6 豊田人事
昭和16年11月27日、木曜日、午前10時、宮城。
前回から1週間しか経ってないが、第65回大本営政府連絡会議では、またも顔ぶれに変更があった。今度は海軍だ。
大本営からは4人、陸軍部の多田総長、本間次長、海軍部の長谷川総長、角田次長。
政府からは4人、東條首相兼陸相、豊田海相、重光外相、賀屋蔵相。
幹事は3人、陸軍省の栗林軍務局長、海軍省の宇垣軍務局長、内閣の星野書記官長。
本日の主要議題は、三国同盟離脱である。離脱の決定は政府に委ねられていたが、前もって大本営に通知することが条件であった。
情報交換が終わると、議長の東條首相は重光外相を即す。
「外相、どうぞ」
「在日独逸大使館のオット大使に、離脱の意志を伝えました」
「「早い!」」
「まだ、意志だけです。公式通知は来週あたり」
「さぞかし怒ったであろう」
「思ったほどではありませんでした」
「「へえ」」
「ゾルゲとの面会以来、元気がないそうだ」
「自動参戦事項と独ソ開戦を見直しの事由としています」
「いきなり離脱ではないのだな」
「はい。向こうから切り出させたい」
「「なるほど」」
日独伊三国同盟の第3条では、日独伊のどれか一国でも米国から攻撃を受けたら他の二国に参戦義務が生じると読めた。英国と米国の解釈はそうである。
実は、同盟締結時の松岡外相は、条約本文とは別に公文を交わして、独英戦への参戦も独米戦への自動参戦も日本の義務ではないことを明確にしていた。しかし、公表されていない。
「問題は独逸本国ですね」
「防共協定はそのままです。ソ連には組みしない」
「それで伝わるか」
「わたしが親書を出した」
「総理が自らですか」
「うむ」
「大島大使が必死にやっています」
「少しは日本のために働く気になったか」
「それが使命であります」
「「まさに、命がけだな」」
「それと秘密協定を締結します」
「ほう」
「資源と技術に関する相互供与の協定です」
「待て、技術というとあれもか?」
「あれもです、多田総長」
「しかし、に号研究では大きな飛躍があったと」
「ですから、交換の対象にふさわしい」
「もったいないような気がする」
「長谷川総長、国力の限界があります」
「そうなの、豊田大臣」
「花より団子です」
会議を終えて部屋を出ると、賀屋蔵相が重光外相を呼び止める。
「感服しました」
「え」
「工作機械と潤滑油です」
「ああ。吉田さんはあれですから」
「あれでもいい。米国大使館は予算を増やします」
「そりゃ、どうも。えへへ」
「どんどん、やっちゃってください」
同じ頃、陸軍省、教育総監部。
陸軍教育総監の土肥原大将は、総監応接室で特務兵監の樋口中将と話していた。
話題は、先週末から急変した海軍人事である。
「驚きましたな」
「うむ。陸軍なら軍政畑、参謀畑の区別がある」
「海軍はさらに、艦隊組と赤レンガ組があると聞きました」
「ああ、部隊勤務と中央勤務か」
「はい。しかし、ことごとく」
「外してくれたな」
「嶋田大将や井上中将は一顧だにされていない」
「恐るべきだな、豊田人事は」
「まったくです」
熱海から戻った豊田海相は、早くも2日後の木曜に海軍省の人事局長を代えた。それまで兵備局長であった保科善四郎少将を人事局長に異動させたのである。
土曜日には、海軍省次官に小沢治三郎中将、軍務局長に宇垣纏少将が着任した。今週の火曜日に、軍令部総長が長谷川清大将に、軍令部次長が角田覚治少将に代わった。
そして昨日、水曜日には、軍令部第一部長に山口多聞少将が、第三部長に伊藤賢三少将が着任した。
いずれも、それまでから考えると、破天荒な人事である。
長谷川大将は台湾総督になってまだ1年だが、これは朝鮮総督の南大将が勇退するので、海軍枠と陸軍枠で均衡を取った結果である。
「台湾総督の長谷川大将は、ま、そうなのでしょう」
「現役のままで台湾総督は異例だったが、そういうことだったのだな」
「長谷川大将、保科少将、山口少将は、米国に長いです」
