4 新嘗祭
昭和16年11月23日、日曜日。東京府、用賀、東條自邸。
今日は新嘗祭で、祭日である。
新嘗祭は、五穀の収穫を祝い、その実りをもたらした天に感謝するものである。四方拝、紀元節、天長節に次いで、重要な祭祀である。何より国民の暮らしに間近い。宮中では夕方より御儀があり、東條首相も参席する。伊勢神宮には勅使が遣わされている。一般には、翌日から新米を食すことができた。
志郎が自無弐でやって来た。だが、どっどっ、と重いが快調な排気音ではなく、どっどん、どんどっ、と何か傾いたような音である。散歩していた東條は、母屋に急ぐ。
客間に現れた志郎の顔には、油を拭った跡があった。
「どうした、志郎さん」
「あれ。いえ、点火時機がずれてたようでして」
「?」
「打ち消すから水平対向であって、ずれたら意味がない」
なにか車の修理に関することらしい、とはわかる。
「志郎さんが自分で直すとは、ずいぶん・・」
「ええ、久しぶりです。勘が鈍ってました」
「で?」
「だめでした。修理工具を見直します」
「え。エンジンではなく?」
「機械は壊れるものです。ちゃんとした工具がないとね」
「そういうものですかね」
「だって、いい器具がないと人間も長持ちしないでしょう」
「はあ。長持ち、ねぇ」
「医者だけではだめなのです。いい器具もないと」
「そうですな」
カツがお茶を持ってきた。絞った濡れ手拭いも置いていく。
と、四女の君枝が顔をだす。カツの後ろに隠れていたらしい。
「あれ。吾朗お兄さんは今日もいない」
「あ?」
「これ。君枝」
「吾朗はねぇ、そうだね。お正月には来るよ」
「はあい」
「すみません」
「失礼した」
「かまいません。でも、待ってたのは君枝ちゃんかな?」
「「え、え?」」
志郎は、かまわず、恒例のデータ交換に入る。
東條は不服そうだ。ぶつぶつ。
『快晴 (^O^)/』
「えええっ」
「どうしました、東條さん」
「解せん。今回だけは、解せんぞ」
「これは予報ではありませんよ」
「わかっている。が、これだけ想定外のことがあって」
「ふ~む。情報は入ってきてますが」
「ああ。欧州も米国も繋がった。しかし」
「いや、繋がっている状態が快晴なのです」
「それはそうだが」
「なにか」
「あれもこれも、ちっともわしらの計画ではない」
「ま、それは」
「先週も言ったが、ほんとうにずれていないか?」
「もともと、相手があることです。すべて一致とは」
「わかっておる。しかし、土肥原さんはもはや」
「好き勝手ですね。田中さんも暴走気味」
「だろう。心配でならん」
「しかし、二人のおかげで、偽装が成っています」
「偽装か」
「なにせ、こちらの思惑の外ですから」
「ばれるわけがない。それはわかる」
「こちらの核心を知った者がいたとしてですよ」
「ああ」
「わたしたちに辿り着く前に、あの二人に引っかかる」
「混乱するだろうな。先には進めまい」
「尋常ではないですからね。彼らの謀略は」
「その分、われらは安心か」
「そういうことです」
「ルーズベルトもヒトラーも」
「側近たちの分まで、性格もなにも分析した」
「しかし、所与の条件は変わりつつある」
「何百人もの人の意思の総和だからな」
「ずいぶんとぶれて来るでしょう」
「ずれるのではなく、ぶれるのか」
「ですから、こちらもぶれた方がいいのです」
「そういうことにするか。まだ1ヶ月だし」
「まだ1ヶ月ですが、ずいぶんと進みましたよ」
「ああ。内も外もね」
「吾朗君は、もう華盛頓かな」
「ええと、西海岸は済んだみたいですね」
「あ、市俄古もあったか」
「はい。では、わたしはそろそろ」
「ああ、そうだね」
今日の東條は忙しい。昼前には官邸に戻らないといけない。
まず午後3時に、新嘗祭に際しての放送の録音である。その後、4時から食糧増産功労者表彰式に参列して、内閣総理大臣賞を授与する。受賞者らとのお茶会もある。
