第二章
「失礼しまっすー……」
予定もなければやる気もなく、放課後の時間を潰そうと図書室に入ってみる。
ここはしがない片田舎。家に帰ったところで何かが待ってることもない。娯楽も少ないこの町であたしたち高校生ができることなど、精々山か川に行く程度の選択肢しかない。
隣町に出れば栄えてなくもないけど、自転車では中途半端に遠く、電車だと本数が少なくて向こうでまとまった時間が取れない等々、何をするにも八方塞がりな土地柄なのだ。
宮境高校の生徒ほぼ全員が部活動や委員会に所属しているのも、ひとえに『暇なのが嫌』という、切実が過ぎる理由からなのだった。
近頃では魔の付く方々が居付くようになってしまい、手放しに暇というわけではないが、それはそれこれはこれだ。あいつらはあいつらで結構楽しくやってるらしいし。
「あら、四ヶ郷さん。珍しいわね?」
なるべく縮こまって侵入したつもりが、入ってすぐの受付で当番をしている図書委員長先輩にあっけなく捕まってしまう。まあ、入って眼の前となれば当然か。
「お、お疲れ様です。先輩」
「うん、お疲れ様。この前は本の整頓、ありがとね。おかげで一日で終わったわ」
「いえいえこちらこそ。いつも好き勝手やらせてもらってますんで、たまの雑用くらい便利使いしてやって下さい」
部活の助っ人は基本的に運動部ばかりだけど、文化系や委員会の手伝いなんかも引き受けている。いろんな部活にチョコチョコ顔を出すという行為は、本来軽々とさせてもらえることじゃないので、こういう目立たないところでもどんどん顔を出すのがあたし流だ。
みんなはあたしが自由気ままに助っ人稼業に勤しんでいると思いがちだけど、こういう目立たないところで善行を積み、角が立たないようにと日々考えているのだ。
「で、どしたの? 四ヶ郷さんってあんまり読書とかしない人よね?」
「えっと、はい。そうなんですけど──」
柔らかく微笑む委員長先輩を前に、さてなんと答えればいいものかと思案。
唯姉さんとはまた違う方面の優しさが伝わってきて、『誤魔化しであっても嘘は付いちゃいかん!』と、本能が警鐘を鳴らしている。
「──ちょっと考え事したくって」
もう少し気の利いた台詞はないのかと自分でも思うのだが、悲しいかな、そもそも入ってないものを出せるわけがない。
「あらそうなの? ならゆっくりしていきなさい。赤岩さんも来てるわよ」
委員長先輩はとくに気にした風もなく、奥を指差す。
「はい、ありがとうございます。それじゃあ」
小さくお辞儀をして、図書室の奥へ。
唯姉さんもだけど、たかだか年一つしか違わないのに、先輩ってのはなんでああも大人って感じがするんだろうか? もし一年後、あたしが進級してあの立場になったとしても、あんな雰囲気を醸し出せる気が全くしない。
音を立てないように奥へ進むと、長机の隅っこで読書にふける詩乃を発見した。
「────」
正しい姿勢で着席し、背筋をこれでもかとピンと伸ばし、本から片時も眼を離さず、こちらに視線一つ寄越さない驚異の集中力。要はただの本の虫だ。
別段やかましくもしてないけど、ここまで気に止められないというのはちと寂しいぜ。
「ふう」
邪魔しないよう静かに対面の席に陣取り、一心不乱に文字を貪り食う文学少女を観察する。
詩乃が読んでいるのは、暁天空領が今日に至る国体を確立するまでを物語り調で綴られた歴史書、戦国志だ。
暁・桜華・印幡の三国が中層の覇権を争い、時に戦い、時に手を組み、時に裏切りと、混迷の戦乱を生き抜く各国の民や武将たちが波乱万丈に描かれており、現代でも多くの人々を惹き付けてやまない真実の物語。
──というのが一般的な謳い文句なのだが、近代史の方が好きなあたしにとっては、そこまで食指が動かない分野でもある。
とはいえそこは趣味の世界。あたしにとってはイマイチな歴史書さんでも、詩乃にとっては教典と呼んで差し支えない名作であり、『私はこれを読むために生まれてきた!』と、以前熱く豪語していた。自身が熱中し、その情熱を臆面もなく誰かに伝えられる何かに出会えたという奇跡は、未だにあれこれやっている身として素直に羨ましい。
「────」
「…………」
ページをめくる以外微動だにしない詩乃を、頬杖を突いて眺める。
にしても、よくもまあ同じ本を飽きずに何回も読めるよな。前にチラッと読ませてもらった時は──
やれ『誰々の娘が誰々の息子に嫁いで同盟を結んだ』だの、
やれ『誰々は与えられた領地を何々やって開拓した』だの、
やれ『誰々は築城の名士であり、民からも慕われていた』だの。
読んだところがたまたま政治色の濃い章だったのかもしれないけど、何がおもしろいのかさっぱりわからなかった。
詩乃はそんなあたしに、『なんでおもしろくないんだ?』と、本気で首を傾げていた。感性の違いかな、こうなってしまえばひたすら平行線だ。
そういえば、台詞や言い回しはかなり凝っていたような気がする。時たま詩乃からポロッと出てくる、あの妙にカッコつけた台詞たちは、ひょっとするとあそこから拝借していたりするのかもしれない。
あの無表情の奥で、『この台詞使える!』とか考えながら読んでいるのを想像してみると、なんだか急にかわいく見えてくるから不思議だ。本人に言ったら間違いなく戦国志が直々に飛んできそうなもんだけど。
「──っ! なんだ、いたのか。脅かすなよ」
安上がりな妄想を捗らせていると、一区切りついたらしい詩乃がパタンと本を閉じ、あたしを一瞥してびっくりしていた。
「相も変わらずすごい集中力じゃん。結構前からいたのにさ」
「てか、こんなところで何やってるんだ? 部活は?」
「……今日はどこの予定も入ってない」
「だったら飛び入りで顔出せばいいじゃないか。みんな喜ぶだろ?」
「ん~なんかな~。気が進まないっす」
「いやいや、お前甘えすぎだろ? それがまかり通ってたら部活動の意義ってなんだよ?」
「そーなんすけどねー」
痛いところを突いてくる詩乃の視線に耐えかね、眼を逸らし言葉を濁す。
「怖くなったのか?」
「わかんない。そうなのかな?」
「まあ、あそこまで追い詰められるなんてそうはないからな。無理もない」
「バカにすんなし。今までだってあれくらいの修羅場は潜ってるっての」
「そうかよ。……にしても強かったな、あの魔法少女。できることなら二度と会いたくないんだが、そうは問屋が卸さないだろうな。……あいつまた来るぞ。遠くないうちにな」
「だよね~やっぱまた来るよね~」
お互いに魔の話題全開でおしゃべり。誰かに聞かれていたら大事だけど、図書室には受付に委員長先輩がいる以外誰もいないので、小声で話してさえいれば問題はない。
「はあ~怖え~な~。──あ、やっぱ怖いのかあたし?」
「そうかいそうかい。それがお前に駆り立てられる魔法少女の心情ってやつだぞ。よかったなまた一つお利口さんになって」
「……で、ですね」
なぜかやたらと辛辣な詩乃のご指摘に言葉が詰まる。
「ふう……実際のとこ、これからどうするべきかは私も考えてた。さすがにあんな怪物がこれからわんさか湧いてくるとなるとな」
「うん、どうしよう……」
これからを考え、二人して途方に暮れる。どんな案を出したところで、最終的にはやるしかないって結論にはなるんだけど、このままではあまりに無策だ。せめて大まかな方針くらいは決めておかないと、また昨日みたいにお見合いになってしまう。
「結局、正面からぶつかっていくしかないのかね?」
「お前はそれでもいいかもしれないけどな、私は単機で後発型と当たったら一方的に討伐されるしかないんだぞ?」
確かにそうだ。仁のおかげで魔人側に吸い上げられる魔力が実質なしになってはいても、魔法少女に対する討伐能力がない事実に変わりはない。差し迫る危険度で見れば、詩乃はあたしよりもはるかにマズい状況にある。
「……今からでも味方になってくれる人とかいないかな?」
「は? 私みたいな裏切者を募集するってのか?」
「いや、そこまで卑下することなくない?」
事実ではあるんだけど、御自らそこまでこき下ろさなくても。
「難しいだろうな。基本、私利私欲で動いてる連中だ。ケンや仁も、私一人だからこそあの条件を出せたのであって、口が増えたところで全員の要求には応えきれないだろ?」
こっちの言い分には一切お構いなしの詩乃さん。
「う~ん、やっぱそうなるのか~」
「何より、そんなフワっとした理由で集まってきた連中が、果たして信用に足る人材なのかって話だ。こう言っちゃなんだが、私はあいつらにお前ほど信用されてるとは思ってない」
「そんなこと──」
ないよと続けるつもりだったけど、否定したところで否定し返される未来がなんとなく想像できるので、ここは黙っておく。
詩乃の場合、本当にそう自覚しているだろうから質が悪い。普段から論理的・効率的な思考をしているように見えるけど、変な部分で頑固だったりするんだよな。
「「…………」」
開始早々、意見が出尽くしてしまった。
当然と言えば当然なのだが、話す相手がお互いしかいないと会話がキャッチボールにならざるを得ず、どうしたってすぐに行き詰ってしまう。
これがあと一人二人いてくれれば、議論も白熱して発想の幅が広がるんだろうけど、ないものねだりをしてみたところでどうにもならないわけで。
コン、コン。
「? ──んな⁉」
本来あり得ない方向からのノック音に首だけ動かすと、ニコニコ顔の仁がそこにいた。ちなみにここは三階だ。
「うお⁉」
あたしに遅れて気付いた詩乃も同じく仰天。
「……。……。……」
驚きでキリキリする心臓をおさえながら仁に注目する。口の動きを読むに、どうやら『開けて』と言っているようだ。
仁は見た目だけは小学生であり、身長も相応なので、こちらからは生首がケラケラ笑っているようにしか見えない。声を荒げなかっただけ奇跡に等しい。
「はいはい、わかったから。詩乃、手貸して」
「ああ」
委員長先輩に気取られないようにゆっくりと窓を開け、二人して慎重に仁を引っ張り上げ、中に入れてやる。
「ふ~、よかった気が付いてくれて」
「よかったじゃないだろ! なんてとこから出てくんだよ!」
声を潜め、ちっとも悪びれない仁を叱る。こういう無邪気な様子を見ていると、こいつが魔王だっていうのをうっかり忘れてしまいそうになる。
「てかあんた、学校は? 授業終わってからじゃここまで間に合わないわよね?」
「ちゃんと帰りの会も終わったよ。屋上から転移してきたの。サボってなんかないからね?」
あたしの疑いの眼を、仁はスネた表情で受け止める。
「ていうか棗姉ちゃん。お母さんみたいな聞き方するね」
「誰が母親だ誰が!」
仁の小学生を地で行く意地の悪い反撃にイライラが高騰していく。
「そこを真っ先に聞く辺り、私もさすがだなと思ったぞ」
と、思わぬ人物の裏切りが。
「だって自分からやりだしたことじゃん。自分から投げ出すのはダメっしょ?」
「それ、つい今しがたの誰かに言ってやりたいな。なんだっけそういうの? ブーメランって言うんだったか? なあ?」
「……ソウ、デスネ」
正論過ぎる詩乃の正論に、思わず魔獣口調になる。あれ、なんであたしが悪いみたいになってんだの? なんかおかくない?
