9 市号作戦
1941年11月28日、金曜日、午前。米合衆国バージニア州、ホットスプリングス。
バージニア州は、合衆国でも最も古い州の1つで、独立戦争でも南北戦争でも中心地となった。西側には、ウェストバージニア州との境であるアパラチア山脈が走り、ホットスプリングスはその山の中にある。名前のとおり温泉が湧き、独立前からのリゾート地であり、ワシントンやジェファーソンも利用したという。
そこに立つホームステッドは超高級リゾートホテルで、客室はおよそ500、ゴルフコースや室内プール、テニスコート、映画館も備えている。もちろん、専用の温泉もあった。新庄健吉と山藤重一の部屋は、ホテルの中央塔から離れた端の方の1階で、ベッドルームは2つあった。
その朝、新庄が起きたのは9時近くだった。
「おはようございます、新庄さん」
「おはよう、山藤くん」
「よく眠られたようですね」
「ああ、ぐっすりとね」
「よかった、よかった」
「・・・」
新庄が寝坊したのは、昨日の疲労のせいであり、けっして快調だからではない。本当は、ぐっすりではなく、ぐったりだ。新庄たちがホームステッドに着いたのは、夕方の4時過ぎだった。8時間も車に乗っていたのだから、それは疲れる。
遅くなったのは、山藤が車を飛ばしすぎて、ハイウェイポリスに捕まったからである。なんと、山藤はポリスから逃げようとした。そのため、判事の事務所まで連れて行かれた。結局は罰金30ドルで済んだが、新庄は疲労困憊する。
危うく碧素を飲みそこなうところだった。本当に、わが陸軍精鋭の中野学校特務将校なのか。呆れて、殴る気にもならない。チェックインが終わると、楽団の演奏を聴きながらフルコースを食べようという重一の誘いを断り、ルームサービスで夕食を済まして、早々と寝た。
「新庄さん、朝食に行きましょう」
「ああ。君もまだか」
「はい。周りを散歩していました」
「ほう、兵要地誌か。熱心だね」
「任務ですから」
「・・・」
ホームステッドは、山中といっても温泉があるせいか、それほど寒くはない。今日は晴天で風もなく、ぽかぽかと暖かかった。ホテルの客たちは、芝生の上に椅子を出させて日向ぼっこしている。その中に、テーブルに新聞を広げてお茶を飲んでいる紳士がいた。
新庄と山藤はジャケットを羽織っていたが、その紳士は赤いシャツだけである。上着は横の椅子に掛けてあった。二人の方に手を振っている。
「ん?」
「あっ。ガーさんだ!」
「え」
「ガーさーん!」
山藤が飛び上がって手を振ると、走り出す。
新庄は、あとを追いながら声をかける。
「君、もう米国に友人がいるのか」
「あ、ガーさんです」
「ここに泊まれるんだから相当な人物だよな」
「はい、GNバーの支配人さんですよ」
「えええ?」
グレートノーザン鉄道北西部担当のガーハイム総支配人は、満面の笑みで山藤と握手を交わす。山藤は、新庄を三井物産の支店長代理と紹介した。
「ジューイチ、偉くなったんだね」
「いえ、まだカンポですよ」
「そうそう、カンポだったね」
「はい。仕事で来たんですよ」
「そうか。あれ、朝食はまだかい」
「はい。これから行くところなんです」
「よかったら、一緒にとろう」
「はいぃ。喜んで」
ガーハイムが右手の人差し指を上げると、どこからか秘書が現れる。どろろん。
「いいか、プレジデンシャルブレックファスト、4人前だ」
「サー、イエスサー」
「残ったらお前にやる。行け」
「サー、イエスサー」
ぱっ。秘書が消える。
新庄は度肝を抜かれたが、重一はにこにこと笑っていた。
朝食を待つ間、ガーハイムが特別列車での重一との出会いを話す。
「ジューイチは私の恩人なのです」
「へえー」
「ガーさん、大げさですよ」
「いいや。現にわたしは役員になれそうだ」
「へえー」
「すごい」
「ここでの休暇もご褒美なのだよ」
「へえー」
「すごい」
「そうだ。ジューイチにもお返ししなきゃ」
「いえ、そんな。いいですよ、ガーさん」
「いやいや。ジューイチにはいっぱいアイデアをもらった」
「へええー」
「いや、契約したのですから」
「えええー」
「それとこれとは話が別だ。そうだ、カンポの上はなんだ?」
「書記官です。3等2等1等とあります」
「客室と同じか。よし、ジューイチを書記官1等室にするぞ」
「えええー」
「ガーさん。吹きすぎですよ」
「その上は、特等か?」
「いえ、参事官です」
「いいとも。がっはっは」
「きゃっきゃっ」
新庄は、話についていけない。テーブルの上の新聞を見る。ホテルの部屋に配られたものとは違うようだ。大きな見出しが躍っている。
『大統領の戦争計画!』『一千万人の動員!』『大統領はウォーモンガーだ!』
「えっ。なんだって!」
ガーハイムが振り向く。
「ああ、それはスクープですよ」
「ミスターガーハイム。これは本当なんですか」
「みたいです」
「ガーさん。大変なことですよ」
「あ、ジューイチは外交官だったね」
「えへへ、カンポです」
ワシントンヘラルド新聞は、1面の全紙面を使って、ルーズベルト大統領の欧州大戦参戦計画を暴露していた。詳細な記述は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに展開される予定の兵員、兵器、艦船などの具体的な数字にまで及んでいる。
新庄と山藤は紙面に食い入った。
「GNの本社があるシカゴでも、ディリートリビューン新聞が同じ記事を」
「えええ」
「すると」
「これだけ暴露されれば、参戦は無理だね」
「「・・・」」
「彼は戦争しないと約束して3選したんだ」
「「・・・」」
「これはスキャンダルになるよ」
新庄と山藤は、ガーハイムと紙面を交互に見つめる。




