10 日本変革
同じ頃。新橋。
新橋は、帝国ホテルと竹芝のちょうど中間である。とある料亭の一室で、背広の紳士たちが会合をしていた。
陸軍省兵務局長の田中隆吉少将が酌を受ける。今夜は、田中も背広である。
「どうでしょう、閣下」
「うむ。鈴木さんのところは200人だったね。問題ない」
「ありがとうございます、閣下。どうぞ」
「おう」
「閣下、うちは400人ほどお願いしたのですが」
「ええと、高橋君か。いいとも」
「あの」
「渡辺さんは300人だね。いいよ」
「「ああ、よかった」」
田中は、鉱山会社の社長3人にそれぞれ、復員除隊する兵士の就職を約束する。3人の鉱山では鉱夫が足りなくて、採掘量が減少していた。アカの一斉検挙で労働争議は減ったが、鉱夫自体も少なくなったのだ。周旋人によると、日本人も朝鮮人も成り手が見つからないという。今は、その周旋人とも連絡が取れなくなった。
「閣下。それで、給金のことなんですが」
「そりゃ、みなさんの会社の規定でしょう」
「「そ、それでよろしいですか」」
「陸軍は民間に介入しません」
「「よかった、よかった」」
「衣食住が成り立てばよろしい。納税は、できればの話だ」
「「はっ、はっ」」
「いや、さすが閣下は話が早い」
「なにぶん、商工省や内務省では埒が明かなくて」
「どうぞ、閣下」
3人は、笑顔になった。田中に酌をし、追加の料理を注文する。
その品数に満足すると、田中は大きく頷く。そして、言った。
「ただし、タコ部屋はいけませんぞ」
「「えっ」」
「ノミ倉も納屋もいけません」
「「そ、それは、もちろんです。えへへ」」
「それだけが条件です」
「「わ、わかりました」」
そこで、田中の隣に座っていた男が口を開く。
「来週、わたしが視察に行きます」
(((どきっ)))
「わたしは、タコ部屋があるかどうか、鼻でわかる」
(((ぎくっ)))
「矢次君には、陸軍省の顧問になってもらいました」
「えっ。翼賛会におられたのでは」
「翼賛会も商工会も辞めたよ。退職金がほしくてな」
「はあ」
「なにせ、金を貸していたアカが揃って死んじゃってね」
「「・・・」」
矢次一夫は、国策研究会を主宰し、そのまま大政翼賛会の幹部になっていた。
異色の履歴の持ち主だ。小学校を出た後、家出をして佐賀から東京に向かう途中に、騙されてタコ部屋に売られた。脱走して、また騙され、売られ、それを繰り返して20歳までをタコ部屋で過ごした。
その後、矢次は上京して書生となろうとするが、肌に合わない。結局、土建会社の飯場に住み着いた。その一方で、大岡周明や北一輝らに師事し、折からの労働争議の解決で名を挙げる。その人脈は、労働側や経営側だけでなく、財閥、政府、陸軍、右翼、そして共産党員にまでおよんだ。
「来週の都合のいい日を選んでおいてくれ」
「「あ。は、はい」」
「兵隊は1等兵だけじゃないぞ。ちゃんと上等兵も兵長も混ぜる」
「「は、はい。伍勤ですね」
「そう、士官は付かんが小隊単位だ。なにかと便利だろう」
「「そ、そうですよね」」
「安心したまえ。矢次君がいる限り、争議は起きない」
「「は、はあ」」
「まあ、アカは滅びてしまいましたがね」
「そうか、そうか。わっはっは」
「「「・・・」」」
翌日。
昭和16年11月30日、日曜日、東京府、用賀、東條自邸。
志郎は、一時間近く、東條の娘たちと遊んでいた。
8時を過ぎてようやく本人が書斎に入ってくる。志郎と向き合う。
「東條さん。ひょっとして、お疲れですか?」
「ああ、なにかこう」
「昨夜は盛り上がったのでしょう」
「うむ、まあ、その」
「?」
「聞いてくれ、志郎さん」
「はい」
「陸相を降りようと思う」
「はい。内相も、ですか?」
「うむ、総理に専念する」
「いいことです。陛下もご安堵されるでしょう」
「そ、そうか」
「ちょっと早い気もしますが」
「陸相兼務だと、どうしても」
「海相と張り合ってしまう?」
「そうなのだ。いずれ、大きく、しくじりそうでな」
「陸軍の面子ですね」
「うむ、海相の顔を見ると、ついつい」
「なるほど、わかります」
「それで、すでに?」
「木戸内府を通じて」
「東條さん、陛下から直にいただくべきです」
「それは、畏れ多い」
「いえ、ここは肝心ですよ」
「そうか、待ってくれ。う~む」
首相の陸相兼任は、もともとお上のご意向であった。
さらに、東條は治安対策のために内相兼任を希望し、容れられていた。