「まあまあ、詩乃姉ちゃんも抑えて抑えて。そういう時期は誰にだってあるからさ。見守って上げるのも優しさであり友情だよ」
小学生が仙人みたいなことをのたまい、あたしを擁護する。年下に年の功を見せ付けられるとかなんだこれ?
「ああもう、わかったよ悪かったよ。んで、なんの用?」
「えっとね、魔獣が襲われてるから出番だよ」
仁はあっけらかんと答えた。それを先に言えと!
夕焼け色で染められた、針葉樹の生い茂る森林地帯を一直線に突き進む。
日が傾くにつれて伸びる影、入れ替わるように明るさを増す月明かり。契約してそこそこ経つけど、黄昏時のこの光景は、いつどこで見ても飽きることがない。
詩乃は風呪文を、あたしは突撃で感知した座標を目指している。
本当のところは、戦闘中にバシンッ! とカッコよく乱入して『ただいま参上!』くらい言ってやりたいけど、現実は甘くない。
ケンと仁が知覚できるのは、あくまで『そこら辺に魔獣がいる』という漠然とした事実のみであり、そこで何が行われているかまでは感知できない。
よって近くに転移し過ぎてしまうと、なんの準備もできていないまま戦闘のど真ん中に放り出されてしまうなんてことにもなりかねない。なので十二分に距離を取り、周囲の環境も含めて頭に叩き込む必要がある。
「そういえばさ! これまでいろんな場所や時間で魔法少女を討伐してきたけど、授業中に呼び出されたことってないよね?」
あるのはだいたい平日の放課後であり、昼間だとしてもほぼ学校のない休日だ。
「魔法『少女』っていうぐらいだからな。放課後に活動してるんだろ。私もそうだったしな」
なるほどね。そう考えれば理にかなった傾向ではあるのか。
「ちゃんとやることやってから討伐に臨む辺り、みんな日常は大切にしてんのね」
その迎撃に駆り出される身としてはたまったものじゃないけど。
「もうすぐ目標地点だ! 気を引き締めろ!」
詩乃が風に負けじと声を張り上げる。ちなみにケンは今日もいない。別にいなくても困らないけど、やる気あんのかしらあの犬っころ。
「昨日の奴が現れないとありがたいんだがな」
「珍しいわね。何弱気になってんのさ? ここまで来たらやるっきゃないでしょ!」
「お前は結局そうなるのか」
実戦を前に腹を括ったあたしとは真逆に、詩乃が諦めにも似た溜息をつく。
「ひとまずここね。よし、行くわよ詩乃! 武運長久を祈る!」
「だな、武運長久を祈る。まずはクマさんたちの安否確認からだ」
各々の能力を解除し、森に降下する。比較的開けた場所に背中合わせで着地し、あたしは『兵戈槍攘』を、詩乃は『森羅万唱』を構えて辺りを見回す。
仁の情報によると、今回出現した魔獣は熊の姿をしているらしい。主な習性は同一種のみで群れを形成し、老若男女の大家族なんだそうだ。
「よし、行こう」
獲物を引っ提げた詩乃共々、警戒を全開にして目標地点を目指す。
多種多様な虫の鳴き声。風に揺られて枝葉がこすれる音。草や土の匂い。一つ一つを取ってみれば、どこにでもある自然の森そのものだ。
でも、日常とは一線を画す非日常が、この森には混じっていた。
単純な腕力だけで引き裂かれた木々。砕け散り、散乱した岩石。明らかに刻まれたばかりとわかる生々しい爪痕。爆発や衝撃によって陥没した地面。
目標へと近づくにつれて、そういった戦闘の痕跡が目立ってくる。だが、肝心の魔獣たちがどこにも見当たらない。
「どういうことだ? 私たちは間に合わなかったのか?」
小走りに詩乃が駆け寄ってくる。声は落ち着いているが、浮足立っているのが伝わる。
「そんなことないと、思う。だとしたら死体が残ってるはずだし。うまく逃げられたのかも」
「希望的観測だな。私に言わせれば、魔法少女が魔獣を取り逃がすなんて、精々返り討ちに遭う時ぐらいなもんだ。事実、私は出会った魔獣を取り逃がしたことはなかった」
「で、も……」
これ以上ない『経験者は語る』に、口を開くも言葉が出ない。
「捜索続行だ。お前が魔獣の無事を信じたいなら、証拠ぐらい自分で探して見せろ」
「うん、わかった」
詩乃流の励ましに気合を入れ直し、捜索を再開する。
奇襲を警戒しながらさらに森を進んでいくと、古い断層が剥き出しになった崖に突き当たった。恐る恐る下を覗き込んでみると、中型の魔獣なら通れそうな大きさの、いかにもな洞窟がいくつかあった。
「行くぞ。見た感じ、そこまで深くない」
「……うん」
一人ずつ崖を滑り降り、手近な一か所に当たりを付け、いざ洞窟内へ。
「意外と明るいね」
真っ暗だといろいろ面倒だと思っていたけど、内部は天井がところどころ落盤し、そこから夕陽が差し込んでいて暗くはなかった。壁面には発光性のある鉱物もちらほらあり、完全に日が暮れでもしない限り視界は確保できそうだ。
ポツポツと夕焼け色に染められた洞窟。その光をはね返し、自身の輝きを放つ鉱石群。自然が生み出す天然の光たちは、ただそれだけで美しい。
「いい場所だな。こんな用事でもなけりゃ、ゆっくり楽しめるんだがな。そろそろ──う⁉」
「どうしたの、詩──⁉」
魔獣特有の血の匂いが鼻を突き、反射的に鼻を塞ぐ。
魔法少女との戦闘中に介入する都合上、この手の臭いは嗅ぎ慣れたはずだけど、風の通りにくい空間だからか、普段とは濃度が圧倒的に違う。
「どうやら、お前の考えてるようにはいかないみたいだぞ」
「……先に進もう。まだ何もわかってない」
臭いに耐えて奥へ進むと、今度は巨大な陥没に突き当たった。
手前部分を見てみると、表面の土や岩石の断面がまだ新しく、周りにも巻き上げられた小石が転がっている。洞窟の地形ではなく、明らかに戦闘によってできたものだ。
「どうする? 私が先に見るか?」
小声で詩乃が尋ねる。意地悪ではなく、本当に気を遣ってくれているのが眼でわかった。でも、ここで甘えるわけにはいかない。
「ううん。あたしが行く。詩乃は見張ってて。……ありがと」
「わかった。気を付けろ」
詩乃の提案を振り切り、あたしは陥没の淵に手をかける。ゴクりと唾を飲み、覚悟を決めて奥を覗き込む。
「──っ!」
地獄絵図だった。
「そ、そんな──」
魔獣の死体が一面に広がっていた。
ある者は喉笛を切り裂かれ。ある者は心臓を抉られたまま磔にされ。またある者は雑巾のごとくぺしゃんこにされていた。亡骸から流れ出る、僅かに色の違う血液が底で混ざり合い、大きな血だまりが出来上がっていた。
「全滅か。私が言うのもなんだが、エグい真似しやがるな」
「まだわかんないわ! 生存者を捜しましょう!」
言いながら飛び降り、じゃぶじゃぶと血の池を突き進む。
「誰か! 生きてる奴は返事して‼」
大声を張り上げ、かろうじて一個体と認識できる魔獣に駆け寄り、息を確かめようと近づく。
「ひっ!」
うつ伏せに倒れていたそいつは、顔面を吹き飛ばされて絶命していた。
その魔獣を調べると、腹の下に一匹、子供と思しき魔獣が守られるように隠れていた。
「詩乃、いた! 一匹! おい、返事しろ、おい!」
詩乃が来るのも待ち切れず、隙間に手を突っ込んで、隠れた魔獣を強引に引っ張り出す。
「んぎぎ! あと少し──」
「やみくもに引っ張ってもダメだ。せーのでいくぞ!」
詩乃が梃子を使って死体を押し上げ、空間に若干の余裕が生まれる。
「せーの! せーの! せー──うお?」
魔獣の上半身が見え始め、もう少しと気合を入れ直した直後、魔獣から一気に抵抗がなくなり、そのまま吹っ飛んでしまった。
「いたた、大丈夫──」
頭を擦り、しな垂れかかる魔獣に声をかけ、喉が詰まる。
魔獣は下半身がなくなっていた。当然、息もしていない。
「あ、ああ……」
「夫婦か親子ってところか。弱い魔獣をさらい、群れをおびき寄せてから一網打尽にする。最近流行りの魔獣狩りだ。涙も涸れるくらい合理的だな」
茫然と事切れた魔獣を見つめていると、すでに立ち上がった詩乃が、知りたくもないことを教えてくれた。
「こんの──腐れ外道!」
容赦なく打ち寄せる無力感に、拳を地面に打ち付ける。
いつもそうだ。
