退館
俺は溜め息を吐く。
魔物が横たわっていたのだ。なにがどうなってこうなったんだ。
「人間に戻す手段があるかと思って……。一応、周りに小さな結界も張っておいたから攻撃は飛んでこないと思うよ」
人間に戻す、か……。それは無理な相談なのだ。ともかく、俺はイェルヴァさんから聞いた話をした。かくかくしかじか。
「…………完全に同一存在になっているのか……。魔力は別でも、最早、身体の一部になっている、ということだね」
「なんでそんな飲み込みいいのお前……」
しかし物分かりがいいのは話が進むのが早くなるのでいいことだ。
「でも、何か方法があるはずなんだ。僕の積乱が効いたのだし……」
「そうは言ってもよ……そろそろ魔導士が来るかもしれねえ。この周囲に結界が張られてたんだ。それの影響で魔導士がここに来れなかったんだろうって推測してる。エミリア達が破壊しに行った。もうじき割れるはずだ」
「魔導士が来ると問答無用でこの人は殺されるのか……くそ」
「あ? この人?」
悠人はやはり優しいヤツだった。魔物でさえ救おうとしていた。
だから俺はそれを邪魔してやらねばならない。魔導士に魔物を庇おうとしているなんてバレたら問題だ。人間にとって魔物は絶対的な敵であるのだから。
「どこに人がいるってんだよ」
そう。目の前の、鎧に包まれた人型のそれは既に人間ではないのだ。人間の部分が残っていたから、沖ノ鳥島を囲う、対魔物の結界をすり抜けて来れたのだとしても、やはり決定的な部分で目の前のこれは人間では無いのであった。
「大輔、君ならわかるだろう? いや、わからなくってもいい。でもさ、理不尽なことに怒って、世界を恨んで人間じゃなくなって自我を失って、それでただ殺されるなんてそんなの、あまりにも……!」
「なあ、悠人、お前なんか勘違いしてないか?」
「……何をさ」
「世界はいつだって理不尽なんだぜ。こいつがこうなったのは納得しなかったからだ。どんな事情があれ、こいつは諦めきれなかった。現実を受け入れなかった。それだけだろ?」
人生なんか色々ある。当然だ。何もない人生なんぞ無かろう。
問題は、それらをどこまで受け入れられるか、だ。どこまで諦めきれるか。どこまで自分を折ることが出来るか……。それが出来なければ、ただただ辛いだけだ。現実に打ちひしがれ、自らの無力と不幸を呪うのみだ。
「悠人、お前ならわかるだろう? わかってもらわなきゃならん。こいつは運が悪かった。それだけだ」
「な……」
悠人は激昂する。当然だ。彼は横たわるそれを人間だと言っている。ああ、間違っちゃいないよ。お前は何一つ間違っちゃいない。
「なんで君は! そんなに……そんなに残酷になれるんだい! まだ僕らは高校生だ! 高校一年生だ! それがどうして……!」
「言ったろ。俺は爺ちゃんから英才教育を受けてるんだって。……いや、それよりももっともな理由があるな」
俺は語らねばなるまい。自分のことを。いや、詳らかに語る必要はあるまい。ほんの少しだ。それでいい。充分に伝わる。
「俺が諦めてきたからさ」
子供の頃、魔導士はテレビの特撮ヒーローと同じ存在だった。魔法で人を助け、悪を倒し、人々から称賛される、認められている。
俺だって当然、夢見た。自分も魔導士になる。機動官になるのだと。
そして十歳の頃、それは音を立てて瓦解した。
爺ちゃんから魔導士社会について、子供でもわかるように説明を受けていた俺は、しかし諦めなかった。絶対に魔導士になるという信念はあったのだ。勿論、根拠なき信念ではなかったが……自分としては、根拠となった出来事は、思い出したくもないことである。
「大人びてるとか、そういうのは誤解なんだ、悠人。ただ、俺は知っただけなんだよ。運命とか、そんな月並みで御大層なことを言うつもりはないが、そういうのって、覆せるもんじゃねえだろ? スポーツだったら、努力でスタミナはつくし、運動神経が悪くったってなんとかなるもんだ。いや、なんとかすることを努力って言うんだよな」
