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LN東條戦記第2部「変革宰相」  作者: 異不丸
第4章 破れて逃ぐるは国の耻
41/53

1 陸軍介錯官


昭和16年11月20日、木曜日、午前10時、宮城。


大本営政府連絡会議は、大本営の「統帥」と政府の「国務」とを一致させるための会議である。新国策を決定した10月29日の第63回会議以来、しばらく開催されていなかった。統帥と国務との間に深刻な乖離が生じてなかったからである。実態は、統帥も国務もそれぞれ静かな混乱の中にあり、会議どころではなかった。


3週間ぶりの第64回大本営政府連絡会議では、参加者の顔触れも変わってきた。

大本営からは4人、陸軍部の多田総長、本間次長、海軍部の永野総長、伊藤次長。

政府からは4人、東條首相兼陸相、豊田海相、重光外相、賀屋蔵相。

幹事は3人、陸軍省の栗林軍務局長、海軍省の岡軍務局長、内閣の星野書記官長。



議長は、東條首相である。

「議事に先立ち、大本営より、欧州大戦の状況をお聞きしたい」

多田大将が頷き、参謀本部第二部長の藤室少将が報告を始める。

「独ソ戦では、前線気象は泥濘から凍結に変わり、独軍の進撃が再開されました。しかし、冬用装備に欠けており、攻撃は不調です」

「すると前の瑞典大使館の報告は」

「正確でした。さらに、ここ数週間は独空軍の出撃が確認されておりません」

「それは?」

「はい、凍結寒冷の為に、戦闘車両や航空機を稼働できないかと」

「いや、帝国は独ソ前線の動きを視認しているのか」

「軍機です。答えられません」

「やや、これは。たいしたものだ」

「「げふん、げふん」」

「軍機ですぞ、蔵相」

「わかってるとも」ぶつぶつ。



大本営陸軍部の多田総長が、総合的判断を示す。

「独ソ正面は、概ね今の前線を保持したまま越冬に入ります」

「独英正面は航空機不足で変化なし。バルカンが落着して、戦線は北アフリカに」

「ほかに、北大西洋の護衛戦で英国海軍に戦術変更がみられます」


重光外相が質問する。

「米国が参戦するとして、どの時機でしょうか?」

「英国への輸送は一定を確保していますから、ソ連次第ですね」

「急ぐとすれば、ソ連の逼迫か」

「ただ、米国内の世論が」

「なるほど」


逆に、多田が重光に質問する。

「英ソ同盟は堅固ですか?」

「7月の英ソ共同協定には、どうも単独不講和が入っているようです」

「実際のところ、英国にソ連支援の意志はありますか」

「大英帝国ですからねぇ。波蘭の例を見ても」

「ああ、それか。ソ連が崩壊しても同盟破棄はない」

「少なくとも、英国からの破棄はない」

「バルカンを失地した英国は、北アフリカ死守か」

「そこで敗れれば中東からイランへ」

「いや、その前に米国が」


議長の東條が本題に戻す。

「欧州大戦は、いまのところ帝国に影響はない」

「「それでいいでしょう」」

「主戦場はモスクワ正面と北アフリカ」

「それと北大西洋です」

「よろしい、議事に入ります」



議事は、新国策4項目に沿って行われた。

「一はよろしいでしょう。完遂は目前です」

「「「うんうん」」」

「二に関して、先の議会で2つの重要法案を可決しました」

「「うんうん」」

「三ですが、まずは日米交渉。どうです、外相」

「数時間前に吉田大使が華府に到着しました」

「そうか。ようやく」

「まもなく第一報が入ります。米国の感触が」

「「「うんうん」」」

「陸海軍の準備はよろしいか」

「最後の障害を排除しました」

「「ふ号作戦は、準備宜しです」」

「では、外相。よろしく」