魔獣の救出が間に合わなかったことが、初めてだったわけじゃない。今までもあったし、これからも絶対訪れるといつも覚悟している。でも、いざ目の当たりにしてしまうと、そんな覚悟はいとも簡単に打ち崩されてしまう。
これから先、どれだけ他の魔獣を助けようと、こいつらの命は帰ってこない。
助けることができた魔獣たちに感謝されても、間に合わなかった魔獣たちにとって、あたしはいつだって役立たずだ。
「ナツ。気持がわかるなんて偉そうなことは言わない。だがまずは落ち着け。お前の持ち味はそんなもんじゃないだろ?」
「そう、ね。ありがとう」
負の連鎖に飲み込まれそうになった意識を、詩乃が現実に引き戻してくれる。
きっとこの喪失感には、永遠に慣れないだろう。いや、慣れちゃいけないんだ。どれだけ辛くても、向き合い続けることこそが、あたしの魔女としての役割なんだ。
「さて──どうだ! 隙がなくてまったく仕掛けられないだろ⁉ 出てこい腰抜けども!」
詩乃が洞窟全体に叫ぶ。
その声に応えるように、いつかと同じくワラワラと魔法少女が現れる。各々目立つ場所に縫いと留められている交差金塊の組織紋。『太陽ルチル』に相違ない。
「……こんなにいるんだ」
あたしたちを包囲している人数は、以前山奥に誘い出された時と遜色ないものだった。
半分は顔に見覚えがあったが、もう半分は壊滅に伴い補充された人員なのか、まったくわからない。前者は復讐心をギラギラとたぎらせている一方で、後者は慣れない実戦に対する不安の色が濃いように窺える。
この短期間にあれだけの損失を補填してのけた手腕は大したものだが、さすがに経験の差はまでは埋められなかったようだ。
「ちぃ! だからひと思いにやっておけと言ったんだ」
「まだ言うか」
「当たり前だ。あの時そうしていれば、少なくとも今こうなってはいない」
「そんなこと……ないと思うけどな」
背中合わせで軽口を叩き合っている間にも、『太陽ルチル』御一行は各々の魔兵装を引っ下げて、ジリジリと距離を詰めてくる。
「来ましたわね! 魔女と裏切り者!」
聞くからに育ちのよさそうな声に振り変えると、深海色の着物を折り目正しくピチっと着こなした、お嬢様然としたお姉さんが見下ろしていた。
「なんだ、誰かと思えば紅さんじゃないか」
道端で知り合いに出くわしたような気やすさで詩乃が応じる。
詩乃にしてみれば、『太陽ルチル』は古巣になるわけだから、仲の良かった人もいたんだろうけど、にしたって緊張感に欠けるな。
「知り合い?」
「創設時のメンバーだし、世話にはなったな。……ていうかお前、覚えてないのか?」
「え? あ、え~……と」
指でコツコツとおでこを叩き、記憶の糸を手繰り寄せる。『太陽ルチル』のメンバーってことは、この間壊滅させた時にいたはずだよな? う~ん?
「──あ! ああ、はいはい思い出した! あの時のおっぱいさんね!」
「んな⁉」
確かに会ったことあるよな~と、ぼんやり考えていると、あの時これでもかと魔装衣を引き千切り、半裸に剥いて蹴っ飛ばした魔法少女さんでした。あまりにも胸の印象が強く、顔だけ見てもピンとこなかった。
「──っ!」
あたしの中では『おっぱいさん』で脳内登録してしまった紅さんとやらは、顔を真っ赤にして、バッと腕を絡ませ胸元を隠した。目元にうっすらと涙を浮かべているのを見るに、よっぽど恥ずかしかったんだろうな。……やったのあたしだけど。
「そっかそっか。胸元がはだけてないからすぐわからなかったのか。すみませんね~」
そりゃあんな辱めを受ければ、二度と過激な衣装で戦おうとは考えんわな。
「言わせておけば、人を胸だけの女みたいに言わないで下さる⁉」
「だってそこにしか眼が行きませんもん。あなたみたいに人は、顔なんてないと死んじゃうから付いてるようなもんでしょ? いいじゃないですか、減るもんじゃなし」
「バカ言わないで下さいまし! 減りはしませんけど穢れるんですのよ!」
「またまた~。なんならまたストリップします? あたしはいつだってうぇるかむですよ?」
「だ、黙りなさい! もうあの時のようなヘマは致しませんわ!」
「どうですかね~? 戦闘中に自分のなりで隙を見せるような甘ちゃんに負ける気がしないんですけどね~。それとも、成長したのはおっぱいだけじゃないんですか?」
「こんの、ガキが──っ!」
こちらの度重なる挑発に、ついにお嬢様の牙城が崩れる。
涼しい顔しちゃいるけど、あたしだって本当は問答無用で殴り掛かりたい。けどそれこそ向こうの思う壺だ。今できる最良の選択は、話を逸らせるだけ逸らし、とにかく向こうの気勢を削ぐ。そうして得られる情報だってある、ここは我慢だ。
「覚悟なさい。この日のために、わたくしたちがどれほどの準備をしてきたか──」
「紅さんもうわかったから話進めてくれ~」
詩乃もそこは承知しているのか、背後からうんざりした声が聞こえる。気だるそうにしながら、錫杖に身体を預けている姿が目に浮かぶ。あたしなんかより断然役者だ。
「紅、もういい。わたしが話す」
「アカリ。いえ、ここはわたくしが──」
「もういいと言った。乗せられてるのがわからないのか? 下がれ」
「──わかりましたわ」
紅は一瞬だけ眉間にしわを作ると、右に避けて場所を譲った。
その場所へ入れ替わるように、空色の魔装衣をひるがえし、満を持して『太陽ルチル』の代表、アカリが現れる。
「灯──じゃない、アカリ、久しぶり! 元気そうで何より!」
「…………」
「聞いてるわよ。あんたが頭で『太陽ルチル』を立て直してるんでしょ? あの状態からここまで持って行くなんてやっぱりあんたスゴいよ。詩乃が始末しとけって言うわけだ」
「…………」
「ヒカ──お姉ちゃん最近どうしてる? こっちから押しかけといて会いに行けなくてゴメンね。夏休み辺りに会いたいなって思ってるんだけど、いつ大丈夫か聞いといてくんない?」
「……一つだけ、教えろ」
ようやく出てきたアカリの言葉は、小学生とは思えない迫力を備えていた。
「紗百合を殺したのはお前か?」
「サ、ユリ? 名前で言われてもわからないわね。特徴は?」
「椛色の魔法少女だ! 同じ色の、銃闘剣を付けた、狙撃銃の!」
わなわなと身体を震わせ、アカリは声を荒げる。文法がちぐはぐだが、だからこそ怒りという直接的な感情がわかりやすく伝わってくる。
「狙撃銃か……ん?」
聞いた情報を反芻し、ここ最近で討伐した魔法少女たちを思い浮かべていく。
「──ああ、あの子か」
程なくして、言っているであろう魔法少女に思い至る。つい先日、公園で勇猛果敢に立ち向かって来たと思ったら、数発で泣きだしたあの子のことだろう。
「同い年なんだってね。友達想いでいい感じの子だったわ。あんたにもすごく感謝してたし」
「……殺したんだな?」
「魔獣に害をなす奴に例外はないわ。例え新人で、あんたの友達でもね」
「ふん」
背後から例外さんの鼻で嘲笑う音が漏れ聞こえた。
「ふざけるな!」
まさしく『堪忍袋の緒が切れた』を地でいく絶叫が洞窟内に反響する。
「紗百合、あいつはな 真面目で一生懸命で、少しどんくさくて──」
思い出でもよぎっているのか、アカリから紡がれる言葉の端々に嗚咽が混じっている。
「やっと、ようやく魔力と魔兵装の扱いにも慣れてきて、これからどんどん楽しくなるとこだったのに、それをお前は──」
「魔獣殺しを楽しまれたらたまんないわね」
今のは聞き捨てならない。魔法少女が命なら、魔獣もまた命。それを道楽のように吐き捨てるアカリの口ぶりに、黙っているわけにはいかない。
「くっ! 紗百合だけじゃない。何人も何人も何人も何人も何人も──お前のせいで‼」
駄々をこねる子供のように──実際子供だけど──アカリが地団太を踏む。
アカリが憤るのももっともだ。
あたしたち魔女側の方針は現在『練度の低い後発型魔法少女を優先して叩く』だ。
手塩にかけて育てた新戦力が、なんの戦果も上げないまま続々と討伐されていく様は、劣勢を覆したい向こうさんからすればさぞ腸の煮えくり返る思いだろう。そこも見込んだ上での作戦なので、当然と言えば当然だけど。
ピシャンッ!
