3 枢密院
昭和16年11月5日水曜日、宮城。
東條首相は、遅れて枢密院についた。広橋秘書官を連れている。
枢密院は宮城内にあり、その本会議の際は陛下が御臨席される。今日は、会議ではないので、顧問官も全員はいない。いわゆる懇談である。
原議長、鈴木副議長、ほかに池田、石井、有馬の各顧問官。中野正剛国務大臣は先に来ていた。
「それでは、大政翼賛会を止めたいと」
「はい」
「もともと、憲法上いろいろと疑点がありました」
「ふむ。西園寺公もそう言っておられましたな」
「議会に重きをおくべきでしょう。今はまるで幕府です」
(それは陛下のお言葉ではないか)原議長は承知していた。
「ほう、そうお考えですか」
「もちろん、今すぐではありませんが」
「準備期間は必要でしょう」
「そうなのです」
御前会議からこの方、原議長は東條贔屓となっていた。鈴木副議長はまだわからない。
「副議長、どうですか?」
「政党に戻すのはよろしいかと」
「ただ、社会大衆党などが大勢となるのでは困りますな」
「なるほど。どうですか、中野大臣」
「健全たる政党が支持されるように、国民対策があります」
「ほう」
「実は、統制経済や報道統制の緩和を考えております」
「自由経済に戻すのか?」
「徐々にです」
「報道統制の緩和とは?」
「検閲制度を改めます」
「いろいろお考えですな」
「はっ。憲法の条項を遵守するようにとの思し召しです」
「それはよいことです」
「実は、ほかにも」
「まだありますか」
「ひょっとして、総理は近衛公の政治を全否定されるのか?」
「まあまあ、有馬さん。そんな直截な」
「決してそのような」
「それはそれ、これはこれ。是々非々でしょう」
「もともと近衛公の政策にはその場しのぎも多かった」
「東條総理のご決断には、背骨があります」
「是は残して、非は改める。健全ですな」
「いろいろと研究中であると、本日は承った」
「総理、それでよろしいですかな」
「はい。恐縮です」
枢密院を出ると、東條は内務省に向かう。中野も一緒である。
「そのー、総理」
「なんですか、中野さん」
「いや、今の総理の権勢なら、何も」
「枢府に頭を下げんでもいいと?」
「ずばり、そうです」
「今日明日は、そうでしょう」
「畏れながら、陛下もご信頼です」
「今月来月も、あるいは」
「は?」
「来年はどうですか?中野さん」
「いや、それは」
「敵を作ることはないでしょう」
「ま、そうですな」
「味方を増やすですよ」
「頭を下げて、味方になりますか?」
「少なくとも敵にはならんでしょう」
「それはそうだが」
「政治とは、そういうものでしょう?」
(そうだった。わしは政治家だった)
「日本は和の国なのですよ」
「もちろん、そうです」
内務省は、桜田門の警視庁の隣。宮城を出るとすぐである。
「中野さん」
「はい?」
「日米交渉というが、実は、米欧対決なのだ」
「え?」
「日本には米国の望むような市場も資源もない。規模が小さい」
「それはわかるが」
「だから、米国は支那や満洲に入りたい」
「それもわかる」
「支那では、日本の権益よりも、英仏独の権益の方が大きい」
「あ」
「それがねらいなのです」
「どうすれば?」
「帝国は米国の共犯となれ。それがわたしの解釈です」
「まさか!」
「では、どう理解されますか?」
「そ、それは」
「あ、着きましたね」
「そ、総理」
「なんでしょうか」
「今度、乗馬をご一緒に」
「おお。それはいい。ぜひとも」
正午を過ぎていた。
二人は、これから、内務省局長昼食会に参席する。その後には、ラムゼイ機関の第2次検挙リストに関する会合が予定されていた。中野正剛国務大臣は、最初に聞いていた議会方面に加えて、広く内政方面まで担当するようになっていた。
「議会担当ということは、議員を選ぶ国民の担当でもある。当然のことですな」
中野は、反論できなかった。