悠人は、黙って俺の話を聞いている。驚いているかもしれない。俺が初めて自分のことを語ったことに。誤解しないで欲しいが、別に隠そうと思っているわけではないのだ。語るほどの人生ではないから。ごくごくありふれた人生でしかないから、俺は口を紬ぐのである。
「……まあ、そういうこった。とはいえ、魔力保有量のハンデは、俺が監督官を目指す理由の小さな一つでしかないがな。やっぱ一番は収入だろ。一千万超えるんだぜ。やべーだろ?」
「…………君は、それでいいのかい?」
「いやあ、俺だって最初はヒーローみたいなのに憧れたけどよ。でも、別に機動官だけが救いじゃないだろ? むしろ監督官ってのはヒーローを束ねるリーダーだ。違うか?」
「……君の体術のレベルは凄いものだと思う。今まで、凄い訓練を積んできたんだって、一目でわかったよ。それは……」
「監督官だって現場に出る。必要最低限の戦闘力くらいは持ち合わせないとな」
そもそも、何故低ランクの人間が監督官として機動官を支える立場になるのか。自分よりランクの低い人間の下に付くというのは、高ランクの人間の自尊心を傷付ける行為に他ならないはずなのに。
理由は簡単だ。昔、ランクS魔導士がそれ以下のランクの魔導士を束ねていた時期があった。すると、複数の部隊がストライキを起こしたのだ。それどころか、あまつさえ本部に攻撃するものさえいた。
給料の底上げによる同意でなんとか収束したものの、魔導士が引き起こした事態による被害は大きな物となった。
そこで、体制の見直しが行われた。
ストを主導したのが高ランクだったから、魔導士協会の手に余ったのだ。ならば、無力な人間を監督官という立場に置いておけばいい。簡単に処分出来るからだ。
そしてもう一つ。監督官はいわば司令官の立場にある。だから、魔導犯罪者に狙われてしまうことが多い。犯罪者が仇討ちとして、深夜に突然襲ってくる、なんてこともある。
これで命を落とすのが、人数の少ない高ランク魔導士であれば、監督官への引き継ぎは非常に面倒な物となる。
しかし低ランク魔導士などは腐るほどいる。代替品が大量に備蓄されている。
「機動官は強いから死ににくい。監督官は弱いのに現場に駆り出されるからよく死ぬ。だから給料も高いし、監督官が死ぬと機動官には大幅な減給が申し渡されるから、死ぬ気で守る。死んだとしても代わりなんぞ幾らでもいる……。まあ、俺は死にたくねえから訓練してるんだがな」
そう言って、俺はニッコリと微笑んだ。陰鬱な空気にしたくて語ったのではない。納得させたいから語ったのだ。
「要するに、だ。まあ、残酷になるのも仕方ねえってことだよ。俺はこうでもしないとポイントが稼げん。そもそも低ランクなんだ。戦闘じゃ点は稼げない。だったら、これしかねえだろ?」
「………………それでも、僕は希望を捨てたくない。絶対に何か、方法があるはずだ。父さんが言ったんだ。魔法に不可能は無いって」
俺は、はあ、と溜め息を吐く。強情だ。悠人は人を助けるということに拘っている。助けるべき人間なんて、この場にはいないのに。
「ああ、ああ、あるんだろうさ。俺達が知らない魔法語で、詠唱で、あるんだろうよ。でもそれを知るのは今じゃねえ。それに……」
小さな結界の下で、音もなしに横たわる魔物に目をやった。
俺の勘違いかもしれない。だが、俺にはどうしても、その魔物は意志を持っていて、その上で、俺達に何かを懇願しているように見えた。
「お前が助けたいって思っても、魔物が何を思ってるかはわからないだろ?」
もしかすれば、だが。殺して欲しい、と思っている、かも、しれない。
「…………それは」
「俺達にとってベストな選択は……まあ、魔導士に引き継ぐことだろうな。俺達は魔物無力化と、結界の破壊、魔導犯罪者の撃退で点数を貰う。魔導士候補生は優秀であるとアピール出来るから、エルゼラシュルドの得にもなる。勿論、魔導士が遅れて事件解決も遅れました、なんて情報が外に出るわけもねえから、ただ単純に街中に入った特殊な魔物を魔導士が殲滅しました、とでも報道されて、魔導士って素敵! ほら、全員が万々歳って感じだろ」