そして、5時半には参内して、御儀に参席する。新嘗祭の御儀は明日の未明までかかる。
この年、日本の新嘗祭と米国のサンクスギビングデーは同じ日だった。
1941年11月23日、日曜日、昼。米国、ワシントン府、在米日本大使館。
在米日本大使の吉田は、公邸で本省からの電報を待っていた。
大使館は治外法権といっても、電報の受発信は、米国の電信会社に頼るしかない。まさか、日本から延々とケーブルを引くわけには行かないのだ。国際電話もあるが、盗聴されるのは確実であるから、暗号表を見ながらの会話となる。高価で不便で煩雑であるから、真に緊急な時しか使えない。
無線機を持ち込んでも、その発信は、米国の無線法の範囲内で行うことになる。受信は、可能といえば可能だろう。が、だいたい、日本と地球の裏側との間で電波を飛ばすには、途方もない設備と費用がかかる。聞くだけなら、ラヂオの短波放送で十分である。
その、ラヂオトウキョウでは、気象情報を伝えていた。
『東の風、雨。東の風、雨。東の風、雨』
日曜日で、しかもサンクスギビングデーなら電信の配達はない、あったとしても遅れるのではないか。井口参事官は、書記官を電信会社に配置すると言い出した。井口参事官は、大使館の事務総括役である。序列は、大使、公使に次ぐ第三位だ。
そういう訳で、寺崎は電信会社の前に停めた車の中にいた。
寺崎英成一等書記官は、在米日本大使館の情報部長であった。だからといって、日曜出勤までやる義理はない。こういう仕事こそ、官補だろう。そう思ったが、新任の官補も、昨年着任の官補も大使に取られてしまった。日米交渉に専任だという。たしかに、彼ら官補は交代で徹夜の直についている。
しかし、俺は一等書記官だ。大使館にはまだ、高木や八木らの書記官がいるではないか。どうも吉田大使は、一等書記官の三人が気に入らないらしい。奥村勝蔵、松平康東、それに寺崎の三人は、野村吉三郎前大使が連れてきたのだ。
とにかく、寺崎ら三人は、電信会社の前に待機していた。華府の電信会社は3つあった。
電信会社から在米日本大使館に、電話がかかってきた。これから電報を届けに来るという。井口参事官は、電信班の今日の当直である官補の宮沢喜一に伝える。電報は、宮沢が受け取り、すぐに復号にかかる。復号された電報を、井口は若杉公使に渡した。二人は、吉田大使の部屋に入る。
「来たか」
「はっ」
「ふむ。本文、2度あることは3度ある」
((どきっ、どきっ))
「諸君、祝着だ」
「「ほっ」」
吉田が合図すると、料理人の村上がシャンパンクーラーを持ってきた。準備してあったらしい。グラスが置かれ、ターキーパイの皿も置かれる。シャンパンは、大使館のワイン庫から村上が選りすぐったものだ。
「諸君、任務は好調に滑り出した」
「「はっ」」
「陛下の健康と帝国の繁栄に」
「「かんぱ~い」」
吉田大使、若杉公使、井口参事官の在米日本大使館のトップ3は、ワインを飲み、パイを頬張る。
「大使、あの三人はどうしますか?」
「ふん。ほうっておけ。まだ昼だ」
「はい」
吉田の命で三人を配置した井口だったが、良心が痛まないこともない。電信会社は今日も通常通りに配達してきた。あの3人は単に吉田の意地悪で、日曜出勤となったようである。いや、それとも、本省や大使しか知らない事情があるというのか。
「その気になれば、事務所で聞けばすぐにわかる」
「「はい」」
「わかれば、すぐに戻ってくる」
「「はい」」
「それがないのは、おおかた車の中で寝てるのだろう」
「「そ、そうですよね」」
若杉公使は、紐育総領事の頃から数えると4年も駐在している。井口も、野村前大使赴任前からの在米大使館勤めだったから、まずは無事らしい。現に今、こうしてご相伴にあずかっている。
