2 仏印駐屯軍
昭和16年11月21日、金曜日、午後。東京府、多摩陸軍飛行場。
多摩陸軍飛行場は、西多摩郡福生町にある。
総芝生の敷地に1200m滑走路、陸軍整備学校、陸軍気象部、陸軍飛行実験部の施設や、整備工場、食堂、医務室、本部建物が間を空けて点在していた。
近くには、立川陸軍航空工廠や陸軍航空技術研究所があった。そこで試作された新鋭機や改造機の審査を、飛行実験部がここで行う。飛行第5戦隊が柏に移った後、ここは飛行実験部の専用飛行場みたいなものだ。
杉山大将の乗機、百式輸送機二型が着陸するのを、大勢が出迎えた。
降り立った杉山は、出迎えに来ていた面々に晴々と答礼、挨拶をする。先頭には、蓮沼侍従武官長がいた。
「杉山監察官、ご苦労様です」
「おおっ、これはっ!」
杉山は、陛下がご差遣されたと知ると、顔をくしゃくしゃにする。
「またご奉公できまして、おかげで寿命が延びました」
「それは・・」
次は、防衛総司令官だ。
「総司令官宮殿下。わざわざ、ご足労をいただきまして」
「監察官閣下こそ、お疲れさまです。わたしはすぐ近くですから」
「そうでしたね」
「ああ、阿南司令官も長い間ご苦労様でした」
「う。い、え」
「「・・・」」
しばらく合戦話をした後、杉山は阿南と一緒に待っていた車に乗り込んだ。阿南はずっと無言だった。憲兵隊の車が後につく。
駐機場では、ようやく降りてきた操縦士と機付長を、飛行実験部の技師たちが取り囲む。
「どうでした、海軍さんは」
「上空でも馬力があるのは、ありがたいな」
「軽いですからね、今のところは」
「今のところ?」
「この先、こいつは化けますよ」
百式輸送機二型は、百式輸送機キ57の機体や主翼を改造したものだ。改造の目的は、高速度を維持したままでの搭乗人員・積載量の増加にあり、そのために発動機も1000馬力の三菱製金星に換装してあった。元の中島製ハ5も1000馬力級ではあったが、信頼性と整備性で劣り、高空では性能が落ちた。
操縦士と機付長は、技師たちに取り囲まれたまま本部建屋に向かう。それまで遠巻きにしていた整備兵たちが、輸送機の整備にかかろうと近づく。
と、そこへ、警笛を鳴らして自動貨車が滑り込んで来た。ききぃー。
車は、後部乗降口を塞ぐように停められた。あっけにとられる整備兵たちを無視して、数人の憲兵が機内に乗り込む。残った憲兵たちは、車の両脇に横へ並ぶと、整備員たちに銃口を向けた。
「あわわ」
思わず両手を挙げる軍属整備員を隣の軍曹が引っ叩く。びびん。
(三平、目立つことをするんじゃねぇ)
(だって、軍曹どの。ぐすん)
航空学校を出たばかりの、16、7歳であろうか。無理もない。
(憲兵は動かないものは撃たない)
(はい)
憲兵たちは、銃口を下げた。
機内から車の後ろのほうへ、重いものを動かす音がする。
ごん。ぐは。がんがん。げえ。どさっ。むぅぐ。
「軍曹どの。今、人の声が」
途端に、憲兵の銃が全部こっちを向く。かしゃ、かしゃん。
(ば、馬鹿が。この)
「さて、何も見えなかったし、聞こえなかったな」
「「見えません、聞こえません。軍曹どの」」
整備兵たちは一斉に唱和しながら取り囲む。びびん、びん、ごつん。
三平は、涙を流しながら唱和した。
「「「見ません、聞きません。言いません」」」
積み込みは終わったらしい。
隊長と思しき中尉どのが、拳銃を納めると、敬礼して言った。
「東京憲兵隊太田中尉。協力に感謝する。邪魔したな」
憲兵隊の自動貨車は、警笛を鳴らしながら走り去った。
(ほっ)
三平は、へなへなと床に蹲る。が、周りの整備兵は許さない。
「ばっかやろ、仕事はこれからだ」ごん。
「寝てる暇はないぞ」びびん。
「は、はいっ」ぐす。
翌朝の満洲行きに向けて、徹夜の整備が始められた。
