追憶
森を跳び回る。
聞こえるのは、ただ風を切る音と、風に揺れる葉が擦れる音。
「クソッタレ……! どこだ……ッ!」
結界の中は魔導師でない村民たちが探すだろう。結界の外は俺やプロの魔導師の領分だ。
森の方へ意識を集中させる。子供の声でもいい、魔物の走り回る音でも良い。なんでもいい、手がかりを……!
「――ッ!」
耳に届く、高い声。何を言っていたのかはわからない。だが。位置を割り出すには充分だ。
「おおおおおおおおッ!」
声の方へ。ただ、声の方へ。足を動かせ、空を駆けろ。例え何があろうとも。
俺のような人間は、生み出してはならないのだから。
「たすけてッ!」
木々を掻き分ける。葉の壁を槍の穂先で切り開く。生まれた道を、ただ、跳ぶ。
見えた。二人の子供と、異形の怪物が。
その間に、降り立つ。
「よく頑張った! 2つの風よ、強く吹き飛ばせ!」
すぐさま、俺は二人の子供に向けて魔法を放つ。普段使わない強くの魔法語を組み合わせたものだ。魔力消費はかなりのものだが、結界まで届かなくともかなり時間稼ぎにはなるだろう。
眼の前の魔物は、巨大な蜘蛛のような風体をしていた。……だが、魔物の脚は蜘蛛のそれでなく、真っ白な人間の手そのものであった。更に、全身の至るところに血の涙を流す男性の顔が貼り付いている。苦悶に満ちた表情を浮かべるそれらは口を開き、呻き声をあげている。
蜘蛛の頭にあたる部分には、ひときわ大きな顔があった。これらの全てが同じ顔なのが非常に気味が悪い。
こいつはデカい。これをマトモに相手にするには最低でもランクBぐらいは必要かもしれない。
そして……俺の知識が正しければ、こいつは間違いなく子供を追う。魔物は魔力の多い者を優先的に襲う。俺の優先順位なんぞ最下位だろう。
案の定、蜘蛛魔物は俺が吹き飛ばした子供の方へ跳躍した。
「させるかよッ!」
俺はすぐさま蒼空を魔物の足へ向けて振った。
魔力を刀身にのみ注いで出来る限り省エネした攻撃だ。
足の関節部に放った攻撃は、切断とまではいかなかったが切れ込みを入れることに成功し、ギュイギイ、と魔物は不快な鳴き声を上げた。
一瞬、動きが止まった。離脱するなら今だ。子供たちがどこまで飛ばされたかを確認したい。
そして、俺は子供たちの方へ跳ぶ。
刹那。
とてつもない衝撃が、俺の上半身を襲った。
「……!?」
空中でバランスを崩す。もう一度跳ぼうと足を動かすが、俺は跳べなかった。
「いったい、なん……!」
そこで、気付いた。気付いて、しまった。
蒼空が魔力に還っていたことを。何故か。
蒼空を持っていた手が、否。
右肩から先の全てが――無くなっていた。
「――――ッ!?」
気付いた瞬間、とてつもない痛みが訪れる。切断されたのかはわからないが、突如消失した右肩の断面が空気に触れ、鋭利な刃物で刺されているような痛みが溢れてくる。
「ッッぎ!」
そのまま、俺は地面に叩きつけられる。そうだ、俺は跳んでいたんだった。
魔物を見ると、蜘蛛における頭の部分が……伸びていた。そして、蜘蛛の鋏角には俺の……切断された右腕が挟まれていた。
だが、俺は右腕を喪失した痛みに悶えていて、最早何もできない。
「ぎ、い、あ、あああああああああああああああああッ!」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い――――!