「アカリ、もう十分でしてよ。今日こそ、みんなの仇を討ちますわよ!」
横で控えていた紅が、自らの魔兵装である鞭を打ち付ける。その音に打たれたように、展開している魔法少女たちの表情にも険しさが増す。
「今度こそ、お前たちは終わりだ。楽になんて殺さない! 苦しみぬいて死にやがれ!」
アカリが手をスッと振り上げるのを合図に、彼女たちの瞳から殺意が再燃していく。
「上等! 何度だってブッ潰してやるっての!」
あたしもこれでもかと『兵戈槍攘』をブン回し、挑発に応える。
「気を付けろ。紅さんの魔兵装『紆余曲刹』は変幻自在だ」
「知ってる知ってる。アレ引っ掴んで引っぺがしたんだから」
「ああ、そうだったな!」
傍らの相棒も絶好調。数だの地形だの、そんな理屈は関係なく、負ける気がしない。
「各個抜装! 殲滅しろ‼」
アカリが叫び、勢いよく左手を振り下ろした。戦闘開始! 一気に先手必勝で行く!
「一番槍いただきましてよ! 覚悟なさ──」
と、紅の威勢の良い声が途切れる。
「くぅぅ、あぁぁ!」
その胸から、鋼色の刀が生えていく。
「んな⁉ 嘘でしょ?」
「よりによってここで来るか」
あたしと詩乃だけでなく、『太陽ルチル』の面々もまた、眼の前の光景に唖然としていた。
その刀には嫌というほど見覚えがあった。昨夜、あたしに深手を負わせ、詩乃の肩口に傷を負わせた、忌々しいあの刀だ。
「な? そ、な──」
「…………」
紅は魚のように口をパクパクと動かし、焦点を失った瞳を彷徨わせている。その影から、まるで今しがた現れたかのごとく、ぬうっと奴が姿を見せた。
「な、誰──? あ、なたは」
「邪魔をするな」
簡潔に囁くと、奴はおもむろに刀を引き向き、眼の前の陥没に紅を蹴り飛ばした。
「がぁ──」
受け身もろくに取れないまま、紅はザリザリと斜面を転げ落ち、魔獣たちの血だまりに顔面から突っ込んだ。
そして奴の刀には、紅の魔力塊である深海色の輝きがきっちり残されていた。
「──ふっ!」
まとわりついた魔力塊を、奴は血糊を振り払うように弾き飛ばすと、魔力塊は奴の周囲に漂いはじめ、まるで溶け込んでいくように体内に吸収されていった。
「盟約に従い堕溺せよ。──『村雨』‼」
間髪いれずにお馴染みの呪文で獲物を輝かせると、奴は茫然としている魔法少女の一人に狙いを定め、容赦なく斬りかかった。
「あ……ああああっ! 痛い⁉ ああああ、お母さん‼ ──があぁぁ」
一度聞いたら二度と忘れられない壮絶な断末魔とともに、鮮血が激しく舞い散る。その一連を確認もせず、奴はまた新たな獲物を求めて疾駆する。
「⁉ く、くらえ! くらえ!」
こちらは古参だったのか、魔力弾を放って応戦する。しかし数も威力も低い豆鉄砲であり、いとも簡単に躱されてしまう。
奴はあっという間に魔法少女の懐に入り込むと魔兵装を切断し、その勢いのまま心臓に刀を突き立てた。
「──んぁ。……あ」
声を上げる暇さえ与えられなかった魔法少女は、紅同様陥没へ蹴り落とされ、奴は息をするように流れる動作で魔力塊を吸収する。
「討伐した魔力塊をその場で使ってるのか? どうりで強いわけだ」
「……うん」
こんな事態でも冷静な詩乃の分析に、短く相づちを打つ。
魔力塊は使わずに温存する。
これはあくまで、あたしの決めごとだ。他の連中がどんな風に使おうが口を挟む筋合いはないと、頭では理解している。
だとしても、魔力塊は魔法少女たちの願いの結晶であり、命そのものだ。まるで乾電池でも取り換えるみたいに使い潰す奴の戦い方を前に、嫌悪感を抱かずにはいられない。
「何ボサっとしてんだよアカリ⁉ 撤退だ! お前ら、あいつを囲んで足止めしろ! アキラ! アカリを連れて退け!」
「わかった。行くよアカリ」
「ラン! 待て余計なことするな! アキラ、クソ離せ! 今は魔女を──」
「それどころじゃない。このままじゃまた壊滅。ていうかもう壊滅してる」
「な、なんで。ここで……ここでやらなきゃ、なんのために今まで──」
アカリは、幹部と思しき魔法少女に抱き抱えられ、喚き散らしていた。指揮官からしてあれでは、『太陽ルチル』の総崩れは必至だ。
「い、嫌! 死にたくない! や……嫌ぁ!」「ごめんなさい! お兄ちゃん! 許してもうしないから!」「お母さん助けて……お母さん」
これぞまさしく阿鼻叫喚。逃げ惑い、腰を抜かし、魔法少女たちは絶叫する。中でも家族を求める者は悲惨の極みで、胸の辺りを否応なくキリキリと締め付ける。
命令を聞けるほどの冷静さを保った魔法少女は、ほとんど残っていない。わずかに戦う意思のある者たちでさえ、自身の間合いを守るので手一杯で連携が取れず、散発的な攻撃を繰り返すに留まっている。
その隙に付け込まれ、一人また一人と魔法少女が倒れていく。
「──ふっ!」
近くの魔法少女を片付けると、奴はやや離れたところにいる魔法少女に狙いを付け、下段に構えていた刀を力強く振り上げる。あたしも苦しめられた、謎の攻撃だ。
「うぇ⁉ ……痛いっ! い、痛いぃぃっ!」
数瞬の後、被弾した魔法少女は悶絶し、地面をのた打ち回る。
「……今のって、氷?」
一瞬だけど見えた。刀から弾き出された水滴が針状に氷結し、魔法少女に突き刺さるのを。
その事実を踏まえ、改めて注目してみると、奴の刀は刀身が凍りついていた。それはドライアイスのような白い湯気が揺らめき、表面にできた氷結模様が夕日に照らされている。
「あれは、氷だったのか」
昨日は夜だったか気がつかなかったけど、これで謎が解けた。
奴は刀身に着いた水滴を払った瞬間凍結させ、氷の針として飛ばしていたんだ。
魔力で凍らせていると言っても、所詮は水の一滴。傷口の血に混じってしまえば凶器も残らない。射程外の相手を足止めするにはうってつけの攻撃だ。
「あんな戦い方があるなんて……」
「ああ。『抜けば玉散る氷の刃』とは、よく言ったもんだ」
昨夜の襲撃からこっち、度肝を向かれっぱなしだが、こちらのことなどお構いなしに、奴は逃げ惑う魔法少女たちの背中に、容赦なく氷針を浴びせかかる。
「ま、待って! お願いやめてやめてやめ──」
淡々とした動作で、奴は転倒した魔法少女たちの無防備な背中に刀を突き刺していく。
かれこれ一分くらいの時間に、半数近い魔法少女が被害に合っていた。損害の波及率から考えて、もう一分も経てば残りの半数も似たような運命を辿るだろう。
この日のために入念に準備を整え、人材を補充し、ようやく再編したであろう『太陽ルチル』は、たった一人の魔法少女によって奇襲され、またしても壊滅してしまった。
もはや気の毒という言葉すらはばかられる惨状を前に、あたしたち──というかあたし──は影を縫い止められたように、その場から動けなかった。
「…………」
奴に加勢するべきか、『太陽ルチル』を助けるべきか。
いや、『太陽ルチル』は敵だ。むしろ壊滅してくれるなら好都合。敵の敵は味方なんて安易ではあるけど、今日ここに関しては間違ってはいない。
なのに、なんだこのモヤモヤは?
