プロローグ
数ある作品の中から『魔引きの魔女』〈邂逅編〉選択していただき、ありがとうございます。
これは過去に新人賞へ応募したものを再編した作品です。
なので各章のボリュームが他の方の作品より多いです。
私自身が把握しきれていない、矛盾点・相違点など多々あるかと思いますが、
最後までお付き合いいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
「はぁ、はぁ……、──っ!」
走る、走る。ひたすら走る。とにかく一秒でも早く、ここから逃げたかった。
大通りの灯りすら届かない薄暗い路地。見たこともない、暗くて汚い場所。
どこの角をどっちに曲がったかなんてわからない。ひょっとしたら、同じところをずっとグルグルしているだけなのかもしれない。
「うっ! うぐっ、えぐ──」
涙が次から次へと溢れてくる。鼻水が出ているのか、鼻の下が冷たい。汗もダラダラで、よだれも垂れているかもしれない。本当にかっこ悪い。
お母さんやみんなに見られたら大笑いされる。きっと『あの時のアヤちゃんの顔、本当にヤバかったよね~』って感じで一生言われ続ける。
「はぁ、はぁ。──っ! あ、あそこ!」
何本目かの分かれ道を抜けたところに、ちょうど子供一人が隠れられそうな隙間があった。
「っ! ──は! は!」
そこへほとんど倒れこむように、身体を滑り込ませる。
「はぁ……はぁ」
無理矢理に呼吸を落ち着かせ、自分の恰好を確かめる。
左足の靴が無くなっていた。靴下は擦り切れてボロボロ。途中でどこかに引っかけたのか、魔装衣もあちこち破れ、血が滲んでいた。
「どうして? どうして──」
夢にまで見た大冒険が、今日から始まると思ってたのに。魔法少女に変身して、魔法のステッキを手に、テルちゃんと一緒に悪い魔獣をたくさん倒して、この世界の平和を守っていくはずだったのに。なんで、こんなことに……。
「テルちゃん……」
わたしを魔法少女にしてくれて、これからわたしを助けてくれるはずだったクマのぬいぐるみ妖精のテルちゃん。
幼稚園の頃からお気に入りで、四年生になった今でも机に置いていた。そんなテルちゃんが喋りだした時は、本当にびっくりした。
そして思った。これからすごくステキなことが始まるんだって。なんの取得もないわたしだけど、そんなわたしにも胸を張ってできることがあるんだって。
『アレ?』
ほんの数分前、街を見張中、その声に振り返ると、テルちゃんは真っ二つにされていた。中に入っていた綿が弾けて、雪みたいにキラキラ光っていた。
瞬間、わたしは吹き飛ばされた。
危うく地面に叩きつけられるところだったけど、運よく路地裏のゴミ捨て場に落ちて怪我はしなかった。
肉や魚の腐った臭いから抜け出すと、さっきまでわたしがいた場所に誰かが立っていた。
月が後ろにあるせいで顔まではわからなったけど、輪郭から女の人であることは一目でわかった。
たぶんわたしは、あの影を数秒くらいしか見ていなかった。なのに『逃げなきゃ!』という危機感だけはどんどん膨れ上がって、気付いたら走り出していた。戦うどころか、テルちゃんの残骸を集めることさえ考えられなかった。
「何なの? あんなの聞いてないよ。敵は魔獣なんじゃないの? 人なんて聞いてないよ。いきなりあんなのと戦うなんて……無理だよ」
口をつくのは疑問ばかり。いつも隣で答えてくれたテルちゃんも、もういない。
ふと気が付くと、魔兵装であるステッキすらどこかに落としていた。これじゃ戦えない。
ついさっきまで満ち満ちていた自信と勇気が、ものすごい勢いで萎んでいた。
「……あきらめて、くれたのかな?」
ここに隠れてだいぶ時間が経った。いきなりあんな攻撃をするような奴だから、見つけたらすぐ襲ってくるはず。きっと見失ってくれたんだろう。
「帰ろう」
周りを何回も見回してから隙間から這い出し、静かに走る。
……戦うなんて考えるのはやめよう。もうこんな気持ちになりたくない。このまま家に帰って忘れちゃおう。テルちゃんは外に出してうっかりなくしちゃったってことにすればいい。
