞かせてもらうから。いいよね?」
「……わかりました」
「会長! そんな悠長な!」
日野の囁くような返事を、詩乃の癇癪が上書きする。
「詩乃ちゃん。あなたは部外者なんだから、あっち行ってなさい」
「う……っ! しかし──いや、でも」
普段は見せることのない、唯姉さんの強い口調と鋭い眼つきに射抜かれた詩乃は、眉根を寄せて言葉を濁らせる。
「……すみませんでした、会長」
わずかな煩悶の後、詩乃は苦い表情を浮かべて頭を下げた。意地の張り合いで根負けしたというより、強者を前に屈服してしまったそれに近い。
「いいのよ。キツい言い方でゴメンね」
詩乃の謝罪を軽く流し、唯姉さんはすっかり萎縮してしまった後輩ちゃんに向き直る。
「ごめんね、空気悪くしちゃって。この子とはちょっと、外で色々あってね。でも大丈夫だから気にしないで。みんなも大丈夫だから~! 練習戻って~!」
唯姉さんは素早く表情を切り替え、見慣れた笑顔を振り撒く。その姿に部員たちもホッとしたのか、各自練習に戻っていく。
「あ、それで納得しちゃうんだ」
何が大丈夫なのかまったく説明してないのだが、これが年の功というやつか、『先輩の圧力』という反則スレスレ行為を駆使し、難なく押し通してしまった。
いざという時、こういうマネができる決断力もこの人の強みなんだけど、隣でしょっちゅう振り回されている身としては気が気じゃないんだよな。
「日野さん、だったわね? それに棗も、理由はどうあれ今は野球部員なんだから、ちゃんと練習しなさいね?」
表情をコロッコロ変えて、唯姉さんは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
さっき散々脱線させといてどの口が言うかとも思うのだが、腐っても全校生徒の代表、勢いの使い方がうまく、突発的な現場対応にも卒がない。
「棗、なんなら相手してあげれば?」
「へ? あたしが? この子の?」
感心しているそばからの無茶ぶりに、うっかり尋ね返してしまった。
疑問形で話してこそいるが、これは暗に『やれ』と言っているようなものであり、この人は昔からこの類の指示を自ら訂正した試しがない。
「そんな顔しないの。案外口で話すより分かり合えるかもしれないよ?」
見るからにイヤそうな顔をしたあたしに、超絶スポコン理論を展開する生徒会長。どうやら過去の例に漏れず、あたしの意志は関係ないらしい。
「……お願いします。……四ヶ郷、先輩」
「う、うん……よろしく」
なし崩し的に組むハメになってしまい、互いにグローブをはめ、渋々配置に付く。
「よっし、いくぞーっ!」
腕だけではなく、身体全体を動かし、遠心力も利用して腕を振り抜く。
シュッ! ──パシュッ!
わずかな曲線を描いて放たれたボールは、逸れることなく日野のグローブに吸い込まれた。
「…………」
シュッ! ──パシュッ!
向こうもさして変わらない動作でボールを打ち出し、問題なくキャッチする。
「「…………」」
そこから取っては投げて取っては投げてを無言で繰り返す。
気まずい。というかこの状況そのものの意味がわからん。昨夜、一切の比喩なく命のやり取りをした相手と、なんでボールのやり取りをせにゃならんのだろうか?
「──で、体育の時間もとにかくすごくてですね──」
「うんうん、なるほどね。それは勧誘したくなるね。普段はどんな感じの子なの?」
背後では唯姉さんが、後輩ちゃんから日野のあれこれを聴き出している。抜け目ないというか姑息というか、ここまでくるといっそ清々しくさえある。
「…………」
一方の詩乃さんはといえば、唯姉さんに追い出された挙句、帰るに帰れず校庭の端で体育座りをしていた。どこか悟ったような面持ちは、見ていると妙な哀愁がある。
「お、やっとるな~四ヶ郷。どうだ、素質ありそうか?」
どこに対して集中すればいいのか悩んでいると、今度は監督があたしの横へやって来た。
「いや、キャッチボールしたくらいじゃわかんないっすよ」
「そりゃそうだ。なら日野とバッテリー組んでほしいんだけど、頼まれてくれるか?」
「え、あたしとあの子で? ……どっちがどっち?」
「四ヶ郷がキャッチャーで日野がピッチャー」
「ええ~」
「そんなイヤそうな顔すんなって。日野の実力も知っておきたいからさ。頼むよ?」
「……えっと──あ、ちょっと監督!」
答えあぐねている間に、監督は日野の方へ行ってしまう。
「……たく」
なんか近頃、あたしに対する扱いが雑じゃないのかね?