「これは駄目ね。あなたたちもさっさと逃げなさい」
思考を巡らせ、どうするか決めあぐねていると、今まさに飛び散っている鮮血のように真っ赤な魔法少女が一人、すっと傍らに降り立った。
「おお、青さん。あんたも来てたのか」
詩乃が青さんと呼ぶその人は、紅と似たような着物系の魔装衣ではあったけど、あちらと違い胸と肩は大胆に露出していて、実に眼のやり場に困る。言い方はよくないかもだけど、さながら時代劇に出てくる花魁のような佇まいだ。
しかし見ようによっては下品ともとれるその装いも、この人の場合は不思議と堂に入っていて、むしろ大人の女性という成熟された雰囲気をこれでもかと漂わせている。
「あなたが魔女ね。始めまして、会いたかったわ」
「え? あ、はい」
艶っぽい瞳に見つめられ、言葉が詰る。別にそういう趣味があるわけじゃないけど、同性のあたしでも反射的に一歩引いてしまうほどの魅力が、この人にはあった。
「落ち着け。この人は魔法少女の中でも、頭の柔らかい方だ」
「あらあら、口が悪いのは相変わらずみたいね」
「おかげさまでな」
叫び声が反響する喧騒を後ろに、元同僚同士の井戸端会議が始まった。
「あんたにしてみたら災難だな。こんな有様で」
「そうね。ヒカリがいなくなってから、いつかこうなるんだろうなって思ってたけど」
「これからどうするんだ? 青さん」
「う~ん、もうしばらくは付き合ってみるつもりだけどね。アカリを一人にしちゃうのも可哀想だし。あの子、ああ見えて寂しがり屋だし」
「そうか。……応援はできないが、がんばってくれ」
「ええ、がんばるわ。じゃあね」
青さんはそう言い残し、血の池に沈んでいた紅を背中に負ぶると、颯爽と走り去った。
「……ああいう人もいんのね。ちょっとビックリ」
「さしずめ中立派ってとこだな。強いし」
何気に最後の一言が一番重要だよなと、改めて思う。魔法少女の世界に限らず、腕っぷしでも心意気でも、自分自身を貫く強さは何よりの資本だ。
「にしてもみんな、本当にいなくなっちゃったな」
思い出したように洞窟内を見渡すと、さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
『太陽ルチル』も撤退し、この空間にいるのはあたしたちと奴だけだ。
あれだけ総崩れだったにも関わらず、討伐された魔法少女はきちんと回収しているのはさすがだ。さっきの青さんも含め、どんなところにも抜け目ない人はいるものだ。
「…………」
小休止のつもりなのか、奴は陥没の縁に立ち、眼光鋭くこちらを見下げていた。
「……あいさつくらいしておくか」
一歩踏み出し、奴を見上げる。
「コホン。いやーにしても助かったわ! あんたのおかげで手間が省けてさ! お見事!」
まずは奴の功績を称えるところから。
『太陽ルチル』には勝つつもりでいたし、不安もこれといってなかったけど、戦う以上は無傷で終わるなんてことは有り得ないし、時間もかかると踏んでいた。
それを奴は、三分にも満たない時間に単身無傷でやってのけた。
結果、時間は大幅に短縮され、あたしたちは魔力も体力も温存できた。敵とはいえ、礼の一言くらいかけてもいいだろう。
「…………」
安定の無言。今更返事をなんて期待しちゃいないけど……。
まあ最大の問題は、そんな大層なことを平然と成し遂げてしまう輩と、これからやり合わないとイカンということなんだけどもな。
「んで、提案なんだけどさ、今日のこれは昨日の迷惑料ってことで、ひとまず手打ちにしてやってもいいかな。……なんて、ダメ?」
「……っ」
わざとらしく小首を傾げたのがいけなかったのか、奴は眼をスっと細め、スっと刀を構え直した。同時にその眼から、全身から、殺気が溢れるのが伝わる。
「あ~、ダメみたいですね」
「予定調和だな。今度こそ沈めるぞ!」
詩乃も同じように瞳をギラつかせ、これでもかと闘志をたぎらせている。ここだけ見ていると、あたしよりこいつの方がよっぽど狂気じみている。
「盟約に従い堕溺せよ。『村雨』」
刀が発光し、刀身が雪色に煌めく。
やはり氷針や切れ味を上げるには、あの呪文を唱えないとダメのようだ。そしてそれが今唱えられたということは、これから派手な何かが巻き起こるということを意味する。
「──ふっ!」
ガシィッ!
奴は刀を逆手に持ち替え、勢いよく地面に突き立てた。
「御神渡り!」
「「──っ! 〈詩乃〉〈ナツ〉、跳べっ!」」
身の毛もよだつ悪寒が全身を這いまわり、咄嗟に互いの名を叫び、跳ぶ。
バァチィィィィンッ!
今しがた立っていた大地が裂け、巨大な氷牙がいくつも生まれ、襲いかかる。
「まだあんのかよこんな大技⁉」
悪態を付き、突撃で強引な軌道修正を繰り返して迫りくる氷牙を躱す。
地面から、壁面から、はたまた氷牙自身から、氷牙はとにかく全方位から形成され続け、鋭い先端であたしを貫かんと殺到する。
身体が『これ以上変な動きをするな』と、痛みという実にわかりやすい形で訴えてくるが、聞き入れてしまったが最後、あっという間に串刺しだ。
「はあ……はあ……はあ」
陥没の外縁ギリギリに着地し、なんとか退避に成功する。
間一髪だった。もしお互いの声を聞いてから反応していたら、絶対間に合わなかった。
「上だ!」
間髪入れず、奴はあたしの頭上を押さえ、勢いの付いた一振りを見舞ってくる。
「クソ! ──うお⁉」
反射的に『兵戈槍攘』で受け止める。切断こそされなかったものの、真上から攻撃をもらってしまった衝撃で地盤が崩れ、再び陥没内に落下してしまう。
「痛っつつ……! この、よくも──」
片膝をついて立ち上がると、眼の前クマの魔獣が立っていた。
「へ、なん……え⁉ まさか生きて──」
ブスリ……ッ!
その腹から、赤黒い血を塗り付けた氷の刃が生え、あたしの右肩に深々と刺さった。
「──つぅ! ああ……‼」
激痛に顔が歪む。素早く魔獣を蹴り、その勢いで距離を取る。
『兵戈槍攘』を握る右手に力が入り難くなる。左手で傷口を庇うと、お湯に浸したスポンジのような感触が伝わり、肩も手も真っ赤な血でベットリだ。
「こんの、外道が!」
やられた! 奴は、あたしが魔獣に同情しているのを知っていて、一瞬の隙を作るために死体を前に出したのか。
『例え死体であっても、あいつは魔獣を攻撃できない』
あたしは奴に、そう思われていたことになる。舐められたもんだと腹が立つが、対処できなかった以上、こちらの読み負けだ。
「──っ!」
奴はあたしの反応に味をしめたらしく、手近にあった魔獣の死体を掴み上げるや、次々と放り投げてくる。
「うわ! くそ!」
出血によりダルくなり始めた身体に鞭打って、放物線を描いて落下してくる死体たちをただひたすら避けることに徹する。
「……ぐぁ!」
しかし直撃はせずとも、近くに落下した際の衝撃はかなりのもので、全身が揺さぶられて一層身体が重くなっていく。
「はあ、は──くそ! なんだあいつ⁉」
魔力で腕力を強化している分を差し引いても、細腕一本で平然と魔獣を持ち上げる奴の姿ははっきり言って異常だ。
「『何事も、移ればかわる世の中を、夢なりけりと、思ひざりけり』──滅‼」
放たれた魔獣の亡骸が、火炎の奔流に飲み込まれ、塵と消える。
「生者が死者にかまけるな! 死にたいのか⁉」
続々と投げ飛ばされてくる魔獣の死体を、詩乃は容赦なく焼き払い、迎撃する。充満した血の匂いに魔獣の焼け焦げる匂いが加わり、いよいよ鼻がヒリヒリと痛くなってくる。
瞬く間に炭化した死体が周囲に山積みとなり、燃え損ねた体毛がチリチリと宙に舞い上がっていく。さながら洞窟内は火災現場と化していた。
「──っ!」
群れの親玉だろうか? これまでより一回りほど大きい死体が投擲される。
「──こんのぉ‼」
詩乃も出力を上げた炎弾を打ち出し、応戦する。
ドォォォォンッ!
