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魔引きの魔女  作者: 片桐 楚江
〈暗殺者編〉
10/39

第一章

「ひぃ──んぐ……う、う──」

 迷子になった子供のように嗚咽を漏らし、魔法少女が泣いている。

「あー……そろそろ、ちゃんとお話ししてほしーなー」

 そんでもってあたしは、そんなこの子をあの手この手であやしている。

『だって──わたしは、魔法少女なんだからっ!』

 ──なんて、ずいぶん威勢よく突っ込んでくるもんだから、こりゃあ手加減したら失礼だなと意気込んでみたのに、顔に一発かましただけでこの有様とは。年寄り臭い根性論は嫌いだけど、いくらなんでも気合が足りないんじゃないのかい?

 泣き止むまでの暇つぶしとばかりに、この子の端末をあたしの槍型魔兵装である『兵香槍攘(へいかそうじょう)』で串刺しにしてブンブンと振り回す。相撲大会でよく旗にぶら下がっている赤い奴。確かさるぼぼとかいう人形だ。

「──ん。……ふう、はあ」

 ようやく頭が冷えてくれたのか、だいぶ落ち着いてきたご様子の魔法少女。

「よっしゃ! もう一回確認するよ~。あんたは、あたしがあんたたちを討伐できるように魔女を討伐できる、新しい魔法少女でいいのね?」

 あえて威圧気味で質問。下手に出てばかりではよくない。押したり引いたりが大切。

「……はい。わたしは、みんなから『後発型魔法少女』って呼ばれて、ます」

 少女はコクリと頷き、あたしの復唱に答えた。

「ふむふむ。なるほどなるほど」

 いずれ魔女を討伐できる魔法少女が現れる。

 向こうさんもただ一方的に殴られ続けるのを黙って見ている道理はないし、何かしらの対策はされるだろうと詩乃(しの)たちとも話してたけど、思いの外迅速な対応だ。

「次の質問。その袖の紋『太陽ルチル』よね? あんた、あそこの所属?」

 少女の左肩に縫い付けられている紋を指差して問う。暗灰色の六角に交差する金塊。紛うことなき『太陽ルチル』の組織紋である。

「はい。契約してすぐの頃、練習してるところで誘われました」

「ほーん。でさ、『太陽ルチル』って今誰が仕切ってんの? やっぱアカリ?」

「そう、です。今の『太陽ルチル』は、アカリちゃんがリーダーです。その、あなたがヒカリさんって人を、殺しちゃったから──」

「いや殺してはないよ? 討伐しただけ。それ言ったら魔法少女だって魔獣たくさん殺してるでしょ? ……あんたはまだだけどね。あくまで全体の話でって意味」

 残された人にしてみれば全部忘れちゃうから間違ってはいないんだけど、魔獣殺しに殺人鬼呼ばわりされるのは侵害の極みだ。

「にしてもアカリ『ちゃん』ね。仲よかったの?」

「はい。まだ見習いのわたしにも、すごく優しく丁寧に教えてくれました。わたしとアカリちゃんは同い年だから、話すことも多くて……親友、です」

「そっか。なんだかんだ言ってあの子もちゃんとやってんのね」

『太陽ルチル』の計略により、あたしと詩乃はノコノコ誘い出され、魔法少女たちに包囲されてしまった。袋叩きかと思われたその時、詩乃が性に合わないと反旗を翻し、その流れで『太陽ルチル』を総崩れにまで返り討つことに成功した。

 何せあの場にいた約半数を討伐し、残った約半数にも相当な肉体的痛みと精神的恐怖を刻み込んだ。あそこまで瓦解した組織を立て直すのは並大抵ではない。

 だけどこの子の話を聞く限り、アカリは逆境にもめげず残存した人材を再編し、さらに新人の教育にも力を入れ、着々と体制を整えつつあるようだ。

 これに関しては敵ながらあっぱれだ。本人の努力もさることながら、それを支えてくれる頼もしい仲間たちがまだたくさんいるのだろう。

 大したもんだ。……ぶっ壊した本人が言えた口じゃないけど。

「あ、あの! わたしは、どうなるん、で……しょう、か?」

 小動物みたいなつぶらな瞳を不安に染めて、魔法少女がこちらを見上げる。

「そうね。いろいろ教えてもらったし、二度と魔の付くことには関わらないって約束できるなら、見逃してあげるけど、どうよ?」

「……わかりました。もう、変身はしません」

「えらく素直ね。わかってる? ホントにホントよ?」

「はい。あ、でもあの! アカリちゃんに会うのは、いい……ですか?」

「ん? えっと……うん。それくらいならいいよ。親友なんでしょ?」

 手をヒラヒラさせて魔法少女の問いを受け流す。この状況でそこを念押ししてくるということは、相当仲がいいんだな。

「ほらほら、行きなさい。あたしもあんたとは二度と会わなくて済むことを願うわ」

「わかりました。見逃してくれてありがとうございます」

 ペコりと丁寧なお辞儀をして、小走りに去っていく魔法少女の背中を見送る。

「…………よっし!」

 ブン! と『兵香槍攘』を大振りし、刺さっていた人形を抜き飛ばす。関節を伸ばして軽く柔軟。『兵香槍攘』を握り直し、切先を夜空に掲げる。

「よっ、こい──しょっ!」

 ビュン‼

 おっさん丸出しの掛け声に乗せ、体育大会よろしく、勢いよく『兵香槍攘』を放り投げる。


「……ぐぅぅぇっあ⁉」


 それは虹のようなキレイな放物線を描き、魔法少女の背中にブスリと突き刺さった。先端は貫通して地面まで届き、魔法少女の身体はピン止めされたように縫い付けられる。

「な⁉ ──え、え……なん、で──?」

 これまでの例に漏れず、魔法少女はしきりに首を上下に動かし、地面に刺さった切先と、『兵香槍攘』が突き出している自身の胸元を交互に見ている。

「……うう、ぐぅ」

 少女はプルプルと震えながらこちらを向き──


「──嘘つき‼」


 ──どす黒い感情を真っすぐぶつけてきた。

「嘘つき上等! 好きなだけ恨みなさいな。あんたが全部忘れる瞬間まで、ね」

 軽口で応え、魔法少女の言葉を受け止める。魔獣を守るって大義があるとはいえ、人の願いを摘んで進んでいくこの稼業、恨まれるまでがあたしの仕事なのだ。

「この──魔、女……が──」

『魔法少女が今際の際に残す言葉第一位』を呟くと、魔法少女だった少女はぐるんと白目を剥き、『兵香槍攘』にもたれかかるようにして気を失った。

「お疲れ様。ゆっくり寝てなさい。すぐ家に送ってあげるから」

 少女から『兵香槍攘』を引き抜いてやり、椛色に輝く魔力塊を回収する。

「毎度毎度、後味の悪い終わらせ方するな」

 いつの間に近づいたのか、背後からする声に振り返ると、夜色の直綴をまとった詩乃(しの)が錫杖型魔兵装『森羅(しんら)(ばん)(しょう)』を肩に担いで呆れていた。

「この方が悪役っぽくてカッコいいでしょ? 見張りありがと。おかげで滞りなく済んだよ」

「うむ」

 まんざらでもないとばかり、詩乃はあたしの労いに偉そうに頷く。

「詩乃の言う通りだった。この子は魔女を討伐できる新型だってさ。ついでに『太陽ルチル』もそろそろ復活するかも」

 今しがた得た情報を詩乃と共有する。

「ああ、聞こえてた。前者はとにかく、後者が厄介だな」

「後者? 新型の方じゃなくて?」

「新型だろうと練度が低いうちに討伐すれば問題ない。だが『太陽ルチル』が持ち直し、新型を教育する土壌が整えばこっちがジリ貧だ。なんたって私たちはお互いしかいないからな」

 的確に状況を分析してくれる赤岩(あかいわ)詩乃名誉参謀。こういう人がいてくれると、いろいろ捗って効率がいいったらないな。

「でも遅かれ早かれ両方潰すつもりなんでしょ?」

「わかってるじゃないか」

 あたしの反応に、詩乃は楽しそうに口を歪める。こっちも負けず劣らず悪人面だ。

「とりあえず、詳しいことはそいつを送ってからだな。行くぞ」

「あいよ」

 気絶した少女をおんぶしてやり、あたしたちは夜の公園を飛び出した。



 魔界という世界がある。そこには魔人族と魔獣族がいた。

 天界との争いが絶えなかった時代、両種族はお互いをかけがえのない存在として、背中を預け合い戦っていた。

 永い年月の末、争いは魔界側の勝利に終わり、魔界は太平の世となった。

 しかし知性で魔人族に劣る魔獣族は、争いのない世界にあって、次第に『下等生物』とみなされ、魔人族から見下されるようになっていく。

『魔人族に眼に物見せるべし』という機運が日に日に高まる中にあっても、魔獣の王は交渉をやめなかった。あくまで平和的に、話し合いで決着をつけるつもりだったからだ。

 だがそれは起こってしまった。魔獣族内部でクーデターが起こり、王の息子が父である王を追放したのだ。

 息子は新王を名乗り、魔人族の弾圧に対抗した。

 魔獣族には先の争いの経験者も少なくなっており、生まれた頃からすでに迫害を受けてきた魔獣がほとんどだった。そういった状況も後押しし、新王の野望を止められる者、異を唱える者はいなかった。