確かにあたしは普通の生徒と違って、いろいろと融通させてもらってるし、気を遣ってくれるみんなには感謝してるけど、あたしにも選択する権利はあると思うのですが?
「あ、あの……先輩、どうすれば?」
監督と数度言葉を交わすと、日野はトボトボとこちらにやって来た。どうやらこっちもあの監督モドキにやり込められてしまったらしく、困惑した顔をしている。
「やるって言っちゃったんならしょうがないでしょ? ほら、準備して」
「は、はい!」
面倒くさそうに答えると、日野はピンと姿勢を正し、そそくさと用意されたマウンドに向かう。顔は昨日見た魔法少女なのに、浮かべている表情は正反対。実にやりずらい。
どっかの唯姉さんみたく、変身すれば性格が変わったり豹変する魔法少女は珍しくなく、むしろそっちの方が多数派だ。日野本来の性格もこっちが通常なのだろうけど、最初の印象が痛烈すぎて違和感しか湧いてこない。
ここにいるものきっと後輩ちゃんのお誘いを断れなかったからだろうし、転校早々波風立てたくない心境を勘定に入れても、他者の意見に流されやすい性分なのかもしれないな。
普段も魔法少女の時みたいにスパっとやればいいのにとは思うけど、それが簡単にできるのなら、人間はいちいち悩んだり苦しんだりしないわけで。なんとも歯がゆい存在だぜ。
「よしっと」
至極どうでもいい思考を片隅に、あたしもキャッチャー用の防具やらミットやらを身に着ける。準備完了で配置につき、マウンドに立ってボールを握りしめている日野を見つめる。
状況が状況だから事情は聴くけど、あいつがあたしたちの前に立ち塞がるなら、例えどんな動機や境遇があろうと討伐しなければならない。あたしが背負っている罪に賭けて、それだけは絶対に揺るがない。そう、自身に言い聞かせる。
「よし来い!」
「──!」
一声飛ばしてやると、周りを窺うようにオロオロしていた日野の瞳に、勝負師特有のギラついた光りが宿った。心も体もあっち側に切り替わったようだ。
ザッ!
ピッチャー大きく振りかぶって──
ビシュ!
投げました!
ピャァァァァンッ!
「痛っっっったぁぁぁぁいぃぃぃぃ‼」
左手から全身に伝播する壮絶な激痛に、恥も外聞も忘れのた打ち回る。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっ! 痛──あ、ああっ! 痛っっつぁぁっ!」
痛い。痛いったら痛い。他の表現が入り込む余地など一切なく、ただひたすらに痛い。──ひょっとしてこの球、魔力載せてんじゃねーだろーな?