「だが、伊藤少将は南米、宇垣少将は独逸だ」
「どうもわかりませんな」
「「・・・」」
土肥原大将は天井を向いて、禄雄を呼び出す。
「聞いているのだろう、ちょっと来い」
「はっ。あれ」
「八重は知っているのか?」
「試験があったと言ってました」
「試験?」
「豊田海相に従うかどうかの試験です。つまり、踏み絵ですね」
「踏み絵、ね」
「豊田大将の写真とか、軍帽とか?」
「いえ、歌です」
「歌?」
「はい、軍歌演習です。曲目は、行進曲軍艦」
二人は、禄雄から顛末を聞くと、驚愕した。
「「海軍、恐るべし!」」
同日、台湾海峡。
同じ頃、仏印駐屯軍司令官の武藤中将は、陸軍特種船の神州丸の船上にいた。
仏印撤収船団がサイゴンを出港してからすでに4日が過ぎていた。まもなく、台湾北端の基隆港に入港する。仏印撤収船団は、帝国陸海軍が徴用した淡路山丸や綾戸山丸をはじめとする輸送船10隻が主体である。船団には、日本軍兵と軍属、邦人が合わせて3万名以上も乗船していた。
ふ号作戦の肝は南部仏印だった。サイゴン港は、外海よりメコン支流を遡ったところにあり、同時に接岸できるのは数隻に限られる。そこで、サンジャックなどの南シナ海に面した外港とを使い分けた。時間的に余裕のある近歩4やサイゴンの邦人は外港へ、カンボジアから300kmを走破してくる近歩5と偽装要員は内港である。
それでも、港の設備や台船を全部動員しても全く足りない。大発や小発の揚陸舟艇はもちろん、折畳鉄舟などの渡河資材、現地調達の舟艇も使った。
人は手足がついているのでなんとかなる。問題は足がついていない貨物であった。撤退ではなく撤収だから、大小の兵器弾薬や武器に加えて、邦人のトランクぐらいはすべて回収してやらなければならない。
撤収作戦の段取りは、基本的に上陸作戦の逆展開で計画されていたが、やはり小舟艇から輸送船への貨物の積み揚げが難関であった。近衛師団付属の工兵大隊や輜重大隊だけでは不安なので、独立第14工兵連隊などから船舶工兵の応援が駆けつけていた。しかし、輸送船のデリックを総動員しても、遅々として進まなかったのが現実だった。
「戦訓はまとまったかね、参謀長」
「はっ、師団長閣下。これです」
「大きくは2つか」
「2つとも難題です」
仏印駐屯軍の実体は近衛師団である。師団長の武藤中将と参謀長の今井大佐は、船橋操舵室のすぐ後ろ、海図室の隣の会議室で、今回のふ号作戦の反省会を行っていた。正式なものは戦訓検討会として帰京後に行われるが、今はその予行である。幹部は、いかなる事態も、予習しておかなければならない。
戦訓のうち2つが、今の時点で重要視されていた。
1つは、貨物の積み込みに要した人員と時間の積。作戦全体の中で突出して大きかった。特に時間の長さにはため息が出る。揺れる小舟艇から、デリックの先につけた網縄や鉤縄での貨物を吊り上げる作業は困難を極めた。一方で、岸壁に着岸している輸送船にはバケツリレーの要領で、相当の大きさの貨物を搬入できた。
「あれだな。小舟艇と同じ高さの」
「はい。輸送船側に歩廊付の開口部があれば」
「つまり」
「輸送船自体を岸壁ないし桟橋にする」
「しかし、だ」
「は?」
「このような撤収作戦がこの先もあるのか?」
「転進のための撤収はあり得ます」
「なるほどねぇ」
もう1つは、重車両や重火器の回収である。
当然のことながら、ふ号急速撤収演習は、敵前撤収を想定していた。迫り来る敵を、前線で遅滞誘引しながら、後方の主力が撤収する。そういう想定である。といっても、2週間かそこらで立案した作戦だから、実弾や赤軍を用意した本格的なものは無理だ。事故が続発する危険があった。
代替として、フランス植民地軍に演習を行ってもらった。仏印タイ国境から仮装英軍が侵攻してきたという設定である。仮装侵攻軍は歩兵が中心であるが、一部に戦車部隊と野砲部隊があった。歩兵だけでは自動車化している近衛師団には追いつけないから、演習にならない。そこで、師団が保持している戦車と牽引野砲の一部を植民地政府に貸与した。