 なし崩し的に戦端が開かれ、再び争いの渦が巻き起こる。

 当初、新王は数にものを言わせ、短期総力決戦で魔人族を蹂躙する計画だった。

 魔力の多くを魔人族に依存していた魔獣族は、その供給源を抑えられるとたちどころに魔力の枯渇状態に陥ってしまうという懸念があったからだ。

 計画の性質上多少の犠牲は出てしまうが、それは十分に飲み込める数字であった。実際、序盤は順調に進んでいた。

 しかし、順調なのはそこまでだった。魔獣側の真意を見抜いていた魔人側の守りが想定以上に難く、持久戦に持ち込まれてしまったのだ。

 そこからは怒涛の勢いだ。彼らは住む土地を奪われながら後退を続け、残ったわずかな魔力を頼りに魔界から逃走した。

 現在、多くの魔獣たちがこちら側の世界各地で身を潜めている。

 その追撃として送り込まれたのが、端末を介して契約した魔法少女たちだ。

 彼女らは破竹の勢いで魔獣を討伐していった。

 魔法少女たちの感情推移は、魔力を生み出すには恰好の媒体であり、魔人からしてみれば、自らが腕を振るうよりはるかに効率のいい『狩り』であった。

 このままではそう遠くないうちに魔獣は滅びてしまう。

 だが、希望が完全に潰えたわけではなかった。

 敗走に次ぐ敗走の混乱を突き、命からがら逃げ出していたかつての王は、この世界で一人の少女と出会い、契約することに成功する。

 その少女は次第に頭角を現し、魔獣を救うだけではなく、尖兵である魔法少女すらも討伐してみせた。討伐数は次第に増えていき、いつしか少女はこう呼ばれ、恐れられるようになる。

『魔女』と。

 星の数ほどいる魔法少女たちに対し、魔女はたった一人。彼我の戦力差は言うまでもない。

 だが、それは確かな反撃の狼煙であった。なぜなら魔女の登場により、魔法少女たちには常に一つの懸念が付いて周ることになったからだ。

『確率は低いけど、もし私が魔女に出会ってしまったら?』

 結論の出ないその疑問は、当人たちを無意識に萎縮させるには十分過ぎるものであった。

 そして今日も魔女は魔法少女を恐れさせ、その一挙手一投足を確実に鈍らせ続けている。



「──ふんっ!」

 そしてあたしは今日も変わらず、コートにボールを打ち込み続けるのであった。

「はいはい! 最後一本! 終わったら休憩だよ!」

 隣で控えてくれている部長さんに励まされ、バレーボールを受け取る。

「了解です。最後一本~! いくぞ~!」

『はいっ!』

 向こう側に陣取る一年生部員たちに激を飛ばし、あたしはボールを真上に放り投げる。

「そーれ!」

 バシンッ! と気持ちいい音と共に決まったサーブが、低い放物線を描いてネット上ギリギリを通過し、相手コートへと吸い込まれる。

「「あ──」」

 飛んでいったボールを、近くにいた数人は、『誰が取るの?』と視線を交差するも、結局誰の手にも触れられないまま床に落下し、コロコロと虚しく転がった。初心者の典型的なミス『お見合い』だった。

「あーもう、ダメじゃん! 何やってんの練習だからって!」

 体育会系らしい部長のダメ出しが、見逃した一年生たちをシュンとさせる。

「まあまあ部長。今の結構曖昧なコースでしたし、まだ一年ですし」

 険しい表情をしている部長を、角が立たない程度になだめる。一年生を鼓舞するための演技だってのはわかってるけど、あんまり縮こまらせちゃうのもよくない。

「……四ヶ郷ちゃんってさ、先輩には容赦しないくせに後輩にはやけに甘いよね?」

「え? そ、そうですか?」

 不満そうに口を尖らせ、実際に不満を口にする部長さん。

「そうよ。去年なんて『先輩ならまだいけます!』『立って下さい!』『はい最後一本! やっぱもう一本!』とか。当時はなんだこの一年って感じだったわ」

「……そっすね。なんかすんません」

 そんな風に言われるとマジで生意気な一年そのものでぐうの音もでない。

「いいわよ別に。実際あの練習のおかげでうまくなれたし、四ヶ郷ちゃんには感謝してるわ。他の部活だって似たようなもんじゃないかしら」

 部長先輩はそう言うと、ポンとあたし肩に手を置いた。こういう照れくさいことをさらっと伝えてくれる先輩たちに囲まれていると、あたしってつくづく恵まれてるなと感じる。

「そゆことだから。……はいはい! じゃあ十分休憩ね!」

 部長さんが手を叩いて声を張ると、二年生と三年生はコートの端っこに腰を降ろし、一年生たちは練習で散らばったボールをいそいそと片付け始める。

 大変なことも多いけど、こういう上下関係も部活動の醍醐味だ。そしてその不文律をぶち壊すように、あたしもボール拾いに加わる。

「え? 四ヶ郷先輩! 私たちがやりますから休んでて下さい!」

「いいのいいの。あたしもそんな集中できてなかったから」

 昨日ケンに聞かされた、物語の序章風にまとめたあたしのあらすじが頭から離れない。

 常日頃から王として大勢の前に立っていた経験からなのか、あの犬っころは演説がめちゃくちゃうまい。普段はアホなクセに、抑えておくべき場面でキチンと弁が立つところが、腐っても魔獣を導いてきた指導者なんだなと感じ入る今日この頃。

 大げさな言葉をあえて使って事実を誇張し、記憶や印象に残りやすい喋り方と言葉を選ぶ辺り、あれはもう洗脳なんじゃないかと思えてならない。

『あれ? ひょっとしなくて、あたしってカッコよくね?』と、その気になりつつあるのが恐ろしい。あたしってこんなヨイショに弱かったっけか?

「お疲れ様~! みんなやってるね~!」

 と、体育館でもよく通る大声を張り上げ、生徒会長こと唯姉さんがやってきた。

『お疲れ様でーす!』

 唐突な登場にも慣れたもので、各々手を止めない程度にあいさつ。

「お疲れ唯音(ゆいね)。何、生徒会の仕事?」

「うん、お疲れ! そうだ。よかってね両想いで! お似合いだよ」

「え──⁉ あ、ありがとう……。てかなんで知ってんのよ⁉」

 思わぬ奇襲口撃に、運動とは明らかに違う理由で顔を真っ赤にしてしまう部長さん。

「最近調子いいね」「もう風邪治った?」「先生、今日は早く帰って下さいね。奥さんが心配してましたよ?」

 唯姉さんは体育館中をちょかまかと駆け回り、手当たり次第に声をかけていく。ああいう細かいところがあの人の指示される所以だったりするんだけど、知られ過ぎるのも考え物だ。

「棗もお疲れ~! やろうぜ! 生徒会長!」

「出会い頭になんだよ⁉ やんないからな絶対に!」

 前置きとか一切なしで、ノリノリで肩を回してくる生徒会長のお誘いを速攻で否定する。ここで中途半端な態度を取ったらそれこそ思う壺。イヤなものはイヤなのだ。

 これまでは生徒会室とか、当人だけでこっそり話してたけど、近頃は作戦を変えてきたらしく、誰かが見ている場面にあえて仕掛けてくる。汚いさすが姉さん汚い。

「え? 四ヶ郷先輩、生徒会長やらないんですか?」

「一年はみんな先輩が継ぐと思ってますよ?」

「ニ年もみんなそのつもりよ? いい加減観念しなよ、おなつ」

「そもそもな四ヶ郷。仮に中田が他の誰かを指名しても、この空気じゃ気まずいだけだぞ?」

「ほらこういうことになってんじゃん! 卑怯だぞ外堀から埋めてくの⁉」

「~―♪ ―~♪」

 洒落にならない勢いで狭まっていく包囲網に抗議の声を上げると、唯姉さんはあさっての方を向いて鳴りもしない口笛を吹く。あたしはこの人のどこを尊敬していたんだろうか?