最大級の炎弾をくらった死体は、蒸発するように一瞬で燃え上がり、気化した血や周囲の粉塵を巻き込み大爆発を起こした。
「うお⁉ ……どうだ畜生が⁉」
ヒュヒュンッ!
眩しく光る爆炎をかいくぐり、氷針が詩乃へ殺到する。
「しま──あぐぅ!」
後悔を叫ぶと同時に、詩乃がその場に膝をつく。
「詩乃、しっかりして!」
痛みをこらえて駆け寄り、無事な方の腕を回して肩を貸す。
「なるほどな……こりぁ痛い。お前が泣き叫ぶわけだ」
額に脂汗をにじませ、詩乃は不敵に笑う。弱々しい強がりが、余計に悲壮感を引き立てる。
「バカ言ってんじゃない! 行くよ!」
詩乃を半ば引きずる形で、あたしは戦場に背を向ける。
魔力で氷結させているとはいえ、あれだけの熱をもろに受けて溶けもしないなんて。これが魔力塊を平然と使い潰す奴の戦い方ってわけかよ!
意識の跳びかけた頭が、グルグルと思考の渦を巻いている。文句の付けようもない、二度目の敗北だった。
堕溺兵装の登場。魔力塊の使用。死体による不意打ち。
結局あたしたちは、今日まで築き上げてきた経験則に縛られ、固定された概念で戦い、まんまと逆手に取られてしまった。
『もしかしたら、あたしたち専門の討伐部隊なんてのも作られるかもしれない』
ヒカリと友達になりに行ったあの日、あたしは確かにそう思っていた。──にも関わらず、蓋を開ければこのザマだ。
きっと無意識下で『そんなことになっても、あたしたちなら大丈夫でしょう!』という、なんの根拠もない自信が先行し、可能性から眼を背けてしまっていたのだ。
完全な思い上がり、完全な慢心だ。
ズンッ!
「え? もうかよ──がは⁉」
眼前に奴が現れたと思うと、重い衝撃が無防備な横っ腹に走る。接近され、回し蹴りをもらったらしい。そう悟った瞬間には、詩乃と錐揉み状態で地面を転げ回り、そろって壁面の端に叩きつけられていた。
「──あ……ゴホッゴホッ! ……くっそ!」
衝撃に息が詰まるが、咳き込んで気道をこじ開ける。滲む涙を拭って視線を送ると、奴は勝者の余裕を一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりとこちらに向かって来る。
昨日もそうだったが、あれは演技なのかクセなのか? どっちにせよ、ろくな結果にならないのだけはわかってるけど!
「詩乃、下がりなさい。早く!」
背中に無理矢理詩乃を押し退け、地面を削るようにあと退る。
「『快刀乱魔』も出して食い止めるから、あんたは先に脱出して!」
「バカか、討伐はお前しかできない。私が結界を張るから、その隙に──」
「バカはあんただよ! こんなところで倒れたら、お兄さんはどうなるの? あたしが時間を稼ぐから、とにかく逃げろ!」
「こんな時までお見合いしてる場合か! お前が行け!」
日常もかくやの言い争いをしている間にも、燃え盛る炎に切り取られた奴の影は、どんどん大きくなっていく。
「頼む、ナツ。行ってくれ……」
「嫌! 絶っ対っ嫌っ!」
「この、腐れ外道!」
「あんたもね! 来なさい『快刀乱麻』!」
右腕がこんな状態では、もう長物は振るえない。『兵戈槍攘』を分解し、入れ替わるように漆黒の炎が左手から迸り、このところご無沙汰だった闘剣を握りしめる。
「……いいか、まず私が雷撃で攪乱する。その隙に足をやれ。こうなったら二人で帰るぞ」
「ふん。そうこなくっちゃね!」
短時間で腹を括った詩乃と短く打ち合わせると、奴はもう眼の前に立っていた。
「…………」
「あんた、マジで強いね。正直、こんなやられるなんて思わなかったわ」
「……好きなだけ、恨んでくれて構いません」
えげつないことをしようとするわりにはえらく丁寧な言葉遣いで、奴は突きの構えを取り、あたしの心臓に狙いを定め、止まった。
「あれ、何? まさかビビっちゃった? 来るなら来いよ臆病もんが!」
ほとんどやけくその虚勢で奴を煽ってみる。どれだけ意味があるかはわからないけど、何にもしないよりはマシだし、一瞬でも気が逸れれば儲けものだ。
ここまできたからには、最後の最後まで足掻いてやる。せめてあいつの素顔くらい拝まないと気がすまない!
「では──」
シャリィィィィーーーーンッ!
捨て身の覚悟で身構えた直後、鎖が滑車を高速で回転させるような、甲高い金属音が洞窟内に鳴り響いた。
「⁉ く!」
その音を聞くや否や、奴は舌打ちして後退。直後、奴が今しがたいた場所から大量の土埃が巻き上がる。
「ふぅー。なんとか間に合ったみたいだね! 大丈夫二人とも?」
奴と入れ替わるようにスタッと着地したその人は、語りかけながら振り返る。
「は……え? え、唯姉、さん?」
その顔を見て、あたしはその人の名を呟いた。
「第二の魔女! 中田唯音、ここに推参だよ!」
「ま、魔女? ……姉さん、何言って……だって、へ?」
意味がわからない。いや、わけがわからない。なんでこんな場所に、この人が立っているのか。まったく理解できない。てか、本名言っちゃダメだろ⁉
「ずいぶんと派手にやられちゃってるね。でも安心よ。なんたってわたしが来たからね!」
自信満々に言ってのける唯姉さんを前に、そのまんまの意味で開いた口が塞がらない。
「だ、だって……姉さん、その格好」
「ん? ああ、コレ? ムフフ、似合うでしょ?」
降ろしたての一張羅を見せびらかす子供のように、唯姉さんはクルリと回ってみせる。
その姿は確かに、あたしと同じ魔界の軍装ではあったけど、違う部分がちらほらあった。
Yシャツの胸元にはリボンタイが巻かれ、本人の愛らしい印象によく咬み合っている。
あたしのようなももがダボダボのズボンではなく、キッチリとしたタイトスカート。両端には下着が見えるんじゃないかってぐらいきわどいスリットが入っているけど、下に履いているスパッツがその儚い希望をものの見事に打ち砕いている。上着にはマントだろうか? 戦闘で邪魔にならない長さのものが陽炎に揺られてはためいている。
あたしの魔装衣が戦闘用なら、唯姉さんは大方、指揮官用とでも言うべきか。機能性を重視したあたしに比べ、その姿はずいぶんと華やかだ。
そして決定的なのが、右手に収まっていた魔の付く世界御用達とも言える闘剣だ。まだ何者の血も吸っていないであろうその刃は、腹を空かせた獣のように鈍い光沢を持ち、周囲の炎をその身に映している。
「じゃあ、ちょっと行ってくるから、ゆっくりしててね」
唯姉さんは微笑んでから踏み出し、成り行きを見守っていた奴と対峙する。
「……何者だ?」
「聞いてなかったの? 第二の魔女、中田唯音よ。この子たちの先輩ね。ずいぶんと可愛がってくれたみたいで、どうもありがとう」
「だから本名を言うなと!」
平然と個人情報を暴露する唯姉さんに場違いにもツッコむ。
声自体はひどく穏やかなものだが、要は『お前よくもやってくれたな絶対許さないかんなコラ!』と、昔馴染みであるあたしには聞こえる。
「ちゃんと答えたんだから、あなたのことも教えてほしいな~」
「…………」
「何、言えないの? う~ん、おかしいなぁ~。もしここでわたしたちを倒すつもりなら、洗いざらい喋ってくれても問題ないはずなのになぁ~。自信ないのかなぁ~」
「……おいおい」
どっかのマンガからまんま持ってきたようなコテコテの挑発に、思わず頭を抱える。
「言っておくが、お前もいつもあんな感じだからな?」
「うお~……マジか?」
後ろからの容赦ない一言が突き刺さり、二重の意味で頭痛が痛い。
「よぅしいくよ! 初陣だけど、負けないから!」
こっちのことなどお構いなしに唯姉さんが突っ込み、奴と切り結ぶ。
「……──くっ!」
キィンッ! キャァァンッ! ガァン! ギィィッ!
