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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第1章 内はすなわち教化を醇厚にし
9/53

6 民族研究所

昭和16年11月6日木曜日、午後、首相官邸。


文部大臣の橋田邦彦は、首相に呼ばれて官邸に来た。

橋田は明治15年生まれで、鳥取の医者の家系である。生理学を専攻し、独逸に4年間留学した医学博士だ。高等学校長や大学教授も歴任した教育者でもある。前の近衛内閣からの文部大臣である。


しかし、今、橋田文相は、居心地の悪い思いをしていた。

会議室に集まったのは、星野書記官長のほかに、司法大臣、内務次官、憲兵司令官、陸軍省整備局長。むろん、陸相と内相を兼任の首相もいる。どう考えても、治安方面の話であろう。文部省の所管でそれに関わるとすれば、精研か国体か?


橋田は席につくと、伏せて置かれた資料を手に取る。『本土防衛に於ける内陸拠点の候補地』と表紙にある。まったく訳が分からない。

「はじめます」星野書記官長が言った。山田整備局長が起立する。

星野が声をかける。「立たなくてもいいよ」

「あ、はい」


「ただ今、柳田先生や菊池先生の研究をもとに、三百人の民俗学者、人類学者、史学者が全国踏破中であります」

「「はあ?」」橋田と同じく、岩村法相も初耳らしい。

「昨年の国勢調査とは、また別であります」

「この成果を整理し、憲法第18条を受け、国籍法制定の基礎資料とします」

「「え!」」橋田と岩村は顔を見合わせると、急いで冊子に目を通す。

「拠点の活用については、さらに研究中でありますが」

「候補地の多くは、被圧迫部落に非常に近接しておりまして」

「「あん?」」

「それは、問題だ!」

「なんとか、解決しないと!」

「「あああ?」」

「被圧迫部落の根本的解決は、所在地の消滅にあります」


内務次官の発言に首相が念を押す。

「血統ではないのだね」

「異民族説は学会で退けられました」

「京都府の調査では、半数以上が他所からの外来者、全体の15%が新参の朝鮮人」

「つまり」

「はい。血統ではありません。所在あるいは結団が由縁です」

「高橋自身が言っております。根源は貧困でありその事由は差別だと」


高橋貞樹は獄死した共産党員だ。部落民出身の父親が成功していたので、大分中学から東京商科大学に進んだ。その後、大学を中退して水平社に参加し、全国水平社青年同盟を創立した。しかし、高橋自身は、部落民ではないと青年同盟から除名されている。


「もともと部落差別というものは、部落民差別とは違います」

「住人に対する差別ではなく、居住地区に対する差別がより根源的なものなのです」

「出て行って帰ってこない者もいるし、新しく入って来て出て行かない者もいる」

「中間報告では、屠殺・畜肉処理に携わった非人出身者が、ふつうに農村に住んでいました。差別されずにです」

「集団として1つの地区にまとまっていないと、差別は発生しないのです」

「つまり『場』ですな」


皮肉なことに、高橋自身がそれを証明している。大分市内で生まれ育ったことが、高橋が除名された主たる理由だ。


「場としての部落を残しておくと、部落外出身者も居ついてしまい、集団としての力、団結力は衰えない」

「1所帯ずつ分拠させて、元の部落を消滅させればよいのか」

「全国水平社は大正11年の創立以来、共産主義の影響下にあります」

「むしろ差別を煽っていますから、帝国の分裂を図っていると見られても仕方がない」

「その、共産主義で言う階級を、作り出しておる。確信的に、です」

「共産主義者や無政府主義者は殲滅せねばならん」



「あのー」

「どうぞ、文相」

「部落の土地を強制収容するのですか?」

「げほんごほん」

「あれ?」

「誤解があるようですな。今やろうとしているのは、学術調査ですよ」

「え?」

「朝鮮人の比率が1割を超えると、もはや日本人の集落ではない」

「そう、1割とは深刻な数字なのです」

「そうなる前に、ちゃんとした学術調査で本来の民俗を記録に残す」

「その上でないと、分拠や移住ははじめられない」

「「・・・」」


「文部省では、民族研究所を設立してほしい」

「はい?」

「第1部局で、民族理論や日本人の由来を研究してもらいたい」

「今回の民俗調査の結果はそこに集約します」

「そこから国籍法につなげます」

ようやく橋田には、おぼろげながらも全体が見えてきた。

「内務省では、朝鮮人の動態調査を行っております」

「5年前に推定値40万人、実勢60万人でしたが」

「最新の報告によると、推定値100万人、実勢は150万人以上かと」

「「「えええーっ」」」



「首相、どうします?」

星野が意味ありげに東條を見つめる。判断を求めているのだ。

「そうだな」

「この際です、知っておいてもらいましょう」

「わかった」

「「・・・」」

「当分は、内密にしてほしいのだが」

「「?」」

「実は、朝鮮分離を検討している」

「「えええっ」」

「内地の朝鮮人は全員、朝鮮へ帰します」

「満州国の内面指導も止めようかと」

「「それは一大事!」」

「そうです。まだ外相と蔵相にしか話していない」

「しかし、なぜ」

「根源は貧困であります」

「「はい?」」

「満州や朝鮮への出費が続くと、帝国は貧乏から抜け出せん」


帝国の歳費のおよそ3割が、毎年、無条件に、朝鮮・満州に費やされている。

事変前に700トンもあった金備蓄や外貨は使い果たしてしまった。

今、帝国の金庫には10トンの金もないのだ。


「内地はまだ恐慌から抜け切っていない」

「台湾経営は黒字ですが、満州、朝鮮は赤字なのです」

「「そ、そうなんだ」」

「帝国の現状は、貧乏に追いつく稼ぎなし」

「「「・・・」」」

「治安悪化や道徳退廃を防ぐには、富国を目指さないと」



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