なんてことはない夏休みの1日・夕
〜〜〜〜〜エミリア・レッセリアの場合〜〜〜〜〜
帰ってきたお姉様はなんの異常もなかったと言いました。
ますますおかしいですわ。魔力には一切の変化なく、ただ声が聞こえなくなっただけだなんて。
……仕方ありませんわね。
わたくしは、とある魔導具を取り出します。あまり使うつもりのなかったものなのですが……。
それは大きく透明な水晶玉。ボウリング、とかいう競技に使われるものほどの大きさです。
「繋げよ我が声を。映せよ我が姿を」
詠唱すると、水晶玉は光を発します。これは、レナウセムとアーザルを繋ぐビデオ通話のようなもの。起動にかかる消費魔力は少し大きいですが、簡易なゲートを作っているので仕方の無いことでもありますわ。
しかし、映ったのは真っ白なものだけでした。
毛皮の絨毯……? あ、いえ、違いますわねこれ。
「お母様! 思いっきり下敷きにしてますわよ! ……って、これ聞こえてますの……?」
「あ、超える目 じゃないか。なにかあったのかい?」
シャワーを浴びていたお姉様が出てきます。
「ええ、まあ。どうもエルナーの力が少し衰えた気がするのですわ」
「な!? それは大変なことだよ!?」
「だからこうしてお母様に聞こうとしているんですのよ。まあ、気付いてくださっているかはわかりませんけれどね」
恐らく、向こうの超える目はお母様の下敷きになっているのでしょう。毛皮しか見えませんもの。
お母様は手の形状的に携帯端末が持てませんからコレを使っていますのに、気付かれなければ意味が無いですわね。超える目にも着信音があればいいのですが。
「どうする? お父様に連絡するかい?」
「いえ、そのうち気付くでしょうから、待つことにしますわ」
などと話していると。
『あらー? 子供たちの声がするわー?』
気付いたかもしれません。
『やだわー、知らない間に幻草でも食べたかしらー』
幻聴だと思われています。
ちなみに幻草というのは、こちらで言うところの麻薬のようなものです。
「お母様、わたくしです、エミリアですわ」
『あらあらー?』
「超える目を! 下敷きにして! いますの!」
『あらー』
のしのしとお母様はその場を退きました。自宅の風景と、お母様の半身が映ります。
四足歩行、白銀の毛皮、そして大人の男性が三人分ぐらいの巨体。こちらの世界に来て、イヌという動物を見た時には驚きました。純血のエルナーに似ていたものですから。まあ、大きさは非常に小さいものですけれど。
つまり、わたくし達のお母様は……イヌ、に似た風貌をしています。むしろイヌがエルナーに似ていると言った方が正しいかもしれませんが。
『それで、なんの用かしらー?』
「その……親しくして頂いている友人の一人の内なる声が聞こえなくなってしまったのです。彼にこれといった異変はありませんでしたし、もしかするとエルナーの力が衰えたのでは、と」
『あらあらー。あらあらあらあらー』
お母様が感嘆詞を並べ始めました。嫌な予感がしますわね……。
「な、なんですの?」
『好きな子ができたのかしらー』
「なッ……?」
す、好きな子? 好きな子ですって?
『エルナーの力はねー、感情によって左右されるのよー。例えば、私も相手の内なる声を聞くことができるけれどー、愛するジードさんの声は聞こえないものー』
「……あの、相手は男の方なのですけれど」
『あら、そういうのも近年ではあるかもしれないわよー?』
そんな馬鹿な、ですわ。まあ同性愛も近年のレナウセムでは徐々に存在が認知されつつあります。ですが……わたくし、普通に異性愛者なのですもの。そもそも生まれた時に名前を間違えて付けられて以来、レナウセムでは改名が根本的にできないので名前に準じて女装をして生きてきましたし、いつの間にか趣味にはなりましたが……わたくしの恋愛対象は女性であったはずなのです。……はずなんですけどね。
『でも私、あなた達の声も聞こえないのよねー』
「え?」
『更に言えば親友の声も聞こえないのよー』
「……つまり、どういうことですの?」
『からかわないで教えてあげるとねー、この力、親しい相手には使えないのよー』
お母様はそう言いました。つまり。
悠人さんもミオ様も、皆さんの声は聞こえていますが、大輔さんの声だけは聞こえないというのは……。
恋愛感情では絶対にないにせよ、大輔さんを、大輔さんだけを……特別視、している?
