クラス内模擬戦、始まりました。
「遅いぞ、お前ら」
到着し、中に入ると妙な部屋が広がっていた。
床は深い緑色で、正方形のタイルが並んでいる。見上げてみれば真っ白な天井がドームのようになっていた。
その部屋の中央に先生が佇んでおり、煙草をふかしていた。絵にはなるが健康に悪いので後で進言しておこう。
「え、40人が戦うにしては狭くないですか。というか200ヘクタールあるんじゃ?」
悠人が疑問を口にすると須崎先生は笑って言う。
「ここはあくまで玄関のようなものさ。この部屋、こう見えて魔素で魔法陣が描かれているからな」
「魔素で魔法陣って描けるんですか?」
生徒の一人が口を開いた。
「お、お前入学前に配られた『入学前だヨ☆萌え萌え入学ガイド』を読まなかったのか!?」
先生が狼狽する。しかしこのような凛とした女性からこのような単語が出ると萌えるな、うむ。
「変な宗教の勧誘かと思って破り捨てました」
そう疑問を呈した生徒は言った。女性のような声である。
エルゼラシュルド名物、毎年恒例『アニ研・漫研共同制作入学ガイド』。頭のおかしいとしか思えない発想を毎年のようにぶつけてくる嫌がらせとしか思えない企画だが、内容はしっかりしており、入学する際にあたっての注意や基本的な校則、果てはマニアックな魔術用語までもが実にわかりやすく記されている。なお昨年は『ウホッ♂くそみそ入学ガイド』だったらしい。
「書いてあるの常識ばっかりだしあんま真面目に読んでないんだよね…」
と悠人が呟いた。
「読んでないのか? 魔素の項目はあれの608ページの基本的魔術用語紹介に載ってたんだよ」
俺が教えてやると悠人は、
「なんでそんなにページあんの!?」
と叫んだ。ちなみに全部で1086ページある。
これを破り捨てたの、とんでもないマッチョとかだろ……ではなく、多分魔導武装を使ったんだろう。俺たち魔導士候補生なら誰しもが持つ武器だ。これは装備するだけで人間の身体能力が飛躍的に向上するというもの。でも送られてきた死ぬほど分厚い謎の本に対して使うほどではなくない?
「魔素とは我々魔導士にとって欠かせない存在だ。魔導士の才能があるとされる人間は体内で魔力を練成するんだが、何も無から作り出すわけじゃない。そこで、空気中に漂う魔素を取り込み、原料にしている……というところまでは中学で習ったと思う。知っての通り、魔素は粒子状に存在しているが、酸素とどのようにして結合しているかの謎は多く……おっと、これはまだ習う範囲ではないな」
なお、魔導士のランク測定基準の中にある『魔術素養測定』は、空気中からどれ程の魔素を取り込めるのか、体内にどれ程の魔力を蓄えられるのかなどといったことを調べられる。この測定結果が、使用推奨魔術ランクにも繋がるのだ。
「本題に戻るぞ。この部屋に描かれた魔法陣は、内部にいる人間を遥か遠くに建設された訓練室に転送する。詳しくは言えんが本州の山奥だ」
先生は部屋の最奥の壁に備え付けられている端末に触れた。
「じゃあさっそく転送するぞ。準備はいいか? よし、いいな」
有無を言わさず転送が始まる。
深い緑色の床には魔法陣が浮かび上がり、眩い光に包まれる。
気付けば、鬱蒼としたジャングルの中にいた。
葉によって日光が遮られ、周囲は薄暗い。
「遭難!?」
転送失敗だろうか。ここからバイオレンスなサバイバルが始まるのだろうか。
「いや、今月のクラス内模擬戦のフィールドは密林なんだ。安心していい」
とても安心した。
「そういえばクラス内模擬戦は毎月あるんだったかなあ」
クラスメイトがそう言った。なんだっけ君の名前。田中?