「はあ……はあ……こんの──」
しばらく悶え続け、痛みの峠を越えた辺りで全力疾走。
「なんて球投げてくれんだゴラァァァァッ! ……ああ痛い痛い」
日野の元に駆け、胸倉を掴み上げる。が、腕を動かした反動で痛みがぶり返し、再度しゃがみ込む。
「す、すみません……っ! その、あまりに強い殺気だったもので……つい」
「んなもん出しとらんわどんだけビビりなんだよお前は⁉ ぐぁぁぁぁ痛っ──」
痛みに耐えつつ被弾した左掌を、震わせながらグーパーしてみる。全体に裁縫針を突き刺したような痛みに加え、痺れと痒みを混ぜたような実に不快な感覚がまとわりついている。
「ちょっと唯姉さん! いくらなんでもこれはマズいんじゃない?」
呼んでどうにかなるわけじゃないけど、とりあえずこの場で一番頼りになる存在を頼る。
「わたしね、あの辺の峰が大好きなのよね。なんかこう、激しい感じがね。うん」
「あ~はいはい、なんとなくわかります。はい」
「こっちを見ろ‼」
対岸の火事を決め込む裏切り者たちへ必死に訴え叫ぶ。
「そうそう詩乃ちゃん、今度みんなで川遊びでも行かない?」
「いいですね。私は釣りができれば文句は言いませんので、昼飯はまかせて下さい」
「こっち見ろよぉ~‼」
こっちが死に体で助けを求めてるってのに、あっちは視線すら寄越そうとしない。奴らに慈悲はないのか? さっきの守り守られる発言はどこへ⁉
「ゴメンね棗。わたしまだ死にたくない」
「同感です。てか、お前が喚き散らすような球を私たちがどうにかできるわけないだろ?」
「お前らぁぁぁぁ~‼」
約束から反故までの快速超特急をいただき、ほとんど泣いてんじゃないかってくらいの悲しみに沈む。これ、普通の人は立ち直れないぞ?
この日、あたしは誰が見てもわかる負傷により、助っ人史上初めて途中退場する運びとなってしまった。
「…………痛っつ!」
「までやってんのかよ? いい加減大げさだろ?」
「痛いもんは痛いんだようっさいな!」
つい先日唯姉さんと話した川の裏手で、被弾した左手をその中に突っ込む。水のゆったりとした流れとキンとくる冷たさが、腫れた熱を奪い、未だ残る痛みを誤魔化してくれる。
「こんな場所があるんですか。いいところですね」
部活を早抜けし、着の身着のまま連れてこられた日野は、初めて来たであろうこの場所にも動じていない。
「学校じゃ迂闊に魔の付く話はできないからな。その点ここは、内緒話にはもってこいだ」
「安心して。身包み剥いだりなんてしないから」
身包み剥いだりする輩は、大抵その手の文句を枕にするわけだけども、本人さんは決まったとばかりにドヤ顔している。
「いえ、そんな心配はしていません。この状況であれば、変身せずとも自分は負けませんので」
先輩相手もなんのその、日野は平然と言ってのける。
「ほう、これはまた大きくでたな。なんなら試してみるか?」
詩乃はずいっと日野に顔を寄せ、メンチを切る。すっかりチンピラ役が板についてるな。いくら負け越してるとはいえ、当たりが強すぎないかい?
「構いませんよ。この距離なら四ヶ郷先輩を盾にしてやり過ごせます」
「……なるほど、その手があったか。さすが、手段を選ばない腐れ外道だな。恐れ入る」
「お褒めに与り光栄です」
「お前らあたしをなんだと思ってんの⁉」
今更大切に扱えとは言わないけど、とりあえず放っておいてくれませんかね?