「なるほどな。こうやって人は追い詰められていくのか」

 妙に達観した声がするなと思ったら、段ボールを抱えた詩乃が体育館に入って来た。

「おう、詩乃も来てたの」

「おう、私も来てるぞ。図書室で暇してたら会長に見つかってな。ちょっと手伝ってる」

 詩乃は家計を支えるために放課後はバイトばかりしていたが、魔法少女になってからは短時間でまとまった額を稼げるようになり、討伐がない日はこうして学校にいる。今日はそれをまんまと唯姉さんに嗅ぎつけられたといったところか。

「詩乃ちゃんありがとう。それ、舞台の端っこに置いておいて」

「了解です」

 具体的な場所は知っているらしく、詩乃はそれだけ聞くとささっと行ってしまった。

「うんうん。素直でいい子だねあの子。副会長にするには持ってこいの逸材だね!」

「一段としつこいね今日は! なんか嫌なことでもあったの?」

 ついついつっけんどんに答えてしまう。誰かの眼がある時は基本敬語なんだけど、のっけからアレだとその気も失せてしまう。

「まさか、棗に八つ当たりなんてしないよ。ただ、羨ましかったから」

「羨ましいって、あたしが?」

「わたし以外ここにいる全員ね。みんなそれぞれ、人の輪の中で輝いているのが、これぞ『主人公』って感じ? それが羨ましいの」

 唯姉さんはそう言い、この空間を差すように両手を広げた。

「あたしにしてみれば唯姉さんの方がよっぽど主人公だけどね。なんたって生徒会長だし」

「ん~わたしはみんなを見守る側だから。関係者であっても当事者ではないから」

「そういうもんかね」

 程度の差はあっても、人生の主役は本人だけだと思うんだけど。

「四ヶ郷先輩、どうぞ。会長も、もしよかったら」

 なんとなく会話が途切れそうな雰囲気を察してくれたのか、後輩ちゃんが麦茶を持って来てくれた。気遣いの鬼だね、実にすばらしい。

「ありがと」

「ごめんね~。わたし全然動いてないのにもらっちゃって」

「いえいえ、こういうのも一年の役目ですから」

 気が利く後輩だなー。こういう子には、ちゃんと幸せになってもらいたい。

「そういえば、一年に転校生が来たって聞いたけど、同じクラスだよね? どんな子?」

「──え⁉」

 突然呼び止められ、後輩ちゃんが裏返った声で面食う。

「あの……えっと──」

「転校生? こんな中途半端な時期に?」

「はい、そうなん、ですけど──」

「あ、ごめんね。畳みかけるように聞いちゃって」

「あたしも悪かったわ。転校生なんて普段聞かないからついさ」

 二の句が継げなくて固まっている後輩ちゃんを、唯姉さんと一緒になって取り成す。

「いえ。私こそすいません。何から言えばいいかわからなくなっちゃって」

 後輩ちゃんは小さく頭を下げた。あたしの時もそうだったけど、一年生って上級生が思ってる以上に先輩の動きに敏感だったりするし、気を付けねば。

「──で、どんな子だったの?」

 お互いに謝罪も済んだところで、水に流していく感じで話を本筋に戻す。

 一学期が始まり中間試験を乗り越え、もうじきやってくる期末試験さえ乗り越えれば、待ってましたよ夏休み。一年生は新しい環境に慣れ始め、二年生も新しいクラスに馴染み、後輩との接し方を掴み始める。今はそんな時期だ。かく言うあたしも、一通りの部活の助っ人を終えて、ようやく新入部員の顔を覚えつつあるといった状況だ。

 そんな中にあってその転校生とやらは、おそらく右も左もわからないままこの学校に放り込まれるわけで。当人にしてみればしんどいことこの上ないだろう。

「そうですね……無口な感じの子でしたよ。あ、ちなみに女子です」

「ほうほう。まあ、初日は緊張してるだろうし、そんなもんじゃないの?」

 時期外れの転校とはつまり、構築されてしまった人間関係にあとから自らの居場所を割り込ませなければいけないということで、それは当然容易じゃない。

 最悪の場合、何もできないまま周囲弾かれてしまうことだってある。さすがにそんな意地の悪い輩は宮境高校にはいないけど、失敗が許されない局面なのは間違いない。

「緊張、はしてなかったと思います。むしろあっさりしてたっていうか、不愛想? な感じでした。あくまで私の感想ですけど……」

 陰口を言っているような後ろめたさがあるのか、後輩ちゃんの声は尻すぼみ。

「不愛想、ね。本当は転校なんかしたくなくて、いじけてるとか?」

「親の都合なら有り得るね。自分の意志で引っ越しなんてできないでしょうし」

「ましてこんな片田舎。もし都会から来たってんなら、そら機嫌も悪くなるってもんか」

「あら? わたしは好きよこの町」

「あたしだって嫌いじゃないけどさ。余所から来る人はどう感じるかわからんでしょうよ? だいたいさ、わざわざこの町に引っ越して来てまでやるような仕事なんてある?」

「会社を辞めて一念発起って可能性もあるね。最近多いみたいだし。この町も──」

「家庭の事情を詮索とは、感心しないな」

 その声に首だけ動かすと、すでに荷物を置いて手ぶらになった詩乃が立っていた。

「いや、詩乃……。別にそんな、つもりはないよ? だよね、唯姉さん?」

「う、うん、そうだね。悪い気持ちなんか少しもないよ?」

 あたしたちの途切れ途切れの言い訳に、詩乃は『はぁ~』と、大きなため息をついた。見ようによっては失望とも取れる動作に、なんとなく胃の辺りがキリキリしてくる。

「ナツも会長も、悪意を持って話してるわけじゃないのはわかってる。けどな、巡り巡ってその転校生とやらの耳に入った時、そいつがどう受け止めるかは別の話だろ?」

 静かで坦々とした口調ではあったけど、その言葉には有無を言わさない迫力があった。

「ごめんな、さい。ちょっと調子乗ってたかも……」

「あたしも、悪かった。ごめんね。変なこと聞いちゃって」

 あたしと唯姉さんは、揃って二人に頭を下げた。確かに悪ノリが過ぎた。少なくとも、後輩の前でしていい話じゃなかった。

「……わかればよろしい。会長、後輩が生意気言いました」

「歳は関係ないよ! 言ってくれてありがとう」

 唯姉さんの言う通りだ。これは人間性の問題で年齢は関係ない。知った仲とはいえ、それを面と向かって注意できるのが、詩乃の長所であり強みだ。

「そういうことだから、今の会話は黙っててくれるか?」

「はい。もちろんです」

 詩乃の念押しに、後輩ちゃんも即座に頷く。

「じゃあ会長、終わったんで私は帰ります。お疲れ様でした」

「うん。お疲れ様。ありがとうね」

「はい。では。──ああ、そうそう」

 わざとらしく呟き、詩乃は後輩ちゃんの方を見て──

「仲良くなれとは言わないが、そいつが何か困ってたら、出来るだけ助けてやれ。誰かに助けてもらうには、まず自分から誰かを助けないとな」

「は、はい!」

 後輩ちゃんも後輩ちゃんで、若干頬を染めて答えていた。なんなんだこの息をするようにカッコいいこと言うたらしメガネは?



 ゆったりと流れる川の音に、耳を横切っていく風。そこに木々がこすれ合う音が重なり、湯上りの火照った身体を風が優しく撫でていく。

「あ~涼し~」

「心が洗われるね~」

 中田湯で芯まで温まった身体を近くの川で黄昏ながら冷ますのが、この季節の定番だ。

 宮境町は周囲を山に囲まれた盆地のような場所にある。そのせいで日が暮れ始めるとすぐに太陽が山に隠れ、気温もさっさと下がってしまう。

 だけど夏の入り口に差し掛かり、ようやく日が暮れてもそこそこすごしやすい夜がやって来るようになった。ようやっと来たよあたしたちの時代が。

「やっとこの時間でもすごしやすくなってきたね~」

 隣で唯姉さんも呑気に同じようなことを言っている。

「片田舎なんて馬鹿にしちゃったけど、やっぱあたしこの時間好きだ~」

「だね~。詩乃ちゃんも来ればよかったのに~」

 その詩乃ちゃんはというと、脱衣所に置いてあるマッサージ椅子がお気に召したらしく、今も中田湯で揉みほぐし中だ。あれはあれで最高だし、気持ちはわかる。

 バレー部の助っ人を終え、その足で下校途中の詩乃を引き留めて、半ば無理矢理中田湯に連れてきた。あのまま別れてはなんとなく気まずかったので、楽しいことで上書きしてしまおうという唯姉さんの作戦だった。

