離れた時間が出会う頃
〜プロローグ〜
春の遠足。
とても懐かしい、あったかい響きがする。
桜が散って、チューリップが咲き始めたころ、
先生に手を引かれて、
連れまわされただけだった幼稚園の春。
バスに乗せられて、
一日中放課後のようだった小学校の春。
思い出すことはあっても、
私には帰りたいあのころというものが、ない。
毎年のように繰り返した転校のおかげで、
遠足のバスで隣に座る人は、いつも違う人。
そのときは楽しくても、
終わってしまえば、一回きりという記憶の中。
密閉されて、
色鮮やかに保存されているけれど、
あのころを復元させるには、
ずいぶんと手間と時間とお金がかかる距離が、
私とあのころの間にはできてしまった。
◇ 記憶
五月に入り、連休を迎えると、
地方から東京へ出てきた学生や、
地方に実家を持つ家族が、
一斉に東京を発つ。
雑踏の東京駅21番ホームに、
今、私は立っている。
一週間前の日曜日、
私を連れ出そうとしたのは、一通のメールだった。
「すっごい久しぶりで突然なんだけど、5月3日に集まらない?」
簡単なメールは、
私的な同窓会の案内。
仲の良かった友達が、
ちょっとだけ、気を利かせてくれて、
私をあのころに引き合わせようとしている。
とても楽しみだった半面、
せっかくの思い出が、現実で汚れてしまうのが、
私には怖かった。
◇ 再会
新潟駅12番ホームは、
強い風が吹き抜けていた。
中央の階段を駆け下りて、
電気店のある西口を抜けると、
長い一直線の自由通路を、私はひたすら歩いた。
新潟駅南口は、新緑が風に揺れて、ささやいている。
待ち合わせの南口広場に到着した私は、
噴水を背に、けやき並木を眺めていた。
噴水のシャワー音と初夏の風に吹かれて、
辺りを見回しても、
客待ちのタクシーの列と、テナントビルへ消えていく人の波。
「変わってないなあ。」
私はひとつ、大きく息をした。
「理沙も変わってないじゃん。」
両脇から大きな声で、
肩を掴まれた私は、慌てふためいて、
大きくバランスを崩すと、噴水の中に落ちそうになった。
◇ 道しるべ
記憶の中の人だった香織と佐知子は、
私の中で現実の人になった。
「なんか、ちょっと大人っぽくなってるし。いつものやんちゃな理沙はどこにいったの?」
二人に冷やかされた挙句、
すっかり東京慣れした私への彼女たちの視線は、
ちょっとだけ憧れの目に思えた。
けれど、私にとって東京は憧れでも、なんでもなく、
ただ、今だけ住まわされている場所のひとつに過ぎなかった。
「ねえ、なんで今日にしたのかわかる?覚えてない?あの日のこと。」
香織に言われても、私には思い当たる節がない。
憲法記念日なんて当たり前だし、
私の誕生日でもなければ、出会ったのも四月だし、
この中で結婚予定の人なんていないから、
付き合い始めた日なんていうこともない。
「ごめん、憲法記念日しか思い浮かばないんだけど。」
申し訳なさそうに言うと、
佐知子はがっかりした表情で大きく息を吐いた。
続いて香織が、
私の肩に手をかけると、大きく首を左右に振った。
「相変わらず理沙は固いね。固い固い。だから、せっかくの恋愛チャンスを逃すんだって。」
そう言うと、香織はついて来いと言わんばかりに、
私の手を力強く引いた。
◇ よみがえる
「ねえ、だから今日集まった理由って何?」
連れて行かれた小さな喫茶店で、
目の前にある二人の顔を、
私は交互に見ながら、その答えをねだった。
「4年生のとき、春の遠足に行ったでしょ。そのとき、理沙大ケガしたじゃない。」
私の中でぼんやりと、
あのころの痛い記憶がよみがえってきた。
忘れかけていたものが、
再び呼び起こされるだけで、かなり精神的にきつい。
確かに、私は遠足で行った山奥のアスレチックで、ケガをした。