「外相の私が作戦発動とは、わくわくします」

「「ふん」」

「いいなぁ」

「「げふんげふん」」

「四も、このままでよろしいですね」

「「「うんうん」」」


「では、最後に、ソ連の反応です」

「「うむ」」

「外務省には、マリク駐日大使から抗議が来ています」

「ほう、どんな?」

「なんでも共産主義のせいにするのは遺憾だと」

「正面から抗議はできないわな」

「そりゃ、工作を認めるようなものですから」

「ドイツ大使館からは猛烈な抗議がありました」

「「厄介だな」」

「いえ、オット大使をゾルゲに会わせました」

「「それは大胆な」」

「ゾルゲは容疑を認め、オット大使は黙りました」

「気の毒に。オット大使も無事では済むまい」

「外務省は、この機にドイツへ徹底的な反論を予定しています」

「「ええー」」

「「いやいや、それが外交だ」」

永野総長が何か言えと、多田総長を肘でつつく。

「うまくやってくれとしか言えませんな」

東條首相が言う。

「こんな時のための大島だ。遠慮はいらん」

重光は畏まるしかない。

「は、はい」



東條が脱線した議題を元に戻す。

「それで、ソ連極東軍の動きはありますか」

多田が答える。

「関東軍総司令部からは、国境各地の兵力量は変わりないと」

「「ほう」」

「しかし、ドイツ軍は、首都モスクワの目前まで迫ってるのでしょう?」

「ちょっと、蔵相」

「わしなら、満ソ国境から半分は動かす」

「そうなのです、蔵相」

「え」

本間次長が説明する。

「外見は変わりないが、中身もそうかは判りません」

「そうでしょう。えへ」

「今少し時をください」

「わかるのですね」

「まあ。お知らせできるかは別問題ですが」

「そりゃ、残念」



第64回大本営政府連絡会議は、現状を確認して会議を終えた。

会議室を出ると、賀屋蔵相が重光外相を呼び止める。

「感服しました」

「瑞典では、たまたま大使と武官がうまくいっておるのです」

「たまたまでもいい。瑞典大使館は予算を増やします」

「こりゃ、どうも。えへへ」

「どんどん、やってください」





同じ日、午後。東京府、陸軍省。


陸軍大臣の東條首相は、溜まっていた書類を決裁している。

そこへ、中村次官と額田人事局長が入って来た。

「「大臣」」

東條は、中村が差し出した書類を一瞥する。

「座ってくれ」


二人が座ると、東條は書類を熟読する。書類には、陸軍将官の名前が記されていた。


『仏印、西村琢磨中将、近衛師団長、陸士22期、

 中支、阿南惟幾中将、第11軍司令官、陸士18期、

 南支、牟田口廉也中将、第18師団長、陸士22期、

 満州、河辺正三中将、第3軍司令官、陸士19期、

 ・・・』


東條は、黙って筆を取り花押を書くと、秘書官に渡す。

そして、二人の前に座る。


「二人ともご苦労さま」

「「いえ」」

「うまくいっておるようだな」

「はい。兵務局長のおかげです」

額田が答える。

「「そう、か」」

「まさに、異才ですね」

「「・・・」」



田中隆吉少将が、大臣室に飛び込んできたのは、ちょうど2週間前の木曜日だった。参謀本部乙事件の翌日である。


「田中兵務局長、意見具申!」

「言え!」

「このままでは杉山大将は夫婦で自決されます」

「なにを!」

「そもそも、元帥宮のあとに杉山大将を推されたのは閣下であります」

「う~む」

「事は、東條閣下の人望に障ります」

「ふん。よくもぬけぬけと」

「終わり!退出します」

「おう」


翌日、東條は田中を呼んだ。

「杉山大将に伝言ですね」

現れた田中は東條の顔を見て悟ったらしい。

(敏い奴だ)