時間がなく、また貸与であるので、戦車や車両の日の丸は消されていない。植民地軍は、南部仏印コーチシナ出身の現地人が主体であったから、見た目には日本軍と区別がつかないかもしれない。軍衣も貸与したのだ。冬の内地に帰るのに、防暑衣は不要だった。
「真に迫るものがありました」
「ああ。昨秋の国境紛争はよほど苦戦だったらしい」
「はい。いかにも重火器が不足です」
「わが軍の戦車や野砲はありがたいだろう」
「10日間の訓練で、あれほどまで」
ふ号作戦の最終段階で、仮装侵攻軍は、仏印駐屯軍が敷いた防衛線を2箇所で突破した。さらに、3両の戦車が、サイゴン港埠頭まで進出してきた。その時、岸壁では1隻の輸送船が貨物積み込み中であり、2隻が出港中であった。
3両の戦車は、港内で全般指揮にあたっていた神州丸の搭載砲で破壊と判定される。が、港の2km彼方では、牽引野砲が布陣中であった。
「最終段階では、重火器が残っておりません」
「ああ、重武装がほしい。指揮船だけでなく」
「高射砲なら、敵戦車も破壊できます」
「徹甲弾があればな」
「そうでした。まだ破甲榴弾でした」
「航空機もほしいな」
「偵察機だけでも」
撤収作戦の最終段階とは、上陸作戦では最初の段階である。
上陸作戦は航空撃滅戦にはじまり、爆撃や艦砲による陣地粉砕などを行った後に、陸兵の上陸となる。
撤収作戦でも、最終段階で、制空権や制海権はもちろん、個々の輸送船の防衛戦闘が不可欠である。それが戦訓の2だった。
そこへ。
師団副官が入って来た。船長が呼んでいるという。
武藤中将は、言われるまま操舵室に入った。
「軍司令官閣下、香椎が全速を出しています」
「香椎?ああ、南遣艦隊の旗艦か」
撤収船団は、神州丸を指揮船として、その下に淡路山丸をはじめとする貨客船と貨物船が10隻である。これを南遣艦隊の香椎、占守など6隻が合流して守っている。武藤は海軍艦艇の艦種はよく知らないが、雑多な艦艇の集まりであるようだ。中には、客船にしか見えない船もあった。
船団の隊形は、神州丸を先頭に、5隻の撤収船の縦隊が2列である。
南遣艦隊は、特設巡洋艦を神州丸の両側に配置した。盤谷丸と西貢丸の2隻だ。旗艦の香椎と海防艦の占守は、左舷に離れて併走している。ほかに、駆逐艦が前方へ先行している筈だ。
その旗艦、巡洋艦の香椎が艦首に白波を立てて前方へ走り去ったという。
「船長、フネのことはわからんのだが」
「ああ、先行している駆逐艦が何か見つけたのでしょう」
「ふうん。ここからは見えないのか?」
「閣下、駆逐艦は水平線のむこうです」
「航空機がほしいな」
「・・・」
近衛歩兵第5連隊長の岩畔大佐は、特設巡洋艦の西貢丸に乗船していた。海軍徴用の特設巡洋艦は、つまり仮装巡洋艦だ。もとの西貢丸は、名前の通り、サイゴン航路の貨客船で、台湾の基隆からサイゴン経由、バンコックまでを40日で往復していた。佐官級の士官にも相当の部屋を用意できると言われて、連隊本部と一緒に乗り込んだ。
海軍徴用船は乗員の動きが違うな、と岩畔は感心することしきりだった。
その時、船橋の見張りが叫ぶ。
「左舷!雷跡2本!」
「雷跡2本、宜候!」
(さすがだ)
岩畔大佐は、遅ればせながら双眼鏡を出して左舷を見る。真横ではない。ずいぶんと前の方に、斜めに伸びてくる白い筋が2本、見えた。
(えっ。雷跡って、魚雷じゃないか!)
甲板に出ていた兵隊が騒ぐ。
「「「わああーっ」」」
わめきさけぶ声をよそに、2本の雷跡は西貢丸の船底をすり抜けて行った。
「「「へえええーっ」」」
それまで左舷にいた兵隊は、右舷に移動する。あとを見に行ったのだ。
右舷には、そう、神州丸がいる。
岩畔大佐は左舷に残って双眼鏡を覗いたまま、隣にいる連隊本部附きの妹尾中尉に言う。
「おい、仏の顔は何度だ?」
「え?仏の顔は3度、ですが」
「3発目と4発目が来たよ」
「えええーっ」
岩畔大佐と妹尾中尉の目の前に、新手の2本の雷跡が迫っていた。
南無三。




