#01 記憶の無い青年
「いやぁ、助かったよ!
もうマジで死ぬかと思った!」
「いえいえ、大事にならなくてよかったですよ」
―――結局、私は男の人を自分の部屋まで連れてきていた。
あんな所に放置してもおけなかったし、本人が水を所望しているのでそれも兼ねてだった。
「ところで……どうしてあんなところで倒れていたんですか?」
「うーん、それが俺もよくわからなくてなぁ。
ここ一週間くらい何も食べてなかったのは覚えてるんだが……」
「い、一週間!? それ行き倒れじゃないですか!」
「おお、そうとも言うな!」
「そうとしか言いませんよ!」
何ということなのか。
この人は一週間何も口にしていないことが原因で倒れていたのだそうだ。
生活保障がしっかりしているこの町で行き倒れを見ることになるとは、私の人生も何があるか分かったものじゃない。
「で、なんで一週間も食べてなかったんですか?」
「いや、その……実はですね。一週間より前の記憶が無いんだよ、俺」
「……はい?」
「だから、ここ一週間より前の記憶が無いんだよ。
自分の名前すら思い出せなくてな」
何を言っているのだろう。
まさか、記憶喪失だとでもいうのだろうか。
「えーっと、じゃあもしかして行き倒れてたのって……」
「買い物の仕方が分からない」
あっけからんと男性は言い放った。
どうしよう。もしかして私はとんでもない面倒事を拾ってしまったのかもしれない。
「言葉は分かるんだが、この町が俺の生まれの町かも分からんし、自分の名前も知らないんだ。
どうやら金のような物も持ってはいるんだが、買い物の仕方が分からなくて買うに買えなくてな」
そう言って男性は服の内ポケットから紙幣と銀貨を取り出した。
確かに、これは私達が普段使用しているお金と同じだった。何枚か見たことのない紙幣が混ざっていたのは気になるけど。
「これだけあれば食べるには困らないですね」
「マジかよ! 行き倒れ損じゃねぇか……」
がっくりと肩を落とす男性。
しかし、これは困った。どうやらこの男性は本当に記憶が無いらしい。
とりあえず……。
「もうすぐ私のお姉ちゃんが帰ってきたら夕飯にするんですけど、貴方も一緒にどうですか?」
---
女神だ。
俺の目の前に女神がいらっしゃる。
こんな明らかに怪しい人間を助けてくれた挙句に夕飯まで食べさせてくれるらしい。これを女神と言わずに何と呼ぶのか。
しかし、何故俺には記憶が無いのだろう。確か一週間前、何故か公園のベンチで目覚めたことだけは覚えているんだが……。
「ただいまー」
なんてことを考えていると、玄関から新しい声。
もしかしなくても彼女の姉が帰って来たらしい。
「―――あら? 珍しいわねサラ。貴方が学校の、しかも男の友達を連れて来るなんて」
「ち、違うよ! この人はね?」
そう言って彼女はお姉さんに俺のことを説明してくれた。
いや、傍から聞いていると行き倒れてたとか聞くのすっごい情けないですね。
そうして一通りの説明が終わると、お姉さんがコチラを向く。
「えっと、とりあえず自己紹介からしましょうか。
私はエリザベス・ベガリス。この子の姉です」
「あ、私も自己紹介がまだだった!
サラーナ・ベガリスです。リズお姉ちゃんの妹です!」
「ああ、えーっと……」
困った。
自己紹介と言っても自分の名前が分からない。
その部分の記憶は他の記憶と共にぽっかりと欠如している。
「あ、名前も忘れちゃったんだっけ?」
「名前が無いと不便ですね。どうしましょうか」
「あー……じゃあ、アンタ達が俺に名前付けてくれない?」
「私達が?」
「ああ。俺も名前が無いのは不便だけど、かといって自分で考えて名づけるのも変だろ?」
「本当に私達で良いの?」
「ああ、頼む」
「じゃあイキダオレ・タロウとか」
「ナナ・シノゴン・ベエとか」
「すまん、それ却下だ。何か知らんが俺の本能がそれだけは避けろと言ってる」
何だろう。どちらも意味合いはよく分からないけど屈辱的な名前になりそうで仕方がない。
「じゃあ……シキ、なんて名前は?」
「シキ、か。ちなみに由来は?」
「昔飼ってた犬の名前ですね」
酷過ぎる。
まさかペットの名前をそのまま付けられてしまうとは。
いや、でもこれ以上酷くなる前にここで妥協した方が良いのかもしれない。
「うん、じゃあそれにしよう。
俺のことはシキと呼んでくれ」
「元犬の名前ですよ? 良いんですか?」
「深く考えないことにする」
まあイキダオレ・タロウよりはマシな名前の筈だ。
由来さえ思い出さなければ結構居そうな名前だし。
「さて、ではシキさん。
貴方はこれからどうするつもりなんですか?」
「どうするも何も、まずは住む場所探そうかなと。
それから働く場所とか探さないとなって」
公園のベンチで目覚めてから一週間。
基本的に野宿やら何やらだったので流石に居住を探さなければマズイ。
所持金もどうやら食料を買う分はあるようだが、これも尽きる時のことを考えたら仕事が必要である。
「そうですか、なら丁度いいですね」
「へ? 何が?」
姉の方……エリザベスさんがポン、と手を叩きながら言う。
何だろう、何の宣告をされてしまうんだろうか。
「シキさん、私達のこの部屋……使ってない部屋が一部屋あるのですが、それを貴方に貸してあげても良いですよ」
「へ? マジですか!?」
「お、お姉ちゃん!?」
「ただし、当然条件があります」
「条件?」
「はい。実は私が勤めているアルバイト先の研究機関があるのですが、現在人手不足なのです」
なるほど……つまり、そこで働けってことか。
研究機関というのが多少引っ掛かるような気がしなくもないが、それは仕方がないだろう。
「えっと、それは記憶喪失の人間が行っても足手まといになったりは……?」
「仕事は私が一から教えます。
勿論給金も出ますよ。破格の条件だと思いますが」
「いや、しかし自分で言うのもアレだが、こんな得体の知れない男と一緒に住むのに抵抗とか……」
「貴方が邪な考えを持っている方なら、私が帰ってくるまでにサラが毒牙にかかっているはずです。それに貴方は嘘をついてませんからね」
そう言ってエリザベスさんは俺の目をじっと見つめて来る。
なんだ、この全部見透かされてるような感じ。
この人、もしかして今俺に何かをしているのか……?
「お姉ちゃんにね、嘘はついちゃダメなんだよ。シキさん」
「それは一体どういうことだ?」
「お姉ちゃんは他人が嘘をついているかどうか分かっちゃうの。
どんな些細な嘘でも見逃さないの。そのお姉ちゃんがシキさんは嘘をついてないって言うんだから、信じるしかないよね!」
「でも、良いのか?」
「うん! 賑やかになって良いんじゃないかな?
あ、家事は少し手伝って貰えると嬉しいかも!」
そう言って笑う少女。
その横に座っていた姉は俺から決して視線を逸らさず、穏やかに聞いてくる。
「さて、どうします? シキさん」
……やれやれ、どんだけ人手が足りてないんだか。
いや、それ以外の理由も何かあるのかもしれない。しれないが……まぁ、今は深く考えないようにしておこう。
「―――分かった。どんな仕事かは知らんが手伝わせてもらうよ」