「今日の助っ人見てて思ったけど、棗、最近活き活きしてるね。ひょっとして、この前わたしが励ましたおかげかな?」

 唯姉さんがニコニコと茶化しながらあたしの顔を覗き込む。

「……そうだよ。あの時はお世話になりましたとさ」

 ぶっきら棒風にはしたけど素直に伝えた。どうせ誤魔化したところで信じてなんてくれないし、言い切ってしまえるくらい、感謝していたのも本当だから。

「あなたの正直なところ、わたし好きよ。そういうのって意地張って言えないもん」

「そりゃどうもですね。……やっぱわかるの?」

「うん。横にいても迷いがないってわかるもん。石橋を叩いて壊す、みたいな感じ? もちろん、いい意味でだよ」

 その言い回しのどこ辺にいい意味要素があるのか微塵もわからないが、短い付き合いでもないので感覚的に言いたいことは伝わってきた。

『太陽ルチル』の会議を覗いてみて、色々と悩みはしたけど、結局のところは『やるっきゃない!』ってことを再確認したに過ぎなかった。とにかく腹を括ってしまったからには、何事も全力で取り組まないとダメだ。

『確信の伴わない行動は、例えそれが正しかったとしても状況を遅滞させます』

 いつだったか、ケンがあたしに伝えた言葉だ。

 要は迷いのない行動こそ、物理的・精神的に無駄がなく、かつ短時間で済むって話だ。

「だからかな? 余計に考えちゃうんだよね。みんなの中心にいる、主人公なんだなって」

 唯姉さんは呟き、物憂げな表情で夕焼け空を写す川の流れを見つめている。

「何、さっきの話? そういえば最近言ってなかっただけで昔から結構言ってたよね? わたしは主役じゃないーとかそんなようなの」

「そうだったね。助っ人やってる棗見てたら、久々に思い出しちゃった」

 唯姉さんは小学校時代、この町の中心なんじゃないかってくらいの有名家族と友達だった。

 あたしと唯姉さんは、その頃からの付き合いだったけど、あたしが一つ年下だったこともあり、その人たちとはほとんど絡んだことがなかった。

 話題の中心に混じって笑い、はしゃぐ唯姉さんを見て、あたしは小さいながら羨ましく思ったものだ。『お姉ちゃんと同い年だったらよかったのに……』なんてこともしょっちゅう考えていた。今にして思えば、あれが兄妹姉妹特有の嫉妬だったのかもしれない。


「あ、棗姉ちゃんだ! 唯姉ちゃんもこんばんは!」


 ちょいと懐かしい思い出に浸っていると、道路の方からあたしを呼ぶ声が。

「…………」

 小学校高学年くらいの男の子が、犬を連れて走ってくる。犬というのは当然ケンだ。

「仁君、こんばんは。ケンちゃんのお散歩?」

 少年は駆け寄ってくると、唯姉さんと仲良く喋り始めた。

「はい。やっと夕方が過ごしやすくなってきたので。ねえケン?」

《わん!》

「…………」

 清々しいほどに棒読みなケンの吠え方に、『お前絶対わざとやってるだろ⁉』というツッコみをどうにか飲み込む。さっきまで気分爽快だったのに一転、気苦労で全身が重たくなっていくようだぜ……。 

「どうしたの棗姉ちゃん?」

「いや、なんでもない……」

 少年は心配そうに首を傾げ、あたしを見つめている。その瞳には一切の曇りもなく、ただただあたしを心配しているように見える。

 四ヶ(しかごう)(ひとし)。それがこの少年の名前だ。

 純真そうな見てくれに騙されるなかれ。こいつはこんななりしてあたしの何十倍、いや何百倍、下手をすれば何千倍の時を生き抜いてきた魔人族の王なのだ。

 ちなみに名前の由来は『魔人の王』だから『じん』で、そこから読み方を捻って『ひとし』。こっちもケンと同様、久しぶりの固有名詞をいたく喜んでいた。

 先日、ケンを救いに詩乃と魔界に殴り込み、ケンと対峙する魔王を発見した。あの時はケンが魔王に復讐するつもりだと思っていたあたしは、頭に血が昇ってしまい、うっかりケンを半殺しにしてしまった。落ち着いて事情を聴いてみると、魔王も息子にクーデターを起こされて追放されたらしく、どうにかケンと合流できないかと模索中だったらしい。

 互いに近況がわかってしまえば早いもので、トントン拍子で話は進んだ。

 その流れで詩乃も晴れて仲間に迎えることができた。図らずとも我が家には、魔人と魔獣の先代王が居付いてしまった形になる。

 当初、あたしの両親含め当人は『あたしの弟』として生活する気だったのだが、激しい議論の末どうにか撤回させた。その結果、『親が他島へ出張中で、臨時で預かっている従弟』という体でまとまった。それでも『棗姉ちゃん』と呼ばれてしまうわけだが、大切な何かを守ることはできたと自負している。

「──そうなんだ。エラいね仁君は~」

「えへへ~」

《わん!》

 二人の自然な会話からもわかるように、こいつは宮境町全員の記憶を改ざんし、自身の存在を割り込ませた挙句、普通に学校通いだしやがった。

 魔界からやって来たと思ったら、次の日には当たり前のようにランドセル背負って『行ってきまーす!』だ。転校するとかの工程をすっ飛ばしていきなり馴染むとかなんなんだこいつ⁉

 二人のやりとりを見るに、きっと学校でも勉強したり友達と遊んだり、普通に過ごしているのだろう。こいつに違和感を覚えているのは、それこそあたしと詩乃ぐらいなもんだ。

「でね! 先生がね──」

「うんうん」

《わんわん!》

「…………」

 もし今ここで唯姉さんに、『仁の小さい頃ってどんなだったか覚えてる?』とか聞くと、『そうね~、そういえばあの時──』とか迷いなく答えてしまうんだろうか? そんなこと怖くて聞けたもんじゃないけど。

《わんわん!》

「ってうるっせーよクソ犬!」

 足元で意味もなく吠え続けるもんだから、うっかり怒鳴ってしまった。

「ちょっと棗! 犬もそういうのわかるんだから、そんな風に怒っちゃダメだよ!」

「そうだよ棗姉ちゃん。ケンがかわいそうだよ」

 案の定、二人から非難を浴びる。……後者は楽しんでるとしか思えんけど。

《くぅーん》

 ケンは潤んだ瞳であたしを見上げている。ひたすら忌々しい。

「…………?」

 ──もしかしてこいつ、魔力を検知したから出番だぞって言いたいのか?

 コクコク。

 首を縦に振っている反応的に当たりらしい。ならなぜ念話を使わない? 唯姉さんがいるなら回線絞ればいいだけの話じゃんか? こいつ、犬であるとこを楽しみすぎじゃないかい?

『ナツ、ここは任せる。武運長久を祈るぞ。私はもう少しゆっくりしていく……ふわぁ』

 頭から直接、我関せずといった詩乃の念話が響いてくる。こいつにまで筒抜けなのか。

『いやお前も行くんですよ⁉』

 最近ようやく習得した念話を駆使し、あたしは詩乃に遠距離からツッコんだ。



「はいはい~! みんな慌てないでね~! ほらそこ! ちゃんと列に並べっての!」

 迷子になった魔獣ご一行を、交通整備員顔負けの大声で誘導していく。

 ここはとある藩のとある山の採石場。ブロック状に切り出された跡であろう正方形の凹凸が連なり、幾何学的な人工の断崖を作り出している。切り場としてはかなりの規模で、足元には細かい砂利は少なく、地面はまるでモルタルで慣らしたように平滑だ。

 離れた場所に掘削するための重機や、作業員が休憩する詰所なんかがあるけど、どれも明かりは消えており、人の気配は確認できない。

 今更だが、魔獣の大半はこちら側の世界に生息している動物を巨大化させたたような見てくれをしている。そんな奴らが多少の混乱はあれ、理路整然と行動する光景は実にみょうちくりんだ。ましてや今日の連中は、ハムスター・リス・ムササビなど小動物系の個体が多く、その雰囲気に一層の拍車をかけていた。

「周囲に魔法少女の気配はない。拍子抜けだな」

 風呪文を足元に纏わせた詩乃が索敵を終えて早々、虫の居所が悪いことを隠すことなく愚痴をこぼす。

 結果から説明すると、今日の仕事はこれだけだった。

 もちろん、これだって大事な任務ではあるけど、せっかくのゆったりまったり空間を邪魔された手前、もう少し張り合いが欲しかった気がしないでもない。

《魔女様、今日ハアリガトウゴザイマス。コノ御恩ニハ必ズ報イサセテイタダキマス》

 集団を代表してハムスターの魔獣がペコペコとお辞儀をしてくる。これだけ見る分には可愛いんだけど、なんだろうこの残念な感じ?