そう思えば思うほど、より強く痛みを意識してしまう。どれだけ声を張り上げようとも、地獄が和らぐことはなかった。
血液が、熱が、右腕に流れるべきだったそれらが虚空へと流れ出してゆく。
しかし、そんな俺など構わず、魔物の口元にある俺の右腕は、徐々に形を失ってゆく。存在を失ってゆく。
魔力そのものに変換されているのだ。
それを見て、痛みにこそ支配されながらも少しだけ、少しだけ俺は現実に引き戻される。
「あっ、ぐ……ぎ、ィ、いいいいいいいいッ……!」
それでも、ロクに言葉を発せやしない。俺はただただ呻き続けることしかできない。
六年前。
俺は六年前のあの日、魔物に右腕を切断されたことがある。
あの日は切断されただけであったから回復魔法と現代医学をもって縫合することができ、後遺症もなく元通りになったのだ。
だが、今は違う。
切断されても、モノさえあればまたくっつけられる。だが、完全に魔力にされてしまえば、取り込まれてしまえば、もう、戻らない。戻せない。
「ぐ、う、お、おおおおおおおおおッ!」
意味のない咆哮。それは自分を鼓舞しようとするもの。
俺は慣れぬ左手に改めて蒼空を顕現し、魔物に立ち向かおうとする。しかし出血が酷く、マトモに立ち上がることさえままならない。
立ち上がろうとして、杖のように蒼空を地面に突く。蒼空を握る左手に残る全ての力を込め、やっとのことで立ち上がる。
「…………く、そッ!」
力が入らない。意志に身体が追いついてこない。前へ進みたいのに、あの魔物から腕を取り戻したいのに、肉体が全力で拒んでいる。
そうこうしている内に、俺の右腕はついに半透明になっている、光の粒子に変換されている。
どうにかしなければ。
「風よ、爆ぜろッ!」
身体中の血液が失われてゆこうとも、少しずつ意識が薄れていようとも、魔力だけならば、まだ残っている。
俺の力など微々たるものだ。魔物にしてみれば痛くも痒くもないだろう。だが、それでも。
少しでも俺の右腕が固形として残っている内に、回収しなくてはならない。
なんでもいい、魔物が俺の右腕を取り落としさえすれば、なんでも。
その隙に右腕を回収し、結界まで跳ぶ。それが、俺が生き残り、かつ今後も生きてゆくための道筋。
だが。
魔物が不快な鳴き声を上げると共に、俺と魔物を挟む空間が歪んだ。
そして、純粋な魔力による爆発が起きる。
まるで、全身がバラバラになったんじゃないかとさえ錯覚させるような衝撃。
悲鳴さえ上げられずに、まるで壊れたからと投げ捨てられた人形のように、俺は吹き飛んだ。
その中で。
俺の頭の中には、走馬灯のように六年前のあの日の情景が浮かんでいた。
~~~~~~~~~~
「ダイちゃんダイちゃん!」
俺をそう呼ぶのは母の他に彼女だけだった。いつもいつも、その日の授業が終わればすぐさま俺の元に来ていた。いや、休み時間が終わる度、だったか。
「もー、今日はなんだよ、サツキちゃん」
「あのね、あのね、すっごいの見付けたの!」
はあ、と俺はため息をついていた。
「次はなに?」
「ひみつきち!」
そうだ、いつもこうやって引っ張られていた。目新しいものを見付けたと言っては俺をその場に連れ出し、その感動を共有しようとしていた。
あの日も、そうだった。
~~~~~~~~~~
「ダイちゃん!」
「はいはい、こんどはなにをみつけたの?」
「おばけ!」
そんな会話が、全ての始まりだったのだ。
「ええ、おばけ?」
「うん、そう! まどうしになるんだから、それぐらいまほうでどどーんっ! ってやっつけないとだめだよね!」
「でもそんなのどこでみつけたの?」
「あのねー、これは言っちゃダメだよ?」
そう言って咲月は俺の耳元で囁いたのだ、「けっかいの外」と。
「えっ、でたの!?」
「しーっ! 声がおっきいよ! ……あたしね、まほうごをなんこかおぼえたの。だからね、おばけだってこわくないの」
「……おれだってそんなのこわくないよ、もちろん」
ああ、思い出すだけで嫌になる。
俺は……そう、子供心に、咲月に惚れていたのだと思う。初恋と言ってもいい……のかどうかは微妙だが、それでも俺は咲月のことが何よりも大事だった。
だから……普段は「ぼく」だと言っている癖に彼女の前だけは「おれ」だなんて言っていたし、ずっと格好を付けていた。少しでもイイところを見せようとして。
そして、怖くて怖くて行きたくもなかったくせに、俺は結界の外に赴くことになったのだ。咲月と共に。
あの時に止めるべきだったのに。
~~~~~~~~~~
「ねー、ほんとにここにいたの?」
幼い俺は山の中で草木を掻き分けながら、後ろにいた咲月に問いかけた。
「ほんとだよう! だってほら、そこ見て!」
指を指された方を見ると、木の幹に印のようなものがついていた。
「えっへっへ、ちゃんとわかるようにしてたんだもんね」
「でも、おばけはいないね」
「じゃあここでまってればくるかな?」
「こなかったらかえろうよ、サツキちゃん。おかあさんがおこるから」
「あ、あたしもだ……。じゃあちょっとだけまとうよ」
そうやって、俺と咲月は草むらに隠れて「おばけ」を待ったのだ。
十数分経ってみると、ゆっくりと近付いてくる足音に気付いていた。
「お、おかしいよサツキちゃん。おばけだったら足音しないよ」
「足があるおばけかもしれないじゃない」
「う、うーん……」
どんどん近付いてくる足音。それは人間が土を踏み締める音とは違った。
どすん、どすん。