普通の人よりちょっと不思議なことができるぐらいでいいじゃない。魔法少女はわたしだけじゃないんだし、きっとわたしより強い人がたくさんいる。
情けないってわかっていても、言い訳せずにはいられない。
「はぁ、はぁ、はぁ。──っ! わっ!」
そろそろ路地を抜けられそうかなと、曲がり角を入ってすぐ、何か軟らかいものを踏んで転んでしまった。左ひざと、うっかりついてしまった両手にビリビリとした痛みが走る。
「痛っ──もう! なんなのよ!」
イライラのまま、つまずいた原因を睨み付ける。
「え……嘘? テル……ちゃん?」
視線の先には、無残に切り裂かれたはずのテルちゃんが転がっていた。半分にされた片方の瞳が、真っすぐこっちを見ていた。
「テルちゃん! よかったテルちゃん! ごめんね、ごめんね、──ひぐっ! ごめんね……っ! よかった。よかったよぅ」
両手で掻き集めるようにしてテルちゃんを抱きしめる。中の綿はほとんどなくなり、体はかわいそうなくらいに痩せ細っていた。
やっと納まったと思ったのに、また涙が溢れてきた。二度と会えないと思った友達とまた会えた。今はそのことだけで胸がいっぱいだった。
「本当にごめんね。帰ったら、ちゃんときれいに直してあげるからね」
さっきまでのお喋りはできないかもだけど、せめて見た目はだけ元に戻してあげるからね。
──ことん。
「──ひぃ⁉」
後ろから何かが落ちる音がして、ビクっと体を震わせる。
「……靴? わ、たしの」
振り返ると、人の形をした影に重なるように、わたしの靴が落ちていた。
影の元を、ゆっくりと辿っていく──
「──あ」
あいつが立っていた。さっきと変わらず月を背にして、屋上からわたしを見下ろしていた。
「あ、あ……ああ、ああああぁぁ‼」
叫んだ。なんでなのかわからない。とにかく叫んだ。
あいつは最初から、わたしを逃がすつもりなんてなかったんだ。ただわたしが、ノコノコ出てくるのを待っていただけだったんだ。
萎んだ希望が吹き飛ぶ。わたしの中にあるのは、絶望だけだった。
「ああああぁぁ‼ ──ああぁぁ!」
わたしの大声にかまわず、あいつは動かない。逆光で表情が見えず、笑っているのか、怒っているのかもわからない。
「人でなし! バカ! アホ! クズ!」
友達とケンカした時以来の汚い言葉たちが、引っ切り無しに口から飛び出していく。
「~~っ! ~~っ! ~~っ!」
躊躇うほどの悪口か、ただの喚き声か。自分でも、何を言っているかわからない。
「────」
あいつは右手を横に掲げた。途端にブワァと音を立て、真っ黒な炎が溢れ出した。何も照らさない。けど、確かにそこにある、ただひたすらに真っ黒い炎。
炎が収まると、あいつは長い棒を握っていた。それを踊るようにクルクルと回して構え、いつの間に取り出していた短い棒を放り投げ、長い方の棒でガキンッ! と打ち付けた。
「……──っ」
あいつは棒の組み合わせを、見せびらかすように肩に担いでみせた。
「か、鎌?」
それは鎌だった。本で読んだような、曲った形じゃなかったけど。月明りを跳ね返している刃の部分からそうだとわかった。
鎌。生きているものを地獄に引きずり込む道具。
「あ、へ、……はぇ──」
お終いだと感じたと同時に、へたり込んでしまった。両手もだらんと垂らし、抱きしめていたテルちゃんが地面に転がる。
トン! と一音だけ残し、あいつが飛び降りてくる。
すぐにこっちには来ないで、真下の道に着地する。完全にビルの影に隠れ、姿は見えなくなったが、ジャキンと、鎌を構えなおす音は聞き取れた。
「こ、この……っ!」
わたしの中にあるほんの少しの勇気を奮い立たせ、決死の覚悟で立ち上がる。せめて最後くらい、抵抗してみせるん──
「──アレ?」
眼の前にいるあいつを睨み付けようとした刹那。わたしの胸に鎌の刃が突き刺さっていた。
「そ、んな……」
わたしを刺したあいつの顔は、ついにわからなかった。