「はいはい。いいよ気にしないで。──ああいや、迷子になったことは気にしてくれね」

 いつの間にか、あたしのあだ名が『魔女様』になっていた。

 魔法少女連中に散々魔女魔女言われてきたし、仕方のないことではあるんだけども、味方陣営にも通じてしまうってのは複雑だ。元を辿ればただの悪口だしな魔女って。

《詩乃様モ、アリガトウゴザイマス》

 と、ハムスターは傍らにいる詩乃に視線を移し、再度同じように頭を下げる。

 近頃は組んで任務に当たることも増え、末端にも顔と名前を覚えてもらっているようだ。せっかくだし、あたしも名前で呼んでほしい今日この頃だ。

「いや何、私は今までの分を返しているだけだ。お前たちから散々刈り取った命に比べたら、微々たるもんさ」

 ぶっきら棒に答える詩乃は相変わらず、魔獣に対しては距離感を図りかねている様子。

《ソンナコトハアリマセン。闘争ノ渦中ニアル命ハ常ニ平等。アナタニ討チ取ラレタ同胞タチハ、アナタヨリ生キヨウトスル力ガ足リナカッタ。ソレマデノコトデス》

「そうは言ってくれるけどな。それは思想であって感情ではないだろ? 私のことを──殺してやりたいって奴も大勢いるだろ?」

《モチロン、ソノ通リデス。アナタガ手ヲ下シタ同胞ニ近シイ者タチハ、私ノヨウニ聞キ分ケノイイ者バカリデハナイデショウ》

デスガと、詩乃の言葉を待たずにハムスターは続ける。

《アナタガ我ラ魔獣族ヲ知リ、コレマデノ行イヲ悔イ、我ラノ味方トナッテクレタコト。トテモ嬉シク思イマス》

「まるで死んだ奴らもそう思ってるみたいな口ぶりだな」

《ハイ。キット向コウ側ニイル同胞ラモ、皆同ジ気持チデス。アチラニイルノガ私ナラバ、ソウ思ッテイルハズナノデ。デスノデヤハリ、ココハアリガトウゴザイマスナノデス》

 再びハムスターは一礼し、話を締めくくった。

「……そうか。すまないな」

《詩乃様、ソンナ顔ヲシナイデ下サイ》

《アナタガ悔イテイルコトコソガスデニ贖罪ナノデス》

《ソモソモコレハ! 我ラガ王ノ目指ス融和ノ第一歩デハアリマセンカ!》

 それを皮切りに、他の魔獣たちが口々に詩乃を励まし始める。こいつらもこいつらで結構深い話してんのな……。

 異種族が互いを理解し合う。

 言葉にするのは簡単でも、実現するには多くの苦労と時間が必要だ。しかしいざ蓋を開けてみると、外野が勝手に騒いでいるだけで、当人同士は存外うまくやってたりするんだよな。

《マ、魔女様、トコロデ、アノ──》

 やや離れたところで一連の流れを見守っていると、ご高説を披露したハムスターがテクテクと近寄り尋ねてきた。かわいい。

「なんだい?」

《ソノ、我ラガ王ハイラシテイナイノデスカ?》

「うん、今日は来てないよ。なんでも仁──先代魔王と一緒に確認しなきゃいけない場所があるらしくってさ。そっちに行ってる」

 思えば珍しいことだった。

《少しばかり魔界に仕掛けておきたい回路がありまして、私と主はそちらに向かいます。お二人に関しましては、諸々準備しておきましたので、よろしくお願いします》

 今日も一緒に現場入りかと思っていたら、なんてことを言ってきた。

 あたしも詩乃も契約当初ならいざ知らず、あいつ一匹いなかったところでどうってことはないけど、何か企んでるんじゃないかとは勘ぐってはしまう。

《ソウデスカ……》

 直接礼を言いたかったのだろう、見るからにしょんぼりするハムスターさん。

「ちゃんと礼は伝えとくよ。ほれ、さっさと行きな。あんたが殿よ」

《ハイ! ソレデハ魔女様方! 武運長久ヲ祈リマス!》

 ハムスターは言い残し、避難用の転移紋を潜って転移していった。

 見届けると転移紋は閉じ、周囲にはあたしと詩乃のだけが残った。

 光源が消えて視界が真っ暗になってしまったが、しばらくして眼が慣れてくると、そこには月明りに照らされ、紺碧色に彩られた採石場が広がっていた。

「こういうのも趣があっていいね」

「そうだな。少なくとも、普通に生活してたら見れない景色だ」

 景観になんとなく感じた言葉を乗せ、詩乃も似たような感想とともに同意してくる。

「……許されるってのも中々苦行だな。汚い言葉で罵ってくれた方がマシだった」

「まあ、そういうのもひっくるめて罪なんじゃない? あたしも背負ってるしね。罪」

 冗談めかしてはいるが、紛れもない事実だ。後悔なんて入る余地もない、逃れようのない罪。魔法少女を貫く度、それは少しずつ、確実にあたしを塗りたくっていく。

「だろうな。人と化物。魔法少女と魔獣。立場が違うだけで、命としては同価値だからな」

 そうだと思う。人間でも魔獣でも、命は等しく一つだけだ。種族や立場なんかは、あとからくっ付いてくる予備知識でしかない。

 眼の前に『生』と『死』があって、一つずつしかないのなら、手に入れるために戦うしかない。いつか、どちらかを選ばなくてよくなる世界がやってくると信じて。

「自分自身で選んだ道とはいえ、やっかいなもん背負っちまったな。死ぬまで一生肩こりだ」

「あたしは両手に手提げ袋も持ってるっての。この調子じゃリアカー引くのも時間の問題」

「ならその時は、私が後ろから押してやるよ。坂道に入ったらキツいぞ」

「何言ってんの。その頃にはあんたも自分のリアカーひいひい引いてるっての」

「違いない。ふふっ……」

「あははっ」

 あたしたちの乾いた笑い声が、響くことなく世界に吸収されていく。静か過ぎて耳が痛くなってくるけど、そんな日常と切り離されたような感覚が、どこか心地よかった。

「じゃあ、そろそろ帰りますか。今日も家で晩ご飯食べてくでしょ?」

「いつも悪いな、世話になってばかりで。たまには私も──ナツ!」

 任務も終わってさあ帰ろうか気分を切り替えかけると、突然詩乃が叫ぶと同時に、その瞳が戦場で見せるそれに変わる。

「へ⁉ な、何?」

「ちぃっ! ──迅‼」

「へ⁉ ちょっと待──ぐえっ!」

 わけもわからないうちに大気の塊が鳩尾に決まり、吹き飛ばされる。そのまま受け身も取れずに地面を転げ回り、肘や膝に摩擦による痛みに近い熱が走る。

「あ、あんたね! 突き飛ばすにも限度ってもんが──」

「話はあとだ! まずあいつを沈める!」

「いつつ! いったい何が──」

 節々を押さえながら立ち上がり、文句を言いかけるが、詩乃が隠すことなく放出している殺気に言葉が途切れる。

 憎々しく歪められた詩乃の視線を辿っていくと、そこには人影があった。

 こんな時間にこんな場所でこんな奇襲攻撃。そんな芸当、通りすがりの一般人にされてたまるもんか。疑問の入る余地なく、あれは魔法少女だ。

「…………」

 ボロ布のマントを全身にまとい、そこからはみ出した足はジーンズにブーツ。両手には指抜きの手袋。認識攪乱の重ね掛けだろうか、鉄板を仕込んだだけの簡素な鉢巻きが額を覆い、口元はマントと同じボロ布で隠され、顔の特徴は目元しか確認できない。

 その装いはまるで、荒野をさすらう流れ者といった風だった。あたしたちも人のことは言えないけど、他の魔法少女たちに比べて、見てくれを捨てた戦闘向きの魔装衣だ。

「あれって──」

 そんな感想を抱きつつも、あたしの視線は奴に握られている獲物に釘づけだった。

 月光を跳ね返す鉄色の刀身。二種類の異なる金属を折り合わせた唯一無二の波紋。最小限の力で対象を切断することを計算して作り出される見事な反り。

「お、おお! ついにきたか! 刀が獲物の魔法少女!」

「……ここにきてツッコむのがそこかよ」

 詩乃の呆れ果てた声が傍らから聞こえた気がしたが、些末なことだ。

 刀。あたしたちの国、暁天(あかつきてん)空領(くうりょう)に古くから伝わる武器の中の武器。

 小さい頃、父さんの膝に乗って見ていた時代劇。お決まりの流れではあるけど、根無し草の浪人がバッサバッサと悪党を切り伏せていく様は爽快としか言いようがなかった。

 あんなチャンバラ、現実には早々起こり得ないって今ならわかるけど、戦うならあれぐらい派手にいきたいものだと、魔女になってからはとくに考えていた。

 誰にも喋ったことはないけど、初めて魔兵装を呼びだした時、あたしは獲物が刀じゃなくてずいぶんとがっかりした。あたしにとって刀とは、それほどまでに想い出と憧れの詰まった、『カッコいい!』の代名詞と言っても過言ではない武器だった。