正面から打ち合う音。側面で受け止める音。横合いから受け流す音。互いに削り合う音。どれ一つ同じ音のない戦場に、同じ数だけ火花が踊る。
繰り出される一撃一撃に、己のすべてを賭け、出自の異なる二つの刃が、互いを沈めんとぶつかり合う。両者の眼には一点の曇りもなく、真剣そのものだ。
片や刀、片や闘剣。この戦いはまさに、暁天空領と魔界、双方を代表する武器の王が激突する頂上決戦と言っていい。
「……すご」
あたしは一瞬でその戦いに魅せられてしまった。
どちらの一挙手一投足も見逃すまいと、瞬きする手間さえ惜しく思い、時間の流れすら遅くなったように感じてくる。
「あ、いたいた! おーい、ケン! いたよー」
《棗、詩乃! 大事ありませんか?》
そんなあたしの興奮をぶった切るように、物影から犬と少年がひょっこり顔を出し、足早に駆けて来る。
「あんたたち、今まで何やってたの⁉」
《話はあとです。まずは手当てを》
ケンはあたしに、仁は詩乃に付き、それぞれの患部に手をかざし、魔力を送り込む。そうすることで魔力が優先的に循環され、通常の再生より治癒が促進される。
「ケン、あれは何?」
奴とチャンバラに興じている唯姉さんを指差し問いかける。
《見ての通りです。私が契約を持ち掛け、彼女が応じてくれました》
「っ! お前なんてこと──」
「ナツ、やめろ。魔の付く奴らに人間様の理屈は通用しない。いい加減わかれ」
足の一本でも引っこ抜いてやろうかこの駄犬と思い手を伸ばすも、背後から詩乃の腕が伸び動きを制される。
「第一、あのままだったら私たちは今頃、全部忘れちまってる」
「そうだけど……でも詩乃、でも──」
そんなことは百も承知だ。もし唯姉さんが救援に来なかったら、あたしたちは奮戦虚しく討伐され、黒焦げになった洞窟でここがどこかもわからないまま遭難していた。
だとしても、あたしの怒りは収まらない。
何が許せないって、直前まで全部内緒にされていたことがだ。
魔の付く話を唯姉さんにしたこと自体許せないけど、決断したのが唯姉さんの意志なら、異議を挟む権利はあたしにない。
だけど誘うなら誘うで、なぜあたしに一声かけなかったのか?
先に言ったらあたしが反対するからか?
都合の悪い話をあたしに吹き込まれたくなかったからか?
事後報告ならなし崩しにできるとでも思われていたのか?
どれが答えかはわからない。けど、こいつらにとってあたしは、その程度に足る存在だと思われていたのが、何より一番ショックだった。
「棗姉ちゃん、違うよ!」
考えが顔に出ていたのか、仁が否定してくる。
「僕の方から謝るよ。この件を知らせないでおこうって提案したのは僕なんだ。棗姉ちゃんたちが契約のことを知ったら、奇襲の優位性が損なわれるかもしれなかったから」
《そうです。苦戦を強いられても援軍が来る。これを予め知っている者は、どうしても行動の機微に余裕が垣間見えてしまいます。手練れが相手であればなおのこと、そこを見抜かれてしまう可能生がありました。結果、敵の意表を突くことに成功し、こうして全員無事です》
「ご覧の通りボロボロだけどな」
ケンのもっともらしい説明に、詩乃がすかさず横槍を入れる。どうやらあたしと同じ思考に辿り着いているようで、彼らに送る眼光も鋭い。
「魔界のことも、棗姉ちゃんたちのことも、何一つ隠さないで話したよ。いい面も悪い面も全部ね。今二人が考えてようなことは、やってもいないし思ってもいないよ!」
「……ああ、そう」
それを聞いてもなお、あたしは納得できずにいた。
どれだけ人間の姿をしていようと、どれだけ言葉を交わそうと、所詮あたしたちは別の生物であり、異界の存在だ。普段は割り切れているように見えても、急を要する局面になると、こういった些細な齟齬がどうしても顔を覗かせる。
《棗、あなたの言いたいことはわかっています。私も謝罪だけで済むとは思っていません》
ケンは犬なりに居住まいを正し、ペコリと頭を下げた。黙っていたことに対する後ろ暗さは感じているようだ。だからといって『はいそうですか』と簡単に許すつもりはないけど、気勢が幾分か削がれてしまったのも事実だった。
《お叱りは後程いかようにも。しかし今は治療に集中し、唯音を見守ってあげて下さい》
「って言われてもな──」
「ははっ! すごいこれ! わたしの身体じゃないみたい! さあさあ、どうしたの張り合いないわねぇ! あの二人みたく本気出してよ! あっはは!」
「……あれにそんな必要あんの?」
わざわざそんなことしなくても、唯姉さんは絶好調なご様子。
眼は爛々と輝き、歓喜に声は裏返り、技のキレも次第によくなっている。何より本人がめっちゃ楽しそうだ。
詩乃はよくあたしの『狂気』を引き合いに出すけど、ああやって口に出している人を傍から見ていると、あたしって存外普通なんだなと、少しだけホッとする。
「いや、だからお前もあんな感じなんだからな?」
「いや、それはないわいくらなんでも!」
さっきまで生きるか死ぬかの瀬戸際だったってのに、予想のはるか上をいく闖入者の登場により、すっかり緊張の糸が切れてしまった。
「ま、まあ、契約して初めての実戦だから、いろいろとハイになってるかも──」
「うっはは~! なんだあなた強いじゃない! もっと、もっとイケるでしょ⁉ ねぇ!」
仁のなけなしの擁護が、本人直々の嬌声によって掻き消される。
「……とりあえず、見るだけ見てみよう。不利になれば私たちが加勢すればいいわけだしな」
「了解っす」
詩乃共々、改めて唯姉さんを見守る方針でいく。
「せいやっ! はあっ! やるわね、それなら──」
「……っ! くうっ! ……っ!」
威勢がいいのは最初だけなのかと思いきや、唯姉さんは結構いい勝負をしていた。
奴の太刀筋を的確に予測し、受け流して相手の嫌な位置に移動し、次の攻めに繋げる。ただ喚き散らしているだけでのように見えて、やってることは堅実そのものだ。
当然奴も同じように仕掛けてくるけど、まったく見劣りしないどころか、唯姉さんの方が心なしか押しているようにさえ見受ける。
「おいおい、あれって何気にスゴくねーか?」
「おかしいな、唯姉さんって運動そこまで得意じゃないはずなんだけど……」
運動音痴ではないにしても、唯姉さんはそこそこ鈍くさい。
あたしが助っ人を始めたのも、『わたしはダメダメだけど、こんなヤバい子持ってます!』ってのが触れ込みだったぐらいだし。
《契約時に棗の魔力運用実績を基に回路を編集していますので、その成果かと。唯音の魔力伝導効率はあなたのそれに比べ、かなり向上しているはずです》
「は⁉ なんだよそれ! あたしは実験台かよ! 次から次へとさっきからお前は──」
「待て待てナツ! 後発が先発の情報を織り込むのは当然の流れだ。魔法少女だってそうだっただろ?」
詩乃の腕パート②があたしの自由を遮る。
《そうです。棗から得られた情報は、通常では知り得ることのない貴重なものであり、次代へ活かさない手はありません。何より、結果的にあなたの負担が減るのですから、なぜそんなにも憤るのか私にはわかりかねます》
「いやまあそりゃそうなんだけど! でも、なんかこう──あるでしょ? ねぇ?」
《わかりませんよそんな抽象的に言われましても》
と、ケンはケンでウンザリしているらしく、珍しく声にトゲがある。
「くそ!」
打ち合いで勝負に持ち込めないと判断したのか、奴は短く毒づくと、斬撃を躱しつつ後方に跳び、距離を取った。
「ならこっちも攻めて行くわよ」
一切の間を挟むことなく、唯姉さんも追撃し、大きく跳躍する。
「さあ行くよ! 『有刺鉄閃』!」
シャリィィィィーーーーンッ!