「ああクソ! 前向上はもういいでしょ! さあ、聞かせてもらうわよ、日野渚! あんたの目的と、これまでの経緯を!」
川に手を突き刺した姿勢のまま、半強制で連れてきた日野を問いただす。なんとも様にならない恰好ではあるけど、知ったことではない。
「そうですね、わかりました」
はあと一つため息をつき、日野は観念したように肩をすくめる。
「まず初めに、自分は暁天空領・第十二領・辻ヶ島は鳴浪藩の出です」
答え合わせは、日野の典型的な自己紹介から始まった。
「辻ヶ島の鳴浪って、『辻行脚』の?」
「よくご存じですね。いかにも、辻行脚の鳴浪です」
あたしがそこに食いつくとは思っていなかったのか、日野は虚を突かれたように呟いた。
「死んだ爺ちゃんから、若い時に回ってたってあれこれ聞かされてたもんでね。島の寺院を全部お参りすると願いが叶えられるって」
「ええ、自分はその行脚道近くの施設で育てられました」
「施設?」
「はい。親を早くに失ったり、個々の事情で一緒に生活できない子供たちが集まり、共同生活を送る場所です。ちなみに自分は前者です。親の顔は、写真でしか見たことがありません」
のっけから重い話がきたもんだ。そういうのを教えてほしいわけじゃないのに。
「つまりそれって孤児院?」
「────」
日野の視線が一層鋭くなる。ほんのわずかだが、殺気も伝わってくる。
「バカ! お前何言って──」
「ご、ごめんなさいね日野さん! この子言葉を知らないだけで意地悪じゃないから!」
両脇から突然、二人が焦りながら割って入る。
「へ? え、何? あたしなんかマズいこと言った?」
二人の焦りようから推察するに、何か気に障る類の発言をしてしまったらしいのだが、どこがそれに当たるのかわからない。
「ナツ、暁天空領に『孤児院』なんてもんは存在しない! お前が言ってるのは『児童養護施設』のことだろ⁉」
「え? ──あ」
今更のように思い至り、事の重大さが遅れて染み込んでくる。
『私、○○なんです』という問いかけに対し『それって□□のことですよね?』と言い直されてしまうと、人は気分を害されたと感じる傾向がある。
「⁉ え、ちょっと! その──」
考えれば当然の話だ。自身が大事にしてきたものを、頭ごなしに否定されるんだから。ましてやそれが、当人の人生そのものに直結するものだとしたら──
「ごめん! あたし、そんな呼び方があるって知らなくて……本当に、ごめんなさい」
反射的に頭を下げていた。互いの立場はあれど、それとこれとは別問題だ。無関係な人たちを不当に貶めるのは、人でなし所業なのだから。
「構いません。ほとんどの人が先輩のような勘違いをしていますし、先輩が嫌味の言えるような方ではないと、わかっていますから」
ただ、と、日野は続ける。
「次からは気を付けて下さい。施設の関係者がみんな、自分のように聞き分けがいいわけではありませんので」
「うん、わかった。次からは絶対言わない」
「そうしていただけると助かります。……脱線してしまいました。話を戻しましょう。自分が契約するまでの経緯、でしたね──」
日野は夕焼け色に照らされ始めた川を眺めるように背を向け、ゆっくり口を開いた。
「一月ほど前です。自分の前に、魔獣の王と名乗る一匹の獣が現れました──
「王は言いました──
「『反逆者共を処刑せよ。さすれば貴様と、貴様の守るべき者たちに、今後不自由なく安全な暮らしを保障しよう』と──
「自分は王より契約の子細を聞いた上で同意し、その尖兵としてあなた方反逆者の住むこの町にやって来ました──
「こちらでの日々は、あなた方もご存じの通りです──
一気に喋り上げた日野は、はあと、深呼吸を一回して向き直った。
「ちょっと待って! 魔獣の王と契約したって……あんた魔女なの⁉」
客観的かつ簡潔な説明で流しかけたけど、しれっととんでもない言葉が紛れ込んでいた。
「そちらの陣営ではそう呼称するようですね。確かに、その流儀に合わせるのならば、自分は魔女ということになります」
「…………」
あっからかんと答える日野を前に、開いた口が塞がらない。
いやいやこれはとんでもないことになったぞ。