「お前どこの魔法少女だ⁉ 名前は? 所属組織は?」

「…………」

 詩乃の問いかけに、奴は沈黙で答える。

「お前ひょっとして、巷で大人気の後発型魔法少女か? 狙いはこいつか?」

「…………」

 やはり答えない。

 現状から判断するに、奴はあたしたちを暗殺しようとしてたわけで、そんな輩が自らホイホイと情報を吐いたりするわけないわな。

「一撃離脱を狙ったんだろうが、残念だったな。貴様の背格好は覚えたし、このままだと二対一だ。正直に喋るなら、今日のところは見逃してやってもいい。……どうだ?」

「…………」

 そりゃそうだよな答えない。

 当然だけど、答えたところで逃がしはしない。こんな奇襲を仕掛ける奴、ここで逃がしたとして、次も同じように防げる保証はない。というか今でさえこの体たらくなのだから、後顧の憂いを断つ意味でも、ここで討伐してしまうしかない。

「警告はしたぞ! ──私が正面から仕掛ける。お前は背後に回り込んで囲め!」

 前者は謎の魔法少女に対して大声、後者はあたしに対して小声で指示、詩乃は一気に謎の魔法少女へ突貫し、距離を詰めにかかる。

「はあっ!」

「……っ!」

 ギィィンッ!

 詩乃の錫杖『森羅万唱』と、奴の刀が正面から激突。甲高い金属音とともに火花が舞い散る。互いに最初から本気。斬撃の応酬は眼にも止まらず、油の切れたライターのような火花が断続的に周囲で咲き乱れる。

「くそ! 『兵戈槍攘』──っ!」

 惚けていた一瞬を悔い、謎の魔法少女の背後を取りつつ魔兵装を呼びだす。手から漆黒の炎が迸り、魔法少女を数多貫いてきた魔の槍へと変貌していく。

「詩乃、避けてよ……っ!」

 切先を奴の背中へ向けて魔力を注入。突撃を発動する。

『兵戈槍攘』の能力、『正面に障壁を展開しての突撃』で一気に加速。ただでさえ近過ぎる目標が、まさに一瞬で眼前に迫る。

 獲った! 身体中を歓喜が駆け巡る。速度・間合い・角度、どれをとっても完璧な軌道だ。万が一向こうが反応できたとしても、今からでは必ず肩のどこかに命中する。

「…………」

 すぅーと、まるで背中に眼が付いているのかと思う程の見事な間運びで突きを躱される。

「な⁉ そんな──うぐぅ⁉」

 驚ききる間もなく腹に衝撃。前方に働いていた制動が一気に逆転し、吹き飛ばされる。

「……舐めやがって!」

 暴言を吐き、結果を整理する。今度は突撃に頼らず、自身の跳躍で魔法少女に肉薄する。

「……ふ。……は。──んぁ⁉」

 次こそ共闘に持ち込めると思った矢先、刀の背で足を払われ、詩乃の体勢が崩れる。奴はそのままこちらに踵を返し、鋭い双眸をあたしに向けてくる。

「……! ……! ……っ!」

『兵戈槍攘』の中心部分を持ち、棒術の要領で剣戟を捌く。攻めに転ずることもできないままの防戦一方。どっからどう見ても押されている。

 勝負は勝つと思った方が勝ち、負けると持った方が負ける。

 無論あたしは勝つつもりでいるし、負けるつもりもない。しかし、それを真っ向から受け止めてもなお、あちらがこちらを潰さんと迫る気迫は相当なものだ。

「ぐ! ううっ! こんのぉ!」

「──迅‼」

 突然、強烈な突風が全身を揺さぶり、奴の姿勢がが崩れる。

 片膝立ちの詩乃が錫杖をこちらに構えていた。大気の塊、空撃を援護も込みで放ってくれたようだ。もし真空の刃、斬撃だったらあたしもろとも細切れだ。

「…………」

 相手方もこちらの思慮を感じ取り、小休止とばかりに距離を空けてくる。

「くっそ……っ!」

「はあ!」

 斬撃を放ち、今度は詩乃が背後を取ろうと側面に回り込む。援護するようにあたしも『兵戈槍攘』を構え、奴の正面に突っ込む。

「…………っ」

 向こうは臆する気配もなく、むしろ上等だと言わんばかりにギラついた眼をこちらに寄越し、刀を構え直した。



「はあ……はあ……」

「ふう……ふう……」

「…………」

 三人がそれぞれ、三角形を描くように等間隔で対峙するが、疲労の差は歴然だ。あたしも詩乃も肩で息しているのに対し、向こうは呼吸が乱れている様子さえない。

「……やりづらい」

 思わず毒づく。何がやりづらいって、あいつの戦い方だ。

 奴はあたしたちが連携できないように、常に攻撃を交互に繰り出してくる。片方が接近すればもう片方を蹴り飛ばして距離を取り、片方が復帰する頃合いでもう片方の体勢を崩して退避する。二対一のはずが、実際はほぼ一対一で戦闘が展開している。

 仕掛けること数回、ほとんどこの戦法で受け流されている。状況から考えて、あたしらのやり方を熟知した上で対策しているとみていいだろう。

 向こうは一人で刀一本。対するこちらは二人に槍と錫杖。武器そのものの間合いでもこちらが有利なはずなのに、まったくそんな気がしてこない。悔しいけど、主導権は完全に握られてしまっている。

 あたしと詩乃はジリジリと地面を擦り、奴を挟撃できる形へと追い込むが、向こうは向こうでそうはさせないとばかりに軸線をずらし、こちらの嫌な位置取りを保ち続けてくる。

「…………やむなしか」

 ここにきて初めて奴が口を開いた。女性にしてはやや低い、よく通る声。

 奴は流れる動作で刀を胸にかざして、まるでメルーピアルの騎士がする敬礼のような構えを取る。刀が顔の一部を覆い、右眼が隠れる。


「……盟約に従い堕溺(だでき)せよ。──『村雨(むらさめ)』‼」


 奴は呪文のようなものを唱えると、握られた刀の刀身がパァと淡く輝きだし、自身と周囲を照らす。そのまま切先を突き出すように構え、奴は詩乃へ向かって一直線に駆け出した。

「ちぃ、私かよ。──来いっ!」

 呼応するように詩乃も『森羅万唱』を振りかざし、応戦の姿勢を取る。

「っ!」

 キィン!

 刀を下段から振り上げ、奴は詩乃の錫杖、『森羅万唱』を真ん中からスパッと切断した。

「⁉ バカな──があ!」

 驚きの声とともに返す刃が詩乃の肩口を割き、鮮血が迸る。

「詩乃⁉」

 思わず叫ぶと、咄嗟に身を引いていたのか、詩乃は肩を庇いながらも後ろへ逃げ跳び、どうにか追撃を回避した。

 奴は深追い無用とばかりに素早く見切りを付け、次はお前だとばかりにあたしへ殺意をたぎらせる。ギロリと視線だけこちらに寄越す様がなんとも不気味だ。

「──っ!」

「おおおおっ!」

 振り向き様に疾駆し、奴は上段に刀を握っている。対するあたしは単発で突撃を発動し、一気に加速して奴の心臓を狙う。

 いける! この角度なら刀は通らない! このまま胸に突き刺せば──


 ──あたしの獲物もやられる! 


 揺るぎのない確信を、直感と本能が怒涛の勢いで上書きする。

「──ん! くっそ!」

 あたしは直感の方に従い、構えを急遽受け流す体勢に切り替える。無茶苦茶な緊急行動に、あちこちの関節からいつもとは違う種類の痛みが走る。

 チィンッ!

 何かが軽く引っかかったようなわずかな感触に、一瞬だけ視線を動かすと『兵戈槍攘』の尻、石付き部分がわずかに欠損していた。

「──こんのっ!」

「うぐっ!」

 がら空きになった奴の腰に回し蹴りをお見舞いし、その勢いを利用して再び距離を取る。

「はあ……はあ……」

 今のは危なかった。もし、少しでも理性が本能を抑え込んでいたら、『兵戈槍攘』は真っ二つにされ、煌めく刃があたしの胸を串刺しにしていたところだった。

 このままじゃマズい! とりあえず『快刀(かいとう)乱魔(らんま)』も呼び出して、戦略を変えないと──

「──ふっ!」

 ブンッ!

