イェルヴァ=シュライグ展
原画展もあらかた見終わり、俺達はエントランスへ戻っていた。
「ここはまだ喋ってイイとこなのか」
「ずっと黙ってろって空気だと疲れるからじゃないかなあ」
備え付けの、奇抜なデザインのソファに座っていると、悠人たちが遅れてやってきた。
「やあ、待たせたね。葵がなかなか動かなくって……」
「ほんとよ。すぐ立ち止まるんだから……」
「…………あの頃を……思い出す……!」
「ガチ泣き!?」
幽ヶ峰が涙を流していた。
「…………実は。……私は、そんなにあの作品のストーリーは嫌いじゃない」
「まあ、嫌いとかって声は多くないわな。モヤっとするだけで」
簡潔に言うと、主人公が終始苦労し続ける話だ。しかし現代では苦労をする作品よりも、苦労しないで強大な力を得る話が市場の一角を占領しているから、まあ、評判はまちまちであった。
「それを差し引いても素人が書いたみたいなストーリーだったからな……」
「…………たまにはいい。……ああいうのは新鮮と言う」
「ま、俺も嫌いじゃないさ。俺だって努力して報われる話の方が見ていて気持ちのいいもんだと思うよ」
「…………まあ。……報われなかったのだけど」
「……言うなよ……」
と、アニメ談義をしていると、俺達に声が掛けられる。
「おや? 公崎氏と愉快な仲間たちではありませんかな?」
失礼。なんだこいつ。メガネ叩き割ってやろうか。……と思ったら時野だった。
「時野くん。君も原画展へ?」
「ええ。メカデザと作画が素晴らしいアニメでしたので」
こいつもストーリー褒めない。悪くはないがモヤっとするラストだったし……。
「ああ、そういえばもう一つ特別展をやっておりますね。そちらに行ってみては如何でしょう?」
「へえ、何やってんだ?」
「『イェルヴァ=シュライグ展』ですな。なんでも異世界の画家なのだとか。拙者よりもそちらの方々の方が詳しいでしょう」
「へえ。後で覗いてみるかな。……そういえば時野、お前、一人で来たのか?」
「いえ、松田氏と田村氏も来ております。今、おみやげを買いにいっておりますので」
「はええな。まだ序盤じゃねえの。手が疲れるぞ」
「松田氏は『これも立派なトレーニングさ!』と爽やかに買いに行き、田村氏はなんとなくついていったようですな。拙者は帰りがけに買おうと思います」
「それがいいんじゃねえの」
「では、拙者はこれで。また学校で」
「おう」
俺は時野を見送った。あの三人で一つのグループになったのか。
「大輔って交友関係広いよね。ちょっと羨ましいよ」
そう悠人が俺に言った。お前は周り女ばっかじゃねえか。そっちのが羨まし……いや、妬ましい。
「僕は人見知りするタチだから……どうにも、言葉が出てこなくってさ」
これで「まあ、男に限るんだけど」とか言い出したら俺はコイツを殴らなければならない。全世界のモブのためにも。
「でも、どうしてそんなに簡単に交友関係を増やせるの?」
「うんにゃ、お前の言う通り、簡単だよ。趣味が合うか合わないか、波長が合うか合わないかだよ。合縁奇縁って奴だあな」
特に男はわかりやすいかもしれない。エロさえあればみんな仲良くできるからな。
「簡単に言ってくれるよね……僕、なんだか男子に避けられてないかい?」
「あー……」
それは恐らく幽ヶ峰のせいだろう。奴は大輔の隣を常に陣取り、イケメンに群がるハエのような女子が近付こうとすると「殺すぞ」という視線を周囲に撒き散らす。
イケメンというだけでも話しかけにくいのに、幽ヶ峰は男子にまで殺意を込めた視線を向ける。「二人の時間を邪魔するつもりか」という視線だ。
だが、俺や康太のような、見知った顔ならばむしろ歓迎されているようにも見える。本当に人見知りをするのは悠人ではなく幽ヶ峰なのかもしれない。
「で、どうする? もう一つの特別展、行くのか?」
「そうだね。折角だし行ってみたいとは思うよ」
と、そこで。
「あら、イェルヴァの絵を見に行くの?」
ミオがそう言った。
「知ってるのか……って異世界の画家なんだし、そりゃ知ってるか」
「ええ。かなりの有名人よ。高位の魔導士でもあったの。専門は風景画。人間を描くのはあまり好きじゃなかった、と聞いているわ。でも、私よりエリオット達の方が詳しいかもね」
「? なんでだ?」
「わたくし達のお祖母様は生前のイェルヴァ様と仲が良かったらしいのですわ。しばしば我が家を訪れては、領地の絵を描いておいでだったとか」