魔法少女は魔獣の討伐が第一任務であり、魔女の相手は副次的なものだ。後発型魔法少女の投入でさえも、言ってしまえばただの現場対応であり、大筋の方針は変わらないままだ。
いくら魔女が魔法少女を討伐できると言っても、数多いる魔法少女に対して魔女はあたし一人だ。昨日一人増えたけど、圧倒的に数の差がある事実に変わりはない。
悔しいけど魔法少女全体からすれば、魔女の脅威など『雷に打たれた』程度に過ぎない。その慢心に付け込めていたからこそ、あたしと詩乃は今日まで戦い抜いてこられたわけだし。
『太陽ルチル』の壊滅を期に、あたしたちの存在は知れ渡り、近頃は警戒されるようにはなってしまったが、それでもどうにかこうにかなんとかなっていた。
そこにあたしたちだけを狙う第三の陣営が台頭してくるとなると、これまでの前提が大きく覆ってしまう。予てから危惧していた『魔女専門の討伐部隊』が、考えうる限り最悪の形で生まれてしまったことになる。
「つまりあなたは、わたしたち魔女一派を殲滅するためだけに調整されたっていうの?」
「はい。さしずめ、『魔女暗殺型魔女』といったところでしょうか」
唯姉さん総括とも言える確認に、日野は自らをそう言い捨てた。
「魔獣の王というのは、ケンの息子とみて間違いない。あちらにしてみれば、ケンが先代で、自分自身こそが新しい王様だからな」
「うん。王を名乗るぐらいなら、ケンと同じことだってできるだろうし」
詩乃の低く小さな声での耳打ちに、つられてあたしも似たような声色で応じる。
ていうかここ数日で、話がどんどんややこしくなってる気がする。
正面切って敵対している魔人側ならいざ知らず、本来は身内である魔獣側から仕掛けられるとか、状況が改善するどころか悪化の一途だ。
「この話、ケンちゃんが聞いたらスゴい怒りそうだね」
「いやマジでそうだよ。連れてこなくて正解だった」
唯姉さんの的を射た指摘に、改めて胸をなで下ろす。
日野の思惑が読み切れない以上、下手にケンや仁を引き合わせるのは危険だと判断し、ここには連れてきていなかった。
最悪の場合、出会った瞬間グサり、なんて事態にもなりかねないからだ。
結果的にこの判断は正しかった。
日野がすぐに決着をつける気がないのは置いておくとして、今この場所でケンに向こう側の意図を知られずに済んだのが大きい。
「つっても、どう伝えたらいいものやら……」
ケンが息子である新王を心底憎んでいるのは知っている。
普段はのほほんとしていておくびにも出さないけど、魔に関する話題でやむなく触れてしまう時、滲み出る恨み節がどうしても眼に付く。
魔族の倫理観が人間と違うのは嫌というほど理解しているけど、血を分けた実の息子を心の底から憎悪するケンの姿は、傍から見ていてかなり不安な気持ちになる。
その息子が同じ方法で魔女を生み出し、あたしたちを亡き者にしようと画策していると知れば、あいつは青天井に激昂するだろう。後々説明するにしても、一度問題を持ち帰って間を置いた上で話し合えるのはありがたい。
「しかしながら、ここまで計画がご破算になるとは、思ってもみませんでした」
昨日の失態を思い返しているのか、日野声が萎んでいく。
「だろうな。私らに面が割れた時点で、ものの見事に大失敗なわけだからな」
「まったくです。自分もすべてうまくいくとは考えていませんでしたが、準備は万全に施し、隙も完璧に突きました。ですがまさか、魔女が新規で現れるとは、想定を超えていますよ」
「……まあ、あたしらも想像すらしてなかったからね」
昨夜の唯姉さん乱入は、あたしたちですら度肝を抜かれた。こっち側でこれなのだから、あっち側からすればその意外性も一入だろう。
「いや~そんな褒めないでよ~照れるじゃない~」
「いや~褒めてないっす~」
そんで等の新規魔女さんがこんなのなんて、一体誰が予想できたであろうか? つか、魔女ってこんなホイホイ増えるんだなってのが一番びっくりだよあたしは。
「じゃあさ、日野。最後にもう一つ聞きたいんだけど、いい?」
「はい、なんでしょう?」
「あんたはどうして魔女になったの?」
「は?」
キョトンと、日野は眼を丸くした。
「いや、ですからそれは──」
