#02 魔の世界
「ふふ、快諾してくれて助かります」
「いやいや、快諾も何も俺は厄介になる身だしな。協力出来ることなら喜んでするさ。
しかし、エリザベス……さん、の勤めてる研究機関ってのはそんなに人手が足りないのか?」
「リズ、で構いませんよ。
―――元から少数の研究室だったのですが、最近新たに仕事が増えてしまいまして。そちらの対応を私が担当しているのですが、一人だとやはり……」
キッチンから聞こえるサラの鼻歌をBGMにリズさんは話す。
研究室と言うからには何かの研究をしているのだろうが、仕事が増えたというのはどういうことだろう。
「この話をする前に、シキさんにはこの町の……いや、世界の現状を知って貰わねばなりませんね」
「現状?」
「記憶が無いのですよね? これから話すことはこの世界の基本的なことを覚えていないと理解できないと思いますので」
「そういうことか。出来ればそうして貰えると有難いかな」
「勿論です。
まず、この世界では魔法というものが使えます」
「魔法?」
なんだろう。
何か聞いたことがあるような無いような。
もしかして記憶を無くす前の俺だったら何か知っていたのだろうか。
「簡単に言えば超常的な現象のことです。
ほら、このように」
そう言ってリズさんは掌を差し出す。
すると、何処からともなく掌の上に炎が立ち上がる。
ゆらゆらと揺れるその炎は、リズさんが掌を握るとまるで最初から存在しなかったかのように消えてしまった。
「今のように、何処からともなく炎を発生させたり、何かを一瞬で直してしまったり……そう言ったものを、私達は大きく魔法と分類して呼んでいます」
「へぇ……すげぇな。
便利っていうかなんて言うか。どうやって使ってるんだ?」
「基本的には念じるだけです。
あとは自分が使いたい魔法の情報さえ持っていれば使うことが出来ます」
と、言うことは記憶の無い俺は現状では使える魔法が無いのか。残念だ。
しかし、こんなのが誰にでも出来てしまうのは危険なのではないだろうか?
「魔法は魔素と呼ばれる物を元にして発動します」
「魔素?」
「簡単に言えばこの世界の何処にでもある物質です。
勿論、私達の体内にもあります。
即ち魔法とは、この魔素を私達の都合よく改変した現象のことですね」
なるほど、さっぱり分からん。
要は魔素ってのを変化させたものが魔法だということだろうか。
そうなるとさっきのは、大気中の魔素を炎に変換した魔法ということになる。
「うん、何か大体分かった……と思う」
「では続けますね。この魔素なのですが、普通に魔法を行使したりする分には人体に影響はありません」
「それはつまり、普通じゃない場合は影響があるってことか?」
「理解が早くて助かります。
どういう訳か、この魔素の中毒症状に陥る人間が多発しているんです」
「なるほどねぇ。それがリズさんの研究室が研究してる対象ってことか」
どういう訳か、と言ったということは原因が解明していない案件のようだ。
中毒症状というのだから何らかの毒性があるものを取り込んでしまったということか?
でも魔素というものは人体に影響は無いと言っていた筈だし……うーむ、謎だ。
「この症状を発症した者は、例外なく理性を無くし見境なく周囲に魔法を放つ危険人物と化します。そして私達はこの症状を発症した者達を【魔人】と名付け、そう呼んでいます」
「それはまた、随分物々しい響きだな」
しかし、魔人……魔人か。
魔の人、魔に囚われてしまった人、魔人。
言い得て妙な所はあるような、ないような。
「現状、魔人を元の人間に戻す方法はありません。
拘束するか、殺害するかの二択が現状の魔人の対処です」
「殺害も視野なのか……」
いや、こればかりは仕方がないのだろう。
放っておけば周囲に被害を出す存在の対処。理性が無い分歯止めなんかは有りえないのだから。
拘束するにしても拘束する側のリスクが大きすぎる。
「ですが、私の本題はここからです。
一週間ほど前から魔人のみを狙う、謎の存在が確認されています」
「魔人のみを狙うって、魔人を殺してまわってるってことか?」
「そういうことです。目的は一切不明。
魔人を狙うのみでそれ以外の行動はしていません」
「魔人を倒してくれてるってんなら、有難いことなんじゃないのか?」
「そうなのですが、その目的が不明瞭な以上は私達も警戒しないといけないのです」
そういうことか……段々話が分かって来たぞ。
魔人の対処及び研究で忙しい時に、ソイツが現れたもんだから二方向に警戒しなくちゃいけなくなった訳だ。
話を聞く限りだいぶヤバい魔人を抑え込めるような存在。しかもその目的が不明なら警戒しない訳にはいかない。
そりゃ人手も足りなくなるよなぁ。
「魔人を狙う存在、その存在を私達は【白騎士】と呼称しています」
「白騎士?」
「全身を白銀のフルプレートで覆っているのです。
その出で立ちのせいで顔はおろか、それが男性か女性かすら判別できていません」
まぁ、そんな格好なら中身なんか分からないよな。
どうせ中身は厳ついオッサンなんだろうなぁ……。
「そこで、私は疑問が一つあるんです」
「疑問?」
「はい。白騎士が姿を現して活動を始めたのが結構最近なんです。
それがちょうど一週間前ですね」
「一週間前か」
「そしてシキさんが記憶喪失になったのはいつでしたっけ?」
「……一週間前ですね」
厳密には恐らく一週間前、だ。
でも一週間前までの記憶しか思い出せない以上、記憶を失ったのは一週間前なんだろうな。
「単刀直入に聞きましょう。
シキさん、貴方が白騎士なのではないですか?」
「―――はい!?」
かなり至近距離に顔を近づけてリズさんは俺に聞いてくる。
凄い! 凄くいい匂いする! じゃなくて!
もしかして俺って疑われてんの!?
「ま、待ってくれ!
俺はその魔人とやらの話も白騎士の話も今日初めて聞いたんだぞ!
しかもそんな鎧を着てた記憶なんてない!」
「嘘、という可能性もありますので。
本当に記憶にありませんか?」
瞳を覗き込むように距離は更に近くなる。
リズさんの青い瞳がすぐそこまで近づいてくる。まるで吸い込まれてしまいそうな、妙な感覚だ。
「無い! 断じて無い!」
「魔人を殴り飛ばした記憶もありませんか?」
「拳!? 剣とかじゃなくて拳で戦ってるのソイツ!?
っていうかそんな物騒な記憶なんかねぇよ!」
「ふむ……」
暫く俺の目を見ていたリズさんは俺から顔を離すとニッコリと笑う。
なんかもうあの笑みでさえ怖いんですけど。
「どうやら嘘はついていないようですね。
試すようなことをして申し訳ありません」
「いや、分かってくれたならいいです……」
なんだかどっと疲れてしまった。
これはリズさんに嘘なんか付けないというのは本当らしい。
「お姉ちゃーん! シキさーん! ご飯出来たから運ぶの手伝ってー!」
「あら、夕飯が出来たようですね。
それではシキさん。お話はここまでにしてご飯にしましょうか」
「はい……」
しかし、白騎士か。
一体どんな人物なんだろうか。話を聞くだけなら魔人に異様な執着を見せているような印象を受けるが。
「こりゃ厄介な仕事を手伝う羽目になったのかなぁ……」
「何か言いましたか、シキさん?」
「いや、何も」
「嘘はダメですよ」
「イダダッ! 耳引っ張らないで痛いですッ!」
―――そして、どうも俺は厄介な人に妙な目の付けられ方をしてしまったようだった。