生前の、ということは亡くなってしまったのだろう。お祖母様とか言っていたし、生きていたとしても結構な歳だろう。
「とても気さくな方だった、と聞いていますわ。気の毒なのは、絵が評価されたのは亡くなってからということかしら。ここ十年で一気に話題になったようですわ」
「ああ、よくあるな、そういうの」
「画家あるあるじゃないかなあ」
無名の画家が、時代が変わってから評価される。それは画家にとってはどうなのだろうか。あの世ってものがあるのなら、喜んでいるのだろうか。それとも、自分を評価しなかったくせに何を今更、と怒りを覚えているのだろうか。
「彼らがどう思っていたかなんて、結局彼らだけが知ることですわ。聞いた話ですけれど、イェルヴァ様の性格は温和で、自分の絵は趣味だから売れなくても構わない、なんて話していた、と」
「イイ人だったんだろうなあ」
「とても魅力的な女性だったそうですわよ。若くして亡くなったのは残念ですけれど……もしも生きていれば、70歳ほどではないかしら」
「偉大な人はすぐに死ぬってのはどこの世界も同じなんだな……。あれ? この理論だと俺ってば不死身?」
「そう自分を卑下するものではありませんわよ?」
「クセみたいなもんだ。気にすんな」
「なら治した方がいいですわね。大輔さんは凄い御方ですもの」
「どうにもならないと思うぜ? 卑下でもしないとやってられねえしな……」
嫌なクセだなあ、と自分でも思う。でも今まで生きてきた結果だから仕方ない。そう自分では思っている。そもそも、魔力が少ないのに大量のランクSに囲まれているこの現状がもう拷問みたいなもんだ。前から思ってたけどこれ俺すっげえ惨めだよな。
……いかん、卑屈になりすぎた。そうだ、こいつらは悪くない。世界はいつだって不平等なのだし。俺は運が悪かった。それだけなのだ。
だけど、それでも。一度そう思ってしまえばその黒い思考は消えてくれない。
最近、このようなことを考えることが増えてきてしまった。俺は単純に彼らと仲が良くてここにいるはずなのだ。彼らはきっとそう思ってくれている。だけど。俺はどうか。
もしかすると、俺は強い人間に取り入ろうとしていたのではないか?
そんなことはない。あり得ない。だけど、心の奥ではそう思っていたのかもしれない。今はそうでなかったとしても、出会った当初はそうだったのかもしれない。
俺は気付かれないように、悪い考えを首を吹き飛ばすように横に振った。
そして、冷静になってこの心持ちの正体が少しだけわかった。
これは劣等感だ。
運動の出来ない人間がスポーツマンに囲まれた時の居心地の悪さ、とでも形容しようか。
自分は出来ない、周りは出来る。自分は弱い、周りは強い。
俺は本当にここに居ていいのだろうか。このコミュニティに俺は相応しいのだろうか。
皆と仲が良くなるにつれ、皆とより多くの時間を共有するにつれ、俺はいつしかそう思うようになっていた。
普段は忘れている。忘れるようにしている。だけど。それでも。
ふと、思うのだ。たった生まれた時の運が悪かっただけなのに。魔力なんてものは才能だ。覆しようがない。だけど。
魔力は十二歳でその最大値が確定する。そこからは、増えもしなければ減りもしない。事故に遭って死にかけようが、無為に毎日を過ごしていようが、鍛錬に日夜明け暮れていようが、だ。
……やめておこう。これ以上は。今日は楽しい日のはずなのだし。俺を誘ってくれた時点で彼らは俺のことを友達だと思ってくれている……はずだ。
俺がただ少しの居心地の悪さを感じているだけだ。うん。これぐらいなら我慢出来る。今までに比べれば全く問題ない。
俺はいつも通り笑っていればいいのだ。それで、いいのだ。
~~~エミリア=レッセリアの場合~~~
エミリアは、大輔が少し暗い表情をしたのを見逃しはしなかった。
貴族の世界で、ずっと他人のご機嫌ばかり伺ってきたので、それぐらいならばわかる。
──これは、地雷を踏みましたわね。
すぐに察したエミリアは、フォローを考える。
「人間は魔力だけではありませんわよ……。そうでしょう?」
差し障りの無い綺麗事。ああ、とエミリアは心中呟いた。
これではフォローにならない。駄目だ。
「ま、そうだわな。俺が気にし過ぎなんだろうな……」
だが、大輔はそう言って静かに笑みをたたえた。
──フォローに成功しましたの? ……いえ、違いますわね、これは──。
気を遣われている。
エミリアの人生において、大輔のような人間に会うのは初めてのことである。
何故なら、エミリアにとって世間とは貴族の世界。