「どの区切りで?」
「どこまで被るか、だな」
「三国同盟離脱では」
「そうだな、そうしよう」
「はい」
「梅津さんにも、土肥原さんにも、松井閣下にも相談する」
「はい」
「だが、志郎さんに最初に話したかった」
「はい」
東條と志郎は、書斎でデータ交換をして、進捗を確認する。
例によって、東條の画面には天気予報が表示される。
『雨 (T_T)』
「えええっ」
東條は、初めての悪天候の予報に驚く。
「なぜだろう?」
「国外と国内の不均衡でしょうね」
「進みすぎと遅れすぎの差が開いたのか」
「それですよ。外交の進捗は早い」
「各国の変化も顕著になってきたな」
「ですが、帝国国内の変革は遅延している」
「ううむ。そうなるのか」
「満洲事変も支那事変も、もともとは国内問題に端を発しています」
「松井閣下の言われるとおりだ。帝国は国外に解決策を求めた」
「その国外の件を元に収めただけです、今はまだ」
志郎の言うとおり、国外問題は異常な速度で進んでいた。
松井大将が重慶に入ったのは11月9日、吉田大使が華府に入ったのは11月20日だ。さらに、伯林でも進展がある。尋常ではない。
「ソ連の動きも気になる」
「ソ連海軍が動くとは思いつきませんでした」
「帝国では、陸海軍は別の組織だが」
「ソ連では補完しあっている」
「いや、ソ連の方が正常なのか」
「・・・」
「土肥原さんはこれだけしか情報をくれない」
「予断防止でしょう、つまり」
「今は、動く時期ではない」
「はい」
「わしらが走ってはいけないからな」
「まあ」
対中、対米の次は英蘭仏への外交攻勢である。英国には印度問題で脅し、蘭国にも補償占領を匂わす。仏国には仏印防衛で懐柔する。
しかし、国内問題は、特定の代表者同士の交渉というわけには行かない。八千万の帝国臣民を得心させる必要があった。政策を決めて政令を発布しても、臣民がついてこなければ無意味なのだ。
「国内問題は、妨害勢力や阻害の排除が先行する」
「はい。そちらは、進んでいます」
「次は、国民の意識改革だが」
「まず、暮らしを変えてやる必要がありますから」
「景気をよくして仕事をつくる」
「それでようやく動こうかという気になりますが」
「なにもかも足りないからな、帝国には」
「人がいます。勤勉な国民が」
「そうだな。前向きに考えねば」
東條と志郎は、国内変革の段取りを反芻する。
意識改革の眼目は、土地と住宅に対する新しい認識だ。土地神話を崩し、移動往来を頻繁にする。集合住宅は分譲を止めて、賃貸しとする。地主よりも大家に権威を移す。土地整理を行い、山林を国の所有とする。
国内間の移動、往来、移住、引越しの動機付けは、求職や開拓に求める。農業を職業化、事業化することにより、余剰労働力を生成する。その行き先として、人工景気を背景とした産業を振興し、大規模開墾地を用意する。新幹地がそれだ。そこでは余剰労働力を吸収するために、水や電気などの他に、宅地や学校の整備も行う。
人工景気は、一巡すれば内需拡大の螺旋に入る。最初の周回を成功させることが肝心であった。その呼び水として、百万の復員兵、南満洲油田、米国からの緊急輸入品などが充てられる。日中講和の賠償金は、米国への決済に使われる。
「使えるものはなんでも使いましょう」
「とにかく、回すことだ。前進あるのみ」
「数十万人規模の国内往来が起きれば、成功なのです」
「すぐに百万規模となるか」
「十万人が北へ南へと移動するだけで、大変な内需が発生します」
「そうだな。列車、船、旅館に食堂」
「農村には往来移住に足る余剰所得を与え」
「行き先の新幹地には、職住を整備する」
「今更ながら、大変なことを企てたものだ」
「やることは明確であり、準備も進んでいます」
「ああ。実行するだけだ。最大の問題は」
「どう軟着陸させるか、ですね」
「事が事だ。お上にご心配は掛けたくない」
「はい。人は揃ってきました」
「そうだな。思ったより粒ぞろいだ」
「2週間もすれば吾朗も帰って来ますよ」
「全員が揃うな」
「はい」
「よし、やろう」
「では、これをどうぞ」
「おお、リポデーではないか!」
「持って来た最後の一本です」
「わしは全部飲んでしまってな。いいのかな」
「もう、試作と試飲に入ってます。飲み切っていいのですよ」
「そうか。では遠慮なく」
ごくごく。
「どうです、頑張れますか?」
「もちろん、24時間だ」
「よかった」
「「あっはっは」」