しかし、悠人は釈然としない様子だった。信念を簡単に曲げるようなヤツではないと思っていたが、ここまでとは思わなかった。単に頭が硬いだけなのかもしれない。
どうしたものか、と俺が頭を悩ませていると、魔素会話による声が頭に響いてきた。それは、康太の声であった。
『結界壊したよ! 魔法陣を見付けたんだけど、やっぱり認識阻害系だった。そろそろ魔導士も到着すると思う』
『よし、サンキュな。エミリア達に、悠人が褒めてたとでも伝えておいてくれ』
『大輔が、じゃなくていいの?』
『俺が褒めるより悠人が褒めたほうが女子も喜ぶだろ? 特にアルカニアと幽ヶ峰はな』
『それもそうだね。うん、任せて』
会話が終わる。魔導士ももうじき来るだろう。
俺に与えられた選択肢は、一応にして三つある。魔導士に魔物の扱いを任せるのと、悠人に魔物を始末させること。そして、絶対無理だろうけど俺が魔物を殺すこと。…………いや、無理だなこれ。魔力が少なすぎて攻撃が通るか微妙だ。
「悠人よ。お前はなんでそうも人を助けようとするんだ? 言っちゃ悪いが、病的だぞ。魔物まで助けようとするなんてよ」
「…………両親が死んだ時、僕は決めたんだ。自分の手の届く範囲の人間全てを守ってみせるって。そのためにこの力を持って産まれてきたんだって」
「……その言い方だと、まるで……」
「ああ、両親は僕が弱かったせいで死んだ。目の前でね。無力だったよ。何も出来やしなかった。だから僕は人を助けたいんだ。……ただの自己満足さ。失望したかい?」
「いや、立派だと思うぜ。でも、残念だが今回は手の届かない人間だ。人間って呼べるかも怪しいけどな」
ううむ。話が平行線だ。どうしたものか……。
「大輔くん!」
唐突に、背後から声がした。綺麗な、よく通る声だ。女のような声だ。これは、エリーの声だ。どうしてここに。
振り向くと、エリーがカゴを抱えている。そのカゴの中に、オッサンが入っていた。死ぬ、死んでしまう、と呟きながらカタカタと震えていたが、到着しているのに気付くと、咳払いを一つして、何事も無かったかのようにカゴから飛び降りた。着地に失敗して腰を強打していたが、痛がりながらも立ち上がった。
「なんで来たんだよ、エリー。民間人まで連れてきやがって。責任問題じゃねえの」
「来ると言って聞かなくてね……」
そうエリーが言うと、オッサンは頷いて、言った。
「儂の会社の人間の問題だ。儂がケリを付けるのが妥当だとは思わんか?」
「思わん。相手が魔物である以上、俺達……いや、俺達はまだだな。魔導士の仕事だよ」
「いいや、儂の仕事だ。こいつと話がしたい。どうにかしろ」
俺は目を丸くした。何を言ってんだこいつは。話をしてどうにかなるわけでもないのに。
「……任せて下さい。結界をチューニングして、声が通るようにします」
「おい、悠人! オッサンは民間人なんだぞ!」
「小僧、儂に任せてはくれんか。状況はなんとなく察した。ヤツを殺しあぐねているのだろう? ならば理由をくれてやる。それに、儂自身、何故ヤツがこうなったのか……それを本人の口から聞かねば気が済まん」
状況を察した? 理由を与える? そんなことが出来るはずが……。
「相手は魔物だ。人間じゃねえ。言葉なんか通じねえぞ」
「なに、儂は企業を大きくするのに、ひたすら対話を重ねてきた身だ。言葉の通じぬ外国人となんぞ、腐るほど仕事してきたわい」
「そういう問題じゃ……!」
「ふん。こんな死に損ないの老いぼれの言うことは叶えてやるもんだぞ。まあ、解決は出来んにしろ、なんとかはする。してやる」
そう言って、オッサンは結界内の魔物に近付いた。呻き声が明瞭に聞こえる。声を通すようにしたらしい。
「ガ……アアアアア!」
オッサンが近付いた途端、魔物は吠えて、しかし暴れることも出来ずにいた。触手のような器官を一瞬は出したが、すぐに萎んで消えた。魔力を上手く使えていないのだろうか……?