つまり。
全員が勝者であり強者なのだ。
だが。大輔は弱者である。
だから、エミリアにはわからない。弱者が強者を見る視線というものが。
上を見上げることしか出来ない自分への複雑な心境が。
「大輔―、早く早くー!」
少し離れたところ──それもエミリアの背後の方向──から、康太の声が聞こえた。どうやら話している内に皆が先に行っていたらしい。
大輔は「おう」と返事をして、エミリアの横を通り過ぎる……瞬間、大輔は微かに言った。
「……心配ねえよ、エミリア。俺は大丈夫だ。周りはみんな強いから、俺は楽させてもらってるよ。そうだろ?」
大輔が、そう言った。エミリア以外には聞こえない程の声で。
エミリアは、何も言えない。
どんな言葉を掛ければいいのか、わからなかった。
そして、大輔は言う。
「おい、ぼーっとしてんなよ。みんな待ってるぜ」
いつもと変わらない笑顔で。
~~~鹿沼大輔の場合~~~
俺は憂鬱だった。
エミリアに物凄く気を遣わせてしまったらしい。アイツは人を心配している時、それが完全に表情に出る。一目でわかった。だってあんなにわかりやすくオロオロとしているのだから。彼女は間違いなくいい人だ。俺が出会ってきた中でも上位にランクインするね。
だから憂鬱なのだ。
くだらないことでうだうだ悩んでいたのが悪い。俺には俺なりに出来ることを探せばいいだけなのだ。
「へえ……凄いもんだな」
イェルヴァ展の展示スペースに入って、一番最初に出てきた言葉がそれだった。語彙が少ない。
入り口に入ってすぐに俺達を迎えたのは、巨大な風景画と、美しい女性の絵である。後者は自画像だろうか。
前者は向こうの世界の平原と青空を描いたもので、奥には城下町が見える。
タイトルを見てみると、「レッセリア領」とだけ記されていた。これは……。
「昔の僕達の領地のようだね。今は建物も多くなって、こんなに見晴らしのいい場所はないのだけれども……」
エリオットが、いつの間にか俺の隣に立っていた。
右隣に康太とシエルが。左隣にエリオットとエミリアがいる。
「いや、綺麗なもんだな。なんつーか、絵に詳しくねえからそんな感想しか出てこないけどよ」
「普通はそんなものさ。僕だって絵画に造詣が深い訳ではないからね」
まあ、そんなものか。下手に知ったかぶって恥をかくよりは無知をさらけ出した方が良かろう。
「綺麗な女性だな」
「そ、そうだね。大輔はこういう女性は好みかい?」
「うんにゃ、俺はオタク系女子とか好きだな。趣味が合うのが一番だ」
「そ、そうかい……。…………そういうのが好みなんだ……」
「あ? どうしたお前」
急にもじもじとし始めた。こわい。
「…………」
なんだか妙な気配がしたので後ろを振り向くと、悠人が立っていた。
「うーん……」
なんだか唸っている。まるで、違和感に気付いた時みたいな。
「どうした?」
「いや……なんだか、この絵から嫌な気配がするんだ……魔物みたいな魔力が……」
「絵に魔物の気配が? 結界内だぜ? エリー、なんかわかるか?」
隣にいるエリオットは魔力を視ることが出来たはずだ。
「……いや、僕が見れるのは人間の魔力の器だけだ。魔物の魔力を感じ取れるなら、あの時に不覚は取ってないさ」
そう言われればそうだな。いや、背後にいたんだしどっちみち視れないんじゃないか? それとも、近ければある程度は感じ取れるのだろうか。
「……とにかく、用心しておくよ。微かに魔力に似たものを絵から感じるのは確かなんだ……もしかしたら、絵に魔法が掛けられているのかもしれないね」
「ま、今まで問題無かったんだ。今に限ってなんか起こるってことはないだろ」
瞬間。館内の照明が全て消えた。
「……あァーッ! しまったフラグだったァーッ!!」
「そんなこと言ってる場合じゃないよォッ!」
俺達の視界は暗転した。意識は消えない。ブラックホールにでも飲み込まれたようだ。金縛りにでも遭ったように身体が動かない。
「畜生、なんだってんだクソッタレ!」
「く……! 魔物の反応が濃くなってる……!」
明転。
世界は一転していた。
突然異世界に呼ばれたあの頃を思い出す。
だが、徹底的に違うのは。
「……こりゃ、あの絵じゃねえか」
草原、青空、雲、木々、遠くの城下町。
全てが、絵の具のような色彩をしている。
「ああ……それも、あの絵の近くにいた僕たちだけが、ここに閉じ込められた……みたいだね。信じがたいことだけど」
俺達は。絵の世界に入れられてしまったらしい。