長い丸太の杭歩きの途中で落ちて、
ひざを擦りむいた上に、骨にひびが入った。
そのときは気がつかなかったけれど、
夢中で何度も、落ちた丸太にトライしていたのを、
今でもはっきり覚えている。
「思い出した?それで、そのときアスレチックのお兄さんが止めるのも聞かないで、理沙何度も丸太に乗ってさ。」
香織の言葉に、
佐知子は笑いがこらえられなくなった。
「ほんと理沙は負けず嫌いだからさ。男子ができて、自分にできないから悔しがるし。」
そんなに笑うことないのに、
と思ったけど、仕方ない。
それは、紛れもない事実なのだから。
◇ 知る
「それで、この間聞いた話なんだけど。」
香織は話を元に戻した。
「そのときに理沙を止めたお兄さんの顔、覚えてる?」
正直なところ、
私はあまり覚えていない。
ただ、平衡感覚が鈍っている私は、
何度乗っても途中でバランスを崩してしまう。
「もう、いい加減やめなって。」
半ば怒られるように言われて、
ようやくあきらめた私は、
そのままお兄さんに背負われて、
入口にある事務所で治療を受けた。
「あんまり、よく覚えてないけど、おんぶしてもらったのは覚えてる。」
その言葉を待っていたかのように、目の前の二人が顔を見合わせた。
「そのおんぶした子に、会いたいって人がいるの。」
二人はなぜか、声を合わせた。
「なんで、声合わせるの?」
私が聞いても、
二人ともニコニコしたまま、何も言わなかった。
◇ 見る
再び、初夏の日差しが照る外へ出ると、
緑が色鮮やかに、輝いていた。
駅と並行するけやき通りには、
休日とあって人通りが一段と増している。
二人に連れられた私は、
駅のほうへと連れ戻されていた。
「ねえ、こっちは駅じゃない?」
私が言うのも聞かず、
二人は変わったばかりの青信号で、
横断歩道を渡っていく。
開いた距離をつめるために、
私は、駆け出した。
数メートルの横断歩道を走っただけで、
息が切れる自分が情けない。
自転車と電車の生活で、
結構体は動かしているけれど、
走るとなると、
心臓がバクバクと胸を突き上げる。
「なんで、そんな苦しそうなの?」
ようやく遅れを取り戻した私に、
振り返った佐知子は、呆れ顔だった。
「ほら、着いたよ。あの人。」
香織が指差す先を、
私は息を整えてると、ゆっくりと見つめた。
視線の先には、
ガラス張りの中で一人話し続ける、楽しげな男の姿があった。
◇ 見つめる
「あの人が、この前ラジオで言ってたのを偶然聞いてたんだけど。」
香織はそれから、話のあらすじを話し始めた。
ちょうど話題は、忘れられない人というテーマで、
今から5、6年ほど前の学生のころ、
アスレチックでバイトをして、
そのとき、自分の制止を振り切って、
ケガをしながら、何度も丸太平均台に挑戦する、
男勝りの女の子が、
今どうなっているのか、ふと気になったという話らしい。
作ったようにも聞こえるけれども、
時間的にも、場所的にも、
私の記憶と合致している。
小さなエリアの、小さなコミュニティ放送だから、
本人は、あまり気にもせず言ったのかもしれない。
そう思うと、なんだか気が楽になってきて、
ガラスの中で、
次々と持ち込まれるメッセージに目を通している姿を、
私はじっと見つめていた。
すると、香織がバッグの中から手帳を取り出すと、
なにやら書きなぐって、そのページをちぎると、
窓ガラス越しに中へ見せた。
◇ 感じる
香織は窓ガラスに押し当てた紙を、
指差して中へ合図していた。
「ちょっと、なにしてるの?」
私が香織の肩に手をかけて、
その恥ずかしい行為を止めようとした。
ところが今度は、
佐知子が、私の肩を抱いて、
ガラス越しに中にいる彼に、私の全身を見せようとした。