その頃。
「杉山閣下もたいへんなもんだ」
防衛総司令官の東久邇大将宮は、飛行場本部庁舎の応接室でお茶を飲んでいた。
大将宮が防衛総軍総司令官に着任してから、2週間が過ぎた。総参謀長の奮闘があって、参謀たちが着任し、総司令部の陣容も形が整ってきている。
しばらくは自分の出番はないだろうと、勝手に判断してここに遊びに来ていたのだ。
副官が戻って来た。後ろに、やたらに背の高い将校が続いている。
「終わりました、大将宮殿下」
「お待たせしました。恐縮であります!」
その少尉は、身長は六尺、肩幅も胸厚も日本人の標準をはるかに超えていた。なにより、眼の色が違う。
「いいよ、来栖少尉。で、どうだった?」
「荒蒔大尉は承知されました」
「そうか」
防衛総軍の主力は、2式単座戦闘機とされていた。総司令部では、参謀本部第2課航空班と一緒に運用戦術を練っていた。その中で、現行機には増強改造が必要だと判明する。少なくとも、向こう2年間は新型機の配置は見込めそうにない。ならば、その間を増強と改造で乗り切るのだ。
今日は、防衛総軍で考えた増強改造案の実現性と実用性について、飛行実験部の操縦士に聞いてみようとやってきたのだ。荒蒔大尉は、2式単戦でメッサーシュミット戦闘機と模擬空中戦をやったこともあるという。
技術面の実務は、高等工業学校で航空工学を専攻し、陸軍航空技術学校を卒業した来栖良航技少尉が担当していた。
「荒蒔大尉とは、爆撃機迎撃に特化という前提でお話ししました」
「うむ、そうか」
「空戦フラップの撤去と、12.7mm4門への武装強化には賛成されました」
「ふむ」
「整備性のために、発動機を金星に換装するのも同意すると」
「よかったじゃないか。では早速」
そこで、副官が話に割り込む。
「ここからが妙な話です」
「妙?」
来栖が後を引きつぐ。
「大尉は、2年先を考えるなら、むしろ火星だと」
「なに」
「武装も20mmを4門と」
「副官、それは」
「そうなのです」
敵重爆撃機の迎撃には、上昇能力と急降下能力に絞って性能向上案を検討した。最終的な結論は、20mm4門か30mm2門、2000馬力級発動機である。ただし、それには再設計か新規設計が必要だろうから、すぐにはできまい。12.7mmと1500馬力級なら、早く改造可能なのではないか、第一案はそうまとまっていた。
「ひょっとして?」
「はい、2式複戦の方も」
「ああ」
来栖の視線を受けて、副官が言う。
「2式単戦二型はすでに試作に入っています」
「ええ」
「三型の設計図も見たことがあると」
航空本部では、2式単座戦闘機も2式複座戦闘機も、すでに複数案の再設計と試作に入っている。それは、金星の1500馬力増強だけではなく、火星の2000馬力増強を見込んだものとの2段立てである。ほかに20mm機関砲や、電気艤装も同時に研究中で、一部は試作を開始した。2式複戦も、後部機銃を撤去して密閉風防としてある。
副官がそう言うのだ。大将宮は、狐に化かされたような気分になる。
副官が問う。
「どうします」
「どうしますって、いいじゃないか。話が早くて」
「しかし、せっかく」
「無駄ではないさ。用兵側と造兵側が同じ結論に到達したんだ」
「はあ」
そうか、と大将宮は思う。
先月の内にというなら、前の航空総監、土肥原大将の決裁だろう。
ほかにもあるかも知れない。これから航空技術研究所に行くか。すぐ近くだ。明日は、航空本部に行こう。そして、参謀本部にも乗り込んで、航空班長の加藤少佐をどやしつけてやろう。あの食わせ者め。
「総司令官宮殿下、質問があります」
「いいよ」
「本当に米国の工作機械や潤滑油が手に入るのですか」
「あん」
「それが航空本部の前提みたいです」
「そりゃ、政府の仕事だ。わたしは知らん」