 と、奴は刀を無造作に一太刀、何もない空間に振り下ろした。

「え、何? ──⁉」

 奴の行動の意味を図りかねた刹那──

「うっ! があっ! ああああっ! 痛ったぃ!」

 右肩から腹部、左腕にかけて、強烈な痛みが襲ってきた。まるでかぎ爪で皮膚を抉られたようだ。自らを掻き抱くように身を捩じらせて、その場に頽れる。

「あ! ──ぐ! ち、くしょ……あ」

 痛みに歯を食いしばって無様に打ち回り、今のはなんの攻撃かと考えを巡らせるが、こんな状態で答えなど出るはずもない。

「…………」

 奴の気配が一歩ずつ近づいてくる。

 感覚がおかしくなっているのか、奴が遊んでいるのか、足音がずいぶんゆっくりと聞こえてくる。その一歩ずつに比例し、焦りと心臓の鼓動も巨大化していく。

 ヤバい! ヤバいぞ‼ 早く起き上がって戦わないと、マジのマジで討伐されちまう!


「『極楽も、地獄も先は有明の、月の心に、懸かる雲なし』──撃‼」


 バァチチチチィィーーンッ‼

 突然眼の前に雷が落ち、一瞬の閃光に眼が焼かれ、夜目を効かせてどうにか見えていた景色が、本当に何も見えない漆黒に包まれる。

「ずらかるぞ!」

「詩乃──ぐえ⁉」

 耳元で詩乃が呟いたと思うと、急にYシャツが首に食い込み、のどが圧迫される。魔装衣の襟首を掴まれているようで、当然ながら首が閉まり、呼吸ができない。

「──! ──! ──!」

 文句を言おうにも、状況が状況なのでなす術がなく、薄れゆく意識の中、景色だけが後ろに流れていく。これ結局、どっち転んでも死ぬのでは?

「悪い、もうちょっと待て」

 いや、もうダメだろこれ? とか絶望しかけていると、枝葉の擦れ合う音がやかましく聞こえてきた。どうやら先程眺めていた雑木林に逃げ込めたようだ。

「もう大丈夫か。──いよっと!」

 奴を撒けると確信できたのか、詩乃は速度を緩め、あたしを肩に担ぎ直した。

「ゴホッ! ゴホッ! 詩乃、どういうつもり⁉ 放せ! ここで逃げたら──」

「そんな死に体で何ができる? 生憎、私はまだ死にたくない。人間としても、魔法少女としてもな。お前は違うか? ……そんなことないはずだよな?」

「う……でも──」

 詩乃の詰問を否定することができなかった。

 それはそうだろう。何せ一人分とはいえ人数で勝り、密に連携できるにも関わらず、魔法少女一人にまったくと言ってもいいほど歯が立たなかったのだから。

 戦場で一番大切なことは、生きて情報を持ち帰り、次の戦いに生かすことだ。

 常勝なんてそうあるものじゃない。どんな奴でも負けるとこはあるし、逃げることは恥じゃない。『生き恥』とは所詮、生きる道を諦めた弱者が最後に残すいい訳でしかない。

「……ぐぅ!」

 被弾した患部から鋭い痛みがじわじわと主張し、思考を妨げる。連動するように溢れ出してくる悔しさと無力感も、今のあたしにはなす術がない。

 そしてあたしが感じているこの思いを、詩乃もまた感じていないはずがないのだ。

「違うとは言わせないからな。私もお前も、結局は臆病者だろ?」

 その通りだと思った。口では見栄を張っていても、ことここに至ってなんだかんだホッとしているあたしがいるからだ。

 見ると、詩乃の右肩から流れ出る血が魔装衣に染み込み、月明かりを反射してヌラヌラと光っていた。本来ならあたしを見捨て、一人で逃げても文句は言えない立場なのに、軋む体に鞭打ってあたしを助け出してくれた。ここまでされては頭が上がらない。

「くそぅ……」

「気を落とすな。生きてりゃ案外なんとかなるもんさ。今は大人しくしてろ」

 それっきり詩乃は口を開かず、あたしはただ黙って担がれるしかなかった。



「くっそ! 結局何もんだったんだあいつ? ゛あ゛あもう! 思い出したらまた腹立ってきたし」

「さあな。ろくに情報も聞き出せなかったしな」

 詩乃も交え、四ヶ郷家全員で我が家の食卓を囲む。

 豚の生姜焼きをおかずにご飯を頬張り、飲み込み切らないうちに漬物をボリボリ噛み砕き、熱々の味噌汁をズズッとすすって流し込む。行儀が悪いのは百も承知だが、傷だらけになりながらどうにか持ち帰った命、今日ばかりは大身に見てもらいたい。

 さっきはあれだけヘコんでたっていうのに、安全な場所でお腹が膨れだすと急にイライラが込み上げてきた。我ながら情けないけど、ムカつくものはしょうがない。

「てか詩乃、なんで雷とか炎とか使わなかったの? あれもっと使ってればもっと粘れたんじゃない? 風ばっかだったじゃん」

「アホか。あんなのホイホイ撃ってたらとっくに眼が焼けちまってたよ。お前こそ、お得意の狂気様はどうした? 今日はやけに大人しかったろ?」

「それは……詩乃の動きに合わせようと思ってたら、派手に動くのは悪いかなって」

「は? 私はどうせお前が大技かますだろうと思ってたから、外した時は援護に回るつもりだったぞ?」

「へ? 何、あたしのせいってこと⁉」

 バンッとテーブルを叩いて立ち上がり、対面に座っている詩乃を睨み付ける。

「そうは言ってないだろ! なんだその言い方! さっきまでしょぼくれてたクセに、怪我が治ったらずいぶんと威勢がいいじゃねーか!」

 売り言葉に買い言葉とはこのことか。詩乃も同じ動作で立ち上がり、メンチを切ってくる。

「まあまあまあまあ、落ち着いて詩乃姉ちゃん。棗姉ちゃんもどうどう」

《どうやら阿吽の呼吸に頼らず、念密に作戦を話し合っておく必要があるようですね》

 仁がニコニコと割って入り、ケンも続く。

「……悪かったわよ。お腹いっぱいだと気が大きくなっちゃって」

「わかってる。私も同じだ。……じゃあなんだ? しなくてもいい気遣いをし合ってて負けたってのかよ? 今日のバレー部じゃあるまいし」

 はぁ~と、お互いため息を付くと、思い出したようにドッと疲れが押し寄せ、そのまま着席する。満腹にはなったけど、疲れが取れているわけではなかった。

「あらもう仲直り? 若いっていいわね~」

「青春だね~。今しかできないことやってるね~」

 人の苦労も露知らず、横から言いたい放題の父上と母上。いや、女子高生は青春で戦ったりしないよ?

 あの後、謎の魔法少女に文字通りズタボロにされたあたしたちは、なんとかケンと仁に合流し、怪我の回復を待って帰宅することができた。

 こんなすっとぼけた態度を取っちゃいても、一人娘が本来であれば関わらなくてもいい業界で戦っているのだ。不安に感じないわけがない。

 この前も庭先に瀕死の魔獣が尋ねて来たし、あれを見てあたしの置かれている状況も実感したはずだ。気休めであっても、傷ついている姿は見せたくはなかった。

「いつもありがとーね詩乃ちゃん。なんだかんだでこの子、あなたが一緒で心強いのよ」

「いえいえ、そこはお互い様なので。すみませんお母様、おかわりをいただけますか?」

「いいわよ~何杯でも! たくさん食べてちょうだい!」

 堂々とお茶碗を差し出す詩乃。遠慮しろとは言わないけど、もう少ししおらしくできんのかね。いや、いいんだけどさ……。

「なんだよ? いいだろ別に」

 ぱっと見た感じ、詩乃は負傷した肩をかばっている様子はない。どうやら完全に傷は癒えているようだ。

「うんうん! 全然大丈夫だよ! 食べて食べて」

 対するあたしも、さっきまで疼いていた痛みも引き、疲れてはいても不都合はない。

 こういう時、他の人の変化を客観的に見ている方が効果を実感できるなと、改めて思う。

 やっぱあたしたちって、普通の人間じゃねーのね。

 魔女にしろ魔法少女にしろ、変身時に受けた傷は一定時間で回復する。その治癒力は驚異的で、ケン曰く《例え四肢が千切れようが内臓が飛び散ろうが必ず再生します》とのこと。

 それもう人間じゃないじゃん! と、契約したての頃は人外になってしまった己に唖然としたものだが、実戦でお世話になってしまったが最後、これほどまでにありがたい機能もないわけで。今やこれなしの戦いなど考えられないところまで依存してしまっている。

 ちなみに痛みは相応に感じるので、身体の傷が治ったところで、心の傷まではどうにもできないのが玉に瑕。

 なので討伐の際は、例え魔法少女であっても極力『エグい』惨状にはしないよう気を配っている。向こうさんも端末辺りから言い含められているらしく、現時点でそういう場面には出くわしていない。