「今回は明日に向けての実戦訓練も兼ねてるがな。さて、次は君らをこの周辺に転送する。その時点から戦闘開始だ。等間隔で離れているから安心していいぞ」
「先生、広すぎると遭遇しないんじゃないですか」
良く言った田中。お前のロン毛は無駄じゃなかったな。切れよ鬱陶しい。
「安心しろ。障壁があるから範囲が狭まっているし他クラスの生徒とは遭遇しないようになっている」
つまり200ヘクタールが区分けされているということだろう。
「じゃあ転送するぞ。いい加減君らの戦闘を見てみたいしな」
はーい、と気の抜けた返事の後、全員の足元にほぼ同時に魔法陣が現れ、そこから発せられる光に包まれ、消えた。
「さて、優秀な生徒はいるかな…」
誰にともなく、先生は一人微笑んだ。
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転送が終わり、光が消えてゆく。俺の視界に、ただただ好き放題に伸びている木々が目に入ってきた。軽く周りを見渡してみるが、周囲に人の気配はない。それどころか、動物の気配もなく、虫すら飛んでいないらしい。しかし鳥の鳴き声や動物の鳴き声がどこからともなく聞こえるのは、BGM代わりだとでも言うのか。
悠人はどうしているだろうか。まだ入学から二日しか経っていない。俺は数人の男子生徒とコンタクトを取りコミュニティを築きつつあるが、悠人にそういった素振りは見られなかった。要するにぼっちである。俺がいるけど。
「……ま、考えてても仕方ないか」
俺は、敵たるクラスメイトを探すため足を動かし始めた。
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少し歩いてわかったことがある。まずフィールドが広いためなかなか敵と遭遇しない。しかしいつ相対するかもわからない以上、常に緊張感を持って警戒しなければならなかった。
次に、投射されている周囲の映像だが、触ってみたところ本物と思しき感触がある。一口に映像と言っても、やはりそこは魔術によって作られているだけあって、ホログラムのようになっているわけではないようだ。誰かの戦闘痕らしきものが残っていたので調べてみたのだが、武器によって傷は付くらしく、焼け焦げたり凍っている部分があることから魔法の影響も受けるということがわかった。
しかも、妙なところまで再現しているというか、とにかく暑いのだ。本物の熱帯雨林には行ったことがないのでなんとも言えないが、湿度が異様に高く、梅雨の時期の猛暑日を過ごしているような錯覚さえ感じた。
歩くだけで体力が削られるのだ。戦闘となればスタミナの消費量は計り知れない。早急に敵を倒しておく必要がある。
考えながら無気力に、まるで敗残兵の如くとぼとぼと歩いていると、殺気を感じた。
全身を後ろに反らし、顔面を後方へ移動させると、先ほどまで俺の頭があった場所に矢が飛んできて、木に刺さった。ビィィィン…と震えている。
「チッ、外したか」
ちょっと遠くから微かに聞こえるこの声は田中! 微妙なロン毛で似合っているかと問われても似合っていないかと問われても答えに詰まるという妙に絶妙なヘアスタイルの田中! 弓使いだったのか! 声のほうを見ると、木の枝の上に弓を構えた田中が立っていた。
「弓を外したのは誤算だったな!」
俺は武器を持たないまま構えを取る。
「来い、蒼空!」
すると、俺の手には長槍が握られていた。
真夏の空のような、吸い込まれるような青さの、円柱形の柄、そして、なんの飾り気もない、ゲームで見るような美麗な物ではない、ただただ真っ白な諸刃の穂。シンプルでいて無駄のない、洗練された長槍だ。
数本の矢が同時に迫り来るが、俺は蒼空を、バトンでも回すみたいに回転させた。矢は槍の柄に当たり、高い金属音が鳴り響いて、勢いを失い地面に落ちる。
「くっくっく…弓矢は槍に対して相性が悪い!」
「いや、別にそんなことはないと思うぞ」
俺が余裕を持ってそう言うと、冷静なツッコミが入った。田中はノリが悪い。
「覚悟しろ田中ァァァァァ!」
その場にしゃがみ込み、足に力を込める。そして、跳躍。高度は生い茂る木々を超えるが、上昇する勢いは未だ止まらない。
もちろん、俺の跳躍力が人間離れしているとか、特殊な魔法を発動させた訳ではない。魔導武装──魔導士が持つ、杖代わりの武器のことだ──は装備した者の身体能力を向上させる力を持っている。加えて、俺の武器である蒼空は『空中を自在に移動することが出来る』という能力を持っている。とはいえ、俺の魔力が少ないせいか、そのほんの一部しか能力が使えないのだが。
「田中じゃねェ! 俺は田村だァ!」
弓を引き絞っていた。狙いは勿論、俺。
俺は回避するため身をよじる。落下の体勢に入ると行動がしづらいのだ。最悪、変な体勢で地面に激突する羽目になってしまう。
負ける。そう確信した瞬間、世界に突風が吹き荒れた。木々はあまりの力に倒れ、葉は散り、空中にいる俺どころか木の枝の上に立っていた田村までが引き飛ばされる。
地面に落下したものの勢いは死に切らず、無様に数回転して木の幹に激突して止まる。
一体何が。そう思って顔を上げると、気を失った田村の尻が眼前に広がっていた。起き上がり、無言で蹴っ飛ばす。
改めて状況を確認しようとして、気付いた。
ある一点を中心に、ジャングルの木がドミノ倒しでもしたかのように倒れていた。こんなの、台風が起きたって有り得ない。
「なんだこれ……ランクSの仕業か?」
そこまでの力があるとすれば彼らだとしか考えられない。ランクSは人智を超えた力を持っているのだから。
そこで、俺は見た。
爆心地と言っても過言ではない状況の中心、いわば、台風の目。広場のようになっている場所で、悠人と少女が鍔迫り合いを起こしていた。俺の記憶が正しければ、あの少女は我がクラスのランクSだったはずだ。
ランクDの悠人が、ランクSと互角に戦っている。
対等だと思っていた存在は、遥か遠くの世界の存在であったのだ。