唯姉さんが魔兵装の名を叫ぶと、呼応するように刀身に等間隔の溝が生まれ、蛇のようにうねる軌道を描き、奴に襲いかかった。
「⁉ ぐう──っ!」
奴はそのまま防ぐ構えを取り、剣撃をいなす。
「まだまだ! こんなものじゃないわよ!」
鎖の擦れる音が響く中、一分の隙も見せるとこなく、唯姉さんは四方八方に攻撃を放ち、奴を釘付けにする。
「もしかしてあれ、蛇剣か?」
「じゃけん? あの闘剣のこと?」
「そうだ。鞭みたい伸びる剣で、作り話にしか出てこない浪漫武器だな。魔の付く獲物なら、さしずめ蛇闘剣か? にしてもアレ、どうやってんだ?」
「うん、わかんない」
さっき紅さんじゃないけど、目標に向かって放たれた鞭は基本的に直線であり、正確な軌道さえ掴んでしまえば、攻撃自体を捌くのはさほど難しくない。
だけどあの蛇闘剣は、空中で自在に軌道を変え、不規則な挙動で奴を翻弄している。明らかに別の意志があるような動き方をしていた。
《お二人とも、そこは魔力です》
「「…………」」
この世に存在しうるあらゆる不思議を根こそぎ片付けてしまう、最強便利文句があたしたちを襲う。
「……っ!」
「へ?」
気の抜けた炭酸水みたいに事態を見守っていると、ほんのわずかな瞬間、奴と眼が合った。
「ふぅ! はぁ! やぁ!」
奴はこちらに一瞥くれると、刀を数回振り抜き、大量の氷針を放ってきた。
「え? こっち来んの⁉」
「理には適ってるな。『散りぬべき、時知りて──」
「お任せあれ!」
氷針の射線上、あたしたちと奴の間に、唯姉さんがすばやく降り立つ。
「──ち」
「やめて本気の舌打ち⁉」
期せずして漏れ出してしまった詩乃の本音を、ツッコみという荒業でお茶を濁す。
「まだまだ、これからなんだから!」
シャリン……。
威嚇するかのように啖呵を切って闘剣を突き出した唯姉さんだったが、肝心の蛇闘剣が根元からポッキリ折れ、刀身がだらりと垂れ下がってしまった。
「よいっしょ!」
シャャャャーーーーッ!
唯姉さんはそれを投げ縄のようにヒュンヒュン鳴らして回転させ、迫り来る氷針を残らず薙ぎ払ってしまった。
「「はい⁉」」
驚きという原始的な感覚に、詩乃と声が重なる。
てかマジで、さっきからひたすら驚かされてばかりだ。
闘剣での近距離戦。蛇闘剣での中距離戦。おまけに射程外からの防御手段まであるとか、よくばりセットも真っ青な性能だなおい。
「……っ! ぐう……があ!」
あたしたちを狙って隙を作る作戦も失敗に終わり、奴は再び蛇闘剣の連続打撃にはまる。さすがに消耗しているようで、衝撃に呻く声も多くなってきた。
「これで決めるわ! くらいなさい!」
シャリィィィィーーーーンッ!
ヒーロー番組の見せ場よろしく跳び上がり、ひと際大きな振りが繰り出される。
「……盟約に従い堕溺せよ。──『村雨』‼」
チィンッ!
これでようやく決着かと思われた刹那、奴は蛇闘剣の芯である鎖部分を切断してみせた。
「うまい!」
敵方のあたしが思わず口に出てしまうほど、今のは冴えた一撃だった。
蛇闘剣の本体ともいえる、数多の刃を連結している鎖。奴はあそこが弱点だと見抜き、ひたすらこの時を狙っていたのだ。
苦戦を強いられていたすべてが演技ではないだろうけど、痛みに耐え抜いてその一瞬を見つけ出し、寸分たがわず対処してみせるその技量は、珠玉と称して差し支えあるまい。
「そ、そんな……っ!」
ここにきて初めて、唯姉さんの顔に焦燥の色が浮かんだ。支えを失った刀片たちが、ジャラジャラと周囲に散らばっていき、唯姉さんは虚しく立ちつくす。
「これで──っ!」
形勢逆転とばかり、奴は返す刀で疾駆し、唯姉さんの懐目指して突っ込んでいく。
「っ! かかったわねぇ!」
絶望に彩られた唯姉さんの表情が一変、口元が三日月型に歪められ、無垢な瞳が策士特有の見下したそれに置き換わる。
「『同盟』起動!」
唯姉さんの叫びと同時に、散乱していた刀片たちが次々と浮き上がり、主君を護衛する兵士であるかのごとく周囲に展開した。
「切り刻め!」
キィィィィンッ!
唯姉さんが重ねて命じると、刀片たちは小型のモーターが高速で回転する、微妙に不快な音を蹴立て、奴へと襲いかかった。
「……⁉ くうっ! はあっ! がぁはっ!」
奴も即座に迫りくる刀片を弾き返すが、いかんせん数が圧倒的に多く、数個捌いた程度では焼け石に水だった。
「そーれ、それ‼」
「──っ! ううっ! くふう……」
高速回転した刀片群が、腕に足にと奴の皮膚を絶え間なく切り裂いていく。それは中々に凄絶な光景で、傷の数に比例するように反撃の手数も減っていく。
正体を隠していた外套が次第に血で染まり、千切れて飛んでいく。刀片に付着した血も加わり、周囲はさながら絵筆を振り回したような惨状と化していく。
「なんなんだあの攻撃は?」
「わかんない……でも、すごい」
《ええ、まさか同盟機構まで使いこなすとは、とんでもない逸材です》
「すごい、すごいよ唯姉ちゃん! あんな同盟使い、魔界にもそういないよ!」
驚きの連続すぎて逆に茫然としていると、隣で魔の付く王たちが興奮していた。知らない専門用語がチラッと出た辺り、その道の連中から見ても唯姉さんの能力は本物らしい。
「そぉこだぁ!」
ピャァァァァンッ!
切断され、鎖だけになってしまった蛇闘剣を鞭のようにしならせ、唯姉さんは防戦一方だった奴に容赦なく直撃させた。
渾身の一撃をもろにもらってしまった奴は、奮戦虚しく吹っ飛ばされ、さっきのあたしたち同様、奥の絶壁に叩きつけられてしまった。
「ぐ……ぐぁ! 馬鹿、な──」
当に気を失っていい局面だろうに、奴は傷口を庇い、どうにか上体を起こした。
「あらやだ、けっこうかわいい顔してるじゃないの?」
「……っ!」
隠すものすべてが薙ぎ払われていることに気付き、奴は慌てて腕で顔を覆うも、もう遅い。
あたしからもはっきり見えた、外套も鉄板鉢巻も取っ払った、奴の素顔を。
眼が大きいからだろうか、顔立ちはやや幼く見える。背格好から見るに同い年か一コ下くらい。髪は肩にかからない程度に短くでまとめられていて、快活そうな見た目と相まって実に健康的だ。左頬にパックリ開いた傷が痛々しいが、同情する気は微塵もない。
「その顔、見たわよ、覚えたわよ。もう忘れないわ」
唯姉さんはニヤニヤと緩い笑みを浮かべて奴を見下ろしている。
「──外道っ!」
奴は憎悪に燃える瞳をギラつかせ、唯姉さんを睨みつけている。
暗殺者からすれば、自身の顔が割れてしまうのはこの上ない失態であり、奴の内心は恥辱と屈辱で煮えくり返っていることだろう。
「まあでも、よくやった方かな? 中々強かったしね」
首をコキっと鳴らして唯姉さんが労う。他意はないんだろうけど、満身創痍のあたしたちも含めて、この状況では嫌味にしか聞こえない。
「さあ、今日はこのくらいにしといてあげるから、もう帰りなさい」
《「「「んな⁉」」」》
すべてをひっくり返すとんでも発言に、思わず一同が絶句する。
「何言ってるんですか会長⁉ ここまで追い詰めておいて……さっさと討伐して下さいよ!」
あたしたちの総意とも言える意見を代表して詩乃は叫ぶ。
「いいのよ、今日のところはね。なんたってわたしのお披露目だよ? 噂を流してくれる人は一人でも多い方がいいでしょう? 第二の魔女、ここにありってね!」
「そんな悠長な……。ここでやらなければ、そいつはまた私たちを討伐しに来ます! そうなったら──」
「そうなったらその時に討伐すればいいじゃない? あなたたちだってその頃には元気になってるわけだし、今日よりも有利な状況で戦えるわけよね? 何か問題なの?」
「それは……ですが──」
「まあまあ、ここで焦んなくても大丈夫よ。詩乃ちゃん強いんでしょ?」
「え? ま、まあ……いやでも──」
スゲー詩乃が言い包められてる!
唯姉さんはこういう時、いい意味で人の話を聞かないところがある。キッチリカッチリ話し合う詩乃とは、はなから脳みその周波数が違う。
「二人とも、わたしがいなかったら討伐されてたんでしょ? だったら、今日ぐらいわたしのお願い聞いてほしいな♪」
唯姉さんはそう言って、拝むように掌を合わせ、首を少し傾けてパチンッ! とウインクしてみせた。
「「…………」」
そうそう、こういう人だよこの人は。あざといさすが姉さんあざとい。
「わかりました! なら私たちで沈めます! ナツ、行くぞ!」
付き合いきれないとばかりに立ち上がった詩乃は、あたしの腕を掴み、いささか強引に立ち上がらせる。自分が討伐できないので、お前がやれということのようだ。
「いや、もう逃げちゃたし……」
が、肝心の討伐対象さんはとっくにいなくなっていた。まあ、絶対絶命の状況で敵が仲間割れ始めたら、言われなくても退散するってもんだわな。
「あ──が、ああ……クソッ!」
なんかいろいろ爆発しそうに悶絶したあと、地面に八つ当たりする詩乃さん。
この日あたしは、地団太踏む詩乃というのを初めて見たのだった。