「吉岡よ。いや、吉岡ではないのかもしれんな。だが聞け。貴様が何者かはこの際問わん。貴様は生きたいか、それとも死にたいか。答えよ」
オッサンは、ハッキリとそう言った。美術館内でうろたえまくっていたのが嘘のようだ。
「ギ……グ……カ……」
魔物の鎧の、目に当たるであろう部分から、赤い筋が、スウッと流れた。
「カ……イ……チョウ……会長……どうして……」
魔物はそう言った。まさか、人間としての意識が残っていたのだろうか。それとも、恨みの残滓が言葉になったに過ぎないのだろうか。
「やっぱり……!」
悠人は嬉々としてそう言った。
「魔物が……喋ったのかい……」
エリーも驚いているようだった。
「もう……限界です……」
苦しそうに呻いている。はっきりと、彼は喋っている。
「ああ、吉岡。貴様はよくやった。貴様は我が社のために尽力した! だからもう休め。有給休暇だ。貴様には大量の有給が残っているのだからな!」
「ああ……はは……最期に貴方に会ってから、貴方の息子を殺したいとまで願ったのですよ……私は……。……辞表を出さねばなりませんね……」
「退職金に有給分をノシ付けて家族に送ってやる。……だから安心して逝け。貴様はもう助からんらしいのだ」
「わかっています……受けた雷の影響なのか……引っ込んでいますが……ヤツがもうじき目を覚ましてしまう……もう、こんな姿では生きてはいけませんし……疲れ、ました……」
吉岡と呼ばれた魔物は、いや、一人の男は、息も絶え絶えにそう言った。
「……ああ、貴様と飲む酒は楽しかったよ、吉岡。名誉社員にしてやる。儂は社の不正を暴かねばならぬ理由が出来た。貴様は我が社の不正を、死をもって暴いたのだ」
「…………光栄……です……ね」
そう言ったきり、吉岡は黙りこくった。そして、身体が二度三度跳ねて、獣のような咆哮をした。
「くっ……こんな……」
悠人は積帝を顕現させた。しかし、躊躇いがちであった。オッサンは既に事は済んだと言わんばかりにその場を離れ、エリーの近くまで歩いて行った。
「こんなことって……!」
「悠人、お前が殺す必要はないんだぜ。魔導士が来る。そうだな、長くてもあと五分ってとこだろう。だから、無理はするな」
「でも……!」
死が救いだ、なんてことは言わない。誰だって死にたくないに決まっている。
それに、彼が人間であったことを知ってしまった。
ただの高校生が、人など殺せるはずもない。
「……はあ」
エリーは固唾を飲んで悠人を見守っている。オッサンは、ただ背を向けて立っている。悠人は積帝を振りかぶったままで止まり、人一人分の小さな結界内にいる魔物は、ただその身を暴れさせようとしていた。
一か八かでやってみよう。選択肢、その三を。
俺は蒼空を顕現させ、魔力を刀身に流し、そして魔物へ近付いた。悠人の視線は魔物にのみ向けられている。
くそ、俺だって殺したくて殺すんじゃねえよ。でも、これが将来の仕事になるんだ。人間が魔物になるなんて例は初めて聞くが、それでも、だ。
「ああ、畜生、だから魔導士に任せろって言ったんだ、クソッタレ!」
言って、俺は悠人を押しのけ、蒼空を魔物の核へ突き立てた。結界には邪魔されなかった。こちらからの攻撃は通るようになっていたらしい。
魔物の動きが止まる。
身体が徐々に、粒子になって消えていった。しばらくして、結界の中には、最早何も残っては居なかった。
「大輔……!?」
「……最悪の気分だ」
手に、突き刺した感覚が残っている。鎧を着ていたそれに、槍はアッサリと、多少の抵抗はあったが、しかし簡単に突き刺さった。
グニュリ。形容するならば、そんな言葉がしっくり来る。何か、本当に大事な物を、潰した感覚。
「……ごめん。僕が……殺す決意をしていれば」
「…………言ったろ。俺は監督官志望だって。こういうのも仕事だよ」
もしもあのまま悠人が迷った末に殺していれば、優しい彼はずっと引きずっていたかもしれない。だから、俺が代わりに殺すのだ。魔導士でも構わないのだが、来るタイミングがわからない上に、そもそも、一度振りかざした手は下ろすことは難しい。
「……気にするな。殺したのはお前じゃねえ。……いいな」
「…………本当に、僕は君が同い年には思えないよ」
「お前も大概だがな」
事態は収束した、と言っていいだろう。
ああ、疲れた。美術観賞が、なんだってこんなことになったのだ。
俺は、ただただ、部屋に帰って寝たかった。そんなことで、手に残った感触が消えるはずは無いのだけれど。