「ちょっとやめてよ。」
私と佐知子がもめている間に、
コマーシャルの時間になり、中にいた彼が近づいてきた。
ついに彼と私の視線が合った。
「ほんとこの子なんだ。へえ、全然面影ないね。」
そう言う彼は、とても嬉しそうな表情を浮かべていた。
「それもそうだよね、あの時はまだ小学校高学年ぐらいだったでしょ?」
防音バッチリの窓越しで、
大きな声で語りかける彼に、私はアスレチックのお兄さんの面影を感じた。
「はい、4年生でした。」
私は右手の指を4本立てた。
彼は大きくうなづくと、
急いでテーブルに着いた。
コマーシャルの時間が終わり、
また番組が始まると、
あのころのお兄さんではなく、
すっかりプロフェッショナルの顔に戻っていた。
◇ 触れる
こんなに長く、
ラジオの公開放送を見たことはなかった。
渋谷のスペイン坂に行ったときも、
1分ほどで強制移動で、
結局見た感じがしなかった。
ここは新潟、それもコミュニティ放送。
聞いている人も少なければ、
見に来る人は、ほとんどいない。
24時間の大部分が、
東京の放送を中継していて、
生放送の時間なんて、ごくわずか。
その時間帯に、
チューニングを合わせて、
聞いていること自体が奇跡的。
そんな不思議な縁を感じながら、
私はガラスの前に立ち尽くしていた。
「ねえ、いいプレゼントだったでしょ?」
まっすぐ見つめる私の横顔に、
香織がそっと話しかけてきた。
「うん。なんかホッとするプレゼントだね。ほんと、ありがとう。」
香織と佐知子に、私は頭を下げた。
「ほんとたまたま家に帰るときに、ここによったら、理沙のこと話しているからさ。すぐに理沙に連絡したってわけ。」
彼に出会えて、
本当に懐かしい、土臭い思い出に触れ合えた。
彼のおかげで、
本当に懐かしい、古い友情に触れ合えた。
そのことだけでも、
私には奇跡にしか思えなかった。
◇ 別れる
「そろそろ、行く?」
ガラスの中を、
一心に見つめる私に、
香織は少し遠慮していた。
「うん、もう気が済んだから。行こうか。」
少しある名残惜しさを振り切るように、
自分から切り出した。
「ねえ、最後くらい手振って行こうよ。」
佐知子に言われて、
三人で中に向かって手を振ってみた。
「バイバイ。」
私はガラスに背を向けた。
すると、香織が私の肩をたたいた。
「ねえ、なんか呼んでるみたいだよ。」
振り返ってみると、
彼が左手で手招きをしていた。
けれど、視線は原稿に行ったきりで、
再び私に戻ってくることはなかった。
「どう思う?」
三人で顔を見合わせて、
しばらく居残ってみることにした。
誰も居ない公開スタジオに、
私たち三人だけが三十分近く足止め。
さすがに疲れてきて、
黙りがちになった険悪な雰囲気に、
私も切なくなってきた。
◇ 待つこと
しばらくガラスに背を向けて、
寄りかかりながら、時間を過ごすと、
気がつけば、番組も終わりに差し掛かり、
私たち以外にも、
人だかりができ始めていた。
「さあ、今日も終わりになりましたが。」
彼の言葉で、
私たちは慌てて、窓の中を振り返った。
すっかりだまされて、
待ちぼうけを食らわされたような、
腹立たしさとむなしさがこみ上げてきた。
「でも、今日は三人の可愛い女の子たちが、ずっと見てくれていて、それ以外にも、どんどんみなさんおいでいただいて、みんなお休みの日なんだなあと思いました。」
番組のネタにされて、
完全に終わりへ向かっていく展開に、
益々腹が立ってきて、
この一言のために私たちを引き止めたのか、
と声を荒げたくもなる。
ところが、それは私の勘違いだった。
「そして、たった今、すごい出会いがありました。僕が先週、気になる人ということで、負けん気の強い小学生の女の子っていう話をしましたが、実はその子が今日、ここに来てくれました。」