井口の妻は、外務省生え抜きで外務大臣まで務めた芳澤健吉の娘である。何事もなければ、次官までいける。そう、今はとにかく大使の命に従うだけだ。そのためには・・。
井口は、七面鳥が出てくる、気の利いたジョークがなかったかなと、必死で考えていた。
同じ日。11月23日、日曜日、夜。フランス領インドシナ、ハノイ。
インドシナ植民地政府のドクー総督は、公邸の自室でワインを飲んでいた。部屋では高く、天井扇が回っている。もう9時を過ぎてるから、昼間の暑さはない。しかし、酔いのせいか、ドクーのシャツは汗で濡れていた。
もちろん、フランスは欧州だから、サンクスギビングデーや感謝祭はない。ドクーが酒を飲んでいるのは、眠れないからだ。ついさっきまで、来客があった。客は日本人だったが、フランス語を話せたし、酒や映画やら話題が豊富であった。面会中は愉快だったのだが、今は、なぜか憂鬱である。
昨年、1940年の6月、本国フランスはドイツに降伏した。ドイツの同盟国である日本から、軍を進駐させたいと申し出があったのはその直後だ。植民地政府も本国政府も混乱したが、結局は受け入れた。その混乱の中で、前の総督が解任され、フランス海軍極東艦隊司令長官のドクー提督が新総督に任命された。
日本軍の進駐は、愉快なことではない。しかし、総督であるドクーは、インドシナでの本国権益を確保し維持しなければならない。その意味では、日本軍の駐屯は悪いばかりではなかった。昨年秋のタイとの国境紛争は苦戦だったのだ。今年になってタイとの国境沿いにも日本軍が駐屯した。確かに、抑えになっている。
本国政府からの訓令は明確であった。
『ドイツが勝利した暁には、フランスは第2の大国でなければならない。そのためには、仏印をはじめとするすべての植民地は保持されていなければならない』
ドクー総督は考える。
脅威はタイではなく、その背後にいる英国である。ここインドシナは、本国からもドイツからも遠く、支援は期待できない。行き来も出来ない。本国へ向かった商船は、英国海軍のあからさまな敵意と妨害を受けて、撃たれる前に引き返してきた。
米国もあてにならない。当初は、タイとの調停に積極的と見えたのだが。目の前の比島にありながら、保護警備の艦艇派遣どころか、本国の降伏後は商船も来なくなった。それまでは、米を輸入してくれていたのに。比島では米を自給できない。今は、タイから輸入しているという。
今後、英国の影響下にあるタイ、そして米国もどう動くかはわからない。
早く帰ってこないかなと部下が言うのも、理解できる。看護婦やタイピストだけではない。今、インドシナの防備は十分ではないのだ。
タイ国境沿いへ日本軍の戦車や重砲の配備を急がせている。損傷した艦艇も修理復旧する。とにかく、日本との関係は進めるべきだ、軍事的な連携も含めてだ。でないと、英米からインドシナを守りきれないだろう。
ドクー総督は、またグラスに口をつける。
我がインドシナは、日本が欲している米やとうもろこし、燐灰石やゴムも供給できる。それらの商品は、本国へ送れなければ、ただの宝の持ち腐れになるだけだ。全量を日本が購入してくれるのならば、日本軍の駐留費ぐらい賄って余りある。
明日にでも、日本大使と会わなければならない。芳澤大使は、外務大臣も務めた大物だ。なによりも、かつては本国フランス駐在の日本大使だったのだ。今月になってわざわざ大使館を開設したのだから、いずれ日本は戻ってくるのだろう。
それに、あのフランス語を解する日本人の話も興味深い。フランスに1年半住んでいたという。彼は、ここインドシナと本国との連絡を請負うというのだ。話半分でも乗るべきだろうし、まじめそうな男である。
眉間のしわの深い、眼鏡をかけて一見神経質そうな、その日本人はマサオ・ナイトウと名乗った。