重いものが、ゆっくりと近付いてきている。近付けば近付くほど、地面が揺れる。
「もしかして……ガルナ!?」
「に、逃げるわよ、ダイちゃん!」
俺と咲月はすぐさま逃げ出した。
魔物には近付いてはならない。
それは、知らない人にはついていってはならない、と同じように言われる言葉。
その魔物は、そう、人間の部位によって形作られたトカゲのような風貌をしていた。腕や脚といったパーツがほとんどであるが、瞳は人間の顔、舌は女性の胴体であった。
「あれがおばけ!?」
「ちがうよ! まえに見たときはヒトガタだったもん! ひみつきちからけっかいの外に出ていってたんだもん!」
そう叫びながら、俺たちは山を降りていった。
~~~~~~~~~~
どこまで逃げても、魔物は俺たちを追ってきた。
あの頃は逃げるのに必死だったが、今となってはわかる。咲月の魔力量は9歳だったと言うのに多かった。今もしも生きていてランク診断を受ければSは間違いなかっただろう。
つまり……魔力を主食とする魔物はどこまでも追ってきたのである。
「けっかいはどこッ!?」
逃げている内に、俺と咲月は山で迷っていた。
結界の外になんて出ることはほとんど無かった。見渡す限り見覚えのない場所だったのだ。
このままでは二人とも死ぬ、というのはなんとなくわかっていたと思う。
だから、俺は立ち止まったのだ。
「行ってッ!」
「ダイちゃん!?」
「おれだってまほうごぐらいわかる! おれがあいつやっつけるから! はねださんをよんできて!」
「でも!」
「いけよッ!」
そう叫んで、俺は後ろから迫る魔物に向き合ったのだ。
まだ、蒼空さえ持っていなかった頃。魔法語だって、属性詞しか知らないような、そんな頃だった。
俺は涙をボロボロ流しながら、魔物に立ち向かおうとした。立ち向かったのではない。立ち向かおうとしただけだった。
何故なら、魔物は俺に見向きもせず、ただ俺を突き飛ばして咲月を追うことを優先したからである。
「うわッ!」
情けない悲鳴をあげながら、俺はすぐ傍の木の幹に叩き付けられた。痛みを堪えながら顔を上げると、魔物は咲月が逃げた方へ進んでいっている。
「ち、くしょう……!」
俺の魔力の少なさを初めて恨んだ瞬間だったかもしれない。
しかし、自分に見向きしないなら、咲月だけを狙っているのなら。
自分だけは助かるのではないか?
そう思ってしまったことを、覚えている。
だが俺は、咲月を助けねばと思いもした。
だから、全力で走った。
魔物の速度は段々と速くなっていた。俺もついていくのがやっとだったことを覚えている。
そして。
やがて魔物が立ち止まる。
そこには咲月が足を挫いて倒れていた。
「サツキちゃん!」
俺は魔物の前へ躍り出て、庇うように手を広げる。
何が出来るわけでもない。ただ、守ろうとしていたのだと思う。
トカゲ型の魔物が、その腕を振り上げ、思い切り叩きつけてきたのだ。
幼い俺の右腕は、たったそれだけのことで切断された。
どんな悲鳴を上げたのかまでは流石に覚えていないが、きっとそれは、同伴者であった彼女を怯えさせるのに、また、俺が死んでしまうのではないか、と思わせるのに充分だったろう。
泣き叫んでいた俺を守ろうと、咲月は魔物の前に立ちはだかったのだ。
「サツキちゃんッ!」
「ダイちゃんはわたしがまもるんだから! フェルイ……」
そこまで言ったところで、魔物は口を開く。
開いた口から、勢い良く鋭利な舌が飛び出して。
咲月の身体を、胸の辺りを貫いたのだ。
「…………え?」
「――――――あ」
魔力の量が多ければ確かに魔物に対しての防御力は上がる。
だが、言ってしまえばそれは鎧。魔物の魔力が高ければ、貫通もするだろう。
咲月は、その場に倒れた。
貫かれた場所から流れ出た血が水たまりのようになる。俺の右肩から溢れた血と混ざり合う。
「う、あ」
そして俺は。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
慟哭したのだ。
きっと、その声が羽田さんに、駐在の魔導士に届いたのだろう。
そこで彼は俺たちの前に立った。助けに来たのだ。
「やっと見付けた! ……おい、ああクソ、なんてこった!」
羽田さんは俺たちを見るなり焦り、それでもなお魔物に向き直った。
「すぐ俺の仲間が来るからな! 絶対に諦めるんじゃないぞ!」
そして、羽田さんは俺たちを守りながら魔物との戦闘に臨んだのである。
「ダイ……ちゃん……」
「サツキちゃん!」
微かに、咲月は俺を呼んだ。
「あのね……わたし……まどうしに……なるの……」
「そう、そうだよ! だから……!」
「ダイちゃんがね……いっしょに……まどうしになって……」
「おれ、が?」
その言葉に、俺は少し面食らったのを覚えている。
俺は当時、魔導士になろうとは考えていなかったからだ。野球選手になる、とでも言っていたかもしれない。
「それでね……ずっと、いっしょにいるの……」
「……うん、いっしょだよ、ずっと!」
「え、えへ……うれしい……」
咲月は、弱々しく笑ってみせた。
「いつまでも……かっこいいダイちゃんで……いてね……?」
言葉を紡ぐたびに、咲月の声は小さくなっていった。生気が、失われていった。
「うん……うん! だから……だから、サツキちゃんも!」
「……ずっと、いっしょ……に……」
その言葉を最期に。
津辻 咲月という少女の生涯は、俺の大切な幼馴染の生涯は。
いとも呆気なく閉じられたのだった。