「た、確かに言われてみれば、お姉様の声も聞いたことがない気が……でも、何故今まで気付かなかったのでしょう?」
『そもそも聞こうと思わなかっただけじゃないかしらー?』
「…………」
まあ、とてもわかりやすい人なので、心の声なんか聞かずともだいたい何考えてるかわかりますものね。確かに、お姉様の内なる声なんて聞こうと思ったこともない気がします。
『まあ、親友だと思ってるんじゃないかしらー。それとも、声を聞きすぎて……強く親近感が湧いてしまったとか、感情移入しすぎてしまったのかもしれないわねー』
「そ、そうですわよね」
『そうなのよー。……あらやだ、もうこんな時間なのー? 私、ちょっと出掛ける用事があるのよー』
そう言って少し超える目から離れると、お母様は目を閉じます。その身体は光に包まれます。
光が晴れると、お母様の姿が変わりました。
真なるエルナーの姿とヒューロの姿を合わせたような……そうですね、日本語では獣人、と形容すればいいでしょうか。
『これからジードさんとお出かけなの。どこもかしこもヒューロ基準で、私の大きさじゃ扉に詰まっちゃうわー』
「アルカニリオスはレナウセムで最もヒューロの多い国……いえ、他種族が少ない国ですからね」
かなり排他的な風土をしていますもの。
『じゃあ、私はもう行くわねー。声が聞こえなくなったっていう子と仲良くしなきゃダメよー』
そう言って、一方的に切られてしまいました。
「……お、驚いたな。その、え、エミリアが大輔くんをそんなに好いていただなんて。なにかあったのかい? 僕が知らない間に、なにかあったのかい?」
わかりやすく動揺していますの――――!
「ち、違いますわ、そう、心の声を聞きすぎて親近感を覚えただけですのよ!」
そう、例えば……。
昔、他者に虐げられていたこと、とか。
「わたくし、ほら、こちらの映画でもよく泣いてしまいますの。感受性豊かですのよ」
まあ、そんなことをお姉様に言えるわけがありませんけれど。
幼かったわたくしは、心の声が聞こえてしまうということを隠しはしませんでした。でも、そんな特異な存在を怖がらないヒューロはいなかったのです。
ただでさえエルナーとヒューロの両人と言うだけで敬遠されていましたのに、心を読めるという力は、様々な思惑が渦巻く貴族社会において最も恐れられるものだったのです。
本来はお姉様が会合などに出るはずだったのですが、お姉様はそういった場所が嫌いでしたから、わたくしが出ざるを得なかったのです。わたくしも得難い経験を得られ、かけがえのない友人もできたので気にしてはいませんが……それでもお姉様は未だにわたくしが虐げられていたことを気に病んでいらっしゃいます。自分が出なかったせいだ、と。
「ともかく、これで謎は解けましたわっ」
未だに何かあったのかと問い詰めてくるお姉様を押し退け、わたくしは部屋から出ようとします。
「ど、どこへ行くんだい?」
お姉様がそう聞いてきました。わたくしは余裕を持ってこう答えますの。
「大輔さんのところへ遊びに行ってきますわ」
「なっ……ぼ、僕も行く!」
どういう感情を彼に抱いているのかはわかりません。わかりませんけれど……。
何を考えているのかを知るために、もう聞こえなくなってしまった声を、力がなくとも理解できるように。
もっと仲良くしようとするのは、何もおかしくない……ですわよね?
〜〜〜〜〜その頃、アルカニリオス〜〜〜〜〜
「いやあ、久しぶりの外出だな、ユーリ」
髭を少しだけ蓄えた、優しい表情の男性。彼こそがジード・レッセリア。エリオットとエミリアの父である。
「身体をヒューロに近付けるの、疲れるんですものー」
そして、人族に似た骨格に毛皮、顔には動物特有のマズルがあり、ワンピース風の衣服を着ている女性がユーリ・レッセリア。エリオットとエミリアの母である。
「エルナーはとても大きいからなあ」
「二人が私に似なくてよかったわー」
「君の今の姿みたいな、半獣にはなれるんだよな。四足歩行までにはならないみたいだが」
「純血のエルナーじゃないからよー。……あ、そういえばー、エミリアが言ってたんだけどー、友達の声が聞こえなくなったんですってー」
「親しい人の声だけ聞こえなくなるんだったかな?」
「あと、半魔と魔人の声も聞こえなくなるわねー。私たちが聞こえるのはあくまで人の声だけでー、魔に落ちて人でなくなった者の声は聞こえないものー」
「そうだったのかい? 初耳なんだが……」
「大昔ならさておき、今なんか全然魔人見ないじゃないー。まあ、彼らみたいな傭兵は平和なアルカニリオスには来ないってだけなのでしょうけどー。ましてやアーザルは結界がもっと多いらしいじゃないー? だから半魔も魔人も生まれないだろうし、言わなかったのよー。友人が魔物になっちゃったのかもー、なんて勘繰るのも、嫌じゃないー?」
「ユーリは優しいな」
「うふふー。家に帰ったら撫でてくれてもいいのよー?」
二人は、商店街の雑踏に消えていった。
息子の心に、勘違いを残して。




