第三話 来たるこの日と悪い予感
ここから、続きです。
世界には本を読むタイプの人間と読まない人間がいて、あたしは後者だった。
幼い頃から、本とは無縁だった。
そんなあたしが、あの本を読んだのは。
「ねぇ、どうだった? おすすめしたやつ」
「泣けた! 始めから凄かったよね。エディがアレンを庇って死んでしまうとこ!」
「あー、あそこいいよね。エディ、ほんっとうにいい子だよねぇ」
そんな会話を、聞いたから。
ねえ、***。これ、面白いよ。
そんなの、間違ってると思ったから。
紅く空が染まるなか、カァン、カァンと鐘の音が鳴り響く。
「魔物が攻めてきたぞっ」
あたしと同年代の少年達が、村人たちを正しい避難経路に誘導する。
これは、避難訓練なんかじゃない。
ついに来たのだ。この日が。
奴らを発見したのは、あの避難訓練から約二週間後。夕刻だった。
見つけたのは、丁度あたしだった。
物見やぐらの上から迫る小さな紫色の集団が見えたのだ。
大声で避難勧告を出すと、村人たちは最初慌てていたものの、決められた通りに動きだした。
小さいってことは、まだ奴らは遠いってことだ。
ちゃんと避難できる時間がある。
あたしはまず、そのことに少し安堵した。
「行け、行け!」
次に安堵したのは、逃げる村人の表情を見たときだった。
緊張で顔がひきつっていたが、その顔は、避難訓練のときと似ていたからだ。
「こっちだ、こっち! 安全だ!」
最後列であたしが声を張り上げて仲間と同じように誘導してると、目の前で老婆が転んだ。
その年にしては若い声の、裁縫が得意な女性。あの、ミルルおばあちゃんだ。
「大丈夫かっ」
「ごめんなさいね。手間かけさせちゃって」
駆け寄って脚を確認する。
ひねったようで、歩いたり走ったりするのは無理そうだ。
ミルルおばあちゃんもそのことを悟ったのか、顔を青ざめてぶるりと震えた。
それから、おずおずとあたしに視線を合わせると、言った。
「先にお行き」
「おばあちゃんっ」
「私はもう年寄りだ。これ以上世話させるわけにはいかないよ」
しかも、綺麗ないい笑顔で。
***。イキロ。シアワセニナ。
腹がたったので、そのままおばあちゃんを持ち上げて、走る。
「エディ!」
「世話すんのは、こちらの勝手だ! 捕まってな!」
ミルルおばあちゃんははじめは驚きで固まっていたが、状況に慣れてくると、申し訳なさそうにうつむく。
そして、あたしの首にしがみつきながら、唇を動かした。
「こんなことを私にしたのは、若い頃のじいさん位だよ」
因みにあたしの背中は荷物で埋まっているので、ミルルおばあちゃんは強制的にお姫様だっこだ。
グルルルル、と魔物の唸る声が小さく聞こえてくる。
避難場所に着くと、あたしの仲間たちがわらわらとよってくる。
当然、あたし達が最後だったらしい。
仲間の内の一人にミルルおばあちゃんを託すと、あたしは辺りを見回った。
皆は、ある程度の数で集まり、寄り添い、話をしている。
会話のなかには先を憂うものが多かったが、何処か安心がにじみ出ていた。
目が合うと、ありがとう、と会釈をしてくる。
大きな怪我をした人はいないようだ。
せっかく回復魔法の講習をしたのに。
あたしは、嬉しい落胆の息を漏らす。
でも。やっぱり。
ああ。皆無事で、良かった。
そう呟こうとして、違和感を感じて。
避難場所でおろおろとする、はす向かいの奥さんが目に留まった。
背中には二歳の女の子を、お腹には赤ん坊を抱えている。
確かあの家は、旦那さんが今出稼ぎにいってるんだっけ。
嫌な予感がした。とても嫌な予感がした。
もう一度、今度は駆け足で辺りを見回る。
いない。何処にもいない。
あの家には、五歳のレックスという男の子がいた。
でも、その子が何処にも見当たらないのだ。
そして、あいつも。
慌てて彼女に話しかける。
「ナーシャさん、レックスは!?」
「あああ、エディ! それが、はぐれてしまって! 探しに行きたいけど、この子達もいるし。ねぇ、エディ。預かっててくれないかしら。迎えに行ってくるっていったけど、もう私行ってくるから! 行くから!」
奥さんはもうだいぶまいっているようで、顔を青ざめながら、早口に言い切った。
そのまま、あたしの腕に赤ん坊を預ける。
あたしは、いきなりのことに慌てて赤ん坊を支える。
「その、迎えにいったのって」
嫌な予感しかしない。
「ママぁ」
ふと、甲高い声がした。
後ろを振り返ると、泥だらけの男の子が、走ってやってくるところだった。
ああ、良かった。レックスは無事だ。
「レックス!」
奥さんは我が子の名前を呼ぶと、駆け寄り、その震える小さな体を抱きしめた。
レックスの顔は、涙でぐちゃぐちゃだ。
「なんでこんなときに、どっか行っちゃうの!? アレンに礼をいいなさい!」
奥さんの口から、アレンとこぼれるのを聞いたとき、嫌な予感が当たっていることを、あたしは悟った。
レックスはしゃくりあげながら言う。
「魔物がきて、アレンにい、僕に、逃げてって」