4 民続戦略
昭和16年11月6日、木曜日、長崎県大村町。
大村は軍都である。明治の古くから、陸軍の歩兵第46連隊本部があった。第46連隊は、日露戦争にも出征していた。今は、満州に駐屯している。すぐ近くに、支那事変で渡洋爆撃を行った海軍航空隊基地もあった。基地は拡張され、第21海軍航空廠として完成した。大村は、さらに賑やかになるだろう。来年には町から市に昇格するという。この4月に大村連隊区は長崎連隊区に改称されたが、歩兵第46連隊は大村連隊と呼ばれている。
松山龍夫少尉が連隊区司令部に行っている間、宮元常次は旅館で資料整理していた。どうも軍隊は居心地が悪い、というか引け目がある。師範学校だったから6ヶ月現役で入営したが、入営中も病気がちで、どうしようもない情けなさを味わった。戦技の優劣ではない。逸る愛国心に体力がついていけないのが、情けなかったのだ。
この旅館の客は、陸軍将校や軍属が多い。二人が旅館に泊まったのは佐世保以来で、二週間ぶりだ。最初の5泊は郵便局長の家に泊めてもらったが、あとは山奥で野宿が中心だった。宮元は野宿にも慣れているが、やはり、広い風呂はいい。自炊もしなくていいのだ。陸軍御用達の旅館では、けっこう我儘が通じた。
松山が帰ってきて、一緒に夕食をとる。
「次は京都ですか?」
「ああ、本人を見ておきたい」
「しかし、妻子を本家にあずけて出稼ぎですか」
「わたしもそんなものですよ」
「ええ?」
「生まれた実家は瀬戸内の大島。妻子は大阪の家。勤めは東京」
「そうなのですか」
「日本人は旅好きなのです」
「そうですねぇ」
「出自と関係あるかもしれない」
「え、日本人の出自ですか」
「おっと、まだ早かった」
「「・・・」」
食事が終わると、宮元は昼間の続きで、ここ2週間の調査の整理を再開する。野宿では書き足すだけで、整理まではできなかった。座卓の反対側で、松山も書き留めた手帳の整理をする。
しばらく二人は、無言で作業に没頭した。
「先生、お茶をどうぞ」
「おっ、これはありがとう」
「どうですか、だいぶ捗られましたか」
「ええ。今日はここまでにします」
二人は茶をすする。
「しかし、あれです。驚きました」
「ああ、珍しい例でしたね」
「跡継ぎがいないから養子だと思ってました」
「あの辺りでは、長男を養子に出すんだねぇ」
「と言って、末子相続でもありません」
「婿取りとも違いますね」
「まだ長男一人の時に婿に出すと決めている」
「男子がいても、長女に婿を取っている」
「これは、単純な家産相続とは違うのでは?」
「養子を出す家と、婿に取る家は決まっているようだ」
「その範囲は家よりは大きく、村よりは小さい?」
「村の半分ぐらいですね。田畑の広がりでいくと」
「はい」
「家単位じゃない、集落単位かなあ」
「そうなのですか」
「東北の例ですが、集落どころか村全体の跡絶えは珍しくない」
「へえ」
「もちろん、飢饉とか旱魃とか極端な場合なんだが」
「なるほど」
「あの集落は、苗字は違ったが、姻戚関係は一族と変わらない」
「でも、近親婚はない」
「非常に気をつけていたように見受けられる」
「限界があって、それ以上もそれ以下も血が濃くも薄くもならない」
「まったく違う養子は入れない。ある程度の血は保たれている」
「その上で、各家が潰れないように、絶えないように工夫されている」
「護るべきは血統ではない」
「ふむ、血のつながりを保った上で、それ以上のものがあるのだろう」
「あそこにですか」
「いや、場所に意味はないと見ます」
「はあ」
「あれは、たぶん、元の居所での習慣を踏襲しているのです」
「では、移住者だと」
「過去帳を見ていて、考えたんですが」
「元は、すると?」
「京都か奈良か、つまり畿内のようです」
「平家とか南朝とかですか」
「結論は、まだ早いですよ」
「はい」
「南朝なら、熊本の菊池家をはじめ、九州では事欠かない」
「わかります」
「あそこは分家が少ない」
「意図的に分家を潰している?まさか」
「一文字名前も多かったですね」
「松浦氏の影響かな?」
「なるほど、源氏松浦家の当主は、一文字名前ですね」
大村は藤原氏、有馬は平氏であり、当主は二文字名前で、通字もある。
「不思議なのは、長男でなく、次男に一文字が多い」
「どういうことでしょう」
「養子が多いから」
「女系も見られる」
「けっこう広い範囲ですね。多くの家が相互に養子を出している」
「特に、長男重視でもないですね」
「養子で婿をとって、長女に。そのまま跡取りになっているな」
「先生、一文字名前は、その養子用ですか?」
「おもしろいことを見つけましたね」
「過去帳はどうなりましたか」
「郵便局長が写して送ってくれる」
「では、そろそろ」
「そうですね、寝ましょう」
松山龍夫は、布団の中でもしばらく考えていた。
三代続く百姓はない、と言う。中世の武家では、女性にも相続権があった。しかし、武家ならば、まずは家名であり、その次が分家での増殖だろう。分家に制限をかける武家はいない。百姓といっても、公民、平民または庶民のことだ。特に農民の意味はない。そう言えば、昭和の出典は、書経の『百姓昭明、協和萬邦』だったな。
まとまりもなく思考するうちに、松山は眠りに落ちていた。