「はあ」
(ま、聞くだけは聞いてみるさ)
同じ日、フランス領インドシナ、サイゴン。
武藤章中将は、近衛歩兵第5連隊長の岩畔豪雄大佐とサイダーを飲んでいた。
「あとはやるだけですねぇ」
「おかげで、なんとかなったよ」
「では」と、岩畔は立ち上がる。
「どうした」
「師団長ご就任、おめでとうございます!」
「やめろ、岩畔。そんな場合か」
「はっ、司令官閣下」
仏印、仏蘭西領印度支那に駐屯していた近衛師団2個連隊は、11月初めより大本営直轄部隊となり、仏印駐屯軍と呼称されていた。秘匿名は「仏」である。近衛歩兵第4連隊主力がコーチシナを中心に、同じく近衛歩兵第5連隊がカンボジアに駐留している。
仏印駐屯軍の司令官は、近衛師団の西村師団長が兼任していた。西村琢磨中将は、7月まで印度支那派遣軍の司令官を務めていたから、無難な人事である。ところが、昨日の朝、突然現れた杉山陸軍監察官と大喧嘩して、強引に転出させられた。
同席していた今井参謀長も武藤歩兵団長も、あっけにとられるだけだった。さらに、武藤中将は、司令官代行と師団長代行に指名された。杉山監察官の申し渡しである。おっつけ、正式辞令を送ると言う。乱暴な話である。いずれはと聞いていた武藤だったが、こんな形でとは、思いもよらぬ。
とにかく、西村中将のせいで停留していたふ号作戦を進めなければならない。仏印駐屯軍司令官代行となった武藤中将は、今井大佐に命じて連隊長会同を呼集した。歩兵団の近歩4と近歩5の他にも、師団には砲兵連隊、工兵連隊や野戦病院などがある。特に工兵と海上輸送隊の役目は重要だ。
会同が終わったのは、今朝の未明である。
武藤は眠る間もなく、南遣艦隊司令長官の平田昇海軍中将と面談した。
それが終わると、在仏印日本大使館サイゴン支部に行って、内山岩太郎公使や武官の長勇陸軍少将と面会する。今回の作戦には、仏印駐屯軍や南遣艦隊だけでなく、軍属や一般邦人も参加する。といっても、在仏印大使館は今月初めに開館したばかりで、内山も、着任して1週間の武藤とたいして変わりはない。
「港湾と船舶の情報を送れと言われた時は、よもやと思いましたが」
「うん、うん」
「在仏印の軍属や一般邦人の名簿を作れと言われて、これは違うなと」
「そう、そう」
結局、ふ号作戦の準備を仕切ったのは、近歩5の岩畔連隊長だった。
ふ号作戦は、異例なことに、参謀本部でなく陸軍省が計画した作戦である。作戦立案を放棄した田中新一前作戦部長に代わり、佐藤賢了軍務課長が起案したのだ。そして、佐藤が要求する現地の最新情報を整えたのは岩畔だった。陸士同期の今井参謀長の頼みである。
つい数ヶ月前まで、岩畔は、武藤軍務局長の下で軍事課長を2年間務めていた。今年の3月から7月まではワシントンに滞在して、日米交渉も見聞している。陸軍省が何を考えてふ号作戦を立案したか、覚えるものがあった。
ふ号作戦は、日米交渉における帝国の利益を左右する重大な作戦である。しかも、作戦は今日、明日にも発令されるかも知れないのだ。
「いよいよ、仏様ともおさらばですな」
「そういう言い方をするなよ」
「思えば、武藤閣下の着任もふ号作戦の下命と同時」
「・・・」
「いやー、何もかも計ったようで」
「岩畔大佐」
「はい。司令官閣下」
「げふん。覚えておくがいい」
「はっ」
「大佐もその中に組込まれている」
「うへえ、くわばらくわばら」
武藤は、見送りに出る。
近衛歩兵第5連隊は、サイゴンから北西へ300km、タイ仏印国境に近いトンレサップ湖畔に分駐していた。アンコールワットのすぐそばだから、仏様にこだわるのは分からないでもない。
岩畔大佐は、これからその駐屯地に戻り、作戦開始の命令を待つのだ。
夕暮れのサイゴンを、岩畔を乗せた車は出発した。