「うん、園のみんなのためなんでしょ? でもそれは『誰か』であって『あんた』ではないでしょ? あたしは、あんた自身にとっての旨味は何かって聞いてんの」
端折り過ぎたと反省し、もう一度噛み砕いて説明する。一見すると、その二つは同じにもなりえるかもしれないけど、この子の場合は違う気がした。
日野の園を守りたいって気持ちが本物なのは疑いようがない。でも、本人そのものに何かしらの欲がなければ、魔女になろうなんて決断できない。あたしがそうであるように。
「そうですね──」
日野は顎に手を当てて、真剣に黙考している。あたしの問いかけ一つにも、下手な答えは出すまいとしているのがわかる。つくづく律義な性格だ。
「──これは持論なのですが、幸せには『誰かから与えられる分』と『自身の手で掴み取る分』があり、その比率はあらかじめ決まっています。そして自分は、前者が圧倒的に少ない」
根気強く待っていると、日野はいきなり後ろ向きなな持論を展開してきた。
「持っている人から奪うつもりはありませんが、自分たちから奪おうとしてくる輩は存在します。自分はそんな脅威から、園のみんなを守りたい。そう思って契約を望みました」
真っすぐにあたしを見つめ、日野は胸を張って言い切った。
つまるところ、誰かのためが自分のためってわけか。わざわざ前置きしたのにああ答えるってことは、 それが正真正銘、日野渚の本音なのだろう。
にしたって──
「最初のはちょっと卑屈すぎない? そりゃ、与えられるのは少ないかもだけど、頑張って努力して、たくさんの幸せを掴めばいいじゃない? ……うまくいくとは限らないけどさ」
「最初から持ってる奴の言い分だな」
それは違うぞと、詩乃が背後から否定を挟む。
「お前の言い分も間違っちゃいないが、持ってる奴とそうでない奴との差は、どうしたってある。あいつはそれを、知識じゃなく経験で知ってる」
「そ、そうかもだけどさ──」
「お前言ったな、うまくいくとは限らないって。そりゃそうだ。確証なんてあってたまるか」
でもな、ナツ。と、こちらの口が開く間もなく、詩乃は続ける。
「そんな危険を冒さなくても、お前は──いや、私たちは、すでにそれを持ってる。そんな奴らに上からエラそうなこと言われて、気分のいい奴なんているか?」
「…………」
詩乃の言い分を聞き、『それ言い出したら何も喋れないじゃん?』と思ってしまい、言葉が出てこなかった。
「詩乃ちゃんの言う通りね。棗が家族を軽く見てるなんて思ってないけど、それを持つことのできない人にとって、その当たり前はとても輝いて見えるものなのよ」
隣に立っていた唯姉さんも、詩乃の意見に続き、諭すように囁く。
自身とはまた違った考え方を示してくれるのはありがたいんだけど、二人してあたしが何もわかってないみたいに話してくるのがなんとなくムカつく。
「あんたは……自分が不幸だと思ってるの?」
論破なんざされてたまるかと意気込んでみたが、一言しか捻りだせなかった。
「実を言うと大して感じてはいません。育ててくれた園の方々には感謝していますし、一緒に育った兄妹姉妹たちはかけがえのない家族です。学校で差別されることもありませんでしたので、学友にも恵まれていたのでしょう。ああは言いましたが、自分は存外幸せです」
「……そう」
それが日野の本心であることは、一目でわかった。
園のことを話す彼女の表情はとても優しい顔をしていたし、何よりそこには誰かを慈しむ『愛』が詰まっていた。家族がいるのが当然と思っていたあたしより、ずっと幸せの本質を理解しているように思える。
「ただ、普通の家庭というのが、どんなものなのか。味わってみたいとは思いますね」
ポロっと付け加えるように、日野からもう一つの本音が零れ落ちる。
「今日は帰ります。お疲れ様でした」
こちらの返事も待たずに日野は呟き、行進のようにクルリと背を向け、来た道を戻る。あたしたちは誰も引き止めない。
「自分は、必ずあなた方を討伐します。来週なのか来月なのか、いつかはわかりませんが、もう油断はしませんし躊躇いません。なんとしても、刺します」
その背中には、夢や希望。矜持と信念。決意と後悔。ありとあらゆるものが背負われているように見えた。
「初めから持っている人たちに、自分は負けません」