彼は私の顔を目掛けて指差した。
「そういえば、名前なんだっけ?」
とオンエア中のマイクに向かって話しかけられた私は、
あまりの突然の展開に、
言葉が出ない。
私がぐずぐずしている間に、
香織と佐知子は声を合わせて、大きな声を張り上げた。
「理沙です!」
その声を聞き取った彼は、マイクに向かって話し続けた。
「わかりました。ラジオの前のみなさん、理沙ちゃんでした。私の気になる人、理沙ちゃんに会えました。今日連れてきてくれたお友達の二人、ありがとう。」
彼はひと通り状況をマイクに詰め込むこと、
静かに番組は終わり、
それとともに、人は一気にはけていった。
◇ 向き合う
「ちょっと待っててよ、今入れてあげるから。」
そう言うと彼は、
従業員用の鉄扉の玄関へ行くよう指示した。
私たちがしばらく待っていると、
鍵が開いて、中の小さな会議室へと案内された。
「ねえ、あの人、名前なんて言うの?」
しばらく中で待つ間、私は香織に聞いた。
「ああ、青木雄二だったかなあ。正直、私もあんまりよく知らないんだけどね。」
香織はずいぶんあっけらかんとしていた。
佐知子にも、同じことを聞いてみたけれど、
「まあいいじゃん。なんかコーヒー飲めるし、楽しそうだし。」
とこちらも楽天的で、
ちゃんと挨拶しないといけないし、
それなりに話を合わせなければいけないし、
と私の不安は募っていった。
彼が戻ってくると、向こうから話を始めてくれた。
「えーっと、香織ちゃんと佐知子ちゃんだっけ?」
彼は二人の顔を見て、すぐに名前を言い当てた。
「はい。ちゃんとメールのとおりだったでしょ?」
香織は、得意げに彼と親しく話を始めた。
「ほんとだよ。でも本気で連れてくるとは思わなかったからなあ。」
私は、一気に変化したこの状況を
飲み込むまでに時間がかかりそうだった。
「理沙ちゃんだっけ?よく東京から来てくれたね。」
ついに私に話題が振られた。
「はい。二人に呼ばれて。ちょうど連休でしたので。」
とりあえず、当たり障りのない会話で、
その場をしのごうと必死になっていた。
◇ わかる
「ねえ、二人とも知り合いなの?」
私はようやく、
香織と佐知子に、一番気になっていた質問ができた。
二人とも、示し合わせたような顔をしていて、
なかなか話してくれず、ようやく佐知子が説明してくれた。
「だから、ラジオで理沙の話を聞いて、たぶんその子は理沙のことで、今は東京に住んでいて、ゴールデンウィークに連れて行くってメールをしたら、待ってるっていうから、強引に理沙を呼び出したってわけ。もう、相変わらず鈍感だねえ、理沙は。だから丸太から落ちるんだって。」
と最後に笑いまで取って、
私は立つ瀬がない。
ようやくわかったことは、
すべてが出来上がったシナリオの上を、
私はずっと歩かされてきたということ。
それがわかった私は、
顔が熱くなってきた。
詐欺に引っかかったようでも、
たちの悪い勧誘につかまったようでもあり、
今ここにいる自分が、
少し恥ずかしくもあり、
よく考えてみても、
今自分がいるこの部屋が、
現実かどうか、
区別がつかなくなってきた。
「ねえ、これって夢じゃないよね。」
私は二人の顔を見て、真顔で聞いてみた。
「なに言ってるの?もう理沙、おかしくなっちゃったんじゃない?」
香織には、本気で心配されてしまうし、
「大丈夫?しっかりして。ちゃんと生きてるから。」
佐知子には、現実であることを確認された。
佐知子に肩を揺すられたとき、
横目で彼の様子を窺った。
そんな私と友達のおかしな会話を、
彼はずっと、眺めているだけだった。
その目はやさしく、
遠いあのころの私を見ているような、
小さくて、負けず嫌いの私が、そこにいた。
−完−