「じゃ、お腹もいっぱいになったし、話し聞かせてよ。どんな魔法少女だったの?」

 仁が音頭を取って報告会兼反省会が始まる。

 迷子になった魔獣を無事に逃がした直後、謎の魔法少女から奇襲を受け応戦。相手の能力と思しき攻撃によってあたしたちは負傷。詩乃が相手の眼をくらまして撤退。

 とりあえず、細かい部分は端折って説明した。

《よくかりました。その暗殺を仕掛けてきた魔法少女。詩乃の推察通り、後発型とみて間違いないでしょう》

「ああ。魔獣の討伐が目的なら、私たちがあいつらにもたついてるところを狙えば済む話だからな。全部済んでから出てきたってことは、目撃者を極力減らしたかったからだろう」

 さすがと言うべきか、詩乃の状況分析は見事という言葉に尽きる。これじゃあまるで、あたしが何もしてないみたいだぜ。

《ふむ、それにしても『村雨』ですか。私としましては、何やら当て付けのような意志を感じずにはいられませんね》

「奇遇だな。私もだ」

 次にケンが真っ先に食いついたのは、なぜか謎の魔法少女が有する獲物の銘であり、さらになぜか詩乃まで乗っかってきた。

「え、なんの話? 『村雨』ってのがそんなにヤバいの?」

《いえいえ、棗は気にしなくて大丈夫ですよ》

「ああ、知らなかったところで困ることじゃない」

「…………」

 えー何この通じ合ってる雰囲気? なんかおもしろくねー。

《して、棗が被弾したという攻撃はどんなものでしたか?》

 こっちがいじけているのをいいことに、話をさっさと本筋に戻していく犬。

「こうやって、薙ぎ払うようにビュン! って感じ。え? って思った瞬間には痛かった」

《そしてあの水玉模様というわけですか?》

「うん、そう」

 思い出しただけでも鳥肌が立つ。

 詩乃に担がれなんとか危機を脱し、やっとこさケンと仁に合流したあの時。

 傷の具合を確かるために上着を脱ぐと、Yシャツにはプツプツと血の水玉模様ができあがっていた。びっくりしてYシャツも脱ぐと、激痛の走った場所一帯に針で刺したような跡がびっしりと付いていた。

《針状の物体を射出したのでしょうか? しかしだとすると、針が残っていないのが不可解ですね。魔力を針状に形成はしたのか、あるいは──》

 ケンはブツクサ呟き、思考の渦にはまる。

「ねえねえ、他には?」

 今度は僕の番だとばかりに、仁が眼を輝かせて身を乗り出してくる。

「えーっと、刀が光る前に呪文唱えてたかな? 盟約に従いダデキせよ~って」


「《堕溺⁉》」


 元魔界の王様たちは、声を揃えて復唱した。

《棗、あなた今、堕溺と言いましたか⁉》「棗姉ちゃんそれホント⁉」

 珍しく血相変えてケンと仁が食い付く。

「へ? そんなに驚くほどのこと? 魔法少女の呪文なんて、精々カッコ付けの験担ぎみたいなもんでしょ?」

 魔法少女が口ずさむ呪文は、大抵それ自体に意味はなく、見てくれだけのこけおどしというのが通例だ。魔法は呪文を唱えて使うというイメージが先行しがちではあるけど、実際は詩乃のような『言葉』が鍵になっている魔兵装を持つ方が少数派だ。

 お気に入りのポーズを決めて呪文を唱えていた魔法少女が、切羽詰まってくると次第に暴言を吐き散らし、または無口になっていく様は、見ていてとても気の毒な気分になる。

ちなみにこの法則は年少者になるほど当てはまる。お年頃なのだろうか?

《棗、詩乃。その魔法少女は他に魔兵装を所持していましたか?》

「パッと見た限りではなかったな。なあ、ナツ?」

「うん。見てなかったってだけだけど」

 互いに顔を見合わせ、意見をすり合わせる。

《なるほど。その魔法少女が、なぜそこまでの戦闘能力を有しているかわかりました》

 よくわからんのだけど、今のやり取りで何かわかったらしい。

《棗。私は以前、魔界と天界が戦争をしていたと、話しましたね?》

「言ってたわね。そんで魔界が勝ったんでしょ?」

 忘れるわけがない。魔界と天界の歴史。ケンと出会って、最初に聞かされた話だ。

《はい。その折、我らは天界を蹂躙し、すべてを亡き者にしました》

 柔らかい言葉を選んじゃいるけど、とどのつまりは老若男女構わず皆殺しにしたってことね。

 今更魔族の倫理観をどうこう言うつもりはない。こいつらがその時そうしたってことは、その時そうするしかなかったってことなんだから。

《そして我々魔族は、天族たちからあるものを回収しました》

「それは、いったい何さ?」

《天界人たちの遺骨です》

 空気を読んでやさしく合いの手を入れてやると、ケンは厳かに答えた。

《その遺骨に凝縮処理を施したものを、我らは堕溺水晶と呼称しました。名前の通り、堕溺兵装に中核として用いられている素材です》

「……大丈夫だから、続けて」

 理解が追い付いているかを確認するように一端区切ったケンに、再度続きを促す。

《堕溺水晶とは天界人の力、『天力(てんりょく)』の結晶体です。そしてそれは我らが用いる『魔力』と決して相容れることはありません。我らが永遠にも似た永い間戦い続けてきたのは、それぞれの持つ力がお互いに反発しあう性質が起因しています。そもそも天力とは──》

「歴史の授業はいい! その堕溺兵装ってのが、どういう仕組みで、何がどう危険なのかを簡潔に教えろ」

《……はい》

 ケンの語り部に慣れていない詩乃が、付き合いきれないとばかりに話の腰を折る。まあ、気持ちはわかるけどね。

「つ、つまり堕溺兵装ってのはね! 本来魔力を受け付けない天力媒体に無理矢理魔力を流し込んで高反発させる兵装なんだよ!」

 ケンに変わり、仁が口早に説明を引き継ぐ。前説はケンがやってくれたおかげで、こっちはまさしく簡潔でわかりやすい。

「ふむ。磁石が同極で反発し合うのと同じ理屈か」

「そんな感じそんな感じ。実際はそんな生易しいものでもないけどね」

「で、その堕溺兵装とやらが、あいつの戦闘力とどう関係あんのさ。ケン」

 このままヘコまれていてもこっちの調子が狂うので、強引気味にケンに続きを振ってやる。

《はい。あなた方魔の付く契約者は、変身する際にあらゆる要素に魔力を分配しなければなりません。認識攪乱や身体強化を施す魔装衣。自身の矛であり盾である魔兵装。それらに必要な運用魔力。個人差はありますが、皆それらを無自覚に行っています》

「──それで?」

《恐らくその少女は、本来魔兵装生成に充てられている魔力要素を放棄し、余剰分を身体強化に分配しているのでしょう》

 つまり余所から借りてきた兵装を代わりに使って、魔力をちょろまかしてるってわけか。そんな裏道みたいなやり方もあるんだな。

「そんなもん使って、あいつは大丈夫なのか?」

 一見気遣いともとれる詩乃の疑問だけど、これはあくまで事実の確認であり、間違ってもあの魔法少女を心配して、なんて意味ではないだろう。

《無論、大丈夫ではありません。起動する際は必ず魔力の過剰反射をもろに受けてしまい、自身にも影響が出ます。堕溺兵装自体、後天的な追加兵装に過ぎませんので、主兵装に充てるのは賢明な判断とは言えません》

 だろうね。あたしが契約する時、ケンが堕溺兵装に触れなかったってことは、なんの代償もなく使える代物ではないってことだし。

 ふむと短く頷き、詩乃は続ける。

「その堕溺兵装とやらを起動される前に、あいつが強化されるのを防げばいいんだな?」

《現状で考えうる、最も妥当な方策がそれでしょうね》

 受け身なやり方だな~。ホントにそれしかできんのだろうけど。

《魔法少女側も、我々を本格的な脅威と認めつつあります。今日のような手合いはこれからも現れるでしょう。お二人とも、くれぐれも油断されないように》

「安心しろ。今日は初見で不意を突かれたまでだ。次が確実に来るとわかった以上、遅れは取らない。必ず沈める。そうだろ、ナツ?」

 詩乃は静かに請け負い、頷いた。性格というか性分なのか、そのバカみたいな自信とやる気はどっから沸いてくるのか不思議でしょうがない。

「はあ~~、マジか~~」

 一方あたしは、本日何度目かのデカいため息とともにテーブルに突っ伏してしまった。この先あんな化物級がゴロゴロ出てくるのかと思うと、不安で仕方なかった。


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