「それで、処遇は?」

「現役のまま軍事参議官。来週中に出す」

「よろしいでしょう、とりあえずは」

「なに、とりあえずか」

「閣下もご存知の通り、杉山大将は明晰な方です」

「うむ」

「情状人事であることはすぐに見抜かれます」

「しかし」

「それに本テキは啓子夫人です、ご存知でしょう?」

「うむ、まあ」

「ここは、もうひと工夫です」

そう言うと、田中は東條ににじり寄って来た。

「な、なんだ」

「実は、ごにょごにょ」






11月20日木曜日、夕方。中支、湖南省、岳州。


岳州の郊外に設けられた陸軍特設飛行場に、1機の双発機が着陸した。

急報に駆けつけて来た整備員たちは、しかし、停止した機体を遠巻きにして近づこうとしない。

「ええい、何をやっとるか」

「しかし、軍曹。不吉であります」

「縁起でもありません」


その百式輸送機は異様だった。黒く塗られた胴体の中央部分に4本の白い帯が縦に入っている。主翼も黒く塗られ、やはり4本の白帯が前から後ろへと走っている。

「心配するな。あれはインベイジョンストライプだ」

「さすが、軍曹。物知りですね」

「少尉どのに聞いた。早く行け」


整備員がおそるおそる近づこうとした時、警笛を鳴らして数台の軍用車両が割り込んできた。自動貨車には憲兵が満載である。そして、輸送機から数人の将校が降り立った。

「うへぇ、ベタ金だ」

「新聞で見たことがあるぞ」

「「まさか!」」



岳州の第11軍司令部では、第2次長沙作戦を起案中であった。9月発動の長沙作戦は、10月に成功裏に終わった。しかし、長沙撤収の機動があまりにも見事であったため、米英の新聞は、長沙に日章旗を見ずと報道する。長沙作戦の要諦は敵第9戦区軍の撃砕にあって、長沙占領は目的ではなかった。

だが、勇猛果敢、熱血直情の阿南司令官は憤った。もともと上級司令部の反対を押し切って決行した作戦だったから、阿南の立場はない。今度は長沙を永久占領して、怯懦な国府軍と米英に目にもの見せてやる。


その作戦室に急報が来た。

『杉山軍事参議官来ル』

「なに!」

「どうした。何の用件だ?」

混乱する司令部に、すでに杉山は到着していた。


「阿南司令官、攻勢は禁止されとる。何をやっとるか」

「これは、杉山大将」

「支那派遣軍の命に従って、撤退計画を起案せよ」

「しかし、あと一押しで敵は瓦解します」

「わからん奴だ。退けといったら退けっ」

「栄光ある皇軍が撤退など。本職にはできません」

「軍命だぞ。ばっかもん!」

「なに。ばかとはなんだ。この老いぼれが」

「阿南。これでも喰らえ」

「え?」

びびびびびび~ん。


「やったな。この」

ぱ~ん。ぱぱ~ん。

「まいど、憲兵隊です。はい、そこまで」

「「ええ?」」

憲兵隊が取り囲み、銃剣を突きつける。

「何をするか。無礼な!」

「無礼はお主であろう」

そういって、杉山大将は菊の鑑札を取り出す。

「「「?」」」

副官が、おもむろに宣言する。

「杉山大将は、勅許により陸軍監察官であらせられる」

途端に、全員が直立不動の姿勢を取る。

かつ、かつ、かつ。ぴしーん。


「そういうことだ。軍命に服せ」

「畏れながら」

「その先は言うな。貴様の首だけではすまん」

「うっ」

「腹を切るなら、舞台は用意してやる」

「なんと」

「が、まだ早い。しばし待て」

「それは」

「阿南の腹はわしがあずかる」

「はあ」



飛行場では、同乗していた機付長に指図されて、整備員が見慣れない発動機を点検していた。

「むしろ小さいんですね」

「ああ、燃料供給が違う」

「これですか。へえ」


そこへまた、警笛を鳴らして数台の軍用車両がもどってきた。杉山大将の後から、阿南中将が降りてくる。

「星2つか」

機付長は、機首に白のペンキで星を書き始める。と、自動貨車から包みが降ろされた。どさっ。簀巻きにされた花谷正少将だった。

「おっと、もう1つか」

機種の星印は、すでに10近くあった。


阿南は杉山に従って、百式輸送機に乗り込む。

先客がいた。縄でぐるぐる巻きにされた西村琢磨中将である。

「んぐ、ふがふが、ぐむむ」

その隣に、簀巻きが運び込まれ、やはり縄で固定される。

「縛帯だ。安全第一」

「むがむが、ふがが」

「うるさい、暴れるな。落ちたらどうする」

杉山が拳固を喰らわす。ごん。

「曳航装置が間に合えば、外だったのだぞ」

「ふぃ・・」


杉山は振り向くと、阿南に言う。

「せっかく監察官になったのに、まだ介錯の機会がない」

「・・・」

「花谷は腹を切ると思ったのだがな」

阿南は、おとなしく席に着いた。

走り始めた機体の中で、杉山が機長に怒鳴る。

「次は牟田口か。機長、広東だ」

「目的地は広東飛行場。了解!」


「よし。全員、軍歌演習!」

「「♪~見たか、黒翼、この雄姿~」」


陸軍介錯官を乗せた百式輸送機二型は、ぶんぶんと高度を上げる。





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